ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)

極上美の饗宴 シリーズ琳派・華麗なる革命(2)黒い水流の謎〜尾形光琳「紅白梅図屏風」

【題名】極上美の饗宴 シリーズ琳派・華麗なる革命(2)黒い水流の謎〜尾形光琳紅白梅図屏風
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成24年12月19日(木)21時00分〜21時58分
【出演】日本画家 森山知己
    グラフィックデザイナー 佐藤卓
【感想】
今日は小春日和で厚手の上着を着ていると汗ばむほどですが、千葉県の青葉の森公園にある関東有数の梅園(35品種、1000本)へ花見に行ってきました。早咲きの梅、遅咲きの梅と色々ありますが、今朝の時点では七、八分咲きといったところでしょうか。今週末から来週末にかけて見頃だと思います。来週末のご予定がない方は、お弁当を持って千葉県の青葉の森公園で観梅はいかが。


一番左の写真が僕が一番好きな梅木「緋の袴」
http://www.rurubu.com/season/winter/ume/detail.aspx?SozaiNo=120007


家の近所の夜梅。満開です。

梅の木は3月の花見に加え、6月に熟す果実を干す、煮る、漬けるなどして食用として2度楽しむことができます。今から約500年前、時の天皇が日照り続きによる不作を憂い6月6日に賀茂神社に梅を奉納したところ天恵の雨が降り、その天恵の雨のことを「梅雨」と呼んで感謝し、6月6日を「雨の日」として記念したという言い伝えが残されています。現代では「花」と言えば「桜」のことを想起する方が多いと思いますが、これは鎌倉時代以降になってからのことで、奈良時代以前には「花」と言えば「梅」のことをさしていたようです。「万葉集」(奈良時代)の和歌では花(季語)と言えば「梅」をさすものが多いですが、「古今和歌集」(平安時代)の和歌では花(季語)と言えば梅や桜など季節の花々をさすようになります。同時代に書かれた世阿弥の「二曲三体人形図」では「花」(心より心に伝える花)を説きながら世阿弥の自筆で梅の花の挿絵(ウマヘタというより絵心はなかったようです..笑)が添えられていますが、天女の挿絵のみ桜の花が描かれており、この頃から桜の花に特別な感慨を持つようになって行ったのかもしれません。そして、「新古今和歌集」(鎌倉時代)の和歌になると花(季語)と言えば「桜」をさすという意識が定着していったようです。…とは言え、梅は「春を告げる花」として日本人に愛され続け、家紋にも梅をモチーフとしたデザインが多く、尾形光琳紅白梅図屏風」や能「東北(とうぼく)」「箙(えびら)」などの芸術作品に昇華し鑑賞されています。また、現代では梅の和菓子(青梅吉野梅郷の吉川英字記念館近くにある梅菓子処「紅梅苑」の梅の風味を生かした和菓子が有名。)や梅の組香(「飛梅伝説」として知られている菅原道真の和歌の世界を表現した梅栄堂のお香「飛び梅」が有名。尤も、組香とはあるストーリーを数種類の香りで表現するものなので、飛び梅を組香と言ってしまうのは不正確かもしれませんが。)など梅の香りの楽しみ方も多彩になっています。

◆和歌
春の野に 鳴くやうぐひす なつけむと わが家の園に 梅が花咲く(算師志氏大道/万葉集
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ(菅原道真拾遺和歌集

世阿弥「二曲三体人形図」の挿絵

上段の一番左と下段の一番右の挿絵が天女で桜の花が添えられています。それ以外はすべて梅の花が描かれています。

◆絵画

尾形光琳紅白梅図屏風」(国宝)

