大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用、拡散などは固くお断りします。※※

創作浄瑠璃「毒婦お傳摩羅地獄譚」と TokyoCantat 2024と村治佳織ギターリサイタル(ほのカルテット)と志ん輔蝉の会(淡座)と地図を編む<STOP WAR IN UKRAINE>

▼地図を編む(ブログの枕単編)
GWなので軽く与太話で済ませたいと思います。GWで地図を見る機会が増えていると思いますが、先日、外国人の知人から日本地図には「関東」とは表記されているのに「関西」とは表記されていないのはどうしてなのかという質問を受けて説明に苦慮しました。日本の行政区画は8地方区分が採用され、これには「関東」は表記されていますが「関西」とは表記されておらず、また、気象予報区分でも「関東」は表記されていますが「関西」とは表記されていません。現在、一般的に流布されている整理では、「関西」(2府4県=京都府、大阪府、奈良県、和歌山県、滋賀県、兵庫県)、「近畿」(2府5県:三重県を追加)、「近畿圏」(2府6県:福井県を追加)となり、8地方区分でも同様の整理が採用されていますが、気象予報区分では上記の整理に従えば「関西」と表記されるはずの2府4県を「近畿」と表記しており混迷を極めています。最近では「近畿」という言葉が英語のKinky=変態と同じ響きを持っていることから、これを嫌って「関西」という表記に統一しようとする動きまで見られます。日本では大化の改新(奈良時代)で古代中国の律令制度が採り入れられましたが、古代中国では都のことを「畿」と表記したことから、日本の都とその周囲にある大和国、山城国、河内国、和泉国、摂津国の5ケ国のことを「畿内」と呼び、その近隣にある地域を「近畿」と呼ぶようになり、「畿内」を中心にした同心円状の距離に応じて日本列島を「近国」「中国」「遠国」に区分しました。その後、「畿内」から全国に伸びる七街道(東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道)が整備されて日本列島を縦断する行政区画「五畿七道」に区分しました。このように「近畿」という言葉は畿内(西)を中心として日本を捉える象徴的な言葉です。しかし、鎌倉幕府が開かれると、東国から畿内への侵入を防ぐために設置されていた三関(東海道の鈴鹿関、東山道の不破関、北陸道の愛開関)を境とし、その東側を鎌倉幕府が政権を司る「関東」、その西側を朝廷が政権を司る「関西」と呼んで区別するようになりましたが、徐々に関西の政権も朝廷から幕府へ移行し(朝廷が任命した国司・郡司が弱体化し、幕府が任命した守護・地頭が台頭)、江戸時代になると江戸幕府が将軍家のお膝元にある「関八州」(武蔵国、相模国、上野国、下野国、上総国、下総国、安房国、常陸国の関東8ケ国)の警護を強化するために、箱根関(神奈川県と静岡県の境)、小仏関(神奈川県及び東京都と山梨県の境)、碓氷関(群馬県と長野県の境)の東側を「関東」(1都6県=東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、群馬県、栃木県、茨城県)と呼ぶように改まって、これが現在まで続いています。その意味で「関西」という言葉は朝廷が卑しき東夷(東国武士)に政権(土地の支配権=主権、土地の分配権=政権)を奪われた屈辱の歴史から生まれたものであり、関西人にとって古き良き時代を象徴する「近畿」という言葉が好んで使われてきたということかもしれません。なお、天智天皇は大化の改新(奈良時代)を成功した中臣鎌足に対して藤原姓と冠位を下賜しました。この姓は中臣鎌足の出身地である大和国高市郡藤原(現、奈良県橿原市)の地名から採られていますが、当時、この一帯の平原が「井ケ」(藤井とは藤の木の下に井戸があった場所)と呼ばれていたことに由来しています。このように「地名」は地形や地勢などの土地の特徴を表しているものが多いですが、「名字」(=「田」(土地)の「」(名前))は先祖が住んでいた土地の「地名」に由来するものが多く、例えば、佐藤(佐野に住む藤原氏)、伊藤(伊勢に住む藤原氏)、加藤(加賀に住む藤原氏)、近藤(近江に住む藤原氏)、遠藤(遠江に住む藤原氏)、武藤(武蔵に住む藤原氏)、須藤(那須に住む藤原氏)などはその典型例と言えます。また、企業名も創業者の出身地(吉野家、崎陽軒、大和ハウスなど)や創業の地(エバラ食品、亀田製菓、タカラトミー、オムロンなど)の地名に由来するものが少なくありません。昔は家長主義に基づく土地の単独相続を背景として「家」(家長による土地の支配を示すための名字)が重要な意義を持っていましたが、現代は平等主義に基づく金銭の分割相続を背景として「家」を支えてきた社会的な基盤が崩壊し、その意義は失われています。その一方で、「地名」は地形や地勢などの土地の特徴を表しているものが多いことから、最近では、防災・減災の観点から地名と自然災害の相関関係が研究されるようになっていますが(以下の囲み記事を参照)、例えば、土砂崩れを意味する「蛇落」や「埋め河」などの自然災害との相関関係がある地名は縁起が悪いとして「上楽」や「梅河」などの自然災害を連想させない縁起の良い地名に改められている例も多く、また、最近ではキラキラネームよろしくカタカナ地名も増加して地名が地形や地勢などの土地の特徴を表すものではなくなっているなど、地名と自然災害の相関関係が曖昧になって土地(地名)に刻まれてきた歴史の記憶(情報資産)が失われつつあるという問題が指摘されています。GWに田舎に帰られる方も多いと思いますが、未だ地方には土地(地名)に刻まれてきた歴史の記憶(情報資産)がそのまま残されているところが多いので、防災・減災の観点に限らず、自分の田舎の地図を編んでみると色々な発見があるかもしれません。
 
