ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)

書籍「ダンスの時代」(若杉実著/リットーミュージック)

【題名】ダンスの時代
【著者】若杉実
【出版】リットーミュジック
【発売】2019年7月29日
【値段】1980円
【感想】
f:id:bravi:20200112104509p:plain2008年に中学校の学習指導要領が改訂され、「運動能力の強化」ではなく「仲間とのコミュニケーションの向上」を目的として、2012年からダンスが義務教育の選択科目から必修科目へと変更になり、その内容についても、①創作ダンス、②フォークダンス、③現代的なリズムのダンス(ヒップホップ、ロック等)と多様なものになっています。この学習指導要領の改訂後に中学校の教育過程を迎えた若者達は、丁度、高校を卒業して大学生又は社会人になっているのではないかと思いますが、益々、ダンス界の人材層に厚みが増し、より面白いダンスが見られることになるのではないかと期待しています。芸術(サブカルチャーを含む)の分野に限らず、あらゆる分野において、近代に確立した「ジャンル」が重要な意義を持たなくなり、色々なものの境界が曖昧になってきているのが現代の時代性ですが、現代の芸術はその時代性を映すように非常に多様で複雑なものとなり、一般の素人には手に余る難解さがあることも事実です。その水先案内の1つとして、久しぶりに面白いと思えた書籍「ダンスの時代」に関する簡単な感想を残しておきたいと思います(但し、未だ出版されたばかりなので、ネタバレしないようにあまり本の内容には触れません。)因みに、群舞(チームプレイ)は日本舞踊や能楽にも存在しますが、一般に、これらは生徒達に馴染みが薄い(即ち、先生が指導し難い)ことや、これらは「型」などの決まり事が多く生徒同士の自発的なコミュニケーションを促す(即ち、誰かに教わる(大量生産・大量消費型の人材観)のではなく自ら創り出す(変革期型の人材観)という姿勢を養う)という観点からはより自由度が高いもの(ニュースクール等)が望ましいことなどの理由から、これらは義務教育の対象に含まれなかったのではないかと推測します。
 
ダンスの時代

ダンスの時代

 
 
ダンスの起源については明確なことは分かっていませんが、最も古い記録として古代エジプトのアルタミラ壁画にベリーダンスを踊る女性が描かれており、また、古代ギリシャでは早くからダンスが教育に採り入れられていたと言われています。日本では古事記及び日本書記の岩戸隠れの伝説で女神・天鈿女命(アメノウズメ)が裸踊りをして八百万の神々を笑わせたという神話(貴志康一作曲のバレエ「天の岩戸」の舞台上演を見てみたいのですが、なかなか叶いません・・涙)が残されていますので(日本最初のダンサー、ストリッパー、宴会芸)、人類は古くから何らかの動機や衝動でダンスを踊っていたと考えられます。この点、日本では、「」のことを「神迎え」、「踊り」のことを「神(霊)送り」というそうですが、「」(能楽)は巫女(個人)が神の依代や神座の周りを回りながら徐々に神懸り(神迎え)して行く呪術的な舞(他力による旋回運動)であるのに対し、「踊り」(歌舞伎踊り)は群衆(集団)がリズミカルに飛び跳ねながら妖精(精霊)や妖怪を共同体の外へと送り出す呪術的な踊り(自力による跳躍運動)と言われており、例えば、アフリカでも神と交信して神意を伝えるために神に選ばれたメッセンジャーが行うダンス(神迎え)と、病人等の周囲をリズミカルに行進しながら悪霊を退散させるために住民が行うダンス(神送り)があるようです。よって、世界各地でダンス(舞踊)はアニミズミ信仰を背景として人ならね者との交流を試みるために肉体を使って行われてきた宗教的なパフォーマンが起源ではないかと思われます。これに対し、キリスト教では精神で肉体をコントロールすること(理性)が重んじられ、聖書に書かれた神の言葉(ロゴス、理性)が信仰の拠り所となり、人々から理性を奪うアニミズムの実践(霊媒、占い等)を固く禁じ、ダンスも神との交流を試みる宗教的なパフォーマンスではなく、人との交流を図る社交的なパフォーマンスとして位置付けられたと思われます。このような背景からキリスト教文化園におけるダンスや音楽は、肉体的な興奮を喚起し、人々を狂気(トランス)させるようなリズムの使用を避けてきた歴史的な伝統があり、ダンスも人ならぬ者の降臨を促す躍動的な跳躍運動ではなく、人との調和(ハーモナイズされた動き)をとりやすい優美な回転運動(社交ダンスなど)を中心として発展したのではないかと思われます(もしかすると各国の伝統音楽のハーモニーの有無も同じような淵源による相違かもしれません)。この相違がやがてレイシズムを背景としてダンスの多様性を育むことになりました(下表)。なお、上記の宗教的な要因に加えて民族的な要因として、農耕民族が農作業する際の動作、即ち、腰を落とし、田から足を引き抜くように膝を高く上げて歩を進め、足を摺るような足運びで回転し、鍬を鋤くように右手と右足が連動する動きなどや、狩猟民族が狩りをする際の動作、即ち、獲物を追い掛けるように軽快にステップし、高く飛び、勢い良く旋回する動きなども、それぞれのダンス(舞踊)の誕生及び発展に大きな影響を与え、それぞれの特徴的な動きとなって現れています。
 
レイシズムから生まれた多様性 
  白人文化 黒人文化
音楽 場所 教会
演奏会場
Hush Harbor
酒場
種類 讃美歌
クラシック
黒人霊歌
ジャズ
ダンス 場所 社交場
歌劇場
ストリート
ダンスホール
種類  社交ダンス
バレエ(※)
スイングダンス
※バレエは、太陽王と言われたルイ14世によって確立されますが(映画「王は踊る」)、フランス革命によって王侯貴族から大衆へと文化の主役が交代するとロマンティック・バレエとして発展し、今日のバレエの様式が確立します。その後、クラシック・バレエからドロップアウトした若者達が伝統的なものを解体してより自由で革新なダンスを求めてモダンダンスやコンテンポラリーダンス等の潮流が生まれています。なお、今回は、あまり長くならないように革新的なものだけを採り上げたいので、以下では伝統的なもの(クラシック・バレエや社交ダンス)は割愛します。
 
日本では戦国時代に中世的な社会体制の崩壊と共にその中心的な存在であった寺社勢力が衰退して寺社勢力から芸能の興行権が解放されたことで(芸能の自由化)、舞踊(ダンス)が宗教的なパフォーマンスから大衆的な娯楽へと性格を変えて活発化します。丁度、この時期に出雲大社の巫女であった阿国が上京して歌舞伎踊りを創始して大衆に熱狂的に支持され、やがて歌舞伎と日本舞踊へと発展していきます。一方、西洋ではキリスト教的な価値観を背景としてダンス(舞踊)が王侯貴族の社交(娯楽)として確立し、その後、市民革命を経て大衆へと受け継がれ、大衆の社交(娯楽)として発展します。なお、西洋では中世の大航海時代に植民地政策(その後、産業革命を経て帝国主義へ)がとられて奴隷売買が盛んに行われましたが、その後、奴隷解放運動や南北戦争等を契機として奴隷が解放されます。しかし、レイシズムによる差別から黒人が教会や社交場等へ出入りすることは許されず、教会ではなくHush Harborや酒場等でヨーロッパの音楽(讃美歌など)とアフリカの音楽(ポリリズムなど)を融合した黒人霊歌(ゴスペルなど)やジャズが誕生し、社交場や歌劇場等ではなくストリートやダンスホール等でヨーロッパのダンス(バレエなど)とアフリカのダンス(コンゴ舞踊など)を融合したスイングダンス(リンディホップ、ジャズダンス等)が誕生するなど、レイシズムという社会の歪みによって黒人に強いられた過酷な境遇(不条理)がやがて黒人の魂の叫びとなって(文化を生み出す「血みどろの母胎の生命や生殖行為」(三島由紀夫))、白人文化の影響を受けながらも白人文化とは異なる独自の黒人文化を育むことになりました。
 
【音 楽】ヨーロッパの音楽+アフリカの音楽=ジャズ
【ダンス】ヨーロッパのダンス+アフリカのダンス=スイングダンス
 
レイシズムに打ち勝つ文化の力
1920年代にジャズの伴奏に合わせて踊るスイングダンスからリンディホップ(黒人がワルツを踊ることを禁止されていたことから誕生したチャールストンダンスとそこから派生したタップダンスの融合)やジャズダンス(バレエとタップダンスの融合)が派生し、ジャズの人気と相俟って大衆を熱狂させます。やがてリンディホップやジャズダンスの人気はレイシズムに打ち勝つという社会的な機運を高め、ニューヨークのハーレムにあった巨大ダンスホールサヴォイ・ボールルーム」では人種に関係なく入場が許され、白人と黒人が一緒にダンスを踊ったと言われています。因みに、リンディホップとは、単独飛行で大西洋横断を成功したチャールズ・リンドバーグに由来していると言われており(「リンディ」はリンドバーグの愛称、「ホップ」は大西洋を飛び越える意味)、大西洋ならぬ人種の壁を乗り越えるという願いが込められているのではないかと思われます。
 
ジャズダンスの誕生に日本人の影
1920年頃にルイジ・ファチュートがバレエとタップダンスを融合したジャズダンスを確立します。ルイジ・ファチュートは交通事故で半身不随になり、そのリハビリのために伊藤道郎に師事して伊藤道郎が発案したジャズに合わせて踊るバレエ・エクササイズを学んでおり、これが基になってジャズダンスを創始したと言われていますので、伊藤道郎が発案したバレエ・エクササイズがなければジャズダンスも確立されていなかったと言えるかもしれません。伊藤道郎は元々は声楽家志望で三浦環(声楽に加えて日本舞踊を学び、その美しい所作も国際的に高い評価)と共演し、パリへ留学してドビュッシー等とも交流を持ちましたが、日本人と西洋人の声量の違いから声楽家を断念してダンス(舞踊)へ転向し、イェイツの能楽研究に参加してイェイツの代表作である戯曲「鷹の井戸」の創作に協力しています。また、伊藤道郎はホルストに依頼して作曲して貰った「日本組曲」日本民謡の旋律がモチーフとして使用されています。また、ホルストは「日本組曲」を作曲するために組曲「惑星」の創作を一時中断しています。)を使って英国でダンス公演を行うなど国際的に活躍し、日本のダンス界の草分け的な存在と言える天才ダンサーです。因みに、伊藤道郎は1964年の東京オリンピックの開会式及び閉会式の総合演出も担当しています。 
 
ダンスブームの到来
1940年代までリンディホップダンスが一世を風靡し、1950年代になるとジャズのブルースやラグタイム等(黒人音楽)とカントリー&ウェスタン(白人音楽)が融合したロックンロールが生まれ、エルヴィス・プレスリービードルズの影響等からリンディホップダンス(黒人ダンス)と社交ダンス(白人ダンス)が融合したツイストダンスが流行します。丁度、この頃にバーンスタイン作曲のブロードウェイ・ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」(1957年~)がジャズダンスを採り入れた舞台として注目を集め成功を収めています。1970年代にダンスTV番組「ソウルトレイン」(1971年~)が全米で人気を博すると、ファンク、R&B、ソウルミュージックやロックンロール等の音楽に合わせて踊るディスコ(現在のクラブの前身)が本格的に流行し、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977年)の公開によってディスコブームは過熱します。因みに、2020年12月にスピルバーグ監督による映画「ウェスト・サイド・ストーリー」のリメイク版が公開予定です。
 
ロックンロール:社会の内部(中産階層)からのドロップアウト
ヒップホップ :社会の外部(貧困階層)からのドロップイン
 
その一方で、1970年~1980年代にディスコに通うお金がない黒人はストリートに集まり(ブロックパーティー)、レコードプレーヤーを持ち込んで、そこに段ボールを敷いてダンスをしていました。DJ(レコード盤を操る人の意味)はブレイク・ビート(曲間のビート部分)でダンスが盛り上がることに気付き、ブレイク・ビートを繰り返して再生するループ、レコード盤を擦る音でビートを生むスクラッチ、リズムに合わせて韻を踏みながら歌うラップ、口や喉を使ってビートを生むヒューマンビートボックス等のヒップホップ音楽が生まれ、ブレイク・ビートに合わせて踊るブレイク・ダンスが誕生します。それまでのダンスは「立ち踊り」が主流でしたが、ブレイクダンスは「立ち踊り」(トップブロック等)だけではなくダンスの支点が下半身から遠ざかり手や体を地面につけて踊る「床踊り」(ネックムーブ等)が特徴的なダイナミックなダンスと言えます。また、体のしなやかさを保ちながら人間離れした動きをするホップダンスや体をピタッと止めて固定することでキレのある動きをするロックダンス(音楽のRockではなく、鍵のLock)等が生まれ、ストリートに集うブロックパーティーからこれまでにない革新的なダンスが誕生しています。これらの最新のダンスをマイケル・ジャクソンが採り入れて世界中に熱狂的に受け入れられ、映画「フラッシュダンス」(1983年)や映画「ブレイクダンス」(1984年)等が相次いで公開されています。
 
▼ ジャズとダンスの発展 
  ~1940年代  1950年
~1970年代
1970年
~1980年代
音楽 ジャズ ファンク
R&B
ヒップホップ
ダンス スイングダンス
リンディホップ
ジャズダンス
etc.
ディスコ
ツイスト
ゴーゴー
etc.
オールドスクール
ブレイクダンス
ホップダンス
ロックダンス
※1940年代のビバップ革命はビバップダンス(ミドルスクール)と関係してきますので下表へ。
※上表は大まかな流れを把握し易くするために作成したものである程度正確性は犠牲にしています。
  
ミドルスクール
1980年代後半~1990年代前半に「ダンスを踊るための音楽」から「音楽に合わせて踊るダンス」としてテンポの早いビートに合わせて踊るステップを中心としたダンスが生まれ、ニュージャックスウィング、ランニングマンやロジャー・ラビット等のダイナミックなステップを多用するインターナショナルスタイルダンス、スピンやジャンプ等のアクロバティックなステップを多用するビバップダンス、細かい足さばきを中心としたステップを多用するホーシングダンスなどが誕生します。
 
バップ革命を契機とする「ダンスを踊るための音楽」から「音楽に合わせて踊るダンス」への潮流
 
スウィング
白人ミュージシャンによりメロディーを中心にして装飾的に即興演奏する「分かり易いジャズ」へと変質
  ⇩
【バップ革命】
この状況に不満を持った黒人ミュージシャンがジャム・セッション(その場に居合わせた即席メンバーで行う即興演奏)でテクニックの極限に挑戦し、複雑な音楽を創り出す演奏(「踊るための音楽」から「聴くための音楽」へ)
  ⇩
1940年代に黒人ミュージシャンによりメロディーではなくコード進行を中心にしてリズム、メロディーや和声を複雑に変化させながら自由に即興演奏する「分かり難いジャズ」へと変革(1990年代に複雑でテンポが早いビバップの音楽に合わせて踊るためにステップを中心としたビバップダンスが誕生。後年、聴くための音楽であるビバップの即興演奏とクラシック音楽の伝統を融合したジャズ・ピアニストのビル・エヴァンス等も登場)
  ⇩
【客離れ】
ジャズの即興演奏が難解になるにつれて客に敬遠されて一時的に客離れ
  ⇩
ハードバップ(モダン・ジャズ)
1950年代にアート・ブレイキーらによりコード進行を中心にして即興演奏しながら、ある程度、コード進行を犠牲にしてもメロディーに配慮した洗練された即興演奏を行う「バランスの取れたジャズ」へと揺り戻し(その後のフリー・ジャズへの流れ)
 
ビバップの揺り戻しとして登場したクールジャズと、その反動として生まれたハードバップの流れは割愛
 
ニュースクール
1990年代後半にはマスメディア等を通じて貧困階層(肉食系タイプ)だけではなく中産階層(草食系タイプ)にも広くヒップホップ文化が浸透し、ヒップホップ文化の裾野が広がります。これに伴ってオールドスクールのようにパワームーブ等の「床踊り」が中心ではダンス表現の深みに欠けると認識されるようになり、オールドスクールの基本を踏まえつつ、より自由度の高い「立ち踊り」を中心にしたヒップホップダンスが誕生します。また、ミドルスクールを融合して多種多様のステップやスピン等を織り交ぜて曲調やリズムに乗って踊るハウスダンスも誕生します。更に、ニュースクールには含まれないかもしれませんが、2000年代に入るとビヨンセ等によりジャズファンクダンスが流行し、2010年代にはLMFAO等によりEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)が流行しているようですが、もはや瑞々しいとは言えない老憊の感性ではダンスが進化して行くスピードやその多様さに付いていくのは並大抵ではありません(苦笑)。でも面白い。イノベーションによって宗教(聖)と科学(俗)が倒置され(科学によって神秘、即ち、神の秘密とされてきたものが暴かれ)、聖と俗の境が曖昧になってきた現代の世相を映してか、1992年にゴスペルとダンスを取り扱った映画「天使にラブソングを・・」等が公開されていますが、ストリートギャングから生まれたヒップホップ文化(俗)が日本の義務教育(聖)に採り入れられるなど様々な価値観が転換(バラダイムシフト)していく現代の時代性を先取りした映画とも言えます。「落語とは、人間の業の肯定である」という名言を残し、時代に先駆けて聖と俗の倒置を実践して見せてくれた故・立川談志師匠の言葉「本流から必ず亜流が出る。しかしその亜流から本流になるものも出る。それが芸術の本質だ。」は芸術だけではなく広く社会に当て嵌まると思いますが、この言葉の重みが改めて身に染みるこの頃です。また、2018年、ドラッグとEMDによってトランス状態に陥り徐々に理性が剥がれ落ち人間の本能が露わになって行くダンサー達によるトランスダンスを取り扱った問題作、映画「CLIMAX クライマックス」(R18指定)が公開され、第71回カンヌ映画祭監督週間で芸術映画賞を受賞しています。先日、日本でもクラブに通う某女優がドラッグ所持の容疑で逮捕されましたが、科学(俗)によって宗教(聖)の封印が剥がされ、理性から本能が解放され易くなった現代人の姿を赤裸々に描いた興味深い映画です。若杉実さんは著書「ダンスの時代」の中で、表現者の宿命として常に「〇〇ではない」ということに拘るのは重要なことで、例えば、「ダンスではない」ということはダンスの既成概念を壊すという意味で「これまでのダンスを超えた」ことを意味していると仰られています。我々のようなアートを受容する側の人間は、往々にしてステレオタイプ(既成概念)に陥って革新的なもの(亜流、俗)をネガティブに捉えがちですが、この変革の時代にあって、伝統的なもの(本流、聖)ばかりでなく、どのように革新的なもの(亜流、俗)に新しい価値を見出して行けるのか、正しくアートを受容する側にこそ瑞々しく柔軟な感性やジャンルレスの幅広い教養が求められているのではないかと痛感します。
 
「ダンスを芸術として承継していくことよりも、スポーツのように競技化することで進化させていくことの方が若者の目を惹きつけやすい。ゲイカルチャーを起点としたコミュニティ文化を「保存」から「発展」へと移し変えなければ頭打ちは避けられない。」(若杉実さん/著書「ダンスの時代」より抜粋)
※上記の引用文中のボールドは小職が装飾したものです。「伝統と革新」「変わらないために、変わり続ける」という言葉が使われるようになってから久しいですが、芸術文化の分野に限らず、あらゆる分野において、現代に切実に求められていることだと痛感します。過去の成功体験に味を占め、いつまも約束された成功ばかりに安住すれば、やがて時代に見捨てられる運命にあるということだと思います。
 
日本では余り話題になりませんでしたが、2016年に「クラシック」及び「ヒップホップ」の音楽とダンスの融合をテーマとした映画「ハートビート」(原題:High Strung)が公開され、出演者にキーナン・カンパ(アメリカ人初のマリインスキー・バレエ団員)、ニコラス・ガリツィン(英国新進気鋭のヴァイオリニスト)、ソノヤ・ミズノ(英国ロイヤル・バレエ学校出身、日本ではユニクロのCMで有名)、イアン・イーストウッド(ヒップホップダンサー、ASUSが日本語の禅から命名したスマホZenPhone5のCMで有名)やその他世界最高峰のダンサー62人を迎えて圧巻のダンスパフォーマンスが見物の映画で、とりわけ現代の時代性(即ち、伝統的な価値観(体制、権威、聖)と革新的な価値観(反体制、自由、俗)との相克)を映したラストのコンクールシーンでは「クラシック」及び「ヒップホップ」の音楽とダンスが見事に融合した完成度の高い舞台(革新的なもの)が披露されています。また、この映画に対する世界での反響を受けて、昨年11月に続編となる映画「High Strung Free Dance」が全米公開になっています。なお、2017年のLFJでは“踊れない音楽はない”という謳い文句で「ダンスと音楽(躍動のヨーロッパ音楽文化誌)」というテーマが採り上げられたそうですが、上述のとおりクラシック音楽キリスト教的な価値観から肉体的な興奮を喚起するリズムの使用を避けてきた歴史的な伝統があるため(ヒップホップ・ダンスは「リズム」(躍動的な跳躍運動)に比重が置かれているのに対し、クラシック・バレエは「メロディー」(優美な回転運動)に比重が置かれています)、必ずしも、クラシック音楽(但し、バーバリズムや民族舞曲を採り入れた曲を除く)はダンス向きではないと思われますが、個人的にはカプースチンなどの超絶技巧曲に振り付けをした舞台も面白いのではないかと秘かに期待しています。若杉実さんが著書「ダンスの時代」の中で「音楽とは世界共通語、ダンスはその通訳だ」と仰っているとおり、複雑で難解になる現代音楽と聴衆との間を媒介する表現手段としてダンスやメディアアート等が効果的に活用される機会が増えてきており、ダンスに期待される意義は益々多様なものになってきています。
 
