【題名】クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス「フランク “ヴァイオリンソナタ”」
【放送】NHK−BSプレミアム
平成24年2月22日(土)18時00分〜18時45分
【司会】筧利夫
黒川芽以
伊達暁
【出演】野平一郎(ピアニスト)
【演奏】千住真理子(ヴァイオリニスト)
藤井一興(ピアニスト)
【感想】
最近、ハイレゾ音源をアップしている音楽ダウンロードサイトが増えてデジタルコンテンツの音質が格段に良くなってきたことから(CDを上回る音質!)、インターネットを使って音楽コンテンツをダウンロードし視聴してみようかと、遅ればせながらネットワークオーディオを購入することにしました。
どんなに高価なオーディオ機器を揃えても生演奏に勝る音質、音場は得られませんし、過去の巨匠の演奏家よりも現役の演奏家の息吹を感じていたいタイプの人間ではありますが、iPhone(ソフトバンク)がサクサクつながるのを奇貨として、インターネット(NAXOS Music Library、e-onkyo music、HQM STORE等)からダウンロードした音楽やBS(NHK-BS、WOWOW等)・CS(CLASSICA JAPAN等)で録画した映像を自宅のネットワークHDD(NAS)やパソコン(iTune)に貯めておいて、外出先からはiPhone(ソフトバンク)を使ってネットワークHDDやパソコンにアクセスし好きな音楽や映像を引っ張りして視聴したり、家に帰ったらネットワークオーディオからネットワークHDDやパソコンにアクセスし良い音で音楽や映像を視聴することが可能になり大変に快適になりました。また、これまではパソコンでインターネットラジオを聴いていましたが、ネットワークオーディオから直接にインターネットラジオを聴くことができるようになり音質が劇的に改善し、かなり満足度は高いです。さらに、“Air play”を使ってiPhone(ソフトバンク)に保存している音源もWi-Fiを経由してネットワークオーディオで簡単に再生できるので、大変に重宝しています。いつでも、どこでもメディア間でシームレスに良質のコンテンツを視聴することができるようになり、マルチメディアというものがどのようなものなのか体感できる環境が実現し、些か興奮しています。なお、CLASSICA JAPANの画質に不満を感じている方は、NTTのひかりTV経由で視聴するとアダプターを介する必要がないので画質が格段に改善します。
種類 | 周波数 | ビット | 情報量 | データ容量 |
---|---|---|---|---|
PCM(CD音質) | 44.1KHz | 16bit | 705.6Kbps | 1.0倍 |
PCM(ハイレゾ) | 96KHz | 24bit | 2304Kbps | 3.3倍 |
PCM(ハイレゾ) | 192KHz | 24bit | 2304Kbps | 6.5倍 |
DSD64(SACD音質) | 2.8224MHzz | 1bit | 2822.4Kbps | 4.0倍 |
■ e-onkyo
http://music.e-onkyo.com/
■ HQM STORE
http://hqm-store.com/store/whatsnew.php
■ HDtracks
https://www.hdtracks.com/index.php
■ LINN Records
http://www.linnrecords.com/
■ DG SHOP(ドイツグラムフォン)
http://www.deutschegrammophon.com/jp/cat/
■ CHANNEL CLASSICS
http://www.channelclassics.com/
■ NAXOS Music Library
http://ml.naxos.jp/※ハイレゾ音源を体験!ネットワークオーディオを持っていない方、自宅のパソコンのしょぼ〜いスピーカーでも違いは分かるはず。
http://music.e-onkyo.com/goods/detail.asp?goods_id=nsm0396
そういえば、今日のYahoo!ニュースで「音楽配信、聴き放題サービス続出のワケ」という記事が掲載されていましたが、この数年で音楽を流通させるメディアとしてのCDが終焉を迎え、新しいメディアとしてインターネットが本格的に台頭してきたと思います。ここで留意しなければいけないと思っているのは、定額聴き放題サービスの普及によって音楽の対価が不当に引き下げられ、演奏家の収入が激減している状況が生まれつつあることです。違法ダウンロードを立法化した著作権法改正の際にも議論になりましたが、僕はコンテンツは流通してこそ価値が生まれるものであり、違法ダウンロードの対策は流通を抑制する方向ではなく流通を促進することを前提として、その適正な対価が創作者に入る仕組み(課金・徴収・分配の仕組み、適正な対価を決定する仕組み)を検討すべきではないかと考えています。その意味で、音楽ダウンロードサイトの普及はコンテンツの流通をより一層促進する新しいメディアとして歓迎されるべきですが、その適正な対価が確保される仕組みは担保されるべきではないかと思っています。定額聴き放題サービスの行き過ぎによってコンテンツがタダ同然に消費され、それが創作意欲や創作環境を破壊してしまうような事態にならないか懸念しています。芸術は製造ではなく創作であり、効率ではなく追求であって、過度な商業主義的発想が芸術をダメにしてしまうような気がして心配です。ユーザーとしては、できるだけ廉価にコンテンツを利用できるに越したことはありませんが、そのために大量消費されることを前提とした刹那的な流行風俗ばかりが跋扈して、歴史の風雪に耐えて次世代へと受け継がれて行くような真の芸術と言えるものが育まれ難い状況が生まれてしまうことは全く歓迎しませんし、最も憂うべき状況だと思います。日本では無体物(目に見えないもの)に金を払いたがらない風潮が根強く残っていると思いますが、我々ユーザーの意識として「良いものを見抜く耳目」と「良いものには適正な対価を支払う分別」が欠かせないと思っていますし、音楽ダウンロードサイトの運営者も「良いものには適正な対価を支払わせるという見識(ユーザーへの啓蒙を含む)」を持ち、徒に過当な価格競争に陥るのではなく、質の高いマーケットを破壊せず育んで言って貰いたいと切に願っています。
