ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)

松竹歌舞伎アーカイブス〜昭和の名舞台〜「与話情浮名横櫛」

【題名】松竹歌舞伎アーカイブス〜昭和の名舞台〜
【演目】与話情浮名横櫛
     木更津海岸見染の場
     源氏店の場
【出演】<与三郎>市川團十郎
    <お富>坂東玉三郎
    <赤間源左衛門>中村勘五郎(仲蔵)
    <和泉屋大番頭多左衛門>市川左團次
    <和泉屋番頭藤八>坂東弥五郎 
    <蝙蝠安>五世片岡市蔵
【収録】歌舞伎座 昭和63年12月
【放送】衛星劇場(平成26年7月18日16時〜)
【感想】
前回に続いて、千葉に所縁のある歌舞伎の世話物人気演目の1つ「しがねぇ恋の情けが仇。命の綱の切れたのを、どう取り留めてか木更津から・・・(中略)・・・死んだと思ったお富さん、無事で暮らしていようとは、お釈迦様でも気がつくめぇ」の名台詞で有名な「与話情浮名横櫛」をご紹介します。なお、この名台詞を題材にして創られた歌謡曲お富さん」が昭和29年にヒットしていますが、その軽快なメロディーは一度耳に憑いたら離れず頭の中をグルグルと回り始めてしまう妙な親しみ易さがあります♪



上段左から、1〜2枚目:長唄家元、四代目芳村伊三郎(本名、中村大吉)の墓(千葉県東金市)と親分、山本源太左衛門の墓(千葉県東金市)。与話情浮名横櫛は、千葉であった実話を基に創作されたもので、後年に長唄の家元の名跡である四代目芳村伊三郎を襲名した中村大吉(千葉県大網白里市出身、与三郎のモデル)と山本源太左衛門の女房きち(千葉県茂原市出身、お富のモデル)が不倫家系に陥って木更津に駆け落ちしますが、子分衆に後を追われて中村大吉は全身を切りつけられます。後年、その傷跡を見た八代目市川團十郎がこの実話を基に三世瀬川如皐に脚本を書かせたものです。3〜4枚目:中村大吉の墓がある最福寺徳川家康と日善上人の記念碑。来年(2015年)没後400年を向える徳川家康ですが、東金は将軍家の鷹狩地で八鶴湖を挟んで最福寺の対岸に徳川家康が鷹狩に訪れた際に宿泊した御殿跡(現在は本漸寺)があり、徳川家康が手植えした蜜柑の木があります。
下段左から、1枚目:光明寺(千葉県木更津市)にある与三郎の墓。与三郎の墓には片岡仁左衛門さん及び坂東玉三郎さんが建てた卒塔婆(既に経文と施主は判読不可)があります。2枚目:選擇寺(千葉県木更津市)にある蝙蝠安の墓。3枚目:AQUA木更津にある浮世絵壁画。写真は三代目歌川豊国作「五節句之内 弥生 与三郎 お富」と歌川広重作「富嶽三十六景 上総木更津海上」ですが、木更津駅周辺には木更津に所縁のある浮世絵壁画が展示されています。4枚目:木更津甚句木更津甚句の歌詞の4番で木更津にある證誠寺の狸囃子伝説を歌っている部分の音源をアップしておきます。)を記念して鳥居崎海浜公園(千葉県木更津市)にある芸妓のモニュメント(向って右側が若福)。江戸時代(安政年間)の落語家(千葉県木更津市出身)木更津亭柳勢が木更津甚句を高座で歌って人気を博して江戸界隈で流行し、更に木更津から上京した芸妓の若福がお座敷で木更津甚句を歌ったところ江戸の花柳界で話題となり、それが全国に広まって大流行しました。歌詞の中の“ヤッサイ、モッサイ”とは、木更津船の船頭が「そこをどけ、そこを通せ」という意味の掛け声からとったものだとか。5枚目:成就寺(千葉県木更津市)にある芸妓の若福の墓。なお、京都の花街を舞台に舞妓になるために頑張る少女の成長物語を描いたフィクション映画「舞妓はレディ」が近く公開になりますので、ご興味のある方はどうぞ。因みに、「舞妓」とは概ね20歳未満の芸妓見習いのことで華やかな着物で着飾っていますが、「芸妓」は立方と地方に分かれて、立方は少し落ち着いた着物を着用して舞を担当し、地方は普通の和装で歌や三味線を担当します。偶には粋にお座敷遊びと洒落込んで男を磨いてみませんか。

