ぶらあび

伝統に根差しながらも時代を『革新』する新しい芸術作品と、これを創作又は実演する芸術家をジャンルレス・ボーダレスにキャッチアップする契機とするために書き散らかしています。

映画「犬王」~観阿弥+犬王(道阿弥)=世阿弥が創始した中世のメタバース・ミュージカル「能楽」~<STOP WAR IN UKRAINE>

▼「和える」文化(ブログのまくら)
千葉県の小麦畑(冬小麦)が6月の収穫期を迎えて色付いています。2021年に「食料危機対策グローバルネットワーク」(GNAFC)が公表した「食料危機に関するグローバルレポート」によれば、食料危機を招いている3大原因として①武力紛争、②経済危機(パンデミックの影響を含む)及び③気候変動が挙げられますが、現在、ロシアによるウクライナ侵攻や異常気象(インドの熱波を含む)による食料危機(とりわけ小麦の供給不足)の深刻化が懸念されています。この点、2019年に「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が公表した特別報告書「気候変動と土地」によれば、将来、地球の平均気温が2℃上昇すれば食料生産に重大な影響を及ぼし(例えば、穀倉地帯の砂漠化、永久凍土の融解(海面上昇に加えて、永久凍土に閉じ込められている温室効果ガスや未知のウィルスの放出等)、植物及び微生物の生態系の破壊など)、深刻な食料危機を招く危険性を警告しています。前回のブログ記事でも触れましたが、パンダと同様に牛の胃腸には牛が消化できない植物(食物繊維)を分解して栄養素を作り出す微生物が共生していますが、この微生物の種類によって牛のメタンガス排出量を大幅に抑制することが分かっており、この技術を利用して牛のメタンガス排出量を2030年までに25%削減、2050年までに80%削減する研究が進んでいます。因みに、日本は、世界第1位の農産物の純輸入国(=輸入量―輸出量)ですが、そのうち小麦はアメリカ、カナダ及びオーストラリアから輸入していますので、今回のウクライナ侵攻や異常気象(インドの熱波を含む)の影響は少ないと考えられます。しかし、アメリカの穀物生産量は向こう60年間で80%減少するという試算もあることなどから、現在、日本の食料自給率を2025年までにカロリーベースで39%→45%、生産額ベースで65%→73%に高める取組みが行われています。今回、ウクライナ侵攻に伴うロシアへの経済制裁を契機として脱炭素化に向けた取組みに拍車が掛り、食料需給の安定化に向けた取組みも加速度的に進むことが期待されます。なお、小麦と言えば、パン、麺類(十割蕎麦を除く)、餃子、カレーや菓子類など現代の国民食に欠くことができない食材になっています。小麦は紀元前8千年頃から西アジアで栽培が開始された人類最古の農作物で、日本書記によれば、シルクロードを経由して弥生時代に中国から日本へ伝来しますが、湿気が多い日本では乾燥を好む小麦の栽培に不向きなため、僅かにそうめん(奈良時代遣唐使により大和へ伝来)、うどん(806年に空海により唐から故郷の讃岐へ伝来)、カステラ(1571年頃にポルトガル宣教師によりスペイン・カスティーリャ王国のパンとして長崎へ伝来し、1681年に能楽の翁面を店印とする「松翁軒」によって普及)や二八そば(元禄時代に高級食品であった十割そば=生そば(但し、現代では生そば=添加物不使用  ≠  十割そばと意味が変わっています。)に小麦粉を混ぜて庶民食として普及)等の食材として利用されてきました。その他、餃子及びラーメンは水戸藩に招かれた明の儒学者朱舜水により水戸へ伝来し、徳川光圀が日本人で初めて餃子(1689年)及びラーメン(1697年)を食べたと言われており、徳川光圀が食べたラーメンを再現した「水戸藩ラーメン」が話題になっています。また、カレーライスは1868年にカレーライス発祥地であるイギリスからカレー粉が横浜へ伝来して、1905年に「ハチ食品」が国産初のカレー粉を販売して普及します。さらに、パン(ポルトガル語 「pão」)は、1543年にポルトガル宣教師により鉄砲と共に日本へ伝来しますが(1582年に織田信長が日本人で初めて舞踊付きの西洋音楽を視聴)、江戸幕府鎖国政策でパン作りは禁止され、第二次世界大戦後のアメリ占領政策により学校給食にアメリカの輸入小麦を使ったコッペパンが採用されたことで本格的にパン食が普及します。なお、木村屋空海により唐から伝来した小倉あん東洋文化)とパン(西洋文化)を和えてあんパンを開発し、現在では外国人観光客にも人気になっています。このように、東洋文化西洋文化の特徴や利点を活かして採り入れることで小麦を食材とする食品が日本食に浸透して行きましたが、その結果、小麦の栽培に不向きな風土の日本の食料自給率を下げる原因にもなっています。因みに、ポルトガル宣教師によりパン、カステラ、鉄砲やキリスト教等と共にかるた(ポルトガル語「Ccarta」)が伝来し、やがて百人一首(競技かるた)が誕生します。その後、江戸幕府は、かるたが賭博目的で使用されるようになったことから「かるた賭博禁止令」を発布しますが、一見して賭博目的と分かり難くするために絵柄を変えた花札(賭博かるた)へと変化し、江戸庶民が花札の賭博場に入る合図として「鼻をこする」(鼻=花札)という隠喩表現まで生れました。この点、ゲーム会社の任天堂花札の製造及び販売から始まった会社ですが、任天堂花札の箱に描かれている天狗はこの合図が由来になっています。鎌倉時代藤原定家が1歌人1首を選集した秀歌撰「小倉百人一首」には平安時代醍醐天皇の命により選集された日本最初の勅撰和歌集古今和歌集」から最も多くの和歌が選ばれており、小倉百人一首平安時代の王朝文化の美意識を受け継ぎながら鎌倉時代から室町時代にかけて新しい美意識の武家文化を華開かせるための橋渡し的な役割を担っています。その後、かるたが小倉百人一首と結び付いて歌人の絵姿を描いた絵かるたへ発展したことから、やがて和歌だけではなく歌人も注目されるようになり、歌人が物語の主役(例えば、紫式部古今和歌集に和歌が選ばれている在原行平から源氏物語第十二帖「須磨」を着想など)や能楽の主役(例えば、世阿弥小倉百人一首に和歌が選ばれている在原行平から能「松風」を着想など)として採り上げられるなど、かるた(西洋文化)と小倉百人一首東洋文化)を和えたことが物語や能楽を創作するにあたっての豊かな着想へとつながって行きます。
 