 
なお、いよいよ世界的に注目されているダムタイプの本公演「ダムタイプ 新作パフォーマンス『2020』」が2020年3月28日(土)及び29日(日)に迫ってきました。それに先立ち、2020年2月16日(日)まで東京美術館で開催しているダムタイプの個展「ダムタイプ―アクション+リフレクション」が開催されていますが、この個展についてダムタイプの芸術監督である高谷史郎さんは「本展では、社会で起きていることに真摯に向き合う批評性と美学、そして新たな世代を迎えた後の活動を紹介したいと思いました。」(「美術手帖」より)とコメントされており、より鑑賞を深めて作品の本質に迫る意味でも見逃せません。
 
 
◆おまけ
2019 World Hip Hop Dance Championshipで、日本代表のKana-Boon!All Starがメガクルー部門で優勝しました!昨年、同大会の中学・高校生部門で優勝したメンバーが再結集した2度目の金星であり、日本のダンス界が世界トップレベルの水準にあることを実証した結果になっています。日本の伝統邦楽(津軽三味線や囃子等)とヒップホップダンスを融合した非常に面白い舞台になっており、その意味でも注目されます。
 
日本で代表的なダンススクール「movement dance school」のPVです。義務教育におけるダンスの必須選択化に伴ってダンススクールに通う若年層が増えているようですが、若い頃に何かを創り上げる喜び、何かを表現する喜びを知っておくことは人生の肥やしになる大変に貴重な経験であり、何かに打ち込んでいる人の姿はそれだけで美しく胸を打つものがあります。 
 
最後にブレイクダンスの至芸をどうぞ。ブレイク・ダンスとは、ブレイク・ビート(曲間のビート部分)で踊ることを意味していますが、エントリー、フットワーク、パワームーブ、フリーズの4つの要素から構成されています。如何に重力から身体を解き放って自由になれるのか、人類創世から続く憧憬と葛藤がこのダンスを美しく魅せるのだと思います。

新年のご挨拶

f:id:bravi:20191222183809g:plain    f:id:bravi:20191222184304g:plain f:id:bravi:20191222183857g:plain
 謹 賀 新 年 
 
f:id:bravi:20191222184938g:plain漢書 律暦志~自然界の輪廻転生を表現する十二支~
今年も皆さまと共に健やかに新年を慶賀できることを感謝致しますと共に、今年一年も皆さまにとりまして無事多幸な年でありますことを祈念申し上げます。さて、一般的な理解として、干支の「子」(ネズミ)は、神様がマラソン大会を開催して12番目までにゴールした動物を干支にしてあげようと約束し、最初にゴールまでやってきたウシの背中に乗っていたネズミが飛び降りて1位を横取りしたというスポーツマンシップに悖る物語が伝承されています。また、ネズミは嘘の日付をネコに教えてマラソン大会に参加できないようにする悪乗りようで、そのためにネコは十二支に入れず、それ以来、ネズミはネコに追い掛け回されているというオチまでついています(日本ではネコがネズミを捕まえる習性があることから、奈良時代にネコを中国から輸入して首輪や紐でつないで室内で飼っていましたが、1602年に徳川家康が京都で深刻化するネズミ被害の対策として「猫放し飼い令」を発布してネコを野外で放し飼いにすることを推奨したことから、現代でもネコを放し飼いにする習慣が残っています。ネコにとっては不幸チューの幸いと言えるかもしれません。)。しかし、この物語は庶民に十二支を浸透させるために十二支に動物の名前を割り当て(「子」→ネズミ、「丑」→ウシ、「寅」→トラなど)、それを物語風に仕立てた後世の作り話で、もともとは中国の歴史家・班固らが編纂した史書漢書」の律暦志に解説されているとおり、自然界の輪廻転生を植物に擬えて表現したもので、以下のとおり全く別の意味を持っています。
 
漢書 律暦志に見る十二支の本当の意味
「子」:「増」を意味し、種子の状態
「丑」:「曲」を意味し、芽が曲がって地上に出ていない状態
「寅」:「伸」を意味し、草木が伸び始める状態
「卯」:「茂」を意味し、草木が地面を蔽うようになった状態
「辰」:「振」を意味し、草木の形が整った状態
「巳」:「止」を意味し、草木の成長が極限に達した状態
「午」:「終」を意味し、草木が衰えを見せ始めた状態
「未」:「昧」を意味し、果実が熟し切っていない状態
「申」:「味」を意味し、果実が完熟して渋味が出た状態
「酉」:「実」を意味し、果実を収穫できる状態
「戌」:「滅」を意味し、草木が枯れる状態
「亥」:「閉」を意味し、種に生命が宿っている状態
 
今年は、自動車の自動運転が実用化される計画があるなどAI革命が目に見える形で実現する画期的な年ですが、今年の干支「子」が象徴しているように、次の時代の「種子」が蒔かれ、それを来年の干支「丑」に向かって力強く芽吹かせていくための重要な年になりそうです。なお、今年はオリンピックの開催も予定されていますが、もう1つの干支「子」(ネズミ)が姿を現さないように、スポーツマンシップに則ったフェアプレーを期待したいものです。 
 
f:id:bravi:20191222184517g:plain発酵文化人類学~ネズミも愛する多様な社会~
上述のとおり干支の「子」は種子の状態を意味していますが、味噌、醤油や日本酒を製造するために必要な「発酵」に欠かせない麹菌は、米・麦・大豆という種子に生息するカビのことで、このカビが米・麦・大豆のタンパク質等を分解して「うま味」を生成します。なお、1908年に東京帝國大学・池田菊苗教授が「甘味」「酸味」「塩味」「苦味」とは異なる第5の味として「うま味」(アミノ酸の一種)を発見し、これによってUMAMIは国際公用語になっていますが、その後、西洋料理のソース作りや調味料等にも活かされるようになり、日本の音楽や絵画等だけではなく和食も世界の文化に大きな影響を与えています。
 
f:id:bravi:20200101225216j:plain
 
人類による「発酵」の歴史は古く、約8000年前の新石器時代に中近東でワインが作られたのが最初と言われ、日本でも同じく新石器時代縄文時代)から食品を保存するための生活の知恵として「発酵」が利用され始めたと言われています。その背景には日本が高温多湿の気候で食品が腐敗し易い風土にあるという地理的要因に加えて、長らく動物(魚貝類を含む時代もあり)の肉食が禁止されてきた歴史的な伝統が関係していると言われています。即ち、675年に天武天皇が「肉食禁止令の詔」を発布して干支に登場する五畜(牛:農耕牛、馬:農耕馬・軍用馬、犬:番犬、猿:類人猿、鶏:時告げ鳥)の肉食を禁止し、その後、明治政府が欧化政策を推進するために肉食を推奨(横浜の太田なわのれんですき焼きの元祖となる牛鍋が誕生)するまで一貫して肉食の禁止や動物の愛護等の政策がとられてきました。これは日本人が米を主食とし、天皇が稲作儀礼を司る権威的な存在とされてきたことから、天皇を中心とする稲作文化を守るという政治的理由があったことに加えて、動物の血や死を「穢れ」として忌む神道思想(ヒンドゥ-教にも同様の教えあり)や殺生を禁じて功徳を積むことを説く仏教思想を実践するという宗教的理由があったと言われています(必ずしも、徳川綱吉の「生類憐みの令」が歴史的に特異な事例であったとは言えません)。この点、同じ仏教文化圏の国ではインドが肉食を禁止して菜食主義を採ったことから「スパイス文化」(食材との相性を考え、スパイスの配合の妙味を活かして、食材の外側から味を付け足すスパイス料理)が発達しますが、日本では米を主食としたことから「発酵文化」(とりわけ日本の国菌と言われる麹菌・糀菌を使い、発酵から生まれる食材のうま味(出汁等)を活かして、食材の内側から味を引き出す和食)が発達することになり、今日のバイオ技術大国としての礎が築かれることになりました。これは食文化の優劣の問題ではなく食文化の多様性の問題であって、何かを失うことは即ち何かを得ることであり、何かを得ることは即ち何かを失うこと(選択の問題=多様性)の1例ではないかと思います。また、このことは食文化に限らず他の文化にも言えることで、例えば、イギリスの総合科学雑誌「Nature」(2016年7月発刊535号)に掲載されているマサチューセッツ工科大学の論文(Indifference to dissonance in native Amazonians reveals cultural variation in music perception)には、人間がハーモニーを心地よく感じるのは先天的に備わっているもの(聴覚固有の形質)ではなく後天的に備わったもの(音楽的な経験)であり、ハーモニー音楽と無縁な生活を送っているチマネ民族は協和音及び不協和音に対する快感又は不快感の区別が存在せず、協和音及び不協和音を同じように快いと感じ得るという研究結果が発表されています。その一方で、チマネ民族にハーモニーとは関係なく日常的に聞きなれている音(笑い声等)と日常的に聞きなれない音(合成音)を聞かせると、西洋人が感じる快感又は不快感と全く同じような傾向を示したということです。このことは必ずしも人間が音や音楽を快いと感じるためにハーモニーが必要不可欠な要素ではなく、人間は音楽的な経験によって不協和音(自然界に溢れる音)も快いと感じ得る能力(感受性)を備えている(即ち、チマネ民族はハーモニー感が備わっていない代わりにこの能力(感受性)が機能し易い状態にあるのに対し、西洋人はハーモニー感が備わっている代わりにこの能力(感受性)が機能し難い状態にある。)という可能性を示しています。世界で「SAKE」や「SHOYU」が愛好されている(舌が慣らされる)のと同様に、音楽的な経験の積み重ね方によって、より多様な音や音楽を快いと感じ、その真価に触れることができる豊かな能力(感受性)が育まれ(耳が慣らされ)、音楽世界を拡げて行ける可能性を示すものとして興味深い研究結果であると思います。人の嗜好は区々で、例えば、味噌を好む人、味噌を嫌う人と一様ではありませんが、味噌に親しんで味噌の風味が分かる舌を持てればそれだけ食文化は豊かなものとなりますので、何事につけて先入観から食わず嫌いに陥って自ら狭い世界に閉じ籠ってしまうことがないように心掛けて行きたいと思います(今年の抱負①)。「ものさえ分かって来ると、おのずから、趣味は出て来るものである。趣味が出て来ると、面白くなって来る。面白くなって来ると、否応なしに手も足も軽く動くものである。」(魯山人
 
不安定な性質が生む多様性
①グレープジュース
 果汁(糖質)⇒甘味
  ☟
②ワイン
 果汁(糖質)→分解(酵母)⇒アルコール・香り・コク等へ変化
  ☟
③ブランデー
 果汁(糖質)→分解(酵母)→蒸留⇒アルコール・風味等を凝縮
 
※同じぶどう(原材料)を使いながら、片やグレープジュースは甘く、片やワインが甘くないのは、発酵の過程で酵母がぶどう(原材料)に含まれている糖質を殆ど分解してしまうため 
 
ところで、日本でも愛飲家が多い醸造酒のワインは雑菌、酸化やその他の些細な環境変化等によって「腐敗」し易い非常にデリケートなお酒ですが、17世紀にワインを「腐敗」させることなく輸送するための方法としてワインを蒸留する技術(ワインを蒸発する過程で純度を増してアルコール度数を高めることで殺菌作用等を強めて腐敗し難くすること)が開発され、これによって生まれたのがブランデーであり、ワインがデリケートなお酒であったことが食文化の多様性に重要な役割を果たした1例と言えます。このように発酵食品の「腐敗」し易い不安定な性質が食文化の多様性を育むうえで重要な役割を担っており、「発酵」(微生物が風味や栄養を向上させるなど人間にとって食材を有益に変化させること)と「腐敗」(微生物が風味や栄養を劣化させるなど人間にとって食材を有害に変化させること)の関係は食文化の多様性を考えるうえで欠かせない問題と言えますが、日本の納豆やスウェーデンシュールストレミング等の発酵食品を「腐敗」していると感じる外国人も多く、その関係は極めて曖昧なものと言わざるを得ません。しかし、このような不安定で曖昧なもの(即ち、変化し易く、それが許容される余地が高いもの)が複雑な味を求める多様な嗜好を満たすうえで有効に機能し、食文化の多様性を育みながら何千年にも亘って人類の舌を満足させてきたとも言えそうです。これを音楽に置き換えるならば、昨年の新年の挨拶でも触れたとおり、近代合理主義の行き詰りに伴い、バロック音楽以来の調性システム(人間にとってコントロールし易いように、自然秩序を人工的に加工して簡素で安定的にするための決め事)を使って作曲される音楽の表現可能性の限界が認識されるようになり、この複雑な現代社会を表現し、かつ、音楽受容の多様化に対応することに適した新しい音楽を模索するために、この調性システムから音楽を解放してその表現可能性を広げた現代音楽( ≠ 調性音楽の排除)や新しいジャンルの音楽を時代がより強く求め始めていると感じる機会が多くなりました。「変わらないために、変り続ける」という言葉がありますが、霊長類の長と言われる人間が微生物から学ばされることは多いと思います。今年の干支「子」(種子の状態)に因んで、既に完熟期(干支「酉」)を過ぎた印象のあるベートーヴェン(生誕250年)の音楽ばかりではなく、寧ろ、将来に向かって芽吹き、豊かな実を結ぶ可能性がある現代音楽や新しいジャンルの音楽にも注目していきたいと考えています(今年の抱負②)。「飽きるところから新しい料理は生まれる」(魯山人
 
神の規律である自然秩序(天然醸造、無調音楽等)は多様性の宝庫
 
①麹の種類
米味噌:塩味・酸味が強い(例、信州味噌)
麦味噌:さっぱり甘い(例、薩摩味噌)
豆味噌:コクとクセが出る(例、八丁味噌
     
②麹の量
麹の量:白味噌>九州麦味噌>赤味噌
      ↑     ↑      ↑
      甘味     旨味   コク
 ✕
③麹と塩のバランス
麹>塩=甘味、うま味が増す
麹<塩=コクが増す
 ✕ 
醸造方法
 
f:id:bravi:20200105105221p:plain日本の代表的な発酵食品である味噌は、麹の種類、麹の量、麹と塩のバランス等によって多様な風味になりますが、その醸造方法によって風味が大きく変わると言われています。一般に、天然醸造は、米、麦又は大豆及び塩以外に添加物を使用せず、その土地の気候風土の中で自然の気温変化に任せて長い時間をかけて熟成させるので、その土地に特有の風味を持った味噌に仕上がります。その一方、即醸造は、人工的に加熱して短期間で醸造・熟成させるので、それだけ風味が均質化されて深みのない単調なものになると言われています。この点、日本の伝統音楽は、自然の音を求めて、敢えて邦楽器から奏でられる音が不安定になるように設計されている(一期一会の音)という話を聞いたことがありますが、この背景には人間は八百万の神々が宿る自然の一部であるという自然観があり、神の規律である自然秩序に同化して行こうとする意識が強いと言われており、日本の伝統的な音楽作りと伝統的な味噌作り(生産コストを抑制するために多くの食品メーカーで利用されている即醸造ではなく、蔵元で伝統的な製法として守られている天然醸造)には相通じる精神が息衝いているように感じられます。宛ら人工秩序である調性システムに束縛されていない日本の伝統音楽は、神の規律である自然秩序に同化し、神と人間との対話を通じて生まれる天然醸造味噌と同様に多様性の宝庫と言うことができるかもしれません。しかし、このような多様な発酵食品と上手に付き合うためには相当な教養(経験を通して積まれる知識)も必要であり、そのための水先案内人としてワインのソムリエと同様に味噌にもソムリエが存在します。これと同様に多様で複雑になる現代のアートや音楽とそれを受容する大衆との間を媒介する存在としてキュレーターが注目を浴びるなか、華美な風俗に踊らされてラブリー&イージーなものばかりに飛び付くのではなく、じっくりと腰を据えて多様で複雑になる美の本質を見抜いて深い感動を味わうことができる力を養って行きたいと考えています(今年の抱負③)。「われわれはまず何よりも自然を見る眼を養わなければならぬ。これなくしては、よい芸術は出来ぬ。これなくしては、よい書画も出来ぬ。絵画然り、その他、一切の美、然らざるなしと言える。」(魯山人
 
発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ

発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ

  • 作者:小倉ヒラク
  • 出版社/メーカー: 木楽舎
  • 発売日: 2017/04/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
 
f:id:bravi:20200101013817p:plain出雲大社へ初詣がてら、もう1つの干支「子」(ネズミ男)に因んで妖怪神社にも初詣へ行ってきました。ゲゲゲの鬼太郎の原作者・水木しげるさんの出身地である鳥取県港境市(水木しげるロード)や隠岐諸島の街頭の諸所には妖怪ブロンズ像が祀られ(サンプル:偶に家で見かけるような気もしますが・・苦笑)、妖気溢れる魅力的な店舗が立ち並び、夜は不気味にライトアップされるなど、街全体が妖怪横丁の風情を湛えたテーマパークのようになっており、外国人観光客にも人気のスポットとなっています。それにしても水木しげるさんの着想の豊かさには興奮を禁じ得ず、妖怪を通じて「人間」というものがよく見えてくるようで、大人も十分に楽しめるテーマ性を備えています。日本では、世の中の不条理を説(解)いて心に折り合いを付けるための仕組み(精神的な支柱)として「仏」(あの世の側)と「神」(この世の側)が観念され、「神」(この世の側)の使いとして「妖精(精霊)」(自然に宿るもの)や「妖怪」(人間に憑依するもの)がこの世に顕在すると信じられてきたことで、長らく社会のモラルシステムとして有効に機能してきました。このような多様な精神世界(イマジネーション)が日本人の創造力を育み、能楽(例、金春善竹「芭蕉」)や浮世絵(例、歌川国芳「相馬の古内裏」)等の沢山の芸術作品に昇華しています。いつか時間があるときに「妖精(精霊)」や「妖怪」をメタファーとして表現されてきた日本人の自然観や宗教思想等を切り口として芸術作品を整理し直してみたいと考えています(今年の抱負④)。「自然に対する素直さだけが美の発見者である。」(魯山人
水木しげるロード
ネズミ男/今年の年男・ネズミ男 妖怪神社/ネズミ年に因んで妖怪神社へ初詣 境港駅前/この世とあの世の境  妖怪ブロンズ像/自分のブロンズ像が見つかるはず ネコ娘ネズミ男の天敵
世界妖怪会議/G20に対抗し妖怪の世界会議 妖怪のグローバル化ネコ娘が温暖化問題で激怒 千代むすび酒造目玉おやじがこよなく愛する地酒 妖怪バス/妖怪の世界にも自動運転が採り入れられる日が来るかも?
今年の抱負⑤ネズミ男のような人間になりなさないと仄めかされているようで考えさせられます
 
◆おまけ
X'masの定番曲、Whamの”Last Christmas”は世界のアーティストにカバーされて様々にアレンジされることで、新しい魅力がクリエイトされていますが、この有能な若者達の磨き上げられた歌唱力とセンスという酵母を加えて発酵させることで、昔馴染みの素材から洗練された新鮮な風味を引き出しています。今時、ダンスなく歌だけで魅せています。
 
上手く発酵されている有名な成功事例として、シェーンベルクが近代的な響きという酵母を加えて立体的な響きと多彩で芳醇な風味を引き出しているバッハ作曲/シェーンベルク編曲「前奏曲とフーガ」(BWV552)オーケストラ版を小澤征爾指揮、ボストン交響楽団の演奏でどうぞ。
ベートーヴェンの記念年を迎えるにあたり、録音技術が発達して沢山の名演奏が記録として残され、最早、これ以上の名演奏は望むべくもない状況にあるなかで、楽譜至上主義というドクトリンに縛られて約束された成功ばかりに安住しても食傷傾向が顕著になるばかりなので、これまで以上に新しいものを付加し又は創造する工夫や冒険も欠かせないのではないかと感じます。時代は大きく変りつつあり、発酵文化人類学が示唆する新しいものを生み出す多様性の創造力に期待したいです。
 
2020年1月24日(金)から映画「いただきます ここは、発酵の楽園です」が公開されます。 映画「いただきます みそをつくる子どもたち」の続編として、田植え、稲刈りや羽釜の炊飯を園児が行っている「畑保育」や子供達と土づくりのワークショップを続けている野菜農家「苗ちゃん先生」など、子供達にとって本当に必要な教育「食育」に焦点を当てたドキュメンタリー映画です。飽食の時代に、今一度、食を「文化」として捉え直す時機に来ているのではないかと痛感します。また、 道の駅「発酵の里こうざき」ではぷくぷく講座と銘打って体験型の講習会が開催されていますので、「食育」にいかが。

