大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

MUSIC DAY IN KUNITACHI 2023(加藤訓子、 向笠愛里)とシャリーノ祭りとオペラ「午後の曳航」(二期会)と能声楽家・青木涼子コンサートシリーズ 「現代音楽✕能」と心を彩る感情をハッキングする芸術<STOP WAR IN UKRAINE>

▼心を彩る感情(ブログの枕前編)
毎年10月27日から11月9日までの期間は「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という崇高な理念を掲げた読書週間とされていますが、今年も世界一の古本屋街として名高い神田神保町で神田古本まつりが開催され、お宝を求めて全国から本の虫(古い本に棲み付いて紙を餌とする「紙魚」(シミ)という虫に喩えて、本を貪る人のことを本の虫と言います。)が集まり活況を呈していました。丁度、11月から文学作品を題材にした興味深い舞台公演が目白押しであることから「心を彩る感情」(主に心理学と脳科学)とその「感情をハッキングする芸術」(主に文学論)について簡単に触れてみたいと思います。
 
▼脳の三層構造仮説(ポール・マクリーン)
年代 脳の発達
38億年前 生命の誕生
 5億年前 神経管の誕生(脳の起源)
 3億5000万年前 生命脳の誕生(反射/欲/一人称)
生命維持(体温、血圧、免疫等の調節や食欲、性欲、睡眠欲等の感覚等)を司る脳幹(爬虫類脳)※現在では哺乳類は両性類から枝分れしたと考えられていますが、便宜上、爬虫類のままにしています。
 2億5000万年前 情動脳の誕生(本能/緒/二人称)
基本情動(喜怒哀楽等)を司る大脳辺縁系(旧哺乳類脳)
    500万年前 直立二足歩行の開始
    250万年前 論理脳の誕生(理性/性/三人称)
高度な精神活動(言語、思考、想像、計画、倫理等)を司る大脳新皮質(新哺乳類脳)
     20万年前 ホモ・サピエンスの誕生
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「心」という漢字は心臓を象って記号化した文字ですが、昔は心臓が情動により強い生理反応を伴う臓器であることから心を司っていると考えられていました。しかし、現在は脳の働きである知情意の総体であると考えられ、脳と心を別物とする「心身二元論」(我思う、故に我在り)ではなく脳が心を生み出す「心身一元論」(我在り、故に我思う)が科学的な常識になっており、生命脳が誕生した3億5000万年前頃に心の起源を求めることができるかもしれません。心の状態を示す「感情」(Affection)には、古い脳である「生命脳(脳幹)」又は「情動脳(大脳辺縁系)」が知覚に応じて無意識(反射的又は本能的)に生み出す生理反応を伴う「情動」(Emotion)と、新しい脳である「論理脳(大脳新皮質)」が記憶(短期記憶は海馬、長期記憶は大脳新皮質)に応じて意識的(理性的)に生み出す生理反応を伴わない「感情」(Feeling)の大きく2種類に分類することができますが、これらは脳の進化に対応して誕生したと考えられています。上表のとおり5億年前に脊椎動物が獲得した神経管(脳の起源)が生命脳(脳幹)に進化して、体外(自然環境)又は体内の変化を知覚して「快」又は「不快」の原始情動を引き起こして記憶を参照することなく反射的(無意識)に生命維持(例えば、体温を一定の状態に保つなどの生体恒常性)を促すことで(迅速性>>適切性)、その変化に迅速に適応して生存可能性を高めたと考えらえています。やがて水中生活から陸上生活への移行や生物の多様化などの自然環境の複雑化に適応する必要から情動脳(大脳辺縁系)という新たな脳領域が形成され、体外(複雑化した自然環境)又は体内の変化を細かく知覚し、それに適した「快」から派生した「喜」「楽」、「不快」から派生した「怒」「哀」などの基本情動を引き起こして記憶を参照することなく本能的(無意識)に生体反応(例えば、逃げるなどの生命維持よりも強い反応)を促すことで(迅速性>適切性)、自然環境に迅速かつ適切に適応して生存可能性を高めたと考えられています。その後、過去のブログ記事でも触れたとおり、人類は気候変動による森林面積の縮小などに伴って樹上生活から地上生活へ移行しましたが、食物を運搬及び加工する必要が生じたことなどから約500万年前頃に樹上生活で柔軟になった関節を活かして直立二足歩行を開始し、それによってが解放されたことで約250万年前頃に道具や技術などを使って集団で狩猟採集を行うようになったことや約180万年前頃に火を使った料理の発明により狩猟採集した食物を柔らかくして摂取するようになったこと(消化及び吸収などの効率化)での発達が促されたことなどを背景として、集団の形成に伴う社会環境の多様な変化に適応する必要から論理脳(大脳新皮質)という新たな脳領域が形成され、その多様な変化を踏まえて記憶を参照しながら理性的(意識的)に「愛情」「受容」「感謝」などの社会感情(具象的な対象に関係する感情)を臨機に生成して情動をコントロールすることで(迅速性<適切性X柔軟性)、社会環境に柔軟かつ適切に適応して集団を維持して、その中での生存可能性を高めたと考えられています。その後、狩猟採集に必要となる能力(空間把握、未来予測や集団行動など)を進化させますが、約5万年頃に生じた突然変異によって脳がイメージ、記憶や言葉などを操る高度な認知能力を獲得して(認知革命)、少なくとも、約3万5000年前頃には狩猟採集の対象である自然を観察して模倣する能力が発達して動物を描いた壁画(絵画)骨で作られた笛(音楽)などが誕生しました。因みに、「ひょっとこ」は火を熾すために息を吹く火男(ひおとこ)が訛って生まれた言葉ですが、人類は火を熾すために息を吹く習慣が生まれたことや直立二足歩行で首が伸びて咽頭が長くなったことなどから発声音を制御する調音の能力が発達して言葉を話せるようになったと考えられています。その後、約1万年前頃に氷河期の終焉に伴って狩猟採集から農耕牧畜へ移行して定住生活を営むようになると、人類はイメージ、記憶や言葉などを自分で認知するだけではなく、それらを他人と共有する能力を身に付けて高度な社会を形成するようになりました。この背景には人類が突然変異によりミラーニューロン(共感細胞)を獲得したことで他人の表情や言動などを自分の脳に置き換えて追体験やシミュレーションなどを行うことが可能になり、それによって他人の心理、意図や文脈などを推測し、他人の表情や言動などの意味を理解して「共感」(エンパシー)することが可能になったことで血縁関係を越えた集団を形成する社会性を備えたことがあると考えられています。これによって自然の模倣だけではなく人間の模倣なども盛んになり、「学習」(「学ぶ」の語源は「真似る」、「習う」の語源は「倣う、慣れる」)を通して文化が形成され、その歴史的な文脈に日本の芸道論(「およそ、何事をも、残さず、よく似せんが本意なり。」(風姿花伝第二物学条々/世阿弥)も位置付けられるものと思われます。このような社会環境の高度化に適応する必要から論理脳(大脳新皮質)は更に進化して、その高度化した社会環境を踏まえて記憶を参照しながら理性的(意識的)に「共助」「将来不安」「道徳」などの知的感情(抽象的な対象に関係する感情)を臨機に生成して社会環境の最適化を図ることで(迅速性<最適性X柔軟性)、社会環境を柔軟かつ最適に改良及び維持して、その中での生存可能性を高めたと考えられています。その後、約4000年前頃に他人との意思疎通を容易にするために絵画を記号化した文字が発明されましたが、我々が文学の登場人物の心情を推論して、これに共感できる能力を備えているのは、このような進化の経緯を辿っているためだと考えられます。過去のブログ記事でも認知と感情の関係について簡単に触れましたが、体外又は体内の変化の知覚(感覚信号)を生命脳(脳幹)又は情動脳(大脳辺縁系の主に扁桃体)が処理する過程(ボトムアップ処理)で情動が生まれ、これを論理脳(大脳新皮質)が記憶と照合して認知(予測信号)し、それらの精度を検証して修正する過程(トップダウン処理)を繰り返しながら感情を生成し、それが生存可能性を高めるための判断、行動を促すという生存戦略を採用しましたが(悲しいなどの感情が生成されたから泣くなどの情動を生じるのではなく、泣くなどの情動が生じてから悲しいなどの感情が生成され、その悲しいという感情が泣くなどの情動を適切に処理(例えば、涙を堪えるなど)しています。)、感情には感覚信号(ボトムアップ処理:本能、本音)と予測信号(トップダウン処理:理性、建前)の葛藤を調停し、これらを統合して適切な判断、行動を促す役割を担っています。なお、現在ではイノベーションによる脳機能の拡張が試みられていますが、例えば、感覚信号(意欲、情緒)に影響する技術としてXR、予測信号(知性)を支援する技術としてAIなどが注目されており、心のDXも進められています。
 
