大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

【演奏会】第24回レア・ピアノミュージック「温故知新ブーレーズとエスケシュの場合」と温故知新DNAとクリスパー革命<STOP WAR IN UKRAINE>

▼温故知新DNAとクリスパー革命(ブログの枕)
前々々回のブログ記事でE.モリコーネ(P.ブーレーズと同世代の現代作曲家)へのオマージュとしてごく簡単に彼の代表的な映画音楽に触れ、それに関連して前々回及び前回のブログ記事でごく簡単にメディア論に触れましたが、今回は神(自然)が生物の設計図「ゲノム」(生物の設計図の全体をゲノム、そのうちの個々の機能の設計図を遺伝子)を記述するメディア「DNA」と、人間がこれを編集する技術「クリスパー」に簡単に触れてみたいと思います。人間には約60兆個の細胞があり、1個の細胞に46本の染色体があってDNAが巻き付いています。DNAは塩基(「A」(アデニン)、「T」(チミン)、「G」(グアニン)、「C」(シトシン))などから構成され、それがいくつも連鎖状に連なって一本鎖DNAになり、別の一本鎖DNAと結合して二本鎖DNA(二重螺旋構造)を形成しています(左上のイラスト)。因みに、二本鎖DNA(二重螺旋構造)は「A」と「T」及び「G」と「C」の組合せによる塩基対で結合していますが、どちらか片方の一本鎖DNAが損傷しても塩基対を手掛かりにすれば、その損傷した部分の塩基配列を修復することが可能であることから二本鎖DNA(二重螺旋構造)になっていると言われており、その修復に失敗するとがん細胞等に変化します。なお、人間のDNAには合計約32億の塩基対があると言われていますが、そのうちの約2%の領域に約2万3千個の遺伝子が飛び飛びに記述されています。残りの約45%の領域は酵素を使って他の染色体に移動すること(突然変異を生じ得る得る変化)ができる転移因子「トランスポゾン」で種の進化に関係していると言われており(トランスポゾンは神によるゲノム編集クリスパーは人間によるゲノム編集)、それ以外の約53%の領域は未解明の塩基配列で種の分化に関係しているのではないかと考えられています。現在、異次元の少子化対策が議論されていますが、子供の遺伝子は父母(2人)から半分ずつを受け次ぎますので、祖父母(4人)、曾祖父母(8人)と先祖を辿って行くと約30世代前(平安時代から鎌倉時代頃)には現在の日本人の人口よりも多い10億人以上の先祖が存在していた計算になってしまいます(血統崩壊のパラドクス)。この点、昔は高速移動手段や遠隔通信手段等がなく、ごく限られたコミュニティーの中で近親婚が繰り返されており、実際には先祖を遡ると相当数の重複があると言われていますので、先祖の数が指数関数的に増えて行くことはありません。因みに、子供の細胞内にあるミトコンドリアは母のみから受け継ぎますので、ミトコンドリアを遡って行けば人類の共通の先祖であるミトコンドリア・イブに辿り付くと考えられており、約20万年前にアフリカ南部(ボツワナ)に住んでいた女性(但し、それは1人とは限らない)ではないかと言われていますが、各人の外見、能力やその他のパーソナリティ等の違いはDNA全体の僅か約0.1%~約0.2%(人間とチンパンジーは約1.23%)の差異が生んでいます。このように人間を含む多細胞生物は有性生殖(雄及び雌のDNAを結合して組み替えることにより雄及び雌とは異なる遺伝子を持つ個体を生産すること)により子孫を残す方法を選択しましたが、これは環境変化に適応した子孫を残し易く又は新型コロナウィルスのような変異の速い病原体等の抗体を子孫に広め易くするためであると考えられています。その一方で、有性生殖でDNAの組み替えに異常を生じ又は細胞分裂でDNAの複製に異常を生じる可能性があり、それによる種の絶滅を防ぐために、それらの異常を消去するための仕組みを持つようになったことで人間を含む多細胞生物は個体死するようになったと考えられています。これに対し、DNAの組み替えを行う必要がない無性生殖の単細胞生物は事故死でもなければ個体死することのない不死生物です。なお、生物の設計図「ゲノム」は生物にとって重要な情報であることから、それが記述されているメディア「DNA」は細胞核という金庫に厳重に保管されており、生命活動のために遺伝子の情報を利用する必要があるときは、その必要な部分だけを金庫の外にいるプロの運び屋「mRNA」(メッセンジャーRNA)に転写し(但し、mRNAは金庫の中に入る権限はありません)、そのmRNAに転写された情報を翻訳して生命活動に不可欠なタンパク質が作られます。タンパク質は20種類のアミノ酸のうちの3種類のアミノ酸が結合してできる分子で、このアミノ酸の組合せを遺伝子暗号表(コドン表)と呼んでいますが、現在、これを利用した生命の音楽としてDNAミュージック等が研究されています。この遺伝子暗号表(コドン表)は地球上の全生物に共通していることから、地球上の全生命は共通の先祖から分岐して進化したと考えられています。因みに、mRNAは新型コロナウィルスのワクチン開発で利用されていますが、mRNAに新型コロナウィルスの突起の部分の設計図を転写し、人間の細胞の中で新型コロナウィルスの突起の部分だけ(ダミーのウィルス)を作らせて事前に抗体(免疫)を増やすことで新型コロナウィルスの感染やその重症化を防ぐ仕組みですが、上述のとおりmRNAは細胞核には入れませんので遺伝子を書き換える虞はなく安全だと考えられています。2020年にカルフォルニア大学のJ.ダウドナ教授及びスウェーデン・ウメオ大学のE.シャルパンティエ博士は、人間がゲノム編集(gRNAがDNAの特定の部位に結合してキャス9という酵素がその部分のDNAを切断等)を行うことができる技術「クリスパー・キャスナイン」を開発してノーベル化学賞を受賞しましたが、人工交配による品種改良(例えば、野生の辛子の品種改良により生まれたカリフラワー、ブロッコリー、キャベツ、コールラビ、ケールなど)やバクテリア等を使って外部から新しい遺伝子を追加する遺伝子組換え(例えば、大豆、トウモロコシ、綿花、菜種など)は非常に成功率が低いという問題がありましたが、生物の内部の遺伝子を直接に書き換えるクリスパーは極めて成功率が高い画期的な技術と言われており、その応用に期待が集まっています。例えば、有害なJトランス脂肪酸を発生しない大豆、二日酔いしないワイン、角の生えないホルスタイン(乳牛)、肉量を大幅に増加させた肉牛、伝染病にかかりにくい豚、メスしか生まない鶏、受粉しなくても実がなるトマト、芽から毒素を取り除いたジャガイモ、成長の早いサバなどの開発に応用され、また、ゲノム編集によるDNA治療やバイオハッキング(人間の生体情報を計測して改善することで健康やパフォーマンスを向上させる技術)等が注目されており、2023年7月に日本初のバイオハッキング複合施設が開設する予定になっています。但し、クリスパーは100%の精度ではなく患者の体内でゲノム編集によるDNA治療を行うリスクが指摘されており(オフターゲット効果)、治療(例えば、肥満)とそれ以外の目的(例えば、美容)の境界が曖昧になるなどの問題も指摘されています。また、がん、糖尿病、精神疾患など遺伝的要因と環境的要因が複合的に作用して発症する病気については治療の対象とすべきDNAを特定することが困難であることなど実用化への課題も認識されています。このような状況を踏まえ、2023年3月6~8日の3日間、2018年及び2015年にヒトゲノム編集に関する国際サミットが開催され、人間の体細胞の基礎研究及び臨床研究並びに生殖細胞の基礎研究については容認できるとする一方で、デザイナーズ・ベイビーなど人間の生殖細胞の臨床研究は容認できないという指針が示されるなど、クリスパー革命が人類に与える影響について慎重に議論されています(映画「GATTACA」)。
 