さて、梅と言えば、すぐに尾形光琳紅白梅図屏風を思い浮かべる方が多いのではないかと思いますが、昨年、極上美の饗宴で琳派を特集した番組を録り溜めていたので、その概要を簡単に残しておきたいと思います。ご案内のとおり琳派俵屋宗達が興し、宗達尾形光琳が受け継ぎ、光琳酒井抱一が受け継いで、桃山時代から近代まで活躍した流派で、装飾美(金や銀を駆使した華麗な装飾美)、躍動美(絵が連なりリズムに溢れる躍動美)及びデザイン美(自然や生き物の本質を捉えたデザイン美)を特徴としています。紅白梅図屏風尾形光琳の最晩年の作で、自らの画業の集大成として描いた作品です。向って右側に描かれている紅梅は苔むした幹に真っ直ぐに小枝が伸び、まだ早春なのか赤い花がチラホラと咲きだしています。それと対するように向って左側に描かれている白梅はVの字に折れ曲がった枝は川に掛り、可憐な白い花が綻んでいます。そして、この絵(屏風)の中央に大きな川がゆったりと流れていますが、これがこの作品を真に独創的なものにしています。リアルな紅白梅とデザイン化された水流が見事に調和しているデザイン美の最高傑作と言えましょう。大胆に絵の中央を流れる黒々とした水流はデザイン文様に覆われていますが、ロッテのクールミントガムのペンギンのデザインなどで有名なグラフィックデザイナーの佐藤卓さんは「1960年代に流行したサイケ調のグラフィックに近く、ファンキーで躍動的」と評したうえで、太い線、細い線、少し太い線とリズミカルに線が配列され、水流のデザイン(大胆さ)とリアルな白梅(緻密さ)が交わっているところに面白さがあり、大胆さがあるから緻密さが際立ち、緻密さがあるから大胆さが際立つという良い緊張感を生んでいると感想を述べられていました。水流はデザインを作って行く構成力及び白梅を絵画を描く描写力の異なった能力が求められていますが、デザインと絵画という異なるモードを巧みに切り替え、見事に融合しています。光琳の絵をデザインとして見る視点を持つと同じ絵でも違ったものが見えてきます。

ロッテ クールミントガム 9枚×15個

ロッテ クールミントガム 9枚×15個

尾形光琳の大胆なデザイン感覚は生い立ちにあります。元禄時代に皇室や将軍家のお召し物を扱う京都随一の呉服商、雁金屋は当時のファッションの最先端を行く大胆なデザインを採用していましたが、光琳はこの雁金屋に生まれ、光琳の幼少期から使われていた雁金屋衣装図案帳には光琳の絵のモチーフとなったであろう草花の図案、梅の図案、燕子花の図案などが収められており、光琳初期の代表作である燕子花図屏風はこの燕子花の図案が参考にされていることが分かります。この絵には緑一色と群青色の濃淡を付けた花が描かれていますが、僅か2つの絵の具だけで描かれています。良く似た形をしていながら1つ1つ微妙に異なる燕子花がリズムを奏でるように連なり、着物文様を絵画の美に高めた光琳のデザイン感覚の真骨頂と言える構図です。


尾形光琳「燕子花図屏風」(国宝)


自宅の近所の燕子花

雁金屋衣装図案帳には水流の文様も収められており、紅白梅図屏風もこの水流の図案が参考にされていることが分かります。また、「流水図乱箱」には鈍い光を放ちながらたゆたう水の流れが面の広がりとして表現されており、「流水図広蓋」には様々にくねる線を加えて水の流れが表されているおり、長年の試行錯誤の末に紅白杯図の水流の文様が生み出されていった奇跡が伺えます。では、何故、水流は黒く描かれたのか?これには以下のとおり二説が存在していました。

第一説:
黄色い紙の地の上に水流の線の部分を型紙で覆い、炭を塗る。炭が乾いたところで、水流の線の部分の型紙を取ると、水流の線の部分のみが黄色で、それ以外のところは炭で黒くなる。その後、歴史を経て、黄色い水流の線の部分が茶色に劣化して今日のような状態になった。

