大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。

新作ミュージカル「マリー=ガブリエルの自画像」(アトリエ公演)としぐさの文化<STOP WAR IN UKRAINE>

▼しぐさの文化(ブログの枕)
前回のブログ記事でアナログメディア革命及びデジタルメディア革命に伴ってメディアが人間の意識を生産するようになった点に触れましたが、日本はバブル経済が崩壊した1990年1月4日からの「失われた30年」で、メディアが大衆の不安ばかりを煽るネガティブトーンが支配的になり、その傾向はコロナ禍の混乱で極まった感がありますが、それによって人間の意識に悪影響が及んでいるという調査結果があります。その意味でも、このようなネガティブトーンに酔うメディアに意識を支配されることなく、人間の創造力で社会課題を解決して明るい未来を切り開くポジティブトーンに意識を転換することが重要になっていることが指摘されており、そのために芸術に期待されている役割は益々大きくなっていると感じます。また、デジタルメディア革命に伴うパーソナルメディアの普及によって同じ価値観を持った者同士が集うコミュニティーを形成する傾向が顕著になっており、それが人間の意識の分断(そのポジティブな面での顕れ方は多様性)を深刻化させている要因の1つになっていることが指摘されていますが、マスメディアを前提とした「自分の立場から相手の気持ちに同情する共感力」(Sympathy)ではなく、パーソナルメディアを前提とした「他者の立場に立って相手の気持ちを想像する共感力」(Empathy)が求められるようになっており、そのような高度なコミュニケーション力を支える豊かな想像力を培いメディアリテラシーを向上させるための知恵を磨くためにも、芸術が果たすべき役割は益々重要になっていると感じます。決して社会課題から目を背けるという意味ではなく時代の影ばかりに目を奪われて光を見失うことがないような意識付け(Positive.NewsThe Happy NewsGood News Network)が必要であり(ネガティブ・ケイパビリティ)、人生を賛歌するミュージカル、映画や音楽などを鑑賞して豊かな情操を養うように心掛けるだけで世界が違ったものに感じられると思います。「ハーバード・ビジネスレビュー」でも紹介されていましたが、スタンフォード大学ではエンパシーを養うための教材として「エンパシーマップ」を採り入れ、「発言」(Say)、「行動」(Do)、「思考」(Think)、「感情」(Feel)の4つの兆候を手掛かりとしてエンパシーを育む実践的な訓練が行われています。この点、昔から日本人は日本人同士にしか通用しない特殊なコミュニケーション力(エンパシー)として「Hara-gei」(腹芸)という忍術を使うことが世界的に知られていますが、このような相手の気持ちを慮る精神は「O-mote-nashi」(御持成)という神対応を生むことでも世界中から驚かれています。しかし、グローバル社会への移行に伴って「Hara-gei」(腹芸)だけでは通用しなくなり、1955年頃から異文化コミュニケーション力が注目されるようになりました。この点、人間のコミュニケーションは、言語を使用して伝えられるものが約30%、非言語を使用して伝えられるものが約70%と言われており、そのうち言語情報(語義や語類など)が約7%、聴覚情報(口調や間合いなど)が約38%、視覚情報(しぐさや表情など)が約55%の割合を占めると言われています(メラビアンの法則)。このように人間は視覚情報に頼って外界の情報を知覚しており、言語や宗教と比べて身体表現は翻訳可能性が高く、異文化コミュニケーションにおいてしぐさや表情等は大きな役割を果たしていると言われています。但し、しぐさは世界で普遍的な意味を有しているとは限らず同じしぐさでも民族や文化等によって異なる意味を有しているものが少なくないと言われています。紙片の都合から詳しく触れられませんが、例えば、小指を立てるしぐさは日本では特別な関係にある女性を意味するのに対し、フランスでは男性器が小さいことを意味します。