大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用などは固くお断りします。※※

現代音楽フェスティバル「Cabinet of Curiosities」と第二次量子革命<STOP WAR IN UKRAINE>

▼DXからQXへ(ブログの枕の前編)
前々回及び前回のブログ記事では今年の干支である卯(兎)をモチーフにして、金烏玉兎のコンセプトとデザインの話しから、古典的な暦と時間の話しを経て、革新的な光格子時計と相対性理論の話しへと飛躍しましたが、その蛇(兎)足として、新年に相応しく明るい近未来の展望を示す現在最もホットな第二次量子革命によるDX(デジタル変革)からQX(クオンタム変革)への飛躍に触れてみたいと思います。QXに応用されている量子力学は、1905年にアインシュタインが光量子仮説(金属に光をあてると金属の内部にある電子が光のエネルギーを吸収して金属の外部へ飛び出る光電効果から、光は波であると同時に粒子でもあり「波と粒子の二面性」を持つ量子であること)を発表して古典物理学(分子以上の物体を対象とするマクロの世界を記述するニュートン力学+相対性理論)に対する現代物理学(原子以下の物質を対象とするミクロの世界を記述する量子力学)の礎を築いたことで誕生し、これによって1921年にアインシュタインはノーベル物理学賞を授与されました。それまでは1807年にトーマス・ヤングが二重スリットの実験で光が波の性質(回折や干渉など)と同じ現象を生じることを発見したことから光は波であると考えられていましたが、1905年にアインシュタインが光電効果の実験で光を明るく(即ち、波の振幅を大きく)しても光のエネルギーが増加して光電効果を生じることはなく電子の個数のみが増加するという粒子の性質と同じ現象を生じることに着目し、光は波であると同時に粒子でもあるという仮説を提唱し、現在では光だけではなく全ての物質やエネルギーは量子であると考えられています。この点、原子は原子核(陽子、中性子)と電子から構成されており、波の性質を持つ電子は原子核を取り囲む雲のように広がっていますが(電子雲)、マクロな物体(分子以上)と触れ合うとその相互作用によって波の性質が失われ(波の収縮)、粒子としての電子が現れると考えられています。よって、粒子としての電子は、波の収縮を生じるまでは電子雲のどこに現れるのか確率論的にしか定まらない状態(状態の重ね合わせ)にあり、粒子としての電子の位置が決まると波としての電子の運動方向が定まらず、波としての電子の運動方向が定まると粒子としての電子の位置が定まらないという関係性(不確定性原理)にあると考えられています。さらに、「波の収縮」が生じる前の「状態の重な合わせ」にある量子を分割すると、両方の量子が理論上は宇宙の端から端まで遠く離れていても、一方の量子の状態が変わると他方の量子も状態も瞬時に変化する(量子もつれ)と考えられていましたが(アインシュタインは「不気味な遠隔作用」と表現)、アメリカ・クラウザー研究所のクラウザー博士及びパリ・サクレー大学のアスペ教授は実際に量子もつれが存在することを実験で証明することに成功し、また、ウィーン大学のツァイリンガー教授は量子もつれを利用して片方の量子に埋め込んだ情報がもう片方の量子に瞬時に伝わること(量子テレポーテーション)を実験で証明することに成功して量子コンピューター、量子暗号や量子通信等の研究開発を行う量子情報科学という新しい学問分野の開拓に貢献したことから、2022年にこの3人の学者にノーベル物理学賞が授与されています。現在、地球と土星との間の通信は片道約80分を要しますが、量子もつれを通信技術に応用できればリアルタイム通信が可能になり、アルテミス計画を嚆矢とするこれからの宇宙開発時代には不可欠の技術になると期待されています。さらに、波の性質を持つ電子は壁などをすり抜ける現象があり(トンネル効果)、江崎玲於奈博士は半導体(個体)におけるトンネル効果が存在することを実験で証明することに成功して、1973年にノーベル物理学賞を授与されています。このようにミクロの世界は波と粒子の二面性、状態の重ね合わせ、不確定性原理、量子もつれ、トンネル効果など、人間の認知能力が及ぶマクロの世界の常識では理解できない不可思議な現象があることが分かっていますが、これらの研究成果が様々な技術開発に応用され、実用化されています(後述)。現代は、自分が認知し又は理解し得る範囲が世界の全て又は真実であるとは限らないという謙虚さを持ち、これまでの常識に囚われることなく世界観を広げて行こうとする柔軟さが求めらえており、過去のブログ記事でも触れましたが、これは芸術表現や芸術受容の態度にも言えることではないかと思います。なお、来る2月17日(金)に量子の世界観を描いた映画「アントマン&ワスプ:クアントマニア」(第3作)が公開される予定なので、映画「アントマン」(第1作)及び映画「アントマン&ワスプ」(第2作)と併せて量子の世界観を体験してみませんか。因みに、同日にジャズを題材とした人気マンガを映画化した「BLUE GIANT」も公開されますので、こちらも見逃せません。
 