▼自然災害との相関関係の可能性が指摘されている地名例
災害 地名
水害 クボ(久保、窪)、カモ(加茂、鴨)、ウラ(浦)、ナミ(波、浪)、、ウキ(浮、宇喜)、イケ(池)、ハタ(端)、フクロ(袋)、エ(江)、イナ(猪名、伊奈、稲)、カマ(鎌、釜)、ミノ(美濃、箕面)、ワダ(和田)、アイ(合、相、会、英) など
土砂災害 キリ(切)、マヤ(摩耶、眉、迷)、アユ(鮎)、アリ(有)、イモ(芋)、クワ(桑)、サル(猿)、ハナ(花)、オガ(小川、鹿)、アラ(嵐、荒)、シギ(鴫)、トリ(鳥)、ワシ(鷲)、オリ(折)、ムギ(麦、牟岐)、ナギ(薙、那岐) など
水害
土砂災害
ナダ(灘、名田)、マイ(舞、米)、クラ(蔵、倉、桜)、タキ(滝、多気、多喜)、ヤギ(八木)、アオ(青)、アカ(赤)、ツル(鶴、都留、水流)、ヤシキ(屋敷)、クマ(熊、球磨、久万)、ジャ(蛇)、アシ(足、芦)、ヤ(矢、八)、イタ(板、伊丹、井田、潮来) など
 
▼創作浄瑠璃「毒婦お傳摩羅地獄譚」
【演題】創作浄瑠璃「毒婦お傳摩羅地獄譚」(R15指定)
【作話】sola(荒井宗羅)
【作曲/演奏】歌舞伎義太夫三味線奏者 野澤松也
【紙切】林家二楽「浅とお傳」
【協賛】長谷川建築デザインオフィス
【場所】SHINKA HALL
【日時】2024年4月26日(金)18:30~
【一言感想】
今日は明治の毒婦・高橋お傳を題材にした創作浄瑠璃が演じられるというので聴きに行くことにしました。今日の会場であるSHINKA HALLは鍛冶橋通り沿いにある高橋の袂にあり、何やら因縁めいたものを感じさせます。この事件は仮名垣魯文の小説「高橋阿伝夜刃譚」河竹黙阿弥歌舞伎「綴合於伝仮名書」映画「お傳地獄」などの数々の作品に翻案されていますが、いずれも虚実皮膜の間で彩られる戯曲なので、この事件の顛末(真相)を簡単に触れておきます。高橋お傳は夫の高橋浪之助と死別(病死)した後に愛人の小川市太郎と同棲しますが、その放蕩な暮し振りから金に困り、実姉の夫(又は雇い主)の後藤吉蔵から金を借りるために一夜を共にする羽目になりますが、後藤吉蔵は高橋お傳との約束を違えて金を貸そうとしないので、その宿で後藤吉蔵を殺害して金を奪ったことから、金のために男を殺した毒婦として世間を騒がせることになりました。その後、高橋お傳は市ヶ谷刑場で斬首刑に処せられましたが、その刑の執行にあたり愛人の小川市太郎の名前を叫んで騒いだので執行人の手元が狂って一太刀目、二太刀目は首を斬り損ね、漸く三太刀目で首を斬り落としたと言われています。昔から日本の刑事司法やマスコミは都合よく事実を捏造又は隠蔽して憚らない体質があったと言われており、この事件でも捏造や隠蔽により真相は闇に葬られてしまいました。なお、高橋お傳の遺体は解剖され、その性器は淫婦の局部標本としてホルマリン漬けされたそうですが、あまりにも悪趣味な明治の痴性には閉口せざるを得ません。高橋お傳の墓(埋め墓)鼠小僧次郎吉の墓などがある小塚原回向院に埋葬されましたが、その後、仮名垣魯文の呼掛けで歌舞伎役者や落語家などの寄付により谷中霊園に高橋お傳の墓(参り墓)が建立され、この墓に参ると三味線の腕前が上達すると言われています。さて、第一場の小川市太郎を恋い慕う高橋お傳が斬首される場面では小塚原刑場(史実では市ヶ谷刑場ですが、本作では脚色)の暮れ染める枯れ木の映像が投影され、その茜に染められた空は高橋お傳の情念の炎に焼かれているようにも見えましたが、野澤さんが高橋お傳の未練に揺れる女心から小川市太郎の憐憫の情までを情緒纏綿とした心情描写で弾き語りました。撥(バチ)を強く打ちつけて刀を振り下ろす殺気を表現し、また、ポツンポツンと爪弾いて血が滴り落ちる様子を表現するなど臨場感のある描写は聴き応えがあり、琵琶語りから派生した浄瑠璃三味線の表現力の幅広さを感じさせました。第二場の小川市太郎が高橋お傳を弔う場面では小塚原刑場に咲き乱れている桜月夜の映像が投影され、小川市太郎が高橋お傳の胴体が葬られている小塚原の墓にその首を弔うと、高橋お傳の霊が顕在して小川市太郎に顛末(真相)を告げて、初めて出会った頃の姿を思い出して欲しいと言い残して消え失せました。野澤さんの弾き語りを聴きながら、与謝野晶子の歌集「みだれ髪」に収められている短歌「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき」を思い出していましたが、娼婦性と家婦性のあわひで儚い恋花を散らせた高橋お傳の悲恋が心に沁みる1曲でした。このプロットであれば新作能の題材としても使えるかもしれません。前回のブログ記事でも触れましたが、桜は日本人の詩情を映すプロジェクションとして、千年の時を超えて日本人の心を豊かに彩っています。
 