▼感情の階層と種類(ロバート・プルチックの「感情の輪」)
  感情
Affection
種類 情動
Emotion
感情
Feeling
原始情動 基本情動 社会感情 知的感情
特性 無意識 意識
生理反応あり 生理反応なし
先天的・普遍的・不変的 後天的・個別的・可変的
脳の部位 古い脳 新しい脳
生命脳
脳幹
情動脳
大脳辺縁系
論理脳
大脳新皮質
前回のブログ記事でも触れた神経美学は、美の神経心理学(=認知心理学+大脳生理学)とも言われているとおり、美意識と感情はパラレルな関係にあります。
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▼感情をハッキングする芸術(ブログの枕後編)
坂本龍一の一周忌にあたる2024年3月28日に坂本龍一が生前最後に作曲したシアターピース「TIME」(音楽:坂本龍一、ヴィジュアルデザイン:高谷史郎)が日本初演される予定ですが、そのテキストとして「こんな夢を見た」の書き出しで有名な夢を題材にした10の短編から構成される夏目漱石の小説「夢十夜」が使われています。因みに、黒澤明監督が見た夢を題材にした8のオムニバスから構成される映画「」でも冒頭に「こんな夢を見た」という一文が挿入されています。小説「夢十夜」の第三夜では父親殺しが題材として扱われていますが、夏目漱石の幼少年期の不遇と重なってエディプスコンプレックスの語源ともなっているギリシャ神話「エディプス王」に着想を得たものではないかと思われます。これに対し、三島由紀夫の小説「午後の曳航」は小説「夢十夜」の第三夜との類似点も挙げられますが、エディプスコンプレックスというよりも絶対的なものに対するロマン主義的美学の発動としての義父殺しが題材として扱われているように感じられます。なお、作家・村上春樹が「芥川龍之介短篇集」(新潮社)の序文で国民的作家10人を挙げていますが(実際には9人しか挙げられておらず「あとの一人はなかなか思いつけない」と言葉を濁していますが、村上春樹を含めて10人目として誰を挙げるのか後世の見識に後事を託しているように思われます。)、その筆頭に挙げられている日本近代文学の父・夏目漱石が「文学論」を残していますので、紙片の都合から、その触りのみをごく簡単に触れておきたいと思います。
 
文学=(
 
夏目漱石は、文学論の冒頭で「文学とは何か」という根源的な問いに対して「文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。」と看破しています。「」とは意識の焦点(認識/ocus)を意味し(「認識」(物事の実質的な理解)<「認知」(物事の形式的な理解))、また、「」とは「F」から生じる心の状態(情緒/eeling)を意味しており(「情緒」=「感情」)、文学作品の内容は()から構成されると気前よく結論付けています。即ち、全ての文書のうち、情緒(f)を伴うものが文学作品、情緒(f)を伴わないものがそれ以外の文書と分類され、文学作品の価値は文学表現(異なる素材の組合せ)によりどのような情緒(f)を読者に生起させること(幻惑=感情のハッキング)ができるのかによって決まると説いています。この点、情緒を伴わないものとして科学論文などを挙げることができますが、文学作品は人間の肉眼で知覚できる範囲で具体的、多義的に対象を捉えて、それを情緒的、主観的に記述することを本願としてその真実性は重視されないのに対し、科学論文は人間の肉眼で知覚できない範囲のものも含めて一義的、抽象的に対象を捉えて、それを論理的、客観的に記述することを本願としてその真実性が重視されるという特徴的な違いが挙げられます。一方、読者の認識(F)は次々と寄せる波のように入れ替わり(意識の波)、その意識の波に併せて特定の情緒を生起し又は特定の記憶を呼び起して連想を重ねながら常に移ろいますが、同じ文学作品でも個人によって捉え方が異なるのは知覚(生物的な差異)が認識(F)に影響を与え、記憶(経験的な差異)が情緒(f)に影響を与えるためだと考えられます。この点、通常、他人の心の状態はその人の言葉、表情や態度などから推測するしかありませんが、文学作品では登場人物の心の状態を文学表現として紡ぐことが可能なので、その文学表現に読者が幻惑(感情をハッキング)されて他人の心の状態を追体験又はシュミレーションすることができる点に大きな魅力の1つがあります。夏目漱石は、当時の心理学の最新の知見を参照しながら情緒(f)を単純なもの(基本単位とみなせる情動)と複雑なもの(基本単位とみなせる情動が組み合わさった状態)に分けて捉え、例えば、後者では嫉妬=思慕+憤怒、崇高=感嘆+恐怖、忠義=義務+尊敬+忠実+犠牲+面目など詳細な分析を加えて文学表現に活かしています。また、夏目漱石は、刺激(暗示)や時代の趣味などによって情緒(f)の種類も増えて行く可能性があることを指摘し、文学は社会の一部であって社会現象(経済、科学、哲学、宗教、政治など)との関わりで考える必要があり、固定観念(予期の牢獄)から抜け出すためには多様な刺激(暗示)を受け入れて自分の趣味の壁を壊し、複数のモノサシを駆使できるようになることで固定観念(予期の牢獄)に囚われることもなくなると文学の革新の必要性を説いており、現代にも通用する文学論と言えるかもしれません。例えば、文学作品から受けるカタルシス(緊張から弛緩に向かって解放される心の状態の浄化)は、上述のとおり読者のミラーニューロン(共感細胞)が働いて登場人物に対する「共感」(エンパシー)が生まれることで感得されるものですが、現在、このように脳科学の観点から文学を研究する神経文学という学問が注目を集めています。未だ明治時代は学問領域の細分化・専門化が進んでおらず文理が厳格に区分されていなかった時代状況にあり、例えば、夏目漱石は物理学(相対性理論)にも精通し、小説「吾輩は猫である」では首縊りの力学、小説「三四郎」では光線の圧力測定などに関する話題が登場しますが、総合知(文理融合を含むエコシステム、エコトーンの創出)の必要性が指摘されている現代にあって夏目漱石の文学論を再読し、改めて現在の日本の繁栄の礎を築いた明治の知性を見直してみるのも有意義かもしれません。
 
