ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)

TBS情熱大陸「東京フィルハーモニー交響楽団/コロナ禍での再出発!悩みながら前へ」

f:id:bravi:20200715175105p:plain昨夜、TBSの情熱大陸東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会再開を扱ったドキュメンタリー番組が放送されていたので、その概要を備忘録として残しておきたいと思います。日本では、以下の基準(収容人数又は収容率のうち、いずれか低い方の基準)に従って屋内でのイベント開催の制限が緩和されたことに伴って、在京のプロオケとしては初めて東フィルが6月21日(ステップ2)に観客入りの演奏会を再開しています。
 
制限緩和 収容人数 収容率
ステップ1(5月25日~) 100人以下 50%以内
ステップ2(6月19日~) 1,000人以下 50%以内
ステップ3(7月10日~) 5,000人以下 50%以内
ステップ4(8月1日~) なし 50%以内
 
f:id:bravi:20200707102345p:plain今週末にはステップ3へ進むようですが、来月、ステップ4に移行しても、当面の間(ワクチン開発まで?)は収容率50%の制限は残る予定なので、引き続き、採算面で厳しい状況が続くことに変わりなく、単に感染対策だけではなく生き残り戦略をかけたニューノーマルの模索が続くことになりそうです。このような状況のなか、千歳空港から程近い北海道白老町で7月12日にアイヌ民族をテーマとした日本初の国立博物館「ウポポイ(民族共生象徴空間)」がオープンすることになり(4月オープン予定がコロナ禍で延期)、新しい観光スポットや修学旅行先として注目を集めています。折しも、明治末期のアイヌの人々を描いたマンガ「ゴールデンカムイ」(野田サトル)が発行部数1,000万部を超える空前のヒットとなって今年10月からTVアニメ放映が決定し、また、同じく10月に北海道阿寒湖のアイヌコタンを舞台にアイヌ民族の現在を描いた映画「アイヌモシリ」(主演の下倉幹人さんはアイヌ民族の血を引く注目の新人俳優)が公開され、さらに、アイヌの人々を描いた小説「熱源」(川越宗一)が今年の直木賞を受賞するなど、かつてない温度感でアイヌ文化への関心が高まっています。ウポポイ(民族共生象徴空間)のアンバサダーを勤めている俳優・宇梶剛士さんの母・宇梶静江さんは「東京ウタリ会」(現、関東ウタリの会)や「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」(千葉県君津市)等の活動を通してアイヌ民族復権アイヌ文化の普及等に尽力し、その功績が称えられて第14回(2020年)後藤新平賞を授与された方で、宇梶さんはアイヌ文化に触れながら育った経験を活かして創作したアイヌを舞台にした演劇「永遠ノ矢=トワノアイ」(宇梶剛士)が昨年8月に成功しており、来年、北海道公演も予定されているそうなので見逃せません。先日、某大臣の失言が問題になっていましたが、日本国民(日本の国籍を有する者)は、単一の民族(独自の言語及び宗教を有し、文化の独自性を保持しているなど一定の文化的特徴を基準として区別される共同体)から構成されているのではなく、主要な民族だけを挙げても、北から順に、ウィルタ民族、ニヴフ民族、アイヌ民族大和民族琉球民族など複数の民族で構成されており、近年ではゲノム解析等によって各々の民族の特徴的傾向(形質)やその歴史的な関係性等が明らかになってきています。これらの研究結果については学術論文が一般公開されていますので、このブログでは詳しくは触れませんが、この機会に日本国民のうちアイヌ民族大和民族等との文化的特徴の異同を簡単に整理してみたいと思います。
 
◆世界を動かしたアイヌの人々の想い(最近約10年間の動き)
・2007年 9月 先住民族の権利に関する国連宣言(国連総会)
・2008年 6月 アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議
衆議院本会議、参議院本会議)
(国連人権委員会
・2014年 8月 琉球民族に関する国連勧告
(国連人種差別撤廃委員会)
衆議院内閣委員会)
※政府は尖閣諸島問題への影響を恐れての政治判断か?
・2019年 4月 アイヌ新法成立衆議院本会議、参議院本会議)
※政府はオリパラまでにウポポイ(民族共生象徴空間)を開館することで国際社会へアピールしたい思惑か?それは兎も角として、マラソンが札幌で開催されることになり国際社会の目が北海道(ウポポイやアイヌ文化など)にも注がれる機会になることは意義深い。
  
 
f:id:bravi:20200711091321p:plain日本列島が大陸と地続きであった約3万年前に南方系アジア人の古モンゴロイド(狩猟採取を行うソース顔の縄文人が移住して日本列島の全域に分布しています。その後、地殻変動地球温暖化に伴う海面上昇により日本列島が大陸から分離した後の約3千年前に北方系アジア人の新モンゴロイド水田稲作を行うしょうゆ顔の弥生人が大陸から九州、四国及び本州へ移住して古モンゴロイド縄文人)と新モンゴロイド弥生人)の混血から大和民族が生まれています。しかし、このとき北海道及び沖縄は地殻変動や海面上昇により海を隔て遠く離れていたことや北海道の寒冷な気候が水田稲作に適さなかったことなどから、これらの地域における新モンゴロイド弥生人)との混血は少なく、それぞれの地域でアイヌ民族及び琉球民族として発展しています。これにより日本には大きく3つの文化圏が誕生することになりました。日本の食卓を彩る3つの調味料は、それぞれに独自の風味があり、どれが欠けても味気ないものになります。
 
地殻変動や海面上昇が生んだ民族・文化の多様性 
民族 共通の祖先
(大陸と地続き)
+混血度
(大陸から分離)
文化 芸能人
アイヌ モンゴロイド モンゴロイド 縄文 宇梶剛士
琉球 モンゴロイド モンゴロイド 縄文 小島よしお
大和 モンゴロイド モンゴロイド 弥生 佐々木蔵之介
※ 沖縄出身の小島よしおさんの母は第2代目琉球国王尚巴志王氏の子孫だそうです。
 
f:id:bravi:20200712045743j:plain上述のとおり大和民族アイヌ民族及び琉球民族との文化的特徴の異同が生じるのは約3千年前に新モンゴロイド水田稲作を行うしょうゆ顔の弥生人)が大陸から九州、四国及び本州へ移住して水田稲作を伝えた古代(弥生時代)から中世以降であると考えられます。アイヌ民族は、自然を含む森羅万象を「カムイ」(神)として崇め、また、琉球神道は、万物にセジ(神の霊力)が宿ると考えており、森や川等の自然を神が降臨する聖地「御嶽」(ウタキ)と捉えて祭祀を執り行っていました。このようなモンゴロイドに共通して見られる自然信仰(アニミズムは、大和民族古神道(仏教伝来以前から大和民族が信仰していた神道)にも見られ(八百万の神々)、「神」(kam i)と「カムイ」(kamui)の言葉の相似性にも現れているとおり、これらの信仰には相通じる思想が息衝いていると思われます。その後、モンゴロイドにより大陸から水田稲作が伝えられると、大和民族は多人数で定住するようになって(狩猟採集は少人数で行いますが、水田稲作は多人数で協力する必要)、社会の機能化(米の備蓄による富の集中と紛争発生、紛争回避のルール整備と文字の発達等)が進み、やがて国家が形成されていきました。その後、天皇を中心とする律令国家の構築を目指していた大和政権は、中国大陸から先進の思想(宗教)として仏教(寺院、仏像を含む)が伝来すると、寺院に相当する施設として常設の神殿を持つ神社を創り、仏像に相当する信仰の拠り所として御神体としての鏡を祀ることなどによって対抗し、それまで自然信仰(アニミズム)によって祀られていた「鎮守の森」(自然、万物)は「鎮守の杜(社)」(神社、鏡)へと姿を変えて神社信仰へと変化していきました。やがて神仏習合を通して神社神道が体系化され、伊勢神宮を頂点とする中央集権的な神社制度が確立します。なお、御神体としての鏡(「かがみ」)は、「か〇み」(神)と「が」(我)から成り立っていますが、安易に神に答えを求めるのではなく、我の姿を鏡に映すことで我と向き合って答えを見出すという仏教の悟りに近い考え方が採り入れられますが(和漢折衷)、その思想は剣道、柔道、華道、茶道、香道等の伝統文化にも貫かれています。時代は下って、明治政府は、近代化政策の一環として近世的な社会秩序を構成していた仏教勢力を弱体化させるために神仏分離及び廃物毀釈を推進すると共に、アイヌ民族及び琉球民族に対する同化政策としてアイヌ語ではなく日本語の使用を強い、御嶽に鳥居を設置したことなどにより、アイヌ及び琉球の独自の文化は衰退していきます。やがて神社神道は政治利用されるようになり、天皇や国家を祀る国家神道へと変容していきます。このように古代から中世(神仏習合によって東洋の先進思想に対抗)、近世から近代(神仏分離によって西洋の先進思想に対抗)への時代の転換期に神道が政治利用されてきた歴史がありますが、最近の自然災害(豪雨、森林火災や感染症等)を見るにつけて、明治政府の近代化政策により西洋から輸入された近代合理主義や人間中心主義的な考え方は行き詰まりを見せており、再び、カムイ、琉球神道古神道等に息衝いている自然と人間の共生を重視する自然信仰(アニミズム)の思想に立ち返って、自然と人間の関係性(将来の都市設計や生活様式等を含む。)を考え直してみる時機が来ているのかもしれず(最近の古代史ブームはこのような時代が求めるものを鋭敏に感じ取ったもの)、その意味でウポポイ(民族共生象徴空間)は民族共生のみならず、自然共生というもう1つ大きなテーマを内包しているのではないかと感じます。
  
◉宗教に見る文化的特徴の異同  
分類 種類
古代 中世以降
教義なし
(道=実践)
行いの宗教
(※)
カムイ
琉球神道
古神道 神社神道
教義あり
(教=言葉)
悟りの宗教
(内発的)
仏教
救いの宗教
(外発的)
キリスト教
※教義や教典がないので厳密には宗教ではありませんが、便宜上、宗教と記載しています。
 
f:id:bravi:20200712210850p:plainウポポイとは、アイヌ語で「大勢で歌う」という意味がありますが、現在、我々が日常的に使用している日本語の中にもアイヌ語が使用されており、例えば、ファッション雑誌「non-no」(ノンノ)アイヌ語で「花」を表す言葉ですし、また、サッポロビールアイヌ語で「乾いた大きな川」を表す言葉で、喉を鳴らしながら一気に飲み干すビールのイメージ(日本語の「乾杯」も杯を飲み干すという意味)にピッタリのネーミングです。なお、この機会に、サッポロビールでは「サッポロ クラシック UPOPOY(ウポポイ)オープン記念缶」を発売したようです。それ以外にも、北海道の特産品である鮭、昆布、シシャモ、ホッキ貝や、北海道に生息するラッコ、オットセイ、トナカイなど、我々が愛してやまない食材や動物にもアイヌ語が使用されています。ところで、アイヌ語には文字がありませんが(無文字文化)、中国大陸から漢字が伝わる前の日本語と同様に口承のみによって文化が伝承されてきました。この点、上述したとおりアイヌ民族の自然信仰(カムイ)には教義(言葉)がなく、また、アイヌ民族は少人数で行える狩猟採集を生活の基盤として少人数で構成される村(コタン)を形成して暮らしていたことから、少人数とのコミュニケーションに適している対話の文化(チャランゲ)が発達し、文字を持たない聴覚文化が発展しました。一方、大和民族の自然信仰(神道)にも教義(言葉)はありませんでしたが、中国大陸から伝来した仏教には教義(言葉)があり、また、大和民族は多人数が協力して行う水田稲作を生活の基盤として多人数で構成される大規模な集落(国)を形成して暮らしていたことから、多人数とのコミュニケーションに適している文字の文化が発達する素地があったことに加えて、中国大陸から漢字が流入し、その後、遣唐使の廃止によってより平易な仮名文字が発明されたことで文字を持つ視覚文化が急速に発展し、アイヌ民族大和民族の間で文化的特徴に顕著な差異を生じています。なお、聴覚文化(対話の文化)の伝承は記憶の承継に頼らざるを得ないことから、対話者の記憶に留まり易い「話し方」や「語り方」が発達することになり(カムイへ語り聞かせる神謡など人々の記憶に残して子孫へ承継すべき語りには特有の節(旋律)が付けられますが、これはウポポ(歌)とは区別されているようです。)、アイヌでも多くの口承文学(ユカラ)が生まれています。しかし、明治政府の同化政策によってアイヌ語ではなく日本語の使用を強いられたことで、口承文学(ユカラ)を含むアイヌ文化は急速に衰退することになり、大正時代、この状況を憂慮した言語学者金田一京助さんの支援でアイヌ民族の知里幸恵さん)がアイヌの神謡(アイヌユカラ)を日本語におこして「アイヌ神謡集」を出版しています。その序文が心を打つ素晴らしい文章なので、以下に全文を引用しておきます。僕が長々とくだらない御託を並べるよりも、この序文を一読するだけでアイヌ民族について理解や共感が深まると思います。自然をこよなく愛し、大切な人達と囲炉裏を囲んで物語り、実に豊かな詩情を湛えた心根の美しい民族の姿が浮かび上がってきます。是非、知里幸恵さんの心をより多くの人に知って貰うために、その生涯を映画、ドラマ又は舞台にして欲しいと願ってやみません。なお、「ウポポイ(民族共生象徴空間)」の近くに「知里幸恵 銀のしずく記念館」がありますので、是非、お立ち寄り下さい。銀のしずく降る降るまわりに、金のしずく降る降るまわりに・・・・。
 
アイヌ神謡集の序文
その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鷗の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀ずる小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。平和の境、それも今は昔、夢は破れ破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。けれど・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました。私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。
大正十一年三月一日 知里 幸惠
 
