ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)

モディリアーニ 真実の愛(原題:Modigliani)

【題名】モディリアーニ 真実の愛(原題:Modigliani)
【監督】ミック・デイヴィス
【脚本】ミック・デイヴィス
【出演】<モディリアーニアンディ・ガルシア
    <エビュテルヌ>エルザ・ジルベルスタイン
    <ピカソ>オミッド・ジャリリ
    <オルガ>エヴァ・ヘルズィゴヴァ
    <ジャコブ>ウド・キア
    <ユトリロ>イポリット・ジラルド ほか
【料金】TUTAYA 旧作100円
【感想】
そろそろ学生は夏休みに突入する時期ですが、僕が学生の頃に比べると色々な媒体が発達して芸術に接する機会に恵まれた大変に羨ましく贅沢な時代だと思います。このブログでもいくつかの画家、音楽家や作家等の半生を扱った伝記映画を紹介していますが、これらの映画は芸術鑑賞の幅を広げてくれるものなので、暇を持て余して無為に過ごすくらいならTUTAYAの旧作100円レンタルをフル活用して画家、音楽家や作家等の伝記映画を貪り、(美術館や図書館等に行って)実際にそれらの芸術家の芸術作品に触れてみるのもあまりお金を掛けずに知的興奮を味わえる大変に有意義な時間の過ごし方だと思います。時間があれば、自分が好きな1人の芸術家や1つの作品に焦点を絞って、その(芸術家の)作品をじっくりと掘り下げて鑑賞してみるのも面白いかもしれません。

モディリアーニ 真実の愛 [DVD]
http://www.albatros-film.com/movie/modi-movie/

さて、先日、NHK−BSプレミアムで「極上美の饗宴 瞳のない美女の謎 モディリアーニ」と題する番組が放映されていたので、その概要を紹介した後、この映画の感想を簡単に書き残しておきたいと思います。モンパルナスの貴公子と言われたモディリアーニは1906年(21歳)にイタリアからパリへ移住し、ゴーギャンが住んでいた建物と同じ建物に居を構えます。酒と薬に溺れて35歳の若さで夭折しますが、死の直前3年間だけで妻ジャンヌ・エビュテルヌの肖像画を20点以上も残しています。しかし、この絵のいずれもが顔、腕や体が不自然に楯に引き伸ばされ、目に瞳が描かれず、シンプルな姿にして忘れ難い印象を残す個性的な作品となっています。何故、このようなユニークな肖像画を描くようになったのか…。


「ジャンヌ・エビュテルヌ」(1918年)

脳科学者の茂木健一郎さんによれば、人間の脳は他人と視線が合うとドーパミンが放出して脳が「本気」になるそうですが(ある実験で、中国語の発音を覚えさせる為にビデオを見て学習した場合と先生が目の前で教授した場合とを比較した結果、後者の方が脳が「本気」になって中国語の発音の覚えが早いという結果が出たそうです。)、何故、モディリアーニは瞳を描かなかったのか、それにも拘らずモディリアーニが描く瞳のない肖像画に強い生命感が宿っているのは何故なのかという視点でメスが入れられました。

◆顔の比率
アメリカとカナダの大学が行った“女性が美しく見える顔の比率についての論文”が紹介されましたが、女性が美しく見える顔の比率は以下のとおりだそうです。

「目と口の間の長さ」と「顔全体の長さ」の割合=36%:100%
「瞳と瞳の間の長さ」と「顔全体の横幅」の割合=46%:100%

ジャンヌの顔写真で顔の比率を測定すると、下表のとおり女性が美しく見える顔の比率と比べてやや縦長であることが分ります。ジャンヌの肖像画はその縦長の比率はそのままに顔の輪郭だけをデフォルメして更に細長く描いており、モディリアーニがジャンヌの顔の特徴をよく捉えて描いていたことが伺えます。


ジャンヌの顔写真


「大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテルヌ 」(1918年)

顔の比率 ジャンヌの顔写真(上) ジャンヌの肖像画(下)
「目と口の間の長さ」と「顔全体の長さ」の割合 42%:100% 44%:100%
「瞳と瞳の間の長さ」と「顔全体の横幅」の割合 46%:100% 46%:100%

