大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

新年の挨拶(2021年~その①)

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f:id:bravi:20201210132354j:plainモ~いくつ寝るとお正月♬....今年は新型コロナウィルスのためにサンタさんも休業中でクリスマスプレゼントが届かない家もあるのではないかと思いますが、政府から正月休みの分散取得が要請されていることを受けて、少し早めに正月休みに入っている方もいらっしゃるのではないかと思いますので、拙ブログでもクリスマスを飛び越えて正月の挨拶をアップしておきます。昔から「牛」は労働力や家畜として欠かせない存在でしたが、古代の中国では豊作を祈るために労働力として欠かせない「牛」を生贄に捧げる風習があったことから「犠牲」という漢字には「牛」の偏(へん)が使われています。また、家畜として欠かせない「牛」が逃げたり又は盗まれたりしては大変なので小屋や柵囲の中で飼育されていたことから「牢」という漢字には「家」を表す「ウ」の冠(かんむり)の下に「牛」の脚(あし)が使われています。なお、「家」という漢字には「ウ」の冠の下に「豚」の旁(つくり)が使われていますが、漢字の造りからも「牛」や「豚」が大事に飼育されていたことが伺われます。因みに、欧米(キリスト教圏)や中東(ユダヤ教圏)でも、中国と同様に動物を生贄に捧げる風習があり、例えば、旧約聖書レビ記に登場する「贖罪の山羊」(ヤギに人間の罪を負わせて荒野に放ち死に至らしめる儀式)は生贄を意味する英語「スケープゴート」(scapegoat)の語源になり、また、ユダヤ教の祭事「燔祭」(生贄の動物を祭壇で焼いて神に捧げる儀式)は大虐殺を意味する英語「ホロコースト」(holocaust)の語源になっています。
 
漢字の造り~偏旁冠脚(へんぼうかんきゃく)~
 
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例)「保」の偏は人、旁は産着を着た赤ちゃんの姿
例)「安」の冠は家、脚はお母さん
 
☞「保安」とは、生命、身体や財産などを危険から守り安全な状態に保つことを意味する味気ない言葉ですが、その漢字の造りを見ると、家の中でお母さんが赤ちゃんを産着に包んで大切に守っている姿が連想され、この漢字が持つ意味だけではなく想いや温もりまでもが伝わってくるようです。現代の日本語は機能性ばかりが重視されてその形式的な意味しか顧みられなくなっていますが、漢字の造りに思いを馳せるだけで、その言葉から伝わってくる情報量は質的・量的に変化し、昔の日本語が持っていた香気のようなものを取り戻せそうな気がしてきます。心を豊かにするためのコミュニケーションを可能にするために、本来、その言葉に込められている真心を読み解くだけの感受性、洞察力や教養を兼ね備えられるように常々心掛けたいと思っていますし、そうしたことを弁えて情理に通じた言葉を選択し、相手の心を豊かにするようなメッセージを伝えることができればと願っていますが、人生は意の侭にならず裏腹に流されてしまうもののようで、心を砕いてもなかなか及びません。
 