映画「津軽のカマリ」

f:id:bravi:20191006095057j:plain5インチの狭い世界の中にしか人生を見出せなくなった現代人。平成の時代になってから駅構内等を行き交う人々が何かに取り憑かれたように一斉に5インチのスマホ画面を覗き込み、その人生に疲れ切ったような顔がスマホ画面の光に照らし出されてまるで亡霊のように浮かび上がっている光景を気味悪く感じるようになってから久しいような気がします。そのような状況のなか「歩きスマホ」「ながら運転」(自転車を含む)による事故が増加して社会問題化していますが、昨年11月から鉄道各社及び通信各社が「やめましょう、歩きスマホ。」キャンペーンを展開していた成果が出始めて来たのか、令和の時代になってから駅構内やその他の公共施設等で「歩きスマホ」をしている人の姿がめっきりと減っている光景(公共安全)を見るにつけて、そう言えば、昭和の時代に街中でよく見かけた道端で立ち小便をしているおじさんの姿が平成の時代になってからコンビニエンスストアの普及も手伝ってめっきりと減った光景(公共衛生)とよく似ているなと目を細めて関心しております。日本は自由主義の国なのでらの意思のみにって行動することを妨げられないことが保障されていますが、それは無制限、無制約に認められている訳ではなく、他人に迷惑をかけない範囲(即ち、他人の自由を不当に侵害し又はその可能性があるものとして法律やその他の社会規範で禁止し又は制約していることに違反しない範囲 ≒ 社会性)でしか認められていません。この範囲を逸脱して行動する人達のことを、社会性する人達ということで「反社会的勢力」と呼んで社会から追い出そうとしています。しかし、「歩きスマホ」が減ってラッシュ時等に他人と衝突してしまう危険等が減ったと安堵していたのも束の間、最近、目を丸くしてしまうような光景に触れて心を痛めています。幼児と手を繋いで並んでエスカレーターに乗っていた若いお母さんの後ろから、エスカレーターを歩いて昇ってきたおじさんがその若いお母さんの横を無理に通り抜けようとして肩に接触し、その若いお母さんがバランスを崩して危うく大事故につながり兼ねない場面に出くわしました。一般的に、エスカレーターでは片側の一列(関東では左側、関西では右側)に寄って乗り、反対側の一列はエスカレーターを歩いて昇る人のために空けておくというのが社会の暗黙の不文律として蔓延していますが、日本ではエスカレーター事故が絶えない状況(日本エレベーター協会によれば、駅構内やその他の公共施設がバリアフリー化の一環としてエレベーターの設置を推進したことなどを背景として、エスカレーター事故が420件/年(平成10年度)から1475件/年(平成25年度)へと約3倍に急増)を受けて2004年頃からエレベーターメーカー及び駅やその他の公共施設の施設管理者がエスカレーターを歩いてはいけないというルール(社会規範)を定めて啓蒙教化に力を入れています。エスカレーターを歩いて昇る習慣は1944年頃(第二次世界大戦中)にロンドンの地下鉄で混雑緩和のために考案され、それが全世界に広がったものと言われており、海外では日本とは正反対にエレベーターを歩いて昇る人のために片側に寄って乗るように指導している地域もあります。しかし、最近、ロンドン交通局がラッシュ時にエスカレーターの片側に寄って乗る場合とエスカレーターの両側に乗る場合とでどれくらいエスカレーターの運転効率に差が生じるのかを実験したところ、エスカレーターの片側に寄って乗る場合は1時間あたりの利用者数が約2,500人、エスカレーターの両側に乗る場合は1時間あたりの利用者数が約3,500人と全く正反対の結果(前者に比べて約30%も運転効率がアップし、エスカレーターの片側に寄って乗る場合は混雑緩和どころか混雑増加につながってしまう結果)が公表されました。その理由として、日本でもラッシュ時の風物詩になっていますが、エレベーターの片側に寄って乗ろうとする人が多いので片側だけに長蛇の列ができ、反対側はガラガラになってしまうことでエスカレーターの運転効率が著しく低下してしまうそうです。この点、日本では、単に運転効率の問題だけではなく、幼児、老人やハンディーキャップがある人等は保護者や介護者が横に付き添ってエスカレーターに乗る必要があることや、ハンディーキャップがある人の中にはエスカレーターの片側(関東では右側、関西では左側)にあるベルトしか掴めない人がいること、更に、エスカレーターの片側だけに荷重が加わることで動作不良による事故の原因となり得ることなど、ハンディーキャップがある人への合理的な配慮やエスカレーターの耐久性等も考慮したエスカレーターの安全確保が考えられています。イギリスで生まれた近代合理主義が破綻を迎えようとしているなか、寧ろ、このような日本の安全確保に関する思慮の行き届いた考え方を世界へ発信していく必要があるのではないかと感じます。僕もCO2の少女に負けないように、敢えて、エスカレーターの右側に立ち止まって乗る運動(ラッシュ時を含む)を細々と展開していますが、少しづつでも、そのような人が増えてマジョリティになること(ハンディーキャップがある人も暮らし易い懐の広い社会が実現すること)を願いたいです。なお、1人前の社会人と言えるためには適切な時間管理は基本中の基本と言えますが、それでも時間管理が儘ならないという人は(急いでいるからと言って狭い了見で「あおり運転」をしてはいけないのと同様に)他人に迷惑をかけないようにエスカレーターではなく階段を利用するなどの分別、良識を期待したいところです。どのような社会を子供達の世代に残して行けるのか、先ずは身近なところから考えてみたいと心掛けています。
 
f:id:bravi:20191006071106j:plain
 
さて、ハンディーキャップがある人のなかには、とりわけ芸術文化の分野で秀でた才覚を開花させる人が多く誕生し(この背景には江戸時代に目にハンディーキャップがある人達に対する幕府の社会福祉政策として「当道座」に所属している男性(検校、別当、勾当、座頭)や「瞽女座」に所属している女性が琵琶、三弦、筝等の職業の専有を許されていたことなどが挙げられます。)、例えば、近代筝曲の祖・八橋検校など日本の芸術文化史に欠くことができない著名人が輩出しています。....ということで、今日は津軽三味線の名人・高橋竹山(故人)の半生を描いたドキュメンタリー映画「津軽のカマリ」について備忘録を残しつつ、津軽三味線の源流となった越後瞽女にして無形重要文化財小林ハル(故人)や杉本シズ(故人)について少し触れておきたいと思います。因みに、映画「座頭市」は江戸時代に千葉県飯岡を縄張りにした侠客・飯岡助五郎の子分として実在した人物茨城県笠間出身の座頭の市)をモデルにしていますが、そのなかで津軽三味線の伴奏による津軽民謡「津軽じょんがら節」(演歌歌手・松村和子)が登場します(このシーンは松村和子の歌唱力が津軽じょんがら節の魅力を際立たせていることに加えて、1階の喧騒と対比された2階の静寂のなかで水の音(雨、水筒)、金属の音(刀の身)、木の音(刀の柄、柱)、座頭市が足で刻むリズム等によって座頭市が生きる「音の世界」(音が構築する多層で立体的な世界)が見事に描き出されている点で出色です)。また、TVシリーズ「座頭市物語」第23作では瞽女(女優・浅丘ルリ子)が登場します。なお、勝新太郎が主演した座頭市シリーズは海外での評価も高く、勝新太郎以降に別の俳優によるリメイク作品が数多く作られていますが、いずれも駄作続きで大変に残念です。
 
【題名】映画「津軽のカマリ」
【監督】大西功一
【撮影】大西功一
【出演】高橋竹山(初代)
    高橋竹山(二代目)
    高橋哲子(孫)
    西川洋子(最初の弟子)
    八戸竹清(弟子)
    高橋栄山(弟子)
    須藤雲栄(民謡歌手)
    高橋竹童(最後の内弟子) ほか
【感想】
「破れ単衣に、三味線抱けば、よされ、よされと、雪が降る・・・♩」の名フレーズで始まる演歌「風雪ながれ旅」(歌手:北島三郎、作詞:星野哲郎、作曲:船村徹)は、津軽三味線の名人・高橋竹山をモデルとして作詞されたものです。高橋定蔵(高橋竹山)は2歳のときに麻疹を患って失明し、生きるために東北地方や北海道で門付け(民家の門口に立って三味線を弾いては米などを貰うこと)をしながら放浪しますが、冒頭フレーズの僅か26文字で津軽の身を割くような厳しい冬や地吹雪と共に、高橋定蔵(高橋竹山)の壮絶な人生やその生き様までもが伝わってきます(映画「竹山ひとり旅」)。歌詞の中で登場する「よされ」とは東北民謡の囃し言葉に由来しますが、「世去れ」「余去れ」にも通じる語感から凶作の口減らしで「世を去れ」「余り者は去れ」という意味の方言として使われるようになり、やがて人の泣き声、雪が降る様子や三味線の音の擬声語や擬態語としても使われるようになりました。これを踏まえて改めて冒頭フレーズを見ると、高橋竹山の境遇と世間の世知辛さ(世去れ)とが相俟って非常に重々しく含蓄のある言葉として心を捉えます。 
 
津軽三味線 超高音質リマスターアルバム

津軽三味線 超高音質リマスターアルバム

 
津軽三味線は、岩木川の河原(青森県五所川原市金木町神原)に住む船頭・三太郎の息子・仁太郎(仁太坊)により生み出されました(映画「NITABOH」)。仁太郎(仁太坊)は、生まれて間もなく母を亡くし、さらに、8歳のときに天然痘を患って失明しますが、生きる術を身に着けるために越後瞽女・タマナに三味線の手解きを受けます。その後、11歳のときに父・三太郎が水難事故で亡くなったことから、日々の糧を得るために三味線で門付けをしながら身を立てる決意をします。仁太坊は、他のボサマ(青森県では門付けをしながら日々の糧を得る盲目の旅芸人のことを坊様=ボサマと呼んでいました)よりも目立つようにより大きな音で派手な技を求めるようになり、瞽女が使う細棹の三味線ではなく義太夫が使う太棹の三味線に持ち替えて撥を叩きつけるように弾く「叩き三味線」を生み出し、オリジナルの三味線芸を確立します(津軽三味線の原型)。やがて仁太坊の弟子で「曲弾き三味線」(超絶技巧を織り交ぜた三味線の独奏)を生み出した白川軍八郎の弟子(仁太坊の孫弟子)で演歌歌手・三橋美智也が「津軽三味線」と命名してリサイタルで三味線を演奏したことで全国へと広がります。なお、津軽三味線の源流となった越後瞽女は、静御前のように歌舞音曲を披露しながら各地を流浪する旅芸人であったことから「御前」(ごぜん)が訛って「瞽女」(ごぜ)と呼ばれるようになり、新潟県上超市で座元制(親方が家を構えて弟子を養女に入れ、複数の親方が集まって「座」を作り、そのうち修業年数の一番長い親方が座元となって座に所属する瞽女を統率する仕組み。親方は弟子を養女に入れることで一生同じ家(世襲型)で生活するのが特徴。)を中心にして組織された「高田瞽女映画「ふみ子の海」)や、新潟県長岡市で家元制(大親方が瞽女屋を構えて、そこで修行して免許を受けた親方が各地で弟子をとって「組」を作り組に所属する瞽女を統率する仕組み。大親方から免許を受ければ独立(のれん分け型)して弟子をとるのが特徴。)を中心にして組織された「長岡瞽女映画「瞽女GOZE」2020年春公開予定)が注目されるようになります。瞽女には厳しい掟があり、その中で最も重い罪とされたのは男性と関係を持つことで、この罪を犯した瞽女は仲間から離れて「はなれ瞽女映画「はなれ瞽女おりん」)として一人で生きていかなければなりませんでした。仁太坊が三味線の手解きを受けた越後瞽女・タマナには娘がいたと言われていますので、はなれ瞽女であった可能性があります。維新後の近代化、戦後の高度経済成長やマスメディアの発達等を契機として越後瞽女を支えていた社会体制が崩壊又は大きく変容したことで瞽女は廃業を余儀なくされますが、1955年(昭和30年)にウィーン国立音楽大学教授にして古楽奏者の草分け的な存在であるエータ・ハーリヒ=シュナイダー(チェンバロ奏者)が高田瞽女・杉本キクイの瞽女唄を聴いて「雅楽奏者は現代人なので古典音楽の精神が伝わって来ないが、高田瞽女瞽女唄と同じように古い生活を守っている」と感激したという逸話が残され、1970年(昭和45年)に高田瞽女・杉本キクイは国の無形文化財に指定されます。また、1987年(昭和53年)に長岡瞽女小林ハルも国の無形文化財に指定されますが、当時、オペラ歌手を目指していた竹下玲子は小林ハル瞽女唄を聞いて弟子入りを決意しています。現在、高田瞽女瞽女唄は小竹勇生山小竹栄子月岡祐紀子等が伝承し、また、長岡瞽女瞽女唄は竹下玲子萱森直子金川真美子等が伝承しています。作家・三島由紀夫の言葉を借りれば、文化とは「血みどろの母胎の生命や生殖行為」(「文化防衛論」より)から生み出される生々しく残酷な側面を持つものであって、決して現代の教養主義で持て囃されている一切の血生臭いものを抜き去った剥製のようなものではないことを、小林ハル高橋竹山の生涯やそれを体現する音楽が思い出させてくれます。
 
鋼の女 最後の瞽女・小林ハル (集英社文庫)

鋼の女 最後の瞽女・小林ハル (集英社文庫)

 
「泣きの十六、短かい指に、息を吹きかけ、越えてきた・・・♩」演歌「風雪ながれ旅」より)と歌われていますが、高橋定蔵(高橋竹山)は16~17歳頃からボサマとして門付けをしながら東北地方や北海道を放浪し、1933年(昭和8年)に三陸海岸を巡業していたときに昭和三陸地震(規模:M8.1、津波:海抜28.7m)で被災して高橋定蔵(高橋竹山)が宿泊していた宿が津波で全壊するなか命からがら裏山へ避難して一命をとりとめます。このときに津波対策として築かれた潮防堤は1960年(昭和35年)のチリ地震で威力を発揮しますが、2011年(平成23年)の東日本大震災津波が潮防堤を超える映像なので閲覧注意)では津波を食い止めることができずに甚大な被害が発生したことは未だ記憶に新しいところです。その後、高橋定蔵(高橋竹山)は津軽民謡の大家・成田雲竹の伴奏を務めて名声を博し(高橋竹山と改名)、やがて津軽三味線の独奏者としての地位を確立して日本だけではなく海外でも高い評価を受けるようになりますが(「彼の音楽は、まるで霊魂探知機でもあるかのように、我々の心の共鳴音を手繰り寄せてしまう。名匠と呼ばずして何であろう」(ニューヨークタイムズ評))、高橋竹山が奏でる津軽三味線からはオイストラフが奏でるヴァイオリンを彷彿とさせるような揺るぎない大きな音楽が聴こえてきます。1998(平成10年)に高橋竹山は87歳の生涯を終えますが、現在、その後進として二代目高橋竹山西川竹苑高橋栄山高橋竹味八戸竹清高橋竹音高橋竹子高橋竹大高橋竹童等が活躍し、また、その孫・高橋哲子津軽民謡の歌手として活動しています。
 

正調民謡の店 甚太古】(2019年12月30日閉店予定)

囲炉裏のあるお座敷で青森の雪景と絶品の郷土料理を楽しみながら、高橋竹山の最初の弟子・西川洋子(竹宛)さんによる三味線の生演奏が聴ける店(青森県青森市安方1丁目6−16) 

 
「音の出るもの、何でも好きで、カモメ啼く声、ききながら・・・♩」演歌「風雪ながれ旅」より)と歌われていますが、生前に高橋竹山が「津軽のカマリ(匂い)がわきでるような音をだしたい」と語っていたことが映画「津軽のカマリ」のタイトルになっています。この映画の中で高橋竹山が山野を巡り津軽の自然に耳を傾けていたことを二代目高橋竹山が回想するシーンが登場しますが、「津軽のカマリ(匂い)」とは高橋竹山が全身で感じていた津軽の自然(心象風景)のことを意味し、そこから得られるインスピレーションが高橋竹山津軽三味線)の独特の音楽性を育む重要な源泉になっていたことを伺わせるエピソードとして紹介されています。上述のとおり津軽三味線は目にハンディーキャップを負った人の芸能として誕生していることから基本的に楽譜を使用せず、師匠から弟子へと口頭又は実演により伝承され、それ故に一定の決められたフレーズ以外は演奏者のインスピレーションで自由に変化させ又は即興しながら演奏するスタイルが採られ(ソウルフルな音楽)、同じ楽曲でも演奏者により又は演奏する都度にその構成や内容が異なり(楽譜に縛られない音楽)、それが津軽三味線の大きな魅力の1つ(再現性よりも即興性)となっています。その意味では津軽三味線はジャズに近い演奏スタイルと言え、近年では津軽三味線とジャズ等とのコラボレーションも盛んに行われています。しかし、このように表現可能性が広がっている一方で、現代は高速移動手段の発達、マスメディアやインターネットの普及、経済の成長とグローバル化等を背景として社会の規格化・均質化が進み(効率的で平等な社会の到来)、その結果としてローカル性(独自性)や時代のムラ(多様性)のようなものが損なわれ、「津軽のカマリ(匂い)」のような独特の個性や質感等が生まれ難い環境になってしまったことは非常に残念です。尤も、このような近代合理主義の副作用を嘆いていても始まりませんので、現状の良い面を肯定的に捉えれば、2002年から義務教育で和楽器を使用した伝統音楽の教育が開始され(これに伴って邦楽コンクールも開催されるようになり)、また、表現スタイルが多様化し、和楽器の改良や新しい和楽器の開発等が活発に行われていること(動物愛護への対応を含む)などを背景として、様々な和楽器ユニットが注目され、そこで模索される新しい音楽や表現スタイル(創意工夫から創造されるオリジナリティ)の可能性に期待が集まるなか、それを契機として伝統音楽への関心(温故知新から発見されるオリジナリティ)も徐々に高まりつつある状況は歓迎すべきことであり、今後も若い世代による意欲的な活動を応援していきたいと頼もしく感じています。
 
【参考】伝統音楽の失われた100年とその復興

(1)文明開花と文化主義による欧化政策

「音樂取調成績申報書」(1884年、音楽取調掛から文部卿へ提出)より抜粋
本邦俗曲ハ古来識者ノ為ニ放擲セラレ擧ケテ之ヲ無学ノ輩ノ手ニ委スルヨリ音樂ノ本旨ニ悖人事至底ノ用途ニ歸シ随テ野卑ニ流レ其歌曲ノ成立ハ今日最モ下流ノ極ニ達セリ是ヲ以テ其弊害勝テ言フベカラザルモノアリ試ニ其一二ヲ述ベンニ俗曲ノ淫奔猥褻ナルハ風教ノ酖毒ヲ為ス是其一也,俗曲ノ旋律淫風ヲ極ムルハ士人ノ趣味ヲ淫俟ニ導キ爲メニ雅正善良ナル音樂ノ振興ヲ妨害スル是其二也,俗曲ノ淫邪ナルハ誘惑ノ途ヲ開キ徳教ノ涵養ヲ妨害スル是其三也,外交日新ニ際シ彼此ノ文物相融通スルノ今日ニ在テナホ此ノ如キ音曲ノ盛ニ行ハルヽハ國家ノ体面ヲ毀損スル是其四也
☞ 音楽取調掛による日本音楽の分類: 雅楽天皇、寺社、武士が嗜む音楽(雅楽、声明、普化尺八等の宗教音楽、能楽、筑紫筝、薩摩琵琶等の教養音楽)、俗楽:庶民が嗜む音楽(箏曲長唄、三味線、浄瑠璃、民謡、流行歌、童謡等の大衆音楽) 、淫楽:俗楽のうち三味線、浄瑠璃など男女の色恋沙汰を歌う音楽。 
☞ 「俗曲」の例:江戸端唄「梅は咲いたか」は江戸時代に流行した俗謡で花柳界の芸妓達を季節の花や貝に喩えて浮名を流す客の浮気心を三味線の伴奏に乗せて艶っぽく歌うお座敷唄。季節の花や貝を隠語として男女関係の機微を匂わす小粋な歌詞や色香などを「淫奔猥褻」「淫風」「淫邪」と形容。 

「音樂利害」(1891年、神津專三郎著)より抜粋
樂記ニ鄭衛ノ音ハ亂世ノ音ナリ,桑間,濮上ノ音ハ亡國ノ音ナリトハ,淫聲ニ世ヲ亂シ,國ヲ亡スノ理アルヲイヘリ,今ノ妓樂,三線浄瑠璃ハ,遙ニ古ヘノ鄭衛,桑間,濮上ノ淫聲ニ過クベシ
☞ 「鄭衛」「桑間」「濮上」:春秋時代の中国の国名又は地名で、これらの国又は地域では儒教が理想とする礼の音楽ではなく男女の出会いなどを扱った謡が流行(「桑間濮上之音、亡國之音也」(礼記))。
☞ 「淫聲」:性行為のときに発する声
<文明開化に対する明治時代の文化人の批評>
夏目漱石は、文明開化の危さを「日本の現代の開化は外発的である」と看破したうえで「現代日本の開化は皮相上滑りの開化である」と批判し(「現代日本の開花」より)、「伝統音楽の失われた100年」とでも形容すべき悲劇を予見。 
<文化主義に対する昭和時代の文化人の批評>
三島由紀夫は、文化主義の危さを「市民道徳の形成に有効な部分だけを活用し、有害な部分を抑圧すること」と看破したうえで「文化をその血みどろの母胎の生命や生殖行為から切り離して、何か喜ばしい人間主義的成果によって判断しようとする一傾向」と批判し、「近松西鶴芭蕉もいない昭和元禄」を「華美な風俗」ばかりが氾濫する「見せかけの文化尊重」だと悲観(「文化防衛論」より)。