比叡山京都府京都市左京区修学院牛ケ額
日吉大社滋賀県大津市坂本5-1-1
③蝉丸神社(滋賀県大津市大谷町23-11
観世流発祥の碑(奈良県磯城郡川西町結崎1890−2
⑤影向の松(春日大社)(奈良県奈良市登大路町
比叡山比叡山八瀬口方面から京、坂本口方面から近江を一望する要衝に位置していますが、近江猿楽は坂本口方面にある日吉大社を中心に活動しました。近江猿楽を率いる犬王(道阿弥)は室町幕府第3代将軍・足利義満の寵愛が篤く、1408年に北朝後小松天皇金閣寺行幸した際の天覧能をつとめていますが、その死後、近江猿楽は衰退しています。 日吉大社/近江猿楽を率いていた日吉座(比叡座)・犬王(道阿弥)は幽玄の趣がある情緒的で洗練された天女舞を得意とし、大和猿楽を率いる観阿弥及び世阿弥と人気を二分していました。世阿弥は「申楽談義」で犬王(道阿弥)を観阿弥に劣らない名人上手と高く評価しており、その歌舞幽玄な天女舞から学び、自らの芸風にも採り入れたと言われています。 蝉丸神社日吉大社の近くに、琵琶法師・蝉丸が庵を結び小倉百人一首に選ばれた和歌を詠んだ逢坂関がありますが、その場所に平家物語を語る盲僧琵琶の職祖とされる蝉丸を祀った蝉丸神社が建立されています。世阿弥が蝉丸を扱った能「蝉丸」を作っています。史実なのか不明ですが、映画「犬王」では犬王と蝉丸の親交が描かれており、非常に興味深いです。 観世流結城座)発祥の碑/大和四座は、奈良県奈良市(興福寺)金春流(円満井座)発祥の碑奈良県桜井市宝生流(外山座)発祥の碑奈良県生駒(龍田神社)金剛流(板戸座)発祥の碑があります。さらに、京都府京田辺市観世座の碑京都府京田辺市(月読神社)宝生座の碑京都府京田辺市(酬恩庵一休寺)薪能金春の碑があります。 影向の松(春日大社/「影向」とは、神仏が仮の姿をとって現れることを意味していますが、能舞台の鏡板に描かれている松は、春日大社の参道脇に立つ老松で、現在は枯死し、後継樹が植えられています。なお、外国人観光客にも人気の奈良公園の鹿は心得があり、カメラを向けていると勝手にフレームインしてくれますが、餌やりは禁止なので要注意です。
⑥新熊野神社京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42
観阿弥創座の地(三重県名張市上小波田181
観阿弥供養塔(奈良県大和郡山市城内町2−255
⑨観世井(観世稲荷)(京都府京都市上京区観世町135−1
⑩能「楠露」(桜井駅跡)(大阪府三島郡島本町桜井1-3
熊野神社/1374年、新熊野神社観世清次(後の観阿弥)が率いる猿楽結崎座が猿楽の能を奉納しましたが、これを観覧していた室町幕府第3代将軍・足利義光は、当時12歳の藤若丸(後の世阿弥)に魅了されたので同朋衆に加えることにし、阿弥号を与えて観阿弥及び世阿弥を名乗らせます。 観阿弥創座の地観阿弥は、1333年に楠木正成の妹と伊賀国阿蘇田を支配した服部元就の間に生まれ、妻の出身地である伊賀国小波田で創座したと言われています。なお、楠木正成は身体機能に優れた芸能集団(忍者を含む)を抱えて興業という名目で全国各地へ派遣して諜報活動を行わせていました。 観阿弥供養塔大和郡山城内に観阿弥の供養塔、大徳寺真珠庵に観阿弥及び世阿弥の墓(非公開)安置されています。なお、観阿弥の出身地である三重県名張市近畿鉄道名張駅及び名張市役所)には観阿弥像が建立され、また、三重県伊賀市には世阿弥の母像楠木正成の妹)が建立されています。 観世井(観世稲荷社)観阿弥世阿弥室町幕府第三代将軍足利義満から拝領された屋敷跡には井戸(観世井)が残っていますが、この井戸に龍が降りて出来た水の波紋から観世水紋定紋にしたという逸話が残され(実際は楠木氏の菊水紋の替紋か?)、観世水を象った京銘菓「観世井」が有名です。 能「楠露」(桜井駅跡)観阿弥及び世阿弥北朝足利将軍家に配慮して南朝に関する能を一曲も作りませんでしたが、江戸時代になると南朝を扱った太平記物と呼ばれる歌舞伎作品が人気を博します。なお、明治期に作られた楠木正成を扱った能「楠露」は人気が高く上演される機会も多い作品です。
 