①ザ・ポピー(神奈川県横浜市中区元町2-86
②京浜急行バス停杉田(神奈川県横浜市磯子区杉田4-5
③宮城道雄記念館(東京都新宿区中町35
①ザ・ポピー:三島由紀夫の小説「午後の曳航」で母・黒田房子が元町で経営しているという設定の舶来洋品店レックスのモデルとなった店がザ・ポピーと言われています。 ②京浜急行バス停杉田:息子・黒田登らはドックで解体するために旧、横浜市電杉田駅(現、京浜急行バス停杉田)から富岡総合公園(北台展望台)まで義父・塚崎竜二を曳航。 ③宮城道雄記念館:三島由紀夫が評価する内田百聞(漱石門下)の短編集「サラサーテの盤」には箏の師匠・宮城道雄をモデルにした「東海道刈谷駅」「柳検校の小閑」を収録。 ③八十弦筝:黒澤明監督は内田百聞の随筆集「まあだかい」から着想を得て映画「」(赤富士)や「まあだだよ」を制作しています。写真は宮城道雄が開発した幻の八十弦箏。
 
▼MUSIC DAY IN KUNITACHI 2023(三善晃没後10年記念事業)
【演題】MUSIC DAY IN KUNITACHI 2023(三善晃没後10年記念事業)
【演目】①向笠愛里ソプラノリサイタル「フランス〜日本への回帰」
     フォーレ 蝶と花
     シャブリエ 小さなアヒルたちのヴィラネル
     デュティユー 月の光の妖精の国
     三善晃 四つの秋の歌
     プーランク 変身
     プーランク 戯れの婚約
     プーランク 歌劇「ディレジアスの乳房」より「いいえ、ご主人様」
      <Sop>向笠愛里
      <Pf>川本嵐
    ②ミュージックシアター「鍵」(原作:谷崎潤一郎)
     三善晃 組曲「会話」
     三善晃 トルスⅢ
     三善晃 リップル
     加藤訓子(編曲) 大正ソング「ゴンドラの唄」
                   「美しき天然」
                   「雨降りお月」
      <Perc>加藤訓子
      <Danc>中村恩恵
【演奏】<Perc>東廉悟、青栁はる夏、篠崎陽子、三神絵里子、横内奏、
    細野幸一、真鍋華子、濱仲陽香、戸崎可梨、古屋千尋、齋藤綾乃
【場所】くにたち市民芸術小ホール
【日時】2023年11月3日(金・祝)14:00~
【一言感想】
今日は文化の日ですが、打楽器奏者・加藤訓子さんがプロデュースするMUSIC DAY IN KUNITACHI 2023(三善晃没後10年記念事業)として、①向笠愛里ソプラノリサイタル「フランス〜日本への回帰」及び②ミュージックシアター「鍵」という興味深い公演があったので聴きに行くことにしました。第2日目(11月4日)の公演「三善晃の世界」は諸事情で聴きに行くことができませんが、第1日目の公演の感想を簡単に残しておきたいと思います。なお、この公演は、加藤さんが主宰する若手演奏家の育成を目的としたプログラム「inc.」(incubationの略)の一環として開催されたもので、今回は加藤さんが桐朋音大の学生であった時代に同音大の学長であった現代作曲家・三善晃さんが声楽や打楽器のための作品を数多く残されていることから、これらの曲を後世に伝えて行くために没後10年を記念して三善さんの曲を中心に採り上げたそうです。
 
①向笠愛里ソプラノリサイタル「フランス〜日本への回帰」
ヴラヴィー!!向笠愛里さんの演奏を聴くのは初めてでしたが、桐朋音大ピアノ専攻を卒業後に同大学院で声楽専攻に転向した異色の経歴の持ち主で、何故、声楽に転向したのか得心させられる豊かな才能を感じさせる秀演でした。フランス音楽に造詣が深かった三善さんへのオマージュもあると思いますが、フランスの声楽曲を得手とする向笠さんによる趣味の良い選曲で、フォーレでは優雅で可憐な歌唱、シャブリエとデュティーユではウィットに富んだ軽妙洒脱な歌唱、三善では清澄で叙情を湛えた歌唱が見事で、川本嵐さんのクリアなタッチによる美観際立つ演奏が歌唱に彩りを添える好パフォーマンスでした。そして、何と言っても、今日のリサイタルの白眉はプーランクでして、とりわけ戯れの婚約ではその恍惚感のある歌唱に鳥肌を禁じ得ませんでした。心技のバランスに優れ、多彩な感情を瑞々しく表出する洗練された技巧と豊かな表現力に裏打ちされた自然な共感に溢れる歌唱が心に沁みてきました。ピアノが奏でる透き通るような和音の中をたゆたうように紡がれる繊細な歌唱などを聴いていると、夢見心地の気分にさせられて至福の時間を過ごすことができました(ステキ)。終曲のアリアは表情の作り方や身振りなど視覚的にもアピール度の高いドラマチックな表現を堪能でき、歌曲だけではなく歌劇でも十分に通用する多彩な実力を備えている印象を受けましたので、今後、歌曲だけではなく歌劇でも注目して行きたいと思っています。アンコールで三善晃さんが作曲したアニメ「赤毛のアン」よりエンディング曲「さめない夢」が演奏されましたが、ウィットの効いた心憎い選曲でした。
 
なお、後半の演目の舞台設定のために長い休憩が挟まれましたが、そのインターバルを使って「inc.」 のメンバーがロービーコンサートを開催するという嬉しいサプライズがありました。三善晃さんが打楽器奏者・吉岡孝悦さんのために作曲した2本マレットのマリンバのための「6つの練習前奏曲」(音階、和音、重音響、半音階、対位法、同音(オクターヴ)連打)が演奏されました。「inc.」 のメンバーの高い技量による解像度の高い演奏の賜物だと思いますが、現代音楽の傾向的な特徴とも言える取っ付き難さのようなものは感じられず、どのようにモチーフが展開され、楽曲が構成されているのかなど大変に見通しの良い聴き易い音楽で、その多彩な響きと共にマリンバという楽器の特徴や魅力が存分に発揮されている隠れた名曲ではないかと感じられました。
 