「動物愛護及び管理に関する法律」(1999年、改正法)より抜粋
第44条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。(中略)
4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
 一 牛、、豚、めん羊、山羊、、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
☞ 三味線の胴に張ってある皮:野良猫の皮(細棹三味線、中棹三味線)、野良犬の皮(太棹三味線)の皮。
☞ 大鼓、小鼓に張ってある皮:馬の皮。
☞ 改正法の付帯決議:日本の伝統芸能に係る三味線等の製造に支障をきたさないよう、伝統文化の保護の行政とも連携して、都道府県等に引き取られ殺処分に付されている犬及びねこの活用などにおいて適切な配慮がなされるよう措置すること。(但し、現在では保健所で殺処分された野良猫や野良犬の皮の使用も中止。) 
<動物愛護政策に対する平成時代の文化人の批評>
永六輔は、動物愛護法改正を受けて「古典芸能は、みんな三味線を使うじゃないですか。プラスチックで作ると、全然音が違う。日本の伝統芸能を守るためには、どうしても猫の皮が必要」と必要性を説いたうえで、「保健所が処分する野良猫は相当数にのぼっているのだから、矛盾」と許容性に関する問題を提起し、「僕は、「伝統芸能にかかわる三味線、太鼓、鼓など楽器の製造に使う場合は、これに当てはまらない」という付則をつけなさい、という運動をしています」と自らの立場を表明(「WEBサイト」より)。
☞ 現在は楽器に使用する皮の殆どを輸入に頼るか又は(音色は落ちますが)合成皮が使用されているのが実態。最近ではエレキ三味線など新しい表現スタイルに適した楽器の改良と併せてエレクトリック三味線など動物愛護に配慮した新しい楽器の開発も活発。その一方で、三味線の年間製造数は18,000棹(1970年)から3,400棹(2017年)まで落ち込み(全邦連)、三味線の製造技術の伝承が危機的な状況。


(2)グローバル化によるアイデンティティの回復

「教育課程審議会答申」(1998年7月29日)より抜粋
中学(音楽) 我が国の伝統的な音楽文化の良さに気付き、尊重しようとする態度を育成する観点から、和楽器などを活用した表現や鑑賞の活動を通して、我が国や郷土の伝統音楽を体験できるようにする。
☞ これを契機にして邦楽コンクールが開催されるようになり若い邦楽演奏者を育成する気運。それに伴って和楽器ユニットの活躍が活発化し、その活動が注目されるなど邦楽ブームの兆し。
 
【資料】
津軽三味線の系譜 ※以下の画像をクリックすると拡大表示
 
津軽三味線にゆかりの地(CDを片手に史跡を巡る音楽の旅) 
信濃追分 高田瞽女 長岡瞽女
碓氷関所跡碓氷峠の入り口にある安中藩の碓氷関所跡(群馬県安中市松井田町横川573)で、日本で最初のマラソン大会である安中藩の「遠足」を題材とした映画「サムライマラソン」の舞台。碓氷峠は片峠で上野国から信濃国へ向かう中山道は上り坂のみで、軽井沢バス転落事故の現場(長野県北佐久郡軽井沢町1045−1)。 信濃追分発祥の地碑碓氷峠を越えた追分宿跡(分去れ長野県北佐久郡軽井沢町大字追分559)の左方が中山道(至、滋賀県)、右方が北國街道(至、新潟県)、後方が中山道(至、東京都))にある信濃追分発祥の地碑(長野県北佐久郡軽井沢町大字追分1155−8)。碓氷峠を越える際に唄われた馬子唄が信濃追分節で、越後瞽女により津軽に伝わって津軽三味線を発祥する契機となっています。追分宿跡には枡形の茶屋と呼ばれる「つがるや」(長野県北佐久郡軽井沢町大字追分568)の歴史的建造物(ほぼ原型のまま現存)等があり。なお、左方の中山道方面へ行くと信州味噌(安養寺味噌)発祥の地である安養寺長野県佐久市安原1687)があり、安養寺味噌(信州味噌)で作った安養寺ラーメン麺匠文蔵本店)が名物。 高田瞽女・杉本シズの墓/善念寺(新潟県上越市東本町3-2-51 には、高田瞽女の墓が安置されています。高田瞽女は弟子を養子にして相伝されたので、同じ墓に杉本シズの師匠・杉本キクイ(無形文化財)を含む高田瞽女の先代3名の菩提も弔われています。  瞽女ミュージアム高田/善念寺の近くにある瞽女ミュージアム高田(新潟県上越市東本町1-2-33)では、高田瞽女の文化を保存し、現代に伝えています。2020年春に映画「瞽女GOZE」の公開も予定されています。 長岡瞽女・小林ハル(無形文化財)の墓小林ハルさんが晩年を過ごした胎内やすらぎの家(新潟県胎内市熱田坂881−86)を背にして胎内フィッシングセンターを右手に見ながら道沿いに進むと左手の私設の墓地に小林ハルさんの墓があります(地図)。また、胎内やすらぎの家の敷地内には瞽女顕彰碑が建立されています。また、小林ハルさんの生涯を描いた映画「瞽女GOZE」が2020年春に公開予定であり、さらに、瞽女唄ネットワークが長岡瞽女唄を保存し、その伝承を支援するための取組みを行っています。
津軽三味線
仁太坊之里碑青森県五所川原市金木町神原の出身で、はぐれ越後瞽女の後に付いて三味線を学んで津軽三味線創始者した仁太坊(本名、秋元仁太郎・1857年(安政4年)~1928年(昭和3年)の生誕地で、津軽三味線発祥の地(青森県五所川原市金木町神原桜元29)になります。この近くには津軽三味線会館青森県五所川原市金木町朝日山189-3)があり、その向かいには同地が生誕地である太宰治のミュージアムがあります(映画「太宰治」が現在公開中)。 仁太坊生誕150周年記念碑/仁太坊生誕150周年祈念碑(青森県五所川原市金木町神原小泉126ー77)。仁太坊ははぐれ越後瞽女に影響を受けながら津軽三味線に特徴である「叩き奏法」を編み出します。 津軽三味線発祥之地碑文豪・太宰治青森県五所川原市金木町の出身で、津軽三味線発祥之地碑(青森県五所川原市金木町芦野234−219)がある芦野公園には太宰治の銅像もあります。 三味線塚津軽三味線の祖・仁太坊を顕彰した三味線塚(青森県五所川原市金木町川倉七夕野426−1)です。現在、津軽三味線の名人・高橋竹山の半生を描いた映画「津軽のマガリ」が上映されています。
高橋竹山顕彰碑津軽三味線の名人・高橋竹山青森県平内町小湊の出身で、平内町歴史民俗資料館(青森県弘前市西茂森1-23-8)には高橋竹山顕彰碑が建立されています。現在、高橋竹山の半生を描いた映画「津軽のカマリ」が公開されていますが、その音楽(演奏)の“凄さ”に圧倒されます。なお、現在、民族資料館では「初代高橋竹山資料展示」が行われ、実際に高橋竹山が使用されていた三味線や尺八等が展示されています。
 
【おまけ】
♬ 映画「津軽のカマリ」(津軽三味線高橋竹山
映画の予告編に収録されている高橋竹山の演奏を一聴すれば、(ジャンルを問わず)音楽を好むものであれば、その音楽(演奏)の“凄さ”に圧倒されるはずです。いくつか音源が残されているとは言え、高橋竹山の生演奏に触れる機会に一度も恵まれなかった不遇が心から悔やまれてなりません。
 
♬ 映画「瞽女GOZE」(2020年春公開予定)
2005年(平成17年)に105歳の生涯を閉じた最後の瞽女小林ハル無形文化財)の生涯を描いた伝記映画です。なかでも小林ハルの子供時代を演じた川北のんの熱演には目を見張るものがあり、その迫真の演技によって小林ハルの壮絶な人生をまざまざと突き付けられているようで打ちのめされます。
 
♬ 映画「海山 たけのおと」(都山流尺八:ジョン・海山・ネプチューン
尺八に人生を捧げたジョン・海山・ネプチューン(カリフォルニア出身、千葉県鴨川市在住)を題材としたドキュメンタリー映画「海山 たけのおと」が公開中です。1977年に都山流尺八の師範免許を取得して「海山」の号を受け、1980年にはアルバム「BAMBOO」が文化庁芸術祭優秀賞を受賞しています。

 

映画「レディ・マエストロ」

元号が令和に改まってから最初の更新となります。さて、何やら日本音楽コンクールが滑稽なことになっているようなので、少し触れておきたいと思います。基本的にコンクールの運営方針はコンクールの主催者の自由に委ねられるべき問題ではありますが、日本音楽コンクールに限っては国営放送である日本放送協会が主催者の1社となっており、その公共的な性格から国民(かつ、受信料を納める契約者)の立場として簡単に個人的な所感を述べてみたいと思います。先日、日本現代音楽協会が日本音楽コンクール事務局に対して日本音楽コンクール作曲部門の運営方針に関する抗議を行い、それに対して日本音楽コンクール事務局が木で鼻を括ったような回答を返送したことから再度の抗議再々度の抗議に発展しているようです。2018年3月6日付毎日新聞東京版夕刊の8面に「日本音楽コンクール 作曲部門を大改革」と題する記事が掲載されていますが、その記事では以下の3点の理由から日本音楽コンクール作曲部門の第1予選及び第2予選だけでなく本選会についても従来の公開演奏審査を中止して譜面審査のみに改めるという趣旨のことが掲載されています(以下、2018年3月6日付毎日新聞東京版夕刊の8面より要旨抜粋)。
 
①本選の演奏において譜面通りに演奏されないことが起こり得る。
②譜面審査の点数と、演奏を聴いての点数に開きが出る場合がある。
③作曲部門の本選に残った作品を全曲演奏すると、指揮者、オーケストラや演奏団体の起用、パート譜の作成等、膨大な費用がかかる。
 
この点、上記③のみが理由として掲載されていれば、敢えて、この話題を採り上げるつもりはありませんでしたが、上記①及び上記②を主要な理由として掲載しており(名目上は審査の公平性を担保するということのようですが)、その内容にあまり合理性が感じられませんでしたので異論を挟みたくなりました。言うまでもないことですが、コンセプチュアリズム等のように「音」にして表現することを前提としない特殊な音楽は別論としても、それ以外の「音」にして表現することを前提とする音楽は実際に響いている「音」(無音を含む)がすべてのはずで、実際に「音」(無音を含む)にすることなく譜面のみで審査することは、例えれば、実際に料理を試食してみることなく、そのレシピだけを見て料理の良し悪しを論評しているような不誠実さが感じられます。作曲家は初演時に演奏者と協力しながらどのように「音」にして表現することができるのかを問われており、それによって作品の評価が定まるのであって、(コンセプチュアリズム等を除いて)どんなに優れている作品でもそれを実際に「音」にして表現することできなければ「画餅」でしかなく音楽的な価値を見出すことはできません。本選会ではプロの演奏家に演奏を依頼し、作曲家はその演奏能力の限界(「現実」)も踏まえながらどのように自らの創作意欲(「理想」)に叶う作品として仕上げ、リハーサル等を通じて実際に「音」にして表現することができるのかという技量(作曲家と演奏家が分業された時代から不可避的に内在する課題)も問われるべきであって、(芸術家に限らず全ての職業に共通して)それが他人からお金を頂戴するプロとして求められる責任(資質)だと思います。上記の新聞記事には「ある応募作品に譜面審査で低い評価をした審査員が、当該曲が本選で演奏された際の審査では高い点数をつけ(その逆もある)、評価点数に予選と本選で極端な違いの生じることがあった。」と掲載していますが、このことは審査員が譜面審査のみでは作品の魅力(真価)に十分に気付き得ない虞があり公開演奏審査等を経て初めて作品の魅力(真価)に気付くことがあり得るということの証左であり、寧ろ、譜面審査だけではなく公開演奏審査も実施して多面的かつ慎重に作品を評価する必要性が高いと言うべきではないかと思います。また、(これもまた芸術家に限らず全ての職業に共通して)社会的な分業体制を前提としてどのように「理想」と「現実」の間に生じるギャップに折り合いをつけながら作品(商品やサービス)の質を高めていけるのかという次元で勝負し、評価されているのであって、寧ろ、上記の新聞記事のように「理想」と「現実」の間にギャップを生じる可能性があるのであれば、作品の再現性に濃淡があり、また、作品が作曲家と初演者の手を離れて行くとしても、それが「音」にして表現することを前提としているものである限り、作曲家が演奏家と協力しながら実際に「音」にして表現するプロセスも評価の対象から除外すべきではなく、安易に流されて、実際に「音」(無音を含む)にすることなく譜面のみで審査して順位(一種の社会的信用を生む効果)を付けてしまう姿勢は無責任の誹りを免れないのではないかという憂慮を覚えます。なお、(上記のとおり実際に「音」にして表現するプロセスも評価の対象から除外すべきではないと思いますが)もし上記③のコスト面の問題が大きいのであれば、例えば、現代音楽の演奏困難性を克服し、かつ、コストを抑制する観点からは、次善の対応として、コンピュータを利用した公開演奏審査の併用等を検討しても良いのではないかと思います。いずれにしても日本音楽コンクール事務局は主催者の1社に国営放送である日本放送協会が含まれている点を踏まえれば、もう少し真摯な姿勢で十分な議論と説明責任を尽くす社会的な責任があるのではないかと思います。
 
人類は近代合理主義の大いなる恩恵を享受すると共に、その大いなる代償も支払わされてきたことを忘れてはいけないと思います。「無駄を省くこと」(≒ その人にとって苦しいこと)と「手間を惜しむこと」(≒ その人にとって楽なこと)は似て非なるもので、人間は「手間を惜しむ」ために「無駄を省く」という尤もらしい口実を挙げて大きなロスを招くという失敗を繰り返してきた苦い歴史があります。今年で34年目を迎えますが、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故(ボーイング747)もその大きな代償の1つで航空機の単独事故としては史上最多の犠牲者を数えましたが(飛行機事故をリアルに感じ、空の安全に関心を持てるように再現映像を紹介します。)、未だ人類にとって「過去」のことにはなっていません(注)。その後も大小様々な航空機事故が後を絶たず、つい最近も、2018年10月29日にライオン・エア610便墜落事故(ボーイング737MAX)及び2019年3月10日にエチオピア航空302便墜落事故(ボーイング737MAX)が発生したことは記憶に新しく、この事故によって数多くの方が犠牲になられています(飛行機事故をリアルに感じ、空の安全に関心を持てるように再現映像を紹介します。)。衷心より犠牲者の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。現在、事故原因を調査中ですが、いずれの事故もオートパイロット・システム「MCAS(エムキャス)」(航空機の機首が上がり過ぎると前方への推進力を失って墜落するので、自動的に航空機の抑角を検知して前方への推進力を失わないように機首を下げるシステム)の誤作動による可能性が高いのではないかと言われています。この背景には、航空機のランニングコスト(燃費や保守費等)を抑制するために、エンジンを3基又は4基から2基に減らしてその分をエンジンの大型化で補うようになったことで、エンジンを翼の下に設置することが難しくなり翼の前に設置するように設計変更されました。しかし、これによって航空機の機首が上がり易くなってしまったことから、その不都合を解消するために開発されたのがオートパイロット・システム「MCAS(エムキャス)」です。エアバス社(仏国)との航空機の開発・販売競争を背景として、ボーイング社(米国)が経済性を優先するあまり無理な開発を続けたことにより発生した事故である可能性が指摘されています。現在も、日本航空123便墜落事故の犠牲者のご家族が中心となり「8・12連絡会」(旧ホームページ)や「いのちを織る会」等が空の安全を含む安心・安全な社会の実現に向けた活動を続けられており、また、日本航空でも日本航空123便墜落事故を風化させずにその教訓を空の安全に活かすための継続的な取組みとして安全啓発センター(羽田)を開設して一般に公開しています(注)。秋は祝日が多いので、子供たちを連れて昇魂之碑への慰霊登山(以下に写真で紹介するとおり駐車場から昇魂之碑までは800Mで登山道が整備されていますので登山装備は必要なく普段着で十分です。)や安全啓発センター(羽田)の見学に出掛けられてみてはいかがでしょうか。とりわけ御巣鷹の尾根には犠牲者の墓碑が建てられ、ご家族や親類、友人の方々の切ない想いが詰った特別な場所であり、その真心に触れるだけで何か得るものがあるのではないかと思います。また、この周辺は自然豊かな観光地でもありますので、子供たちを伸び伸びと遊ばせるのにもお勧めです。なお、日本航空123便墜落事故の犠牲者のご家族が「パパの柿の木」という絵本を出版されており、子供たちが日本航空123便墜落事故を理解し、そこから何かを学び取るための教材として最適です。
 
①昇魂之碑(御巣鷹の尾根)群馬県多野郡上野村楢原323−8
慰霊の園群馬県多野郡上野村楢原2218
③祈りの碑長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1046-5
【①昇魂之碑駐車場(御巣鷹山の登山道入口)】
楢原郵便局から昇魂之碑駐車場までは神流川沿いの舗装道を南下して車で約20分。昇魂之碑駐車場から昇魂之碑までは徒歩で約800m。御巣鷹山の登山道が整備されていますので、緩やかに続く階段をゆっくり登って片道20分程度です。
【①すげの沢のささやき】
当時、米国・国家運輸安全委員会委員長・ジム・バーネット氏の言葉がすげの沢のささやきとして刻まれています。昭和から平成、令和へと時代は移ろいますが、この言葉は決して事故のことを風化させてはいけないという思いを強くします。"It is my hope that the memories of those who died on that mountain side and every other crush site across seven continents will forever water our efforts to prevent these things from happening."
【①昇魂之碑】
昇魂之碑の裏側にある救助活動の起点(墜落地点)となったバツ岩、昇魂之碑の表側にあるバツ岩と向かい合う位置にある峰に日本航空123便の機体後部が接触したU字溝が未だに当時の傷跡を残しています。また、バツ岩の裏側には操縦士3名の墓があります。バツ岩の近くにある沈黙の木は事故の爪痕を現代に残し、その周辺には御巣鷹茜観音と慰霊碑遺品埋設場所などがあります。このような事故を繰り返さないためにも、決して事故のことを風化させてはならないと思います。
【①すげの沢】
この場所で4名の生存者の方が発見されています。なお、御巣鷹の尾根には犠牲者の方が発見された場所にその方の墓碑が建立されていますが、その場所はご家族の方の想いが詰められたご家族のための特別な場所であり、また、ご家族の方は新しい生活を営まれていますので、そのプライバシーに最大限配慮する趣旨から、敢えて、その墓碑の写真は掲載しておりません。なお、すべての犠牲者の墓碑をゆっくり歩いて巡ると一周約1時間30分です。
【②慰霊の園
慰霊の園には両手で合掌している形を象ったモニュメントが建てられていますが、合掌の隙間から直線で約10kmの先に昇魂之碑があります。当時の救出活動の記録等が展示されている資料館もありますので、こちらにも立ち寄られることをお勧め致します。現在も続く地元の方々の献身的なご努力には頭が下がります。
【③祈りの碑】
昇魂之碑の近くに軽井沢スキーバス転落事故の現場があり、そこに軽井沢スキーバス転落事故JR福知山線脱線事故笹子トンネル天井板落下事故の犠牲者のご家族らが事故の風化防止と交通安全を願って祈りの碑を建立されています。なお、JR福知山線脱線事故では日本航空123便墜落事故で御尊父を亡くされた歯科医師の方が検視で協力され、その実話が「尾根のかなたに~父と息子の日航機墜落事故」というドラマになっています。また、笹子トンネル天井板落下事故の犠牲者のご家族による悲痛な訴えがあります。著作権の使用許諾を得ているのだろうと思いますが、その前提で、この訴えは重く受け止めなければならないと思いますのでリンクしておきます(注)。
(注)安全啓発センター(羽田)は、2005年に日本航空国土交通省から重大インシデントの発生に対する業務改善命令を受けたことを契機として設置され、既に約24万人超の方が見学に見えられているそうなので関心の高さが伺えます。僕が安全啓発センター(羽田)を見学した際に応対して下さった日本航空の社員の方は日本航空350便墜落事故(1982年及び日本航空123便墜落事故(1985年)が発生した当時に羽田空港で旅客サービスを担当されていた方でしたが、現在、日本航空の社員の約95%が日本航空123便墜落事故後に入社した社員で占められているそうなので、当時のことを知る数少ない社員による非常に貴重な証言(体験)を伺うことができ、この事故をどのように事故後に入社した社員に伝えて教訓として活かして行くことができるのかに心を砕かれている姿勢がよく分かりました。その一方で、2018年10月28日、日本航空の副操縦士がロンドン・ヒースロー空港で基準値を超えるアルコールが検知されて逮捕されるという事件が発生しており、日本航空アンカレッジ墜落事故(1977年の教訓(この事故を契機として操縦士のアルコール検査を開始)が十分に活かさていないと言わざるを得ず、今後、日本航空は安全・安心の取組みをどのように実質化して信頼回復できるのか深刻な問題を抱えていますパイロットの飲酒は時差やストレスなど色々な理由があるようですが、どのような事情があるとしても翌日にフライト予定があることを知りながら飲酒してしまうのは、その時点でパイロットとしての適性や資質(体質を含む)に欠けていると言わざるを得ません。感傷的な態度で根拠なく人間を信頼するばかりではなく、謙虚な姿勢で人間の限界(脆弱性)を見極めて「脱」人間的な対策とその対策の信頼性を高めて行く取組みにも期待したいです(談志の名言)。
 