【題名】映画「犬王」
【監督】湯浅政明
【原作】古川日出男
【脚本】野木亜紀子
【作画】松本大洋(原案)、伊東伸高(設計)、亀田祥倫、中野悟史、
    山代風我、榎本柊斗、前場健次、松竹徳幸、向田隆、福島敦子
    名倉靖博、針金屋英郎、増田敏彦、伊東伸高(以上、監督)
【撮影】関谷能弘(監督)、廣瀬清志(編集)
【美術】中村豪希(監督)、中村豪希(色彩)
【音響】木村絵理子(監督)、中野勝博(効果)
【音楽】大友良英(作曲)、今泉武(録音)
【監修】佐多芳彦(歴史)、宮本圭造能楽)、
    亀井広忠能楽実演)、後藤幸浩(琵琶)
【制作】サイエンスSARU
【出演】<犬王>アヴちゃん
    <友魚>森山未來
    <足利義満柄本佑
    <犬王の父>津田健次郎
    <友魚の父>松重豊
    <その他>片山九郎右衛門、谷本健吾、坂口貴信、川口晃平、
         石田剛太、中川晴樹、本多力、酒井善史、土佐和成 等
【感想】ネタバレ注意!
▼映画「犬王」の感想と観阿弥・犬王・世阿弥の芸
最近の芸術関係の映画(とりわけ邦画)は、ヒューマンドラマに重きを置いたものが多く、大人の視聴に耐え得る観応えのあるものが少なくなってきている状況は非常に残念ですが(その逆にマンガは骨太のテーマを採り上げるものが増えて歓迎ですが)、久しぶりに観応えのあるテーマを扱った映画「犬王」が封切られたので観に行くことにしました。現代的な感性を持つ若者に「幽玄な舞」と言ってもピンと来ないと思いますが、猿楽の能や平家琵琶の魅力をロック、ヒップホップ、野外フェスやプロジェクションマッピング等の現代的な演出に置き換えて現代人にも直感的に理解できるような斬新な描き方をしているので、現代的な感性を持つ若者にもお勧めできる映画です。以下で簡単に触れますが、世阿弥は時代の感性に敏感で常に流行を採り入れながら工夫を重ねることに熱心でしたが、もし現代に世阿弥が生きていれば、伝統的な精神を守りながらも、これらの要素を巧みに採り入れて能を革新し続けていたに違いありません。いつまでも豆腐は四角いものという固定観念に縛られて伝統を虚しくしてしまうのは詰まりません。この映画では、何故、このような斬新な描き方をしているのか、現代的な感性を持つ若者にも能の魅力が「伝わる」( ≠「伝える」 )ように工夫していると共に、様々な問題提起も含んでいるように感じられます。
 
" "Tradition" is very often an excuse word for people who don't want to change. " --- Red Barber
 