 
▼Tokyo Cantat 2024
【演題】セミナー「エストニアの合唱音楽~ヴェリヨ・トルミスの世界~」
【講師】トヌ・カリユステ
【場所】江東区森下文化センター 第1レクホール
【日時】2024年4月29日(月・祝)14:00~
【一言感想】
現在、音楽樹が主宰する「Tokyo Cantat 2024」が開催されています。このイべントは1996年から「日本における合唱音楽の浸透と、文化としての合唱活動の振興」を目的として「世界各国の合唱音楽の紹介と日本の合唱文化の再確認」というテーマを掲げ、毎年、世界的に著名な指揮者や作曲家を招聘してセミナーやコンサートなどを開催していますが、今年はスウェーデン人指揮者兼メゾソプラノ歌手のソフィ・ジャナンさん(1976年~)、エストニア人指揮者のトヌ・カリユステさん(1953年~)及びオーストリア人指揮者のエルヴィン・オルトナーさん(1947年~)を招聘して開催されています。また、1999年から現代作曲家の故・西村朗さん、新実徳英さんの協力のもと「合唱音楽の新たな地平」をコンセプトに掲げ、様々な現代作曲家と合唱作品を生み出してきましたが、その中からセレクトした合唱作品の再演と共に、前回のブログ記事でも触れた現代作曲家の神山奈々さん(1986年~)の新作が初演されるというので、非常に楽しみです。さて、今日はトヌ・カルユステさんがエストニアの合唱音楽を俯瞰したうえで世界的に著名なエストニア人現代作曲家のヴェリヨ・トルミスさん(~2017年)に関するセミナーを開催されるというので聴講することにし、その概要をごく簡単に残しておきたいと思います。エストニアと言えば、1988年に開催された合唱祭で約30万人(国民の1/3)のエストニア人がソヴィエト連邦の治世下で禁じられていたエストニア語(母国語)による合唱を歌ったことが契機となり1991年にソヴィエト連邦からの独立を勝ち取った「歌による革命」が記憶に新しいところです。トヌ・カルユステさんによれば、エストニアの民謡は農作業の仕事歌として発達してきましたが、ドイツから教会音楽(コラール)が伝わると人々が集って合唱する習慣が芽生えて、長年に亘ってエストニア人のアイデンティティを育む文化として醸成されてきたそうです。ドイツから伝わった教会音楽(コラール)の旋律にエストニア語(ウラル語系の言語でフィンランド語に近い)の歌詞を当て嵌めて歌うことでエストニア語が持っているリズム特性が音楽に反映されて独自の音楽文化として発展したそうです。やがてドイツから伝わった教会音楽(コラール)の旋律に代えてエストニアの民謡を採り入れた音楽が作曲されるようになり、その後、エストニアの民謡だけではなくハンガリーなど他国の民謡も採り入れた音楽が作曲されるようになったそうです。クロージング・コンサート(5月6日)で採り上げられるキリウス・クレークさん(~1962年)は世界中の民謡を約7000種類も採取し、また、トゥドゥル・ヴェティクさん(~1982年)はドイツの教会音楽(コラール)の旋律を真似るだけではなくエストニアの民謡を合唱音楽に採り入れた作曲家として知られているそうです。さらに、ヴェリヨ・トルミスさんはエストニアの民謡をそのまま使いながら伴奏の要素を付け加えた作曲家として知られているそうです。トヌ・カルユステさんはシベリアの民族楽器「シャーマンドラム」(本来は生まれる前のシカの皮を張るそうですが、現在は別のもので代替されているそうです。)を持参されていましたが、これはクロージング・コンサート(5月6日)で採り上げられるヴェリヨ・トルミスさんの代表作「鉄への呪い」(1985年)で使用する楽器で、その土俗的な響きとオスティナート音型がシャーマニックな雰囲気(この世ならざる者との交信を試みる儀式性)を醸し出しています。この曲はフィンランドの国民的叙事詩「カレヴァラ」のテキストをベースとして鉄への呪い(鉄を戦争や殺戮のための武器として乱用すること)に対する警告(反戦)を込めた作品になっており、現代的なメッセージ性を持った作品と言えます。日本のシャーマニズムと同様に自然や祖先への信仰が息衝いている音楽に感じられ、どこかアイヌ・ユーカラなどにも似た曲調のようにも感じられます。なお、トヌ・カルユステさんは合唱指揮の極意として指揮棒の動きを見せるのではなく呼吸を見せることを心掛けており、とりわけ吸う息の中に感情が宿ると語らえていたのが印象的でした。
 
