大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用、拡散などは固くお断りします。※※

ヤポネシアの耳と無料ライブ配信サービス「ニコニコ東京交響楽団」(名曲全集第197回)とコンポージアム2024「マーク=アンソニー・ターネジの音楽」と2024年度武満徹作曲賞本選演奏会と日本人を枯れすすきにしてしまう世間とは?<STOP WAR IN UKRAINE>

▼日本人を枯れすすきにしてしまう世間とは?(ブログの枕短編)
あまり時間がありませんので軽く与太話で済ませたいと思います。昭和の名曲「昭和枯れすすき」の「貧しさに負けた、いえ世間に負けた・・・幸せなんて望まぬが、人並みでいたい・・・世間の風の冷たさに、こみあげる涙・・・」という歌詞には、メランコリー親和型気質が強い日本人のメンタリティーが色濃く映し出されていると言われています。この点、先日、「世界幸福度ランキング2024」が公表され、日本は昨年の47位から51位へとランクダウンしましたが、とりわけ30歳以下の若年層の世界幸福度ランキングが73位と低迷しており最近の若年層の海外流失を裏付けるデータになっています。これを見る限り、日本人のメンタリティーは昭和の時代と大きく変わっていないと言えるかもしれません。過去のブログ記事で日本は世界人助け指数の総合ランキングで142ケ国中139位と低迷している背景として、明治維新や高度経済成長などにより日本の共助の基盤となっていた「世間」が急速に崩壊してこれに代わる文化や制度などが育まれないまま自助を前提とする「社会」へ移行したことが社会課題となって表面化していることに触れましたが、日本人のナラティブをハッキングして枯れすすきにしてしまうほど強力に日本人の意識を捉えてきた「世間」とは一体何なのかについて簡単に触れてみたいと思います。
 
▼世間
もともと「世間」という言葉は仏教用語で「器世界」(山川草木国土)の中に存在する心を持つ有情(衆生)の集合体を「有情(衆生)世間」と呼んで無常な世の中を意味していました。その後、「世間」という言葉の世俗化が進んで人間関係を意味するようになり、やがて上述のとおり明治維新や高度経済成長などにより「世間」が破壊して「社会」へと移行しました。
 
〇仏教経典「雑阿含経」(第1175経)
「世尊告諸比丘、若於世間愛喜味者、則於世間受樂、彼於世間受樂者、則於世間生死往還。」(もし世間に対して愛着を持ち、その味わいを喜ぶならば、その者は世間において楽しみを受けるであろう。その者が世間において楽しみを受けるならば、その者は世間において生死を繰り返すことになるであろう。)
 
〇和歌集「万葉集」(貧窮問答歌/山上憶良)
世間を 憂しとやさしと 思えども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば」
 
〇浮世草子「世間胸算用」1巻(井原西鶴)
世間はむつかしい事のみ多く、ままならぬ事ばかりなり。」
 
〇小説「野分」(夏目漱石)
文学者・白井道也先生が田舎をいびり出されて東京へ出てきた際に俗世を痛烈に批判する台詞として「渡る世間に鬼はないと云うから、同情は正しき所、高き所、物の理窟のよく分かる所に聚ると早合点して、この年月を今度こそ、今度こそ、と経験の足らぬ吾身に、待ち受けたのは生涯の誤りである。世はわが思うほどに高尚なものではない、鑑識のあるものでもない。同情とは強きもの、富めるものにのみ随がう影にほかならぬ。」
 