観阿弥、犬王(道阿弥)、世阿弥が生きた時代
先ず、映画「犬王」を観るにあたってその時代背景を簡単にお浚いしておくのが有効です。観阿弥、犬王(道阿弥)、世阿弥が生きた室町時代南北朝の動乱を含む)は日本の変革期にあたります。現在、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されていますが、平安時代までは天皇が土地の支配権(主権)を有していましたが(因みに、人類の戦争は土地の奪い合いの歴史ですが、その後、国際秩序が整備されて土地の奪い合いから金銭の奪い合い(貿易戦争)へと姿を変えます。しかし、これに出遅れたロシアはウクライナ侵攻で土地の奪い合いを再開して時代のリセットを試みようとしています。)、1185年に源頼朝武家)は武力を背景にして後白河法皇から土地の支配権(主権)のうち土地の分配権(政権)を奪い取ります(文治の勅許)。やがて朝廷は鎌倉幕府武家)から土地の分配権(政権)を奪い返そうと企て承久の乱後鳥羽上皇)及び元弘の乱後醍醐天皇)を起し、1333年に後醍醐天皇鎌倉幕府を滅亡させて土地の分配権(政権)を奪い返すことに成功しますが、この年に観阿弥が誕生し、その後(生年不詳)に犬王が誕生します。しかし、1336年に足利尊氏武家)が後醍醐天皇に謀反を起こして光明天皇を擁立し、土地の支配権(主権)を譲位によらず武力によって光明天皇へ移行したうえで、1338年に足利尊氏武家)が土地の分配権(政権)を手中にします(室町幕府の成立)。これにより土地の支配権(主権)を巡って後醍醐天皇(奈良の南朝)と足利尊氏が擁立する光明天皇(京の北朝)に分かれて対立し(一天両帝)、1392年に室町幕府第3代将軍・足利義満の治世に南北朝合一を果たすまで南北朝の動乱が続きますが、この動乱の最中の1363年に世阿弥が誕生します。このように観阿弥、犬王(道阿弥)、世阿弥が生きた時代は、朝廷から武家へ土地の分配権(政権)が移行する時代の過渡期にあたり、平安時代の王朝文化を受け継ぎながら鎌倉時代から室町時代へと武家文化が華開いて行った時代になります。なお、観阿弥(服部三郎清次)は、後醍醐天皇(奈良の南朝)に従った楠木正成の妹と伊賀国阿蘇田の服部元就(同地を支配した伊賀忍者の棟梁・服部半蔵の先祖で、伊賀忍者南北朝の動乱南朝皇統奉公衆「八咫烏」として南朝に従います。)との間に生まれて(「始観世丸三郎、実父伊賀国浅宇田領主上嶋慶信入道景守次男治郎左衞門元成、三男、杉内生、長谷猿樂法師預人、後市太夫家光養子也、法名観阿弥、母河内国玉櫛庄 母 楠入道正遠女」(観世福田系図))、その後、妻の出身地である伊賀小波田で創座しますが(観阿弥こと服部三郎清次の幼名は観世丸ですが、これは長谷寺の観世音菩薩を信仰していたことに由来しています。)、楠木氏は能楽師大道芸人等の芸能集団(忍者を含む身体機能に優れた者等)を抱えて、その芸能集団を興行という名目で全国各地へ派遣して諜報活動を行わせていたと言われています。そのため、観阿弥は父母の家系を足利義満に秘密にしていた(「観阿弥文中甲寅歳京起、父母家筋秘鹿苑殿前能座立也」(観世福田系図))と言われています。因みに、1432年(永享4年)、世阿弥の嫡男・観世(十郎)元雅は巡業先の伊勢国安濃津南朝に従う北畠氏の支配地)で、斯波兵衛三郎(北朝に従う斯波氏)に殺害される事件が発生していますが、これは観世(十郎)元雅が南朝との関係が深かったためではないかと考えられており、世阿弥が晩年に佐渡へ配流された直接の理由は、世阿弥の甥・音阿弥を贔屓にしていた足利義教との不仲ではなく(1441年、足利義教は音阿弥の舞台を観覧中に家臣・赤松満祐に殺害され、これにより室町幕府は弱体化して戦国時代へ移行)、この事件の連帯責任を取らされたためではないかと言われています。
 