②ミュージックシアター「鍵」(原作:谷崎潤一郎)
2016年にベルギーのシアターカンパニーLODが舞台演出に俳優のジョス・ドゥパウさん、音楽監督に加藤訓子さんを迎えて谷崎潤一郎著の小説「鍵」を題材としたミュージックシアター「De Sleutel(鍵)」を世界初演しましたが、今回は舞踊家の中村恩恵さんとの協演により日本公演が実現したそうです。この小説は映画(芥川也寸志さんが音楽を担当。外国映画新作映画などリメイクも多数。)、TVドラマオペラなどに何度も翻案されていますが、この作品では三善晃さんが作曲したマリンバのための曲や加藤さんが編曲した大正ソングを使用して音楽及びダンスを主体とした作品に仕上げられている点に特徴があります。冒頭で、加藤さんと中村さんのプレトークが行われ、この作品の創作秘話などが語られました。少し「間」が置かれた後、お互いの日記に関する話題に移り、やがてプレトークにオーバーラップするように小説を朗読するフランス語の音声が流れ始め、徐々にプレトークからショーイングへ移行して行きましたが、プレトーク(現実世界、私)とショーイング(物語世界、登場人物)の境界を曖昧にする演出上の工夫がみられました。この点、小説では読者が登場人物の視線を通して日記(心)を盗み見るという共犯関係を結ぶことで読者と登場人物の倒錯を誘いますが、その舞台効果を狙った演出と言えるかもしれません。小説に出てくる印象的な言葉(日記の中に書かれている単語や短いセンテンス)が舞台奥の段幕に投影され、観客はその言葉(登場人物の脳内に記憶されている日記の断片)と音楽及びダンスを通して登場人物の深層心理を詮索してイメージを膨らませることになりますが、朗読劇とも異なるイメージの自由な広がりを許容する新しい芸術体感が面白く感じられました。加藤さんが小説の世界観にぴったりだと仰っていたとおり選曲が当意即妙なもので、登場人物の心の動揺を時にシリアスに時にコミカルに肌理細かく表情を変えながら描き出すマリンバの心理描写が素晴らしく、また、中村さんによるダンスの所作に登場人物の心の襞のようなものが繊細に表現されていて、台詞劇よりも観客のイマジネーションを一層と効果的に引き出すことに成功して饒舌で深みのある舞台鑑賞を可能にしていたように感じられました。終板で演奏された大正ソング「ゴンドラの唄」は黒澤明監督の映画「生きる」で志村喬さんがブランコに乗りながら歌う名場面を思い出しますが、主人公の儚い生涯を遠景に捉えながら人間の滑稽や此岸の無常などを哀惜の情と共に説示するマリンバの奥床しく懐深い表現に魅せられました。なお、強いて難点を挙げるとすれば、若干、中弛みを覚える部分があったので、もう少し中盤をコンパクトにアレンジすることができれば中盤も集中力を持続して鑑賞できたのではないかと思います。いずれにしても21世紀を代表する名作の1つと言っても過言ではない充実した内容を持っている作品に感じられました。ヴラヴィー!!最近、外国人が日本の文学(近代文学に限らず、能や和歌などの古典文学を含む)を題材にして創作した作品に接する機会が多く、それら外国人の作品を通して日本文化の素晴らしさを再認識させられていますが、日本の優れたコンテンツが外国人の心をハッキングし、それらを題材にして外国人が新しい価値を付け加えて創作した新しいコンテンツが日本人の心をハッキングし返しているということなのだろうと思います。このようなハッキングなら大歓迎です!
 
 
▼シャリーノ祭り(ローエングリン関連企画)
【演題】神奈川県民ホール開館50周年記念オペラシリーズvol.2
    ローエングリン関連企画 シャリーノ祭り
【演目】サルヴァトーレ・シャリーノ作曲
    ①どのようにして魔法は生み出されるのか(1985年)
    ②アトンの光輝く地平線(1990年)
     <Fl>山本英
    ③精細な精神の完全性 14の鐘のための補完(1986年)
    ④白の探求(1986年)
     <Perc>安藤巴
    ⑤6つのカプリチオ(1976年)
     <Vn>石上真由子
【講演】吉開菜央(映画作家、振付家、ダンサー/演出担当)
    杉山洋一(作曲家/指揮担当)
    沼野雄司(音楽学者/芸術参与)
【映画】シャリーノさんに会いに行く(2023年)
     <監督>仲本拡史
【場所】神奈川県民ホール 小ホール
【日時】2023年11月18日(土)15:00~
【一言感想】
2024年10月に神奈川県民ホール開館50周年記念オペラシリーズVol.2としてイタリアを代表する現代作曲家のS.シャリーノさんのモノオペラ「ローエングリン」(1982/84年)が上演される予定ですが、その関連企画である「シャリーノ祭り」を聴きに行きました。2005年に開催された「サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ」のテーマ作曲家としてS.シャリーノさんが採り上げられるまでその存在を知りませんでしたが、その後、2011年に開催された「武満徹作曲賞」の審査員を務めるなど、日本でも知名度の高い現代作曲家です。現代作曲家のルイジ・ノーノさんはS.シャリーノさんのことを「鋭い音響の亡霊」と評していますが、多様な特殊奏法を駆使して静寂の中から顕れる精妙な音響世界に特徴的な魅力があり(さながら複式夢幻能(顕在劇)の幽玄な興趣を音楽的に体現しているような曲想)、とりわけフルート作品の人気が高く日本でも演奏機会が多いと思います。S.シャリーノさんは2005年に来日した際に音と静寂について講演され、耳を澄まして音と静寂の境界を聴き分けるのではなく、心を澄まして知覚できないものを聴くという聴取態度から演奏者が発する楽音以外の音を感じ取ることが可能になるという趣旨のことを話されていましたが、日本人の伝統的な美意識と親和性がある考え方のように思われます。今日は吉開菜央さんがイタリアのウンブリア州までS.シャリーノさんを訪ねた記録ムービーが公開され、ヨーロッパに特有の赤瓦屋根の低層建築が建ち並ぶ歴史情緒を湛えた美しい町並みが印象的でした。とりわけS.シャリーノさんがルネサンス時代に建築されたチッタ・ディ・カステッロ大聖堂の長い残響音に倍音構造を聴き取っているシーンがありましたが、木造建築が多い日本とは対照的に石造建築が多いヨーロッパで和声法やスペクトル音楽が育まれた文化的な素地のようなものが感じられて非常に興味深い映像でした。なお、今日はオペラの配役が発表され、エルザ役として吉開さんからダンスを学んでいる女優の橋本愛さん、声(エルザの幻聴)のアーティストとして国立音大声楽科卒の山崎あみさんの出演が決定したそうです。イタリアで音楽活動を行う経験豊富な杉山洋一さんを要にして、吉開さん、橋本さん、山崎さんなどの若手をジャンル横断的に起用した舞台作りに何か新しい表現が生まれるのではないかと期待が膨らみます。
 
①どのようにして魔法は生み出されるのか(1985年)
②アトンの光輝く地平線(1990年)
伝統的な西洋楽器は調性音楽を演奏するために様々な改良が加えられてきた歴史があり、フルートもベルカントの伝統から美しく旋律を歌うための楽器として発達してきましたが、それゆえに調性音楽以外の音楽を演奏するには不向きであるという限界を抱えており、無調音楽の展開(半音階的音程→十二音技法→総音列技法→微分音、スペクトル音楽)に伴う特殊奏法の開発などにより、その表現可能性の拡張が試みられてきました。S.シャリーノさんはフルートの特殊奏法とその記譜法を探求された方ですが、この2つの楽曲ではフルートの通常奏法は殆ど使用されておらず、その全体を通して多様な特殊奏法が使用されています。先ず、1曲目ですが、上述のとおり人類は進化の過程で息を吹く習慣が生まれたことなどから発声音を制御する調音の能力が発達しましたが(フルートという名称はラテン語の息及び息吹を意味するFlatus(フラトゥス)が語源で、昔から生命を吹き込む神聖な楽器と考えられてきました。)、物音を模倣する過程で言葉や歌が生まれた「魔法」(奇蹟)を表現した曲想に感じられました。冒頭では静寂の中で微弱なキーノイズ(物音)が繰り返されましたが、キーノイズ(物音)に誘われるように弱く鋭いタングラム(息による物音の模倣)が現れ、やがて静寂(言葉や歌がなかった世界)を破る強く鋭いタングラム(調音の能力の発達)が入り混じるようになると、それが表情を増しながら言葉や歌になっていく過程が表現されているように感じられ、フルートの楽器としての性格を越えて人間の発声器官(呼吸器官を含む)との境界が曖昧に感じられる独特な音響世界が非常に面白く感じられました。次に、2曲目ですが、息を吐く、息を吸うという生命のリズムを繰り返しながら(個人的には寝息をイメージ)、キーノイズ、スラップ・タギングやトリルなどが処々に挿入されていきましたが(個人的には寝息が途切れる鼾や寝言などをイメージ)、その深い呼吸によって刻まれる生命のリズムが心地良く感じられ、耳で聴く音楽というよりも体で感じる音楽という特徴はマインドフルネスの実践などにも有効であるように感じられ、遥か太古の生命を育んだ海(波)のリズムにイメージを膨らませながら音楽の根源的な意義に思いを馳せる貴重な芸術体験になりました。これらの2曲はフルートの特殊奏法の高度な演奏技術も然ることながら、どのように楽譜を読み解いて(その記譜法にも興味がありますが)、どのように音を作り表現するのかという豊かな想像力や表現力が求められる楽曲に感じられますが、山本英さんの音楽的なイメージが明確に伝わってくる好演で楽しめました。
 