「世間」という言葉は1200年以上前から日本に存在しており、日本最古の和歌集「万葉集」などにも使用されていますが、凡そ、人間関係という意味を持っています。その後、1877年頃に英語「Society」の訳語として(その語感から「世間」は不適切と判断されて)「社会」という言葉が作られており、これに続いて1884年頃に英語「Individual」の訳語として「個人」、また、1886年頃に英語「Right」の訳語として「権利」という言葉が作られています。「個人」とはこれ以上分割できない構成要素を意味し、また、その「個人」が集合して「社会」を構成し、その「個人」は「権利」を有するという考え方がヨーロッパから輸入されましたが、これらの概念(言葉)は江戸時代まで日本には存在していませんでした。これ以降、日本には「世間」(常識により規律される具体的な人間関係)と「社会」(法律により規律される抽象的な人間関係)から構成される二重構造の世界が誕生しました。その一方で、ヨーロッパでは11~12世紀頃まで「世間」が存在していましたが、キリスト教(一神教)の布教に伴って「告解」(懺悔)という宗教儀式が浸透したことにより世間との横のつながりよりも神(教会)との縦のつながりが重視されるようになり(世間の排除)、人々は告解(自分の心の内を神に告白すること)を通して自らの内面から生まれる自我を強く意識するようになりました(個人の誕生)。また、人々は神との約束(束を認めたものが旧約聖書、しい束を認めたものが新約聖書)に従って自らを規律するようになり、それが法のルール(見えるルール)によって規律される社会を形成する素地になりました。このように日本では村の鎮守に象徴される多神教を背景として村の横のつながりが重視され、村に迷惑をかけない振る舞いに価値を置いて常識のルール(見えないルール、俗に外国人から忍者の腹芸と呼ばれるもの)によって規律される世間を発達させました。このため、日本人は自らの意志で振る舞う「為す」文化よりも世間の顔色を伺いながら世間の意向に沿うように振る舞う「成る」文化(自ら何も決めずに様子を見ながら世間の成り行きに任せる特徴的な傾向のことで、例えば、日本企業で稟議書にズラズラと複数人のハンコを並べたがるのは世間の意向擬きを演出したいという深層心理の現れ)を発達させました。よって、世間に生きる人々は個人のナラティブを生きてきたというよりも、世間のナラティブ(人生のレール)に同期しながら世間における自らの役割を果たす生き方に馴染んできたため、目上・目下、先輩・後輩などの世間における序列が非常に重要な要素になり、例えば、英語では社会の抽象的な人間関係を示す「You」しかないところ、日本語では「貴殿」「あなた」「お前」などの様々なニュアンスを孕んだ言葉が生まれました。その意味で、世間は個人を権利や人権の主体として捉えるのではなく世間における役割の主体として捉える傾向が強く、個人の権利や人権を超えた権力を備える日本社会に独特の力学を体現するものと言えますが、多様性の時代と言われる現代には、これがハラスメント(世間と社会の衝突、即ち、世間の権力が個人(社会)の権利や人権を蔑ろにする現象)に姿に変えて顕在化していると言えるかもしれません。そう言えば、先日、某町長が「育休を1年取ったら殺すぞ」という趣旨の発言をしたことなどに端を発して辞任に追い込まれたという教科書事例のようなニュースがありましたが、これは世間のルール(他人に迷惑をかけないという世間の常識)を信奉する人が法のルール(権利、人権)を顧みようとしない典型的なケースと言え、また、古い体質の組織(終身雇用制度を事実上の前提として組織内の世間が残されている旧態依然とした体質など)は世間のルールを信奉する人を擁護したいという根強いマインドがあることから、未だにハラスメントに適切に対応できないケースも発生しています。上述のような違いを背景として、具体的な人間関係を前提とする「世間の目」「世間体」「世間に顔向け出来ない」という言葉が生まれ(それ故に「社会の目」「社会体」「社会に顔向けできない」という言葉はなく)、また、抽象的な人間関係を前提とする「社会基盤」「社会変革」「社会奉仕」という言葉が生まれた(それ故に「世間基盤」「世間変革」「世間奉仕」という言葉はない)ものと思われます。上述のとおり日本が世界人助け指数の寄付ランキングで142ケ国中139位と低迷しているのは日本の共助の基盤となっていた「世間」が急速に崩壊するなかでヨーロッパのような「公共」の意識が育まれなかったことが原因の1つと言われていますが、日本人には世間の「ウチ」(身内)と「ソト」(他人)の意識しかなく、世間の目があるウチでは世間体を気にして慎みますが、世間の目がないソトには関心が薄く「旅の恥はかき捨て」に象徴されるような変節になって表れます。これに対し、ヨーロッパでは上述のとおりキリスト教の布教などの影響から早くから「世間」が崩壊して法のルール(神の法が転じて人の法)によって規律される「社会」を形成するようになり、ここでは詳しくは触れませんが、王(国家)が神の法に背く専横を監視するために王(国家)に対抗する概念として「公共」の意識(ソトへの高い関心)が芽生えたと言われており、ヨーロッパにおいて寄付、ボランティアやデモ(公共としての働き掛け)などが多いのは、このためではないかと考えられます。最近、日本でネット世間という言葉が使われるようになりましたが、ネットの匿名性が世間の目を強化する効果を生み、ネットでの横のつながりが個人の自由を拡大する方向ではなく、キッズ(誹謗中傷)、KS(村八分)や炎上(魔女狩り)などの世間の悪い面(福沢諭吉が著書「学問のすすめ」で説いている世間論)を増幅する弊害を生んでいることが指摘されており、ネット世間に自らのナラティブをハッキングされ、そのネット世間から自らを否定的に扱われることで、自らの存在意義を見失い自殺するという悲劇まで生まれています。世間は浮世とも言われるとおり、所詮は仮初の世の人間の営み(芸術を含む)に過ぎず、そのようなものにどのような理屈をつけてみても大した意味などあるはずもなく(仏教用語として持っていた世間の本来的な意味)、現代にあっては、ネット世間に枯れすすきにされてしまう前に、人生を達観した鴨長明のようにネット世間を棄てる勇気、ネット世間を持たない分別も必要なのかもしれません。このように何の価値もないことを並べ立て無駄な時を過ごしているのは、ただ一心に「遊びをせんとや生まれけむ」(梁塵秘抄)という取るに足らない本性から出たものでございます。お粗末さま💖
 