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上述のとおりアイヌでは文字を持たない聴覚文化(外向的)が発展しましたが、アイヌでは文字だけではなく絵を描く習慣もなく、アイヌ語には絵を意味する言葉がありませんでした。この点、アイヌでは写実的に描かれた絵には悪霊が祟る(即ち、自然を写しとることで、そこに潜む悪霊まで招き寄せてしまう)と考えられており、絵の代りに悪霊の祟りを除けるためのデザインとしてのアイヌ文様(悪霊の目を回す「モレウ」(渦巻)、悪霊を刺す「アイウシ」(棘)、これらの組み合わせた悪霊を寄せ付けないように見張る「シク」(目)から構成される幾何学的な模様)を着物に刺繍して身を守っていたと言われています。この点、縄文土器の模様は実用的ではない複雑なものが多いですが、これは縄文人が動物の命を奪う狩猟採取を中心とする生活なので、日々、それら動物の霊を送る(鎮める)ための呪術を目的した複雑な模様(感性的なデザイン)が施され、そこからアイヌ文様も派生したのではないかと思われます。非常にデザイン性に優れており、モダンデザインに通用する新しさを感じます。また、これは尾形光琳「紅白梅林図屏風」の流水紋等にも、その面影が感じられます。これに対し、弥生人水田稲作を中心とする生活なので、呪術を目的とする必要はなく、質素で実用的な模様(機能的なデザイン)が施されるようになったのではないかと思います。一方、視覚文化(内向的)を発展させた大和や琉球では常に中国大陸の影響を受けながら日本画琉球絵画が発展しますが、いずれも陰影がなく写実性を追わない画風はアイヌが写実的に描かれた絵を忌避していた文化的特徴と類似しています。但し、その理由はアイヌとは異なり、自分と向き合って悟りを開く仏教文化の影響を受けている為か、自分の外界にあるものを描き写すことに関心は向けられておらず、自分の心と向き合いながら自分の外界にあるものの中に何を見ているのかその心象風景を描くことに関心が向けられていた為ではないかと思われます。例えば、有名な葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」は、波の伊八の欄間彫刻「波と宝珠」(大波に翻弄される宝珠=人間の魂)をパロッたもので、これにインスピレーションを受けたドビュッシーが交響詩「海」を作曲しているという曰く付きの絵ですが、大波(運命)に翻弄される水夫達の鬼気迫る喧騒と、その大自然に翻弄される人間の姿を悠久の時間の中で見守ってきた悠然たる富士山の静寂とが対比されることで、大自然を前にした人間の無力さ、儚さや無常観のようなものが絵に描き込まれているのではないかと思います。ここでは大波、水夫達や富士山を写実的に描き写すことに関心は向けられておらず、それらに何を見ているのか葛飾北斎の心象風景に関心が向けられており、そこにこの絵の面白さがあるのではないかと思います。なお、アイヌ絵(以下の画像)と言われる絵がありますが、これは大和民族アイヌ民族の生活風俗等を描いた絵のことで、大和民族が見たアイヌ民族の姿をそのまま描いたものではなく、大和民族が見たいと思うアイヌ民族のイメージが描かれたものなので、アイヌ民族の生活風俗等を正しく描き写しているものではありませんが、アイヌ民族の生活風俗を知る手掛りにはなり得るものではないかと思います。
 
小玉貞良作「アイヌ釣魚之図」天理大学附属天理図書館所蔵):小玉貞良は、1700年代前半(江戸時代中期)に松前藩で活躍した狩野派の流れを汲む絵師で、アイヌ絵の先駆者として知られる人物です。
 
f:id:bravi:20200712213919j:plain2009年、ウポポ(歌)及びリムセ(舞踊)から構成される「アイヌ古式舞踊」がユネスコ無形文化財に登録されました。上述したとおりアイヌでは聴覚文化(対話の文化)が発達したことから、ウポポ(歌)やアイヌ民族の伝統楽器の演奏では楽譜を使用せず(口承音楽)、リムセ(舞踊)に合せて音高、音色(発声の仕方)やリズム等を自由に組み合わせながら歌い又は演奏されてきました。その一方、上述したとおり大和では中国大陸から伝来した仏教の教義(言葉)があり、また、多人数が協力して行う水田稲作を生活の基盤として大規模な集落(国)を形成し、多人数とのコミュニケーションに適している文字の文化が発達する素地があったことに加えて、中国大陸から漢字が流入し仮名文字も発明されたことで視覚文化(文字の文化)が急速に発展しました。このような背景もあって、能楽謡曲)では詞章に節づけされた謡本(台本、楽譜)が誕生しますが、ウポポ(歌)と同様に、音高、音色(発声の仕方)やリズム等に及ぶ指示はなく、各々の能楽師の自由に委ねられており、その意味でアイヌ古式舞踊と能楽の文化的特徴には類似性が見られます。この点、謡本(台本、楽譜)がありながら、何故、節以外の音高、音色(発声の仕方)やリズム等に及ぶ指示が行われないのか疑問が残りますが、アイヌ民族及び大和民族に共通する自然信仰(アニミズム)の思想が影響しているのではないかと思われます。自然信仰(アニミズム)は、人間に都合が良いように自然をコントロールするという人間中心主義的な思想ではなく、人間は自然の一部であり自然に対する畏敬の念を持ち自然と調和することが重要であるという自然尊重主義的な思想が根底にあり、西洋のように人間は神から選ばれた自然の支配者であるという一神教的な考え方のもと音高、音色やリズム等を人間がコントロールし易いように人工的に加工し(皆が外部から与えられた共通の規範(教義)を守るという思想性)、人間が均質な発声で音高変化を明確にすること(即ち、讃美歌で歌う聖書の言葉を聞き取り易くすることなど)に価値を求めるのではなく、音高、音色やリズム等を人間がコントロールし易いように人工的に加工することなく自然の秩序に委ねて自然と調和し(個人が自然と向き合いながら自然や自己と折り合いをつける独自の術(信仰、悟り)を獲得するという思想)、自然と共鳴する精妙な音楽を奏でることに価値を見出だしてきました。例えば、能楽では、各々の能楽師が自ら発声できる音域で謡うことを基本とし(鳥の声と同様に人間の声も自然の楽器)、能楽囃子は自然の音を模倣するために敢えて音程が不安定になるように設計されており、また、メトロノームが刻む人工の時間ではなく自然の呼吸が刻む時間の揺らぎを感じながら、一期一会(唯一無二)の音楽を奏でることを重視しています。「一得一失」(漢書)という言葉があるとおり、これは西洋の音楽と日本の音楽の優劣の問題ではなく、それぞれに良し悪しがある多様性の問題であり、選択の問題であって、そのいずれもが我々の人生を豊かなものにしてくれる大切なものだと思います。なお、作曲家・伊福部昭さんがアイヌ音楽に関する本格的な論考をホームページに掲載されており、大変に参考になります。
 
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f:id:bravi:20200715102513p:plain上記で記載したことは舞踊にも言えます。先日のブログ記事で書いたとおり、舞踊(ダンス)は、自然信仰(アニミズム)を背景として人ならぬ者との交流を試みるために肉体を使って行われてきた宗教的なパフォーマンが起源と言われており、日本では「舞」のことを「神迎え」「踊り」のことを「神(霊)送り」と解しています。これに対し、西洋(キリスト教圏)では聖書に書かれた神の言葉(ロゴス)を信仰の拠り所として精神で肉体をコントロールすること(理性)が重んじられ、肉体的な興奮を喚起し、人々を狂気(トランス)させるようなリズムの使用やアニミズムの実践(霊媒、占い等)を禁じてきました。この点、アイヌ古式舞踊のリムセ(舞踊)には、イオマンテ(熊の霊(カムイ)を天国へと送る(「神(霊)送り」)ための「踊り」)などがあり、また、能楽では、巫女が依代や神座の周囲を回りながら徐々に神懸り(神迎え)して行く呪術的な舞を採り入れており(能舞台の鏡板の松、橋掛りの松、本舞台の4本の柱はいずれも神の依代であり、シテがこれらの周囲を回りながら人ならぬ者が顕在(「神迎え」)する「舞」)、これらには自然信仰(アニミズム)や(能楽では)仏教の影響等がみられます。また、チカプウポポ(鶴の舞)は、丹頂鶴が羽を広げて舞う優美な姿を模擬したものですが、能楽も物真似芸として発展しており(能楽の前身である猿楽のネーミングはその名残り)、やはり自然信仰(アニミズム)や(能楽では)仏教に息衝く自然に対する畏敬の念を持ち自然を模倣することで自然と調和(同化)しようとする思想の影響が色濃く感じられます。 
 
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1987年、川上まつ子さん(北海道沙流郡平取町出身)がアイヌ民族博物館で収録した音源をアップしておきます。このような貴重な音源が残されていることを心から感謝します。川上まつ子さんは祖母のウワルスッさんからアイヌ語アイヌ文化を承継し、この年代の方の中では格段にアイヌ語が堪能であったそうです。これが本当のウポポ(アイヌ語)の響きなんですね。一聴するだけで、その独特な響きの虜となります。明治政府の同化政策によってアイヌ民族からアイヌ語を奪ったことが、アイヌ文化の急速な衰退につながったことが肌感覚で理解できます。なお、アイヌ語資料の公開プロジェクトという興味深いWEBサイトも公開されています。
 
f:id:bravi:20200713160415p:plain北海道の郷土料理「三平汁」や「石狩鍋」のルーツはアイヌ料理のオハウと言われています。北海道で本場の味を楽しむのが一番ですが(新千歳空港ターミナルにある土産店「アイヌモシリ三光」もお勧めです。)、コロナ禍で遠出は控えたいという方も、オハウのレトルトパックが販売われており、また、アイヌ料理のレシピも紹介されていますので、自宅でアイヌ料理を楽しむことも可能です。また、東京でアイヌ料理を食べさせてくれる店「ハルコロ」(新大久保)も有名です。店名は、アイヌ人女性の生涯を描いたマンガ「ハルコロ」(石坂啓)から命名されたそうで、アイヌ語で満腹や飽食という意味です。さらに、アイヌ伝統のお酒「カムイトノト」が復刻し、オンラインで入手可能です。なお、紙片の都合からアイヌ文化の具体的な内容まで十分に踏み込めませんでしたので、ご興味のある方は以下の書籍をご参照下さい。ビジュアル&コンパクトにまとめられており入門用としてお勧めです。また、こちらも紙片の都合から紹介できませんでしたが、オホーツク文化圏に属する少数民族ウィルタ民族やニヴフ民族の文化について紹介している北海道立北方民族博物館にも足を伸ばされることをお勧めします。近くには北海道ならではの本場のトナカイに触れられるスポットもあります。
 
 
 
f:id:bravi:20200715173153j:plainさて、本題に戻ってTV番組の内容に簡単に触れてみたいと思います。東フィルは、今回(第一波)のコロナ禍で130回の演奏会が中止されて億単位の損失が生じたそうですが、在京のプロオケとしては初めて6月21日にオーチャードホール(渋谷)で観客入りの演奏会が4ケ月振りに再開されました。オーチャードホールの客席数は2,150席なので、上記の基準(ステップ2)に照らせば1,000名まで観客を収容しても問題がありませんが(但し、当面、収容率を50%以下に抑える必要があるので、オーチャードホールではステップ3、ステップ4に移行しても、1,000名以下に観客数を制限しなければなりません)、東フィルは絶対に演奏会で感染者を出さないという意気込みのもと約30%(約650名)まで観客数を減らして演奏会を再開することにしたそうです。しかし、演奏会の運営費の約80%はチケット代で賄われているので、興行収益は赤字(演奏会を開催しても財務状況が悪化してしまう状態)に陥ってしまいます。東フィルでは、感染対策の観点から、通常の演奏会の1/3程度の演奏時間となるように演目数を減らし(交響曲なら1曲程度)、かつ、オーケストラの編成も約10人削減して総数約70人としたそうですが、もともと当日の演目であったドボルザーク交響曲第9番は2管編成 +αが標準的な編成なので、3管編成に近い70人が乗っていたのであれば、それほどオーケストラの編成には変更を加えず(即ち、ホールの大きさは変えられないので、音を犠牲にしないよう)に演奏会に踏み切られたのではないかと思います。それでも楽団員間のソーシャル・ディスタンスを確保するためにステージを目一杯使用し、弦楽器、木管楽器及び打楽器は1.5m、金管楽器は2mの間隔をとって配置すると共に、金管楽器奏者の間は透明のフィルターで遮るなどの感染対策(ベルから縦方向に拡散する飛散は殆ど確認されませんが、マウスピースと唇の隙間や鼻から横方向に拡散する飛沫に対する対策)が講じられましたが、オーケストラの配置は音響に大きな影響を与えますので、感染対策と音響対策を両天秤にかけた試行錯誤を繰り返している姿に、現在のオーケストラが置かれている苦境(音楽面、経営面、健康面)がTV画面からもヒシヒシと伝わってくるようでした。オーボエ奏者の杉本真木さんが自粛期間中に閲覧したインターネットで「日本にはオーケストラが多過ぎるのでこれでつぶれるくらいがちょうどいい」や「音楽なんてそもそも重要じゃない」という心ない書込みが目に入り落ち込んだと仰っていましたが、「人の心に直接働きかける仕事だという自負を持っている」と自らの信条を吐露されていた姿が印象的でした。おそらく情操が貧しい者(情操が豊か否かは年齢の問題ではなく、若年であれ、中高年であれ、年齢とは関係ない個々人の感受性や心根の問題)の書込みなのだろうと思いますが、先日のブログ記事でも書いたとおり、文化芸術(音楽を含む)は人間が尊厳を持って自分らしく生きることができる社会を実現するために必要不可欠なもの(文化芸術基本法の精神)であって、より多くの喜びを人生に見出すために豊かな情操を育みたいと願う数多くの人間にとって文化芸術(音楽を含む)が衰退してしまった社会は生き甲斐を見出し難い実に味気ないものであり、その意味で文化芸術は「生命維持に必要」(メルケル首相)なものだと痛感します。自粛期間中、東フィルの団員は人前で弾けないジレンマ(表現者の本性)を抱えながら忸怩たる思いで過ごしていたようですが、ヴィオラ首席奏者の須田祥子さんは自主製作CD「びおらざんまい」を録音し、また、コンサートマスター近藤薫さんはジュニアオケを卒団する子供達のためにリモートオーケストラ演奏会を開催するなど、音楽の灯を絶やさないための精力的な活動に取り組まれていたことなどが紹介されており、非常に心強く勇気付けられました。現在、イタリアのオペラ公演では屋外劇場で歌手がマスクを着用して歌っているそうですが、日本の能楽公演でも能面を被らない地謡がマスクを着用して歌うという感染対策が講じられています。また、日本の歌舞伎公演では芝居にテンポを生んで粋に盛り上げる大向こうの掛け声を禁止するという苦渋の感染対策が講じられていますが、ハイブリット公演(オンサイトによるライブ公演と、オフサイトによるライブ公演のオンライン有料配信の同時開催)と併せて、様々な犠牲を強いられながらも生き残りを掛けたニューノーマルの模索が続けられています。
 
