大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

伝統のアップデート(川柳の日と上田朝子リュート・テオルボレクチャー&コンサート~新しい現代作品の為の)<STOP WAR IN UKRAINE>

▼川柳の日(ブログの枕)
1757年8月25日(新暦9月20日)は、前句付けの点者・柄井川柳が最初の万句合を興行した日であり、その推定地に川柳発祥の地碑が設置されています。「連歌」や「俳諧連歌」は、上の句(五・七・五)のお題に対し(過去のブログ記事で触れましたが、このお題が「宿題」の語源)、参加者が下の句(七・七)を続けて、その優劣を競う集団文藝ですが、これとは逆に、「前句付け」は、下の句(七・七)のお題に対し、参加者が気の利いた上の句(五・七・五)を自由に考えて、その優劣を競う遊戯的な集団文藝です。この上の句の優劣を判定する者を点者と言い、当時、最も人気があった点者が柄井川柳です。後に、前句付けの下の句(前句)から上の句(付句)が独立して鑑賞されるようになり「川柳(古川柳)」が誕生しました。「連歌」や「俳諧連歌」ではお題となる上の句(発句)に季語や切字等を使用しなければならないという約束事がありますが、「前句付け」では下の句(前句)がお題となることから上の句(付句)には季語や切字等を使用しなければならないという約束事はなく、「川柳」はその性格を受け継いで季語や切字等を使用しなければならないという約束事はありません。この点、「連歌」や「俳諧連歌」の上の句(発句)が独立した「俳句」は、表現形式(五・七・五)は「川柳」と同じですが、「川柳」と異なっている点は上の句(発句)の性格を受け継いで季語や切れ字等を使用しなければならないという約束事があることです。日本では、飛鳥時代から奈良時代にかけて遣隋使や遣唐使によって唐歌(漢詩)等が伝来しますが、平安時代になり唐が衰退して遣唐使が廃止されると、日本独自の仮名文字(過去のブログ記事で触れましたが、真名文字:漢字に対し、漢字を崩した仮名文字:片仮名、平仮名)が発明され、その仮名文字を使った「和歌」(五・七・五・七・七)が誕生します。鎌倉時代になると、「和歌」を上の句(五・七・五)と下の句(七・七)に分けて、ある人が詠んだ上の句(五・七・五)に対して、別の人が下の句(七・七)を付け、さらに別の人が上の句(五・七・五)を付けることを繰り返しながら100句になるまで和歌を詠み合せる「連歌」が誕生します。複数人で和歌を詠み合せる連歌のスタイルが誕生したのは、王朝文化から武家文化へ移行するなかで、他家や家臣との結び付きを強めるためのコミュニケーションの方法として和歌(武ではなく文)が政治利用されるようになり、複数人で和歌を詠み合せることで連帯(一味同心)を保とうとしたことがその背景にあるのではないかと思われます。江戸時代になると、庶民の識字率の向上に伴って徐々に庶民が文化の担い手となり、連歌に滑稽な言葉を盛り込んだ「俳諧連歌」(俳諧=こっけい、おかしみ)が流行します。やがて江戸時代中期になると、上述のとおり「俳諧連歌」から「川柳」が誕生しますが、柄井川柳の死後は社会風刺や滑稽味を増した通俗的な題材を詠った「狂句」(五・七・五)や「狂歌」(五・七・五・七・七)へと堕落して行きます。
 
▼江戸の風を感じさせる狂歌を1
わが禁酒 破れ衣と なりにけり 
        さしてもらおう ついでもらいおう」(四方赤良
※「四方赤良」(しものあから)とは、あから顔に因んだ柳号か?
 
1903年、俳句革新運動を推進していた正岡子規(毎月開催される俳諧や俳句の会を「月並みの会」と言いいましたが、正岡子規俳諧の一本調子を「月並」と酷評したのが平凡を意味する月並みの語源)の影響から、江戸時代に低俗野卑な性格を強めて行った「狂句」を改めて「川柳」の復古を唱える川柳革新運動が推進され、阪井久良岐は叙情を詠う詩的な川柳を目指し、また、井上剣花坊は時事やユーモアを詠う古川柳への原点回帰を目指して近代的な川柳が確立します。この運動によって革新された「新川柳」や「新俳句」は大衆定型詩として現代人にも愛され、「サラリーマン川柳」や「お~いお茶新俳句」等として社会的に注目されると共に(現在、アパホテル宿泊券等があたる「アパ川柳2023」を公募中なので貴兄姉の詩心を試してみませんか?)、最近では川柳の形式に乗せて韻を踏む「ラップ川柳」等も登場し、様々に姿を変えながら世代を越えて日本の詩の文化の伝統がアップデートされています。「俳句」は季語を使うことから人間と自然の関係性のなかで風景や事物を詠むものであるのに対し、「川柳」は季語を使わないことから人間と人間の関係性のなかで人間や社会を詠むものであるという基本的な性格の違いがあるのではないかと思います。サラリーマン川柳を読んでいると、世相を映す日頃の憂さを川柳に詠んで晴らし、腹に溜めない日本人の知恵のようなものも感じられます。
 