-->ここから本題
 
【題名】映画「レディ・マエストロ」(原題:De dirigen/The conductor)
【監督】マリア・ペーテルス
【脚本】マリア・ペーテルス
【撮影】ロルフ・デケンズ
【演奏】バス・ヴィーヘルズ指揮/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団
【出演】<アントニア・ブリコ>クリスタン・デ・ブラーン
    <フランク・トムセン>ベンジャミン・ウェインライト
    <ロビン>スコット・ターナー・スコフィールド
    <メンデルベルク>ハイス・ショールテン・ヴァン・アシャット
    <コンサートマスター>ピーター・バーシャム ほか
【感想】
丁度、若手指揮者の登竜門である第56回ブサンソン国際指揮者コンクールで沖澤のどかさんが優勝したというニュースが飛び込んできましたが、今日は女性指揮者のパイオニアであるアントニア・ブリコの半生を描いた映画「レディ・マエストロ」の簡単な備忘録(但し、この映画は公開されたばかりなので内容に触れることは控えます。)を残しておきたいと思います。先日、小泉進次郎氏の育休取得宣言が話題になりましたが、現代はジェット旅客機やマスメディアの普及によって急速にグローバル化が進展したことで文化の地域的な独自性が損なわれ文化の均質化が顕著になる一方で、インターネットの普及に伴って標準化の時代(近代)から個別化の時代(現代)へと変化し、徐々に地域の格差や男女の性差等(カテゴリー)から個人の個性等(ユニーク)が重視されるようになり、人々の意識、社会の制度や技術の革新等から男性だけではなく女性も自分らしいやり方で社会進出し易い環境が整いつつあります。しかし、未だ家事・育児の負担率は女性の方が高いというデータも存在しており(夫婦共働きのデータを見ても同じ傾向を示しており)、また、2019年7月にアメリカ・バークレー市議会で性差別的な表現として「マンホール(man+hole)」を「メンテナンスホール(maintenance+hole)」、「マンパワーman+powar)」を「ヒューマンエフォート(human+effort)」等に改める条例が制定されるなど、依然として社会(とりわけ文化)の中に男女の性差別的な因習等が残っていることも現実です(尤も、皇室典範の改正論議など、あらゆる分野について男女の性差をなくすことについては社会的な議論がありますが、ここでは深入りしません。)。アントニア・ブリコが活躍した1900年代の前半は歴史的及び社会的に女性差別的な風潮が色濃く(完全な女性参政権が認められたのは、アメリカでは1920年、イギリスでは1928年、日本では1945年。映画「未来を花束にして」)、女性が社会進出することに対する社会的な理解(同性である女性からの理解を含む)がなく、また、女性が社会進出するにあたっては男性的なやり方しか受け入れられないなど、非常に厳しい社会環境にありました。この映画に描かれているアントニア・ブリコの逆境(但し、個人的な家庭環境の問題を除く。)は、女性指揮者のパイオニアとしてのアントニア・ブリコに特有の問題ではなく、現代でも直面し得る問題(女性だけではなく男性にも当て嵌まるもの)が多く描かれていますが、上述のとおり当時の社会環境を踏まえれば、アントニア・ブリコは非常に強い社会的なストレス(不条理)を感じていたと思われ、強靭な意志力がなければそれらに抗って乗り越えて行くことは困難であったことは想像に難くありません。ご案内のとおりクラシック音楽キリスト教音楽として発展してきた歴史的な経緯がありますが、キリスト教会ではイブ(女性)が蛇にそそのかされて禁断の果実を食べ、それをアダム(男性)に分け与えたことから女性は男性に比べて罪深く、また、月に一度不浄な血を流すと考えられていたことからキリスト教会への立ち入りを禁止され、又はキリスト教会で歌うことを禁じられていた時期がありましたので(第一コリント14章34~35「婦人たちは教会では黙っていなければならない。彼女らは語ることが許されていない。だから律法も命じているように服従すべきである。/もし何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねるがよい。教会で語るのは婦人にとって恥ずべきことである。」)、キリスト教会では男性のみが歌うことが伝統となり、ソプラノパートを歌う男性歌手としてカストラートボーイ・ソプラノ)も誕生しました(映画「カストラート」)。このような歴史的な経緯によってクラシック音楽界では伝統的に男性優位の状態が続くことになりましたが、1900年代の後半になって漸くオーケストラの演奏者として女性が採用されるようになります(ザビーネ・マイヤー事件)。しかし、上述のような歴史的な経緯から指導的な役割を担う指揮者や作曲家への女性の進出は社会的に認められず(指揮者や作曲家に必要な体力、空間把握力や論理的思考力等は女性に比べて男性が優位しているという理由を挙げるものもありますが、これらは女性を排除するための後付けの理屈)、被指導的な役割を担う演奏者のみに女性の進出が認められてきました。例えば、今年で生誕200年を迎えたクララ・シューマンは作曲を得意としていましたが(クララ・シューマンの作品はフランツ・リストロベルト・シューマンに高く評価され、ピアノ曲等に編曲されています。)、当時は女性の作品というだけで社会的に正当な評価を受けられず、37歳のときに作曲家からピアニストへと転向して成功しています(映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」)。映画「レディ・マエストロ」では音楽家を志し胸にコルセットを付けて男装している女性・ロビンが登場しますが、当時は音楽界に限らず文学界でも同様の状況があり、ショパンの恋人であったジョルジュ・サンドも男性名で文学作品を発表していました(映画「ショパン 愛と哀しみの旋律」)。
 
女性作曲家列伝 (平凡社選書 (189))

女性作曲家列伝 (平凡社選書 (189))

 
性別に関係なく人間には様々なタイプがいますので紋切型に性差で論じることはナンセンスですが、一つの特徴的な傾向として捉えれば、一般的に、男性は「システム脳」(論理力に優れ、問題解決型思考)、女性は「共感脳」(観察力に優れ、共感形成型思考)が多いと言われています。この点、なでしこジャパンの元監督・佐々木則夫さんは男性の選手には戦術的なアドバイス(問題解決型)が有効であるのに対し、女性の選手には戦術的なアドバイスよりもその選手を必要とし期待しているというメッセージを送ること(共感形成型)の方が有効だと語っています。また、企業でも男性管理職はリーダーシップを発揮したがるタイプが多いのに対し、女性管理職は「リード(独奏)」ではなく「フォロー(伴奏)」に重点を置いて強力なリーダーシップではなく共感形成を通じて組織をまとめあげて行くタイプが多いと言われています。女性指揮者・三ツ橋敬子さんが何かのインタビューに答えているのを読んだことがありますが、現代では昔のようにカリスマ性で楽団員をグイグイと引っ張って行くタイプ(上命下達)の指揮者は持て囃されず、楽団員と対話を重ねながらその意向を汲み上げて楽団のポテンシャルを引き出して行くタイプ(下意上達)が持て囃されているそうです。その意味では、現代のように個人の個性等(ユニーク)が尊重される時代にあっては男性的な問題解決型思考よりも女性的な共感形成型思考の方が組織運営に有効であると言えるかもしれません。映画「レディ・マエストロ」に描かれている家庭環境(家族の理解、家庭の経済力等)、社会偏見(キャリアと家庭の選択、機会の平等、ヘイトスピーチ等)やセクハラ問題などの逆境は、女性指揮者のパイオニアとしてのアントニア・ブリコに特有の問題ではなく、現代でも直面し得る問題(その多くが女性だけではなく男性にも当て嵌まるもの)と言えます。この映画の中でアントニア・ブリコがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビューするシーンが女性の社会進出の難しさを象徴するエピソードとして印象的に描かれていますが、師匠のカール・マック(ハンブルクフィルハーモニー管弦楽団指揮者)からアドバイスされた強力なイニシアティブで楽団員を統率して行く男性的なやり方が楽団員から猛反発を買います。上述のとおり、一般的に、男性はリーダシップを発揮したがるタイプが多く他人(女性に限らず男性を含む)からコントロールされること(とりわけ他人から誤りを指摘されること)を嫌う傾向があると言われていますので、往々にして共感形成を促す女性的なやり方の方がスムーズに行くケースも少なくないのではないかと思われます。当時、アントニア・ブリコは辣腕を奮って強力なイニシアティブで楽団員を統率して行く男性的なやり方で演奏会を成功に導いていますが、その苦労や困難は女性であるが故に一入のものであったことは想像に難くありません。この問題は女性だけではなく男性にも当て嵌まり、また、現代にも通じる普遍的なものなので、組織(人間関係)の縮図であるオーケストラと指揮者の関係を通じて色々と考えさせられる映画でした。(ネタバレしないように、これ以上は踏み込んで書かないことにします。)
 
一人になりたい男、話を聞いてほしい女

一人になりたい男、話を聞いてほしい女

 
最後に、誰が数えたのか知りませんが、現在、世界で活躍している女性指揮者は30名程度だそうですが、僕が思い付く限りで現役の常任指揮者等として活動している女性指揮者を紹介してみたいと思います(順不同)。こうして見ると女性指揮者は男性指揮者に劣らぬ活躍振りですし、撲が経験した限りで女性指揮者の演奏は男性指揮者の演奏と比べて何ら遜色がありませんので、昔、まことしやかに語られていた女性指揮者は男性指揮者に比べてオーケストラを指揮するために必要な体力、空間把握力や論理的思考力等が劣るという説が失当であること(性差ではなく個差)が既に実証されていると言って過言ではありません。

【主要な外国人の女性指揮者】

シモーネ・ヤング:世界で初めて女性指揮者としてウィーン国立歌劇場及びウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、世界のメジャー・オーケストラや歌劇場で指揮する華々しいキャリアの持ち主。現代の女性指揮者の中では傑出した存在。

マリン・オールソップ小澤征爾さんの弟子で、ボルティモア交響楽団の首席指揮者。小澤征爾さんの弟子には将来有望な若手指揮者が数多く育っており楽しみです。

カリーナ・カネラキスショルティ指揮者コンクールに優勝。ベルリン放送交響楽団の首席客演指揮者、オランダ放送フィルの首席指揮者。

ミルガ・グラジニーテ=ティーバーミンガム交響楽団音楽監督

ヨウ・エイシ(葉詠詩):香港小交響楽団の音楽総監督。

アロンドラ・デ・ラ・パーラクイーンズランド交響楽団の首席指揮者。

ソン・シヨン:京畿フィルハーモニックオーケストラの芸術監督兼常任指揮者。

チェン・メイアン:シカゴ・シンフォニエッタ音楽監督

アヌ・タリ:サラソタオーケストラの音楽監督

ナタリー・シュトゥッツマンオルフェオ55の芸術監督

シャン・ジャン:世界で初めて女性指揮者としてニュージャージ交響楽団音楽監督

ジョアン・ファレッタバッファロー・フィルとヴァージニア交響楽団音楽監督

スザンナ・マルッキヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者。

イヴ・クウェラー:オペラ・オーケストラ・オブ・ニューヨークの桂冠指揮者(元音楽監督)。

ベアトリーチェ・ヴェネツィ:オーケストラ・スカルラッティ・ヤングの首席指揮者、プッチーニ音楽祭首席客演指揮者、アルメニア国立交響楽団の副指揮者。

シーヨン・ソン:サー・ゲオルグショルティ国際指揮者コンクールで優勝。ソウルフィルハーモニー交響楽団のアソシエイト・コンダクター。 

アグニェシュカ・ドゥチマルヘルベルト・フォン・カラヤン国際指揮者コンクールで名誉賞を受賞。世界で初めて女性指揮者としてスカラ座に登壇。

クレール・ジボー:世界で初めて女性指揮者としてミラノ・スカラ座管弦楽団を指揮。

エマニュエル・アイム古楽系指揮者、チェンバロ奏者。バロックアンサンブル”Le Concert d'Astrée”を結成して指揮活動を開始、最近ではベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して話題に。

 

【主要な日本人の女性指揮者】

松尾葉子小澤征爾さんの弟子で、ブザンソン指揮者コンクールで女性初の優勝。セントラル愛知交響楽団の特別客演指揮者。

西本智美:イルミナートフィルハーモニーオーケストラの芸術監督兼首席指揮者、ロイヤルチェンバーオーケストラの音楽監督兼首席指揮者。

新田ユリ:愛知室内オーケストラの常任指揮者。

田中祐子オーケストラ・アンサンブル金沢の常任指揮者。

三ツ橋敬子小澤征爾さんの弟子で、アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで女性初の優勝、アルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールで第2位。

齋藤友香理小澤征爾さんの弟子で、ブザンソン国際指揮者コンクールで観客とオーケストラが選ぶ最優秀賞。

石﨑真弥奈ニーノ・ロータ国際指揮者コンクールで優勝(聴衆賞)。

沖澤のどかブザンソン指揮者コンクールで優勝、東京国際音楽コンクールで女性初の優勝。 

富田淳子陸上自衛隊第14音楽隊1等陸尉、自衛隊初の女性指揮者。

 

【その他】

アルベナ・ダナイローウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で女性初のコンサートマスター(VPOの楽団員は1990年までドイツ系オーストリア人又は旧ハプスブルク帝国支配地域出身の男性で占められていましたが、1997年から女性楽団員を採用し始め、現在では楽団員の約10%が女性楽団員になっています。)
 
♬ 「In My Hand」
日本航空123便墜落事故で犠牲になった日本人の実業家の父と、英国人のバレエダンサーの母の間に生まれ、現在、英国で活躍しているヴァイオリニスト・ダイアナ湯川さんが亡父の鎮魂のために作曲した「In My Hand」をご紹介します。なお、お姉さんは英国で活躍しているピアニスト・キャシー湯川さんです。
 
♬ 「エナジー風呂」(Energy Flo)
坂本龍一の「Energy Flow」に、②U-zhaanが演奏するインド伝統楽器「タブラ」が持つ独特の風情を組み合わせて、③これに現代音楽の作曲技法であるループ・ミュージックやミュージック・コンクリート等を採り入れながら、④環ROY鎮座DOPENESSによるラップ・ミュージックと融合することで、文明社会の日常的な気だるさのようなものを醸し出す軽妙ポップな作風に仕上げられた面白い作品になっています。裏付けのある確かな弛緩とでも言うべきような圧倒的な何かを感じます。 (【参考】ラップ文化とタブラ文化の歴史オサライ「BUNKA」
 
♬  マクドナルド+ブックオフ+ファミリーマートでミニマル音楽(略して「マクド・ブッファ」)
マクドナルド、ブックオフファミリーマートのCMソングを素材にして現代音楽の作曲技法であるミニマル・ミュージックに仕立てた面白い作品を紹介します。「日常」の中にも価値あるものは溢れており、それをどのように活かして面白さを見出して行けるのかは才能です。音楽で何を表現するのかは多様になっており、時代が音楽に求めるものも大きく変化しています。既に評価が定まった古いものだけに価値を見出すのではなく、現代に芽吹き、息衝いているものを的確に捉えて新しい価値を理解する感性や教養が問われる時代であることを痛感します。もっと世の中を面白いと感じられるように精進せねば...。

新年の挨拶

f:id:bravi:20181231222640j:plain

謹賀新年。久しぶりのブログ更新になります。昨年は、人生の「節目」を迎えて、この機会に自分の先祖について調べてみたいと思い立ち、暫く先祖の調査に専念しておりました。今年の干支は「亥」(猪)。人間が食糧を安定的に確保するために野生の「猪」を家畜として飼うようになり「豚」が誕生したと言われていますので、「猪」は「豚」の先祖ということになりますが(どんなに「社畜」として飼い慣らされても「猪」に肖って心の牙はなくさないように心掛けたいものですが....)、我が家は楠木正遠の末裔として観世家と同根同租の間柄にあり大変に名誉なことであると感じています。先祖の事績が風化してしまわないように書籍に纏めて自費出版(非売)し、国立国会図書館へ献本したいと目論んでいます。今回、自分の先祖の調べてみて、各々の先祖が時代の転換期に信念を貫いて誇り高く生きた生き様に触れるにつけ、果たして自分はそれらの先祖に恥じない生き方ができているのかと背筋を正される思いがすると共に、より明確に自分の人生の視座のようなものが定まり、これまでに増して人生の意義深さを感じられるようになりました。年始を迎えて、家族や親戚と共有する時間が増える時期だと思いますが、平成最後の年という時代の「節目」にあたり一年の計に自分の先祖について調べるという目標を追加されてみるのも良いかもしれません。

先祖を千年、遡る (幻冬舎新書)

先祖を千年、遡る (幻冬舎新書)

 

今年は平成最後の年賀状になりますが、インターネットの普及や新暦移行に伴う年賀の形骸化(一昨昨年の年始のブログ記事)等に伴って2019年分の年賀葉書の発行枚数は2004年から約40%も減少しており、また、小学生の基礎学力調査でも年賀状のどこに自分と相手の氏名や住所を書くのか分からない生徒が半数に上るそうなので、急速に年賀状が廃れて来ています。日本では奈良時代から「年始の挨拶回り」の習慣が生まれ、平安時代には公家の年中行事として定着します。丁度、この頃、中国の唐の勢力が衰えて遣唐使が下火になり、これに伴って中国から渡来した難解な「漢字」とは別に平易な「仮名」が誕生、普及して日本独自の文化(物語、和歌や書道等)が華開き、これらの文化が公家や武家ばかりでなく身分の低い庶民にも浸透したことで寺社等における「仮名」教育が活発化してキリスト教宣教師が驚くほどの識字率を誇る国になりました。(これにより日本では公式の記録に留まらず、身分の上下を問わず様々なことが手紙、日記や落書等の文字で記録され、それが大量の古文書等として後世に残されたことで自分の先祖を調べる際の大きな手掛りとなっています。閑話休題。)このような時代背景を受けて、平安時代の学者・藤原明衡(約950年前)は日本最古の手紙文例集「明衡往来」を著し、この中で年始の挨拶文例として「春始御悦向貴方先祝申候」(直訳:春の始めの御悦び、貴方に向かってまず祝い申し候)を紹介していることから(現存する日本最古の年賀状)、平安時代には年賀状の先祖と言える年始の挨拶文を認めた「手紙」のやりとりがあったものと思われます。その後、鎌倉時代には習字や読本の初級教科書として使用された「庭訓往来」が広く普及し、また、江戸時代には飛脚制度(江戸時代の通信革命)が整備、充実されたことに伴って下級武士や商人等の間にも遠方の親戚や知人に宛て年始の挨拶文を認めた「手紙」をやりとり風習が浸透しました。

年賀状の先祖(現存する日本最古の年賀状)
原文
【意訳】
初春の慶びをお祝い申し上げますと共に、貴殿の益々のご多幸をお祈り申し上げます。
年が明けて直ぐに年始の挨拶を申し上げるべきでしたが、折しも子の日の遊びにあたり、皆さんから野遊びに誘われて心ならずも年始の挨拶が遅くなってしまいました。
さながら軒の梅を心待ちにしている鴬が人家の暖かさに惹かれてその蕾が開きかけているのを忘れているような、あるいは、庭園の胡蝶が春陽の移ろいも知らないで日影で遊んでいるようなものなので、全くもって本意ではございません。
ところで、楊弓・雀小弓の試合、笠懸・小串の会、草鹿・円物の遊び、三々九・手挟・八的等の音楽会を近く開催致します。弓馬の達者な方をお誘い合わせのうえ、お越し頂ければ幸いです。
心に思うことは多いのですが、拙筆なので手紙には認めず、今度、お会いする機会に申し上げることに致します。

謹言

1月5日 藤原左衛門尉

石見守 殿

殺風景な冬景色から百花繚乱の麗らかな春の到来を寿ぐ筆者の華やいだ気持ちが伝わってくるような季節感の漂う芽出度い正月の挨拶文です。電子メールの同報通信で「あけおめ」等と正月早々から軽口を叩き、ぐうたら寝正月を想起させるような当世流の挨拶文とは大違いです。いくら通信の手段(技術)が発達しても通信の内容(心、即ち、伝達される情報の質や言葉に含まれている情報の量)が空疎になる一方では日本文化は昔と比べて退化していると揶揄されても仕方がありません。

 

その後、明治維新を経て年始の挨拶が「手紙」ではなく「葉書」で送られるようになりますが、これは1869年にオーストリア・ハンガリー帝国で「手紙」より安価な通信手段として発明された世界初の「ポストカード」を郵便の父・前島密が「葉書」と命名して日本にも導入したことに端を発しています。日本では既に戦国時代にはモチノキ科の常緑広葉樹「多羅葉(たらよう)」の葉の裏に爪や枝で文字を刻んだものが簡易な通信手段として利用されていたそうですが(古代インドでブッダの教えを多羅樹(たらじゅ)の葉に刻んで伝承していたことに由来し、日本における葉書の先祖とも言えるもの)、これと「ポストカード」が類似していることから“葉に書く”で「葉書」と命名されたそうです。平成9年に多羅葉は郵便局のシンボルツリーに指定され、全国各地の郵便局では多羅葉を植栽しているところが多く(例、東京中央郵便局)、現在でも多羅葉の葉の裏に宛先を明記して定型外の郵便切手を貼れば配達してくれます。なお、日本の自然信仰の原点である熊野本宮本社の境内には御神木「多羅葉」が植樹され、その横に神の遣いとされる八咫烏(神託を伝えるという意味で「葉書」の由来と同じ)のポストが設置されていますが、熊野本宮創建2050年の「節目」を迎えた記念として2018年12月31日までにこのポストに投函された葉書には八咫烏消印が押印されるというので、初詣がてら熊野詣と洒落込みました。 因みに、八咫烏サッカー日本代表のエンブレムとしてもお馴染みです。古代ギリシャ古代ローマでは紀元前200年頃には足でボールを蹴る遊戯が発明されていたそうですが、日本では飛鳥時代に中国から伝来した蹴鞠(けまり)が平安時代になると宮廷貴族の遊戯として流行し、当時の蹴鞠の名人で「蹴聖」と言われた藤原成道は蹴鞠上達祈願のために50回以上も熊野詣をし、熊野本宮の大神の前で「うしろ鞠」の名技を奉納したという記録が残されていますので(「古今著聞集」より)、日本のプロ・サッカー選手の先祖は藤原成道(約850年前)と言えそうです。そのため、サッカー日本代表の選手や日本サッカー協会の関係者、全国のサッカーファン等がW杯の必勝祈願やサッカーの上達祈願のために熊野本宮大社へ参詣しています。