◆時代背景
西洋美術の世界では、それまで古代やルネッサンスの巨匠の作品を規範として創作活動を行ってきましたが、20世紀に入るとあらゆる表現の可能性が尽くされたことから(絵画に限らずクラシック音楽等でも同じような潮流がありましたが)、何か新しい表現手法を模索しようという動き(前衛芸術の萌芽)が現れ始めました。当初、モディリアーニは19世紀後半に一世を風靡したモネをはじめとする印象派絵画の革新を乗り越えようと荒いタッチや色使いのセザンヌの絵画に影響を受けて自分の作風を模索していましたが、1906年にセザンヌが死んでしまったことから自分の作風を模索し直すことになりました。折しも1900年にパリ万博が開催され、アフリカやアジアの異境の美術が当時のパリの芸術家に影響を与えましたが、とりわけアフリカ原始美術は西洋美術に新しい息吹を吹き込み、その後の西洋文化の新しい原動力になっていきました。この影響を受けた芸術家の中にピカソがおり、アフリカ原始美術に着想を受けた「アヴィニョンの娘たち」(1907年)を完成させ、これによって対象を複数の視点から分解し組み合わせるキュビズムという手法を生み出し、西洋絵画の手法を一変させました。


ピカソの「アヴィニョンの娘たち」(1907年)

このような状況の中でモディリアーニも彼の画商ポール・ギヨームのアフリカ・コレクションに影響を受けるようになります。ギヨームのアフリカ・コレクションの中に「ファン族の彫像」(19世紀アフリカ中部)がありましたが、モディリアーニはこれが単なる美術品ではなく先祖の墓を守る為の番人として創作されたもので、その独特の姿には精神性、神秘性、宗教性が隠されていたことを知って深い共感を覚えます。「アドゥマ族の仮面」(19世紀アフリカ中部)は顔の形が縦長にデフォルメされ、目や鼻の表現も単純化して神秘性を表現していますが、これらの独特のフォルムはモディリアーニが描くジャンヌの肖像画にも共通しており、モディリアーニはアフリカ原始芸術からインスピレーションを受けたのではないかと考えられます。

「私が求めているのは現実でも非現実でもなく無意識、人間が持つ本能の神秘なのだ」(モディリアーニ

モディリアーニは未開の大地の未知の美に心を動かされ、再び、新たな表現手法を求める為の模索を始めます。1911年から3年間は絵画を描くことを止めて彫刻に専念しますが、これらの作品にはジャンヌの肖像画の原点が見出すことができます。やがてモディリアーニ結核で病んでいた肺を石から出る粉塵でやられ、彫刻制作を断念して絵画の創作に戻ることになります。


女性の頭部像(1910〜1911年)

モディリアーニは、彫刻で表現していた精神性、神秘性、宗教性を人物絵で表現しようと試み、敢えて、肖像画に瞳を描かないことによって、特定の人物の表情を超えた普遍性や精神性を作品に与え、また、体全体のフォルムから人物の存在を感じることができるようにする(瞳を描いてしまうと観る人の視点が瞳に集中してしまう)ことで絵全体に緊張感を与えて、彫刻のような確かな存在感を絵画に与えました。更に、「赤いドアの前のジャンヌ・エビュテルヌ」(1919年)では、顔の右側は正面から見た目線、顔の左側は左上から見た目線で描かれており、多視点絵画の技法(キュビズム)を巧みに採り入れています。ピカソキュビズムは様々な視点をデジタル的に分割して繋ぎ合わせたものであるのに対し、モディリアーニキュビズムは様々な視点を分割せずに途切れない目線(撮影技法で言うところのパン、ティルト)として描写したものであるという特徴的な違いがあります。


「赤いドアの目のジャンヌ・エビュテルヌ」(1919年)

このようにしてモディリアーニは新しい表現手法、自分の作風を生み出し、いよいよこれから画家としての絶頂期を向える矢先の1920年に病没してしまいます。その2日後、妊娠9ヶ月目であった妻ジャンヌ(21歳)は彼の後を追って投身自殺しますが、彼女は酒に溺れるモディリアーニをじっと酒場の前で待っていたという逸話を残すほどモディリアーニを深く愛した女性です。彼らの墓には、以下のような墓碑銘が刻まれています。

