ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)

真珠の耳飾りの少女(原題:Girl with a Pearl Earring)

【題名】真珠の耳飾りの少女(原題:Girl with a Pearl Earring)
【監督】ピーター・ウェーバー
【脚本】オリヴィア・ヘトリード
【原作】トレイシー・シュヴァリエ
【演奏】ギドン・グレーメル
【出演】<グリート>スカーレット・ヨハンソン
    <フェルメールコリン・ファース
    <フェルメール夫人>エッシー・デイヴィス
    <ファン・ライフェン>トム・ウィルキンソン
    <ピーター>キリアン・マーフィ ほか
【料金】TUTAYA 旧作100円
【感想】
女優の武井咲さんがフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」に扮したCMで話題になりましたが、本日から東京都美術館のリニューアルオープン記念として、「マウリッツハイス美術展 オランダ・フランドル絵画の至宝」と題する展覧会が開催され、「真珠の耳飾りの少女」をはじめとしてフェルメールレンブラント、フランス・ハルス、ルーベンス、ヤン・ブリューゲル(父)などの作品が展示されます。僕は少し空いた時期を見計らって観に行くことにしますが、この展覧会は絵画好きならずとも見逃せません!また、フェルメールセンター銀座で開催されている「フェルメール光の王国展」も会期が延長されたようなので、こちらもお薦めしておきます。この展覧会はフェルメールの絵画を「re-create」という技術を使って、単なる原作の複写ではなく「翻訳」することでフェルメールの表現意図(思想)を甦らせようという興味深い企画展です。フェルメールの絵画は約350年に亘る経年劣化によって細部が失われ、決して元通りには復元できませんが、落下点と僅かに残された軌跡から現在では見えなくなってしまったその発射地点と仰角を推定し、約350年前にフェルメールが描いたであろう色、コントラスト、細部の表現や光の意図を解釈し直すことでフェルメールの表現意図(思想)を浮かび上がらせようというものです。オリジナルの作品と対比して、フェルメールが何を描き込んでいるのか絵画を(「眺める」ではなく)「観る」ための良い機会になると思います。芸術作品には芸術家の表現意図があり、一体、芸術家は何を表現しようとしているのかを見抜かなければカレンダーのプリント画を見ているのと変わりありません。そろそろ学生は夏休みに入りますが、算数のドリルなどをやっても社会に出て役に立ちませんので、そんな暇があったらおじいちゃん、おばあちゃんに頼んで美術館に足を運びましょう。

http://www.tobikan.jp/museum/2012/mauritshuis2012.html
http://www.vermeer-center-ginza.com/

今日はTUTAYAの旧作100円レンタルで、映画「真珠の耳飾りの少女」を借りてきたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。僕はフィクションは嫌いなのですが、この作品はフィクションを通してフェルメールの作品の本質に迫ろうという制作意図が伝わってくるので、個人的には良い映画だと思います。この映画を観てから美術館に足を運ぶのも一興です。きっとこの映画は絵画の世界に入る手助けをしてくれるはずです。

真珠の耳飾りの少女 通常版 [DVD]

この映画は「真珠の耳飾りの少女」を通してフェルメールの絵画の魅力を伝えるものですが、(主客転倒するようですが)その前にこの映画を理解して貰うため、BSフジ「フェルメール・美のアナリーゼ〜孤高の天才画家の真実〜」(6/24、17:00〜)で「真珠の耳飾りの少女」を中心としたフェルメールの作品の魅力を紹介した番組が放映されたので、その概要を残しておきたいと思います。


真珠の耳飾りの少女」(1665年)

フェルメールが生きた時代、フランスはルイ14世、スペインはフェリペ4世が統治していた時代で王侯貴族やカトリック教会が絶大な権力を握っていました。オランダはスペインとの独立戦争に勝ち世界に先駆けて市民社会を誕生させましたが、その影響から国教をプロテスタントとし、教会内に宗教画を飾ることを禁止しました。このため、フェルメールレンブラントなどのオランダの画家は、一番のお得意先であるはずの教会からの絵の注文は望めず裕福な市民が絵画の買い手となったことから、必然、風景や日常を描いた風俗画が中心となり、同時代のオランダの画家は1年間で平均50枚程の絵を描いていました。フェルメールは義母がデルフト市の納税額上位5%に入る金持ちであったこともあり暫くは生活のために絵を書く心配がなかったことなどもあって、1年間で2、3枚しか絵を描いておらず、現存するフェルメールの絵画は計35枚しかありません(自画像やデッサンも残されていません)。