③精細な精神の完全性 14の鐘のための補完(1986年)
④白の探求(1986年)
先ず、1曲目ですが、14個の組鐘が一般的な構成なのか分かりませんが(楽器はオーダーメイド?)、オルゴールの起源と言われている室内用カリヨンを使って演奏されました。冒頭では静寂の中で1つの鐘が均等かつ厳かに連打されましたが、やがてリズム、強弱や音色などのバリエーションを増しながら音楽へと発展して行く過程が表現されているように感じられ、最後に鐘の残響を聴きながら再び静寂に出会う余韻のある終曲になっていました。この曲の標題から、古来、ヨーロッパでは鐘の音は神のしるしであり、その神聖な響きは悪魔を祓うものとされ、町の中心にあるキリスト教会の鐘楼は時を支配するキリスト教会の権威を象徴するものでしたが、ヨーロッパ人が聴く鐘の音が持つ歴史的・文化的な意味に思いを馳せながら興味深く傾聴しました。次に、2曲目ですが、ジャズドラムを使って演奏されましたが、1曲目と同様にスネアドラムが均等に連打されますが、やがてバスドラム、フロアタム、シンバルなどが加わって音色、リズムや強弱などのバリエーションが重なり、ジャズドラムの多彩な音響を楽しめました。安藤巴さんが演奏機会が少ない楽曲であると仰っていましたが、とりわけ④白の探求は日本初演?と言えるかもしれず、(知る限り音盤なども見当たりませんので)大変に貴重な機会になりました。
 
⑤6つのカプリチオ(1976年)
S.シャリーノさんは「音響の魔術師」と評されているとおり、音価、音圧、音色や音高(微分音ではなくグリッサンド)などを細分化した微細音を精妙に操りながら独特の音響世界を顕在させる天才です。全曲を通してハーモニクスが効果的に使用されており、第1曲は細かく波打つアルペジオ、第2曲は幻想的にたゆたうトリル、第3曲は細かく高密度な重音スピッカート、第4曲はトリル、グリッサンド、スタッカートやデュナーミクなどを駆使したテンションの高い鋭角の音響、第5曲はスラーやデュナーミクなどを効果的に使った浮遊感や遠近感のある音の連なり、第6曲は左手のピッチカートが印象的に使用され、まるでスペクトル音楽を聴いているようなS.シャリーノさんの真骨頂とも言うべき多彩な音響など、ヴァイオリンの表現可能性を探求した多彩な曲想が面白く感じられ、アコースティック楽器からエレクトロニクスのような音響を紡ぎ出す「魔術」と言ってよいかもしれません。石上真由子さんは惚れ惚れするような盤石のテクニックで規格外の曲想(Sシャリーノさんのアイディア)を汲み尽くす演奏効果の高い秀演を楽しむことができ、是非、この曲をレパートリーに加えて頂いて再演を期待したいと思っています。イタリアのシンボルカラーである青を基調とする衣装とメッシュも舞台に華を添えていました。
 
☟S.シャリーノのモノオペラ「ローエングリン」の台本は、ジュール・ラフォルグの散文集「道徳的伝説」より「パルジファルの子~ローエングリン」(1887年)を翻案したものです。
 
▼オペラ「午後の曳航」
【演題】二期会創立70周年記念公演/日生劇場開場60周年記念公演
    オペラ「午後の曳航」
【演目】ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ オペラ「午後の曳航」
     <黒田房子>林正子(Sop)
     <登/3号>山本耕平(Ten)
     <塚崎竜二>与那城敬(Br)
     <1号>友清崇(Br)
     <2号>久保法之(Br)
     <4号>菅原洋平(C-ten)
     <5号>北川辰彦(B-br)
     <航海士>市川浩平(Ten)
     <ダンサー>池上たっくん、石山一輝、岩下貴史、後藤裕磨
           澤村亮、高間淳平、巽imustata、中内天摩
           中島祐太、パトリック・アキラ、丸山岳人、山本紫遠
【原作】三島由紀夫
【台本】ハンス=ウルリッヒ・トライヒェル
【演出】宮本亞門、澤田康子(助手)、成平有子(助手)
【指揮】アレホ・ペレス
【演奏】新日本フィルハーモニー交響楽団
【美術】クリストフ・ヘッツァー
【照明】喜多村貴
【映像】パルテック・マシス
【振付】avecoo
【監督】幸泉浩司(舞台)、大島幾雄(公演)、佐々木典子(公演補)
【場所】日生劇場
【日時】2023年11月23日(木・祝)17:00~
【一言感想】
公演後に簡単に感想を書きたいと思います。
 
H.W.ヘンツェさん作曲のオペラ「午後の曳航」(1990年初演)を東京二期会が宮本亞門さんの演出で上演するというので観劇することにしました。このオペラは三島由紀夫さんの小説「午後の曳航」(1963年)を原作としていますが、1997年の神戸連続児童殺傷事件の犯人・酒鬼薔薇聖斗の出現を暗示した作品としても話題になったことは未だ記憶に新しいと思います。海外と異なってラブリー&イージーなもの(大脳辺縁系に効く作品)しか好まない観客が多い日本では受容され難い作品(大脳新皮質に働き掛ける作品)かもしれませんが、オペラ公演の宣伝を兼ねて予告投稿しておきます。
 