▼トヌ・カリユステさんのニューアルバム「Tractus」
トヌ・カリユステさんが手兵のタリン室内弦楽楽団とエストニア・フィルハーモニー室内合唱団を従えて、現在、世界で最も人気がある存命作曲家のアルヴォ・ペルトさん(1935年~)の作品を取り上げたニューアルバム「Tractus」を昨年11月にリリースして話題になっています。
 
【演題】合唱音楽の生誕の季(とき)~「水のいのち」から「新作」へ
【演目】①髙田三郎 混声合唱組曲「水のいのち」(1964年)より
                  「雨」「水たまり」「海」「海よ」
     <Cond>松村努
     <Chor>Combinir di Coristaコンビーニ・ディ・コリスタ
     <Pf>織田祥代
    ②新実徳英 混声合唱組曲「幼年連祷」(1980年)より
                       「花」「憧れ」「喪失」
     <Cond>名島啓太
     <Chor>混声合唱団鈴優会
     <Pf>御邊里佳子
    ③柴田南雄 追分節考(1973年)
     <Cond>栗山文昭
     <Chor>栗友会合唱団
     <尺八>関一郎
    ④糀場富美子 生命の種まき(2010年)
     <Cond>野本立人
     <Chor>女声アンサンブル桜組2024
     <Pf>吉田慶子
    ⑤山内雅弘 蛙の交響(2014年)より第二楽章、第三楽章
     <Cond>清水敬一
     <Chor>早稲田大学コール・フリューゲル/松原混声合唱団(男声)
     <Pf>小田裕之
    ⑥信長貴富 女性合唱のためのモニュメント(2003年)
     <Cond>山脇卓也
     <Chor>女声合唱団ぴゅあはーと/早稲田大学女声合唱団
    ⑦久留智之 ハミングバード(1999年)より
                   「Ⅰ. ハミングバード」「Ⅱ.夜の歌」 
     <Cond>上西一郎
     <Chor>Chor Alyssumコール・アリッサム
    ⑧寺嶋陸也 合唱劇「かなしみはちからに、」(2015年)より
             「あまのがは」「永訣の朝」「かなしみはちからに」
     <Cond>横山琢哉
     <Chor>Coro Oraciónコーロ・オラシオン
     <Pf>寺嶋陸也
    ⑨西村朗 無伴奏混声合唱のための<敦盛>(2009年)
     <Cond>藤井宏樹
     <Chor>合唱団樹の会
    ⑩神山奈々 混声合唱とピアノのための
                   「春、はなるるひとよ」(世界初演)
     <Cond>神山奈々
     <Chor>八ヶ岳ミュージックセミナー合唱団
     <Pf>片山柊、トヌ・カリユステ
【場所】すみだトリフォニーホール 大ホール
【日時】2024年5月3日(金・祝)17:00~
【一言感想】
冒頭、現代作曲家の新実徳英さんから挨拶があり、音楽樹の活動は現代作曲家の故・西村朗さんが東京から離れて新しい合唱音楽を作りたいという掛け声から西村さん、新実さん、合唱指揮者の栗山文昭さん(島根県出身)が中心になり、最初の5回は隠岐の島で開催されたそうです。毎年、合唱音楽の新たな地平を拓くために様々な現代作曲家に合唱音楽の新作を委嘱してきたそうですが(因みに、これまで東京混声合唱団が新作を委嘱した合唱音楽の数は250曲にも上るそうです)、先ず、これまでの日本の合唱音楽を代表する3曲が冒頭で紹介され、これに次いで、これまで音楽樹が新作を委嘱してきた合唱音楽からセレクトした6曲、今回新たに音楽樹が新作を委嘱した合唱音楽1曲が演奏されました。約4時間に及ぶ演奏会でしたが、非常に演目数が多いので、音楽樹の活動を創始した②新実さんの曲、③柴田さんの曲(栗山さんの指揮)、⑨西村さんの曲と、⑩西村さんの愛弟子である現代作曲家の神山奈々さんの新作の感想をごく簡単に残しておきたいと思います。
 
混声合唱組曲「幼年連祷」(1980年)より「花」「憧れ」「喪失」
第1曲目は合唱の弱唱とピアノの分散和音が幻想的な雰囲気を醸し出す柔らかく透明感のある演奏、第2曲目は合唱の各声部が織り成す繊細な綾にピアノが色彩を添えて行く美しい演奏、第3曲目はピアノの躍動するリズムと合唱の強唱が生む光沢と陰影が印象的な演奏が魅力的でした。この曲は合唱音楽ですが、ピアノのプレゼンスが大きく、ピアニストの御邊里佳子さんがホールの残響を上手く捉えながらピアノの美観が際立つ演奏で出色でした。
 