びおらざんまい

びおらざんまい

  • アーティスト:SDA48
  • 発売日: 2020/06/03
  • メディア: CD
 
 
アイヌ民族に関連する音楽
現在、アンドレア・バッティストーニ指揮@東京フィルハーモニー交響楽団が取り組んでいるプロジェクト「BEYOND THE STANDARD」では、日本人作曲家の作品をレコーディングしていますが、その第一弾としてシンフォニア・タプラーカがリリースされています。曲名の「タプカーラ」はアイヌ語で「立って踊る」という意味で、作曲家・伊福部昭さんが少年期に交流したアイヌ民族へのオマージュとして作曲したクラシック音楽作品です。この作品には伊福部昭さんのアイヌに対する郷愁と共にアイヌの自然や音楽(リズム)が息衝いています。バッティストーニ@東フィルによる作品への共感溢れる名演(タプカーラ/01:40~)でお楽しみ下さい。
 
安東ウメ子「Spirits From Ainu」より「BEKANBE UK」(菱の実採りの歌・座り歌)
ムックリ口琴)やウポポ(歌)などアイヌ音楽の名主として知られる安東ウメ子さんの代表作の1つですが、アイヌの自然に抱かれているようなフィーリングで心が整えられます。なお、「あはがり」で一世を風靡した朝崎郁恵さんが安東ウメ子さんと共演したことを契機としてアイヌ音楽と奄美民謡のコラボレーション・プロジェクト「Amamiaynu」を立ち上げて精力的に活動されています。アイヌ民族琉球民族は共通の祖先・古モンゴロイド縄文人)の血を色濃く受け継ぐ民族なので、お互いに深く共鳴し合うものがあるのかもしれませんが、民族の多様性が育む豊かな文化とそれらの文化が交錯して新しいものが生まれる創造のダイナミズムに触れているような思いに駆られて興奮を禁じ得ません。コロナ禍でも、やはり世の中は面白い。
 
アイヌ民族に関連する映画
アイヌ民族として生まれ、アイヌ民族として育ち、アイヌ民族として生きる浦川治造さん(俳優・宇梶剛士さんの叔父)の生き様を通して、アイヌ民族に受け継がれてきた心を現代に伝えるドキュメンタリー映画のPVです。現在、上映している映画館がなく、TUTAYAも扱っていないようなので、コロナ禍も踏まえて、NHKやCATVへ放映をリクエストしています。
 
現在、首都圏には5千~1万人のアイヌ民族が暮らしているそうですが、それらの方々がどのような想いを抱いて暮らしているのかをインタビューを交えながら綴ったドキュメンタリー映画のPVです。上記のドキュメンタリー映画と同様にNHKやCATVへ放映をリクエストしています。

【訃報】作曲家&ピアニストのニコライ・カプースチン

7月2日、8つの演奏会用練習曲などジャジーな超絶技巧曲で人気を博した作曲家&ピアニストのニコライ・カプースチンが亡くなりました。僕がカプースチンの曲を初めて聴いたのは、2008年8月にカワイ表参道コンサートサロン「パウゼ」における「カプースチンの饗宴」と題する演奏会でしたが、当時、カプースチンの曲が演奏会で採り上げられる機会は皆無に等しく(その意味で、パウゼでは非常に意欲的で面白い企画の演奏会が開催されることが多く)、これまでに聴いたことがない全く新しい音楽に接した興奮が鮮やかに蘇ってきます。爾来、クラヲタの悲しいサガとして、ピアノの鉄人・アムランの音盤(この人なかりせば今日のカプースチン人気はなかったと言っても過言ではない)、カプースチンの自作自演盤やレアな輸入盤などを貪欲に蒐集する羽目になりましたが、その後、カプースチン弾きの川上昌裕さんによる世界初録音などがリリースされるようになり、それに伴って演奏会で採り上げられる機会も増えてきたことを頼もしく感じていました(上記の演奏会のピアニストが演奏前のMCで上手く演奏できるか分からないと素直な心境を吐露していましたが、当時、アムラン等の一部の凄腕を除いてカプースチンの難曲を弾き熟せる人はいなかったと思います)。来月には、輸入盤を含めても非常に珍しい録音「チェロ協奏曲第1番」がリリースされるなど、いよいよ、これからカプースチンの楽曲の真価が広く認識、評価されて本格的な脚光を浴びようという矢先の訃報に接し、本当に残念でなりません。
 
カプースチン ピアノ音楽の新たな扉を開く

カプースチン ピアノ音楽の新たな扉を開く

  • 作者:川上 昌裕
  • 発売日: 2018/08/26
  • メディア: 単行本
 
予てから、個人的に、今日のクラシック音楽界の低迷傾向(演奏会場への来場者数は微増しているように見えても先行きの展望が開けない閉塞感なようなもの)は、産業革命によって作曲家と演奏家の分化が進んでしまったことに遠因しているのではないかと感じることがありますが、カプースチンは作曲家としてもピアニストとしても超一流の芸術家であるという意味で、現代においては稀有な才能ですし(一時はジャズピアニストとしても活躍)、これからのクラシック音楽界の可能性を示唆する存在としても注目していましたので、返す返すも残念です。衷心より、ご冥福をお祈り致します。
 
最後に、ピティナ・ピアノ曲事典に掲載されている動画なので適正に著作権処理が行われていると思いますが、カプースチンの代表作である8つの演奏会用エチュードOp.40から第1番前奏曲をアップしておきます。

にっぽん!歴史鑑定「室町殿と観阿弥・世阿弥」(BS-TBS)

14世紀にヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)は大理石の発掘で有名な大理国(現、中国雲南省)で発生したペスト菌モンゴル帝国の西征によってヨーロッパへ持ち込まれ、シルクロードの玄関口であるイタリアから感染が拡大したと言われていますが、(未だCOVID-19の発生源は特定されていませんので根拠なき憶測や感情的な言動は厳に慎まなければなりませんが)COVID-19も一帯一路構想によって中国との経済的な結び付きが強くなっていたイタリアから感染が拡大したと言われていますので、国境を越えて人の移動が活発になり、ある国で発生又は繁殖した菌やウィルス等の微生物が全く風土や食文化等が異なる外国へ運ばれることで、それらに対する免疫力が相対的に弱い外国人に深刻な被害をもたらすという構図があるかもしれません。現在の地球環境は、微生物が光合成によって酸素を作り出すなど地球の環境や気候を大きく変化させてきましたが、COVID-19の感染拡大は不自然に地球環境を破壊し、自然秩序を乱してきた人類に対する微生物からのシッペ返し(自然秩序を回復しようとする力)と言えるもしれません。
 
遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ
 
昔の日本人は、歌を詠み、茶を点て、花を活け、香を聞き、禅を組み、経を写すなど、様々な遊び方や心を整える術に恵まれていましたが、今回の自粛生活では、それなりに人生経験を積んできたつもりになっているだけで、すっかり文明社会に溺れて「遊び」を心得ていない心細い自分を発見しては打ちのめされる日々の連続でした。そろそろ髭に白いものが混じろうという年齢になっても、自分で自分を楽しませることすら侭なりません(トホホ)。さて、上記の歌が収められている梁塵秘抄は、平安末期の遊女、傀儡子や白拍子等の女芸人によって歌われた流行歌(「今様」)を後白河上皇が編纂した歌謡集で、後白河上皇自身も女芸人に弟子入りして今様を習得するというご執心振りだったと言われています。吉田兼好は「梁塵秘抄郢曲の言葉こそ、又あはれなる事は多かめれ」(徒然草)と書き残しており、その歌(言葉)にはしみじみとした情趣が感じられるものだと目を細めています。また、紫式部は「琴、笛の音などには、たどたどしき若人たちの、読経あらそひ、今様歌どもも、所につけてはをかしかりけり」(紫式部日記)と書き残しており、今様が庶民だけの「遊び」ではなく貴族の「遊び」としても流行していたことを物語っています。
 
 
ホイジンガの古典的な名著「ホモ・ルーデンス」は、人間の文化は「遊び」の中から生まれ、「遊び」こそ人間活動の本質であることを多面的に考察し、その「遊び」を生む創造力が芸術の源泉になっていると説いています。この古典的な名著は1938年に出版されたものですが、梁塵秘抄は1180年頃に編纂されたと言われていますので、ホイジンガが「遊び」の本質を説く約750年も前に名もない女芸人が言葉少なく「遊び」の本質を歌に込めていたことになります。ホイジンガは、近現代の大衆文化が商業主義と不可分一体の関係で支えられ、自己利益の追求が強く意識された結果、合理主義や効率主義が持て囃されて「遊び」を生み難い風潮が生まれていることを嘆いています。コロナ禍の日本でも、恐怖や不安、社会的な抑圧から生まれるストレスなど心の始末の仕方を知らない未熟な大人達が、自粛警察やDV等という形でやり場のない感情を(違法又は不適切な方法で)他人にぶつける醜態を演じていますが、その背景には、心のバランスを保ってきた「遊び」の文化が廃れ、寛容な精神を育む知恵を失ってしまった現代人の脆さのようなものが露呈しているように感じられ、寂しくもあります。
 
 
さて、本題ですが、疫病と能楽の関係について簡単に触れたうえで、僕の先祖が観阿弥世阿弥と関係がありますので、少々、観世氏の出自と能楽の歴史に触れながら、にっぽん!歴史鑑定「室町殿と観阿弥世阿弥」(BS-TBS)の番組内容について備忘録を残しておきたいと思います。
 
①疫病と能舞台
能舞台は、疫病の流行と密接に関係しながら発達しました。例えば、能舞台の鏡板に描かれている松の絵は、春日大社の「影向の松」をモデルとしていますが、昔、疫病が流行したときに、春日大明神が春日大社の「影向の松」を依り代として降臨し疫病を退散させるために翁の姿で万歳楽を舞ったという伝承があり、以後、春日大社を参詣する芸能者は「影向の松」の前で一芸を奉納する風習が生まれます。この風習に倣って能舞台の鏡板に松の絵が描かれていますが、松の絵に向かって能楽を披露すると観客に背を向ける格好になってしまうので、客席に松を拝んで、その松が能舞台の背板に鏡映されているという設えになっており、そこから鏡板と命名されています。能舞台には、能楽が疫病退散を寿ぐ芸能として機能し、発展してきた名残が見てとれます。その実例として、能「皇帝」では、疫病を患う楊貴妃のもとに神霊が現れて病鬼を退治し、御代の長久を言祝ぐという内容になっています。この点、前回の記事で、「人の目には見えない疫病に鬼の姿(邪悪なるもののメタファー)を与えて可視化することで・・(中略)・・いつか神仏のご加護(救い)がもたらされるという共同幻想を抱き易くなり、社会不安を和らげる機能を果たした」と書きましたが、能舞台は現世と異界とを橋掛りで結ぶ仮想空間を設え、そこに目に見えない疫病が鬼に化体した姿を顕在させて、これを鎮め又は退治するための「遊び」の装置として機能し、疫病を荒ぶる神(疫病神)として祀るだけではなく、それを文化芸術(より創造的な精神活動)へ昇華して社会の中に取り込むことで、人々が冷静に疫病や死と向き合う機会を日常的に与え、その「恐れ」(逃げること)を克服して「畏れ」(向き合うこと)に転じることができる心を養うという重要な社会インフラとしての役割も担ってきたのではないかと思います。この点、武士の芸能である能楽だけではなく、庶民の芸能である歌舞伎等でも疫病と向き合う小粋な知恵が息衝いてきました。今年、十三代目市川團十郎が襲名されましたが、代々、市川團十郎不動明王に扮する「神霊事」を得意芸とし、成田不動尊への敬虔な信仰から市川團十郎には霊力が宿っていると崇められ、「不動の見得」は眼力ひとつで邪気を払い、観客の無病息災が約束されると信じられてきました。このように歌舞伎見物は疫病退散という御利益までついてくる目出度いものであると人気を博し、疫病に対する社会不安を和らげる機能も担ってきたと考えられます。また、1889年に流行したインフルエンザは、歌舞伎の演目「新版歌祭文」に登場する商家の娘・お染が丁稚・久松にすぐ惚れることに準えて、すぐ伝染する「お染風邪」と呼ばれるようになり、家の軒先に「久松留守」と書かれたお札を貼って伝染しないように願を掛けたと言われていますが(この洒落た話は、後世、大工と借金取りに姿を変えて「お染め風邪久松留守」という喜劇作品になっています)、医学が発達していない時代に、このような洒落れた「遊び」で疫病への恐れを克服していたのではないかと思われます。また、歌舞伎見物以外にも庶民の楽しみの1つとして、新コロの影響で今年中止になった墨田川の花火大会は1732年に流行した疫病で亡くなった人々の慰霊と疫病退散を依願する目的で始められたものですが、このような「遊び」が疫病によって人々の心まで蝕まれてしまうことを防ぐ社会のワクチンとして重要な役割を担ってきたのではないかと思われます。