▼鴨長明の随筆「方丈記」
「佛の人を教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。いま草の庵を愛するも科とす。閑寂に著するも障りなるべし。いかが用なき樂しみを述べて、空しくあたら時を過さむ。」
(意訳)仏の教えは何事にも執着心を持つなということだが、こうして草庵の暮しを愛する気持ちも一つの執着心の現れである。仏の世界から見れば何の価値もない楽しみを並べ立て無駄な時を過したものだ。
 
▼世間と社会の違い
構造 宗教 単位 価値 規律 意識
公共 互助
世間 多神教 地域 栄誉 常識に基づく評判 なし 地域意識(具体的な人間関係)に基づく共助
社会 一神教 個人 権利 法律に基づく裁判 あり 公共意識(抽象的な人間関係)に基づく寄付
 
▼ヤポネシアの耳~邦楽器をめぐる6つの邂逅
【演題】ヤポネシアの耳~邦楽器をめぐる6つの邂逅
【演目】①渡邉杏花里 Radiant Mosaicscape
     <笙>カニササレアヤコ
     <Tp>藤田サーレム
     <Cb>布施砂丘彦
    ②浦山翔太 艶
     <fl、afl>菊地奏絵
     <Vc>瀧川桃可
     <筝>吉越大誠
    ③和田遥人 水縹ノ刻
     <尺八>吉越瑛山
     <篠笛>山本一心
     <映像>荒木敬盛、斎藤愛生、 和田匠平
    ④橋本朗花 鶯音を入る
     <筝>吉越大誠
     <Pf、Syn>橋本朗花
    ⑤佐藤伸輝 Asian Music Guide
     <筝>鹿野竜靖
    ⑥江田士恩 燃ゆる命の十景
     <筝>カニササレアヤコ
     <Vn>青山暖
     <日本舞踊>花柳禮志月
【日時】2024年5月16日 19:00~
【会場】渋谷区文化総合センター 伝承ホール
【一言感想】
今日は東京藝術大学作曲科の学生が「西洋の音楽がもたらされる前、かつて日本列島(=ヤポネシア)に偏在していた邦楽器の音」に着目して「邦楽器の今日的な楽しみ方をそれぞれ提示」することをコンセプトとする「ヤポネシアの耳~邦楽器をめぐる6つの邂逅~」と題する演奏会を聴きに行きましたので、それぞれの曲について一言づつ簡単な感想を残しておきたいと思います。ヤポネシアという言葉は作家・島尾敏雄さんが提唱したラテン語の「ヤポニア」(日本)+「ネシア」(島々)を組み合わせた造語で、現在ではヤポネシアゲノムという学術用語としても使用され、主にアイヌ人などが居住していた北部(樺太、千島列島・北海道)、主にヤマト人などが居住していた中央部(本州、四国、九州とその周りの島々)、主にオキナワ人などが居住していた南部(西南諸島)に日本列島を3区分して約4万年前に日本列島に渡来した人々の起源や発展の歴史をゲノム解析により明らかにする研究が行われています。かつてセンチメンタリズムから日本は単一民族国家であると主張していた人達がいましたが、科学的には日本は多民族国家と認識されており、これが日本政府の公式な見解として採用されています。なお、今回は第1回ということで主にヤマト人を中心にして発達してきた邦楽器に着目していたようですが、「ヤポネシアの耳」をコンセプトにするのであれば、是非、第2回以降はアイヌ人やオキナワ人などが使っていた楽器や音楽語法(その源流となる楽器や音楽語法を含む)などにも焦点をあてた野心的な企画も期待したいです。本日の演目を概観して、芸術の分野に限らず、あらゆる分野に言えることですが、これからの時代はアナログ(アコースティック)の世界に安住しているだけでは足りず、デジタル(エレクトロニクス)を上手く採り込んで活用できるジャンルレスな創造的知性が求められており、その意味でも柔軟な感性を持った若い才能に期待したいです。
 