【ぶらあびライブびゅ〜イング】
 切られ与三郎(木更津〜品川〜東金)〜歌舞伎狂言「与話情浮名横櫛」ゆかりの地〜

黙阿弥と瀬川如皐について書く予定です。続く。



上段左から、1枚目:鳥居崎海浜公園(千葉県木更津市)にある見染めの松(別称、袖掛けの松)。江戸の大店の若旦那である与三郎が潮干狩りに来てお富に出会い見染めた場所です。与三郎とお富が着物の袖を松の枝にかけて儚い恋を語ったことから「袖掛けの松」とも言われています。2枚目:恋人の聖地。与三郎とお富に肖って鳥居崎海浜公園は恋人の聖地と言われていいますが、恋人をおんぶして中の島大橋(バックに写っている赤い橋)を渡ると恋が叶うと言われています。なお、狸囃子の童謡で有名な證誠寺(千葉県木更津市)が近くにあるので狸のモニュメントが使われているのだと思います。世上、メス狸は化けるのが上手いと言われていますので、オス狸は騙されないように気をつけなければなりますまい。3枚目:成就寺(千葉県木更津市)にある与三郎とお富が逢瀬を楽しんだ旅館の主の墓。与三郎はここでお富と逢い引きしているところを襲われて全身を切りつけられます。4枚目:“玄冶店”(東京都中央区日本橋人形町)の碑。与三郎とお富が再開する“源氏店”(鎌倉にあるという設定)は、徳川家の御典医であった岡本玄冶の拝領屋敷一帯を指した地名“玄冶店”に由来して名付けられたと言われています。因みに、先日のブログ記事でも触れましたが、“玄冶店”にある料亭「濱田屋」に芸妓の貞奴がおり、後に川上音二郎と結婚して一座と渡仏しますが、その舞台等がプッチーニドビュッシーピカソ等に多大な影響を与えています。なお、当時、パリ社交界で流行した着物風の“ヤッコドレス”は川上貞奴の影響によるもので、“ヤッコ”とは彼女の名前の一字“奴”に由来しています。現在、世田谷美術館で「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展」が開催されていますので、ご興味のある方はお運び下さい。
下段左から、1枚目:天妙国寺(東京都港区品川)にある長唄家元四代目芳村伊三郎(与三郎のモデル)の墓(向って右側)と新内節中興の祖、三代目鶴賀新内の墓(向って左側)。墓所での写真撮影は入り組んだ隘路での撮影で他の墓碑名が写り込まないようなアングルにしなければならないので本当に難しいです。なお、天妙国寺には徳川家康豊臣秀吉の命で江戸へ国替えになった際に宿泊しています。2枚目:天妙国寺にある一刀流剣術の祖、伊藤一刀斎の墓で、墓標に剣を下段に構える姿が白く浮き上がっていますが、これは自然にできたものだそうです。死してなお構えを解かないとは、これぞ剣豪の心意気です。“切られ与三郎の墓”切られ与三郎の墓と同じところに剣豪の墓があるのは皮肉ですが、柳生新陰流と共に徳川将軍家の剣術指南役になった小野派一刀流の開祖、小野忠明(千葉県南房総市出身)は伊藤一刀斎の弟子です。3枚目:天妙国寺にある浅草遠州流(華道)を興した本松斎一得の墓。八代将軍徳川吉宗公に作品を認められ、松平の“松”の一字を与えられて信享齋一朝を本松斎一得と改めまています。4枚目:天妙国寺にある浪花節浪曲)中興の祖、桃中軒雲右衛門の墓。市川雷蔵の若親分シリーズ三波春夫さんが桃中軒雲右衛門役を好演されておられますが、桃中軒雲右衛門は前幕で覆った立ち机を前にした口演、陰三味線というスタイルを考案し、琵琶や(今年創始200周年を向えた)清元の節調を採り入れて荘重豪快な節を創始して人気を博しました。なお、桃中軒雲右衛門の代表作として、先日のブログ記事でもご紹介した「佐倉宗五郎」や「赤穂義士本伝」などがあります。5枚目:鳶頭のお祭り左七の墓碑(桃中軒雲右衛門の墓の道標の横にある梵鐘型の墓碑)。四世鶴屋南北作「心謎解色糸」に登場する鳶の頭です。天妙国寺には、長唄、新内、華道、浪曲、そして剣術と華々しい歴史上の人物の墓碑が並んでいます。