  
能楽の歴史(伝統と革新) 
1333年(元弘3年)、観阿弥こと服部(三郎)清次は、伊賀国・服部元就と楠木正成の妹・卯木との間に誕生し、その後、山田猿楽・美濃大夫の養子となって猿楽を承継します。因みに、僕の先祖も楠木氏の血を引いていますので、観阿弥世阿弥とは同じDNAを分けた同根同祖の間柄というのが飲み屋の語り草です。・・・(閑話休題)・・・観阿弥は、当時、乞食の所行と蔑まされていた猿楽の地位を向上することに苦心し、メロディーが中心だった「猿楽」に、拍子の面白さに特徴がある「曲舞」(「今様」から発展した歌謡で、現代のラップ音楽に近い性格のもの)を組み合わせて革新的な改良を加えています。1363年、観阿弥の子・世阿弥が誕生し(鹿島建設元会長・鹿島守之助さんは観阿弥の妻の実家の末裔)、1375年、京都・新熊野神社の観世座興行を見物に来ていた室町幕府3代将軍足利義満世阿弥を気に入り贔屓にします。この点、足利義満世阿弥を贔屓にした背景には、公家に対する影響力を行使するために公家文化を凌駕する革新的な猿楽を利用したかった為であるとも言われています。1385年、観阿弥が巡業先の駿河で急死すると(北朝勢力であった今川氏に暗殺されたという説もあり)、当時、22歳の世阿弥観世大夫名跡を継ぎます。世阿弥は、小柄で足裁きの良い俊敏な演技を得意とし、足を細かく使って地面を踏み鳴らす鬼の演技を得手としていましたが、世阿弥のライバルである近江の猿楽師・犬王優美幽玄な舞足利義満を魅了すると、世阿弥足利義満の趣味に合うように犬王の芸を積極的に採り入れる柔軟さを示しています。世阿弥は、常に革新的なことに挑戦し続けていましたが、日本最初の演劇論である風姿花伝において、同じ曲や得意な曲ばかりを演じるのではなく、常に新しい曲を作って、その先にある新しい芸を目指すことの重要性を説いています。
 
花と面白きと珍しきと、これ三つは、同じ心なり
☞ 花とは、見物が感じる新鮮さのこと。
住する所なきを、まづ花と知るべし
☞ 常に新しい芸を求め続けるところに花は生まれる。
能の本を書くこと、この道の命なり
☞ 新しい曲を作ることが何よりも革新を促すものである。
 
1408年、足利義持が4代将軍に就任すると、予て贔屓にしていた田楽師・増阿弥を重用するようになりますが、世阿弥は増阿弥の淡々としながらも深い味わいを持つ舞が体現する「枯淡の美」に魅了されます。また、世阿弥は、50歳を過ぎてからに深く帰依するようになり、禅画や枯山水が体現する「余白の美」に魅了され、それらの精神を能楽に採り入れます。敢えて描かないことで、観る者のインスピレーションが喚起され、そこに無常の美が生まれるのと同様に、体の動きを抑えること(マイナスの美学)で、却って、心情や情趣等が深く伝わる(見物の内側から感興を引き出す)という新しい境地を見出します。そのようななか、世阿弥は、新たな能楽の表現様式として複式夢幻能を考案します。日本の古典文学や昔話等に取材して、そこに登場する人物(亡者)が舞台に登場し、現世での出来事を物語り、その無念を歌い舞う亡者供養の仏教世界、幽玄な舞台を完成させました。
 
◉花鑑
動十分心、動七分身
☞ 気が充満していながら、それでいて余計な力みがない姿に見物は興趣を感じる。
☞ 「せぬ暇が、面白き」「内心の感、外に匂ひて面白きなり」(花鑑)
 
1422年、世阿弥は、劇作家としての才能に恵まれていた長男の観世(十郎)元雅を後継者に決めます。しかし、6代将軍・足利義教は、養子の観世(三郎)元重の方を贔屓にしており、1433年、観世(十郎)元雅が巡業先の伊勢で急死すると(観阿弥と同様に暗殺されたという説もあり)、足利義教の支援の下で観世(三郎)元重が観世大夫を襲名します。その直後、1434年、世阿弥は70歳のときに、佐渡へ配流となりますが、その理由として世阿弥の後継者問題に端を発する将軍家との確執が挙げられますが、これは江戸時代になって創作され理由で、近年の研究では、その真の理由は観世(十郎)元雅が南朝勢力と繋がっていたことから、その連帯責任を取らされた可能性が指摘されています。1441年、足利義教は観世(三郎)元重の舞台を見物中に暗殺され、これにより世阿弥流罪は赦免されますが、その後の世阿弥の消息は分かっていません。なお、観世大夫の家紋は観世水ですが、これは観阿弥の拝領屋敷(現、観世稲荷神社)にあった井戸(観世井)に龍が降り立って生まれた水紋を象ったものと言われており、現在、その近くに本店を構える鶴屋吉信京銘菓「観世井」として愛されています。因みに、楠木正成は、後醍醐天皇から菊花紋を下賜された際に、このまま家紋として使用するのは恐れ多いとして下半分を水に流して菊水紋にしたという伝承が残されていますが、観世大夫も水紋を用いているのは、もともと水神信仰が盛んであった為ではないかと思われます。
 
◉花鑑 
命には終りあり、能には果てあるべからず
 
「能には果てあるべからず」とは、常に革新を試みていた世阿弥の精髄を感じせる言葉であり、常に革新することを怠けてはならないという戒めの言葉だと思います。稀に、能楽は完成された芸能であるという虚言を耳にしますが、上記の世阿弥の言葉に触れる度に、このような考え方は奢った態度であり、創意工夫の足りない者の自己正当化のための逃げ口上なのだろうと感じます。伝統は「承継」するだけでは足りず「革新」を試みながら命を吹き込んで育むべきものであり、常に現代性を意識した創意工夫が積み重ねられなければ、いつか花は枯れ果ててしまうと思います。「能には果てあるべからず」という言葉の持つ重みがずっしりと感じらえる有意義な番組でした。能楽をはじめとした文化芸術の発展は疫病の流行とも密接に関係していますが、(世界中で亡くなられた方が多く、未だ闘病中の方も少なくないなかで些か不謹慎かもしれませんが)COVID-19の流行が、今後、どのような文化芸術や作品を育むことになるのか秘かに期待を寄せています。 
 
世阿弥に因んだ映画紹介 
 鹿島守之助さんが企画・制作した白洲正子さんのムービーエッセイ
 世阿弥生誕650年を記念して製作された能楽史を扱った教育映画
 世阿弥のライバル、能楽師・犬王のアニメ映画(来年公開の予定)
 
【お願い】
フリーランス(=委託関係 ≠ 雇用関係)の方は個人事業主として持続化給付金の給付対象になりますが、何らかの事情で雑所得又は給与所得で確定申告している場合、実際にはフリーランスでも個人事業主とはみなされず、持続化給付金の給付対象にならない可能性があるようです。そこで、これらの方々も持続化給付金の給付対象となるように署名にご賛同下さい。コロナ禍は未曽有の危機であり、これまで感染拡大の防止に多大な犠牲を払って協力してきた方々が少しでも報われるように、政府には肌理細かい対応をお願いしたいです。
 
◆おまけ 
ビゼーのピアノ連弾曲「子供の遊び」(Op.22)をどうぞ。子供達が遊ぶ様子を描いた音のスケッチです。梁塵秘抄に「遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」(今様)と歌われていますが、子供の姿には神仏が宿り、その声は心の強張りを解いて救いを差し伸べてくれているような慈愛に溢れています。

日曜美術館「疫病をこえて人は何を描いてきたか」(NHK Eテレ1)

昨日、政府の諮問機関である専門家会議の記者会見で、長期戦を念頭に置いた新コロの感染対策として「新しい生活様式」の模索が提言されましたが、先日の日曜美術館の番組内容を思い出したので備忘録を残しておきたいと思います。この1ケ月間、人との接触を8割削減するために、テレワークやオンライン授業などインターネットを活用した新しい生活様式が模索され始めています。この点、産業革命を契機とするロンドン型の都市モデルは人口を都市に集中することで規格化された効率性の良い社会を実現してきましたが、これが渋滞、騒音、公害等の弊害を生んで社会問題になってきました。近年、インターネットの普及によって少品種大量生産(規格)から多品種少量生産(独創)へと市場ニーズが変化し、また、本格的な高齢化社会が到来するに伴って、人口を地方に分散すること(スマートシティ構想)で多様な人材を活用できる社会環境を整備して独創性に富む社会を実現することに重点が置かれ始めています(パラダイムシフト)。このような時代の潮流を受けて、もともとテレワークは「時間本位型の労働」から「課題本位型の労働」への切替えを促し、また、オンライン授業は「均質重視の全体教育」から「個性重視の個別教育」への需要に応えるために推進されてきたものですが、今回、ロンドン型の都市モデルが「3密」空間を生んで感染症の温床になり易いという脆弱性を露呈したことで、我々の社会生活や価値観を見直し、これからの社会変容を推進して行く上での新たな問題を提起しています。歴史上も感染症によって新しい生活様式への変容を求められた実例は多く、例えば、14世紀にイタリアから発生した黒死病(ペスト)はヨーロッパ全土へと感染が拡大し、ヨーロッパの人口の3割が死亡したと言われています。黒死病(ペスト)は接触又は飛沫によって感染しますが、16世紀に顕微鏡が発明される前の当時、人の目には見えない黒死病(ペスト)は正体不明の疫病で空気感染すると信じられ、入浴時に衣服を脱ぐと毛穴から空気感染すると言われていたことから、頻繁な入浴が禁止されました。これによってヨーロッパで入浴習慣が廃れ、公衆浴場が閉鎖されましたが、これに代わって体臭を消すための香水が普及し、当時、アルコールベースの香水が公衆衛生上の観点からも注目されるようになり、ヨーロッパで本格的に香水文化が開花しました。入浴習慣がなかった中世日本の貴族が体臭を消すために着物にお香を焚き込めていたのと同様です。日本では紀元後6世紀に中国大陸から仏教文化と共に本格的な入浴文化が輸入されましたが、古代ローマでは紀元前1世紀に公衆浴場の建設が開始されており(映画「テルマエ・ロマエ」)、日本よりも遥かに早く、ヨーロッパで入浴文化が発祥し、かつ、廃れたことになります。因みに、お香や香水は、体臭を消すという実用面に留まらず、香りを楽しむ遊びの文化としても発展しました。日本の香道では「香りを嗅ぐ」(匂いを嗅ぐ)のではなく「香りを聞く」(心が香るのを感じる)ことを重視し、物語や和歌(心)を香りで表現する組香が発展しましたが(香道の精神を香水に採り入れてヨーロッパで活躍する日本人の調香師)、ヨーロッパの香水文化では46種類の香料を7オクターブの音階に当て嵌めた香階(note)によって音楽と香りの共感覚を楽しむ文化が生まれ、それぞれに深い世界観があります。(お香と香水は非常に奥深いテーマなので、改めて別の機会に触れてみたいと思います。)
 
文学+香り=組香(日本)
音楽+香り=香階(ヨーロッパ)
 
【Perfumery Organ】発音している音に対応する香階の香水が入っている瓶の蓋が開いて、音楽と香りを同時に楽しむことができる仕組みです。調香師(パフューマー)が使用する調香台のことをオルガンと言うことから、使用楽器にもオルガンが選ばれています。オルガンに座っている人をオルガニストと呼ぶべきなのか又はパフューマーと呼ぶべきなのかは分かりませんが、音楽と同様に香りにも不協和があるので、微妙な演奏からは微妙な香りが漂ってくることになるのかもしれません....(^^;
 
 
先日、NHK-Eテレ1の日曜美術館で「疫病をこえて人は何を描いてきたか」というタイムリーなテーマで、「疫病」を題材とする日本とヨーロッパの美術作品を採り上げながら人間がどのように疫病と向き合ってきたのかを考察する非常に興味深い番組が放送されていましたので、その概要を多少個人的な考えを加えながら簡単にまとめておきたいと思います。
 
◆◆日本の美術作品◆◆
 
聖徳太子の病気平癒を願って聖徳太子に似せて作らせた仏像ですが、622年に聖徳太子が亡くなった際に、聖徳太子の母や妃も亡くなっていることから遣隋使等によって大陸から運ばれてきた疫病に罹患した可能性が指摘されています。昔の日本人は疫病(自然)と戦うというよりも、人間は自然の一部であるという一元論的世界観から、祭り、歌舞音曲や仏教美術等に祈りを込めることで疫病(自然)との共生を模索していたのではないかと考えられています。これは日本の怨霊鎮魂思想にも顕著に表れ(例えば、菅原道真の祟りを恐れて菅原道真を神として祀ることで、その祟りを鎮めて社会の中に取り込もうとしたことなど)、やがて仏教思想と結び付いた能楽の表現様式(亡者の無念を語り舞い、鎮魂へと誘う複式夢幻能)へと昇華していったものと思われます。
 
【辟邪絵 天刑星(国宝)】
12世紀頃になると、疫病を鬼に見立て、これを退治する神仏が絵に描かれるようになります。人の目には見えない疫病に鬼の姿(邪悪なるもののメタファー)を与えて可視化することで、それまでは人知が及ばないものに対する恐怖に絶望するしかありませんでしたが、その手掛りを与えられたことで、いつか神仏のご加護(救い)がもたらされるという共同幻想を抱き易くなり、社会不安を和らげる機能を果たしたと思われます。
 
【融通念仏縁起絵巻(清涼寺本)】 
融通念仏の功徳を描いた絵巻物の中で、僧侶が門前に集う鬼(疫病=天然痘)に対して融通念仏を唱える信者達の署名を見せて悪さをしないように談判する様子が物語風に描かれています。疫病に抗う術がなくいつまで疫病が続くのか分からない閉塞感が漂う時代に、道理が通じる相手として鬼(疫病)を滑稽に描き、自らの心掛け(信心)によって鬼(疫病)を退散させることができることを示すことで、社会のモラルシステムとしての宗教(様々な不条理に対する心の折り合いを付けてコミュニティーの秩序を維持する仕組み)を機能させ、社会不安を和らげたのではないかと思われます。医者、僧侶、弁護士が忙しい時代はロクな時代ではないと言いますが、仏教の布教にあたって疫病等がもたらす社会不安が巧みに利用されていたことが伺われます。
 
【平家納経(国宝)】
平清盛が世の平安を願って奉納したお経ですが、疫病、災害や内乱等の社会不安が続いて時代の闇が深く影を落としていた時代に人々が時代の光を求めて文化芸術に豪華で美麗なものを求める風潮が生まれた影響から、それを反映するような装飾が施されています。また、当時、疫病を封じ込めるために京都の祇園祭が始まりましたが、疫病の神を鎮めるために豪華で美麗な装飾を施した山鉾の巡行が行われたのも上述の風潮から影響を受けたものではないかと思われます(今年は新コロの影響で山鉾巡行は中止)。疫病を荒ぶる神として祀り鎮めるだけではなく、それを文化芸術(より創造的な精神活動)へと昇華して社会の中に取り込むことで、人々が文化芸術を通して冷静に疫病や死と向き合う機会を与えられ、その恐怖を克服できる心を養ってきたのだろうと思われます。 
 