 
▼量子コンピュータと近未来予想図(ブログの枕の後編)
20世紀前半に光量子仮説や状態の重ね合わせの研究によって量子力学が確立し、その研究成果はセシウム原子時計(前回のブログ記事)、半導体、レーザーや太陽光発電等の技術開発に応用され(第一次量子革命)、パソコン、スマートフォン、CD・DVD、レーザー加工、レーザー治療や太陽光パネル等として実用化されてSociety4.0(情報社会)を実現しましたが、20世紀後半に量子もつれや量子テレポーテーションの研究によって量子力学が深化し(上述のとおり2022年にノーベル物理学賞が授与)、その研究成果は量子コンピュータ、量子暗号や量子通信等の技術開発に応用され(第二次量子革命)、数年内の実用化が期待されています。この点、前回のブログ記事で触れたSociety5.0(超スマート社会)の進展に伴ってデータの容量や種類は急激に増加し、その高度利用に伴う複雑なデータの処理等も予想される一方で、「古典コンピュータ」(1949年に誕生した2進法を使ってデータを逐次処理する現在のノイマン型コンピュータ)の性能向上は限界を迎えていると言われており(ITRS2015:ムーアの法則の限界)、量子力学を応用した次世代の「量子コンピュータ」の実用化が期待されています。日本は世界の中でもDX化が大幅に出遅れていますが(スイスの国際経営開発研究所が毎年公表している世界デジタル競争力ランキング2022によれば、日本のデジタル競争力は世界63ケ国中で29位(アジア14ケ国中でも8位)、2021年:28位、2020年:27位と低迷)、日本が遅々としているうちに、世界の関心はDXの次のQXへと移り変ろうとしています。古典コンピュータは、トランジスタで電圧のオンとオフを切り替えて、データを「0」(電圧低)又は「1」(電圧高)のどちらかの状態で表現(バイナリ・ビット)して2進法で「演算」(数式に従って1つずつの数値を処理)しますが、2つ以上の状態を同時に表現することはできません。これに対し、量子コンピュータは量子力学の「状態の重ね合わせ」「量子もつれ」「トンネル効果」などを応用して、データを「0」又は「1」のどちらかの状態に加えて「0と0の重ね合わせ」「0と1の重ね合わせ」「1と1の重ね合わせ」など2つ以上の状態を同時に表現(量子ビット)して並列的に「計算」(複数の演算を同時に行って1つの結果を導き出す処理)することなどが可能です。例えば、古典コンピュータが4バイナリビットで同時に表現できる状態は1通りしかありませんが、量子コンピュータが4量子ビットで同時に表現できる状態は16通りもあり、古典コンピュータを使えば、この16通りの状態を16回の演算で処理する必要がありますが、量子コンピュータを使えば、この16通りの状態を1回の計算で処理することができますので、計算プロセスを大幅に減らすことが可能です。2019年にGoogleが量子コンピュータを使ってスーパーコンピュータ(最も性能が良い古典コンピュータ)でも約1万年を要する複雑な問題を僅か約3分20秒で解いたというニュースが世界中を駆け巡り、古典コンピュータでは実用可能な時間内で解けない複雑な問題を量子コンピュータでは実用可能な時間内で解ける能力を有していること(量子超越性)が実証され、量子コンピュータの開発競争に拍車がかかっています。
 