「絵画芸術」(1667年) ※フェルメールが唯一、自分を描いた絵です。

さて、そんな数少ない作品しか残していないフェルメールですが当時から絶大な人気があり、その代表作である「真珠の耳飾りの少女」は“オランダのモナリザ”とまで言われている名作です。

【衣装、装飾品】

  • フェイクパール

この少女がしている真珠のイヤリングですが、当時は真珠の養殖に成功しておらず(真珠の養殖は明治時代に日本で初めて成功)、その割に真珠の粒が大きすぎるので(天然の真珠は手の爪くらいの大きさしかない)、この真珠は本物ではなくフェイクパールではないかと思われます。しかも、当時は天然の真珠が1粒で800ギルダー(当時の平均年収の5倍)もしたことから、王侯貴族でもない者が入手することは困難であったと思われます。

  • プリーツ

プリーツとは袖の後ろ側にあるヒダのことですが、1660年代に流行してフェルメールの絵画の中でも多くの女性が着用しています。また、ファーの縁取りのある黄色いジャケットを着た女性が6作品に登場しますが、フェルメールの財産目録に“黄色のサテンのガウン、白の毛皮縁つき”とあることから複数の女性モデルに同じジャケットを着せて描いた可能性があります。これらは当時の一般市民の習俗(ファッション)ですが、フェルメールの絵には色彩が美しくゆったりとした普段着を身に着けている人が多く描かれているという特徴があります。なお、当時、ジャケットと並んで長いガウンも流行し、長いガウンを着たモデルも多く描かれていますが、これは日本(鎖国令が発令されていましたが、オランダとは交易がありました)から輸入されてきた着物が日常着やナイトガウンとして好まれており、日本から来たガウンなので“ヤポン”と呼ばれていました。この名残で、現在でも女性のガウンのことを“ヤポン”と呼んでいます。


「地理学者」(1669年) ※長いガウンを着ていますが、これは日本から輸入されてきた着物です。

  • ヘッドドレス

オランダの女性はターバンを被りませんが、東洋の女性は男性のようにターバンを巻くと思い込んでいたのか、この絵画の印象を強くしている青いターバンが巻かれています。普通、ターバンは白や緑が一般的で青は使われませんので(青い色は染みが目立ちにくいことからエプロンに使われることが多く、当時のオランダの女性は青い服を着ませんでした。)、当時のオランダの人にとって青いターバンはエキゾチックに見えのではないかと思います。このターバンの青は“ナチュラル・ウルトラマリン”(別名、フェルメール・ブルー)と言われるもので、ラピスラズリの鉱石を砕いて亜麻仁油を混ぜ、石で磨り潰して滑らかにすることでできる絵具ですが、当時の画家はアトリエに入ると顔料から絵具を作ることから始めました。この映画でも顔料から絵具を作るシーンが度々登場します。なお、当時、ラピスラズリは純金と同じくらい高価でしたが、フェルメールは義母が裕福であったことから“ナチュラル・ウルトラマリン”を絵に多用していました。

【配色】
この絵は背景色が黒ですが、これは少女が見せた一瞬の表情を捉え、時間が止まっているように感じられます。その一方、「牛乳を注ぐ女」は背景がグラデーションになっており、注いでいる牛乳と共に時間の経過を感じさせます。その他にも、青、黄土、白、肌色の配色を効果的に組み合わせてこの少女を理性的に見せています。仮にターバンの色が緑であれば若々しく、紫であれば上品に、赤であれば情熱的な印象に見えますが、フェルメールは配色を考え抜き、それを効果的に活用した画家であったとも言えます。因みに、フェルメールは色をブロックでかためてぶつけあうような配色を特徴としていますが、同時代のオランダの画家レンブラントは色を飛ばしながら刺激的になるように配色したという特徴的な違いが挙げられます。