①誹風柳多留発祥の地碑(東京都台東区上野公園1
②川柳発祥の地碑(東京都台東区蔵前4丁目37−8
③初代柄井川柳墓(龍宝寺)(東京都台東区蔵前4丁目36−7
柄井川柳碑(菊屋橋公園)(東京都台東区元浅草3丁目20
誹風柳多留発祥の地碑/1765年、柄井川柳の選句集「誹風柳多留」が人気を博し、その版元「星運堂」があった場所。婚礼の酒樽を柳樽と言うのは柳の木が柔らかく酒樽の材料に好まれたことが由来で、柳樽を文字り「家内喜多留」(やなぎだる→かないきたる)と語呂を合わせ、「一升(一生)入り」「半升(繁盛)入り」と縁起を担ぎました。ここから「柳多留」(うまいものが詰まっているもの)と文字り「柳に風」を掛けて「排風柳多留」と命名 川柳発祥の地碑/1757年、柄井川柳が最初の万句合を興行した場所の推定跡地で、ここが川柳発祥の地と言われています。この裏手に柄井川柳菩提寺である龍宝寺があります。 初代柄井川柳墓(龍宝寺)/別称、川柳寺。東都浅草絵図を見ると、町の中央に新堀が東西に流れ、その両岸が新堀端と呼ばれていました。東都浅草絵図の中央にある小さい方の龍宝寺が柄井川柳菩提寺で、ここに柄井川柳の墓が安置されています。現在は、龍宝寺の門前は川柳横丁と言われています。 柄井川柳碑(菊屋橋公園)柄井川柳の偉業を顕彰するために、平成元年に菊屋橋公演に柳が植樹され、柳が成長したところで平成4年に柄井川柳碑が建立されたそうです。
 