第二説:
銀箔の上から膠水で水流の線の部分を描き、水流全体に硫黄の粉末を掛ける。膠水で描いた部分(水流の線の部分)以外は銀箔が黒く変色し(硫化銀)、膠水の部分は銀色のまま残る。その後、歴史を経て、銀色が抜け落ちて茶色く変色した。

今回番組で紅白梅図屏風の表面に付着している粒子の成分を検討したところ、どうやら第二説に従って紅日本画家の森山知己さんが紅白梅図屏風を模写し、上記の第二説の方法に、膠水ではなく礬水を使って実験したところ、第二説に従って描かれていたことが判明しました。番組の中で、日本画家の森山知己さんが第二説に従って紅白梅図屏風を模写しましたが、このときは膠水ではなく礬水が使われていました。水流のシャープなエッジを再現するにあたっては、膠水ではなく礬水が適していたようで、実際に光琳も礬水を使用していた可能性が高いとされています。次に、何故、水流を青ではなく黒く描いたのか。これは能の影響が指摘されていたのが興味深かったです。梅を題材した能「東北」では、僧(ワキ)が東北院の軒端の梅を眺めていると、その梅木を手植えした和泉式部の霊が顕在して和歌の徳、仏法の有難さを説いて舞を舞い、色恋に馴染んだ昔を恥じらい消え失せますが、その夜のイメージ(後場にシテ(霊)が登場するのは決まって夜、僧の夢の中)が黒い水流のイメージに繋がっていったのではないかという推論が展開されていました。軒端の梅は早春の梅であり、上述のとおり早春を描いた紅白梅図屏風の季節感と一致しますので、あるいは光琳の脳裏には能「東北」の舞台があったのかもしれません。そう思って改めて紅白梅図屏風を見ていると、色々な物語が見えてくるようですし、デザイン化された黒い水流も唯の川ではなくあの世とこの世を繋ぐ臍の尾(単なる文様ではなく思想のデザインとでも言うべきもの)のようにも見えてきて興味が尽きません。なお、余談ですが、和泉式部日記を読むと床上手だった和泉式部の武勇伝が赤裸々に語られていて面白いです。そのうえ男遊びが原因で二度も離婚されている豪傑でもあります。学校では情操教育によろしくないという理由なのかこういうことは教えてくれませんが、源氏物語に描かれている世界が平安貴族の実像と勘違いしてはいけません。


京都市左京区の東北院にある軒端の梅

尾形光琳琳派創始者である俵屋宗達を敬愛し、その技を身に着けようと俵屋宗達風神雷神図屏風」をはじめとして沢山の作品を模写しました。そして、宗達を乗り越えようとして書いたのが紅白梅図屏風で、紅梅図屏風は風神雷神図屏風の化身と言える作品です。この2つを対比してみると、風神雷神図屏風が「天」(風神と雷神の間に広がるのは天空で、何も描かれず奥へ抜けていく三次元的空間)を描写しているのに対し、紅白梅図屏風は「地」(紅梅と白梅の間に水流を置き、白梅と紅梅を結びつける吸引力のある構成)を描写しています。紅梅と白梅を対置させた紅白梅図屏風の構図は、宗達との格闘のうえに生み出された構図と言えるかもしれません。模倣は創造の母と言いますが、日本文化は先人を模倣することが表現の第一歩であり、それが日本文化の承継システムになってきましたが、明治以後の近代化の流れのなかで他人の真似をすることは良くないことであるという風潮が生まれ、日本文化の想像力の源泉が衰退してきているように思われます(文明は開化し、文化は衰退する)。それに輪を掛けているのが著作権法で、著作権法は創造者の権利を守るという錦の御旗を掲げていますが、その反面、文化に経済原理(的な価値観)を持ち込んで雁字搦めにしてしまっているように思えてなりません。


上から俵屋宗達風神雷神図屏風」(1624年?)、尾形光琳風神雷神図屏風」(1710年)、酒井抱一風神雷神図屏風」(1821年)

◆おまけ
春を寿ぎ...