▼物理と西洋音楽に見る「古典」と「現代」の相似的な特徴
あらゆる分野で人間中心主義的な考え方(偏在的な価値観)が限界を迎え、自然尊重主義的な視点(普遍的な価値観)を見直すことでその限界を超越しようとしています。
コンピュータ 特徴 音楽
古典コンピュータ
(古典物理学)
バイナリ
ビット
(デジタル)
人工的
確定的
制限的
クラシック音楽
(調性、確定性、全音、十二平均律等)
量子コンピュータ
(現代物理学)
量子
ビット
(アナログ)
自然的
不確定的
包含的
現代音楽
(無調、不確定性、微分音、スペクトル等)
※量子コンピュータは超電導回路、イオントラップ、半導体(電子スピン)、フォトニクス(光)や冷却原子等から量子ビットを生成し、量子ゲート方式(量子ゲートで量子ビットを操作して論理的に計算する汎用型量子コンピュータ/IBM、Google、Intel、日立、理化学研究所等が開発)と量子アニーリング方式(量子ビットを利用してメタヒューリスティックに最適化問題を解く特化型量子コンピュータ/D-Wave、NTT、NEC等が開発)の2方式が主流です。
※量子コンピュータは量子ビットがノイズの影響を受け易く計算の失敗が多いことから量子ビットの数を制限せざるを得ないという課題に直面していますが、現在、量子ビットの誤りを訂正できる「誤り耐性量子コンピュータ」(NISQ)の開発が進められており、Googleのロードマップでは2029年までにNISQが完成する予定です。これに対し、日本の統合イノベーション戦略推進会議のロードマップでは2040年頃にNISQが完成する見通しになっており、DXだけではなくQX(量子コンピュータの開発競争)でも遅れをとっています。
 
▼社会と西洋音楽の革新の歴史
精神革命による宗教の台頭(→宗教権威/神による支配)を契機として教会音楽が誕生し、ルネサンスの勃興(→絶対王政/人による支配)を契機として調性音楽が誕生し、世界大戦の勃発(→国民主権/法による支配)を契機として無調音楽が誕生しています。
社会 革命 音楽
Society1.0
(狩猟社会)
認知革命(人類の世界拡散) 古代
音楽
Society2.0
(農耕社会)
農業革命(文明の誕生)
精神革命(宗教・芸術の誕生)
科学革命(ルネサンス)
古典物理学
教会
音楽

調性
音楽

Society3.0
(工業社会)
第一次産業革命(蒸気機関)
第二次産業革命(石油、電気)
現代物理学
無調
音楽
Society4.0
(情報化社会)
第三次産業革命(コンピュータ、デジタル、インターネット)
第一次量子革命
Society5.0
(超スマート社会)
第四次産業革命(AI、バイオテクノロジー、量子技術、マテリアル)
第二次量子革命
 
現在、量子コンピュータは、古典コンピュータ(AI、IoT、ビックデータ、クラウドなど)を組み合わせたハイブリッド・コンピューティング等により渋滞回避、CO2削減、エネルギー安定供給、サプライチェーン構築、防災減災、情報セキュリティ対策、食料自給率改善、労働力不足や少子化対策など、様々な分野の社会課題を解決して世界を最適化することが期待されています。例えば、渋滞を回避するために3つのルートを選択できる車が30台あると仮定すると、その選択肢の組合せは約200兆通りにのぼりますが、これを瞬時に計算して最適なルートを選択することは古典コンピュータには不可能なので量子コンピュータ(50量子ビットで約1100兆通りの組合せを瞬時に計算して最適解を導き出すことが可能であり、近い将来、NISQが実現すれば100万量子ビット以上を実装可能)が必要になります。また、量子コンピューター以外にも量子力学を応用した技術開発として、上述した①量子暗号・量子通信(暗号資産のハッキング盗難防止、宇宙通信等)、②量子計測・量子センシング・量子シュミレーション(完全自動運転、診断医療、スマート生産、新薬開発等)、③量子マテリアル(トポロジカル、スピントロニクス、エネルギー変換、ナノデバイス、高性能電池等)、④量子ビーム(スマート生産、高度医療、量子生命学等)などの分野が注目されており、Society5.0(超スマート社会)を実現して大きな社会変革をもたらすと考えられています。今後、技術面や資金面の問題から量子技術の開発が停滞すること(量子の冬)を懸念する声もありますが、前回のブログ記事でも触れたとおり、日本はSociety5.0(超スマート社会)を実現するために量子コンピュータの開発をはじめとする量子技術の社会実装(QX)等に向けた計画「総合イノベーション戦略2022」を策定して産学官が連携して精力的に取り組んでおり、欧米は量子ゲート方式の量子コンピュータ、中国は量子暗号・量子通信、日本は量子アニーリング方式の量子コンピュータを中心にして加速度的な開発競争が繰り広げられています。2023年も量子コンピュータ国際会議「Q2B」がパリ(5月)、東京(7月)及びシリコンバレー(12月)で開催される予定なので、その議論の行方が注目されています。このように世界はダイナミックに変革しており、その世界を表現する芸術表現や芸術受容にも革新の風潮が生まれ始めています。このような社会変革の潮流の現れなのか、2022年度第60回レコード・アカデミー賞で現代音楽作品が大賞を受賞したことは時代の転換点を象徴する出来事であると思います。
 