モディリアー二「家 まさに栄光に手が届かんとする時 生涯を終える」
妻ジャンヌ「ディリアーニにすべてを捧げ、究極の犠牲をも厭わなかった伴侶」

さて、長々と傍論を述べましたが、簡単に映画の感想も残しておきたいと思います。この映画の感想を一言でいえば、邦題がすべてを物語るといったところでしょうか。一般に、映画の邦題には観客動員を図るために映画の内容を度外視した一般ウケしそうなキャッチーなタイトルが付けられることが多く鼻持ちならないものを感じていますが、この映画のタイトルは良くも悪くも邦画のタイトル(とりわけ副題「真実の愛」)がこの映画のすべてを物語っています。


左がモディリアーニ、中央がピカソ

この映画は妻ジャンヌの後追い自殺をクライマックスとしてモディリアーニとジャンヌの愛を描いた作品です。大まかなストーリーはモディリアーニの半生(史実)に基づいたものですが、細かな人間模様は創作されたもので、成功者ピカソvs異端者モディリアーニという基軸を強く打ち出し過ぎている為に、ややピカソモディリアーニの一面をデフォルメして描き過ぎている嫌いがあり、それが真実を歪めてしまっている印象を受けます。冒頭、有名なカフェ“ラ・ロトンド”のシーンから始まりますが、小雨が降る店外で長女を抱き抱えながらモディリアーニが店から出てくるのを待つ妻ジャンヌの姿が映し出されます。この映画のモチーフの提示です。その後、モディリアーニとジャンヌとの出会いにまでフラッシュバックし、モディリアーニはジャンヌをモデルに絵を描きますが、ジャンヌの肖像画には瞳が描かれておらず、モディリアーニは「ジャンヌの心が見えたら、瞳を描く」と誓います。このエピソードは完全な作り話ですが、このようなセンチメンタリズムで瞳を描かなかったのではないことはモディリアーニ肖像画が持つ強い存在感を見ても明らかだと思います。この映画で大変に残念なのは、上述のとおりピカソモディリアーニのライバル心(というより露骨な敵愾心)を強調して描き過ぎている反面(映画的には分かり易い構図ですが)、モディリアーニ(当時のパリの画家達)が新しい表現手法を模索している姿は殆ど描かれておらず、その意味でモディリアーニの伝記映画の描き方としては表面過ぎる印象を否めません。モディリアーニが麻薬で幻覚を見ているシーンで、アフリカ美術の影響を匂わせる象徴的な場面は登場しますが、寧ろ、そこをもっと緻密に描き切って欲しかったと残念でなりません。やがて絵の売れないモディリアーニは生活に困窮し、長女を修道院に預けざるを得ない状況に陥りますが、それが契機となり、賞金の獲得を目指して“Salon des Artistes”への出品を決意し、ジャンヌをモデルとした新しい絵画の創作に取り掛かります。そして、その作品には瞳が描かれるという結末です。やや一般ウケを狙ったおセンチな作り話になっていますが、これではそれまでの瞳を描かないモディリアーニの作品が未完成、不十分なものでだったという帰結になり、些か首肯し難い違和感を覚えて誠に残念な展開でした。また、“Salon des Artistes”のコンペの日にモディリアーニが暴漢に襲われ、それが原因で他界するというドラマチックな描き方がされていますが、これも史実にはない安っぽい作り話です。当時のパリで流行していたジャポニズムピカソを支援するジャン・コクトーや精神病院に収監されているユトリロの姿等も描かれていて興味深かったのですが、モディリアーニピカソから受けていた影響やモディリアーニが自分の作風を求めて模索を続けていた葛藤等が描かれておらず、モディリアーニの半生に化体した単なるラブストーリのような内容になってしまっているのは返す返すも残念でなりません。よって、この映画を観てもモディリアーニの絵画の鑑賞の幅が広がったような手応えは感じられませんでしたし、モディリアーニの作品について誤解を与えるような内容には眉を潜めたくなります。この映画をインターネットで検索すると好評が掲載されているものが多いですが、個人的には二流、三流の部類に入る作品です。