「牛乳を注ぐ女」(1660年) ※青いエプロンにもご注目下さい。

【光】
オランダのジョークで“オランダ人が唯一発達させたのは何か?それは目だ。オランダ人は良い作家ではないし、良い音楽家でもない。オランダ人が魅入られたのは目、観察することだった”というものがありますが、確かにオランダ人の作曲家と言われてもビックネームが思い当たりませんが、画家であればフェルメールレンブラントゴッホなどのビックネームを指折り数えることができます。フェルメールレンブラントも“光の画家”と言われていますが、各々の絵画の特徴を一言でいえば、レンブラントは“劇場風”、フェルメールは“映画風”となりそうです。即ち、レンブラントの絵画は、特定の場所に1つのスポットライト(光)をあて、人物の配置や表情を演出して絵全体で1つの状況を物語る劇場型の作風が特徴としてあげあれますが、フェルメールの絵画は画面全体に光が溢れ、人物の表情は自然で、日常をありのままに捉える映画型の作風が特徴としてあげられます。映画監督の目で日常を観察し、とっておきの瞬間を選んで絵にしています。例えば、「デルフトの眺望」はデルフト市を描いたものですが、雨上りの直後で雨が乾く前の未だ雨に濡れる屋根や木々が陽光に反射している特別な瞬間を捉えた映画的な絵画で、フェルメールは世界最初の映像作家とも言えそうです。「真珠の耳飾りの少女」では絵に向って左から差し込む光が「瞳」「唇」「真珠」に反射していますが、この光によって少女から純真無垢な性格(静謐)とセクシャルな魅力(官能)の二面性を引き出しています。


「デルフトの眺望」(1660年)


レンブラントの「夜警」(1642年) ※フェルメールの人物画と比べて、光の使い方の違いを見比べてみて下さい。

さて、この映画は、「真珠の耳飾りの少女」がどのように描かれたのかを題材にした小説を映画化した作品です。この少女は誰なのか明らかではありませんが、この映画では義母の召使いであるグリートという設定になっています。但し、グリートという召使いがいたという記録はありませんので、あくまでもフィクションになります。僕はフィクション(人工)が生む予定調和的なウソ臭さが嫌いであまりフィクション作品を好まないのですが、この映画はフィクションを通してフェルメールの作品の本質に迫ろうという制作意図が伝わってきて、グイグイと映画の世界に引き込まれていきます。事故で失明したタイル絵師の父に代わって家計を支えることになった少女グリートは、フェルメールの義母の家に住み込む召使いとなります。フェルメールはグリートが持つ感受性の鋭さに気付き、絵の具の調合の仕事を任すようになります。やがてフェルメールはグリートをモデルとして「真珠の耳飾りの少女」を描こうと決意しますが、フェルメールの妻カタリーナは彼らの関係に嫉妬し、とうとうグリートを追い出すという展開になります。


「手紙を書く女」(1666年) ※この絵のモデルは妻カタリーナではないかと言われています。当時のオランダ人の女性は読み書きができませんでしたが、カタリーナは裕福な家庭に育ったお蔭で、読み書きができる教養豊かな女性だったと言われています。