f:id:bravi:20201210151939j:plain日本(儒教・仏教圏)では一元論的な世界観から人間界と自然界とを区別せず、人間も自然の一部として自然を畏敬の対象と捉え、人間は自然と調和しながら生きていかなければならないという考え方が育まれ(母と子が肉体的に一体であり主客の別がないように、全てのものを調和(包含)することにより秩序を保とうとする母性原理→自然尊重主義)、やがて「八百万の神々」(神道)や「山川草木悉皆成仏」(仏教)という宗教思想へと昇華します。これに対し、欧米(キリスト教圏)や中東(イスラム教圏)では二元論的な世界観から人間界と自然界とを区別し、自然は神から人間に与えられた恩恵であり自然を支配の対象と捉えます(父と子が肉体的に一体ではなく主客の別があるように、全てのものを支配(区別)することにより秩序を保とうとする父性原理→人間中心主義)。このような思想的な背景の違いから、日本では自然界に存在する動物を神の使い又は神の化身と捉え(映画「もののけ姫」に登場するシシ神はその例)、これらの動物を神社で祀るようになりますが、欧米(キリスト教圏)や中東(イスラム教圏)では一神教の教えから神以外のものを崇拝することは許されず、自然界に存在する動物が信仰の対象となることはありませんでした。日本で動物を祀る神社として最も代表的な例は、「学問の神様」や「厄除けの神様」で知られる天神様(菅原道真公)を祀る天満宮ですが、天神様(菅原道真公)の使い(神使)として「臥牛の像」(撫でると願いが叶う撫牛)が境内に祀られています。その由緒を紐解けば、菅原道真公が藤原氏の陰謀により太宰府へ左遷されて失意のうちに没した直後、京で疫病流行など天災地変が相次いだことから菅原道真公の祟りであると恐れられ、菅原道真公を天神様として祀ることでその祟りを鎮めようとしたこと(怨霊鎮魂思想)が始まりとされ、また、菅原道真公の生年及び没年が丑年であること、菅原道真公の遺体を乗せた牛車が立ち止まった場所(太宰府天満宮)に菅原道真公の墓所が建立されたこと及び菅原道真公が牛車に乗って太宰府へ下向する途中で刺客に襲われた際に牛に助けられたことなどの逸話から、併せて、牛を天神様(菅原道真公)の使い(神使)として祀るようになったと言われています。映画「もののけ姫」では「シシ神は生命を与えもするし、奪いもする。」というセリフが出てきますが、人間は人知の及ばない自然の不条理に対し、神の怒りや人間、動物の祟りに原因を求め、その原因を取り除くことで天災地変も収まる(神の御加護)という共同幻想を抱き易くし、社会不安を和らげる知恵を働かせていたと思われます。日本人は世界的に見ても不安を和らげるタンパク質「セロトニン」の分泌が少ない人の割引が高い(即ち、日本人は不安症の人が多い傾向にある)と言われていますが、その不安を和らげる社会的な知恵として御霊信仰陰陽道等が利用され、それが明治維新を経て科学技術信仰へと置換されました。しかし、新型コロナウィルス感染症等によって、その科学技術信仰も揺らいでいるのが現代です。近年、人類とウィルス(新型コロナウィルス感染症を含む)の戦いが本格化してきた理由として、南北間の経済格差を解消するために北半球の資本を投入して南半球の開発を急速に進めた結果、これまで自然界に封じ込められていた未知のウィルスが人間界に侵入したことが指摘されていますが、科学技術が発達した現代にあっても自然の不条理をコントロールすることは侭ならず、近代主義的な文明社会に象徴される自然を支配の対象と捉える傲慢な発想(支配により秩序を保とうとする父性原理、人間中心主義)から自然を畏敬の対象と捉える謙虚な発想(調和により秩序を保とうとする母性原理、自然尊重主義)へと転換する必要があるのかもしれません。その意味で、映画「もののけ姫」は、このような近代主義的な文明社会の行き詰まりに警鐘を鳴らす非常に重要なメッセージを含んでいる作品だと思われます。なお、先日のブログ記事でも触れましたが、最近の傾向として、企業ではリーダーシップを発揮する「リード(独奏)」型の管理職(支配により秩序を保とうとする父性原理)よりも、部下の共感形成を通じて組織をまとめあげていく「フォロー(伴奏)」型の管理職(調和により秩序を保とうとする母性原理)の方が持て囃されているそうですが、オーケストラの指揮者も同様でカリスマ性で楽団員をグイグイと引っ張って行くタイプ(支配により秩序を保とうとする父性原理)よりも、楽団員と対話を重ねながらその意向を汲み上げて楽団のポテンシャルを引き出して行くタイプ(調和により秩序を保とうとする母性原理)が好まれる傾向があるそうなので、このような時世が人心にも色濃く影響していると言えるかもしれません。因みに、今年の干支「」は「漢書 律暦志」から採られた言葉ですが、その本来の意味は「芽が種子の中でじっと春の到来を待ちながら(我慢)、今にも地上へ芽吹こうとしている状態(発展の前触れ)」を表しています(但し、日本では庶民が覚え易いように本来の意味とは直接の関係がない動物の「牛」へ置き換えられています)が、2021年の丑年は人類が新型コロナウィルス感染症を克服し(我慢)、新しい時代へと大きく踏み出す(発展の前振れ)ための1年を暗示しているのかもしれません。この点、新型コロナウィルス感染症は、数多くの人命を奪い、数多くの人生を狂わせましたが、その一方で、様々なイノベーションの萌芽を生み出し、新しい社会構造への変革を促す起爆剤としても作用しており、近代主義的な文明社会の行き詰まりから脱却して未来へと大きく飛躍するための助走の年となりそうです。今年の干支「丑」(牛)に因んで、将来に向かって明るい展望が開ける1年となるように、日本各地の天満宮や日本唯一の「狛牛」で有名な牛嶋神社へ(できるだけ正月三が日を避けて)分散初詣に行かれてみてはいかがでしょうか。
 