 
▼第24回レア・ピアノミュージック「温故知新ブーレーズとエスケシュの場合」(シリーズ「現代を聴く」特別編)
【演題】第24回レア・ピアノミュージック
    温故知新ブーレーズとエスケシュの場合
【演目】ティエリー・エスケシュ 3つのバロック・エチュード(2009年)
    ピエール・ブーレーズ ピアノ・ソナタ第2番(1948年)
    <アンコール>
    ケヴィン・プッツ 交流電流(1998年)より第2楽章
【演奏】<Pf>法貴彩子
【日時】3月19日(日)22時~(3月26日(日)~アーカイブ配信)
【料金】2500円~
【感想】
ヴラヴァー!!先日のブログでも紹介したピアニスト・法貴彩子さんがパリ国立高等音楽院の学友であるピアニスト・福間洸太郎さんがプロデュースするシリーズ企画「レア・ピアノミュージック」で、パリ高等音楽院の大先輩であるT.エスケシュの「3つのバロック・エチュード」及びP.ブーレーズの「ピアノ・ソナタ第2番」を採り上げる演奏会が開催されたので、そのアーカイブ配信を視聴することにしました。法貴さんの繊細かつ明晰なピアニズムによる緻密な構築感のある目の覚めるような好演に接して興奮を禁じ得ません。T.エスケシュの名前はバッハの「フーガの技法」(エスケシュ補筆完成版)で知っていましたが、今回、初めてその作品を聴く機会に恵まれ、法貴さんの好演と相俟って新天地を切り拓くことができた収穫の多い満足度の高い演奏会でした。法貴さんは積極的に現代音楽を演奏会で採り上げる活動をしていますが、福間さんと法貴さんの対談で現代音楽の演奏会は客入りが芳しくないという苦労話をされていたのが印象的で、昔、現代美術家・村上隆さんが某シンポジウムの対談で「現代美術は輸入文化であり、日本国内では未だ咀嚼されていません。食わず嫌いが極まって、現代美術の文法を学ぼうとしていない、というか拒絶しています。」と失望していたことを思い出します。年明けからのオーケストラの演奏会の演目を見ていても、BPOの映像配信「デジタル・コンサートホール」の演目は約50%が現代音楽(日本人の現代作曲家の作品を含む)で占められており新しい世界観を拓いてくれそうな新鮮味のあるプログラムが魅力に感じられるのに対し、日本のオーケストラの演奏会の演目は約15%しか現代音楽が採り上げられておらずいつまでも懐古趣味に偏向した新鮮味に欠けるプログラムが並んでいる印象を否めない哀しむべき実態がありますが(最近、海外のオーケストラの演奏会をオンライン視聴しようかと真剣に考えています。)、村上隆さんが仰っているように欧米の客層と異なり私を含む多くの日本の客層は新しいものを柔軟に吸収できる教養に不足していること(高学歴低教養)が根本的な原因なのかもしれません。過去のブログ記事でも触れましたが、元来、日本は支配を基調とする父性原理ではなく調和を基調する母性原理が息衝く社会であり、それ故に新しいものを柔軟に吸収できる能力に優れていたはずですが、過去のブログ記事でも触れたとおり、2000年以降の変革期を迎えてDXやQXの出遅れに象徴されるように各種の国際指標を見ても日本の凋落振りは顕著と言わざるを得ず、これらの根本的な原因にも通底するものがあると言えるかもしれません。遅れ馳せながら日本のクラシック音楽界(観客を含む)も「CX」(コンテンポラリー・トランスフォーメーション)に真剣に取り組むべき時期に来ているのではないかと感じています。
 