NHK−BSで「額縁をくぐって物語の中へ」という番組がありますが、この映画で驚くのはフェルメールの絵画の世界を覗き見ているのではないかと思うほど、そのセットや柔らかい光と影、色使い、衣装、果てはアングルに至るまでフェルメールの絵画をそのままに映像化しているような映画です。絵を観ているのか、映画を観ているのか分からなくなるような瞬間が何度もありましたが、フェルメールの絵画が映画型であることが感得できると思います。フェルメールがグリートに雲の色を訪ねるシーンがありますが、最初、グリートは「白」と答えますが、直ぐに訂正して、「グレー、黄色、緑」と見えたとおりに答えます。これを聞いて、フェルメールはグリートに絵具の調合を手伝わせることにしますが、既定概念に囚われることなく被写体をよく観察し、ありのままの真実を捉える写実主義の絵画の特徴を示すエピソードです。また、グリートはアトリエの掃除を任されることになりますが、グリートが妻カタリーナに「窓を拭いても良いですか?」と尋ねるのに対してカタリーナは「もちろん」と即答しますが、グリートが「光が変わりますが?」と尋ね返すとカタリーナが答えに戸惑うというシーンがありますが、グリートはフェルメールの絵画を見ただけでその魅力を直観視していることを示すエピソードとして印象的に描かれています。また、グリートはフェルメールの絵画の構図が悪いことに気付き、絵にメリハリのある陰影を生むべく椅子を退かすよう助言しますが、フェルメールは自分の絵を理解してくれるグリートに徐々に魅かれていきます。このようなエピソードを通して、フェルメールの作品の魅力やフェルメールの視点が間接的に描かれていきます。なお、当時、フェルメールが絵の構図を決める際に使っていたと言われているカメラオブスキャラも登場しますので興味が尽きません。やがてフェルメールはグリートをモデルとして絵を描く決意をしますが、絵を描いている途中で、フェルメールはグリートの白い頭巾を脱がせて青いターバンを頭に巻かせ、何度も下唇を舐めさせてその光沢感を調べたり、まるで目のように光る真珠(フェイクパール)の美しさに魅せられたフェルメールが妻カタリーナにプレゼントした真珠(フェイクパール)のイヤリングをグリートの耳に付けさるなど、試行錯誤の末に漸く「真珠の耳飾りの少女」の構図が決まる過程が描かれています。最近の解析技術で、フェルメールは絵を描いている途中で構図を変更し絵を描き直す(上塗りする)こともあったことが分かっており、実際にフェルメールは試行錯誤を繰り返しながら絵の主題を選び、画材を選んでいたことが窺い知ることができて大変に興味深かったです。グリートが制作途中の絵を見せられてビックリした表情で「心まで描くのね」と戸惑うシーンはとても印象的ですが、レンブラントのように絵全体で1つの状況を物語る絵画とは異なり、フェルメールの絵画は1つの主題を緻密に描き、周囲の事物はあっさりと描写することで主題に集中させようという意図が感じられます。やがて妻カタリーナは彼らの関係に嫉妬するようになり、とうとう自分の真珠の耳飾りをつけたグリートの肖像画真珠の耳飾りの少女)を見てグリートを追い出し、グリート(即ち、真珠の耳飾りの少女)は歴史の闇に消えて行くという結末になっています。歴史の真実がどうであったのかは別として、この映画はフェルメールの絵画の魅力を映像で表現しようと試みている真摯な姿勢が伺われ、まるでグリートを媒介してフェルメールの絵画の世界を覗き見ているような不思議な魅力に溢れる映画です。この映画を見ることでフェルメールの視点をリアルに感得することができ、より豊かな絵画の鑑賞につながるような気がします。美術館へ足を運ばれる前に、ご覧になれることをお薦め致します。

http://d.hatena.ne.jp/bravi/20120606/p1

◆おまけ
同時代のオランダのクラシック音楽と思いましたが、上述のとおりオランダ人の作曲家でメジャーな人が見当たらず、また、そもそもこの時代(ヴィヴァルディー、ヘンデルやバッハが生まれる前の中期バロック)のメジャーな作曲家と言えばモンテベルディしか思い当りませんので、モンテベルディの曲と、オランダに因んだ曲や演奏家の画像をアップしておきます。

▼モンテベルディ
フェルメールの絵画が持つ静謐な雰囲気と曲想がマッチします。 
「ただあなたを見つめ」

聖母マリアの夕べの祈り」

ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人

※リスト編曲 「さまよえるオランダ人」紡ぎ歌

▼オランダ・バッハ協会のバッハ ヨハネ受難曲
1742年の初演時の楽器及び編成を忠実に再現した演奏で、僕もこの演奏会を聴きに行っています。

▼オランダ人指揮者メンゲルベルクのバッハ マタイ受難曲
別称、さまよえるオランダ人の指揮(船酔いにご注意あれ..)。僕はこの演奏を聴くと目が回ります。

ハイティンク@ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」から第四楽章
オランダ人にはメジャーな作曲家こそ居ませんが、ハイティンク等の名指揮者を数多く排出しており、また、世界三大オーケストラの1つRCOがあります。..と、最後に持ち上げておきましょう。