 
▼Cabinet of Curiosities 2022「New Performative Music」
【演目】①中心はどこにでもある(2012年)
      <作曲>クリスティーヌ・ヒョーゲション 
    ②のの字(2012年)
      <作曲>渡辺裕紀子
    ③Dro(世界初演)
      <作曲>宗像礼
    ④奇妙な秋(日本語版世界初演)
      <作曲>スティーブン・カズオ・タカスギ
    ⑤境界線(2009年)
      <作曲>ハンナ・ハートマン
    ⑥ハロー(2014年)
      <作曲>アレクサンダー・シューベルト
【演奏】<Sop>太田真紀
    <Vn>白小路紗季
    <Per>沓名大地、安藤巴、茶木修平
    <Gt>山田 岳
    <El>佐原洸
【司会】宗像礼、森紀明、渡辺裕紀子、小出稚子ほか
【会場】ドイツ文化会館
【日時】12月24日(土)18時~(オンライン配信12月30日(金)~)
【一言感想】
毎年、年末年始のテレビ番組と演奏会はお節料理よろしく食指が動かないものばかりになってしまいますが、昨年末、2000年以降に創作された現代音楽を若手演奏家の演奏によって紹介するという非常に興味深い現代音楽フェスティバルが開催されましたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。なお、この現代音楽フェスティバルは12月24日(テーマ:新しい音楽*パフォーマンス)及び25日(テーマ:新しい音の世界地図)の2日間に亘って開催されましたが、非常に演目数が多いので、12月24日公演の感想のみを残しておきたいと思います。なお、この現代フェスティバルを主催した現代作曲家の渡辺裕紀子さんがパンフレットに示唆に富むことを書かれていたので、その一部を抜粋引用すると「作曲家=演奏家であった時代を経て、この二つの役割は分業化・・(中略)・・近年その流れに変化があり、作曲と演奏(と、それを越えたパフォーマンス)を兼任する音楽家が多く誕生」している現状を指摘したうえで「自然を人間尺度で計り、区別し、取り壊し、人工物を構築してきたように、音楽の世界の中でも本来地続きであるものを分割し、パーツ化することで時間を構築し、更に境界線に分けられた分岐に従ってそれらを理解してきた歴史」を振り返り「パフォーマティブな音楽から投げかけられている境界線への問いかけは、音楽だけではなく社会そのものを新たな視点で見つめ直すきかけになる」と指摘されている部分は正しく慧眼です。上述のとおり現代物理学と現代音楽は同じ世界観を共有するようになっており、今後、この不可逆的な時代の流れは加速度的に進展するものと思われますので、新しい時代を表現するのに相応しく、現代の知性を前提として現代人の教養を育み得る新しい音楽が益々求められるようになっていると思います。
 
①中心はどこにでもある
この曲はB.パスカルの「自然は無限の球体であり、その中心はどこにもあり、その限界はどこにもない」という言葉から曲名が付けられたコンセプチャリズムの音楽です。C.ダーウィンの「(生命は)この惑星が重力の法則に従って回転している間に生命の起源から多様な系統に進化してきた」という言葉がナレーションとして挿入され、また、BBCドキュメンタリー「ディビット・アッテンポロー、生命の起源」から「化石は地球上で最もロマンチックなものだ・・・」という趣旨のテキストと映像が引用されており、生物の多様な進化の過程(過去の時間)が封印された化石を紐解くロマンが綴られ、生物の進化の壮大な物語へと誘われるような曲です。先ず、横置きにしたバスドラムのフロントヘッドの上で懐中電灯に照らされた円盤がくるくると回りますが、光と共に生命が誕生する神秘的な世界が表現されているようです。次に、上述のC.ダーウィンの言葉がナレーションとして挿入された後、フロアタムやスネアドラムのバターヘッドに張られた糸を叩く又は擦る、ハーモニックパイプを回す、口笛を吹くなど様々な音を奏しながら、生命のビックバンと言われるカンブリア紀の生物の多様な進化が描写されているようです。やがてディビット・アッテンポローが化石を手にしながら解説している上述のBBCドキュメンタリーの無声映像が流れるなか、フロアタムのバターヘッドに張られた糸を叩く、ギロを擦る、ハーモニカを吹く、音叉を鳴らすなど映像に合わせて様々な音を奏でながら、化石の発掘とそこに封印されている多様に進化した生物の不思議が表現されているようです。過去のブログ記事でも触れましたが、人間は地球上の植物の約10%しか把握しておらず、その約10%の植物種から薬の成分の90%以上を生成していますが、コロナ禍(現在の生物学の定義ではウィルスは生物には分類されませんが、ウィルスは変異を繰り返しながら環境に適用して行く知性を備えている生物的な存在です。)にあって、人間はバイオダイバーシティのごく一部(地球上には約3000万種と言われる生物の多様性とその生態系があり、このうち人間が把握できている生物種は僅か約175万種)しか垣間見ていませんが、それらの全ての生物種(及びウィルス)が1つの環境世界を構成しているということを謙虚に考えさせられる作品です。
 