大宰府天満宮福岡県太宰府市宰府4-7−1
大宰府天満宮/境内には天然記念物の大楠奉献の橘新田氏の祖・新田義重が寄進した石鳥居黒田如水が使用していた井戸などが残されています。 御神牛菅原道真公の生没年が丑年で、菅原道真公の遺骸を牛車に運ばせて牛が臥せた場所に埋葬せよとの遺言などから、牛は御祭神・菅原道真公のお使いとされています。 飛梅/境内には飛梅伝説となった梅が移植されていますが、その飛梅の原木が残されています。また、境内には、梅をこよなく愛した菅原道真公の歌碑が建立されています。 梅花紋(神紋)/日本三大天神である大宰府天満宮梅花紋防府天満宮梅鉢紋北野天満宮星梅紋及び三階松が神紋となっています。 菅公館跡菅原道真公が晩年を過ごした館跡(福岡県太宰府市朱雀6-18−1)。醍醐天皇藤原氏の陰謀で菅原道真公を逆臣と思い込み、901年(昌泰4年)1月25日に大宰へ左遷。以後、1月25日は「左遷の日」となっています。
牛嶋神社東京都墨田区向島1-4−5
牛嶋神社/860年(貞観2年)の創建。天神信仰とは関係ありませんが、古代、この一帯は国営牧場で、また、主祭神素戔鳴尊牛頭天王とされ牛との関係が深い神社です。因みに、東京スカイツリー氏神でもあります。 撫牛/1825年(文政8年)に奉納された撫牛で、自分の悪い部分(但し、顔や頭、性格を除く)を撫でると治ると言われています。この撫牛は江戸時代の人も撫でていたものです。 狛牛狛牛の番い牛嶋神社には狛犬ならぬ狛牛がありますが、この近隣にあった仲之郷村の大工・久次郎さんが江戸時代に奉納したものです。江戸っ子の粋を現代に伝えます。 牛守り/12年に一度、丑年だけ授与される牛のお守りです。こんなご時世ですから、古人の知恵に肖って神頼みしてみるというのも一興です。 包丁塚/村田周魚の川柳「人の世の奉仕に生きる牛黙す」が刻まれていますが、自然と共生する知恵を持ち、自然への畏敬と感謝を抱いていた日本人の心根を現わす川柳です。
 
f:id:bravi:20201218162120j:plain欧州では、ローマ帝国キリスト教を公認し、その教えが広まるまではケルト文化(ドルイド教)が普及しており、とりわけ北欧はキリスト教の普及が遅れたこともあって現代でもケルト文化(ドルイド教)の影響を色濃く残しています。ケルト文化(ドルイド教)は、昔から日本文化(神道)との類似性を指摘されていますが(ケルト文化は文字を持たないことから視覚文化ではなく聴覚文化として発展しましたが、前回のブログ記事で触れたアイヌ文化との類似性がとりわけ多いように感じられます。)、自然崇拝の多神教で、自然界と人間界とを区別せずに一体のものと捉え、万物に霊性を見い出し、そこから霊魂不滅や輪廻転生の考え方が育まれました。それらの思想を反映してケルト文化圏の神話や伝承には妖精(人間の姿をした精霊)が登場し、戯曲「ピーターパン」に登場するティンカー・ベル、アニメ「ムーミン」、映画「ハリーポッター」や映画「ロードオブザリング」に登場する妖精等にその影響が色濃く見られますが、このことは日本における映画「もののけ姫」に登場する精霊「コダマ(木魂)」にも共通しています。また、ケルト文化(ドルイド教)では、全ての神々を生み、育て、包み込む母なる女神「ブリギットを崇拝しますが、日本文化(神道)でも太陽神である女神「天照大神を崇拝し、それらには全てのものを調和(包含)することにより秩序を保とうとする母性原理、自然尊重主義が息衝いています。この点、ケルト文化の渦巻文様は此岸と彼岸とを結んで生命を誕生させる女性の子宮を象徴し、永遠に繰り返される輪廻転生の思想を表していると言われており、母性原理に彩られています。これと同様に、日本の縄文土偶(女神)には渦巻文様が描かれており、また、日本の神社は「鳥居」(女性器)を潜って「参道」(産道)を進み「御宮」(子宮)へと至って心身を清め、再び、「参道」(産道)を経て「鳥居」(女性器)からこの世に生れ直すという母性原理が根底に息衝いています。日本が外国の文化や社会制度等を柔軟に採り入れながら発展してきた歴史(和漢折衷、和洋折衷等)は、このような全てのものを調和(包含)することにより秩序を保とうとする母性原理を礎として育まれてきたことが背景にあると言えるかもしれません。その一方で、キリスト教は父性原理の宗教と言われていますが、父性原理が強く作用する米国と比べて母性原理が強く作用する欧州や日本が環境問題に熱心に取り組んでいるのは、単に経済的な理由ばかりではなく、このような思想的な背景も原因しているのかもしれません。因みに、我々が日常馴染み深く使用している言葉の中にはケルト語が語源になっているものも多く、例えば、「ウィスキー」はケルト語の「イシュケ」(大自然の恵みである聖なる水を意味する言葉)が語源になっています。また、「マクドナルド」は、創業者兄弟の名前ですが、ケルト語の「マク」(息子を意味する言葉)とケルト語の「ドナルド」(世界、支配者を意味する言葉)が語源になっており、その語義のとおりファーストフードの先駆者として世界中を席捲しています。さらに、フランスの「セーヌ川」は、ケルト語の「セクアナ」(川の女神を意味する言葉)が語源になっており、同じ川の名詞でも「ドナウ川」(Le Danube)は男性名詞ですが、「セーヌ川」(La Seine)は女性名詞になっています。
 