【演題】現代音楽家のためのリュート/テオルポ奏法ワークショップ第1回
    レクチャー&コンサート
【内容】レクチャー
     ・楽器の歴史
     ・レパートリー
     ・ソロとアンサンブルの奏法
     ・楽譜、記譜法
     ・現代音楽での特殊奏法の可能性
     ・参加者との意見交換
       <講師>リュート奏者 上田朝子
    ミニコンサート
     ・G.G.カプスペルガー:トッカータ アルペッジャータ
     ・B.カスタルディ:我流のアルペッジャータ
     ・R.D.ヴィゼー:プレリュードイ短調
     ・C.モンテヴェルディアリアンナの嘆き(Sax-Teo編曲版)
     ・K.シュトックハウゼンアクエリアス(Sax-Teo編曲版)
       <演奏>サックス(Sax):坂口大介
           テオルボ(Teo):上田朝子
【会場】門天ホール(アーカイブ配信)
【料金】1500円
【感想】
▼レクチャー&コンサート
伝統のアップデートに挑戦しているリュート奏者の第一人者である上田朝子さんの現代作曲家に向けたレクチャー&コンサートが8月23日に開催され、そのアーカイブ配信が開始されましたので、著作権に抵触しないであろうと思われる範囲内で簡単に内容の紹介と感想を書き残しておきたいと思います。今回、上田さんがこの演奏会を企画した趣旨は、テオルボという魅力的な古楽器が存在するのに、現状、テオルボのために書かれた現代音楽(特にソロ曲)が殆どなく、そのためにテオルボ奏者が現代音楽を演奏できるようにならないという負のサイクルから抜け出せず、そこから抜け出すためには演奏者から現代作曲家へアプローチする必要があるのではないかと感じ、テオルボという楽器が持つ表現可能性について現代作曲家と一緒に考える機会を設けて新しい創作の契機にできればという想いが発端だったそうです。そこで、第1回(8月23日)では上田さんから現代作曲家に対するレクチャー&ミニコンサートを実施し、第2回(10月16日)では現代作曲家から公募された作品を上田さんが演奏するコンサート&シンポジウムという2本建てになっている非常にユニークかつ有意義なレクチャー&コンサートです。....というこで、このレクチャー&コンサートは現代作曲家に向けられた内容になっており、僕のような一般聴衆が参加して良いものなのか分かりませんが、クラシック音楽界にとって時代の転換点となり得るような貴重な機会に立ち会って記録を書き残しておくべしと思い立ち、一般聴衆であることを秘してアーカイブ配信に参加させて頂くことにしました。かなり以前から、クラオタの間ではいつまでもクラシック音楽第一次世界大戦前までの音楽)ばかりでは「飽きた」という言葉が聞かれるようになり、社会が大きく革新しているなかでクラシック音楽界だけが「昨日までの世界」ばかりに閉じ籠っている状況を心から残念に感じている人が少なくないように感じていましたので、上田さんのように未来に向けて伝統をアップデートしようと取り組んでいる演奏者の存在(以下のシリーズ「現代を聴く」でも若干の演奏者(団体)を紹介)を知ったことは、一般聴衆にとっても発奮されるものがあり、今後も大きな期待を込めて応援して行きたいと思っています。過去のブログ記事でも触れましたが、iPhoneの意匠やユニクロのデザインに象徴されるように無駄なものを省いたシンプルな美しさが好まれ、ストイック(ミニマル)が持て囃される時代にあって、あまり厚化粧な音楽や演奏は好まれなくなっていると思いますので、新しいジャンルとして古楽器を使用した現代音楽の潜在ニーズは高いのではないかと注目しており、前回のブログ記事でも1曲紹介しましたが、最後に、何曲か古楽器を使用した現代音楽をご紹介してみたいと思います。
 
 
さて、テオルボは、ルネサンス末期に開発されたリュート属の撥弦楽器(日本の琵琶もテオルボと同祖同根のリュート属)で通奏低音楽器及びソロ楽器として使用されていますが、拡張バス弦を持ち(リュートはバス弦がない)、テオルボ調弦(リエントラント調弦)を使用することが特徴で、1面でポリフォニー音楽を演奏できることからピアノが登場するまでは作曲家に重用されていたそうです。テオルボは、日本の伝統邦楽器と同様に様々なことが規格化、標準化されておらず、その大きさ、形状、構造、音色、演奏やその他の特徴等には個体差や個人差があり、そのために現代のテオルボ奏者の間でもテオルボの扱い方等には差異があるそうなので、そこがテオルボを扱う難しさであると共にテオルボの大きな魅力となっています。そう言えば、過去のブログ記事でも触れましたが、現代音楽を扱った漫画「ミュジコフィリア」第1巻の表紙に描かれている楽器は14コース(弦)のリュートであり、何か示唆的なものを感じさせます。リュートという楽器名は、木を意味するアラビア語のアル・ウード(ルウード→リュート)が語源ですが、ペルシャ楽器の表面は動物の皮が使われているのに対し、リュートやテオルボの表面は薄い木板(1.5mm、ヴァイオリンは2.5mm)が使われており、また、ガット弦に加えてコース(弦)の数も多く、さらに、フレッドも動き易いことなどから非常に音程が不安定な楽器で、リュート奏者は人生の1/3を調弦に費やしていると揶揄されるほど頻繁に調弦が必要になるそうです。そのために、リュート奏者が頻繁な調弦によって聴衆を飽きさせない工夫として楽想をつけた調弦が行われるようになり、それがプレリュード(前奏曲)の起源だそうです。なお、慎ましやかで繊細な詩情を讃えたリュートという楽器が、歴史上、どのようなイメージ(メタファー)で捉えられてきたのかをバロック絵画等を使用しながら解説しており非常に興味深かったのですが、今後、テオルドという楽器が持つ表現可能性とそれを踏まえた現代音楽の創作又は受容にあたって、そのイメージ(メタファー)が何らかのインスピレーションを与え得る一方で、何らかのバイアスとしても働き得る点を踏まえて、敢えて、ここでは触れないでおこうと思います。また、テオルドの記譜法や特殊奏法等の解説も行われましたが、テオルド奏者(プロ)は日本全国で10名程度しかいないとのことなので、かなり希少性のあるノウハウやその他の情報等が含まれている可能性がありますので、敢えて、ここでは触れることを控えて、このレクチャー&コンサートに参加していた現代作曲家との意見交換の一部(但し、具体的なアイディアを除く)をご紹介しておきたいと思います。テオルボは音が小さく音域が狭いというビハインドがありますが、テオルボの音をアンプリファイアした場合の効果や影響について議論が行われました。また、バロック音楽の修辞法を離れ、不確定性を採り入れた修辞表現の可能性や修辞表現の記譜法又はその他のアプローチ法等についても議論も行われました。さらに、テオルボを使った微分音の演奏可能性、トレモロその他の特殊奏法の演奏可能性、ギターとテオルボの違いなど、テオルボの演奏技法や楽器特性等に関する広範多岐な議論が展開されました。前回のブログ記事ではAIによるデジタルアートの領域でプチ・シンギュラリティのような状況が生まれていることをご紹介しましたが、テオルボの演奏をAIに学習させて自動作曲させる試みも有効ではないかと思います。最後に、一般聴衆の淡い期待として、「革新とは、単なる方法ではなく、新しい世界観を意味する」(P.ドラッカー)という名言がありますが、最近のブログ記事でも縷々触れてきたとおり、現代は時代の価値観、自然観や世界観等が大きく更新され、「昨日までの世界」に閉じ籠っていられない不可逆な時代を生きていますので、そのことを踏まえて現代の時代性を表現し又はそれを前提とした新しい芸術表現が求められているのではないかと感じます。過去の芸術がそうであったように、どのような世界観を表現するのかという視点が最も重要であり、そのために相応しい表現方法としてどのようなもの(既成楽器の改良や新しい表現手段の開発等を含む)があるのかを模索することが求められているのではないかと思います。その意味で、テオルボという楽器をバロック時代の世界観(古楽としての史的考証を含む)の延長線上で捉えて現代音楽の表現方法だけを採り入れる(皮相上滑り)のではなく、テオルボという楽器を現代の世界観で捉え直し、その新しい世界観を表現するための楽器としての表現可能性が模索され、新しい芸術体験を齎してくれることを期待したいです。
 