①渡邉杏花里 Radiant Mosaicscape
パンフレットの解説から抜粋引用すると「ビットマップ画像・・(中略)・・を拡大すれば色の点が並んでいる様子をノイズとして見ることができる。さらに拡大していくと、画面には数色の四角だけが映る。もっと拡大すると単一の色のみとなる。・・(中略)・・この、ミクロがマクロになる過程を曲の形式として落とし込んだ。」とのことですが、超指向性スピーカーを使った三次元的な音響空間(パンフレットには記載されていませんが、エレクトロニクスを使用)を演出するインスタレーション作品のようでもあり、もはや「ヤポネシアの耳」と形容するのが適当なのかと思われるような革新的な作品に挑発されました。冒頭は超指向性スピーカーを使ってエレクトロニクス(ノイズ)が会場を縦横無尽に駆け巡りますが、やがてトランペット(主に旋律)、笙(和音)、チェロ(主にリズム)が色の点を変化させて行く様子が音楽的に表現されていました。ビットマップ画像のデジタルな世界を表現した作品ですが、ノイズ(自然音)から旋律、和音、リズム(楽音)が生まれ、それらが拡大や縮小など変化を繰り返しながら音楽的な文脈(世界観)を表現しているようにも感じられ、音楽の始原に思いを馳せながら大変に興味深く拝聴しました。
 
②浦山翔太 艶
パンフレットの解説から抜粋引用すると「自身、あるいは人類に共通する負の感情を主題に作曲した。・・(中略)・・西洋における悪魔的な表現よりも日本特有の「湿度」を帯びた表現を心がけた。 ・・(中略)・・内に閉じた作品であり、共感を得ることは難しいかもしれないが自らの精神の縮図をこの場で提示したい。」とのことですが、冒頭からチェロが深い重音を奏でるなか、箏の艶っぽい音色、フルートの生温かい音色により、「負の感情」「艶」「湿度」のような肌触り感が陰鬱と立ち込め、箏のスリ爪による深く切り込むエッジの効いた響きやチェロと箏の激しく呼応する緊張感の高いアンサンブルなど複雑に入り乱れる心中が生々しく表現されているような印象を受けました。フルート、チェロ、箏という特殊編成のアンサンブルでしたが、杉浦さんはヘヴィー・メタルを中心とするロック・ミュージックに傾倒していた経験があるためなのか、非常に着想が豊かで様々な特殊奏法も組み合わせながらフルートと箏、チェロと箏のアンサンブルの表現可能性を追求する実験的かつ意欲的な作品に感じられ、個人的な音楽的趣味にあっていたこともあり、音楽的な完成度が高いセンスの良い作品に感じられましたので、今後の活躍が非常に楽しみです。
 