◆◆ヨーロッパの美術作品◆◆
  
【死の凱旋(ピサ・カンポサント)】
このフレスコ画がピサのカンポサント(納骨堂)に描かれた14世紀は、疫病や飢饉が続いた暗黒の時代ですが、累々と横たわる屍の上をコウモリのような姿をした悪魔が飛び、棺の前に佇む修道士が疫病によって命は儚く奪われると諭す姿が描かれています。キリスト教では、疫病は人間の罪の報いとして神から下された罰であると考え、それを悔い改めるためには神に祈りを捧げて神の許し(救い)を請う生活を続けるべきだと訴えて、(感染症対策としても理に適った)禁欲的な自粛生活を求めています。しかし、14世紀にヨーロッパ全土へ広がった黒死病(ペスト)は、ヨーロッパの人口の3割が死亡するという大惨事となり、これが契機となってルネサンスへと向かう時代の大きなうねりが生まれます。
 
【世界年代記木版画(ハルトマン・シェーデル)】
黒死病(ペスト)の甚大な被害によって、人々は神に祈りを捧げても本当に神の許し(救い)が得られるのかという疑念を抱くようになり信仰が揺らぎ始めます。このような世情を反映して、偽予言者(デマゴーグ)がキリストの存在を否定する悪魔の囁きを行っている美術作品や、キリストを磔にしたユダヤ人が疫病の元凶であるとして火炙りに処している美術作品が創られるようになり、この時代を秩序づけていた価値観の変革(パラダイムシフト)が起こり始めています。新コロの世界的な大流行でも世界中でフェイク・ニュースが飛び交い、排外主義的で暴力的な言動等が後を絶ちませんが、昔の美術は現在の写し絵のようであり、今も昔も変わらない人間の業の深さや愚かしさを教えてくれる戒めと言えます。因みに、1693年(元禄6年)に日本で疫病が流行した際に、梅干と南天の実を煎じて飲めば疫病を防げるというフェイク・ニュースを流して大儲けした罪人が捕らえられましたが、この罪人が落語家の始祖・鹿野武佐衛門の小咄から着想を得て犯行に及んだと自白したことから、落語は風紀紊乱の元として見せしめるために鹿野武佐衛門も連座して流罪となり、以後、100年に亘って落語が停滞することになります。
 
【死の舞踏(エストニア・聖ニコラス堂)】
15世紀には黒死病(ペスト)の感染流行がピークアウトしますが、人々の間では現世で栄耀栄華を極めても疫病の前に人の命は儚く消えるものだという無常観が広がり、人の生を賛歌するルネッサンスへの萌芽が生まれました。現在のヨーロッパにおける状況と同様にあまりの死者の多さから葬儀や埋葬が間に合わずに、死の恐怖と生への執着に憑りつかれた人々が祈祷や埋葬の最中に半狂乱になって踊る姿を「死の舞踏」と呼ぶようになりましたが、このような世相を反映して、国王、教皇及び庶民が身分の隔てなく死者と手を繋ぐ姿を描いた絵が描かれています。なお、後年、サン=サーンスが「死の舞踏」をモチーフにした交響詩を作曲しており(当初、歌曲として作曲したものを交響詩へ編曲)、また、リストも「死の舞踏」をテーマとしたピアノと管弦楽のための曲を作曲すると共に、サン=サーンスの上記の交響詩ピアノ独奏曲に編曲しています。
 
【フィリッポ・リッピの聖母子と天使】
16世紀には黒死病(ペスト)の蔓延によって神へ祈りを捧げても神の許し(救い)を得られないと感じ始めた人々の間に無常観が広がり、死を強く意識した人々が生を謳歌しようとする意識が高まります。これに伴ってキリスト教会の権威は失墜し、キリスト教的な価値観(禁欲主義)の呪縛から解放され、ギリシャ・ローマ時代の価値観(世俗主義)への回帰(ルネサンスする風潮が生まれますが、このような世相を反映して反宗教的、反理性的な性格を帯びた文学作品「デカメロン」が誕生します。また、これまで聖母マリアキリスト教会の象徴として厳粛な姿で描かれてきましたが、ルネサンスの影響を受けて人間味のある親しみ易い姿で描かれるようになりました。人類は食物の輸出入など食物連鎖の広がりによって疫病の脅威に晒されるようになりますが、疫病の蔓延によってギリシャローマ帝国封建制の政治権力を司る勢力)が荒廃し、これに代わってキリスト教封建制の宗教権威を司る勢力)が疫病を神の裁断と位置付けることでヨーロッパに支配的な影響力を持つようになりました。しかし、上述のとおり黒死病(ペスト)の蔓延によってキリスト教会の権威が失墜し、ギリシャ・ローマ時代の価値観へ回帰(ルネサンス)する社会変容が生まれていますが、ヨーロッパの歴史は疫病が社会の価値観や体制の変化に大きな影響を与えてきたとも言えます。その後も、ヨーロッパ列強の植民地政策から始まる本格的なグローバリゼーションの波によって世界中に疫病が拡散し、人類と疫病の戦いは地球規模で激しさを増しています。黒死病(ペスト)はルネサンスという社会変容を生み出しましたが、今後、新コロは我々の生活様式を刷新する本格的な情報革命へ向けた社会変容を後押しすることになるのかもしれません。
 
ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 発売日: 1969/10/30
  • メディア: ペーパーバック
 
京都芸術大学(旧京都造形大学)教授の矢延憲司さんは比叡山延暦寺から彫刻作品の奉納展示を依頼され、守護獣・狛犬を制作して奉納展示しましたが、その後、新コロの感染流行が発生したことから、現在、その終息を願って京都芸術大学の正門に上記の守護獣・狛犬を展示しているそうです。折しも、SNSでは絵を見せると疫病が収まるという半人半魚の妖怪「アマビエ」が話題になっていますが、さすがは妖怪博士の異名で知られる水木しげるさんで、これに先んじて、TVマンガ「ゲゲゲの鬼太郎」(第5作/第26話)で妖怪「アマビエ」が登場しています。科学技術が発達した現代でも、人知を超えた圧倒的な不条理(疫病流行や自然災害等)に対し、同じく人知を超えた存在である神や妖怪等を頼んで不条理なものを条理に適うように正して行く道筋(病気平癒祈願や厄除祈願等)を仮想することで、心の折り合いをつけようとしてきた昔の知恵が活かされています。現代人がこれらを完全に信用できるか否かは別としても、少なくとも不安な心を和ませる効果は期待できそうです。疫病や災害等の度に重ねられてきた人々の切なる祈り()が狛犬や妖怪等の姿となり、そのが文化芸術へと昇華して現代にえられています。「その風を得て、心より心に伝ふる花なれば、風姿花伝と名づく」(世阿弥
 
幕末の辻斬りよろしく、自粛警察と呼ばれる人達による過剰(≒ 違法)な言動が社会問題化していますが、人間は怒りによって自分を正当化し、ひとたび自分が正義であると思い込むといくらでも残酷になれる厄介な生き物です(司馬遼太郎)。正義に託けた暴力を振り回わないように、寛容の精神をもって、賢く振る舞える知恵を持ちたいものです。
 
【緊急告知】
南郷サマージャズフェスティバル(青森県八戸市)アーカイブライブ配信する企画「南郷ジャズアーカイブ2020」が次のスケジュールで開催されます。外出自粛で気持ちが塞ぎがちですが、心の自由を求めて、ジャズフェスの雰囲気を満喫してみませんか。こんな時代ですが、いつも音楽は人生がそんなに悪いものではないと勇気付けてくれます♬
 
【訃報】昨日、大蔵流狂言師・善竹富太郎さんが新型コロナウィルスに伴う敗血症で逝去されました。一昨年、30キロの減量に成功したというご連絡を頂戴しましたが、未だ40歳という若さでのご不幸に新型コロナウィルスへの恨みが募ります。狂言の普及のために持ち前のバイタリティで勢力的に取り組まれていたなかでのご不幸なので、本当に残念でなりません。衷心からご冥福をお祈り致します。涙の日(Lacrimosa)....合掌。

クローズアップ現代+「イベント自粛の波紋 文化を守れるか」

昨晩、クローズアップ現代+(NHK総合テレビ)で「イベント自粛の波紋 文化を守れるか」というテーマが採り上げられていたので、その内容について簡単な備忘録を残しておきたいと思います。政府は、新コロの感染対策として、2020年2月20日からイベント自粛を要請していますが、その後の約1ケ月間で中止又は延期されたイベントの数は実に約81,000件にのぼり、仮にこの要請が5月末まで継続すれば、エンタメ業界の市場規模約9,000億円のうち40%に相当する約3,600億円の経済損失が発生すると試算されています。このような状況を受けて、政府及び地方自治体は、新コロの経済対策として、主に、下表のような支援策(日本の文化芸術関係者に対する支援策は文化庁のHPを参照)を公表しています。(下表は2020年4月23日時点の情報で、今後、政府又は地方自治体から新たな文化芸術関係者に対する支援策が追加公表される可能性もあります。)
 
◉日本の文化芸術関係者に対する支援策(概要抜粋) 
  雇用関係
(社員)
委託関係
フリーランス
事業主 貸付制度
税制措置
持続化給付金(中小のみ)
持続化補助金(小のみ)(注1)
休業協力金(地方自治体毎)
被用者 雇用調整助成金
全住民 特別定額給付金(10万円)
(注1)当面開催中止となったイベントをインターネットで配信するための費用や、将来イベントを再開する際に会場にサーモグラフィーを設置するための費用等に対する補助など。
 
このうち、持続化給付金は、前年同月比で売上が50%以上減少している中・小事業者(フリーランスなど個人事業主を含む。)を対象とし、法人は最大200万円、個人は最大100万円を上限として、前年同月比で売上が50%以上減少している月の減少額に相当する額が給付されます。3月から5月までの約3ケ月間に亘ってイベント自粛が継続したと仮定すると1ケ月あたり約33万円の持続化給付金がフリーランスを含む文化芸術関係者へ給付されることになります。これに対し、欧米では、中・小事業者(フリーランスなど個人事業主を含む。)を対象として、下表のような支援策(外国の文化芸術関係者に対する支援策は美術手帖のHPを参照)が講じられているようです。
 
◉外国の文化芸術関係者に対する支援策(概要抜粋) 
  補償額 補償期間
イギリス 1ケ月あたり最大約34万円(最大2550ポンド)を上限として、過去3年分の確定申告に基づいて1ケ月間の平均所得の80%に相当する額 3ケ月間
フランス 一時金として約18万円(1500ユーロ)~約42万円(3500ユーロ)(注2)(注3) 一時金
ドイツ 3ケ月あたり最大約108万円~最大約180万円(最大9000ユーロ~最大15000ユーロ) ※1ケ月あたり最大約36万円~最大約60万円(注3) 3ケ月分
カナダ 1ケ月あたり15万円(2000カナダドル(注4) 4ケ月間
アメリ 0円(0ドル)(注5)
(注2)フランスでは上記の支援策に加えて、アンテルミタン制度(過去10か月間に最低507時間の仕事に従事した文化芸術関係者に対し、翌年、契約が途切れた期間に失業給付金が支払われて最低限の収入が保証されるシステム)の受給条件を緩和しています。
(注3)NHKではフランス最大30万円、ドイツ最大24万円と放送していましたが誤りか?
(注4)文化芸術関係者に限らず、失業保険の対象とならないフリーランスを対象としています。
(注5)アメリカは、日本の特別定額給付金と同じく給付金(年収10万ドル(約1100万円)以下の住民+応募を条件として、大人1人最大1200ドル(約13万円)、子供1人500ドル(約5万5千円))が支給されますが、日本の持続化給付金に相当する文化芸術関係者に対する支援策は講じられておらず、日本はアメリカと比べて新コロの経済対策としての文化芸術関係者に対する支援策は手厚いと言えそうです。なお、全米芸術基金は非営利芸術団体を対象として7500万ドル(約83億円)の緊急支援を行っています。
 
こうして見ると各国の財政事情や文化行政の差異等に応じて文化芸術関係者に対する支援策には濃淡が見られますが、日本は財政健全度ランキング(IMF)で世界最下位の188位(日本の債務残高はGDP比237.7%で、ドイツの58.6%やアメリカの106.2%と比べて悪い)であることを踏まえると、政府の対応が遅いという誹りは免れないとしても、新コロの経済対策としての文化芸術関係者に対する支援策(フランスと同様に、所得保障としての持続化給付金及び一時金としての特別定額給付金の2本建て)については各国との比較から積極的に取り組んでいると相対的に評価できそうです。この番組の中で平田オリザさんがヨーロッパではコンサートホールやミュージアムは教会に準じる社会インフラで、人々が集って意見交換する社交場として民主主義を支える重要な社会機能を担っていると考えられており、文化芸術関係者が他の国や他の職業に流失してしまうことはそのような重要な社会機能を損なうことにつながることから文化芸術関係者に対する支援も手厚いと語っていました。この背景には、中世・近世(封建社会)から近代(市民社会)へと変遷する過程で、王侯貴族や教会以外に富を手に入れた中産階級の勃興により市民社会が形成されるに伴って文化芸術の受容者が王侯貴族や教会から市民へと移り、それまでは王侯貴族や教会(パトロン)の依頼を受けてその趣味に合う作品を創作していたのに対し(ハイドン、ベラスケス等)、王侯貴族や教会から独立して市民(文化芸術分野のマーケット誕生)を相手にして自らの創作意欲に忠実な作品を創造するように変化しました(ベートーヴェンドラクロワ等)。これによって依頼主の趣味に合う一定の品質を備えた作品(作品の均質性)を量産する「職人」(技術が重要)とは別に、それまでの伝統(王侯貴族や教会が体現する封建的な社会秩序や価値観)を否定して、他人が作るもの(伝統)とは異なるオリジナリティのある作品(作品の独創性)を自由に創作する「芸術家」(感性が重要)という概念(市民社会が体現する民主的な社会秩序や価値観)が誕生しました。これに伴ってヨーロッパでは王侯貴族や教会(パトロン)、中世・近世的なギルドへの隷属から芸術家を解放し、その自由な創造を保護することを目的として、芸術家に対する様々な社会支援が行われるようになりました。即ち、ヨーロッパにおける芸術家の保護は、封建社会に代わる市民社会の確立、成熟を図る尺度(象徴)として自由で民主的な社会秩序や価値観を保護することにつながるという考え方(歴史的な文脈)があるのではないかと思われます。
 