 

 

ところで、熊野本宮本社の近くには、映画「海難1890」の舞台となった船甲羅岩礁和歌山県串本町)があります。1874年に第一次世界大戦の原因となった普仏戦争に勝利して成立したドイツ帝国が中心となって万国郵便連合が結成されたことで国際郵便制度が整備され、その結果、国際的な通信・物流革命が実現しました。このような国際情勢のなか、1889年にオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号明治天皇宛ての親書を携えた親善使節団を乗せて日本へ来航しますが、その帰路に台風で船甲羅岩礁座礁して沈没し、地域住民の決死の救出活動により乗組員69名が救出され、残る578名が死亡するという大海難事故が発生しました。それから約100年後の1985年に勃発したイラン・イラク戦争に巻き込まれたテヘラン駐在の日本人は(日本政府が自国民の救出に躊躇する一方で)トルコ共和国の厚意によって無事に救出されました(テヘラン邦人救出事件)。エルトゥールル号遭難事件はオスマン帝国の元首から大日本帝国の元首への親書(手紙)を契機として発生した悲劇ですが、1通の手紙が人の運命を変え、歴史を作る力を持ち、それらが様々な物語や歌として語り、歌い継がれてきています。「先義後利」(孟子)という言葉がありますが、果たして自分は利得に心を曇らせて信義に惑うことなく、たとえどのような状況にあっても他人(又は社会)に対して誠実に尽くすことができる「真実な方達」(映画「雨あがる」より)たり得ているのかということが心に掛かる今日この頃です。因みに、先日、アメリカは万国郵便連合からの離脱を表明しましたが、これは万国郵便連合によってアメリカが中国からの輸入荷物をアメリカ国内で無料配達しなければならない義務(発展途上国への優遇措置)を課されおり、それがアメリカ国内の流通業者の負担になっていることを忌避するものです。トランプ・ショック(アメリカ・ファーストに象徴される保護主義的な傾向)を非難することは簡単ですが、中国の台頭が目覚ましく国際社会の勢力地図が塗り替えられようとしているなか、そろそろアメリカが国際社会のリーダーとして余計に負担してきたコストを見直す時期に来ているのかもしれません。(イギリスのEU脱退もイギリスが余計に負担を強いられることなどを巡る問題という意味では同じ文脈です。)

 

 

さて、「節目」と言えば、昨年は明治維新150周年及び第一世界大戦終戦100周年の節目にあたり、また、今年は実用化フェーズに入ったAI技術の本格的な普及(例えば、自動運転無人小売店舗等の商用化と、それらを支える通信の大容量・高速化キャッシュレス化等の社会インフラの整備など)により新たな時代の転換期(産業革命は人類を「重労働」から解放し、AI革命は人類を「労働」そのものから解放するイノベーション)を迎えようとしていますが、これらに伴って社会の価値観が大きく変化(パラダイムシフト)しようとしています。このような時代の転換期を迎えて、巷では人類の歴史を大きなトレンドとして俯瞰し、将来の変化を見通そうとする試みが持て囃され、時代を写す鏡である「芸術」(その創作と受容)の分野についても、過去にどのように変容してきたのかを俯瞰し、それを手掛りにして現代の「芸術」の意義を読み解こうとする映画や書籍等が次々とリリースされています。先日も、NHK-BS1で『映像の世紀プレミアム 第1集「世界を震わせた芸術家たち」』やクラシカジャパンで『楽しく分かる音楽の歴史Vol.4「20世紀以降」』と題する番組が放映されていましたが、第一次世界大戦によって近世的な社会体制や価値観等が破壊されたことで「芸術」も大きく変容し、その後、第二次世界大戦と冷戦を経て「平成」(「内」(史記)や「知」(書経)に由来)という言葉を体現するようにグローバリゼーション(交通と通信の革命による人、物、金、情報のダイナミックな流通)が急速に進展したことで「芸術」が更に大きく変容しようとしている状況が記録映像と共に紹介されていました。そこで、時代の転換期にある年の始めにあたり、現代音楽を含むアヴァンギャルド芸術が市民権を得つつある現状を踏まえて、「芸術」の来し方行く末について考えてみたいと思います。なお、本当は現代社会との関係性(とりわけ科学技術の進展)を踏まえつつボーダレス及びジャンルレスに幅広い「芸術」(全世界の音楽、舞踊、絵画、文学、芸道等)を俯瞰しなければ、多種多様に変容し、それ故に難解になっている現代の「芸術」の意義を読み解くことは難しいと思いますが、僕のような素人には手に余るテーマなので(また、未だ専門教育機関等でもそのような広範多岐に亘る分野を網羅するカリキュラム、とりわけ中近東やアフリカまで漏れなく射程としているものは殆ど存在しないようなので)、非常に歯がゆく口惜しい限りですが、今回は「芸術」のうち「音楽」、さらに、その「音楽」のうちでも上記のテレビ番組で採り上げられていたヨーロッパの「クラシック音楽」(近世までの調性音楽)の崩壊と20世紀以降の「前衛音楽」(近代以降の無調音楽)の誕生(但し21世紀の混沌状態を除く)というごくごく限られた狭い分野について簡単に概観するに留めたいと思います。

 

変革の時代にあって「知識」よりも「視点」(物の見方)を整理した方が刻々と移ろう時代を見通すための応用につながると思いますので、例えば、国民楽派5人組や新ウィーン楽派3人組(who、when、where、what)等の教科書的な知識を追うのではなく(それらを詳説したWebサイト書籍は巷に多く溢れていますので)、過去の時代の変容(trend)を機軸として、それに伴って音楽がどのように変容してきたのか(why、how)を大掴みにすることで、自分なりに時代との関係性の中で前衛音楽の意義を把握するように努め、それを手掛りとして聴衆の立場から前衛音楽へのアプローチの仕方(但し、方法論のような本格的なものではなく漠然としたもの)を考えてみたいと思います。「クラシック音楽」(近世までの調性音楽)と異なって「前衛音楽」(近代以降の無調音楽)は人間の感情に根差さず、物語性など音楽的な文脈を持たず、また、耳慣れない複雑な語法や音響が使用されているなど見通しの効き難いものが多いので、一体、何を手掛りに音楽に寄り添えば良いのか途方に暮れることが少なくないですが、多様な前衛音楽についてそれぞれの「時代」背景との関係性の中から表現の意義を見出すことで、そこで何が考えられ、行われているのかを自分なりに理解する手掛りとすることができるのではないかと考えています。現代の大衆消費社会ではSNSの「いいね!」に象徴されるように人間の刹那的な欲求を手っ取り早く満たすことができる(即ち、消費行動に結び付き易い)ラブリー&イージーなものばかりが持て囃される風潮が根強く、それ故に却って調性という麻薬が中毒症(但し、それは音楽の可能性を狭めてしまう副作用)を持ち易い環境にあると言えるかもしれませんが、いつまでも安易に流されて「クラシック音楽」(近世までの調性音楽)を消費しているだけの状態に留まっているようでは、いずれ時代の変革に伴って音楽的な欲求を十分に満すことができなくなるのではないかとも感じています。その意味で、遅ればせながら、今年は自分の中で音楽のパラダイムをシフトしてみたいと企図しています。

 

昨年で終戦100周年の「節目」を迎えた第一次世界大戦を契機として「クラシック音楽」から「前衛音楽」に至る音楽の変容を大雑把に俯瞰するにあたり、近世から近代に亘ってルネサンス音楽(旋法音楽)~バロック音楽(調性音楽の確立期)~古典派音楽(調性音楽の発展期)~ロマン派音楽(調性音楽の爛熟期)へと至る音楽の変容を時代(社会の価値観や体制)の変容と共に大掴み(....なので楽器の進化や受容環境の変化が音楽の創作に与えた影響等の諸要素は思い切って割愛)しておきたいと思います。なお、何でも物事を二項対立の図式に単純化して捉える危険性は十分に認識していますが、残念ながら人間の脳は正確な対象(即ち、物事を緻密に分ける(=分かる)ための属性を多く備えた複雑な対象)から「視点」(物の見方)を抽出できるほど有能にはできていませんので、敢えて二項対立の図式に単純化して捉え直してみるということも必要ではないかと思います。この点、本来、時代は色々な要素が絡み合いながら行きつ戻りつマダラ模様に展開して行くものなので定規で線を引いたように綺麗に整理することはできませんが、上述の理由から何を基軸に整理するのかによって多少は時代認識の先後などがありますのでご了見下さい。

 

ルネサンス(近世):中世的な価値観からの解放(ルネサンス音楽バロック音楽:旋法音楽の崩壊と調性音楽の萌芽)

宗教改革により主権が教会から国王へ移行すると、ローマ・カトリック時代のキリスト教的な価値観(肉体的な本能から生じる欲望を抑制し、肉体より精神性を重んじる価値観=神聖性)から解放されて古代ギリシャ時代のギリシャ神話的な価値観(肉体的な本能から生じる欲望を肯定し、精神と肉体のバランスを重んじる価値観=人間性)を見直す方向にパラダイムシフトします。このような時代の変容を受け、絶対王政に基づく封建制の重層的な社会体制を背景として複雑なポリフォニー(複数の独立した声部が重層的に絡み合う音楽)による秩序(決して交わらない絶対的な身分関係により規律される社会)だてられた均整のとれた美しさが持て囃されるルネサンス音楽(旋法音楽)から徐々に人間性に富むドラマチックな表現が可能な独唱形式(モノフォニーの萌芽)を採用するバロック音楽(調性音楽)へと移行して行きました。バロック音楽古典派音楽の端境期に活躍した宮廷音楽家ハイドン(イギリス)は、自らの創作意欲に忠実であること(芸術家気質)よりも、自らのパトロンである王侯貴族の趣味に合わせた音楽を量産すること(職人気質)に創作活動の主眼が置かれ、その結果として108曲もの交響曲が創作されることになりました。 

 

②市民革命・産業革命(近代前半):近世的な価値観からの解放(古典派音楽~前期ロマン派音楽:調性音楽の発展とその爛熟)

市民革命により主権が国王から市民へ移行すると、ギリシャ神話的な価値観がより一層重視されるようになります。絶対王政に基づく封建的な社会体制から市民の自由や平等が確立された社会体制を背景として一般市民にも親しみ易い単純なモノフォニーによる美しい響きの調和(平等な人間が相互に交わり合いながら協調する単層的な社会)を求める古典派音楽(明快な和声による調性音楽)が隆盛となり、やがて近代市民社会の定着により社会が複雑化するにつれて人間の感情をより豊かに表現するための個性的な響きが求められるロマン派音楽(複雑な和声による調性音楽)へと進化します。古典派音楽とロマン派音楽の端境期に活躍したベートーヴェン(ドイツ)は宮廷から解放されたフリーランスとして作曲活動を行ったことにより、注文主の趣味に合わせた音楽を創作するのではなく、自らの創作意欲に忠実であること(芸術家気質)に創作活動の主観が置かれ、その結果として9曲しか交響曲が創作されていません。

 

帝国主義・世界大戦(近代後半):近代的な価値観の破綻(後期ロマン派音楽~調性音楽の崩壊と前衛音楽の萌芽)

産業革命を経て資本の独占が進む一方で、都市部に集中した労働者は過酷な労働条件下で搾取されて貧困を強いられるという社会の歪み(個人レベルでの格差)が深刻化し、自由で平等な市民社会の理想が破綻を来します。また、大量生産される商品の消費市場と生産資源を確保するために、資本家と国家権力が結び付いて軍事力を背景とした植民地政策(帝国主義)(国家レベルでの格差)が本格化します。このような近代社会の矛盾が露呈するのと併せて、中心となる音(資本家、帝国主義宗主国)との関係で他の音(労働者、帝国主義の従属国)が規律、構成される調性音楽(合理的な秩序)による理想的な美(平等な人間が相互に交わり合いながら協調する社会の調和)を表現するだけではその時代を上手く表現できないという行き詰りを見せ、その行き詰りを打開するために中心となる音(資本家、帝国主義宗主国)によって規律、構成される調性からの解放を目指して新しい世界を表現するための音楽の模索が始まります。後期ロマン派音楽と前衛音楽の端境期に活躍したワーグナー(ドイツ)は半音階的転調により調性の内側から調性(中心となる音)を崩すことで音楽を調性から解放することで新しい世界を表現するための音楽(トリスタン和音)を模索します。また、これと同時期にドビュッシー(フランス)は旋法音楽等を使って調性の外側から調性(中心となる音)を崩すことで音楽を調性から解放することで新しい世界を表現するための音楽(印象主義音楽)を模索します。

<調性音楽の特徴:縦の主従関係による秩序>

音の関係 特徴的な傾向
音の縦関係(音の色彩) 【制約:和声等】
和声や対位法に規律され、主題に対する関係で伴奏や対旋律は制約度が高い。
音の横関係(音の運動) 【自由】
和声や対位法に規律されず、主題は比較的に自由度が高い。

ナショナリズムと音楽
市民革命により絶対王政や宗教権威の秩序(束縛)から解放されて市民が自由と平等を手にする一方で、産業革命によって工場がある都市部へ人口が集中して市民が大衆化すると市民の間に一体感のようなものが生まれて個人主義から集団主義へと市民の意識が変化していき、やがて第一次世界大戦の勃発により危機的な状況に陥るとその傾向に拍車がかかります。このような社会の変容を受け、市民(個人)を全体(集団)へと統合するための音楽としてベートーヴェン交響曲第9番等が政治利用されます。ベートーヴェン交響曲第9番は第三楽章で天上の音楽(王侯貴族や教会の音楽)を奏でた後に、我らが理想とする音楽(世界)はこのような権威的又は禁欲的な音楽(世界)ではないと否定して第四楽章の世俗の音楽(良き市民の集いと酒盛りの歌の熱狂を思わせる大衆の音楽)へと突入します(そのためなのか第四楽章の合唱は誰でも歌い易いように作られています)が、良き市民の集いとその陶酔的な熱狂(歓喜)はナチスドイツを生むという苦い教訓を人類に残す結果となり、現代ではベートーヴェン交響曲第9番は耳障りの良い言葉を無批判、無責任に受け入れる良き市民の集い(感傷的なムード)が陥り易い愚衆性や偽善性を省みるための戒めの音楽(年末に煩悩を祓う除夜の鐘の如きもの)としても機能しています。

 

その後、植民地政策(帝国主義)は、これに先行していたイギリス、フランス、ロシア(三国協定)とこれに出遅れていたドイツ、オーストリア、イタリア(三国同盟)の間で利害衝突(帝国レベルでの格差)を生じ、これが契機となり第一次世界大戦が勃発してロシア、ドイツ、オーストリア及びオスマンの四大帝国とブルジョア文化(貧富の格差の象徴であった社交場を含む)など近世的な社会体制の一部が破壊されます。これに伴って王侯貴族(特権階級)やブルジョアジー(有産階級)など階級社会が支援し、受容してきた調性音楽(クラシック音楽)も終焉を迎えます。やがて第一次世界大戦で植民地(市場)を失った敗戦国のドイツ及びイタリアや十分な植民地(資源)を持っていなかった後発国の日本の経済的な行き詰りから再び植民地政策を積極的に展開したことで第一次世界大戦戦勝国との間で利害衝突を生じ、第二次世界大戦が勃発して帝国主義など近世的な社会体制が完全に破壊されます。これにより産業革命の副産物である植民地政策(帝国主義)とこれを原因として発生した2度の世界大戦に対する反省から、国家が「平等」に富を分配すること(人工秩序)によってバランスする社会を理想とする社会主義と、公正で「自由」に競争すること(自然秩序、いわば神の見えざる手)によってバランスする社会を理想とする資本主義の2つのイデオロギーが対立する冷戦時代を迎えます。このような時代の変容を受け、シェーンベルクオーストリア Rotes Wien)は音(富)の中心や偏りを排除するために1オクターブの中に含まれる12の音を1回づつ均等に使った音列(セリー)(人工秩序による平等を理想とする社会)を組み合わせて作曲する十二音技法(無調音楽)を発明します。その一方で、ケージ(アメリカ)は作曲者の意図(国家の介入)を排除するために偶発的な要素(例えば、プリペアド・ピアノ、占いやサイコロなど、いわば神の見えざる手)(自然秩序による自由を理想とする社会)を採り入れて作曲する偶然性・不確定性の音楽を考案します(但し、偶然性の音楽はモーツァルトの「音楽のサイコロ遊び」(K516f)等に代表されるように比較的に古くから使われていた作曲技法です)。 

<無調音楽の特徴:横の調整関係による秩序>

音の関係 特徴的な傾向
音の縦関係(音の色彩) 【自由】
伴奏や対旋律も音列(セリー)に影響されるが、和声や対位法には規律せれないので自由度が高い。
音の横関係(音の運動) 【制約:音列】
音列(セリー)に規律されるので制約度が高い。

自然秩序による自由のグラデーション(統制から規制、規制から緩和、緩和からトレンドへ)
一見、偶然性の音楽と不確定性の音楽は相似しているように見えますが、偶然性の音楽作曲(統制)の過程で偶然の要素が加わって創作される音楽である(即ち、演奏の過程では偶然の要素はない)のに対し、不確定性の音楽演奏(行動)の過程で不確定の要素が加わって創作される音楽なので(即ち、再現可能性が低く録音(確定)に馴染まない)、両者は本質的に異なる音楽です。また、演奏の過程で不確定の要素が加わるという意味で不確定性の音楽と即興演奏は相似しているように見えますが、不確定性の音楽演奏者の自由を排除(規制)して占いやサイコロ等によって音符を選ぶなど音楽的に制約されているのに対し、即興演奏は殆ど音楽的な制約がなく演奏者の自由に委ね(緩和)られているので、両者は本質的に異なる音楽です。即興演奏
演奏者の自由に詩、言葉や記号等のインスピレーションを与える(流行、アイディア、目標等)フルクサスになります。

 

④大衆消費社会・ボーダレス社会・イノベーション(現代):現代的な価値観の勃興(前衛音楽の展開と軽音楽の台頭)

前述のとおり産業革命によって植民地政策(帝国主義)が本格化し、帝国レベルでの格差が原因となって二度の世界大戦を引き起しますが、国家レベルの格差によって従属国(植民地)では宗主国からの独立を求める気運(民族主義)が高まり、二度の世界大戦を経て民族の独立運動(脱植民地主義)へと発展します。このような時代背景を受け、宗主国側のワーグナー(ドイツ)、ドビュッシー(フランス)、シェーンベルクオーストリア)等による調性(中心となる音=宗主国)からの解放の動き(前述)に加え、従属国側のバルトークハンガリー)等は民族のアイデンティティを求めて帝国主義を推進していたブルジョアジー(有産階級)が支援し、受容してきた調性音楽に民族音楽の音階、和声、リズム、拍子等をそのまま採り入れて、調性音楽(宗主国)と民族音楽(従属国)を対等の立場で融合する音楽(新古典主義音楽)を模索します(その後のEU統合を暗示するメンタリティ)。また、これと同時期にストラヴィンスキー(ロシア)は調性音楽と民族音楽を融合するのではなくそれぞれを独立した素材として組み合わせること(切り貼り)で各々の個性(独自性)を尊重する音楽(コラージュ音楽)を模索します(その後のソ連崩壊を暗示するメンタリティ)。また、ストラヴィンスキーキリスト教的な価値観(精神で肉体をコントロールすること(=理性)を重視)から肉体的な興奮を喚起するリズムの使用を避けてきた調性音楽(クラシック音楽)に民族音楽の本能的・野性的なリズム等を採り入れて調性音楽(クラシック音楽)の理性的・禁欲的なリズムを破壊する新しい音楽(バレエ音楽「春の祭典」など、いわゆるバーバリズム)を創作しますが、シェーンベルク調性を解放して音の縦関係(音の色彩)を自由にし、ストラヴィンスキーリズムを解放して音の横関係(音の運動)を自由にしたこと(美のパラダイムシフト)で近代までの調性音楽(クラシック音楽)は終焉を迎えます。