②のの字
この曲は2012年に某ワークショップで創作されたものだそうですが、演奏中に演奏者が楽器を解体して行くというパフォーマンスを採り入れた不確定性の音楽で、プログラムに図形楽譜(イラストと説明文が付されたスクリプト)の一部が抜粋されており、それがどのように解釈され、実演されるのかを視聴(体験)する楽しみがあります。プログラムには「モノ/モノを消費する人間、楽器/その楽器を使う演奏家という枠組みを超えて、モノが人になり人がモノになる瞬間を音楽を通して表現」というテーマが解説されていますが、人類の歴史は道具等(楽器を含む)を発明して身体機能を拡張することで繁栄してきましたが、前回のブログ記事でも触れたとおり、近年では脳、機械及び人工知能(AI)を接続したブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)の開発が盛んになり機械の身体化(モノが人になる)、身体の機械化(人がモノになる)が進んでいますので、そのような現代の時代性を音楽的に表現した作品と言えそうです。舞台には3つのフロアタムが置かれて3人の打楽器奏者が登場しますが、冒頭、フロアタムのバターヘッドの上にハンカチで曲名の「のの字」を書きます。パンフレットに曲名の意味に関する改題がなく想像の域を出ませんが、連体助詞「の」は2つの名詞を結び付ける機能を持ちますので、上述のテーマを抽象的に表現したものではないかと思われます。その後、フープのテンションボトルをカタカタと鳴らしたり、ボトムヘッドを顔に押し当てカサカサと音を出したり、通常のフロアタムの演奏では聴くことがない音を発しながら楽器を解体し、シェルの中に頭を入れてフロアタムの内側から様々な音を発することで人とモノの境界を越えて行こうとする不思議な作品です。過去のブログ記事でも触れたとおり、近年では有機的生命体の細胞構造に囚われることなく人工知能(AI)等から無機的生命体を創り出す「人工生命」(Alife)という研究分野が注目を集めていますが、人間の身体機能の拡張と無機的生命体との関係性について考えさせられる作品です。
 
③Dro
この曲には世界的に有名なスウェーデンのリセベリ遊園地に行ってジェットコースター「ヴァルキュリア」に乗りたい旨の短い解説が付されていますが、この曲趣とどのような関係にあるのかは明瞭ではなく、それが聴衆のイマジネーションを誘う効果を生んでいるようにも感じられます。プログラムに図形楽譜(イラストと説明文が付されたスクリプト)の一部が抜粋されており、打楽器奏者が横置きにしたバスドラムにゆっくりと歩み寄ってそのフロントヘッドに豆を注ぎ入れたら足早に離れ、再び別の豆を持ってバスドラムに歩み寄るという指示が記されていていますが、さながらジェットコースターで繰り返される緩急の運動(エネルギーの集積と解放で作られる世界)を抽象的に表現しているようで興味深かったです。フロアタムの上に棒ささらを立て擦る又は叩く、フロアタムの上に皿を置いて叩く、フロアタムの上に金属で出来た球状の縦格子を置いて撫でる、ヴァイオリンの絃を縦方向に擦る又は弦を押さえる左手の上を弓で擦る、リコーダーのヘッド部分を吹くなど様々な音を生み出していますが、遊園地又は日常の喧騒(音環境)を構成する1つ1つの音にフォーカスし、その音のイメージを表現したものかもしれません。
 