追分節考(1973年)
一度、この曲のライブ演奏を聴いてみたいと思っていましたので、漸く念願が叶いました。この曲は総譜がなく指揮者が音楽素材を自由に組み合わせながら即興演奏する作品ですが、舞台に女性合唱、客席に男性合唱が配置されて、女声合唱が「お・い・わ・け・ま・ご・う・た」の平仮名が書かれた計8本の金扇子を持ち、指揮者の支持に従って金扇子を上げ下げしながら男性合唱に指示を出し、それぞれの金扇子に対応する音楽素材が歌われました。女性合唱の清澄なコーラスを背景として男性合唱が客席を巡りながら追分節を歌いましたが、一見異色と思われる西洋音楽のコーラスと日本音楽の民謡が上手く調和して(西洋的な「混ぜる」ではなく日本的な「和える」)、まるで峠に木魂している追分節を聴いているようなシアターピースならではの非常に面白い芸術体験になりました。上原六四郎著「俗学旋律考」の一節を朗読する女性合唱とこれに抗議して奇声を発する男性合唱、女声合唱が歌う追分節、尺八が演奏する追分節など栗山さんの即興指揮の妙味でバランス良く響きが重ねられ、その響きにより会場が荘厳な雰囲気に包まれて圧倒されました。最後は男性歌手と尺八奏者が追分節を演奏しながら舞台袖に引き上げていきましたが、暫く舞台袖の奥から微かに聴こえてくる追分節の余韻が峠で歌われた馬子唄の風情をよく伝えるもので白眉でした。この曲は再演が重ねられている人気曲ですが、こうしてライブ演奏を聴いてみても追分節と共に次世代に受け継がれていく名曲であることが確信できます。
 
無伴奏混声合唱のための<敦盛>(2009年)
西村さんが能「敦盛」(世阿弥作)の後場の詞章を使って作曲した作品ですが、合唱のコーラスとサウンドホースが生み出す幻妖な音響が此岸と彼岸のあわひへと意識を誘いました。能の足拍子を採り入れて間をとりながら詞章が歌われ、儚げに揺蕩う合唱には無常感のようなものが感じられました。やがて合唱は念仏を唱え出し、西村さんによれば「魂の救済と西方浄土からの光の象徴」であるチベットシンバルが打ち鳴らされるなか、平敦盛の霊は「跡弔ひて賜び給へ」と繰り返しながら徐々に魂が鎮まり、それと共に会場の照明も暗く落とされて消え失せる余韻深い作品を楽しめました。
 
混声合唱とピアノのための「春、はなるるひとよ」(世界初演)
この曲の印象を一言で言えば、言葉(ロゴス)から解放された合唱音楽ということになりましょうか。この曲には楽曲解説は付されておらず、神山さんの心象風景を映したようなエッセイが添えられていましたが、言葉(ロゴス)に音楽を閉じ込めてしまうのではなく、自然(ピュシス)に音楽を感じる風趣が非常に魅力的で、これからの時代の新しい合唱音楽の可能性を示す面白い作品に感じられました。合唱が「ドゥ~」「ツクツク」などの自然の音を模倣したような意味に支配されない音を繊細を紡ぎ出し、これにピアノがトリルで歌い添う自然(ピュシス)に包まれているような音響空間が出現しました。この曲に付されている歌詞(意味を持つ言葉)は僅か18語と短くピアノの神秘的な和音に乗せて叙情的に歌われましたが、口元に掌を当てる仕草はあくびを表現し、また、ピアノの柔らかいグリサンドは風に舞う桜を表現したものでしょうか、「ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ」(紀友則/古今和歌集)という和歌を思い出しながら長閑な雰囲気に身を委ねて聴き入りました。やがて口笛に応える鳥の鳴き声(録音)が聴こえて音楽が自然(ピュシス)に溶けて行くような静かな終曲となりました。そう言えば、最近、僕の自宅の屋根裏に巣を作ったスズメが僕の口笛を真似して鳴くようになりましたが(スズメには何種類かの鳴き方があり、それらを使い分けながら仲間とコミュニケーションをとっているようです。)、そんな春の風情を思い出させてくれる優しい音楽であり、歌の始原に触れるような音楽を楽しめました。神山さんは瑞々しい感性を持った稀有な才能の持ち主のように思われますので、今後も注目していきたいと思っています。
 