◉職人と芸術家の特徴的な違い 
  能力 作品 表現 時代
職人 技術 均質 秩序正しく端正な表現 封建社会
芸術家 感性 独創 多様で変化に富む表現 市民社会
※誤解を恐れずに二項対立で強引に区別してみましたが、当然、職人にも感性等は必要であり、芸術家にも技術等は必要なので、あくまでも分かり易くする為に相対的な違いを強調した表であることをお断りさせて頂きます。
 
 
ドイツのメルケル首相は、文化芸術関係者に対する支援策を公表するにあたって「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」とスピーチして話題になりましたが、日本でもイベント自粛が要請された際に文化芸術の存在意義が話題になりました。この点、文化芸術の存在意義を一義的に捉えることは難しいですが、文化芸術基本法の前文では、文化芸術の存在意義として、①人生の意義の発見②寛容(多様)で平和な社会の醸成アイデンティティの確立の3点が挙げられており、人間が尊厳を持って自分らしく生きることができる社会を実現するために必要不可欠なものであると宣言していますが、これはメルケル首相が言う「生命維持に必要」に通じる崇高な理念であり、現代では、上述の近代市民社会の誕生で果たした役割よりも一層重要な社会的な役割を求められ、期待されているということだと思います。
文化芸術基本法(前文)
文化芸術を創造し、享受し、文化的な環境の中で生きる喜びを見出すことは、人々の変わらない願いである。また、文化芸術は、人々の創造性をはぐくみ、その表現力を高めるとともに、人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し、多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するものであり、世界の平和に寄与するものである。更に、文化芸術は、それ自体が固有の意義と価値を有するとともに、それぞれの国やそれぞれの時代における国民共通のよりどころとして重要な意味を持ち、国際化が進展する中にあって、自己認識の基点となり、文化的な伝統を尊重する心を育てるものである。
 
すっかり外出自粛も板に付き、日頃は家族揃って食卓を囲む機会も少ないので、暇に任せて料理に腕を振うお父さんも多いのではないでしょうか。今晩の献立を考えながら、NHK総合テレビ「きょうの料理」を見ていたら、料理人の土井善晴さんが日本の「和(あ)え」の文化について触れられていました。「和(あ)える」とは、異なる素材同士がお互いの形も残しつつ、お互いの魅力を引き出し合いながら一つに調和することを意味するのに対し、「混ぜる」とは、異なる素材同士が完全に融合して、全く新しいものになることを意味します。よって、「混ぜ物」とはどこを取り分けても均質な料理になりますが、「和(あ)え物」は取り分けるところによってムラ(素材の個性)がある料理になります。学校給食では「和え物」よりも「混ぜ物」が多いのは、全ての生徒に均質(平等)な料理を提供するのが望ましいとされているからだとも言われています。これを音楽に例えると、音(素材)自体の直接的な表現を大切にする伝統邦楽は「和え物」に近い性格であると言え、音(素材)自体の直接的な表情を抑えてながら、旋律、リズム及びハーモニーを使って音の総体(連なり)として表現を構築する伝統洋楽は「混ぜ物」に近い性格であると言えそうです。新コロの感染対策で今年の「GW週間」が「STAY HOME週間」に変更されて外出自粛の徹底が求められていますが、日本では外国と異なって法律上の強制力がない外出自粛の要請でも社会の同調圧力で一夜にして湘南海岸からサーファーが一掃され、渋谷のスクランブル交差点から人影が消えています。しかし、もともと日本人は「和(あ)え」の文化に象徴されるように、多様性を尊重しながら調和する懐の広い風土を持っており、例えば、和漢折衷和洋折衷のように他国の文化(仏教文化、西洋文明等)の優れている点を柔軟に吸収して多様な文化を育んできています。西暦604年、聖徳太子は十七条憲法の冒頭で「和を以て貴しと為す」と定めて国の有様を示していますが、この言葉は論語の「礼の用は和を貴しと為す」を出典とするものと言われており、同じく論語の「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(優れた人物は協調するが、主体性を失って、無暗に同調することはない。劣った人物は容易に同調するが、心から協調することなく乱れを生じる。)で「和」の本旨が説かれています。1980年代に日米貿易摩擦が生じた際に「NOと言えない日本人」と揶揄されましたが、古来、日本人は「和を以て貴しと為す」と表現されているとおり調和(=協調 ≠ 同調)を重んじる民族であり、それゆえに日本人のリーダーには「調和型」の人材が多いと言われており、(その良し悪しは別として)こんなところにも「混ぜる」でも「分ける」でもない「和(あ)える」という日本文化の特徴が感じられます。最近、特別定額給付金(一部30万円給付から一律10万円給付へと変更)を巡って政府のリーダーシップの欠如を指摘する記事を目にしますが、これは日本が欧米のように強いリーダーシップを発揮するのではなく他人との調和(和(あ)え)を重視する風土を持っていることが原因していると思われます。この「和(あ)え」の文化「重ね」の文化としても現れ、例えば、色を混ぜるのではなく色を重ねて色彩の調和を生む和服文化(十二一重など)に見ることができます。また、京懐石は、素材(皿)と素材(皿)を取り(重ね)合せて生まれる絶妙な調和(妙味)を楽しむ料理であり、この数を重ねて食すること(お数=おかず)に特徴があります。この取り(重ね)合せて微妙な違いを楽しむという美意識は、物と物との絶妙な調和を生む「しつらえ」の文化(食器、茶器、掛け軸、季節の花や調度品の配置(重ね)によってその時々にふさわしい空間を演出すること)や人と人との絶妙な調和を生む「もてなし」の文化(しつらえによって生まれた空間で束の間の誼を結んで他人の心に叶う(重ね)こと)が生まれています。この番組の中で平田オリザさんは文化芸術を不要不急なものとして排除しようとする社会的な風潮を危惧して「一番目に大切なものは命、二番目に大切なものは人によって異なる」(多様性)と仰っていましたが、最近の日本の状況(とりわけコロナ疲れから生じていると思われる排外的で攻撃的な風潮)を見ていると、時に日本人の調和の精神が行き過ぎてそれが極端な同調圧力を生み、多様性を尊重しながら調和する懐の広い風土が損なわれてしまうことが懸念されます。多様性を尊重しながら調和する懐の広い「和(あ)え」の文化は他人(自分とは異なるもの)を尊重する寛容な精神を育み、それによって他人との平らかな調和(平和)が生まれると思いますが、上述のとおりそのために文化芸術が果す役割は非常に大きく、寧ろ、上述のような最近の日本の状況を見るにつけ、このような危機的な状況だからこそ社会は文化芸術の力を必要としているのではないかと感じます。
 
NHKテキストきょうの料理 2020年 04 月号 [雑誌]

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  • 発売日: 2020/03/21
  • メディア: 雑誌
 
◆おまけ(疫病と芸術)
マーラー交響曲第5番第4楽章「アダージョ
前回のブログ記事でオペラ「黒死病の時代の饗宴」を紹介しましたが、その他にも疫病を題材にした芸術作品は多く、その中でも映画「ベニスに死す」が有名です。ベニスを訪れた老作曲家が偶然に出会った美少年に心を奪われて疫病が流行しているベニスに留まる決意をし、やがて老作曲家は疫病に罹患して恍惚のうちに息を引き取ります。この映画の中では、マーラーアルマへのラブレターとして作曲した交響曲第5番第4楽章「アダージョ」が印象的に使用されています。
 
ストラヴィンスキーのオペラ「エディプス王」 第一幕「疫病が私達に襲い掛かる」
疫病を題材とした芸術作品として、もう1つオペラ「エディプス王」第一幕「疫病が私達に襲い掛かる」をアップしておきます。エディプス・コンプレックスの語源となったソポクレスの戯曲「エディプス王」を台本としたオペラですが、有名なギリシャ悲劇なので改めて内容には触れません。
 
モーツアルトのオペラ「魔笛」序曲
テレワークでも音が違うウィーンフィルハーモニー管弦楽団によるオペラ「魔笛」序曲ぶらあび選考テレワーク大賞!)をどうぞ。音楽の友社等で世界中のテレワーク作品を集めてテレワーク大賞を選考する企画(クラウドファンディングで募金を集めて賞金を授与するなど)を立ち上げてみても面白いかもしれません。
 
【緊急告知!!】
「GW週間」改め「STAY HOME週間」の予定はお決まりでしょうか。インターナショナル・ジャズ・デイの2020年4月30日10時から翌朝まで「JAZZ  AUDITORIA  ONLINE」(無料ライブ配信)が開催され、自宅でジャズフェスを堪能できます!たとえ、自宅に軟禁状態でも、芸術と酒があれば、これ以上人生に何を望むことがありましょうか。ハートだけは密にして、大いに人生に酔いたいものです。

【楽曲紹介】武満徹「ピアニストのためのコロナ」

今日、政府から緊急事態宣言が発出され、1ケ月間程度の外出自粛等が要請されましたが、その早期収束を祈念して「コロナ(CORONA)」に因んだ楽曲を紹介します。新型コロナウィルスの「コロナ(CORONA)」とはギリシャ語で王冠や太陽光を意味する言葉ですが、新型コロナウィルスの球状の表面突起が王冠や太陽光の形状に似ていることから「コロナ(CORONA)」と命名されたそうです。1962年に武満徹ジョン・ケージ不確定性の音楽に影響されて「コロナ(CORONA)」の形状の図形楽譜による「ピアニストのためのコロナ」を作曲しましたが、新型コロナウィルスのパンデミクスによって不確実性の時代と形容される先行きの見えない現在の混沌とした状況を予見するかのような音楽になっています。
 
人類と疫病(寄生虫、細菌、ウィルスによる感染病)の戦いの歴史は古く、旧約聖書には疫病に関する記述が見られ、人が神の掟を破る(罪)と神の裁きとして人や家畜に疫病が流行する(罰)と信じられていました。レビ記第13章には疫病に罹患した人を(病院ではなく教会で)「隔離」して経過観察する様子が記述されていますが、未知の疫病に対して有効な対抗手段を持たない人類は将来への見通しが立たない不案な状況(不確実性)の中で、ひたすら禁欲的に自粛しながら神の怒りが収まるのを祈っていた姿が浮かび上がってきます。現代は、抗生物質の開発(人工の秩序)によって細菌に対する優位性を獲得しましたが、未だウィルスに対する有効な対抗手段はなく(ウィルスの研究は電子顕微鏡が開発された1930年代以降に本格化)、ひたすら神の怒りが収まる(即ち、自然の秩序によってウィルスが消滅するか又は人の免疫機能が働く)のを待つしかないという状況に変りはなく、新型コロナウィルスの脅威は科学技術の進歩によって自然界を凌駕したつもりになっている現代人の傲慢さに対する、人ならぬ者からの手厳しい警告と言えるかもしれません。イスラム教の開祖・預言者ムハンマドは疫病対策として「渡航制限」や「外出自粛」を説いて幾多の疫病から数多くの人々を救ってきましたが、これらは現代でもウィルス性の感染病に対する有効にして殆ど唯一の対策と考えられており、現代でも科学技術の進歩(人工の秩序)がウィルスの進化(自然の秩序)に及んでいないことを示しています。一方、日本では、「源氏物語」の第五帖「若紫の巻」において光源氏が瘧病(マラリア)に罹患する場面が登場しますが、遣唐使(人の「移動」)によって中国大陸から仏教と共に寄生虫が日本国内へ持ち込まれたことで疫病が流行していたと考えられます。その後、日本が本格的な国際化を進める契機となった欧米諸国からの相次ぐ外国船の来航によってコレラ菌が日本国内へ持ち込まれ、狐狼狸(ころり=コレラ)が大流行して数万人が死亡したと言われています。産業革命により蒸気機関が発明されたことで国境や海洋を越えて人の「移動」が活発になったことによって、人に寄生した寄生虫、細菌やウィルスが急速に世界中へ広がり、現在も、その脅威に人類は晒されています。
 
イスラム教の開祖・予言者ムハンマド
「汝ら、もしある国に疫病が存在していると知ったならばそこへ⾏ってはならぬ。だが、もし疫病が汝らの今のいる国に発⽣したならば、そこを離れてはならぬ。疫病で斃れるものは殉教者である。」
 
因みに、コロンブスアメリカ大陸からヨーロッパ大陸へ梅毒を持ち込み、その後、イタリア戦争を契機としてフランス軍がヨーロッパ全土に梅毒を広げ、それ以後20世紀に特効薬ができるまで不治の感染病として恐れられ、数多くの芸術家の才能も蝕まれてきました。梅毒は接触(「3密」のうち「密接」)によって他人へ感染する疫病ですが、昔から人類と疫病の戦いは人の密接が盛んになる夜の歓楽街が主戦場の1つになってきたと言えそうです。有名な話ですが、ロベルト・シューマン(作曲家)はクララ・シューマン(世界初の女性ピアニスト)と結婚する前の独身時代に奔放な生活を送っていたことが祟って当時流行していた梅毒に感染し、その治療に使用されていた水銀が原因となって死亡したと言われています。幸いにクララ・シューマンには感染しなかったようですが、疫病はロベルト・シューマンの若気に付け込む強かさで、おしどり夫婦として知られるロベルト・シューマンとクララ・シューマ及び8人の子供達のささやかな幸せを奪っています。
 
🍑梅毒を罹患した主な芸術家(没年順)
  ♡ レンブラント(1669年没)
  ♡ モーツアルト(1791年没)
  ♡ シューベルト(1828年没)
  ♡ パガニーニ(1840年没)
  ♡ シューマン(1856年没)
  ♡ ゴッホ(1890年没)
  ♡ ニーチェ(1900年没)
  ♡ ロートレック(1901年没)
 