また、手の平を真っすぐ相手に突き出すしぐさは日本では何かを断ることを意味するのに対し、ギリシャではムンザと言われる侮辱行為を意味します。さらに、親指を突き立てるしぐさは欧米では満足(Good)を意味するのに対し、アラブでは性的侮辱を意味するなど、異文化コミュニケーションでは言語だけではなくしぐさなどに関する正しい理解も必要になります。この点、前回のブログ記事で紀元前20万年頃に人類は直立二足歩行を開始したことで脳が発達し、紀元前5万年頃の突然変異で脳がイメージ、記憶や言葉などを操る高度な認知能力を獲得しますが(認知革命)、そのイメージ、記憶や言葉等を他人と共有する能力も身に付けて社会を形成したことに触れましたが、人類は進化の過程でミラーニューロン(1996年にイタリア・パルマ大学教授のG.リッツォラッティが発見)を獲得したことで他人の言動を自分の脳に置き換えて追体験やシュミレーション等を行うことができるようになり、それによって他人の心理、意図や文脈等を推測し、他人の言動の意味を理解して共感(エンパシー)することが可能になったと考えられています。これにより血縁関係を越えた集団を形成する高度な社会性を備えることが可能になりました。また、人類は進化の過程で1つのニューロンに複数の異なる記憶(情報)を留めておくことができるようになり、1つのニューロン(又は複数のニューロン間)で異なる記憶(情報)を組み合わせるなど連想を行う能力を獲得したことにより閃き、空想や創造等を行うことが可能になったと考えられています。過去のブログ記事でも触れましたが、人類は複数の異なる記憶(情報)を組み合わせるなど連想を行うことにより新しい概念などを生み出すことができるようになりましたが、人類の脳はアトランダムに電気発火する性質を持っていることから(脳のゆらぎ)、パターン化された連想を飛び出して様々な別の記憶と結び付いて新しい連想を生み出すことがあり(シナプス可塑性)、これが閃き、空想や創造等を豊かなものにしていると考えられています。例えば、根を詰めて物事を考えていると脳が緊張(1点に注意を集中)して新しい連想が生み難くなりますが、ボーっとしているとき、新しいことを学習しているとき、新しいことを体験しているときなどは脳がリラックスし又は新しい刺激を受けて活発化して新しい連想を生み易くなると言われており(ワーケーションが注目されているのは、脳がリラックスし易く、かつ、新しい刺激を受けて活発化し易い環境に身を置くため)、これにミラーニューロンが作用することにより示唆に富む独創的な芸術表現が可能になり、又は感受性豊かな芸術受容が可能になると考えられています。因みに、過去のブログ記事でも触れましたが、古代のシャーマニズムでは人間の身体を神霊とのコミュニケーションを媒介するメディアとして利用し、神霊が憑依することによって現れる人間の身体の変化(しぐさなど)がダンスの起源になったと言われていますが、その人間の身体の変化(しぐさなど)に神聖なものを感じるのも同様の能力が働いていると考えられます。このような歴史的な文脈から、中世の修道会では修道士が「沈黙」(神の声に心を澄ませるために理性を働かせている状態)を守りながら他の修道士と必要なコミュニケーションをとるためのしぐさの決り事(ジェスチャー)が定められていたと言われており、それを参考にして1760年にド・レペ神父が聴覚障害者とコミュニケーションをとるための手話を考案しますが、踊りの巧みさで魅せるバロックダンスとは異なり、演劇的な要素を持つバレエや日本舞踊などと同じようにしぐさを社会的な記号(社会共通の意味付け)として利用しています。なお、手話は世界共通ではありませんが、現在は世界共通の国際手話も制定されており聴覚障害者にも異文化コミュニケーションの途が開かれています。
 
 
新作ミュージカル「マリー=ガブリエルの自画像」(アトリエ公演)
【演目】アトリエ公演Vol.12
    新作ミュージカル「マリー=ガブリエルの自画像」
【脚本】家田淳
【演出】家田淳
【作曲】篠原真
【振付】打越麗子
【出演】洗足学園音楽大学ミュージカルコース選抜学生
    ※ワークインプログレス公演のためにパンフレット等がなく出演者名は不明
【会場】洗足音楽大学キッズスクエア1階