③和田遥人 水縹ノ刻
パンフレットの解説から抜粋引用すると「・・・水縹色から着想を得て今回曲を作った。一滴の水が落ち、集まり大量の水となる。それが川になり、海になる。そしてそれが蒸発し、また一滴の水となる。・・(中略)・・その中には様々な物語がある。その物語の中にある自然の音や水の流れを表すフレーズを沢山採り入れている。」とのことですが、音楽から着想を得た映像(「水をはじめとした自然の風景をモチーフに描かれる・・(中略)・・ドローイングと描画行為を記録」)が投影されました。過去のブログ記事でも触れたとおり、地球上の水は蒸発と降水を繰り返しながら河川水は約10日間、海洋水は約4000年間で全て入れ替わると言われています。昔から「流れる水は腐らない」と言われますが、これは心にも同じことが言え、禅語「放下着」という考え方に極まっています。会場のスクリーンには水辺の雑木林を散策し、気ままにドローイングする人の姿が映し出されましたが、篠笛の透き通るような音は水縹色を体現しているようであり、尺八のユリは淀みなく流れる水を体現しているようであり、それらは時に風の音(水の大気循環)のようにも聴こえ、時に息の音(水が育む生命)のようにも聴こえ、非常に感慨深い鑑賞になりました。
 
④橋本朗花 鶯音を入る
パンフレットの解説から抜粋引用すると「「鶯音を入る」とは晩夏の季語で、この曲では声が出なくなる寸前の掠れた鳴き声や心情を表現しています。・・(中略)・・老いは止められない、その事実を受け入れて自分の人生にもっと夢中になるべきだと己に叩き込むべく、このテーマを選びました。」とのことですが、橋本さんがMCで様々な禁則を犯して自分の殻を破ることを試みたという趣旨のことを語られていたとおり、橋本さんの花のような朗らかさの中に秘めるパトス(秘花)が炸裂するような作品でした。パンフレットに記載されていませんが、橋本さんがエレクトロニクスとピアノ、吉越さんがオカリナ(?)と筝を演奏しましたが、冒頭ではジャングルの中の野生動物の鳴き声を描写したような野性味溢れる演奏が展開され、エレクトロニクスとオカリナ(?)、ピアノと箏の組合せで交互にアンンブルが展開され、詞章が聴き取れなかったので謡曲又は誓願なのかよく分かりませんでしたが、吉越さんが世の儚さ又は祈りのようなものを謡いました。最後は箏の柱が吹き飛んでしまうほどピアノと箏が激しく激突する終曲となりましたが、これは橋本さんの決意表明の現れでしょうか、「音を入る」どころか「音を放つ」オテンバ振りに惚れ惚れしました。
 
⑤佐藤伸輝 Asian Music Guide
パンフレットの解説から抜粋引用すると「私は日本で生まれ、その後、中国に渡り、小学校と中学校で中国人として育てられた。・・(中略)・・日本に帰国した後、メディアでは中国のビル崩壊やエレベーターのショッキング映像が絶好のコンテンツとして消費されるのを見た。」ことに着想を得て作曲したとのことです。会場のスクリーンには中国のビル崩壊やエレベーターのショッキング映像などが映し出されましたが、日本人が抱いている中国に対するイメージ(認知バイアス)をデフォルメして笑いに変えてしまうセンスの良さが感じられ、映像と音楽が一体になって小気味よいテンポで捲し立てる捧腹絶倒にして確信犯的な作品に魅せられました。久しぶりに笑いました。スピーチ・メロディの手法でしょうか「ワハハハ」という笑い声と箏を違和感なく同期させていましたが、サブカル系現代音楽の旗手として山根さん、梅本さんに双璧する才能とセンスを持った逸材と思われ、今後の活躍に注目して行きたいと思っています。なお、ここまでデフォルメしてしまえばあまり嫌味には感じられないと思いますので、是非、第2回目ではAsian Music Guideの第2作目として日本をイジクリ倒したような作品にも期待したいと思っています。
 