疫病はオペラの題材にも使用されていますが、黒死病(ペスト)を題材としたプーシキンの戯曲「小さな悲劇」を台本にして、ツェーザリ・キュイが作曲したオペラ「黒死病の時代の饗宴」も紹介しておきます。なお、3月23日にオペラ歌手のプラシド・ドミンゴが新型コロナウィルスに罹患したことを発表されましたが、一日も早い快気を祈念します。
 
◆おまけ
演奏しているのは桐朋アカデミーオーケストラ生のようですが、「弦の桐朋」の面目躍如たる秀逸なアンサンブル(@呉羽狂詩曲)をご堪能下さい。テレワークとは思えないような出来映えですが、何回か撮り直したんでしょうか(笑)人々の心が荒んでいるときこそ音楽の力が必要です。音楽に救われる思いがします。やっぱり音楽って良いですね💕

コンサートライブ配信&オンライン美術館に関する情報

新型コロナウィルス感染症は、我々の身体だけでなくコロナヘイトに象徴されるように我々の心を蝕み、さらに、社会機能(経済的及び文化的な営み)まで麻痺させる人類の脅威ですが、その脅威に負けることなく「芸術Xイノベーション」で果敢に挑戦している芸術家の心強い取組みをご紹介します。是非、ご興味のある方はご視聴下さい。
  
【配信場所】P C:https://17.live/live/5382416
      スマホhttps://17media.jp/(APPをDL ➡ eririn0217で検索)
【配信日時】3月30日 11時~
      3月31日 11時~
      4月 1日 11時~
      4月 2日 11時~
 
先日、5G通信サービスの提供が開始されましたが、5G通信サービスの大容量、低遅延、多接続という特徴を活かして「8K」+「VR」+「ハイレゾ」の技術を組み合わせたライブ配信サービスの開発が待たれます。折しも東京2020の開催に向けて電子マネーの普及が推進されていますが、より安全かつ簡便にオンライン決済を行うための社会インフラが整いつつあるなかで、ライブ配信サービスがプロによる本格的な商業利用にも耐え得る機能を実装した簡便かつ安価な商用プラットフォームとして普及することが期待されています。このように芸術の受容スタイルが多様化することによって、芸術を受容する層の拡がりや、芸術表現の内容や手法の多様化が一層と促進される効果が生まれることにも期待したいと思っています。
 
★オンライン美術館
 
南北間の経済格差を解消するために北半球の社会資本を投入して南半球の急速な開発が進められた結果として、1980年代頃から南半球の自然界に封じ込められていた未知のウィルスが人間社会に侵入するリスクについて警鐘が鳴らされてきましたが、近年、その警鐘のとおり人類とウィルスの戦いが本格化しており、リモートワークやオンラインMTG等に代表されるようにイノベーション等によってウィルス耐性の高い社会を構築して行く岐路に立たされているのかもしれません。その意味では、今後、上述のようなイノベーションを活用した芸術の受容スタイルの多様化に向けた試みが加速度的に進んで行くのではないかと期待され、何か新しいものが生み出されて行くダイナミズムのようなものが感じられて楽しみです。 
 
★新コロの影響で新日本フィルハーモニー交響楽団が存続の危機に直面しており募金を募集(1口1000円~)しています。新コロは社会機能を遮断してしまいましたが、音楽を愛する心まで遮断することはできないことを募金で新コロに思い知らせてやりましょう。(募金にあたってインターネットによるクレジットカード決済に不安がある方は、口座振込にも対応しているそうです。)
 
★マスコミでも話題になっている「シンニチテレワーク部」の動画をどうぞ。さすがはアンサンブル精度を誇る新日フィルでしてテレワークでも上手いです。
 
【弔意】志村けんさんが新型コロナウェイルス感染症で亡くなられたという悲報に接し、衷心より哀悼の意を表します。本当に残念でなりません。世界中で大切な人を奪って行く新型コロナウィルス。世界中の亡くなれた方々のご冥福をお祈り致します。
 
【追慕】志村けんさんは趣味として津軽三味線奏者・上妻宏光さんに師事していましたが、それが高じてキリン・チューハイのCMで妙技を披露しています。また、志村けんさんはソウル・ミュージック等の造詣が深く、音楽雑誌「jam」にレコード評を掲載していたことが知られていますが、「ヒゲダンス」ではフィリー・ソウルの帝王テディ・ペンダーグラスの「DO ME」をアレンジしてBGMに使用しておりその趣味の良さが偲ばれます。「一芸に秀でる者は多芸に通じる」といいますが、その稀有な才能が惜しまれてなりません。

書籍「ダンスの時代」(若杉実著/リットーミュージック)

【題名】ダンスの時代
【著者】若杉実
【出版】リットーミュジック
【発売】2019年7月29日
【値段】1980円
【感想】
f:id:bravi:20200112104509p:plain2008年に中学校の学習指導要領が改訂され、「運動能力の強化」ではなく「仲間とのコミュニケーションの向上」を目的として、2012年からダンスが義務教育の選択科目から必修科目へと変更になり、その内容についても、①創作ダンス、②フォークダンス、③現代的なリズムのダンス(ヒップホップ、ロック等)と多様なものになっています。この学習指導要領の改訂後に中学校の教育過程を迎えた若者達は、丁度、高校を卒業して大学生又は社会人になっているのではないかと思いますが、益々、ダンス界の人材層に厚みが増し、より面白いダンスが見られることになるのではないかと期待しています。芸術(サブカルチャーを含む)の分野に限らず、あらゆる分野において、近代に確立した「ジャンル」が重要な意義を持たなくなり、色々なものの境界が曖昧になってきているのが現代の時代性ですが、現代の芸術はその時代性を映すように非常に多様で複雑なものとなり、一般の素人には手に余る難解さがあることも事実です。その水先案内の1つとして、久しぶりに面白いと思えた書籍「ダンスの時代」に関する簡単な感想を残しておきたいと思います(但し、未だ出版されたばかりなので、ネタバレしないようにあまり本の内容には触れません。)因みに、群舞(チームプレイ)は日本舞踊や能楽にも存在しますが、一般に、これらは生徒達に馴染みが薄い(即ち、先生が指導し難い)ことや、これらは「型」などの決まり事が多く生徒同士の自発的なコミュニケーションを促す(即ち、誰かに教わる(大量生産・大量消費型の人材観)のではなく自ら創り出す(変革期型の人材観)という姿勢を養う)という観点からはより自由度が高いもの(ニュースクール等)が望ましいことなどの理由から、これらは義務教育の対象に含まれなかったのではないかと推測します。
 
ダンスの時代

ダンスの時代

 
 
ダンスの起源については明確なことは分かっていませんが、最も古い記録として古代エジプトのアルタミラ壁画にベリーダンスを踊る女性が描かれており、また、古代ギリシャでは早くからダンスが教育に採り入れられていたと言われています。日本では古事記及び日本書記の岩戸隠れの伝説で女神・天鈿女命(アメノウズメ)が裸踊りをして八百万の神々を笑わせたという神話(貴志康一作曲のバレエ「天の岩戸」の舞台上演を見てみたいのですが、なかなか叶いません・・涙)が残されていますので(日本最初のダンサー、ストリッパー、宴会芸)、人類は古くから何らかの動機や衝動でダンスを踊っていたと考えられます。この点、日本では、「」のことを「神迎え」、「踊り」のことを「神(霊)送り」というそうですが、「」(能楽)は巫女(個人)が神の依代や神座の周りを回りながら徐々に神懸り(神迎え)して行く呪術的な舞(他力による旋回運動)であるのに対し、「踊り」(歌舞伎踊り)は群衆(集団)がリズミカルに飛び跳ねながら妖精(精霊)や妖怪を共同体の外へと送り出す呪術的な踊り(自力による跳躍運動)と言われており、例えば、アフリカでも神と交信して神意を伝えるために神に選ばれたメッセンジャーが行うダンス(神迎え)と、病人等の周囲をリズミカルに行進しながら悪霊を退散させるために住民が行うダンス(神送り)があるようです。よって、世界各地でダンス(舞踊)はアニミズミ信仰を背景として人ならね者との交流を試みるために肉体を使って行われてきた宗教的なパフォーマンが起源ではないかと思われます。これに対し、キリスト教では精神で肉体をコントロールすること(理性)が重んじられ、聖書に書かれた神の言葉(ロゴス、理性)が信仰の拠り所となり、人々から理性を奪うアニミズムの実践(霊媒、占い等)を固く禁じ、ダンスも神との交流を試みる宗教的なパフォーマンスではなく、人との交流を図る社交的なパフォーマンスとして位置付けられたと思われます。このような背景からキリスト教文化園におけるダンスや音楽は、肉体的な興奮を喚起し、人々を狂気(トランス)させるようなリズムの使用を避けてきた歴史的な伝統があり、ダンスも人ならぬ者の降臨を促す躍動的な跳躍運動ではなく、人との調和(ハーモナイズされた動き)をとりやすい優美な回転運動(社交ダンスなど)を中心として発展したのではないかと思われます(もしかすると各国の伝統音楽のハーモニーの有無も同じような淵源による相違かもしれません)。この相違がやがてレイシズムを背景としてダンスの多様性を育むことになりました(下表)。なお、上記の宗教的な要因に加えて民族的な要因として、農耕民族が農作業する際の動作、即ち、腰を落とし、田から足を引き抜くように膝を高く上げて歩を進め、足を摺るような足運びで回転し、鍬を鋤くように右手と右足が連動する動きなどや、狩猟民族が狩りをする際の動作、即ち、獲物を追い掛けるように軽快にステップし、高く飛び、勢い良く旋回する動きなども、それぞれのダンス(舞踊)の誕生及び発展に大きな影響を与え、それぞれの特徴的な動きとなって現れています。
 
レイシズムから生まれた多様性 
  白人文化 黒人文化
音楽 場所 教会
演奏会場
Hush Harbor
酒場
種類 讃美歌
クラシック
黒人霊歌
ジャズ
ダンス 場所 社交場
歌劇場
ストリート
ダンスホール
種類  社交ダンス
バレエ(※)
スイングダンス
※バレエは、太陽王と言われたルイ14世によって確立されますが(映画「王は踊る」)、フランス革命によって王侯貴族から大衆へと文化の主役が交代するとロマンティック・バレエとして発展し、今日のバレエの様式が確立します。その後、クラシック・バレエからドロップアウトした若者達が伝統的なものを解体してより自由で革新なダンスを求めてモダンダンスやコンテンポラリーダンス等の潮流が生まれています。なお、今回は、あまり長くならないように革新的なものだけを採り上げたいので、以下では伝統的なもの(クラシック・バレエや社交ダンス)は割愛します。
 
日本では戦国時代に中世的な社会体制の崩壊と共にその中心的な存在であった寺社勢力が衰退して寺社勢力から芸能の興行権が解放されたことで(芸能の自由化)、舞踊(ダンス)が宗教的なパフォーマンスから大衆的な娯楽へと性格を変えて活発化します。丁度、この時期に出雲大社の巫女であった阿国が上京して歌舞伎踊りを創始して大衆に熱狂的に支持され、やがて歌舞伎と日本舞踊へと発展していきます。一方、西洋ではキリスト教的な価値観を背景としてダンス(舞踊)が王侯貴族の社交(娯楽)として確立し、その後、市民革命を経て大衆へと受け継がれ、大衆の社交(娯楽)として発展します。なお、西洋では中世の大航海時代に植民地政策(その後、産業革命を経て帝国主義へ)がとられて奴隷売買が盛んに行われましたが、その後、奴隷解放運動や南北戦争等を契機として奴隷が解放されます。しかし、レイシズムによる差別から黒人が教会や社交場等へ出入りすることは許されず、教会ではなくHush Harborや酒場等でヨーロッパの音楽(讃美歌など)とアフリカの音楽(ポリリズムなど)を融合した黒人霊歌(ゴスペルなど)やジャズが誕生し、社交場や歌劇場等ではなくストリートやダンスホール等でヨーロッパのダンス(バレエなど)とアフリカのダンス(コンゴ舞踊など)を融合したスイングダンス(リンディホップ、ジャズダンス等)が誕生するなど、レイシズムという社会の歪みによって黒人に強いられた過酷な境遇(不条理)がやがて黒人の魂の叫びとなって(文化を生み出す「血みどろの母胎の生命や生殖行為」(三島由紀夫))、白人文化の影響を受けながらも白人文化とは異なる独自の黒人文化を育むことになりました。
 
【音 楽】ヨーロッパの音楽+アフリカの音楽=ジャズ
【ダンス】ヨーロッパのダンス+アフリカのダンス=スイングダンス
 
レイシズムに打ち勝つ文化の力
1920年代にジャズの伴奏に合わせて踊るスイングダンスからリンディホップ(黒人がワルツを踊ることを禁止されていたことから誕生したチャールストンダンスとそこから派生したタップダンスの融合)やジャズダンス(バレエとタップダンスの融合)が派生し、ジャズの人気と相俟って大衆を熱狂させます。やがてリンディホップやジャズダンスの人気はレイシズムに打ち勝つという社会的な機運を高め、ニューヨークのハーレムにあった巨大ダンスホールサヴォイ・ボールルーム」では人種に関係なく入場が許され、白人と黒人が一緒にダンスを踊ったと言われています。因みに、リンディホップとは、単独飛行で大西洋横断を成功したチャールズ・リンドバーグに由来していると言われており(「リンディ」はリンドバーグの愛称、「ホップ」は大西洋を飛び越える意味)、大西洋ならぬ人種の壁を乗り越えるという願いが込められているのではないかと思われます。
 