【日時】3月4日(土)13時~(オンライン配信)
    3月5日(日)13時~(オンライン配信)
【料金】無料
【感想】
今日は、洗足音大で新作ミュージカル「マリー=ガブリエルの自画像」のワークインプログレス公演が一般にもオンライン公開されましたので視聴することにしました。今年10月に予定されている本公演に向けて更にブラッシュアップされるそうです。開演前の舞台挨拶で脚本・演出を担当した家田淳さんから、国立西洋美術館に収蔵されている新古典主義の女性画家マリー=ガブリエル・カペ作「自画像」(1783年)に興味を持ち、18世紀は美術学校に入ることも困難であった女性画家の半生を舞台の題材として採り上げることでジェンダー・ギャップ後進国の日本社会に向けたメッセージを込めたという趣旨の話がありました。そう言えば、3月8日は「国際女性デー」ですが、1904年3月8日にニューヨークで婦人参政権を求めたデモが開催されたことに由来して1975年に国連が同日を国際女性デーとして制定し、女性の十全かつ平等な社会参加を企図する日とされています。過去のブログ記事でも触れましたが、2022年に世界経済フォーラムが公表したジェンダー・ギャップ指数で日本は146ケ国中116位という不名誉な結果に陥っており、日本全国で同日にハッピー・ウーマン・フェスタというイヴェントを開催してジェンダー・ギャップ指数の改善に向けた取組みが活発化しています。さて、アトリエ公演とは銘打たれていますが、洗足音大の人材層の厚さを感じさせる完成度の高い舞台を楽しむことができました。オープニングで17世紀(安土桃山時代)の長崎出島の様子を描いた狩野内膳筆「南蛮屏風」(神戸市立博物館所蔵)が舞台幕に投影され、メディアアート(オンライン配信だったので3Dサイネージなどの技術が使われていたのかは不明)により舞台幕に投影された南蛮屏風からキャラック船が飛び出して18世紀のヨーロッパへ船出するファンタジックな映像とリリカルなピアノ伴奏による演出が出色の出来映えでした。開幕後、国立西洋美術館で若いカップルがマリー=ガブリエル・カペ作「自画像」(1783年)を見ながら「女性画家は少なく、その自画像は珍しい」と会話する場面が挟まれ、この舞台のテーマである「ジェンダー・ギャップの問題」と「18世紀のヨーロッパと現代の日本の対比という視点」が提示されました。その後、18世紀後半のヨーロッパ(「君主」と「臣民」(貴族、平民)、「主人」(貴族、ブルジョアジー)と「召使」(平民、プロレタリアート)、「男性」と「女性」という階級・階層社会)に場面を移し、召使の娘として生まれたために絵の才能に恵まれながらパリへ留学して絵を学ぶ機会に恵まれないカペの不遇と、主人の息子として生まれて弁護士になるためにパリへ留学して法律を学ぶ機会に恵まれているダビアンの好遇が対比して描かれ、その恵まれた才能があるにも拘らず下級の被支配階層(出自)であり女性(性別)であるために十分な機会を与えられないカペの逆境が紹介されましたが、それでもカペはいつか絵を学びたいという夢を歌います。やがて成長したカペは絵を学ぶために憧れていたパリへやってきましたが、民衆(Tutti)が「パリへようこそ!」(Bienvenue à Paris !)を歌いながらパリの街の華やかな喧騒とパリの民衆の生き生きとした姿をアクティブなダンスで表現し、やがてフランス革命を成就する民衆の力を印象付けます。カペは夢中でパリの民衆の姿をスケッチしながら、心のままに絵を描きたいと歌います。しかし、当時、女性が美術学校に入って絵を学ぶことは難しかったので、カペは新古典主義の女性画家アデライド・ラビーユ=ギアールに弟子入りして絵を学ぶことにします。当時、新古典主義の代表的な女性画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランマリー・アントワネット肖像画家として活躍しており、ギアールの姉弟子達(三重唱)が社交界を彩る優雅なダンスを舞いながらルブランへの憧れを歌いますが、この場面では歌、音楽とダンスが融合した洗練された舞台を楽しめました。