古楽器を使用した現代音楽
M.アタックの序曲(H.パーセルの歌劇「ディドとエネアス」)
 ※テオルボ(上田さんが出演)
B.アタヒルの全曲(R.カーベルの歌劇「パストラール」)
 ※テオルボ、ほか多数
 ※コルネット、オルガン
                           ほか多数
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.5
シリーズ「現代を聴く」では、1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代音楽家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介していますが、今回は現代音楽を積極的に演奏、紹介している演奏家(団体)をご紹介します。
 
▼ アンサンブルニュークラシカ
アンサンブルニュークラシカは、現代作曲家、古楽器奏者及び現代楽器奏者から構成され、ルネサンス音楽から現代音楽までの幅広いジャンルの音楽をレパートリーとして音楽表現の可能性を探求している団体です。この動画は東京都がアーティスト支援事業として実施していた「アートにエールを!」の公募作品で、星谷丈生の「Pattern, Frame, Anti-Synchronization」(03:41~12:01)はパターン、フレーム、非同期をテーマにし、古楽器も使用されています。
 
▼ アンサンブル室町
アンサンブル室町は、ヨーロッパの古楽器(上述の上田朝子さんも参加)及び日本の邦楽器による世界初のアンサンブルで、様々な作曲家、ダンサー、舞踊家、俳優、声楽家などとのコラボレーションを通して新しい芸術表現の創造を目指して活動している団体です。この動画は、伝統音楽と現代音楽(委嘱作品・世界初演)で構成された公演の模様を収録したもので、伝統のアップデートを試み、新しい世界観を提示することに成功している興味深い作品だと思います。
 
▼ アンサンブルフリーJAPAN
アンサンブルフリーJAPANは、若手の現代作曲家、若手のプロ奏者や音大生等から構成され、日本の優れた現代音楽を高い演奏技術で世界に発信し、未来に残していくという目的で活動しており、日本現代作曲家ライブラリーに登録されている現代作曲家の作品を積極的に紹介し、現代音楽と聴衆の橋渡しに貢献している団体です。この動画はそのなかの1つで、逢坂裕ピアノ三重奏曲「乙女と一角獣」(委嘱作品/世界初演)(06:10~08:38)です。