与話情浮名横櫛に出て来る鎌倉の“源氏店”と徳川家康没後400年に因んで、能「七騎落ち」のその後という切り口で源頼朝と千葉について書く予定です。続く。




上段左から、1〜2枚目:源頼朝の上陸地碑と勝山海岸(浮島の左側に薄っすらと見えている山峰は伊豆大島です)。石橋山の合戦で平家方に敗れた源頼朝ら主従7騎は1180年8月28日に神奈川県足柄下郡真鶴町岩(岩海岸)から小船で逃れ、翌29日に千葉県安房郡居南町竜島(勝山海岸)へ漂着します(地図を見ると分かりますが、真鶴から安房(勝山)まではほぼ一直線で、南総里見八犬伝の舞台になった富山を目指して舟を漕いだと言われています。)。吾妻鏡には「二十九日、武衛(頼朝)、(土肥)実平を相具し、扁舟に棹さし安房国平北群猟島に着かしめ給う。北条殿以下人々これを拝迎す」と記されており、先着していた北条時政や三浦義澄らと合流し、ひとまず安西景益の平松城(千葉県南房総市)へ入って味方を募り再起を図ったと言われています。源氏再興を期して洲崎神社(千葉県館山市)や丸御厨(千葉県南房総市)などへ足を運んだと言われており、房総半島には源頼朝に所縁の地が多く残されています。なお、千葉県安房鋸南町は、浮世絵の祖、菱川師宣の生誕地でもあります。3枚目:逆さ柿(千葉県南房総市)。源頼朝が柿の枝で作った鞭を逆さに地にさして“我わが願いをして成らしめば、この枝かならず芽生えよ”と念じた言われています。なお、この近傍に南総里見八犬伝の舞台になった滝田城と八房の生誕地があります。4枚目:源頼朝が称賛したとされるソテツ(千葉県南房総市)。なお、この近傍に南総里見八犬伝の舞台になった伏姫籠穴があります。5枚目:千葉県安房郡居南町竜島(勝山海岸)から三浦半島の城ケ島大橋を撮影。泳いで渡る人もいるそうです(ウソ)。
下段左から、1〜3枚目:源頼朝が源氏再興を祈願した洲崎神社、その境内にある源頼朝が笠を掛けたと言われている笠掛の松(跡地)と晴れていれば富士山や大島を見渡せる富士見鳥居。この近傍に南総里見八犬伝で伏姫に8つの珠を授けた役行者の石造が祀られている岩屋(養老寺)があります。4枚目:矢尻の井戸(千葉県館山市)。源頼朝が飲み水がないため、岩間に矢尻を突き立てたところ清水が湧いたという井戸跡です。なお、その傍らに源頼朝洲崎神社に源氏再興を祈願して詠んだ「源は おなじ流れぞ 岩清水 せきあげてたべ 雲の上まで」という歌碑があります。5枚目:洲崎灯台から富津岬方面を撮影。写真中央に見える対岸の尖った山が富山になります。なお、矢尻の井戸の近くに源頼朝上陸碑がありますが、源平盛衰記には「安房国洲崎へこそ漕ぎ渡り拾いけれ」と記され、また 義経記には「二十八日の夕暮に安房国洲の崎というところに御船を馳せ上げ」と記されていますので、富山を目指した源頼朝主従は潮に流されて28日夜に一旦は千葉県館山市洲崎へ漂着し、再び翌29日に舟で富山へ向かった可能性も考えられます。因みに、吉川英治さんの「新・平家物語」では洲崎上陸説を採用しています。


さて、ブログの枕が長くなりましたが、そろそろ本題を書きたいと思います。


感想を書きます。続く。


なお、河竹黙阿弥は、ライバルだった瀬川如皐(3世)の「与話情浮名横櫛」(通称、切られ与三郎)のパロディーとして、お富と与三郎を入れ替えて、お富が傷だらけになる「處女翫浮名横櫛」(通称、切られお富)の脚本を書いていますが、9月17日(水)16時〜衛星劇場(CS)で放送されますのでご興味がある方はいかが。

◆おまけ
日本が世界に誇るジャズピアニストの穐吉敏子さんが木更津甚句をジャズアレンジした曲です。かなりイケています♪