王立アカデミーの会員になることを夢見るギアールとルブランがサロンへ出展しましたが、サロン会員(Tutti)は上流階級に取り入ることが上手なルブランと世渡り下手なギアールの対照的な性格を歌います。ルブランを寵愛するマリー・アントワネットはルイ16世に王立アカデミーの会員としてルブランを推挙し、マリー・アントワネットとルブランがフランス語の二重唱を歌います(ワークインプログレス公演でパンフレット等の準備がなかったので何を歌っているのかは不明)。新古典主義の代表的な男性画家ジャック=ルイ・ダヴィッドギリシャに学べ、ローマに倣えと王立アカデミーの権威を讃えて歌い、(史実か否か分かりませんが)ギアールの画家としての実力を見抜きながらもは自分の推挙がないと王立アカデミーの会員になるのは難しいとギアールに交際を迫りますが、ギアールはこの誘いを気丈に断ります。現代でもジェンダー・ギャップ等を奇貨として社会的に優位な立場を利用して交際(異性に限らず)を無理強いするなどハラスメントに及ぶ破廉恥な人間は後を絶ちませんが、他の被害者を出さないためにも泣き寝入りしないことが重要です。1783年、ルブランだけではなくギアールも女性初の王立アカデミーの会員に認められます。一方、カペは、ギアールの恋人で新古典主義の男性画家フランソワ=アンドレ・ヴァンサンから、サロンで高い評価を得るために歴史画を描くのではなく、自分の画風を活かして人物画を描いてはどうかというアドバイスを受け入れ、カペとヴァンサン(二重唱)は自分に誇りを持ってありのままに好きな絵を描けばいいと歌います。この作品の隠れたテーマとして、カペと洗足音大の学生を重ね合わせて先生方から学生に対するメッセージが込められているのかもしれません。カペはパリの街でグビアンと偶然に再会しますが、グビアンは啓蒙思想の影響からキリスト教会の権威(神による支配)や絶対王政の権力(人による支配)ではなく人間の理性(法による支配)によって規律される社会を目指すべきだと革命の理想を語り、カペは芸術家は教養を身に付けなければならず社会の動きにも関心を持っていると理解を示し、カペとグビアン(二重唱)はお互いに対する恋心を歌います。民衆(Tutti)は救いはないのかと嘆き歌い、ドラム(大衆文化のメタファー)を打ち鳴らす音楽に乗せて拳を突き上げる激しいダンスで民衆の怒りを表現する一方で、マリー=アントワネットはフルートとチェンバロ(宮廷文化のメタファー)が奏でる音楽に乗せてフィガロの結婚に興じるなか、バスティーユ監獄の襲撃を契機としてフランス革命が勃発しました。
 
【休憩を挟んで後半】
 
民衆(Tutti)が自由(iberté)を渇望して歌い、拳を突き上げ、地面に手を着くダンス(ステップのみのダンスは宮廷文化の特徴であるに対し、地面に手を着くダンスは大衆文化の特徴)で民衆蜂起を表現し、フランス人権宣言を勝ち取ります。このような情勢から、グビアンは治安の悪化したパリを離れてリヨンに疎開するのでカペに専業主婦になるように求めますが、カペは画家になる夢を捨てきれずパリに残る決心をします。また、ギアールもパリに残る決心をしますが、ルブランはイタリアへ逃亡することにし、父親がくれたクレヨンで絵を描き始め、現在でも父親に褒められたくて絵を描き続けているという心に秘めたピュアーな心情を歌います。フランス革命が成就してナポレオン政権が樹立するまでの歴史的な経緯が俯瞰され(フランス革命後の国民議会では革命の急進派(ジャコバン派)が左側、穏健派(ジロンド派)が右側に着席したことが、現代の左翼、右翼の語源)、民衆(Tutti)は革命の理想に対する幻滅とナポレオンに対する期待を歌い、ナポレオン皇帝が誕生しますが、ダヴィットが描いたナポレオンの肖像画等がプロパガンダとして利用されます(芸術の政治利用)。ダヴィットは王立アカデミーを廃止して新たに芸術アカデミーを設立しますが、ギアールやカペは芸術アカデミーが女性画家に会員資格を与えない旧弊とした体質の組織であることに落胆します。ギアールは王立アカデミーの会員であったことから王党派の嫌疑をかけられて没落し、ギアールを看病するカペに対してアトリエを飛び出して自由に羽ばたくように促します。