モディリアーニの絵画を紹介する映像があったのでアップしておきます。

なお、いま話題の「100の思考実践」という本の中で、ニュー・クリティシズムの「意図の誤謬」について言及したお題があったので、少し触れておきたいと思います。1948年にウィムザット(哲学者)とビアズリー(美学者)が詩の批評について「意図の誤謬」と「情動の誤謬」という考え方を発表しましたが、「意図の誤謬」とは作者の意図に照らして詩を判断しようとする誤りを、また、「情動の誤謬」とは詩が読者に与える効果に照らして詩を判断しようとする誤りを指摘したもので、詩を詩そのものに照らして客観的に判断することを目指すべきであると提唱しています。即ち、「作者−作品−読者」を三位一体として捉えてきた詩の批評の在り方を批判し、詩の評にあたって作者の意図を排除し(意図の誤謬)、かつ、読者の情動も排除すべき(情動の誤謬)という立場です。基本的には詩の批評に関する考え方ですが、その後、芸術全般の批評の在り方に影響を与えてきた考え方でもあり、この本の中でもそのようなコンテクストで採り上げられていますので、その前提で簡単な思考実践を試みたいと思います。

100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか

ニュー・クリティシズムは、テクスト(言語、楽譜等)の意味はテクスト自身によって決定され、そのテクストが読者に与える影響を排撃する(即ち、テクストの意味はテクストの中にしか存在しない)という考え方ですが、これに対して、イーザー(受容美学者)は、そもそもテクストの意味自体が所与のものではなく、読者によって初めて実現される(即ち、テクストの意味はテクストと読者の関係性において生じる)と主張しています。テクストの意味は前以って一義的に決定できるものではなく、常に潜在性・可能性を孕んでいて、それを読者が自らの想像力で埋めて行く(作品から別の世界観を得て自分の価値観や規範、経験、常識等を吟味して行く)という一連の営みに他ならず、そこに作品の美的価値が存在すると主張しています。但し、テクストには前以って設定されている「枠組み」のようなものがあり、読者はその「枠組み」に自分の様々な視点や経験等を投影して行くため、単なる主観的で好き勝手な意味にはならないという考え方です。これは詩(文学)に限らず、あらゆる芸術に基本的に妥当する考え方だと思います。これに対し、ニュー・クリティシズムの考え方は「意図の誤謬」のみならず「情動の誤謬」まで排除してしまいますので、基本的に作品の意味はテクストを客観的に解釈して定まることになり、これではまるで契約書や論文を読むような無味乾燥でツマラナイものになってしまいそうです。少なくとも僕は芸術に接するに際して作者の表現意図を探る過程を通じて又はそれを手掛りとして作品の意味(本質)に迫ろうと試みているのであって、作者の表現意図を離れ、しかも自らの内心作用をも排除して、どうやって作品の意味(本質)に迫ることができるのか途方に暮れてしまいます。絵画でも音楽でも芸術鑑賞は究極的には作品を通して作者と対話し、作者を写し鏡とすることで、自分の心を見詰め、自分自身と向き合うことに他ならず(その意味で芸術鑑賞は極めて個人的な体験です)、「あなたのお好きにどうぞ」と突き放されてしまっては作品や作者との間に緊張関係が生まれず芸術鑑賞(批評)は受容者の気分次第で決まる実に薄っぺらなものになってしまいそうです。その意味でニュー・クリティシズムは余りに頭でっかちで理屈に踊らされ過ぎている感を否めません。

◆おまけ
モディリアーニと同時代の20世紀初頭フランスで活躍していた音楽家(フォーレラヴェルドビュッシー、サティ、サン=サーンス)の作品を紹介しておきましょう。

フォーレ ピアノ四重奏曲第1番より第三楽章
iphoneでは上手く視聴できないようなので、PCから視聴して下さい。

ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ 

ドビュッシー 交響詩「海」
1905年に初版された楽譜の表紙には葛飾北斎の冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が印刷されており、ドビュッシーはこの浮世絵に着想を得て作曲したと言われています。

▼サティー ジムノベティー第3番(ドビュッシー編曲)
サティーと親交があったドビュッシーがサティーの曲を紹介するためにピアノ曲管弦楽曲に編曲したものです。

サン=サーンス 交響曲第3番より第二楽章
演奏も録音も荒く音に色彩感や光沢感がありませんが、暑気払いにこの一曲を。※iphoneでは上手く視聴できないようなので、PCから視聴して下さい。