 
▼ライフサイクルコンサート
【演目】<昼の部>治佳織ギター・リサイタル
    ①イングランド民謡(カッティング編) グリーンスリーブス
    ②J.レノン/P.マッカートニー(武満徹編) イエスタデイ
    ③B.ブリテン ノクターナル Op.70
    ④J.ハリソン(セルシェル編) ヒア・カムズ・ザ・サン
    ⑤J.レノン/P.マッカートニー(武満徹編) ミッシェル
    ⑥J.ダウランド 涙のパヴァーヌ P.15
    ⑦作者不詳 4つのスコットランド古謡
    ⑧J.ダウランド ファンタジー P.1
    ⓪S.マイヤーズ(J.ウィリアムス編) 
            映画『ディア・ハンター』より「カヴァティーナ」
    ⓪A.ヨーク サンバースト
    <夜の部>村治佳織&ほのカルテット
    ⑨M.ファリャ 「7つのスペイン民謡」より
                      「ムーア人の織物」「ポロ」
    ⑩A.ピアソラ 「タンゴの歴史」より「ナイトクラブ1960」
    ⑪H.ヴィラ=ロボス ブラジル風バッハ第5番より
                  第1楽章 アリア「カンティレーナ」
    ⑫R.ニャタリ チェロとギターのためのソナタより
                          第1楽章、第3楽章
    ⑬L.ブローウェル ギター五重奏曲
    ⓪R.ディアンス タンゴ・アン・スカイ(ギターと弦楽合奏版)
【演奏】<Gt>村治佳織①~⑬
    <Sq>ほのカルテット
        <1stVn>岸本萌乃加⑨⑬
        <2ndVn>林周雅⑩⑬
        <Va>長田健志⑪⑬
        <Vc>蟹江慶行⑫⑬
【場所】第一生命ホール
【日時】2024年5月5日(日)14:00~、18:00~
【一言感想】
トリトン・アーツ・ネットワーク(第一生命ホール)は紀尾井ホール及びトッパンホールと並ぶ東京三大室内楽ホールの1つですが、最近の顧客ニーズの多様化に対応すべくターゲットを絞った演奏会を企画し、ライフサイクルコンサートでは人生のライフステージを意識したプログラム構成による演奏会を開催しているそうです。ギタリストの村治佳織さんはライフサイクルコンサートには3回目の出演になるそうですが、ギターという懐の広い楽器特性を活かして1回目「ととのえる・ほぐれる」、2回目「映画音楽」、3回目(今回)「イギリスの音楽とスペインの音楽」と多彩なテーマを採り上げられて、毎回、ジャンルレスにルネッサンスからコンテンポラリーまでの幅広いプログラム構成で顧客ニーズの多様化に対応しているそうです。非常に演目数が多いので、昼の部のノクターナルと夜の部の5曲の感想のみをごく簡単に残しておきたいと思います。なお、ほのカルテットという名称は1stVNの岸本萌乃加さんの名前から採られているそうです。
 
③ノクターナル
この曲はB.ブリデンがJ.ダウランドのリュート伴奏歌曲集第1巻の第20番「来れ深き眠りよ」を主題に選んで作曲した変奏曲ですが、今日はノクターナルの構成(ポリメーターや2段譜などが使用されている調性感が曖昧な現代音楽的な8つの変奏曲からJ.ダウランドの主題へ回帰する構成)に準えて、B.ブリデンのノクターナルの後にJ.ダウランドの2作品が演奏されるという趣向になっていました。非常に変化に富む特殊奏法が多い難曲ですが、村治さんは衒いや気負いを感じさせない鮮やかな手際で表情豊かに弾き熟し、最後にJ.ダウランドの主題が静かに奏でられると、やがて空へと音(魂)が消えて行くような余韻のある演奏を楽しめました。
 
⑨「7つのスペイン民謡」より「ムーア人の織物」「ポロ」
1曲目はギターの軽やかに紡がれるリズムとヴァイオリンの伸びやかに歌われるメロディーが織物を編み上げるように交互に絡み合う歌心ある演奏、2曲目はギターとヴァイオリンが緊密に呼応して拍節感のあるメリハリとパトスが感じられる演奏を楽しめました。ブルーを基調とするマタニティールックのような衣装でしたが、スペインの民族衣装をモチーフとしたものでしょうか?
 
⑩「タンゴの歴史」より「ナイトクラブ1960」
ギターの繊細な音色とヴァイオリンの清澄な音色とがバランスのよく絡み合う哀愁漂う演奏で、タンゴダンスを思わせる激しいパッセージではギターとヴァイオリンが丁々発止に渡り合う緩急自在な演奏を楽しめました。日本にはタンゴを専門に演奏するヴァイオリニストも増えてきていますが、もう少しヴァイオリンの音色に哀切な情感を乗せられると申し分ない演奏のように感じられました。
 
⑪ブラジル風バッハ第5番より第1楽章アリア「カンティレーナ」
原曲はソプラノとチェロ8挺の編成ですが、ソプラノとギターやフルートとギターなどの編成にも編曲されており、今日はチェロとギターの編成で演奏されました。チェロが弱音から儚く歌い出すと、これにギターが優しく応えて、チェロとギターが親密に歌い添い、絡み合う相性の良さを感じさせるアンサンブルが出色で、嫉妬したくなるような演奏でした。音にドラマが感じられる秀演でした。
 
⑫チェロとギターのためのソナタより第1楽章、第3楽章
チェロをヴィオラに代えて演奏されましたが、ヴィオラの音域を活かした深い呼吸の低音から明るく抜ける高音までの多彩な音色やヴィオラのフットワークの軽さを活かしたギターとの軽快なアンサンブルなど、チェロとは異なるヴィオラならではの魅力が感じられる演奏でした。村治さんのリードが巧みで、緩急のメリハリを付けながら音楽に豊かな表情を生む演奏を楽しめました。
 