⑥江田士恩 燃ゆる命の十景
パンフレットの解説から抜粋引用すると「手塚治虫の漫画「火の鳥」から着想をえました。・・(中略)・・笙は・・(中略)・・11種類の合竹と呼ばれる和音のみで演奏され・・(中略)・・それぞれ人生の特定のある場面を象徴するものとみなします。そしてこれらの場面を「火の鳥」のごとく振り子状に並べ替えることにより「誕生→死→幼年期→老い→青年期→家族愛→ロマンス→栄華→哀しみ→希望→現在」という場面のつながりを持った物語を作りました。」とのことですが、江田さんの英語表記であるE(ミ)・D(レ)・A(ラ)をモチーフとして作品の中で展開しているそうです。笙が和音を奏でると、その和音に対応した場面(ライフイベント)が羽衣(白の羽衣:生へ遡る過去、黒の羽衣:死へ向う未来)と扇子を使った日本舞踊で演じられ、ヴァイオリンの合図で場面展開していきました。宇宙の悠久の時を刻む笙の音と浮世の有限の時を彩る羽衣と扇子を使った日本舞踊が交錯する幻想的な舞台が広がり、これにヴァイオリンが叙情的な演奏で色(五蘊)を添える優美な舞台を楽しむことができました。最後に白い羽衣と黒い羽衣が重なり合って「現在」(有情世間)に生を感じ、死を想う無常感が漂う余韻深い終曲になりました。
 
 
▼ニコニコ東京交響楽団 名曲全集第197回
【演題】ニコニコ東京交響楽団
    名曲全集第197回
【演目】ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」
     <Va>青木篤子
    酒井健治 ヴィオラ協奏曲「ヒストリア」
     <Va>サオ・スレーズ・ラリヴィエール
    イベール 交響組曲「寄港地」
【演奏】<Cond>ジョナサン・ノット
    <Orch>東京交響楽団
【日時】2024年5月18日 14:00~ 
【会場】無料ライブ配信(ミューザ川崎シンフォニーホール)
【一言感想】
今を時めく現代作曲家・酒井健治さんのヴィオラ協奏曲「ヒストリア」が再演されるというので、無料ライブ配信サービス「ニコニコ東京交響楽団」を視聴することにしました。この無料ライブ配信はコロナ禍を背景として2020年から東京交響楽団が開催している企画で、何と!定期演奏会を含む計10公演が無料ライブ配信されてしまうという他では類例を見ない太っ腹な企画ですが、もはや「試供品」のレベルを超えて「一物二価」と言い得る状況に驚きを禁じ得ません。この点、オンライン配信が生演奏と比べて遜色があるのか否かは個人の感じ方の問題であり、老婆心ながら、無料ライブ配信される演奏会の有料チケットの販売に影響は出ていないものなのか心配になります(知る限り無料ライブ配信では企業CMなども流れていません)。最近は演奏会から半年も経過しないうちにインターネットで演奏会の模様を収録した動画を無料で公開する風潮などもあるようですが、これは「撒き餌」(宣伝)としては有効な手段であるとしても、やはり有料チケットを購入する顧客が漸減(マーケット崩壊)しないのか、演奏会場も映画館のようになってしまわないのか懸念を覚えます。尤も、撒き餌を撒かなければ魚が集まらない、撒き餌を撒き過ぎれば魚は腹を満たしてしまう、いずれにしても魚が釣れない苦境を打開するための窮余の一策なのだろうとは思います。オンライン配信はデジタル田園都市国家構想を見据えた新しい芸術受容のあり方として必要的かつ有用なものだと思いますが、これも適正な対価を見込んで健全なマーケットとして育成して行かなければサスティナブルとは言えず、そのうち「令和枯れすすき」になってしまうような気もしています。....とは言え、何でも値上がる時代に素直に遊興費の節約に資する有難い企画だというのも本音です。演奏会を聴いた後に時間を見付けて簡単に感想を残しておきたいと思いますが、演奏会の宣伝のために予告投稿しておきます。
 
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後日、感想を追記します。
 
 
 
▼コンポージアム2024「マーク=アンソニー・ターネジの音楽」
【演題】コンポージアム2024「マーク=アンソニー・ターネジを迎えて」
【演目】①ストラヴィンスキー 管楽器のサンフォニー(1920年版)
    ②シベリウス(ストラヴィンスキー編) カンツォネッタ
    ③ターネジ 
        ラスト・ソング・フォー・オリー(2018年/日本初演)
    ④ターネジ ビーコンズ(2023年/日本初演)
    ⑤ターネジ リメンバリング(2014年-2015年/日本初演)
【演奏】<Cond>ポール・ダニエル
    <Orch>東京都交響楽団
【日時】2024年5月22日 19:00~ 
【会場】東京オペラシティコンサートホール
【一言感想】
日本でもフランシス・ベーコンによる大オーケストラのための「3人の絶叫する教皇」などで知られ、今年の武満徹音楽賞の審査員を務める現代作曲家のマーク=アンソニー・ターネジさんに焦点を当てた演奏会が開催されるというので聴きに行く予定にしています。演奏会を聴いた後に時間を見付けて簡単に感想を残しておきたいと思いますが、演奏会の宣伝のために予告投稿しておきます。
 