ジャズダンスの誕生に日本人の影
1920年頃にルイジ・ファチュートがバレエとタップダンスを融合したジャズダンスを確立します。ルイジ・ファチュートは交通事故で半身不随になり、そのリハビリのために伊藤道郎に師事して伊藤道郎が発案したジャズに合わせて踊るバレエ・エクササイズを学んでおり、これが基になってジャズダンスを創始したと言われていますので、伊藤道郎が発案したバレエ・エクササイズがなければジャズダンスも確立されていなかったと言えるかもしれません。伊藤道郎は元々は声楽家志望で三浦環(声楽に加えて日本舞踊を学び、その美しい所作も国際的に高い評価)と共演し、パリへ留学してドビュッシー等とも交流を持ちましたが、日本人と西洋人の声量の違いから声楽家を断念してダンス(舞踊)へ転向し、イェイツの能楽研究に参加してイェイツの代表作である戯曲「鷹の井戸」の創作に協力しています。また、伊藤道郎はホルストに依頼して作曲して貰った「日本組曲」日本民謡の旋律がモチーフとして使用されています。また、ホルストは「日本組曲」を作曲するために組曲「惑星」の創作を一時中断しています。)を使って英国でダンス公演を行うなど国際的に活躍し、日本のダンス界の草分け的な存在と言える天才ダンサーです。因みに、伊藤道郎は1964年の東京オリンピックの開会式及び閉会式の総合演出も担当しています。 
 
ダンスブームの到来
1940年代までリンディホップダンスが一世を風靡し、1950年代になるとジャズのブルースやラグタイム等(黒人音楽)とカントリー&ウェスタン(白人音楽)が融合したロックンロールが生まれ、エルヴィス・プレスリービードルズの影響等からリンディホップダンス(黒人ダンス)と社交ダンス(白人ダンス)が融合したツイストダンスが流行します。丁度、この頃にバーンスタイン作曲のブロードウェイ・ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」(1957年~)がジャズダンスを採り入れた舞台として注目を集め成功を収めています。1970年代にダンスTV番組「ソウルトレイン」(1971年~)が全米で人気を博すると、ファンク、R&B、ソウルミュージックやロックンロール等の音楽に合わせて踊るディスコ(現在のクラブの前身)が本格的に流行し、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977年)の公開によってディスコブームは過熱します。因みに、2020年12月にスピルバーグ監督による映画「ウェスト・サイド・ストーリー」のリメイク版が公開予定です。
 
ロックンロール:社会の内部(中産階層)からのドロップアウト
ヒップホップ :社会の外部(貧困階層)からのドロップイン
 
その一方で、1970年~1980年代にディスコに通うお金がない黒人はストリートに集まり(ブロックパーティー)、レコードプレーヤーを持ち込んで、そこに段ボールを敷いてダンスをしていました。DJ(レコード盤を操る人の意味)はブレイク・ビート(曲間のビート部分)でダンスが盛り上がることに気付き、ブレイク・ビートを繰り返して再生するループ、レコード盤を擦る音でビートを生むスクラッチ、リズムに合わせて韻を踏みながら歌うラップ、口や喉を使ってビートを生むヒューマンビートボックス等のヒップホップ音楽が生まれ、ブレイク・ビートに合わせて踊るブレイク・ダンスが誕生します。それまでのダンスは「立ち踊り」が主流でしたが、ブレイクダンスは「立ち踊り」(トップブロック等)だけではなくダンスの支点が下半身から遠ざかり手や体を地面につけて踊る「床踊り」(ネックムーブ等)が特徴的なダイナミックなダンスと言えます。また、体のしなやかさを保ちながら人間離れした動きをするホップダンスや体をピタッと止めて固定することでキレのある動きをするロックダンス(音楽のRockではなく、鍵のLock)等が生まれ、ストリートに集うブロックパーティーからこれまでにない革新的なダンスが誕生しています。これらの最新のダンスをマイケル・ジャクソンが採り入れて世界中に熱狂的に受け入れられ、映画「フラッシュダンス」(1983年)や映画「ブレイクダンス」(1984年)等が相次いで公開されています。
 
▼ ジャズとダンスの発展 
  ~1940年代  1950年
~1970年代
1970年
~1980年代
音楽 ジャズ ファンク
R&B
ヒップホップ
ダンス スイングダンス
リンディホップ
ジャズダンス
etc.
ディスコ
ツイスト
ゴーゴー
etc.
オールドスクール
ブレイクダンス
ホップダンス
ロックダンス
※1940年代のビバップ革命はビバップダンス(ミドルスクール)と関係してきますので下表へ。
※上表は大まかな流れを把握し易くするために作成したものである程度正確性は犠牲にしています。
  
ミドルスクール
1980年代後半~1990年代前半に「ダンスを踊るための音楽」から「音楽に合わせて踊るダンス」としてテンポの早いビートに合わせて踊るステップを中心としたダンスが生まれ、ニュージャックスウィング、ランニングマンやロジャー・ラビット等のダイナミックなステップを多用するインターナショナルスタイルダンス、スピンやジャンプ等のアクロバティックなステップを多用するビバップダンス、細かい足さばきを中心としたステップを多用するホーシングダンスなどが誕生します。
 
バップ革命を契機とする「ダンスを踊るための音楽」から「音楽に合わせて踊るダンス」への潮流
 
スウィング
白人ミュージシャンによりメロディーを中心にして装飾的に即興演奏する「分かり易いジャズ」へと変質
  ⇩
【バップ革命】
この状況に不満を持った黒人ミュージシャンがジャム・セッション(その場に居合わせた即席メンバーで行う即興演奏)でテクニックの極限に挑戦し、複雑な音楽を創り出す演奏(「踊るための音楽」から「聴くための音楽」へ)
  ⇩
1940年代に黒人ミュージシャンによりメロディーではなくコード進行を中心にしてリズム、メロディーや和声を複雑に変化させながら自由に即興演奏する「分かり難いジャズ」へと変革(1990年代に複雑でテンポが早いビバップの音楽に合わせて踊るためにステップを中心としたビバップダンスが誕生。後年、聴くための音楽であるビバップの即興演奏とクラシック音楽の伝統を融合したジャズ・ピアニストのビル・エヴァンス等も登場)
  ⇩
【客離れ】
ジャズの即興演奏が難解になるにつれて客に敬遠されて一時的に客離れ
  ⇩
ハードバップ(モダン・ジャズ)
1950年代にアート・ブレイキーらによりコード進行を中心にして即興演奏しながら、ある程度、コード進行を犠牲にしてもメロディーに配慮した洗練された即興演奏を行う「バランスの取れたジャズ」へと揺り戻し(その後のフリー・ジャズへの流れ)
 
ビバップの揺り戻しとして登場したクールジャズと、その反動として生まれたハードバップの流れは割愛
 
ニュースクール
1990年代後半にはマスメディア等を通じて貧困階層(肉食系タイプ)だけではなく中産階層(草食系タイプ)にも広くヒップホップ文化が浸透し、ヒップホップ文化の裾野が広がります。これに伴ってオールドスクールのようにパワームーブ等の「床踊り」が中心ではダンス表現の深みに欠けると認識されるようになり、オールドスクールの基本を踏まえつつ、より自由度の高い「立ち踊り」を中心にしたヒップホップダンスが誕生します。また、ミドルスクールを融合して多種多様のステップやスピン等を織り交ぜて曲調やリズムに乗って踊るハウスダンスも誕生します。更に、ニュースクールには含まれないかもしれませんが、2000年代に入るとビヨンセ等によりジャズファンクダンスが流行し、2010年代にはLMFAO等によりEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)が流行しているようですが、もはや瑞々しいとは言えない老憊の感性ではダンスが進化して行くスピードやその多様さに付いていくのは並大抵ではありません(苦笑)。でも面白い。イノベーションによって宗教(聖)と科学(俗)が倒置され(科学によって神秘、即ち、神の秘密とされてきたものが暴かれ)、聖と俗の境が曖昧になってきた現代の世相を映してか、1992年にゴスペルとダンスを取り扱った映画「天使にラブソングを・・」等が公開されていますが、ストリートギャングから生まれたヒップホップ文化(俗)が日本の義務教育(聖)に採り入れられるなど様々な価値観が転換(バラダイムシフト)していく現代の時代性を先取りした映画とも言えます。「落語とは、人間の業の肯定である」という名言を残し、時代に先駆けて聖と俗の倒置を実践して見せてくれた故・立川談志師匠の言葉「本流から必ず亜流が出る。しかしその亜流から本流になるものも出る。それが芸術の本質だ。」は芸術だけではなく広く社会に当て嵌まると思いますが、この言葉の重みが改めて身に染みるこの頃です。また、2018年、ドラッグとEMDによってトランス状態に陥り徐々に理性が剥がれ落ち人間の本能が露わになって行くダンサー達によるトランスダンスを取り扱った問題作、映画「CLIMAX クライマックス」(R18指定)が公開され、第71回カンヌ映画祭監督週間で芸術映画賞を受賞しています。先日、日本でもクラブに通う某女優がドラッグ所持の容疑で逮捕されましたが、科学(俗)によって宗教(聖)の封印が剥がされ、理性から本能が解放され易くなった現代人の姿を赤裸々に描いた興味深い映画です。若杉実さんは著書「ダンスの時代」の中で、表現者の宿命として常に「〇〇ではない」ということに拘るのは重要なことで、例えば、「ダンスではない」ということはダンスの既成概念を壊すという意味で「これまでのダンスを超えた」ことを意味していると仰られています。我々のようなアートを受容する側の人間は、往々にしてステレオタイプ(既成概念)に陥って革新的なもの(亜流、俗)をネガティブに捉えがちですが、この変革の時代にあって、伝統的なもの(本流、聖)ばかりでなく、どのように革新的なもの(亜流、俗)に新しい価値を見出して行けるのか、正しくアートを受容する側にこそ瑞々しく柔軟な感性やジャンルレスの幅広い教養が求められているのではないかと痛感します。
 
「ダンスを芸術として承継していくことよりも、スポーツのように競技化することで進化させていくことの方が若者の目を惹きつけやすい。ゲイカルチャーを起点としたコミュニティ文化を「保存」から「発展」へと移し変えなければ頭打ちは避けられない。」(若杉実さん/著書「ダンスの時代」より抜粋)
※上記の引用文中のボールドは小職が装飾したものです。「伝統と革新」「変わらないために、変わり続ける」という言葉が使われるようになってから久しいですが、芸術文化の分野に限らず、あらゆる分野において、現代に切実に求められていることだと痛感します。過去の成功体験に味を占め、いつまも約束された成功ばかりに安住すれば、やがて時代に見捨てられる運命にあるということだと思います。
 
日本では余り話題になりませんでしたが、2016年に「クラシック」及び「ヒップホップ」の音楽とダンスの融合をテーマとした映画「ハートビート」(原題:High Strung)が公開され、出演者にキーナン・カンパ(アメリカ人初のマリインスキー・バレエ団員)、ニコラス・ガリツィン(英国新進気鋭のヴァイオリニスト)、ソノヤ・ミズノ(英国ロイヤル・バレエ学校出身、日本ではユニクロのCMで有名)、イアン・イーストウッド(ヒップホップダンサー、ASUSが日本語の禅から命名したスマホZenPhone5のCMで有名)やその他世界最高峰のダンサー62人を迎えて圧巻のダンスパフォーマンスが見物の映画で、とりわけ現代の時代性(即ち、伝統的な価値観(体制、権威、聖)と革新的な価値観(反体制、自由、俗)との相克)を映したラストのコンクールシーンでは「クラシック」及び「ヒップホップ」の音楽とダンスが見事に融合した完成度の高い舞台(革新的なもの)が披露されています。また、この映画に対する世界での反響を受けて、昨年11月に続編となる映画「High Strung Free Dance」が全米公開になっています。なお、2017年のLFJでは“踊れない音楽はない”という謳い文句で「ダンスと音楽(躍動のヨーロッパ音楽文化誌)」というテーマが採り上げられたそうですが、上述のとおりクラシック音楽キリスト教的な価値観から肉体的な興奮を喚起するリズムの使用を避けてきた歴史的な伝統があるため(ヒップホップ・ダンスは「リズム」(躍動的な跳躍運動)に比重が置かれているのに対し、クラシック・バレエは「メロディー」(優美な回転運動)に比重が置かれています)、必ずしも、クラシック音楽(但し、バーバリズムや民族舞曲を採り入れた曲を除く)はダンス向きではないと思われますが、個人的にはカプースチンなどの超絶技巧曲に振り付けをした舞台も面白いのではないかと秘かに期待しています。若杉実さんが著書「ダンスの時代」の中で「音楽とは世界共通語、ダンスはその通訳だ」と仰っているとおり、複雑で難解になる現代音楽と聴衆との間を媒介する表現手段としてダンスやメディアアート等が効果的に活用される機会が増えてきており、ダンスに期待される意義は益々多様なものになってきています。
 
 
なお、いよいよ世界的に注目されているダムタイプの本公演「ダムタイプ 新作パフォーマンス『2020』」が2020年3月28日(土)及び29日(日)に迫ってきました。それに先立ち、2020年2月16日(日)まで東京美術館で開催しているダムタイプの個展「ダムタイプ―アクション+リフレクション」が開催されていますが、この個展についてダムタイプの芸術監督である高谷史郎さんは「本展では、社会で起きていることに真摯に向き合う批評性と美学、そして新たな世代を迎えた後の活動を紹介したいと思いました。」(「美術手帖」より)とコメントされており、より鑑賞を深めて作品の本質に迫る意味でも見逃せません。
 
 
◆おまけ
2019 World Hip Hop Dance Championshipで、日本代表のKana-Boon!All Starがメガクルー部門で優勝しました!昨年、同大会の中学・高校生部門で優勝したメンバーが再結集した2度目の金星であり、日本のダンス界が世界トップレベルの水準にあることを実証した結果になっています。日本の伝統邦楽(津軽三味線や囃子等)とヒップホップダンスを融合した非常に面白い舞台になっており、その意味でも注目されます。
 
日本で代表的なダンススクール「movement dance school」のPVです。義務教育におけるダンスの必須選択化に伴ってダンススクールに通う若年層が増えているようですが、若い頃に何かを創り上げる喜び、何かを表現する喜びを知っておくことは人生の肥やしになる大変に貴重な経験であり、何かに打ち込んでいる人の姿はそれだけで美しく胸を打つものがあります。 
 
最後にブレイクダンスの至芸をどうぞ。ブレイク・ダンスとは、ブレイク・ビート(曲間のビート部分)で踊ることを意味していますが、エントリー、フットワーク、パワームーブ、フリーズの4つの要素から構成される力強いダンスです。如何に重力から身体を解き放って自由になれるのか、人類創世から続く憧憬と葛藤がこのダンスを美しく魅せるのだと思います。