ミクロコスモス I

ミクロコスモス I

アメリカナイゼーションと音楽
アメリカの南北戦争後に奴隷解放された黒人によってヨーロッパの讃美歌等(白人音楽)にアフリカの民族音楽(黒人音楽)のリズムを融合したジャズが誕生しますが(その後、ジャズのブルースやラグタイム等(黒人音楽)とカントリー&ウェスタ(白人音楽)が融合してロックンロールへと発展。また、プロテスタント牧師の説教からトーキング・ブルースが生まれてヒップホップ文化等の影響を受けながらラップへと発展)、第一次世界大戦アメリカからヨーロッパへ派遣された黒人部隊がヨーロッパ各地でジャズを演奏したことや、電気録音(レコード)、テレビジョン放送やジェット旅客機等の発明によって本格的なグローバリゼーションが進展するにつれてジャズやロックンロール等を始めとしたアメリカのポピュラー音楽が全世界へと広がります。これによりバルトークストラヴィンスキーガーシュイン等はジャズをクラシック音楽に採り入れ、また、バルトークは電気録音の発明によって世界の民族音楽を採集、分析することが可能になり、その後の創作活動に重要な影響を与えています。なお、アメリカのポピュラー音楽が全世界へと広がった背景には、
第一次世界大戦後にイギリスがドイツから支払われる賠償金をアメリカへの多額のドル借款の返済に充当したことでアメリカに世界の富が集中したこと(この富の偏在が第二次世界大戦の引金)や、第二次世界大戦後にアメリカが中心となって新しい国際協調の枠組みとして国際連合が設立されたことなどにより、ヨーロッパを中心とした世界秩序からアメリカを中心とする新しい世界秩序へと構築し直されたことが挙げられます。現在、世界の富の約半分がアメリカへ集中していますが、再び、時代の転換期を迎えてアメリカを中心とした世界秩序が揺らぎ始めています(前述)。古今東西を問わず人類の歴史で繰り返されてきた新しい秩序を模索するための戦争が経済の高度化により土地の奪い合いから金の奪い合いに姿を変えて軍事力の行使から経済力の行使(経済制裁等)へと様変わりしつつあるなか、日欧を巻き込んだ米中貿易戦争やイギリスのEU脱退等の混乱状況を招いているのが現在ではないかと思います。人類の歴史は非常に単純な力学で動いており同じようなことを繰り返しながら技術革新を重ねて徐々に発展してきているに過ぎませんが、その文脈に照らして前衛音楽を捉え直すと、一見、複雑難解と思われがちな前衛音楽も非常に単純なことを試み、些細な変化を生んでいるに過ぎない(その意味で身構えるほどハードルは高くない)ように思われ、何やら思わせ振りに「音楽とは何か」と眉間に皺を寄せて論じてみることの滑稽さが微笑ましくさえ感じられます。

 

前述のとおり産業革命及び植民地政策(帝国主義)による富の格差が世界大戦の引金となったことを教訓として、戦後、国又は国際機関が規制を強化すること(人工秩序)で富を平等に分配する政策(社会主義のみならず、資本主義における富の再分配としての社会福祉政策や富の集中防止としての公正競争政策等を含む。)がとられますが、やがて規制の強化による経済発展は行き詰まりを見せるようになり、これを打開するために国又は国際機関が規制を緩和すること(自然秩序、神の見えざる手)で自由に競争する政策へと転換します。即ち、資本主義では経済発展を遂げて富を平等に分配するよりも規制を緩和して自由に競争することで経済を活性化させることが重視され、また、社会主義では経済政策の失敗と情報化社会の到来によって資本主義社会との間で富の格差が生じていることが明らかとなり資本主義を実験的に導入する方向に政策転換して冷戦が終結します。このような社会の変容を反映するように、十二音技法(セリエリズム)は音高のみを対象として音列(セリー)技法により作曲する方法(12音を平等に1回づつ用いた音列を原形として、その逆行形、反行形、逆反行形と派生し、また、それぞれの形の移高や組合等で作曲)からリズム、音色、音価、強弱、アーティキュレーション等も対象として音列技法により作曲するトータル・セリエリズムへと発展しますが(規制の強化)、その結果、音楽が複雑化して演奏や鑑賞が困難となり行き詰まりを見せるようになったことから、これを打開するために12音の全部が使用されていなくても一度使用した音譜を反復して使用しても良い(反復性)又は音列に調性を感じさせても良い(物語性)など音列技法のルールを緩和して自由に作曲するポスト・セリエリズムへと移行し(規制の緩和)、これに伴って無調音楽(自然の音、前衛性)と調性音楽(人工の音、大衆性)がボーダレスになりゲームソフト、アニメや映画等の商業音楽でも使用されるようになります。また、トータル・セリエリズムにより音楽が複雑化して演奏又は鑑賞が困難になると「楽譜に書かれている音楽」(理想)と「実際に聞えてくる音楽=響き」(現実)の間に大きな乖離を生じ、徐々に「楽譜に書かれている音楽」(理想、社会思想)よりも「実際に聞えてくる音楽=響き」(現実、経済実態)が注目されるようになって響きの探究(後述)が盛んに行われるようになります。これに伴って調性音楽(クラシック音楽)がキリスト教的な価値観(理想)から肉体的な興奮を喚起するリズムの使用を避けてきたのと同様に理性によってコントロールできない響き(周期的な振動ではなく非周期的な振動からなる響き=ノイズ)の使用を忌避してきた伝統が徐々に破壊され、ノイズを解放して音の構成物(音の素材)を自由にし(美のパラダイムシフト)、やがてロックンロールやハードコア・パンク等へと応用されます。

<音楽の解放①~西洋音楽の伝統へのアンチテーゼと美のパラダイ ムシフト~>

音楽の解放 調性音楽 無調音楽
音の縦関係
(音の色彩)
調性の解放
【制約】
和声や対位法に規律される。
【自由】
和声や対位法に規律されない。
音の横関係
(音の運動)
【自由】
音列(セリー)に規律されない。
【制約】
音列(セリー)に規律される。
音の構成物
音の素材)
ノイズの解放
【制約】
周期的な振動からなる音程(楽音)のみを使用。
【自由】
非周期的な振動からなる音程(噪音)も使用。

 

第二次世界大戦後の経済発展により大衆消費社会が本格化するにつれて人手のみで大量生産を支え、複雑化する社会に対応することが人間の能力の限界に達したので、技術革新を重ねて工業機械やコンピュータ等によるオートメーション(省人間)化が進み、やがて都市には工場生産、物資輸送や建物建設等によって人工的に生み出される騒音(五線譜上の音程で表すことが困難で物語性を持たない響き)が溢れて社会問題化します。このような時代の変容を受け、コンピュータ等によって録音や編集の技術が飛躍的に向上し、既存の音を録音して並べ替えたり又は加工するたりして音楽を創作するミュージック・コンクレート(既存の音の発生原因や意味等を省みず物語性や目的性を持たない響きのみを重視し、最初に出てくる既存の音を主題として様々なリズムで展開する音楽で、サンプリング・ミュージックからヒップホップやテクノ等のクラブ音楽へと発展)が誕生します。また、音楽の録音技術の向上によりレコード芸術が普及したことにより音楽の受容シーンが多様化(バックグラウンド・ミュージック、サウンド・エフェクト等)し、社会には音楽が溢れて音楽の大衆化が進みます。さらに、音そのものを人工的に作り出す電子音楽(ロック、ポップス、ゲームや映画等の商業音楽へと発展し、大衆消費社会を背景として騒音問題に配慮して消音機能を備えた電子楽器として一般人にも普及)が誕生し、トータル・セリエリズム(前述)やスペクトル音楽(後述)など人間の能力の限界(人間の声を含む楽器の性能や演奏の技術)を超えて複雑化し演奏が困難になった音楽(社会)を人間に代わって実演するための手段(省人間)としても持て囃され、やがて五線譜上の音程で表すことが困難な微分音(半音以下の音)等の周波数を解析して音程に置き換えるスペクトル音楽へと進化します(Open Music等)。また、都市に騒音が溢れたことから、騒音対策として日常の音をコーディネートするサウンド・デザイン、バリアフリーとして視覚障害者のためのサウンドマップや健常者にとってのリラクゼーション、防犯等を企図して音をアレンジするユニバーサル・デザイン等を行うサウンドスケープが誕生します。さらに、科学技術の進歩に伴ってコンピュータを利用して遺伝子の塩基配列を音符に変換する遺伝子ミュージック音楽療法等の目的のために脳波に良い影響を与えるバイオミュージック等も登場します。

 

産業革命により工場のある都市部へ人口が集中したことで市民が「大衆」化すると市民の間に一体感のようなものが生まれて市民の意識が個人主義から集団主義へと変容し、世界大戦の勃発による危機的な状況が相俟ってその傾向に拍車がかかります。戦後、新しい国際秩序が構築されてグローバリズムが進展すると、その集団主義が企業主義へと姿を変えて飛躍的に経済が発展します。また、経済の発達に伴って社会の分業体制が確立し大量生産・大量消費を支える社会インフラが整備されてマス・メディアが重要な役割を担うようになると、1人1人の市民(個性)に着目するのではなく市民を没個性的な大衆(mass)として捉える大衆消費社会が本格化します。このような時代の変容を反映するように、トータル・セリエリズムによって複雑化した音楽から生み出される響きは音列(セリー)が織り成す多声部(個性的な市民)としては認識できず、1つの音塊(sound mass)(没個性的な大衆)として認識されるようになり、1つ1つの音の音程関係を厳格に管理する作曲技法トータル・セリエリズムではなく、1つ1つの音の音程関係を重視せずにぼんやりとした音塊として捉えて、ある2つの音の間を響きで埋め尽くす作曲技法トーン・クラスタ(密集音群)が生み出され(ペンデレツキ「広島の犠牲者のための哀歌」が有名)、ジャズの奏法等に応用されます。また、細かく分割された楽器パートが各々異なった動き(分業)を行いながらそれらが1つのまとまった雰囲気(社会、集団)を織り成す作曲技法ミクロ・ポリフォニーが生み出されるなど、トータル・セリエリズムのように理論(社会思想)を重視するのではなく実際に耳から聴こえてくる響き(経済実態)を重視する音楽を模索する動きが活発になります。

 

経済の発展に伴って社会の分業体制が確立し、社会が高度に構造化(規格化、単位化、システム化等)して社会が安定してくると、何の物語性や目的性を持たないルーティンな日常が続き、都市は無機質に反復する機械音や電子音で溢れます。大衆はこのように安定した社会状態を是認する立場の保守派とその変革を望む立場の革新派に二分されていきます。このような社会の変容を反映するように、最小単位のモチーフ(日常、機械音等)を反復するミニマル・ミュージックが誕生し(その萌芽は既にサティ「家具の音楽」等に見られ)、常に鳴り響く音楽の“今”(日常)を重視し、その結果、音楽(人生)がどのような物語を紡ぎ又はどのような目的を持っているのかということはあまり重視されなくなります。ミニマル・ミュージックモチーフを小さく変化させながら(音楽への集中を生みながら)反復する音楽なのでシャーマニスティックな効果によりトランス状態(陶酔感、恍惚感)を喚起する音楽(革新的な性格)であるのに対し、最小単位のモチーフを変化させずに反復することでトランス状態の喚起など心理的な変化を避けるアソビエントが誕生し、日常に埋没するかのような「意識されない音楽」(保守的な性格)が創作されます。やがてこれらはミニマル・テクノ(例えば、ピコ太郎「PPAP」等)やアソビエント・テクノ(例えば、クラブの休憩中に流れるBGM等)等のクラブ音楽へと応用されます。なお、調性音楽にも最小単位のモチーフを反復する音楽は存在しますが(例えば、ベートーヴェン交響曲第5番」の運命のモチーフ等)、前述のとおりクラシック音楽ではキリスト教的な価値観からシャーマニスティックな効果により肉体的な興奮(精神で肉体をコントロールすること(=理性)ができなくなる状態)を喚起することを忌避する傾向が強いので、ミニマル・ミュージックに比べてモチーフを大きく変化(展開)させていますので(革命的(≧ 革新的)な性格)、トランス効果の喚起等は起こり難いと言えるかもしれまません。 

<音楽の解放②~西洋音楽の伝統へのアンチテーゼと美のパラダイムシフト~>

音楽の解放 クラシック音楽
調性音楽
現代音楽
調性音楽 & 無調音楽
音の横関係
(音の運動)
リズムの解放 【制約】
肉体的な興奮を喚起するリズムを忌避し、理性的・禁欲的なリズムを使用。
【自由】
シャーマニスティックな効果を生む野性的・本能的なリズムも許容。
構造の解放 【制約】
単調な反復を忌避し、主題を大きく変化させながら展開。
【自由】
主題を殆ど変化させずに単調な反復によるトランス効果。

 

経済発展が一段落して社会が安定すると生活に必要なもの(本来価値)が全て満たされて機能性や合理性を追求する規制社会(モダニズム)は行き詰まりを見せるようになり、この閉塞状況を打開するために新たな豊かさ(付加価値)を生む多様性や過剰性等を促す規制緩和の動き(ポスト・モダニズム)が登場し、バブル経済へと突入します。その後、バブル経済は崩壊し、また、ITの普及等による情報通信革命(第四次産業革命)が起こったことでモダニズムを支えてきた社会構造が徐々に崩壊して再び社会が大きく変容しています。このような時代の変容を反映するように、常に新しいもの(新しいものが生む本来価値)を求め続けて来た前衛音楽はモダニズムと共に行き詰まりを見せ、ポスト・モダニズムの潮流と共に過去のもの(調性音楽等)を自由に採り入れながら創作(既存のものに追加される付加価値=バブル)するロマン主義が誕生します。また、このような状況に加えて、音楽のデジタル化が進むと音楽のアレンジが容易になって音楽のオリジナル信仰が希薄となり既存の音楽をアレンジして作曲する多様式主義が盛んになります。これによって既存のもの(音楽を含む)がジャンル(社会の分業体制)を超えて融合されるようになり(例えば、映像と音楽やパフォーマンスのコラボレーションによるメディアアートなど)、それぞれのジャンルの違いが曖昧になって表現が個別化・細分化し、何でも許されるカオスの状態(権威主義的なモードは廃れ、SNS等に象徴される個別化されたムーブメントとしてのスタイル)が生まれて現在の混沌とした停滞感を生んでいると言えるかもしれません。また、既存のものをアレンジして生まれる付加価値に「新しさ」(本来価値に昇華し得るもの)を求めてきたポスト・モダニズムの潮流にも手詰り感が生まれてきているように感じられます。そんななか、2015年にAI囲碁ソフト「AlphaGo」が初めて人間のプロ棋士に勝利して人工知能(AI)が注目を集め、人間の限界を超えて新しいもの(本来価値)を生み出す可能性があるものとして期待が高まり、これまでの人間本位の社会から脱人間(≠ 非人間的)の社会への移行(近代産業革命によって人類は重労働から解放され、AI革命によって人類は労働そのものからも解放!?)が予想されています。現在、AI自動作曲ソフトとしては「Flow Machines」(Sonny CSL)「Amper Music」(AMPER)「AIVA」(AIVA)等が商用化されていますが(各々の代表作と思われる曲をリンクしており、「AIVA」  はフルオーケストラ曲も作曲しています。)、これらの曲を聴く限り(非常によく出来ていますが)優等生的な作風の域を出るものではなく、今一つ面白味に欠けて筆致が及んでいない印象を否めませんので、今後の進化が期待されます。また、人間の演奏者と息の合った合奏を行うAI自動演奏システム「YAMAHA MuEns」(YAMAHA)が開発され、その演奏を瞑目して聴いていると人間によるアコースティック楽器の演奏と殆ど遜色を感じません。また、AI(人工知能)とAL(人工生命)によるアンドロイド「オルタ3」がオーケストラを指揮し、舞台で歌うオペラ公演も計画されていますが、弦楽器の自動演奏は今後のロボット工学の進歩を待つ必要があるかもしれません。その一方で、マスタリングやトラックダウン等の音楽制作工程では音楽エンジニアやアレンジャーに代ってAIソフト(LANDR、IZOTOPE NEUTRON等)が活躍し始めています。さらに、最新の研究では、大阪大学人間の脳波を読み取りながらどのような音楽を聞かせれば脳を活性化させて快感を覚えるのかを考えて自動作曲するAIソフトが開発され(バイオミュージックの進化系)、音楽の創作や受容のあり方に一大変革を巻き起こす可能性を示唆するものとして注目されています。10年後には誰でもAI作曲支援ソフトを使って簡単に作曲することができるようになるという予測もあるようですが、バッハであればきっとこのように作曲したに違いないと思えるような「フーガの技法」の補筆完成版を楽しめる日も遠からずやって来るのではないかと楽しみです。これから数十年の第四次産業革命による社会の変容に伴って、社会を映す鏡である音楽を含む芸術のあり方も大きく変容する可能性があり、とても面白い時代に生きていると言えるかもしれません。なお、21世紀以降の現代音楽の最新動向はキャッチアップし切れておらず、NEW COMPOSERELE-KING等から情報を入手しているところですが、元号も変わることですし、そのうち機会を見つけて整理してみたいと目論んでいます。因みに京都市立芸術大学が中心に結成し、メディアアートの分野で国際的に高い評価を受けているアーティストグループ「ダムタイプ」(Dump(唖)+Type(型))の新作が「KYOTO STEAM-世界から文化交流祭-2020」で発表される予定ですが、その制作過程の一部を先行公開する「NEW PROJECT WORK IN PROGRESS 2019」が2019年3月24日(日)に開催されますので見逃せません。

はじめての<脱>音楽 やさしい現代音楽の作曲法

はじめての<脱>音楽 やさしい現代音楽の作曲法

 

 

前衛音楽のアプローチの仕方(対策)を考えるにあたっては、どうして調性音楽と比べて前衛音楽を難解に感じるのか(原因)を簡単にお浚いしておく必要があると思います。前述のとおりバロック音楽から古典音楽の時代にかけて個人の内面を音楽的に表現するための方法(このように作曲すれば、このように聴いて貰えるという一種の決まり事)として調性システム(調性、リズム、拍子、メロディーやハーモニーの理論的体系等)が確立し、長年に亘って、この調性システムを深化させながら音楽を創作する側としての宮廷作曲家及びカントル等と、音楽を受容する側としての王侯貴族及び教会等との間で音楽的なコミュニケーションが重ねられてきました。しかし、市民革命により音楽を受容する側は王侯貴族及び教会等から市民(有産階級)へと主役が移り、その後、産業革命を契機として第一次世界大戦が勃発すると調性音楽を受容してきた社交界(王侯貴族及び教会等から遺産を引き継いだ有産階級の集い)等の社会システムが完全に破壊され、これに伴って調性システムも崩壊します。戦後、その反省に立って古い社会システムの再建を目指すのではなくそのアンチテーゼとして新しい社会システムの構築が模索され、音楽の分野でも調性システムの使用を意図的に排除する方法として十二音技法等の無調音楽が誕生します。これにより音楽を受容する側(大衆)はどのような方法で音楽を創作する側(作曲家の作品)との間で音楽的なコミュニケーションをとれば良いのか手掛りを失い、長年に亘って、音楽を創作する側(作曲家)と音楽を受容する側(大衆)との間で音楽的なコミュニケーションの断絶とも言える状態に陥ってきました。これを言語に例えれば、これまでは日本語でコミュニケーションをとっていたところ、突然、相手が英語で話し始めたので、英語が話せる人は理解できるが、英語が話せない人は全く理解できない状態が続いたと言えるかもしれません。現在、前衛音楽がゲームや映画等の商業音楽で使用される機会が多いのは、英語(前衛音楽)がよく分からなくもジェスチャー(映像やシチュエーション等)を交えると何となく「伝わる」という状況が生まれているではないかと思います。この点、ジェスチャーを交えずに英語を理解するためには英語を日本語に翻訳しようとするのではなく英語を英語として理解する姿勢が求められますが、直ぐに英語を英語として理解することは難しいのでジェスチャーに頼りながら徐々に英語に慣れ親しんで英語を英語として理解し始めているというのが現在の状況ではないかと思います。無論、これまで使い慣れてきた日本語のみを使って日本人のみとコミュニケーションをとりながら狭い世界の中で生きて行くという考え方は人生の選択の問題なので議論の外ですが、僕は狭い世界(過去の遺産を消費しながらその中で約束された娯楽や癒し等を求めて満足する世界)の中だけで生きて行くのは面白くないと感じています。前述のとおり前衛音楽は言葉を変えたほかにも、文法を変え(言葉を変えれば、自ずと文法も変わります)、文章の機能を変え(小説ではなくクロスワードパズルなど)、或いは言葉以外の方法(絵文字など)を用いて、これまでの約束された娯楽や癒し等から新しい表現世界を開きましたが、それ故にその表現は多種多様で複雑なものになってしまい、例えば、日本語の小説を読むつもりで英語のクロスワードパズルを前にしても何をどうしたら良いか分からずに途方に暮れてしまうのは当然とも言えます。後掲「現代音楽の行方 黄昏の調べ」の著者の大久保賢さんが前衛音楽について「楽譜を見せて貰って解説を受けないと、耳を通してだけ聴き取るのが難しい音楽」と語られていますが、後述のとおり美術の分野で一般的に普及している客と作品との間を媒介(通訳)するキュレーターのような存在が前衛音楽にも必要ではないかと感じます。クラシック音楽(調性音楽)では音楽を創作する側の「伝える」と音楽を受容する側の「伝わる」との間の相互往還があり、日常会話と同様に正しく理解できているかは別として「伝わる」という状態(漠然と理解できた状態や理解できたと誤解している状態等を含む)に至ってコミュニケーションが成立し、そこに共感(約束された娯楽や癒し等)を形成するという一連のプロセスがあると思います。この点、英語のクロスワードパズルを理解するためには日本語の小説とは自ずと異なるコミュニケーションの有り様とそれに応じた「伝わる」という状態(但し「伝わらない」ことが全く無益であるのかは別論)について、音楽を受容する側が認識を広げることが第一歩ではないかと感じます。もともと日本の伝統音楽は、音程や音色が不安定で調性音楽(クラシック音楽の調性システムに基づく音楽)のような調性感はなく、リズムも精妙で複雑なものが多いなど前衛的な性格が色濃いものでしたが、明治維新後の近代化政策によって調性音楽のみを義務教育で扱うようになり(2002年から義務教育で和楽器を教えるようになりましたが、現状、和楽器を使用した曲でも日本の伝統音楽の言葉や文法等ではなくクラシック音楽の言葉や文法等を使って創作された作品が多いのが現状で)、長年に亘って、義務教育及び日常生活で調性音楽のみを学び(即ち、クラシック音楽等の調性音楽の抽象表現を理解する素養を身に着けるための教育的な機会は与えられてきましたが、日本の伝統音楽等の前衛的な音楽を理解する素養を身に着けるための教育的な機会は与えられず)、これに慣れ親しんできたこと(即ち、日本では明治維新を契機として前近代的であるという理由から事実上前衛的な性格を有する日本の伝統音楽の殆どが事実上折衷というより破棄に近い状態に置かれてきたこと、西洋ではルネサンスを契機としてキリスト教的な価値観である神聖性(精神、理性)からギリシャ神話的な価値観である人間性(肉体、本能)を回復するために教会旋法を破棄して調性音楽を導入したこと)が原因として挙げられます。よって、(最新の脳科学の研究に照らして同じような結論に達し得るのかは分かりませんが、その観点からの整理は次回に回すとして)前衛音楽を理解するためには意識的に前衛音楽を学ぶ機会を設け、これに慣れ親しむ自助努力が必要ではないかと感じます。そのためには、例えば、英語のクロスワードパズルを理解するためのコミュニケーションの有り様を認識する必要があり、「調性音楽の義務教育」に相当するものを補うために作曲者による解説やキュレーターによる媒介は必要的又は有効ですし、これに慣れ親しむためには先述したとおりジャスチャー等の助けを借りて前衛音楽に慣れ親しみながら自学自習すること(今回のブログは前衛音楽の代表的な作曲技法の意義を社会の変容との関係性の中で整理して前衛音楽のアプローチの仕方の1つの手掛りを模索し、調性音楽における感情表現への共感に代り得る何かを見出だしたかったというのが趣旨)など地道な方法しかないと感じています。また、最近では、調性音楽への回帰など音楽を受容する側にとって認識し易いコミュニケーションの有り様を採り入れて音楽を受容する側の現状に歩み寄る創作が増えているようです。個人的には「〇〇音楽」というカテゴリーに狭く閉じ籠るのではなく、そのフィールドをシームレスに広げて社会の変容をキャッチアップして(もって自分の世界も広げて)行けるような柔軟性を身に着けたいと心掛けている最近です。なお、先程、美術の分野ではキュレーターが普及していると申し上げましたが、音楽の分野でも、例えば、音楽を聴く行為と身体の関係について研究されている堀内彩虹さん(東京大学大学院後期博士課程、2017年柴田南雄音楽賞受賞)が最新の研究成果を踏まえて現代音楽のアプローチの仕方を指南する体験型ワークショップの開催を企画されており(クラウドファンディングに挑戦中)、また、NHK-FMで作曲家の西村朗さんが現代音楽を分かり易く解説しながら紹介するラジオ番組「現代の音楽」(日曜AM8:10~)を放送されており、現代音楽について何を又はどのように聴いたら良いのか分からないという方にとっては絶好の水先案内人となっています。鑑賞の世界を過去から現在、未来へと拡げてみませんか? 