⑬ギター五重奏曲
お恥ずかしながら初聴の曲でした。ボッケリーニのギター五重奏曲でも同様だと思いますが、ギター(撥弦楽器)と弦楽四重奏(摩弦楽器)は残響特性の違いからバランスの良い演奏が難しく弦楽四重奏のヴィブラートを抑制するなどの工夫が必要ではないかと思いますが、今日は村治さんの豊富な経験に裏打ちされた非常にバランスの良い演奏を楽しむことができ、さながら弦楽四重奏を音楽に敷き詰められた蓮の葉に喩えれば、ギターがカデンツァで咲く蓮の花と言った風情がありました。弦楽四重奏の豊かな音色を活かしながら弦楽四重奏とギターがリズミカルに呼応し、モチーフの受け渡しなどにも隙がない吸引力のある引き締まったアンサンブルを楽しめました。
 
 
▼志ん輔蝉の会
【演題】志ん輔蝉の会
【演目】①稽古屋
    ②棒鱈(初演)
    ③猫定(初演)*共演「淡座」
【出演】古今亭志ん輔(真打)
    淡座(共演)
     <Vn>三瀬俊吾
     <Vc>竹本聖子
     <三味線>本條秀慈郎
     <作曲>桑原ゆう
    金山はる(お囃子)    
    林屋ぽん平(前座)
【場所】紀尾井ホール 小ホール
【日時】2024年5月6日(月・祝)14:00~
【一言感想】
今日は古今亭志ん輔師匠が二ツ目の時代から続けられている独演会「蝉の会」(うち、一席は淡座との共演)を鑑賞することにしました。これまでは国立劇場で開催していたそうですが、今年は国立劇場の建替えのために紀尾井ホールでの開催になったそうです。しかし、紀尾井ホールの改修も予定されていることから、来年はどこで鳴こうか悩まれているそうです。最近、東京の老朽化したインフラの更新が急速に進んでいますが、来るべき南海トラフ地震や東京直下型地震などの復興資金を捻出する余力が残されているのか心配になります。・・と、こんな具体に、日本人は情報過多の時代を背景として日々取り留めもない不安に気を病む「生きづらさ」を感じています。過去のブログ記事でも簡単に触れましたが、日本人は欧米人と比べて不安遺伝子が多いと言われており、その要因は「経済」「健康」「人間関係」「自然災害」に関するものが多いと言われています。この点、落語は人間のダメさ加減を笑いに変えて救ってしまう魅力があり、心の処方箋と言えるかもしれません。
 
〇古典落語「子ほめ」
前座の林家ぽん平さんによる古典落語「子ほめ」ですが、おうむ返しのお手本とも言える定番の前座噺です。粗忽物の八五郎は近所の隠居からタダ酒を飲ませて貰うための世辞の極意を指南されますが、俄か仕込みの付け焼刃では上手く行くはずもなく、チグハグナな会話で周囲を困惑させてしまうという滑稽噺です。この噺のオチには何種類かのバリエーションがありますが、今日は竹さんの赤ん坊の誕生祝いの席で「竹の子は 生れながらに 重ね着て」(上の句)というお題に対し、八五郎が「育つにつけて 裸にぞなる」(下の句)と付句を詠んで台無しにしてしまうというオチがつきました。過去のブログでも触れたとおり、筍は皮が剥け落ちてをつけながら真っ直ぐに伸びた竹へと成長しますが、八五郎は「節を屈する」(節操なく周囲に合わせようとして、却って周囲の和を乱してしまう人騒がせな調子者)ようなところがあり、暗に節をつけずに裸のまま成長してしまった八五郎のようになると付句してしまう滑稽さが感じられます。八五郎はどうしようもなくダメな人間のように見えますが、徒然草に「内に思慮なく、外に世事なくして」(気に病まず、他人の顔色も気にしない)という人生の極意が説かれているとおり、その場を上手く繕うことに汲々として辻褄を合わせるだけの小さな人生よりも、八五郎のように多少奔放であっても大らかな人生に憧れを感じます。
 
〇古典落語「稽古屋」
古今亭志ん輔師匠による古典落語「稽古屋」ですが、五代目・古今亭志ん生師匠が十八番としていたハメモノ入りの音曲噺です。間が抜けた男が近所の隠居から女にモテるためには隠し芸を身に付けるのが良いと指南されますが、をつけて唄うことができずに読みになってしまうので唄の師匠も手を焼きます。唄の師匠から端唄「すり鉢」を稽古するように言われ、歌詞「海山を越えて この世に往みなれて・・・煙を立つる」の「煙を立つる」の部分を高い調子で唄うようにコツを教わったので、自宅の屋根(高い調子を取り違えて高いところ)にのぼって「煙を立つる」と大声で唄っていると近所の連中が火事だと騒ぎ出しますが、その後、「海山を越えて」と聞こえてきたので近所の連中は「そんなに遠けりゃ大丈夫だ」とチグハグナな会話でオチがつきました。これは江戸落語のオチですが、上方落語では色は思案の外という慣用句に掛けて「色は指南の外」と嗜めるというオチのヴァリエーションがあります。古今亭志ん輔師匠の噺のテンポが当意即妙なもので、会場の空気(客の意識)を待つ「間」の取り方が上手く、それでいて間伸びしてしまわない小気味よい言葉運びでグイグイと噺に惹き込んで行く話芸に魅せられました。また、登場人物のキャラクターが滲み出てくるような堀の深い語り口が噺の面白さを際立たせていたように思われました。同じネタでも間の取り方やキャラクターの立て方で笑えたり笑えなかったりすると思いますので、ネタに命が吹き込まれて面白くなる仏に魂を入れるような話芸は前座にとっても大変に勉強になるものではないかと思います。
 