 
②王朝文化から武家文化(中世)への移行
古事記によれば、歌舞の始祖神は天岩戸伝説に登場する「天宇受賣命」(アメノウズメノミコト)とされていますが、皇祖神「天照大神」(アマテラスオオミカミ)のために披露した裸踊りが神楽舞の原型と言われ、宮中祭祀で舞を披露する芸能一族「猿女君」(サルメノキミ)の祖神とされています。このように芸能は神を讃えて慰めるために社寺の主催で実施する「神事」(宗教)として発展しますが、平安時代になると芸人は朝廷や社寺から独立して神ではなく見物(客)のために歌舞を披露して見物料を徴収し生計を建てる「興行」(芸能)が盛んになり(宗教と芸能の分離)、大陸文化の影響を受けながら多様化して行きます。日本には6世紀に仏教が伝来する前から怨霊信仰がありましたが(例えば、4世紀に大和朝廷が出雲を滅ぼした後に、出雲大社を創建して出雲の大国主オオクニヌシ)を祭神として祀ることでその怨霊を鎮魂するなど)、やがて朝廷から武家へ政権が移行すると、それまでの朝廷や公家を対象とした旧弊の仏教から武家や庶民を対象とした新興の仏教が起こって社会へ幅広く浸透し、これに伴って怨霊信仰も「鎮魂」(祭神)から「供養」(成仏)へと形を変えて行きます。このような社会状況のなか、源平合戦で滅亡した平氏一門の怨霊を鎮魂、供養するために平家物語が作られますが、王朝文化(朝廷や公家の文化)を背景として源氏物語のような文字を読む物語ではなく、武家文化(武家や庶民の文化)を背景として琵琶法師の語りを聞く物語として社会に幅広く受容されます。これは、当時、口に出す言葉には物事を成就させる霊力が宿っておりそれにより平氏一門の怨霊を鎮魂、供養するという言霊信仰があった点や平仮名が発明されたばかりで未だ庶民の識字率が低かった点などがあったと考えられますが、宗教だけではなく和歌(文学)、平曲(音楽)や能楽(演劇)など芸能(芸術)も怨霊の鎮魂、供養のための社会的な機能を担うようになります。
 
日本は音の文化(表音文字と詩歌、詩劇)
※日本は弥生時代まで無文字文化(口承文化)でしたが、古墳時代に仏教典と共に漢字が伝来します。それまでは文字ではなく音によってコミュニケーションしていた日本人にとって漢字を覚えることは難しかったので、片仮名(例えば、「阿」→「ア」、「伊」→「イ」、「宇」→「ウ」など漢字の片側だけを書くことから片仮名)を発明し、仏教典の漢字を正確に発音するために片仮名と音とを結びつけて漢字の発音(振り仮名、現代の発音記号)を片仮名で仏教典に書き加えるようになります。また、それまで音によってコミュニケーションしていた言葉を文字として表記するために漢字の発音を借用する万葉仮名(当て字)を発明し、その後、漢字を書くのが難しかったので漢字の草書体を崩した平仮名(例えば、「安」→「あ」、「以」→「い」、「宇」→「う」など漢字を平易に書くことから平仮名)を発明したことで文字が浸透し、日本独特の和歌や物語などの文化(目で読むための表意文字の文化ではなく、声(音、言霊、神の音連れ)に出して詠む又は語るための表音文字の文化)が誕生します。当世流のキラキラネーム(意味ではなく音感で命名)は万葉仮名(当て字)にルーツを求めることができますし、ローマ字は片仮名、絵文字は平仮名にルーツを求めることができそうです。
 