④奇妙な秋
この曲はヴィーラント・ホーバンの2つの言語で書かれた詩に着想を得て創作されたものですが、原詩(通常は奇数面側)と訳詩(通常は偶数面側)という異質な世界がページの継ぎ目でつなげられ、それが読書を超越した1つの世界観を提示しており、それらを切り離して読書の世界へ引き戻そうとしても原詩又は訳詩の喪失による不確実性の状態が現れるという趣旨の解説と共に「私たちが存在と呼ぶ難問の内側に入り込むことに成功」という意味深長なコメントが付されています。これは、量子力学の「状態の重ね合わせ」と「不確実性原理」の世界観を表現したものではないかと個人的には解釈しています。英語と日本語による詩の朗読(実演と録音)が重なり合いながらその言葉が持つ意味という属性を失い、それはカサカサと音を立てる紙(異質な世界をつなぐ場)の変化によっても表現されているようです。やがてその詩の朗読と紙の変化は収束して長い沈黙が訪れますが、さながらジョン・ケージの4分33秒を彷彿とさせる不確実性の世界が表現されているようです。再び、その詩の朗読と紙の変化が再現されますが、2つの言語で書かれた詩から「波と粒子の二面性」という全ての存在(物質とエネルギー)の本質に迫る表現のように感じられ、非常に興味深い作品でした。
 
⑤境界線
この曲には解説が付されていませんが、寧ろ、様々な解釈を許容する懐の広い作品ということなのかもしれません。植木鉢の淵を指で撫でる、植木鉢を机の上で回す、長い針金で鉄、木や植木鉢を擦る、長い針金に五円玉を通して落とす、ヴァイオリンの弓を弦に置いて撫でるなど、様々な摩擦音をマイクで収音して聴かせる作品です。この点、過去のブログ記事で触れましたが、摩擦音は物体と物体が擦れ合うことで振動(電子の反発)を発生し、その振動が「空気」を伝わって人間の聴覚で知覚されると、その振動が電気信号に変換されて脳に伝わり「音」を認知(即ち、脳内で「音」を作り出)しています。摩擦音は物体と物体の境界(厳密には気体の境界を含む)で発生するものであり、それよって異質な物体の存在を区別するプロセスであると同時に、それは境界を接する物体同士が結合するアプローチであると言えるかもしれません。お互いが触れ合うことでお互いの違いを認識し、1つに調和するプロセスが始まるという意味でコミュニケーションの本質について考えさせられる作品です。なお、全ての物質やエネルギーは量子からできていると考えらえていますが、物体を伝わる音はフォノン(粒子)であると考えられておりその研究が進められています。因みに、過去のブログ記事で触れましたが、植物は「土壌」を伝わる振動を知覚してコミュニケーションをとっており、低周波の振動が植物の生育に良い影響を与えることから音響農学に活かされています。
 
⑥ハロー
この曲は作曲家が自宅のリビングで撮影したジェスチャーや文字(HALLO、JAZZ、AND、※)等から構成される映像を投影し、それを演奏者が解釈して演奏する映像楽譜を兼ねたオーディオビジュアル作品です。JAZZの即興性やポスト・クラシカルのビジュアル性等を採り入れ、作曲家の演奏的な行為、演奏家の作曲的な行為が呼応しながら1つの世界観を描くユニークな内容になっており、芸術表現の来し方行く末を考えさせられる面白い作品でした。前回のブログ記事でも触れましたが、現在のクラシック音楽界の行き詰まりは作曲家と演奏家を分離し、楽譜至上主義という呪縛(近代主義的な硬直化した価値観)に囚われて新しい芸術表現を顧みない体質に陥り芸術表現の幅を狭めたことに原因の1つがあるのではないかと感じます。同じことは、世阿弥や金春善竹の名作ばかりを上演して新作能に挑戦する機運(世阿弥曰く「能の本を書く事 この道の命なり」)が余り感じられない能楽界にも言えるのではないかと感じます。映画「犬王」を観ながら、某人間国宝の「「伝承」とは昔から伝えられてきたことをきちんと守ることですが、「伝統」とはその時代の人間が最も新しい事にチャレンジしてきた連続であって、伝統とは革新です。」という言葉が持つ重みを感じたことを思い出しますが、若手の現代作曲家や現代音楽と聴衆の橋渡しに貢献している若手の演奏家の活躍と共に、「伝統」をアップデートする若手の能楽師の挑戦に期待したいです。
 