【追記】
 
千秋楽(ネタバレ解禁)を迎えたので、ごく簡単に感想を残しておきたいと思います。上述したとおりH.W.ヘンツェさんは三島由紀夫さんの小説「午後の曳航」(1963年)を原作としてオペラ「裏切られた海」(1990年)を作曲しましたが、その日本語改訂版を2003年にアルブレヒトさん@読響がセミ・ステージ形式で日本初演し、その際にオペラのタイトルが原作の題名である「午後の曳航」に改められました。その後、海外での再演にあたりドイツ語版に改訂されましたが、今回、そのドイツ語版が日本初演されました。因みに、日本人の現代作曲家が三島文学を題材にして創作したオペラは、僕が知る限り、青島広志さんのオペラ「黒蜥蜴」(1984年)、同「サド侯爵夫人」(2017年)、細川俊夫さんのオペラ「班女」(2004年)及び2019年に東京二期会で上演された黛敏郎さんのオペラ「金閣寺」(1991年)などに留まりますが、後者2作品は海外の委嘱作品であることを踏まえると、新しいものを受容できない日本の観客の資質が祟って日本で新しいオペラを創作し、それを世界に発信することの難しさを感じさせます。さて、このオペラは外国で上演することを前提に創作された為なのか、原作の題名になっている少年達が塚崎竜二(去勢された戦後日本のメタファー)を解体するためにドックまで曳航する重要な場面(上表の写真を参照)が割愛されている点、少年達が救済計画を理論武装する過程で日本の刑法(ドイツの刑法も日本と同じく14歳未満は刑事責任能力なし)を挙げる重要な場面が割愛されている点、「少年」(去勢された戦後日本を断罪する者)を「ギャング」(単なる反社会的勢力)という設定に変更することで原作のテーマ性(但し、日本人以外には理解し難いテーマ性だとは思いますが)が矮小化されてしまっている点及びラストシーンで黒田房子が塚崎竜二を解体するドックに姿を現す点(原作では少年達の綿密な計画により黒田房子を巧妙に騙して塚崎竜二は海に帰った「英雄」として始末される含みが残されていますが)などにより原作までもが去勢されてしまった憾みがあり、その意味で(日本人以外には理解し難いとしても)オペラの台本には改良の余地があるように感じられます。その点を除けば、このオペラが20世紀を代表する傑作オペラであると確信するに足りる充実した内容を備えたものであることを堪能できる舞台を楽しむことができました。冒頭で穴を覗き込む黒田登の目がスクリーンに大きく映し出されましたが、これは去勢された戦後日本の時代状況をじっと覗き込む目であり、その視線の先にある客席の観客も塚崎竜二に連なる一人(断罪の対象となり得る被告人)としてドラマの当事者であることを強く意識させる効果的な演出になっており、冒頭から宮本亞門さんのウィットの効いたセンスの良さに唸らされました。何よりも、このオペラに付されているH.W.ヘンツェさんの音楽が素晴らしく、ペレスさん@新日フィルのメリハリの効いた推進力ある演奏に支えられて、力強いリズムと多彩なオーケストレーションに彩られた音楽による緊迫感に満ちたドラマ運びには固唾を呑みました。H.W.ヘンツェさんは数多くの傑作オペラを残していますが、その音楽はポスト・モダンよろしく聴き易さと斬新さとがバランス良く共存しており、それが人々から高い評価を得て世界中で再演されているのも得心できます。日本人は映画、ドラマやゲームなどを通して現代音楽に慣れ親しんできた人が多いと思いますが、このオペラも現代音楽の語法を巧みに採り入れて劇的な表現効果を生むことに成功している好事例であり、オペラ愛好家の減少が囁かれる状況にあって、オペラというジャンルの伸び代の大きさを感じさせる傑作だと思います。このオペラは全二幕14場で構成されており幕間休憩以外は間断なく舞台が展開しますが、水墨画をイメージさせるストイックな舞台セット(ビジュアル・アートを含む)が小気味よい舞台展開を可能にし、その抽象性が却って観客のイマジネーションを豊かに誘う効果を生んでおり、歌、ダンス、音楽、演出、美術、舞台展開がテンポ良く有機的に絡み合う洗練された舞台になっていました。大阪・関西万博でも批判の的になっている大量の廃棄物を排出する大掛りな設えはもはや前時代的であり、SDGsの時代に相応しい舞台演出にも配慮の行き届いたコンパクトな舞台にまとめられていたように感じました。このオペラでは黒田登の周囲にダンサー(黒子)が配置され、黒田登の刻々と移り変る内心をダンスによって表現していましたが、ドラマとダンスがバランス良く融合し、少年達が集う場面(上述のとおりギャングという設定)ではミュージカル「ウェスト・サイド・ストリー」を思わせるような挑発的な音楽が挿入されるなど、歌劇(オペラ)の枠組みから一歩踏み出して歌舞劇(ミュージカル)を見ているようなアピール度の高い舞台表現の拡がりが感じられました。このオペラの中心に据えられている少年達のドックでの密談、謀議にはいずれも充実した音楽が付されており、4声(テノール、カウンター・テナー、バリトン、バス・バリトン)の五重唱とダンス(群舞)がこのオペラ全体を引き締める迫力のある場面になっていました。少年達の五重唱を含めて東京二期会の精鋭を揃えた歌手陣によるクォリティーの高い歌唱には面目躍如たるものがあり、第2場(塚崎竜二との出会い)や第13場(塚崎竜二との結婚)ではソプラノの林正子さんが黒田房子の女心を歌う繊細な情感表出が出色で第14場(塚崎竜二の解体)の阿鼻叫喚との明暗を際立たせるドラマティックな展開を生んでおり、また、テノールの山本耕平さんが歌う黒田登の純粋な精神から生まれる繊細と狂気(ロマン主義的な美学)の狭間に揺れ動く複雑な心理描写と、バリトンの与那城敬さんが歌う塚崎竜二の英雄的な高潔さ(死と向き合う海上の生活)から小市民的な偽善(堕落した陸上の生活)へと変貌し、去勢されていく心理描写が対照的に表現されており、塚崎竜二、黒田房子、少年達(ギャングという設定)の三様とそれらの狭間で揺れ動く黒田登の関係性が明瞭な舞台になっていたと思います。現代音楽(オペラを含む)を扱う公演は客入りが芳しくない傾向がありますが、新しいものを受容できない日本の観客の資質に合わせていては優れた作品を後世に残すことは叶いませんので、将来への投資として芸術文化を助成するための公的な支援は必要不可欠なものであると実感します。
 
 
▼能声楽家・青木涼子コンサートシリーズ「現代音楽✕能」
【演題】能声楽家・青木涼子コンサートシリーズ「現代音楽✕能」
    第10回記念公演
【演目】①アヌリース・ヴァン・パレイス
     「蝉のおべべ 」謡と弦楽三重奏のための(世界初演)
     <能声楽>青木涼子
     <Vn>成田達輝
     <Va>東条慧
     <Vc>上村文乃
    ②ホセ・マリア・サンチェス=ベルドゥ
     「彼方なる水」謡とヴァイオリンのための(2018年)
     <能声楽>青木涼子
     <Vn>成田達輝
    ③細川俊夫 「小さな歌」チェロのための (2012年)
     <Vc>上村文乃
    ④クロード・ルドゥ
     「富士太鼓」 謡と弦楽四重奏のための (2021年/日本初演)
     <能声楽>青木涼子
     <Vn>成田達輝
     <Vn>周防亮介
     <Va>東条慧
     <Vc>上村文乃
    ⑤坂田直樹 「鉄輪」謡と弦楽四重奏のための(世界初演)
     <能声楽>青木涼子
     <Vn>成田達輝
     <Vn>周防亮介
     <Va>東条慧
     <Vc>上村文乃
【場所】東京文化会館小ホール
【日時】2023年11月30日(木)19:00~
【一言感想】
公演後に簡単に感想を書きたいと思います。
 
能の謡を現代音楽に融合させた「能声楽」という新しいジャンルを生み出し、2010年から世界的な現代作曲家・細川俊夫さんを始めとして世界20ケ国44名の現代作曲家の委嘱作品を発表している青木涼子さんが能声楽家・青木涼子コンサートシリーズ「現代音楽X能」第10回記念公演を開催するというので聴きに行くことにしました。海外公演の招聘が多く、海外では非常に注目されてきている印象を受けます。海外と異なってラブリー&イージーなもの(大脳辺縁系に効く作品)しか好まない観客が多い日本では新しいもの(大脳新皮質に働き掛ける作品)を生み出し又はこれが受容されることは非常に厳しい状況にあると思いますが、演奏会の宣伝を兼ねて予告投稿しておきます。
 