③犬王(道阿弥)が世阿弥に与えた影響
鎌倉幕府滅亡の原因の1つは執権・北条高時の田楽狂いにあったと言われていますが、鎌倉時代末期には田楽が猿楽を凌ぐ人気を得ていたと考えられています。この点、世阿弥能楽論「世子六十以降申楽談儀」(次男・観世元能筆談)には「一忠(田楽)・清次<法名観阿>・犬王<法名道阿>・亀阿、これ、当道の先祖といふべし。かの一忠を、観阿は、「わが風体の師なり」と申されけるなり。道阿、また一忠が弟子なり。」と記しており、本座田楽の一忠は大和猿楽の観阿弥や近江猿楽の犬王(道阿弥)等に多大な影響を与えていたことが窺がえます。さらに、世阿弥の能論書「五音」には「白髭の曲舞を、亡父申楽に舞ひ出だしたりしより、当道の音曲ともなれり。(中略)乙鶴、この流を亡父は習道ありしなり。」と記しており、観阿弥は女曲舞師・乙鶴から曲舞を学び、曲舞の拍子の面白さを謡に採り入れて節回し(メロディー)で聞かせる謡から拍子(リズム)に乗せた謡へと独自の改良を加え、猿楽の能を更に人気のある芸能へと発展させています。前掲の申楽談儀には「観阿、今熊野の能の時、申楽といふことをば、将軍家<鹿苑院>、御覧じはじめらるるなり。世子、十二の年なり。」と記しており、1374年に観世清次観阿弥)及び藤若丸(12歳の世阿弥)が大和猿楽結城座を率いて参加した新熊野神社勧進興行を観覧していた室町幕府第3代将軍・足利義満が2人を同朋衆(阿弥号)に加えて庇護し、猿楽の能が田楽の能を上回る人気を得ます。その後、1384年5月4日、観阿弥駿河守護職・今川氏の氏神である静岡浅間神社へ猿楽の能を奉納しますが、同5月19日に52歳の生涯を閉じます。この点、前掲の申楽談儀には「犬王は、毎月十九日、観阿の日、出世の恩なりとて、僧を二人供養じけるなり。」と記しており、また、「道阿の道は、鹿苑院の道義の道を下さる。」(道義は足利義満法名)と記していることなどから、近江猿楽の犬王(道阿弥)は大和猿楽の観阿弥の推薦によって室町幕府第3代将軍・足利義満の庇護を受けるようになり、その出世の機会を与えてくれた観阿弥に感謝していたことが窺がえます。近江猿楽(江州)と大和猿楽(和州)の芸風について、最初の世阿弥能楽論「風姿花伝」第五奥義伝には「およそこの道、和州、江州において風体変はれり。江州には、幽玄の堺をとり立てて、物真似を次にして、かかりを本とす、和州には、まづ物真似をとり立てて、物数を尽くして、しかも幽玄の風体ならんとなり。」と記しており、近江猿楽が物真似の面白さよりも歌舞幽玄の美しさを重視していたのに対し、大和猿楽は歌舞幽玄の美しさよりも物真似の面白さを重視していた点に特徴があると述べています。その後、室町幕府第3代将軍・足利義光は朝廷や公家に武家文化の価値を認めさせるために物真似の面白さを特徴とする大和猿楽の世阿弥よりも朝廷や公家の嗜好にも適った歌舞幽玄の美しさを湛えた近江猿楽の犬王(道阿弥)を重用するようになりますが、晩年の世阿弥能楽論「花鏡」には「幽玄の風体の事。諸道・諸事において、幽玄なるをもて上果とせり。ことさら当芸において、幽玄の風体、第一とせり。」と記しており、さらに、世阿弥の能論書「却来花」(七十以後口伝)には「天女の舞、舞の本曲なるべし。これを当道に移して舞うこと、専らなり。近江の犬王、得手にてありしなり。さるほどに、天女の舞は、近江申楽が本なりと申す輩あり。(略)天女の舞の秘曲を、犬王、分明に相伝したりとは聞こえず。(略)およそ、天女の舞の故実、人形の絵図に顕はしたり。よくよく習見あるべきなり。」と記していることなどから、世阿弥は犬王(道阿弥)の影響を色濃く受けて、歌舞幽玄の美しさを大和猿楽に採り入れて物真似重視の能から歌舞重視の能へと芸風を改めます。この点、犬王(道阿弥)の芸について、前掲の申楽談儀には「犬王は上三花にて、つひに中上にだに落ちず。中・下を知らざりし者なり。音曲は中上ばかりか。」「いづれもきたなき音曲なれども、かかり面白くあれば、道誉も、日本一と褒められしなり。道阿謡とつけしものなり。」と記しており、歌舞幽玄の美しさ(上三花)を追及することに腐心して物真似の面白さなど大衆性(中・下)を顧みい芸風でしたが、犬王(道阿弥)の謡は訛りが多く音曲の祖と言われる新座田楽の亀阿弥のような美しさはありませんでしたが、どことなく情趣があって面白く評判は頗る良かったことが窺がえます。犬王(道阿弥)は、1408年に室町幕府第3代将軍・足利義満後小松天皇を招いて北山邸(金額寺)で開催した天覧能に近江猿楽日吉座の棟梁として出演して華々しい舞台を飾ったものの、犬王(道阿弥)の死後、その芸を承継できる後継者に恵まれずに近江猿楽は衰退しますが、犬王(道阿弥)の歌舞幽玄の美しい芸風は世阿弥へと受け継がれ、世阿弥能楽の芸術性を高めて行くうえで大きな役割を果たしたと考えられます。世阿弥は「伊勢物語」「源氏物語」「平家物語」等の物語に歌舞幽玄の美しい芸に相応しい題材を求め、和歌や古文の修辞を巧みに利用した芸術性の高い歌舞劇として複式夢幻能を大成します。
 
観阿弥、犬王(音阿弥)及び世阿弥の芸
観阿弥は一忠から田楽、乙鶴から曲舞を採り入れ、さらに、世阿弥は犬王(道阿弥)から歌舞幽玄な美しさを採り入れながら、劇的な物語性を追加して複式夢幻能を大成します。
※犬王(道阿弥)は一忠の弟子であったことから田楽の能の影響を受けていると考えられます。
※味噌田楽(豆腐やこんにゃくに味噌を乗せて串刺して焼いた料理)は田楽舞いの高足に似ていることから命名されたと言われています。
 