▼Cabinet of Curiosities 2022「New Musical Atlas」
【演目】①ウィリバルト・モーター・ランドスケープ(2012年)
      <作曲>エイヴィン・トルヴン
    ②ほとんどト調の(2016年)
      <作曲>クリスティアン・ヴィンター・クリステンセン
    ③ベルリンのジョン・ホワイト(2003年)
      <作曲>ローレンス・クレイン
    ④自己実験、他者(2013年)
      <作曲>マルティン・シュットラー
    ⑤形(2012年)
      <作曲>エリック・バブルズ
【演奏】<Con>馬場武蔵
    <Sop>太田真紀
    <Fl>齋藤志野
    <Cl>キュサン・ジョン
    <Per>沓名大地
    <Pf>大瀧拓哉
    <Gt>山田岳
    <Vn>松岡麻衣子
    <Vc>下島万乃
    <El>佐原洸
【司会】宗像礼、森紀明、渡辺裕紀子、小出稚子ほか
【会場】ドイツ文化会館
【日時】12月25日(日)17時~(オンライン配信12月30日(金)~)
【一言感想】
上述のとおり2日間の公演で非常に演目数が多いので、紙片の都合から12月24日公演の感想のみを残しておきたいと思いますが、12月25日公演の演目と演奏家を記録として残しておきたいと思います。現状、現代音楽と聴衆の橋渡しをしてくれる演奏家やメディアの数は非常に少なく、現代音楽と聴衆が出会う機会は極めて限られているのが現状であり、それが現代音楽の晩婚化傾向を深刻なものにしている状況を歯痒く感じます。政府の少子化対策と同じく新しい芸術文化を育む対策も必要であり、例えば、文化庁が音頭をとって現代音楽のアーカイブ配信動画等をアップし(海外ではコンテンポラリー作品のアーカイブコレクションを提供しているWebサイト等があります。)、いつでも聴衆が有料又は無料で視聴できるプラットフォーム(現代作曲家やその演奏家にお金が落ちる仕組み)を提供するなど、単に助成金をバラ撒くのではなく将来につながる支援の形態等も検討して良いのではないかと感じます。
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.14
シリーズ「現代を聴く」では、1980年以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代作曲家又は現代音楽と聴衆の橋渡しに貢献している若手の演奏家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼ジョン・アダムズのピアノ協奏曲「悪魔は全ての名曲を手にしなければならないのか?」(2018年)
アメリカ人の現代作曲家のジョン・アダムズ(1947年~)は、ポスト・ミニマリズムの巨匠でピューリッツァー賞(2003年)を受賞するなど著名な現代作曲家です。この曲は、ロサンゼルス・フィルハーモニックの委嘱作品によりピアニストのユジャ・ワン(1987年~)のために作曲されたものですが、2022年12月22日にBPOのデジタルコンサートホールでも配信されて話題になっています。ユジャ・ワンは現代音楽のレパトリーが多く積極的に演奏会で採り上げているので、今後も目が離せません。
 
▼アダム・シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲「霧の果樹園」(2018年)
アメリカ人の現代作曲家のアダム・シェーンベルク(1980年~)は、吹奏楽の作曲で定評があり、グラミー賞に2度のノミネート経験があるなど最も注目されている俊英です。この動画は、2018年にこの曲が世界初演された際の映像ですが、冒頭からヴァイオリン独奏のアン・アキコ・マイヤーズによる繊細で肌理細やかな情感表出が瑞々しく響き、サミール・パテル指揮@サンディエゴ交響楽団がヴァイオリン独奏に豊かな彩りを添える好サポートで、早速、この曲の決定版とも言えるような好演を聴かせてくれています。
 
▼髙木日向子のオーボエとアンサンブルのための「瞬間(L'instant)」(2019年)
日本人の現代作曲家の髙木日向子(1989年~)は、2019年にジュネーブ国際コンクール作曲部門で優勝して大変に話題になりましたので、改めて採り上げるまでもなく世界的に著名な現代作曲家です。この動画は、高木日向子がジュネーブ国際コンクールで優勝した際の映像ですが、画家・高島野十郎作「蝋燭」からインスピレーションを受けて作曲された曲です。次回のブログ記事で2022年にジュネーブ国際コンクールで第2位を受賞した中橋由紀を採り上げる予定ですが、最近、日本の若手現代作曲家の躍進が目覚ましいです。