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130303-00013083-toyo-nb
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20130213/1047456/
さて、先週辺りから花粉症が本格的に発症し、目も鼻もグジュグジュになってきて外出が侭ならないので、かなり以前に録り貯めておいた名曲探偵アマデウスの録画を観てみることにしました。「あなたが一番好きなヴァイオリンソナタは?」と聞かれて「フランクのヴァイオリンソナタ」と答える人も少なくないと思いますが、現代のヴァイオリンリサイタルの花形演目にして聖なる神秘性と言われる美しい旋律と循環形式による統一感からヴァイオリンソナタの最高傑作と言っても過言ではないフランクのヴァイオリンソナタが採り上げられました。
【楽譜】
http://erato.uvt.nl/files/imglnks/usimg/d/d6/IMSLP11636-Franck_-_Violin_Sonata.pdf
この曲はフランクが64歳の晩年に完成した傑作で、第一楽章の主題旋律が第二楽章、第三楽章及び第四楽章で変形され使用されることで(循環形式)、(楽章毎に新しい主題、キャラクターが登場する曲と比べて)楽曲間が有機的に関係付けられ、楽曲全体の統一感を齎すという効果を生んでおり、この点がこの曲の最も特徴であり、魅力だと思います。
第2楽章 中間部分に第一楽章の主題が若干変形して登場
第3楽章 第一楽章の主題の手さぐり状態よりも夢心地な雰囲気を醸し出すように変形
第4楽章 第一楽章の主題が跳ねるような感じで変形
第1楽章前奏部は波間を漂っているような不思議な雰囲気を持っていますが、これは9小節目までイ長調の主和音(ラ−♯ド−シの協和音)がなかなか出て来ないためで、それまでは属九の和音(不協和)が連続するために浮遊感を齎すことによるものです。しかもヴァイオリンが主題の演奏を始めても主和音が出てくるのは9小節の一瞬だけで、イ長調→嬰ハ長調→ホ長調と次々に転調が繰り返されるため、極めて調性が曖昧で不思議な曲調が醸し出されています。
第2楽章は千住真理子さんの言葉を借りれば「激しく心が蠢いている」ような印象を与えますが、これは第2楽章の4小節目(楽譜に小節番号がふられていないので、各楽章毎で小節数をカウントしています。)以降の重要な部分に一泊目(強迫)がなく(休符が置かれ)、シンコペーションによって切迫感、激しさが表され、また、半音階による苦しみのような旋律が用いられています。そう言えば、大バッハも「嘆きのモチーフ」として半音階を使い、嘆息、不安を表現している曲が沢山あります。一例として、J.S.バッハ「最愛の兄の旅立ちに寄せるかプリッチョ」変ロ長調BWV992より第3番をお聴きあれ。
第3楽章は、“レチタティーボ・ファンタジア”というタイトルが付されていますが、これは「語り+自由な形式で」という意味で、オペラチックな楽章です。前半はヴァイオリンとピアノの語り合うによって演奏者が自由に表現する部分で、フレーズの終わり毎にフェルマータ(一時停止)が多用され(第3楽章の10小節目〜)、演奏者に自然な「間」を表現してほしいというフランクの意図が隠されています。日本の伝統音楽(邦楽)で言うところの「見計らい」(相手の間合いを感じながら応答する)に相当し、お互いの感性だけが対話の基準になる心の中での対話が必要とされるもので(その意味ではジャズのようにスリリングな部分)、演奏者の多様な能力(音楽的な感性や閃き)を必要とする面白い楽章でもあります。後半ではオペラのアリア(詠唱)に相当する部分で、さざなみのようなピアノの分散和音のなかをヴァイオリンが悲しげな旋律を滔々と歌い上げていきます。
第4楽章は、ヴァイオリンとピアノが同じ旋律を追い駆けあいながら交互に歩みを進めるているようなカノンが展開されますが(第4楽章の149小説目〜)、これまでの迷いや不安が消えて晴れやかな音楽が最後に表れます。これは「私はここに心のすべてを込めました」というフランクの言葉にも表れているとおり、大器晩成の作曲家フランクの人生に重なります。フランクはベルギーで生まれて音楽家を志しますが、演奏会は不況でオペラを書いても劇場から上演を拒否される(当時、オペラの失敗は作曲家としての成功を絶たれるに等しい)始末で挫折の連続でした。1858年、敬虔なカトリックであったフランク(36歳)は聖クロティルド教会のオルガにストに就任しますが、その後、60代になってから次々と傑作(交響的変奏曲(1885)、前奏曲アリアと終曲(1887)、交響曲ニ短調(1888)、弦楽四重奏曲二長調(1890)、3曲のコラール(1890))を生み出していきますが、終曲の一気に上り詰めて行く高揚感はフランクの充実した晩年と高潔な人柄を象徴するようです。
◆フランク ヴァイオリンソナタより抜粋。名曲探偵アマデウスの番組後半に放映される演奏の映像がYou Tubeにアップされていたのでご参考までにアップしておきます。
◆フランクのヴァイオリンソナタ第1楽章のピアノソロ版
◆フランク尽し
※フランク永井まで脱線してみるのはやめました..(ノ_<)