▼ 映画「ウルフウォーカー」
ポスト・スタジオジブリと名高いアイルランドのアニメーションスタジオ「カートゥーンサルーン」の最新作映画「ウルフウォーカー」が10月30日に日本で公開されました。第82回及び第87回のアカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネートされて話題になった第一作映画「ブレンダンとケルズの秘密」及び第二作映画「ソング・オブ・ザ ・シー 海のうた」に続く三部作の完結編ですが、ケルト文化の渦巻文様と共にケルト文化の自然観が描かれた非常に魅力的な映画です。年末年始に上映している映画館もありますので、特に予定がないという方はしっかりと感染対策をしたうえで鑑賞されてみてはいかがでしょうか。
 
f:id:bravi:20201218180442j:plain中国(宋の時代)の禅僧・廓庵師遠禅師は、禅の極意である「悟り」を視覚的に分かり易く説明するために、牛を題材にした十枚の絵を描き、その十枚の絵に頌(漢詩)を添え、さらに、その弟子・慈遠禅師が序(解説)を書き加えて完成させた「十牛図」が残されています。禅の極意である「悟り」とは「本当の自分」に気付くことであり、「本当の自分」を牛に喩えて「悟り」に至る禅の修行の道程を分かり易く説明しています。一見すると、改めて説明されるまでもない当たり前のことが記されているように思われますが、その平易に見える道程(理解)は実際に歩み出してみると(実践)、これを全うすることは非常に難しいものであることが分かります。この点、ピカソは複数枚の版画「牝牛」の摺りを残しており写実主義から抽象主義へと変遷して行く創作過程が分かり易く把握できて非常に興味深いですが、これと同様に「十牛図」の牛(本当の自分)も時代の価値観、社会情勢や自らの心境変化等に応じて常に変化して定まることはなく、無為自然に生きる境地に達することができなければ変幻自在に変化する牛(本当の自分)を直ぐに見失ってしまいます。これは世阿弥能楽論「花鏡」で「無心の位にて、我心をわれにも隠す安心にて、 せぬ隙の前後を綰ぐべし。是則、万能を一心にて綰ぐ感力也。」と芸道の極意を述べていますが、人生に花を感じることと能舞台に花を咲かせることとは相通じるものがあるのかもしれません。これまで流れに任せて人生を過ごしてきたが、どうもしっくりせず、「本当の自分」に背を向けて偽りの自分を演じているようで人生は侭ならないと嘆いている人も少なくないのではないかと思います。世間の理想や周囲の期待から「本当の自分」でないものになろう(煩悩)として人生を迷うのが人間の本性(業)なのかもしれません。人生を改めることは容易なことではありませんが、「本当の自分」に気付こうと意識するだけで、人生の歩幅や歩速は自然と変化し、目に映る人生の風景にも徐々に変化が生じてくるのではないかと思います。新型コロナウィルス感染症の影響で人生に行き詰まりを感じたり、人生に迷いを生じている人も少なくないと思いますが、一度歩みを止めて自分を見直してみる良い機会かもしれません。僕は、人生修行が足りないせいか「見牛」はおろか「見跡」への道程も覚束かず、未だに人生に迷いを生じ、心乱れることも少なくない未熟者であること(「尋牛」)を告白しなければなりませんが、貴兄姉にとって2021年の丑年は「十牛図」のどのあたりの道程を歩まれる予定でしょうか?因みに、紅葉の名所として知られる圓光寺の「十牛之庭」は十牛図をテーマに作庭されていますので、来秋は紅葉狩りがてら「本当の自分」(牛)を探す旅に出てみるのも一興です。また、十牛図を詠んだ和歌集「十牛歌」、菅野由弘さんが作曲した声明「十牛図」や藤家溪子さんが作曲した合唱曲「男性合唱とギターのための十牛図」等も創作されおり、様々な表現方法で十牛図の教えが伝えられていますので、人生修行と大仰に構えることなく十牛図の教えに親しむこともできます。
 