①T.エスケシュ 3つのバロック・エチュード(2009年)
この曲は、パリ国立高等音楽院出身でフランス人ピアニストのクレール=マリ・ル・ゲが2009年にパリ・アテネ劇場の専属ピアニストに就任した記念演奏会で演奏するための曲をT.エスケシュに委嘱し、T.エスケシュがバッハの作品を参照しながらバロック音楽に対する個人的な解釈やビジョン等を投影した3楽章の作品として書き上げたものです。エチュードという控え目なタイトルが付されていますが、バッハの作品のほかにフランス印象派作曲家のエチュードや(エチュードは書いていませんが)ラヴェルやデュティーユの作品の音楽スタイル、ジャズの即興性などの要素を採り入れている優れて現代的な作品で演奏至難な曲であると感じます。バッハの作品と対比しながら聴くと、どのようにバッハの作品とその世界観が拡張されているのかが分かり、そこがこの曲の面白味にもなっていて現代音楽の魅力を堪能できる作品ですが、この曲の構造や魅力等を理解するためには深い鑑賞を必要とする難しさもあります。是非、法貴さんの演奏で、この曲とこの曲で参照されているバッハの作品をカップリングしたCDをリリースして欲しいと思いますが、どこかのレーベルで企画、制作して貰えないものでしょうか。
 
エチュード第1番(Vivacissimo)
T.エスケシュによれば、J.S.バッハが作曲した降誕節のためのオルガン・コラール「今ぞ喜べ、愛するキリストのともがらよ」(BWV734)の糸紡ぎのように流れる軽やかな曲調に着想を得て作曲されたそうです。冒頭では同曲を彷彿とさせるように右手の高声部が軽快なリズム感で駆け巡るなかを左手の低声部が定旋律を奏でますが、やがて神の調和を体現する協和音を破って不協和音を奏で出すと、音域やデュナミークを拡大しながら、右手の高声部(神のメタファー)と左手の低声部(私のメタファー)が交互に不協和音を奏でつつ、それらの聖俗の境界が曖昧にって行く世界観が現れてくるという(あくまでも個人的な)イメージを持って聴いていました。このコラールは、F.ブゾーニによる編曲版(1909年)が知られていますが、この1世紀で世界の景色が大きく変化したことを感じさせる面白い曲です。
 
