大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用、拡散などは固くお断りします。※※

クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス「R.シュトラウス “ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら”」

【題名】クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス「R.シュトラウスティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら”」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成23年12月15日(木)00時00分〜00時45分
【司会】筧利夫
    黒川芽以
    井川遥
    小柴亮太
【出演】今井仁志(NHK交響楽団 ホルン奏者)
    松本健司(NHK交響楽団 クラリネット奏者)
    広瀬大介(音楽評論家)
    野本由紀夫(玉川大学芸術学部メディア・アーツ学科准教授)
【演奏】NHK交響楽団
    <指揮>モーシェ・アツモン
【感想】
今日は2月22日(にゃんにゃんにゃん)で猫の日ですが、猫にちなんで名曲探偵アマデウスを視聴することにしました。なお、この番組の一部が本になって出版されていますが、楽曲解説の本は出版されていても、意外とアナリーゼ(楽曲解説)を採り上げた本はなく、楽譜を丹念に読み込んでいる暇のない社会人にとってこの番組は大変に役に立つ内容です。

今日は僕が最も不得手とする作曲家、R.シュトラウス交響詩ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(1895年)が採り上げられました。この作品はR.シュトラウスがオーケストラで表現できないものはないとまで豪語し世に放った出世作で、伝説的ないたずら者の冒険劇を描いたドイルの有名な民話をユーモアたっぷりに音楽で表現した作品です。

【楽譜】
http://imslp.org/wiki/Special:ImagefromIndex/19118

総譜1ページの上から四段目(Ⅰ.Horn(in F.)と記載されている段)は、この曲の全楽章に亘って繰り返し登場する主人公ティルの主題です。ここは8分の6拍子ですが、ティルの主題は最初が8分休符から始まり7拍で構成されている為、聴く者は拍子がズレているように感じられ、この部分を聴くと何拍子だか分からない不思議な印象を受けますが、これはティルの決まったことに捉われない自由な性格を表しています。また、クラリネットには一般的に使用されるB管(変ロ調管)だけではなくD管(二調管)も使用され、D管の高らかな笑い声に聴こえるコミカルな音色でティルの明るくおどけた感じを表現しています。このようにリズムや楽器の特性を生かすことで、ティルの性格を音楽的に描写しています。このティルの主題はメタモルフォーゼ(テンポを変え、楽器を変え、音量を変え、様々に主題を変容)しながら展開していきます。

◆ Episode 1 〜 市場でのいたずら(総譜14ページ〜)
ティルが馬に乗って市場に突っ込み人々を混乱させるアクションシーンです。駆け上がるクラリネットは市場に馬が乱入する場面を表現し、ガタガタ(ラチェット)を振って市場の騒乱状態を表しています。ティルの2つ目の主題が集まってできる木管のリズムでティルの高笑いを表現し、上下する弦楽器の音型は大混乱の人々を描写しています(総譜15〜16ページ)。総譜16ページ最後の全休符でティルがどこかへ消えてしまったことを表しています。このように楽譜を観るだけで物語の筋が見えてくるような優れた作曲を行っています。

◆ Episode 2 〜 いたずら、ティルの恋愛
美女に言い寄るために騎士に変身する求愛の場面です。クラリネットが奏でる主題がオーボエ、フルート、ヴァイオリンに受け継がれて行きますが、楽器の変化で騎士への変身を表現しています。総譜22ページの上から18段目(ViolⅠと記載されている段)に“Liebe gluhend”(愛に燃えて)という発想記号が登場し、ヴァイオリンはポルタメント奏法を使って甘え声のような音色を奏でて求愛している様子を描いています。ティルは熱烈に求愛しますが、ティンパニーの肘鉄(総譜23ページでクレシェンドしていきます)によって女性がティルを拒絶していることが表され、愛に破れたティルの怒りを金管楽器(総譜25ページ〜)が表現しています。クラリネットのティル主題が拡大変容し、増幅したティルの怒りが表現されていますが、これによりいたずらに見えたティルの恋はピュアな愛情感情だったことが伺えます。

◆ Episode 3 〜 僧侶に化けて嘘の説教
僧侶のメロディーはホルンによる1つ目のティル主題の変容です。すごく変容していることで、ティルの巧妙な変身を表現しています。

◆ Episode 4 〜 学者を難題で困らせ、大論争の末に喧嘩になってしまうシーン
この場面でシュトラウスは「カノン」という作曲技法(複数の声部が同じメロディーを模倣し追かける技法)を使っていますが、このカノンは理論的な作曲技法とされ、「理屈っぽさ」を表現しています。この曲の標題になっている“オイレン”はフクロウ(知恵の象徴)を意味し、“シュピーゲル”は鏡を意味していますが、ティルは人間のエゴや醜さを映す鏡の象徴として描かれていることが伺えます。一方、この前の場面に出て来る僧侶は宗教的権威、この場面に出て行く学者は世俗的権威を意味し、それらの権威に対してティルが次々といたずらを仕掛けていきます。ここにはR.シュトラウス自身の社会に向けた批判やメッセージが込められており、当時の流動性がない閉塞感のある社会に“ティル”を放り込んで引っ掻き回したい≒自分も新しい何かを生み出す原動力でありたいというシュトラウスの願望がティルに化体していると言えるかもしれません。