【追記】
 
今日は大阪・関西万博開幕500日前だそうですが、夜間、東京スカイツリーが大阪・関西万博のイメージカラーである「赤」「青」「白」の3色にライトアップされていました。大阪・関西万博の公式キャラクター「ミャクミャク」は約38億年前に生命が誕生してから脈々と受け継がれてきた生命の営み(文化、芸術を含む)を未来につなぐというコンセプトから生まれ、そのイメージカラーは生命を育むために必要な「赤」(細胞)、「青」(水)、「白」(光)を意味しているそうですが、丁度、青木涼子さんの衣装が「青」「白」、成田達輝さんの衣装が「赤」「黒」を基調とするデザインでしたので、青木さんが取り組まれている能の謡を未来につなぐという趣意と重なって縁起のようなものが感じられました。今日は現代音楽の公演には珍しく客入りが好調でしたが、これまでの青木さんの取組みが海外だけではなく日本国内でも支持されていることがよく分かり、この活動が次世代へ脈々と受け継がれて行くことを期待します。この点、もともと能は前衛的な性格が強く、能の客層はコンテンポラリー作品を受容できる資質を備えた方が多いと思われ、また、海外では日本的な美に対する関心が高いと聞いていますので、能声楽という新しいジャンルの潜在的なニーズは高いのではないかと思われます。因みに、青木さんは先日の東京二期会のオペラ公演「午後の曳航」で新日フィルを指揮したアレホ・ペレスさんと旧知の仲だそうですが、そのパンフレットに青木さんがA.ペレスさんを紹介したインタビュー記事が掲載されており活動、交友の幅広さを窺わせます。
 
①「蝉のおべべ」謡と弦楽三重奏のための(世界初演)
ベルギー人現代作曲家のアヌリース・ヴァン・パレイスさん(1975年)は、オペラ、インスタレーション、ミュージックシアターなどの声楽作品に定評がありますが、今日は青木さんが作曲を委嘱した作品が世界初演されました。昨年、V.バレイスさんが来日された際に出会った金子みすゞさんの詩と来日中に耳にした蝉の鳴き声にインスピレーションを受けて、金子みすゞさんの詩「蝉のおべべ」をテキストとして使用し、この曲を作曲したそうです。金子みすゞさんの詩は自然を愛しみ、そこに脈々と息衝く生命の営みに暖かい眼差しが向けられているものが多い印象を受けますが、弦楽三部がフラジョレット、アルペジオ、ポルタメントなどの特殊奏法を織り交ぜながら蝉の鳴き声や夏の陽炎などをイメージさせる幻想的な音楽表現でこの詩の世界観へと誘い、謡が繊細な節回しでこの詩の言葉に込められた情緒を優しく紡ぎ出す好演を楽しめました。
 
②「彼方なる水」謡とヴァイオリンのための(2018年)
スペイン人現代作曲家のホセ・サンチェス=ベルドゥさん(1968年)は、サウンド、ビジュアルやパフォーマンスなどを使った空間演出に優れたインストレーションや舞台作品に定評がありますが、今日は2018年に日本スペイン外交樹立150周年を記念して在日スペイン大使館が作曲を委嘱した作品が再演されました。古今和歌集に収録されている「水」にまつわる三首の和歌(①伝)柿本人麻呂の和歌、②紀貫之の和歌、③詠み人しらずの和歌)をテキストに使用し、この曲を作曲したそうです。ステージの四隅に向かい合うように譜面台が配置され、その譜面台を青木さんと成田さんがすり足で移動しながら演奏することで空間的な広がりが感じられる舞台になっていました。先ず、上記①の和歌ですが、ヴァイオリンがフラジオレット、アルペジオなどの特殊奏法による微細音を使いながら、この和歌に詠まれている小波や霞などの情景をまるで印象派の絵画のように幻想的に描き出し、此岸と彼岸をつなぐ能の物語構造を意識したものか、東京文化会館小ホールの残響を上手く利用して繊細に響きを操りながら遠景のしじま(静寂、彼岸)へと消え入るような余韻を湛えた謡が白眉でした。心象風景を見ているような描写力のある音楽を楽しめました。次に、②の和歌ですが、吐息や繊細な節回しを織り交ぜながら、さながら月光が柔らかく差し込むようなホールに澄み渡る謡の美しさが出色で、ヴァイオリンが謡を模倣して天空の月(謡)と水面の月(ヴァイオリン)を対照する風流を解する空間表現が面白く感じられました。最後に、③の和歌ですが、ヴァイオリンが奏でる微細音のアルペジオは乱れる恋心、ピッチカートは零れ落ちる涙を表現したものか、謡が和歌に込められた言葉にならない想いをささやくようなカタリや溜め息などで表現し、ヴァイオリンが和歌の一言一言にピッチカートで歌い添う情感表現が詩情を深くする効果を生んでいたと思います。閑寂な風情を醸し出す日本的な美意識の表現が素晴らしい珠玉の3曲を楽しむことができました。
 
③「小さな歌」チェロのための (2012年)
日本人作曲家の細川俊夫さん(1955年)は、毛筆の線を音で表現する「音の書(カリグラフィー)」を創作のテーマの1つにされていますが、2009年にチェリスト・堤剛さんに献呈したチェロ協奏曲「チャント」をチェロ独奏用に改作した曲が堤さんの愛弟子である上村さんにより演奏されました。今日は細川さんが会場に見えられており、毛筆と声の関係に関する興味深い話を伺うことができました。「チャント」とは仏教音楽「声明」のことで、声明は毛筆のような柔らかい線を持ち、その声(毛筆の線)は無音(空白)から生まれて無音(空白)へと帰するもので、その声の延長線上に器楽があるという趣旨の話を伺うことができました。毛筆は呼吸と筆面から美しく生きた線が生まれると言われており、息を吸ってから筆を下ろし(入筆)、静かに息を吐(呼)きながら筆を走らせる(運筆、終筆)という一連の呼吸によって書が生み出されますが、これは息を吐く(産声を上げる)ことで命が生まれ(有)、息を吸う(息を引き取る)ことで命が終わる(無)という仏教の死生観にも通じるものがあるように思われます。演奏者の吐息やピッチカートから演奏が始まり、やがて重音、ビブラート、フラジオレット、デュナーミクやテンポなどを操りながら様々な書風(毛筆の線の太さ、勢い、濃淡など)が表情豊かに表現され、流れる線や迫力のある線など様々な線が生み出されるイメージが音楽的に生き生きと表現されていました。細川さんの音楽には深淵な世界観や強いメッセージ性を感じることが多いですが、この曲は音の書(毛筆の線=有、空白=無)を通して仏教的な世界観(一即一切、一切即一)を表現しているように感じられます。なので、終曲(終筆)の無音(空白)に宿る音(書、生命)の源泉を感じ取りたかったのですが、最も静寂が求められる瞬間に咳込む客人がいて興が覚めてしまいました。生理現象なので仕方がないと言えば聞き分けが良さそうですが、やはり大人の思慮分別があれば、演奏開始前に飴を口に含む気働きが欲しいと言わざるを得ません。僕は習慣化しています。
 