エチュード第2番(Andante)
T.エスケシュによれば、J.S.バッハが作曲した待降節のためのオルガン・コラール「いざ来ませ、異教徒の救世主よ」(BWV659)のノスタルジックな曲調に着想を得て作曲したそうですが、冒頭では右手の高声部(神のメタファー)と左手の低声部(私のメタファー)が静かに応唱し、やがて右手の高声部と左手の低声部が一体になって音楽を奏で出しますが、さながら(私の信仰心に)神が降臨する様子を音楽的に描写しているような神秘的な印象を受けます。オルガンの1音(和音)で描く響きの世界を思わせるような鋭いスタッカートが音楽のテンションを高めながら、左手の低声部が定型のリズムを奏でるなかを右手の高声部がエッジを効かせて先鋭的に跳躍しますが、ノスタルジックな曲調というよりもモダン・ピアノの特徴を活かした粒際立った硬質な響きによるストイックな印象を受ける曲に感じられます。
 
エチュード第3番(Moderate)
T.エスケシュによれば、バッハの「パッサカリア」(BWV582)やレーガーの「パッサカリア」(作品127)等に着想を得て作曲したそうですが、この曲の主題をレガートではなくスタッカートで小気味よく刻みながら変奏曲風に展開して行きます。この曲にはバロック・エチュードというタイトルが付されていますが、ロマン派音楽調に旋律を歌わせるのではなく、舞曲のステップや神の言葉を刻むようなバロック調を意識してスタッカートが多用されているのかもしれません。右手の高音部及び左手の低音部がそれぞれ幅広い音域を跳躍しながら、まるでパイプオルガンが多声部の音楽を奏でるように多彩な音色やデユナミークを使って音楽が重層的に奏でられますが、エチュードとは思えない演奏至難な曲に気後れすることなく、鍵盤を縦横無尽に駆け巡り活舌良く表情豊かに弾き分ける自在な演奏に舌を巻きました。
 
②P.ブーレーズ ピアノ・ソナタ第2番(1948年)
この曲が初演された年から3年後の1951年にA.シェーンベルクが逝去した際、当時26歳のP.ブーレーズは「シェーンベルクは死んだ。ウェーベルン万歳。」という若い血気に逸る文書を発表して物議になりましたが、これに対するJ.ペイザーの著書「ブーレーズ」に関する書評としてグレン・グールドが冷静な分析を行っている内容が参考になります。この点、G.グールドは「シェーンベルクは一度は自身の革命熱に燃えていたにも拘らず、その生涯最後の四半世紀は十二音技法を後期ロマン主義の構造基準に融合させようという不毛の試みに費やし、ひと言で言えば時代との関連性を失った。」と看破しています。過去のブログ記事で触れたとおり、シェーンベルクはロマン派音楽の構造を前提として12音技法を調性から解放するための主題的労作の手段と位置付けていましたが、A.ウェーベルンはロマン派音楽の構造とも決別して12音技法を単なる主題労作の手段と位置付けるのではなく、音列を旋律的なもの(音楽)ではなく音響的なもの(音)として扱うことで音程関係だけではなく音の強弱、長さ、音色や奏法など複数のパラメーターをも規律するトータル・セリエリズムへと発展させました。さながらA.シェーンベルクは十二音技法で主音の支配(封建的なもの:宗教権威、絶対王政)から音楽を解放し、A.ウェーベルンは総音列技法で人間の感情(ロマン的なもの:ブルジョアジー)から音楽を解放して音楽の再構築を試みますが、さらに、J.ケージは人間の作為そのもの(人間中心主義:プロレタリアート)からも音楽を解放して音楽の再生(人工から自然への回帰)を試みたと形容することができるかもしれません。この曲は、このような歴史的な文脈のなかに位置付けられ、法貴さんの言葉を借りれば「旧来の様式の解体」を試みた作品と言えます。第1楽章(Extrêmement rapide)は伝統的なソナタ形式を使用して作曲しながら、その内部からの解体が試みられています。冒頭の2小節で12音音列の主題が提示されますが(以下の囲み記事)、その主題は旋律的な性格(線)を失い、提示部から展開部へ移行するにつれて独立した音(点)としてバラバラに解体され(音楽から音へ)、それぞれの音は音程関係を離れて音の強弱、長さ、音色や奏法など音楽の構造の中に組み込まれ、それに伴ってソナタ形式が無意味化して雲散霧消して行き、どこから再現部に入ったのか分からないという捉えどころのない音楽ですが、法貴さんのメリハリの効いた明晰なタッチによって姿形を変えた主題の残影が其処此処に感じられ、P.ブーレーズの音楽的なアイディアが鮮やかに浮かび上がっているような好演であったと思います。
 