黄昏の調べ: 現代音楽の行方

黄昏の調べ: 現代音楽の行方

▼現代音楽史の俯瞰(社会を映す鏡としての音楽)

 

【おまけ】

最近は著作権保護が厳しく、ブログに貼り付けられる動画も限られてきます。著作物は頒布(使用)されてその価値を生むものなので、著作権を保護するために著作物の頒布(使用)を制限するのは「正解」とは言い難く、その頒布(使用)にあたって適正な対価が著作権者に支払われる仕組みを考えて、寧ろ、どのようにすれば著作物の頒布(使用)が促進されるのかという方向で知恵が絞られるべきではないかと思います。著作物の頒布(使用)を制限することで事足れりとする現代の風潮が残念でなりません。

♬ 加古隆作曲「パリは燃えているか」(映像の世紀プレミアムのテーマ曲)

この曲を聴きながら産業革命に端を発する激動の近現代史は僅か100年間に繰り広げられた歴史なのだと思うと感慨深くも、これから生じ得る時代の変化の激しさを思うと恐ろしくも感じられます。2019年1月31日(水)にNHKスペシャル「映像の世紀コンサート」が開催されますので、ご興味のある方はいかが。


加古隆クァルテット『パリは燃えているか [Takashi Kako Quartet / Is Paris Burning]』

♬ シェーンベルク作曲「浄夜」(弦楽合奏版)

未だ調性感が残されているシェーンベルクの初期作品ですが、「クラシック音楽」(中世の調性音楽)の終焉を告げる音楽の1つとして採り上げておきます。なお、画像中央のチェック柄のワンピースを着ている女性はヒラリー・ハーンです。


Arnold Schoenberg "Verklarte Nacht" (Transfigured Night) Op. 4 for String Orchestra 

♬ シェーンベルク作曲「弦楽三重奏曲」

シェーンベルクが十二音技法を考案(発明)して「クラシック音楽」(中世の調性音楽)から「前衛音楽」(近代の無調音楽)へと羽搏きますが、その傑作品の1つを採り上げておきます。十二音技法が考案(開発)されてから約100年が経過しておりその間の現代音楽の目まぐるしい変容を顧みると、最早、十二音技法はコンテンポラリーではなく古典的な風情を湛えていると言えるかもしれません。


Trio Arkel, Die Forelle Concert, Schoenberg String Trio Op 45

  【今日のイチオシ】

エリス・マルサリス国際ジャズ・ピアノ・コンペティション第2位及び最優秀作曲賞を受賞し、また、ボストンミュージックアワード2018のジャズ・アーティスト・オブ・イヤー部門にノミネートされたジャズピアニスト・山崎梨奈さん(バークリー音大卒)の演奏をどうぞ。いま最も注目される若手ジャズピアニストの1人です...らぶ💖2019年2月11日(月祝)及び2月13日(水)山崎梨奈トリオとして凱旋ライブが開催されますので、これは聴き逃せません。


Rina Yamazaki- Cherokee

 

【プチ・パトロン募集】わくつくプロジェクト~子どもたちが音楽の"わくわく"に出会える場をつくる~

 

【CF名称】

わくつくプロジェクト~子どもたちが音楽の“わくわく”に出会える場をつくる~

【CF趣意】

子どもたちが学校の授業とは違う純粋に楽しんで貰える場所で音楽に出会うことで音楽を身近に感じてもらい“わくわく”を感じる機会を増やしたいという想いから、来年1月に椎名町子ども食堂で子どもたちに向けたミニコンサートを開催する。

【募金期限】

12月14日(金)23:00まで

【成立条件

250,000円以上(All or nothing形式)

子どもたちは人類の宝!音楽との出会いは子どもたちの一生の財産になるものです。子どもたちにを届けるためのプチ・パトロンになってみませんか...♬

様々なCFが企画されているなかで、子どもたちのための活動を標榜しているものは意外に少ないのが現状です。このCFは東京芸術劇場が管打楽器奏者のレベルアップを目的として開催している若手演奏家育成事業「芸劇ウインドオーケストラ・アカデミー」のメンバー達がこのアカデミーで学んだことをどのように活かすことができるのかということを考える過程でNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」の存在を知り、その活動趣旨に賛同して生まれた企画だそうですが、その心意気(粋)に触発されて1人でも多くの方々に賛同して頂きたいという思いに至りピックアップすることにしました。

自戒の念を込めてコンクールの華やかさに浮かれ、その順位のみに注目して熱狂している現代の観客(消費者)の責任が大きいと思いますが、単に技芸を磨き、競うだけでは実に薄っぺらい芸術文化しか次世代に残せないことになってしまいます。芸術文化の趣味や態様は時代と共に移ろうものですが、芸術文化とは何なのかという原点を見詰め直し、現代の我々がどのように芸術文化を育み、何を次世代に残し得るのかを考え直す契機とする意味でも非常に有意義な取組みだと思います。

師走を迎えて何かと物入りだとは思いますが、僅かな金額でも多くの方々による支援の積み重ねが大きな力になり得ると思いますので、是非、心ある方の賛同、ご支援をお願い致します。


Mozart:Fantasia for Mechanical Organ, K.608 モーツァルト:自動オルガンのための幻想曲

シネマ歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」

来る3月21日(321)は春分の日で祝日(自然を讃え、生物を慈しむ日)。丁度、この日はバッハの誕生日で、しかも今年はバッハ、ヘンデルスカルラッティ生誕333年目(色々な意味で三位一体!)なので、全国で様々なイベントが目白押しです(この日、磯山雅さんのブログが更新されないことは心から残念でなりませんが…合掌)。バッハの誕生日に野暮な話題ではありますが、春分の日が彼岸の中日(先祖を供養する日)であることに因んで…バッハは肖像画を見てもメタボ体型であったことが分かりますが、実際も大食漢であったという記録が残されています。晩年、バッハは脳卒中を発症し、また、白内障を罹患して視力が衰えていたことは知られていますが(バッハの直接の死因は白内障の手術失敗と言われており、この手術を執刀した世界的に著名なヤブ医者ジョン・テイラーヘンデル白内障の手術にも失敗してその翌年にヘンデルが他界していますので、次々と偉大な音楽家の寿命を縮めた名うての音楽家キラーと言える存在です。)、これらの特徴的な症状からバッハは糖尿病(食事で作られるブドウ糖によって血管が詰まり脳卒中白内障等の合併症を発症する病)であった可能性が高いことが指摘されています。一般に、糖尿病は生活習慣(高カロリー・高糖質の食生活や運動不足など)によって罹患すると言われていますが、そのためにフーガの技法を含む晩年の傑作が損なわれてしまったという恨みが残ります。正月のブログ記事にも書きましたが、日本では明治維新に伴う和製洋食の誕生と高度経済成長に伴う飽食の時代を迎えて、日本人は(現在では世界無形文化遺産に登録されて世界から高い評価を受けている)和食文化をあまり省みなくなり、食による身体の破壊が社会問題化するに至って「医食同源」という言葉まで生まれました。近代合理主義を背景として食の即物的な面のみに興味を惹かれて五感(味覚、視覚、嗅覚、聴覚、触覚)に訴える「消費としての食文化」だけを持て囃すのではなく、食の本来的な意義である「生命の営みとしての食文化」という文脈から日本の食文化を捉え直し、今一度、現代における食の豊かさとは何なのか日本の食文化の質を問い直す時期が来ているのではないかと感じます。因みに、来る3月20日、日本橋に食事をしながら能楽を鑑賞できる劇場型レストラン「水戯庵」がオープンします。人間国宝の能楽師、大倉源次郎さんが「古より芸と食とは切っても切れない関係にあり、芸で心を、食で身体を育む」と語っていますが、能楽の源流である申楽や田楽は生命を育む自然の恩恵への感謝(又はその生命を奪う神の威光への畏敬)を歌舞音曲で表現したものであり、「芸(藝)」という漢字の語源を紐解けば「植える」「種を撒く」という意味を持っていることからも、人々の心に何かを芽生えさせる営みに他なりません。劇場型レストラン「水戯庵」の野心的な試みは「芸で心を育む」体験を通して「食で身体を育む」意義を捉え直す契機にもなるもので、非常に興味深く感じます。

suigian.jp

さて、先日、シネマ歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」を拝見したので、自分の備忘録として簡単に感想を残しておきたいと思います。その前提として、「籠釣瓶花街酔醒」の主要登場人物である花魁八ツ橋は遊女ですが、現代の日本では「芸者」や「私娼」(但し、非合法)は存続していますが、いわゆる「遊女」は絶滅してしまいましたので(但し、遊郭が育んできた良き伝統や文化を保存する活動はあります)、この「遊女」というものをより良く理解するために、(冒頭で「芸と食」について触れましたので)今度は「芸と色」について「遊女」の発生史からごくごく簡単に触れてみたいと思います。丁度、大河ドラマ「西郷どん」で品川宿の旅籠「磯田屋」(女優の高梨臨さんが演じる“およし(源氏名ふき)”は飯盛女という設定)において薩摩藩の西郷吉之助や福井藩橋本左内らが密会するシーンが登場しますが、「北の吉原、南の品川」と言われるほどの二大歓楽街だったようです。「北の吉原」は幕府公認の遊女屋を集めた「遊郭」であったのに対し、「南の品川」は東海道の宿場町に幕府非公認の私娼屋が集まった「岡場所」で、前者は上級の武士、豪商、歌舞伎役者(西洋の貴族階級)などの遊び場、後者は中級以下の武士、商人、農民(西洋の市民階級)などの遊び場でした。この点、遊郭は、岡場所と異なって単に色事に興じるだけの場所ではなく、芸事による風流な遊びを楽しむ場所として発展しました。この背景には、武士は自由恋愛の末に好きな相手と結婚するのではなく、家同士の政略的な理由から結婚相手を決められるケースが殆どだったので、金銭的に余裕があった武士は理想の恋愛を求めて遊郭へ通ったと言われています。しかし、江戸時代後半になると武士は経済的に困窮し、岡場所だけではなく遊郭にも自由恋愛が許されていた裕福な商人等が増え始めると、遊女に理想の恋愛や高い教養等は求められなくなり、芸事が廃れて色事のみを求める風潮が生まれましたが、それでも江戸時代には現代のように女性の処女を尊重する西洋的な価値観はなく遊女を蔑視する社会的な風潮は希薄だったので、現代人が想像するほど遊女の社会的な地位は低くなかったと言われています。

f:id:bravi:20180402220950j:plain

洋の東西を問わず、芸術が発展する過程で「遊女」(前近代的な存在である「遊女」が特定の男性に性を支配されない自由な女性であったのに対し、近代的な存在である「愛人(妾)」は特定の男性に性を支配される不自由な女性で、遊女と比較すればキリスト教的な価値観に親和的)が果たしてきた役割は看過できませんので、以下では遊女の発生史について簡単に頭の中を整理しておきたいと思います。

 

歌劇「タイス」に登場するヴィーナスの巫女にして高級娼婦である舞姫タイス

能「江口」に登場する普賢菩薩の化身にして江口の遊女の霊である江口の君

 

現在、執筆中。

 

ttcg.jp

 

【題名】シネマ歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」
【脚本】河竹新七
【出演】<佐野次郎左衛門>中村勘三郎
    <八ツ橋>坂東玉三郎
    <九重>中村魁春
    <治六>中村勘九郎
    <七越>中村七之助
    <初菊>中村鶴松
    <白倉屋万八>市村家橘
    <絹商人丈助>片岡亀蔵
    <絹商人丹兵衛>片岡市蔵
    <釣鐘権八坂東弥十郎
    <おきつ>片岡秀太朗
    <立花屋長兵衛>片岡我當
    <繁山栄之丞>片岡仁左衛門
【公開】2012年
【感想】ネタバレ注意!

 歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」は三代目河竹新七の作で、江戸時代の享保年間に実際に行った事件「吉原百人斬り」を題材として戯曲化しています。下野国佐野の豪農であった佐野次郎左衛門は江戸町一丁目にあった大兵庫屋がお抱えの花魁八ツ橋に惚れ込んで通い詰めますが、花魁八ツ橋が他の客と情を通じる様子に嫉妬して籠釣瓶という銘の妖刀で花魁八ツ橋とその周囲に居た者約60名を殺傷したという事件で、歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」 の他に歌舞伎「青楼詞合鏡」や歌舞伎「杜若艶色紫」 に脚色されています。

 

籠釣瓶花街酔醒の感想を簡単に書きます。四谷怪談に登場する民谷伊右衛門の「色悪」に対し、籠釣瓶花街酔醒に登場する花魁八ツ橋は「悪女」にカテゴライズされますが、数々の歌舞伎、オペラやその他の芸術作品に描かれている「悪女」を題材に悪女論(とりわけ最もタチが悪く男をダメにする「悪女の深情け」)に簡単に触れてみたいと思います。

 

現在、執筆中。

 


シネマ歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』(かごつるべさとのえいざめ)

男達を魅了する花魁が着飾る衣装やアクセサリーは庶民の羨望の的となり、吉原が江戸時代の流行の最先端を行くファッションの発信地となりました。当時は身分の高い公家や武家のみが化粧をしていましたが、歌舞伎役者や花魁を真似て身分の低い庶民も化粧を楽しむようになり、江戸に世界初の庶民向けの化粧品店が誕生しました。やがて花魁のファッションに見られる奇抜なデザインや色彩感はジャポニズムの潮流に乗って海を渡りゴッホなど西洋の芸術家に多大なインスピレーションを与えることになりました。昨年から今年にかけて東京都美術館京都国立近代美術館等で開催されていた「ゴッホ展~巡り行く日本の夢~」ではゴッホが花魁を描いた油絵「花魁(渓斎英泉による)」(1887年、ファン・ゴッホ美術館所蔵)が展示されていましたがその代表例です。

f:id:bravi:20180215121931j:plain

  

三代目河竹新七の代表作
落語「怪談牡丹燈篭」(三遊亭圓朝)☞歌舞伎「怪談 牡丹燈篭」
能「猩々」(作者不詳)☞歌舞伎舞踊長唄「寿二人猩々」

 

現在、執筆中。

 


シネマ歌舞伎『怪談牡丹燈籠』

▼画像をクリックすると解説があります。


 裏浅草寺の古地図(黒船が来航した1853年当時)を見ると、新吉原に隣接して中村座市村座守田座河原崎座)の江戸三座の芝居小屋が並び、江戸三座の裏手には人形浄瑠璃の薩摩座や結城座が名前が見えますので、裏浅草寺は江戸民にとっての一大歓楽街であったことが分かります。また、山谷(日雇労働者が集まるドヤ街)が隣接していますが、江戸時代には会社組織がありませんでしたので必然的に日雇いで働く人の数が多く、例えば、毎朝、親方のところに出向くと初心者でも道具一式を貸し与えられて直ぐに仕事に就くことができるなど、現代の会社組織を前提とする時間労働型ではなく課題労働型(フリーランス裁量労働制)のワークスタイルが普及しており、ライフスタイルに合わせて多様な働き方が可能であった柔軟な社会であったことが伺えます。また、当時の西洋人の書物を見ると江戸には完全失業者がいないと書かれているものがありますが、ワークシェアリングが上手く機能していた社会とも言えそうです。これからAI革命の時代(シンギュラリティ)を迎えるにあたって非常に多くの仕事が人工知能に置き替わって失業する人が増えると言われていますが、この人類的な課題を克服して社会全体の調和を図る方法として山谷で育まれた江戸の知恵は1つのソリューションを示唆するものと言えるかもしれません。

 

▼おまけ
娼婦(遊女)が描かれている芸術作品として、先ずは、高級娼婦(踊り子)サティーンと青年貴族(詩人)クリスチャンの恋物語を描いたミュージカル映画の名作「ムーラン・ルージュ」をどうぞ。このミュージカルにはムーラン・ルージュのポスターを描いて有名になった画家のロートレックも登場しますが、ロートレックモンマルトルの娼婦を描いた作品を数多く残しています。


Moulin Rouge! ムーラン・ルージュ Your song japanese

ミュージカル「ムーラン・ルージュ」やその他の芸術作品の創作に影響を与えたヴェルディ―の歌劇「椿姫」をどうぞ。この歌劇の台本である小説「椿姫」は 作者のデュマ・フィスが恋仲にあった高級娼婦のデュプレシーパトロンが7人も居て音楽家のリストとも恋仲であったそうなので、数多くの男を魅惑する悪女の1人と言えるかもしれません。芸術は「良」ばかりでなく「悪」によっても育まれる1例であり、芸術文化を育むためには毒も必要ということですな。)を肺結核で亡くした経験を元に創作され、その戯曲のために画家のミュシャポスターを描いています。


Verdi, La traviata‬‬ - Preludio all'atto 1 (Sir John Eliot Gardiner)

日本でも高級娼婦である花魁を描いた歌舞伎や日本舞踊等の芸術作品は多く、そのうちの1つである日本舞踊/長唄「傾城」 をどうぞ。なお、「傾城」(けいせい)とは遊女の最高位を意味する花魁の別称で(遊女の最高位は「傾城」→「太夫」→「花魁」と呼称が変更されていますが、元禄時代の吉原に居た約3千人の遊女のうち太夫になれたのは4人だけの超エリート)、幼い頃から歌舞音曲、茶華道、和歌等の教養を仕込まれ、主君が色に溺れてくほど入れあげる才色兼備の美人を意味しています(芸は売るが色は売らないのが芸者(芸妓、舞妓)、芸も色も売るのが花魁)。花魁と遊ぶには一晩で最低でも400万円程度(+ご祝儀)は必要で、必然、大名クラスの武家、豪商や歌舞伎役者等の裕福層が主な客層であったので、これらの客を手懐ける高い教養が求められたようです。


日本舞踊_藤間流_長唄_傾城

 

◆おまけのおまけ

彼岸の中日に因んで、大切なあの人の面影に想いを寄せながら、チェット・ベイカーのアルバム「Diane」に収録されている“Every Time We Say Goodbye”をどうぞ。


Chet Baker ~ Every Time We Say Goodbye