◆ Episode 5 〜 ティルの断罪と死刑
裁判にかけられてもティルはおどけて見せていますが、裁判官の激しい叱責は続き、次第にティルの表情が恐怖に歪んで行きます。最終的に下された判決は金管楽器の長七度の下降音形で「死」を暗示し、小クラリネットは最高音まで上昇してティルの「死の絶叫」を表現しています。この長七度の音形は、冒頭でクラリネットが奏でるティル主題に含まれていたものであり、初めから結末への伏線がティルの主題に組み込まれていたことになります。

◆ エピローグ
冒頭の旋律に回帰します。この曲はロンド形式(ABACABA)で書かれていますが、これはソナタ形式(提示部→展開部(主題の発展)→再現部→結尾部(主題の発展))が内包している“成長”“発展”という上昇志向に対してシュトラウスが違和感、疑念を抱いていたことが伺え、敢えて、交響詩の形式としてロンド形式を選んだのは、それまでの音楽であるソナタ形式に対するアンチテーゼであったとも解されます。この背景にはR.シュトラウスがこの曲の前に作曲した英雄伝説を題材とした初のオペラ作品である歌劇「グントラム」(1893年)が大失敗し、批評家の辛辣な非難を浴びて深い挫折を味わったことがあります。R.シュトラウスが再起を掛けて選んだ題材は親しみのあるキャラクターがユーモラスに活躍するティルでした。ティルをR.シュトラウス自身の自画像として描いており、自分自身をテーマにした作品と言えます。英雄の生涯家庭交響曲もR.シュトラウス自身の自画像として作曲し、音楽による自画像の価値を認めない旧来の価値観に真っ向から立ち向かっています。R.シュトラウスが音楽で自画像を描くというユーモラスで実験的な企みはティルから始まったと言えるかもしれません。

“なぜ私自身を題材に曲を書いてはならないのか分からない
 私というものも、ナポレオンやアレクサンダー大王と同じように、
 興味深い人間だと私は思っている”

以上のアナリーゼ(楽曲解説)を踏まえて、以下の解説(及び楽譜)を読みながら音源を聴いてみて下さい。クラシック音楽の聴き方の手掛かりになるかもしれません。

http://www.youtube.com/watch?v=S7O9Oa22nsQ

「昔々あるところに・・・」で始まるティルの物語
ホルンソロによるティルの主題(00:56〜)
拍子をずらすことで自由なティルの性格を表現
オーケストラ全体に主題が受け継がれティルの冒険が始まる
クラリネットの陽気なティル主題(01:42〜)

忍び足で市場に近づくティル(03:08〜)
助走を付けて馬で市場に突入(03:36〜)
木管のリズムが喜んでいたずらするティル
上行、下行する弦楽器の音型は逃げ惑う人々を表現
全ての音がなくなりティルは姿をくらましてしまう(03:57〜)

ティルは僧侶に変装し、民衆に嘘の説教をする(04:26〜)
僧侶のテーマはホルンのティル主題の変容
僧侶のいたずらは
旧来のキリスト教的価値観へのシュトラウスの疑問でもあった

騎士に扮したティルのロマンス(05:48〜)
クラリネットのティル主題をオーボエやフルート、ヴァイオリンが受け継ぐ
「愛に燃えて」という指示のついた甘美なティル主題の変容(06:13〜)
ティルは求愛を繰り返すが美しい女性には相手にされない
ティンパニーの肘鉄によって女性はティルを拒絶(06:43〜)
金管楽器の激しいティル主題
ティルの怒りを表現
怒りは頂点に達し、全人類に復讐を誓う

いたずらを繰り返すことで(10:52〜)
閉鎖的な社会をかき回してきたティル
曲の終盤ティルの冒険を賛美するかのように音楽は高揚して行くが
小太鼓が裁判の幕開けを告げる(12:43〜)
金管楽器クラリネットの掛け合いは
裁判官と捕まったティルの応酬
「威嚇するように」という指示のトロンボーンがティルを脅かす(13:06〜)
「興味なさげに」と指示された小クラリネット(13:20〜)
1オクターブ上がったティルの悲痛な叫び(13:35〜)
半音階の不安のモチーフ(13:55〜)
ティルは恐怖に襲われる
金管が長7度の下降でティルに死刑を宣告(14:12〜)
駆け上がる小クラリネットはティルの死の絶叫(14:17〜)

エピローグでは冒頭の穏やかな旋律に回帰する(14:50〜)
ティルの肉体は死んでしまったが「いたずら」の精神は生き続ける