④「富士太鼓」 謡と弦楽四重奏のための (2021年/日本初演)
ベルギー人現代作曲家のクロード・ルドゥさん(1960年)は、音楽のクロスオーバーという視点から民族音楽を精力的に研究され、とりわけ日本を含むアジア音楽にインスパイアされた作品を数多く作曲されていますが、今日は2021年にベルギーのアルスムジカ音楽祭から作曲を委嘱され初演された作品が再演されました。能「富士太鼓」の詞章をテキストとして使用し、この曲を作曲したそうです。能の構造を意識したのか、能楽囃子よろしく弦楽四部が刻みやピッチカートなどを使ってリズム(気魄や間など)の緩急を奏で、演奏者が気魄こそ込められていませんでしたが掛け声を発し、名ノリ笛よろしく青木さんが拍子木と鐘を叩くと、弦楽四部がフラジオレットを奏でながらシテ(亡霊)が顕在する様子が音楽的に表現されていました。富士太鼓が登場する場面では上村さんと成田さんが楽器の裏板を叩いて太鼓を表現し、また、白銀の扇を使った「花のような美しい舞」を披露する場面では弦楽四部がリズムを詰めながら序破急を演出しているように感じられましたが、やがて謡が「ああなつかしい」としみじみと謡うと留め拍子よろしく鐘と拍子木を鳴らし、弦楽四部が微弱音のスピッカートで余韻ある終曲を迎えました。この曲は能楽堂にインスピレーションを受けて作曲したそうですが、能の構造を踏まえて、その世界観を西洋の楽器と音楽語法を使って表現した意欲作に感じられます。
 
⑤「鉄輪」謡と弦楽四重奏のための(世界初演)
日本人作曲家の坂田直樹さん(1981年)は、シリーズ「現代を聴く」でも採り上げましたので改めて紹介しませんが、青木さんが委嘱した作品が世界初演されました。能「鉄輪」の詞章(後場終曲)をテキストに使用し、この曲を作曲したそうです。今日は坂田さんがフランスから駆け付けられていましたが、フランスの伝統が育んできた響きに対する鋭敏な感性を大切にし、そのなかに日本的な美意識も盛り込みながら創作活動を行っていきたいという豊富を語られていました。この曲では能の特徴であるテンポの伸縮を使ってシテの混沌とした内面を捉え、深い哀しみから鬼になる心情の変化を表現したと語られていました。能「鉄輪」は夫に捨てられた妻が夫と愛人を呪い殺そうとする丑の刻参りで鬼になるという曲趣ですが、上述のとおり嫉妬は思慕と憤怒という相反する感情が入り乱れた状態であり、このような感情が繰り返し生起するうちに怨恨(憤怒が思慕を上回る状態)へ発達し、やがて人間の脳はこのような生存可能性を低下させる可能性がある状態を回避する行動を促すように働きます。坂田さんが響きを大切にしていると仰っていたとおり、その響きを巧みに使った表現のバリエーションが非常に豊かに感じられ、この曲も恨み節の1本調子ではなく、様々な特殊奏法を駆使しながらシテの内心に入り乱れる複雑な心情とそれが取り留めもなく変化する様子が肌理細かく描写されているように感じられました。やがて嫉妬から怨恨へと心が染まると、弦楽四部がポルタメントやフラジョレットなどの特殊奏法を使って妖気的な雰囲気を醸し出し、テンポやデュナーミクなどを効果的に使って心に募る女の情念の焔が見事に表現されていました。やがて不協和音を重ねながら女の情念が塒を巻き、謡が地の底から響いてくるような声で「うらめしや」と繰り返すと憤怒が思慕を覆い尽して鬼になる悲劇が繊細かつドラマチックに表現されており、非常に着想が豊かで面白い曲を楽むことができました。坂田さんは噂とおりの稀有な才能の持ち主のようなので、今後とも耳を離せません。
 
現代に観阿弥や世阿弥が生きていれば、おそらく今日の公演のように能の新しい表現可能性を貪欲に追究していたのではないかと思いますが、「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。」というC.ダーウィンの名言のとおり、能の未来を拓く青木さんの革新的な取組みに今後とも期待し、応援していきたいと思っています。
 
☟このアルバムにはP.エトヴェシュさんが三島由紀夫さんの自決を題材にして作曲したミュージックシアター「harakiri」(バス・クラリネット版)が収録されています。必聴。
能×現代音楽

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◆シリーズ「現代を聴く」Vol.30
シリーズ「現代を聴く」では、1980年以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代作曲家又は現代音楽と聴衆の橋渡しに貢献している若手の演奏家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼ミッシー・マッツォーリのオペラ「Proving Up(証明)」(2018年)
アメリカ人現代作曲家のミッシー・マッツォーリ(1980年~)さん(再掲)は、2017年にアメリカ音楽批評家協会第一回最優秀オペラ賞、2022年にミュージカル・アメリカ年間最優秀作曲家賞などを受賞し、P.ゲルブ総裁のもとで改革が進むメトロポリタン歌劇場からアメリカ人現代作曲家のジャニーン・テソリ(1961年~)さんと並んで新作を委嘱された最初の女性作曲家の1人で、オペラ「バルドーのリンカーン」が2025年に英国国立歌劇場、2026年にメトロポリタン歌劇場で初演される予定です。この動画はアメリカ人作家のカレン・ラッセル(1981年~)さんの短編集「レモン畑の吸血鬼」に収録されている同名小説を翻案したオペラで、2018年にオペラ・オマハなどにより初演され、2022年にシカゴ・リリック・オペラで再演されています。
 
▼ダン・ヴィスコンティのインタラクティブ・ビデオ・ゲーム・オペラ「パーマデス」(2018年)
アメリカ人現代作曲家のダン・ヴィスコンティ(1982年~)さんは、ヴァイオリニストとして活躍していましたが、最近ではジャズ、ブルースやロックなどのアメリカン・ポップスの要素と現代音楽を融合した作風で現代作曲家としても頭角を現し、その斬新で多彩な作品が人気を博してジュピター弦楽四重奏団などの著名な団体から新作を委嘱されるなど、最も注目されている現代作曲家の1人です。このオペラはゲームとオペラを融合したハイブリッドな作品で、1974年に宝塚歌劇団が始めたアニメとミュージカルを融合した2.5次元ミュージカルのオペラ版です。この題名「パーマデス」とはゲームアバターが死亡するとプレーヤーは全てを失うゲームシステムを意味し、21世紀の神々であるゲームアバターがサイバー空間で壮絶な死闘を繰り広げるオペラになっています。
 
▼薮田翔一の「柳河風物詩」より「かきつばた」(2023年)
日本人現代作曲家の薮田翔一(1983年~)さんは、2015年に弦楽四重奏曲「 Billow(大波)」で第70回ジュネーブ国際音楽コンクール作曲部門優勝、2016年に第26回出光音楽賞などを受賞し、現在、最も注目されている若手の現代作曲家の1人です。この曲は、北原白秋が少年時代を過ごした故郷の福岡県柳川市の思い出を歌い上げた第二詩集「思ひ出」(全7章215篇)のうち最終章「柳河風俗詩」から詩篇「かきつばた」をもとに薮田さんが作曲したものです。過去、この詩篇をもとに現代作曲家の多田武彦さんが男性合唱曲(無伴奏)を作曲していますが、薮田さんはソプラノ独唱(ピアノ伴奏)として作曲することで、この詩の世界観を瑞々しく表現しています。ソプラノの小川栞奈さん及びピアニストの大下沙織さんによる詩情を湛えた美しい演奏をお聴き下さい。