④映画「犬王」の感想
この映画は、犬王の半生を平家物語の外巻「犬王の巻」として描くという体裁をとり、平氏一門の怨霊によって異形の身体となった能楽師・犬王(道阿弥)と三種の神器天叢雲剣の霊力によって盲目となった琵琶法師・友魚(友有)がコラボレーションして伝統を革新するパフォーマンスで京の民衆を熱狂させるという内容になっていますが、史実に沿った描き方ではなく、上述のとおり現代的に翻案した斬新な描き方をした戯曲です。近江猿楽の犬王(道阿弥)は日吉大社へ参勤していましたが、その近隣に琵琶法師・蝉丸が庵を構えていた逢坂の関(蝉丸神社)があり、そこから琵琶法師・友魚(友有)とのコラボレーションという着想が生まれたのかもしれません。世阿弥が大成した複式夢幻能は能舞台という装置を使って場所を移動せず時空(次元)を超える表現を可能にするものであり、その意味ではメタバース空間をアナログで実現している画期的な舞台とも言えますが、この映画でも現代の京の街と室町時代の京の街をオーバーラップさせており、この映画自体が能舞台の仕掛けを意識した描き方をしています。また、能は1人の役者が歌唱、舞踊及び演劇の全てを担当するミュージカルと言えますが、能は仏教思想(山川草木悉皆成仏)の影響を受けていることから、神や人間を主役とする物語だけではなく自然(植物や動物)を主役とする物語も扱い、前回のブログ記事で触れたとおり現代の知性(科学的な知見)を前提とする自然観、世界観に十分に適う舞台になっているという意味で、古今東西に比類ない舞台芸術と言って差し支えないのではないかと個人的には考えています。この点、人間国宝の故・宝生閑さんが某講演会で能を理解するうえで一番重要なことは能に関する知識ではなく「花鳥風月を愛でる心」であると仰られていたことが大変に感銘深く心に残っています。更に、能は、歴史上の有名人だけではなく市井の無名人も主役として扱い、また、勝者だけではなく敗者も主役になっている点に大きな特徴がありますが、この映画には源平合戦で無念の死を遂げた沢山の平氏一門の怨霊(無名の敗者)が登場し、平氏一門の怨霊によって異形の身体となった犬王(道阿弥)が社会的な差別に屈することなく、そのハンディーをアドヴァンテージに変えて社会的に活躍しながら(能楽師は河原者として社会的な差別を受けていましたが、やがて将軍庇護の芸能集団として社会的な地位を確立して行く過程を、現代的なダイバシティーの問題に置き換えて表現されています。)、その怨霊の無念を晴らして成仏させる度に同形の身体を獲得して行くというストーリー展開になっており、中世の怨霊信仰を前提として、能が平氏一門の怨霊を鎮魂、供養するための社会的な機能を担っていたことがファンタジックに描かれています。能楽師・犬王(道阿弥)と琵琶法師・友魚(友有)は伝統を革新するパフォーマンスを求めて様々な工夫を凝らした斬新な舞台を催しますが、(ネタバレしないように詳しくは書きませんが)上述のとおり猿楽の能や平家琵琶の魅力をロック、ヒップホップ、野外フェスやプロジェクションマッピング等の現代的な演出に置き換えて現代人にも直感的に理解できるような斬新な描き方をしており、1408年に室町幕府第3代将軍・足利義満後小松天皇を招いて北山邸(金額寺)で開催した天覧能の場面で、犬王(道阿弥)が披露する「天女の舞」をバレエ、コンテンポラリーダンスや器械体操等の要素を採り入れた舞として描いています。アニメ映画だけではなく、ミュージカル舞台(実演)を見てみたくなるような面白い演出です。当時、延年の風流という舞台では2階建ての舞台装置や山車のような可動式の舞台装置が使われていたそうなので(後にこれらは歌舞伎の舞台へと採り入れられます。)、この映画で描かれているような大掛りな舞台装置は珍しくなかったものと思われます。また、室町時代に四条河原で行われた田楽興行に大勢の観客が詰め掛けて桟橋が崩れ落ち多数の死傷者が出たという記録が残されていますので、この映画に描かれているように室町時代の庶民はこのような舞台に熱狂していたことが窺がえます。1371年、盲目芸人の組織である当道座の明石覚一検校(足利尊氏の従弟という説もあります。)は琵琶法師が語る平家物語(平曲)の正本をまとめて、その死後に、室町幕府第3代将軍・足利義満へ献上していますが、この正本に従いたくない琵琶法師・友魚(友有)は当道座を追放され、また、犬王(道阿弥)は大和猿楽に従うことを命じられますが(但し、実際には上述のとおり室町幕府第3代将軍・足利義満世阿弥よりも犬王(道阿弥)を重用しています。)、為政者による芸術の政治利用と表現意欲に忠実でありたい芸術家の葛藤という現代にも通じる問題に触れられています。なお、この映画では描かれていませんが、マンガ「昏い月」(天人羽衣)では近江猿楽の犬王(道阿弥)と近江守護職佐々木道誉婆沙羅大名という異名を持っていますが、南北朝時代には社会秩序を否定して派手な振る舞いや粋で華麗な服装を好む「ばさら」(婆娑羅)と呼ばれる美意識が生まれ、これが戦国時代に入って「かぶき」(傾奇、歌舞伎)へと変化します。)の関係が描かれています。世阿弥は、当時最高の文化人であった二条良基から古典や和歌等の英才教育を受けますが、これと同様に犬王も当時一流の文化人であった近江守護職佐々木道誉から英才教育を受けていたという内容になっており非常に興味深いです。これは史実に基づいたものか否かは分かりませんが、近江守護職佐々木道誉は近江猿楽を庇護して犬王を高く評価していたことは事実であり、何らかの影響を受けていたものと思われます。王朝文化から武家文化へと移行する時代の変革期に観阿弥、犬王(道阿弥)及び世阿弥という才能が現れて猿楽、田楽、曲舞、延年、和歌や物語など時代の流行を和えながら様々な工夫や改良を加えて新しい時代の価値感を体現する斬新な舞台芸術を大成しています。5月に開催された2022年ダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)では「History at a Turning Point」がテーマに掲げられ、過去のブログ記事で触れたブロックチェーンNFT(非代替性トークン)の技術を活用することで2028年までに約95兆円の市場規模に成長すると言われているメタバースの健全な発展に向けた環境整備等を行う官民連携の国際的な枠組みを立ち上げたことを発表しました。正しく現代はイノベーションに伴う時代の変革期にあたり、この時代に相応しい芸術表現が求められていますが、能楽に限らず各分野において令和の世阿弥の登場が待ち望まれます。" Without tradition, art is a flock of sheep without a shepherd. Without innovation, it is a corpse. " --- Winston  Churchill
 