十牛図(牛=本当の自分)
【自分を探す】
1.尋牛:牛を探し始める。
2.見跡:牛を探す手掛りを見付ける。
3.見牛:牛を見付ける。
【自分を得る】
4.得牛:牛を掴まえる。
5.牧牛:牛を手懐ける。
6.騎牛帰家:牛を連れ帰る。
【自分が消える】
7.忘牛存人:牛を意識しなくなる。
8.人牛倶忘:忘我の境地に至る(色即是空)。
9.返本還源:万物を有りのままに受け入れる(空即是色)。
【自分に戻る】
10.入鄽垂手:俗世にあって迷うことなく無為自然に生きる。
 
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◆おまけ① 
アニバーサリー(節度ある50年刻み)を迎える芸術家に関係する演奏会、展覧会や出版物等が目立つ傾向にありますが、今年はこれら「昔」の芸術家ではなく「現代」の芸術家に焦点を当ててみたいと思っています。また、この数年、新作オペラの上演が目立ってきており、新作オペラにも注目して行きたいと考えています。
ジャンル 人物名 アニバーサリー
音楽 アルビノーニ 生誕350年
歴史 ナポレオン・ボナパルト 没後200年
文学 フョードル・ドストエフスキー 生誕200年
音楽 ステーンハンマル 生誕150年
音楽 ツェムリンスキー 生誕150年
絵画 リオネル・ファイニンガー 生誕150年
絵画 ジョルジュ・ルオー 生誕150年
音楽 サン=サーンス 没後100年
絵画 フェルナン・クノップフ 没後100年
音楽 ピアソラ 生誕100年
歴史 ココ・シャネル 没後 50年
音楽 イーゴリ・ストラヴィンスキー 没後 50年
文学 三島由紀夫 没後 50年
 
◆おまけ②
ケルト文化の影響を色濃く残す北欧・アイルランドの聖楽隊により映画「もののけ姫」の主題歌「もののけ姫」をお楽しみ下さい。
 
旧約聖書出エジプト記32章に登場する牛を模った黄金の像(父性原理を象徴する話)は単に偶像崇拝を意味しているだけではなく拝金主義の比喩として登場します。グノーの歌劇「ファウスト」で友人の拝金主義を讃える「金の子牛の歌」をお楽しみ下さい。
 
ミヨーの超現実主義バレエ「屋根の上の牡牛」(シネマ・ファンタジー)(Op. 58b)をギドン・クレーメル(Vn)、オレグ・マイセンベルク(Pf)、 ベルリン・ドイツ交響楽団(Orc)の名演でお楽しみ下さい。
 
異界への鬼門が開く丑三つ時(逢魔が時)の概念が誕生する契機となった藁人形による呪術(丑の刻参り)を陰陽師安倍晴明が調伏する能楽「鉄輪」をお楽しみ下さい。なお、陰陽師安倍晴明は、菅原道真公の祟りと恐れられた清涼殿落雷事件が発生した930年(延長8年)に幼少期を過ごしています。
 
KingGnuの「PrayerX」(MPV)をお楽しみ下さい。このMPVは音楽家、観客及び業界関係者の関係をシニカルに描くことで、現代の時代性を痛烈に風刺していますが、若い音楽家の才能をダメにしてしまうような観客であってはならないという意味で色々と考えさせられます。「生きるための嘘が、もはや本当か嘘か分からなくて、自分の居場所でさえも見失っているの....」という歌詞が出てきますが、「本当の自分」に背かずに無為自然に生きること(十牛図の実践)が難しい時代なのかもしれません。因みに、KingGnuの「Gnu」とはウシ科のヌーのことを意味しています。