▼第一楽章冒頭の2小節で提示される12音音列の主題(P.ブーレーズの作品は著作権が残っていますので、楽譜をULすることは控えます。)
 
法貴さんによれば、特徴的なリズムはそのまま残されていて「ソナタ形式が透けて見える」と仰っていましたが、正直言に告白すれば、そこまでの深い鑑賞を可能にする鍛えられた耳(脳の認知能力)を持ち合わせていないので(しかし、脳の認知能力を鍛えれば鑑賞可能な曲であり、この曲の受容にはもう少し高度な音楽的なコミュニケーション能力が求められているという意味で、シナプス可塑性が活発化される面白味のある曲)、是非、法貴さんには更なる鑑賞の高みへと私を誘って頂きたく楽譜と実演を使ったレクチャー・コンサートの開催を切望しており、勝手ながら朝日カルチャーにリクエストさせて頂きました。ご興味ある方はリクエストしてみて下さい。企画が成るかもしれません。第二楽章(Lent)は変奏曲形式をとり、冒頭の4小節で12音音列の主題が提示され、その主題から派生する変奏で構成されていますが、敢えて、音を点描して行くように響かせることで、音高の変化だけではなく音色、音価や音量などの変化が際立つ多彩な変奏を楽しめます。第三楽章(Modéré presque vif)は4つのスケルツォと3つのトリオからなる複合形式で、冒頭の3小節で12音音列の主題が提示されて、それが基本形-逆反行形-基本形の変奏-基本形の変奏の逆反行形と展開されますが、楽譜を見ながら視聴しないと(もとゐ、楽譜を見ても)素人の耳で聴き分けるのは容易ではありません。メカニカルな構造美を楽しめます。第四楽章(Vif)はロンド形式ですが、導入部を経て細かい主題が躍動するパートと旋律的な性格(線)を失いリズミカル(点)に振る舞う4声部のフーガからなるパートが交互に発展しながら展開し、次第にフーガは解体されてドイツ語音名「BACH」の音型へと消え入るという余韻嫋々とした趣きのある終曲になっています。
 
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.18<
シリーズ「現代を聴く」では、1980年以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代作曲家又は現代音楽と聴衆の橋渡しに貢献している若手の演奏家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼アンナ・クラインのチェロ協奏曲「雲の王子」(2018年)
イギリス人現代作曲家のアンナ・クライン(1980年~)は、2015年に第57回グラミー賞にノミネートされ、2022年に世界で最も作品が演奏された現代作曲家の8位(上位20位のうち女性の現代作曲家は9人)にランクインするなど、現在、最も注目されている期待の俊英です。この動画は、1918年にエルガーのチェロ協奏曲が作曲されてから100年後にアンナ・クラインが作曲し、第57回グラミー賞にノミネートされた曲です。
 
▼ミッシー・マッツォーリの「デス・バレー・ジャンクション」(2010年)
アメリカ人現代作曲家のミッシー・マッツォーリ(1980年~)は、オペラ作品に定評がありメトロポリタン歌劇場から作曲を委嘱された世界初の女性作曲家で、2019年に第61回グラミー賞にノミネートされ、2022年に世界で最も作品が演奏された現代作曲家の19位にランクインするなど、現在、最も注目されている期待の俊英です。この動画は、2018年に開催されたボウディン国際音楽祭におけるイヴァラス・クァルテットの演奏です。
 
▼山本哲也のバリトンサックス四重奏「チャラサックス」(2021年)
日本人現代作曲家の山本哲也(1989年~)は、2022年に第9回スメデレヴォ国際ピアノコンクール作曲部門で第1位や2022年に久石譲主催「Music Future Vol.9」の第4回Young Composer’s Competitionで優秀作品賞を受賞するなど、非常に注目されている期待の俊英です。この動画は、2020年に東京都のアーティスト支援事業「アートにエールを!東京プロジェクト」(2023年3月31日で事業終了)で採用されたものを再編集したものです。