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.1
果たして令和の世阿弥の登場なるか、1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代音楽家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼室元拓人「ケベス-火群の環」(2021年)
去る2022年5月29日に発表された武満徹作曲賞第1位を受賞した室元拓人(1997年~)の「ケベス-火群の環」をお聴き下さい。室元拓人は日本の習俗や異形神をテーマに作曲しているそうですが、大分県国東市国見町櫛来の岩倉八幡社(櫛来社)で行われている火祭り「ケベス祭」を題材とした曲ではないかと思われます。地元には火鍛冶の神・宇佐八幡が近くの海岸に現れたという伝承などがあるそうですが、未だケベスの正体は分かっていません。残念ながら、ケベス祭を拝見したことはありませんが、ビジュアルな響きを持つ音楽なので、遥か古代の精神世界に思いを馳せながら聞いてみるのも面白いかもしれません。
 
▼小瀬村晶「vi (almost equal to) ix」(2022年)
作曲家&ピアニストの小瀬村晶(1985年~)が5月27日にリリースした配信EP「Pause (almost equal to) Play」から「vi (almost equal to) ix」をお聴き下さい。小瀬村晶はポストクラシカル、エレクトロニカアンビエントやポップスなど幅広いジャンルをカバーし、著名な映画、ドラマ、ゲーム、CM作品の音楽等を担当している国際的な評価が高い現代音楽家です。無限旋律のように果てしなく続くような文脈のない音楽が特徴的で、心地のよい音場で包み込む主張のない音楽(構造的聴取を求めるのではなく感性的聴取を許容する音楽)は人生に文脈や背景を持たなくなった現代人の嗜好に適うものなのだろうと思います。
 
ステファニー・アン・ボイド「Lilac」(2018)
現在、アメリカで最も注目されている現代作曲家の1人、ステファニー・アン・ボイド(1990年~)がライラックの花を題材にして作曲した前奏曲「Lilac」(from Flower Catalogue)をお聴き下さい。前回のブログ記事西洋音楽キリスト教の影響から植物を題材にした曲が非常に少ないと書きましたが、現代音楽家についてはキリスト教的な世界観に縛られず自然を題材にした作曲活動を行っている方も多くいます。Flower Catalogueは12人の女性ピアニストが選んだ好きな花を題材にして作曲された前奏曲集で、ピアニストのジェニー・リンが選んだライラックの花を題材にして作曲された前奏曲です。