大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

日本音楽学会 第340回定例研究会「筝曲《六段》の成立にかんする一試論〜日本伝統音楽とキリシタン音楽との出会い〜」

【講題】日本音楽学会 第340回定例研究会
    「筝曲《六段》の成立にかんする一試論〜日本伝統音楽とキリシタン音楽との出会い〜」
【講師】皆川達夫(立教大学名誉教授)
    久保田敏子(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長)
【司会】樋口隆一(明治学院大学教授)
【演奏】<筝>野坂操壽
    <ヴィオラ・ダルコ>神戸愉樹美 他
    <合唱>中世音楽合唱団
【会場】明治学院大学白金校舎パレットゾーン2階 アートホール
【開演】14時〜
【料金】無料
【感想】
今日は秋分の日ですが、秋分の日が9月23日ではなく9月22日になるのは1896年以来の116年振りだそうです。ここで中学校の理科のおさらいになりますが、そもそも四季が生まれるのは地球の地軸(北極から南極まで地球の真中を貫く自転軸)が地球の軌道(太陽を周回する公転軸)に対して斜めになっているためで、北極の地軸が太陽側に傾いているとき(夏至)は北半球に太陽があたっている昼間の時間が長くなるので北半球が夏、南半球が冬、その逆に、南極の地軸が太陽側に傾いているとき(冬至)は南半球に太陽があたっている昼間の時間が長くなるので南半球が夏、北半球が冬になります。しかし、春分点秋分点では地軸の傾きは関係なくなり北半球でも南半球でも昼間と夜間の時間がほぼ同じ長さになるので、丁度、夏と冬の中間の過ごし易い気候になり、秋分の日を境に徐々に暑い日が減り冷気を感じる日が増えるという寸法です。地球の1公転はぴったり365日ではなく多少の誤差があるため、地球が秋分点を追加する日がズレる年が生まれます。それが今年にあたり、秋分点を通過する日が1日早まりました。今日は残暑が和らぎ、心地よい秋風が吹いて、秋の虫の音も心地よく耳に響いています。

鈴虫に 劣らぬ音こそ なかれけれ 昔の秋を おもひやりつゝ(実頼左大臣

少し以前になりますが、日本音楽学会で興味深いテーマが採り上げられるというので聴きに行くことにしました。学会で発表された内容をどこまで書いてしまって良いのか分かりませんし、皆川さんや久保田さんが発表された内容をどこまで正しく理解できているのか自信がありませんので、ごく簡単なサワリだけを備忘録として残しておきたいと思います。(..ということで、以下に記載する内容には誤りや不足がありますので、予めご了承下さい。)2部構成になっており、前半は発表、後半は実演が披露されました。

http://www.musicology-japan.org/

先ず、前半は筝曲「六段」の成立に関する謎に迫る内容で、結論的には、筝曲「六段」はグレゴリオ聖歌クレド」のディファレンシャスをベースとして作られたもので、それは1600年代から日本で厳しくなるキリスト教弾圧が背景にあったのではないかという大胆な試論が丹念な歴史資料の読込みと洞察力のある分析に基づいて展開され、非常に興味深かったです。皆川さんは多様な視点から様々な根拠を挙げられていましたが、例えば、筝曲「六段」とグレゴリオ聖歌クレド」の楽曲構造(拍数やリズムなど)が符合し、絶対音楽にみられる変奏のスタイル(主題となるテーマの提示とその5つの変奏の展開というスタイル)ではなくスペイン(当時の宣教師はスペイン人・ポルトガル人が多かった)のディファレンシャス(主題となるテーマは変奏の中に消化され、初めから6つの変奏として展開されるスタイル)と同じ構成になっている点に着目され、歴史資料をレファーしながら当時の日本ではヴィオラ・ダルコの伴奏でグレゴリオ聖歌クレド」を歌う習慣があった(キリスト教弾圧後も隠れキリシタンとして歌い継がれてきている)点を指摘されたうえで、キリスト教弾圧を背景としてグレゴリオ聖歌クレド」を純器楽曲として筝曲「六段」に移植しカモフラージュしたのではないかという大胆な推論が展開されました。筝曲「六段」の作曲者や成立過程は不明とされていますが、賢順又は八橋検交(賢順の孫弟子)の作ではないかという説があり、その中でも賢順はキリシタン大名である大友家に仕えていたことがあるため、上述の推論も現実味を持った話ということができるかもしれません。この発表に対して他の学会員の方から色々と質問(反論)が出されていましたのでさらに研究(議論)の余地はあるかもしれませんが、とても示唆に富む興味深い内容で素人ながら非常に触発されました。以上、かなり発表内容を端折っていますし、多分に誤解しているところもあるのではないかと思います。ご興味のある方は会報でご確認下さい。因みに、八橋検校が亡くなった1685年にバッハとヘンデルが生まれています。なお、未だにバッハやヘンデルの名前は知っていても八橋検校の名前を知らない日本人が多い歪な状況に遣り切れないものを感じます。


八橋検校

次に、後半はヴィオラ・ダルコの伴奏(合唱とのユニゾン)でグレゴリオ聖歌クレド」(ディファレンシャスのうち、一番、三番、四番)が歌われました。ヴィオラ・ダルコの柔らかい音色と、静謐な祈りの篭められた清潔感のある合唱が胸に染みました。これに続いて、今回の試論を裏付ける意味で、筝曲「六段」の伴奏でグレゴリオ聖歌クレド」(ディファレンシャスのうち1番、3番、4番)が歌われ、大変に貴重な経験をしました。確かに構成はぴったりと合っていましたが、多少、筝曲の旋律と合唱の旋律とがぶつかり合っているような印象を否めず違和感を覚えるところもありました。尤も、これは宗教音楽であることを隠蔽し純器楽曲(筝曲)としてカモフラージュするための止むを得ないものであったと言うこともできるかもしれません。個人的には3番が一番違和感がなかったように感じましたが..。西洋音楽が日本の伝統音楽に与えている影響や、日本文化(ジャポニズム)が西洋音楽に与えている影響について考えてみると面白いかもしれません。

◆おまけ
筝曲の定番中の定番(八橋検校)。

バロック音楽の定番中の定番(バッハ)。

優雅で気品のあるバロックダンスをお楽しみ下さい(ヘンデル)。

1896年はマーラー交響曲第3番を作曲した年です。

1896年はプッチーニの歌劇「ボエーム」が初演された年でもあります。