 
後日、感想を追記します。
 
 
 
▼2024年度武満徹作曲賞本選演奏会
【演題】2024年度武満徹作曲賞本選演奏会
【審査】マーク=アンソニー・ターネジ
【演目】①ジンユー・チェン(香港) 星雲
    ②ホセ・ルイス・ヴァルディヴィア・アリアス(スペイン)
          AI-Zahra-オーケストラのための3つの小品
    ③アレサンドロ・アダモ(イタリア) 括弧
    ④ジョヴァンニ・リグオリ(イタリア) ヒュプノ-夢の回想
【演奏】<Cond>杉山洋一
    <Orch>東京フィルハーモニー交響楽団
【日時】2024年5月26日 15:00~ 
【会場】東京オペラシティーコンサートホール
【一言感想】
いまや世界からも注目されている現代作曲家の登竜門・武満徹作曲賞本選会を聴きに行く予定にしています。演奏会を聴いた後に時間を見付けて簡単に感想を残しておきたいと思いますが、演奏会の宣伝のために予告投稿しておきます。
 
 
 
 
後日、感想を追記します。
 
 
 
▼伝統芸能プロジェクトチーム「TRAD JAPAN」
伝承芸能プロジェクトチーム「TRAD JAPAN」は日本の伝統音楽の継承と創造をコンセプトとして活動している邦楽ユニットで、リーダーの矢吹和之さんは津軽三味線コンクール全国大会で優勝、津軽三味線日本一決定戦日本一の部(曲弾きの部及び唄づけの部)で優勝など日本を代表する津軽三味線奏者です。津軽三味線は、鈴鹿馬子唄中山道を介して信濃に伝わって信濃追分節に発達し、それが北国街道を介して越後に伝わって越後瞽女北前船羽州浜街道羽州街道を介して陸奥蝦夷へ広めたと言われていますが、津軽の仁太坊はなれ瞽女から三味線を学び、津軽の風土に合わせて太棹や叩き奏法などの改良を加えて誕生したと言われています。これまで西洋音楽の語法を使って演奏する邦楽ユニットは数多く存在しましたが、伝統邦楽の語法に根差した革新的な作品やユニークな活動も期待したいです。なお、TRAD JAPANのメンバーで過去のブログ記事でもご紹介した生田流筝曲演奏家の安嶋三保子さんは、これまで三大筝曲コンクールと言われる賢順記念全国箏曲コンクールで賢順賞(第1位)、長谷検校記念くまもと全国邦楽コンクールで優秀賞を受賞されていますが、2024年3月に開催された利根英法記念あいおい全国邦楽コンクールで金賞(現代曲)を受賞されたそうですが、日本を代表する筝曲演奏家なので今後の活動に注目して行きたいと思っています。
 
▼波の伊八 没後200年記念イヴェント
過去のブログ記事でも紹介しましたが、波の伊八(本名:武志伊八郎信由)は1752年に千葉県鴨川市打墨で生まれた彫刻師で「関東に行ったら波を彫るな」と言われたほどの名人であり、葛飾北斎は波の伊八作の欄間「波と宝珠」からインスピレーションを受けて浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖裏波」を創作し、また、C.ドビュッシーは葛飾北斎作の浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖裏波」からインスピレーションを受けて交響詩「海」を作曲したと言われており、波の伊八がいなければ葛飾北斎作の浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖裏波」やC.ドビュッシーの交響詩「海」などの傑作も生まれていなかった可能性があります。2024年5月18日及び19日に波の伊八 没後200年記念イヴェントが開催され、講談師・神田あおい師匠が創作した講談「初代波の伊八物語」が一席打たれます。