カペーはフランス革命後も女性画家が社会的に認知されない現実に自分を見失いそうになりますが、サロンに出展を続けるうちに画家を志望する若い女性を弟子にとり、ギアールからカペに受け継がれた心を弟子へと引き継いで(「心より心に伝ふる花」世阿弥)、1918年に永眠しますが、やがて、それらの心が世界に大きな変革を生んで花開きました。再び、現代に舞台を移して、現代人(Tutti)が女性画家の作品を集めた展覧会が開催されるまでに時代は変革したが、この変革を更に前進させるために自分達に何ができるのか、過去から何を受け継いで(伝承)、未来へと何を引き継いで行くのか(革新)、自画像の中の女性画家達はじっと見ていると歌い、その心が観客へと引き継がれて終演します。過去のブログ記事でも触れたとおり、映画製作に携わる女性スタッフの割合は脚本家13%、監督7%、作曲家3%に過ぎず、また、ブロードウェイ・ミュージカルの歌手や作家に占める白人の割合が圧倒的に多い状況にあり、SDGsに掲げられているジェンダー・ギャップやレイシズム等の問題は18世紀のヨーロッパから現代まで続く未解決の社会課題であると言え、そのことを強く感じさせるメッセージ性のある作品でした。終演後の舞台挨拶で音楽を担当した篠原真さんが、やや後半が冗長なので改良の余地があると語られていましたが、確かにフランス革命の成就からナポレオン政府の樹立までの歴史的な経緯はかなりのボリュームで描かれていたので(観客の集中力が持つ上演時間は2時間半程度が限界か)、「ジェンダー・ギャップの問題」のテーマがぼやけてしまった印象は否めません。しかし、後半に民衆(Tutti)が自由を渇望して歌うダイナミックな音楽とダンスは大きな見せ場になっていた印象もありますので、今年10月の本公演までにどのように舞台をブラッシュアップするのかという点もワークインプログレス公演を鑑賞する醍醐味の1つです。
 
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.17
シリーズ「現代を聴く」では、1980年以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代作曲家又は現代音楽と聴衆の橋渡しに貢献している若手の演奏家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼クレア・ロバーツの弦楽四重奏曲「伸縮」(2021年)
イギリス人現代作曲家のクレア・ロバーツ(1992年~)は、作曲家、ジャズボーカル及びヴァイオリニストとマルチに活動し、ロイヤルフィルハーモニー協会作曲賞(2019年)、ジャーウッド芸術作曲家賞(2021年)、ウェールズ音楽組合若手作曲家賞(2022年)などを受賞し、欧米で非常に注目されている期待の俊英です。この動画は、イギリスで現代音楽を精力的に育成、支援しているヴォーン・ウィリアムズ財団ジェマ・クラシック音楽財団などの援助により制作されています。
 
カミーユ・エル=バシャの前奏曲Ⅴ「ルーメン」(2023年)
レバノン人現代作曲家のカミーユ・エル=バシャ(1989年~)は、ピアニストのアブデル・ラーマン・エル=バシャの息子で、クラシック及びジャズの両分野に跨ってピアニスト及び作曲家として活動し、エレクトロ・ミュージックのユニット「Leone Jadis」でアルバムをリリースするなど、現在、欧州で注目を集めているホットな若手の現代作曲家の1人です。この動画は、ソロ・デビューアルバム「Lumne」に収録されている自作の前奏曲Ⅴ「ルーメン」です。
 
▼岡出莉菜の映画音楽「マイ・ダディ」(2021年)
日本人現代作曲家の岡出莉菜(1991年~)は、洗足音大作曲科(2013年卒)で現代音楽を学び、WOWOW「CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて〜」のテーマ曲など数多くの劇伴音楽を手掛ける最も嘱望されている若手の1人で、最近では映画「マイ・ダディ」(2021年)でサントラも手掛けています。過去のブログ記事で触れたとおり、現代はメディアミックスの潮流を背景に現代作曲家と映画音楽は蜜月の関係にあります。なお、洗足音大は作曲科の学生と作品を紹介するWebサイトを公開しており有意義な取組みです。