〇古典落語「棒鱈」(初演)
古今亭志ん輔師匠による古典落語「棒鱈」(初演)ですが、鱈は酔っ払い、間抜けや野暮天などを意味するスラングです。寅さんとさんが男二人で酒場で飲んでいますが、熊さんは非常に酒癖が悪くヘベレケに酔っています。隣の座敷から芸者を上げて盛大に飲んでいる田舎侍の方言やヘタな唄が聞こえてきて散々にバカにします。熊さんが好奇心から隣の座敷を覗こうとしますが、千鳥足で足元が覚束ずに勢い余って隣の座敷に乱入してしまい、田舎侍と喧嘩に発展します。その騒ぎを聞きつけた店の料理人がコショウを持ったまま喧嘩を止めようとしますが、田舎侍も熊さんもくしゃみが止まらなくなって喧嘩どころではなくなり、喧嘩を止めてコショウ(故障)がないというオチがつきました。酒癖の悪い男が田舎侍を酒の肴に飲んでいたことに端を発して引き起こされた間抜けな滑稽噺ですが、人間は田舎者のような自分とは違う特徴や文化などを持った者をバカにしたがる性質があり、最近のSNSの普及や多様性の時代などを背景として、その性質が様々なトラブルを引き起こすようになっています。しかし、一皮剥けば、その違いは取るに足らない些少なものでしかなくコショウにくしゃみが止まらなくなる同じ人間であるということが分かるもので、現代にも通じる教訓噺と言えます。
 
〇古典落語「猫定」(初演)*淡座の共演
古今亭志ん輔師匠による古典落語「猫定」(初演)ですが、両国回向院猫塚にまつわる実話「猫の恩返し」を翻案した怪談噺です。猫塚の隣には鼠小僧次郎吉の墓(参り墓)がありますが、鼠と猫(小判)を並べて供養してしまう江戸の粋(洒落)を感じさせます。因みに、上述した創作浄瑠璃「毒婦お傳麻羅地獄譚」でも触れましたが、小塚原回向院に高橋お傳と共に鼠小僧次郎吉の墓(埋め墓)が安置されています。さて、過去のブログ記事でもご紹介していますが、今回も古今亭志ん輔師匠と淡座のコラボレーションとなりました。冒頭(前座)、舞台の照明が真っ暗に落された後、蒼白い霞がかった薄明りの中をヴァイオリンとチェロが霊気を描写するようなフラジョレットと猫の鳴き声を描写するようなグリサンドを奏で、三味線が猫の歩き音を描写するように甲高い音で3拍子の音型を繰り返し、さながら黄泉の世界で猫が鳴いているような妖気的な雰囲気が漂いました。博打打ちの定吉は道端で拾った黒猫をと名付けて懐に入れて賭場通いしますが、熊は賽の目を読めるらしく鳴き声の数で丁又は半なのかを当てるので定吉は大儲けします。ある日、定吉の妻・お滝が間男に依頼して定吉を殺害しますが、熊がお滝と間男を殺して定吉の仇討ちを果たすという怪談であり快談でもあります。古今亭志ん輔師匠の「間」の取り方一つで会場の空気を一変させてしまう話芸が魅力ですが、そこに淡座がこの世ならざるものの気配を感じさせる色を添えることで観客の想像力を掻き立てる効果を生んでいたと思います。
 
 
▼ラヴィ・シャンカルのシタール協奏曲第2番「ラーガ・マーラ」(1981年)
GWに自宅で留守番をしているお父さんのために、シタールの調べに癒されてみませんか。シタール奏者のアヌーシュカ・シャンカルさん(サックス奏者のジョン・コルトレーンさんや現代作曲家のフィリップ・グラスさんにも影響を与えた世界的なシタール奏者のラヴィ・シャンカルさんは実父、歌手のノラ・ジョーンズさんは異母妹)がラヴィ・シャンカルさんのシタール協奏曲第2番「ラーガ・マーラ」を演奏している動画をアップしておきます。知る限り、未だこの曲は日本初演されていない(?)のではないかと思われますが、同じ時期に現代作曲家・北爪道夫さんが作曲したシタール協奏曲「誕生」(1985年)とカップリングで採り上げてくれる楽団はないかしら。ライブ演奏を聴いてみたいです。
 
▼鎮座DOPENESSの「乾杯」
GWに自宅で留守番をしているほろ酔い気分のお父さんのために、フリースタイルMCバトルで一世を風靡した鎮座DOPENESSの14年前のセンス光るMVをアップしておきます。飲兵衛の気持ちを等身大で代弁しているハッピーな音楽です。