ぶらあび

ジャンルを超え、地域を超え、時代を超えて「時間芸術」(音楽、文学、話芸、香道…)、「空間芸術」(建築、彫刻、陶芸、絵画、書道、華道…)、「総合芸術」(舞踊、演劇、映画、茶道…)など芸術全般の感想を書き綴ります。(オススメ公演情報等はスマホ版で表示されないのでPC版でご覧下さい。)

映画「ラ・ラ・ランド」(原題:La La Land)

今日は、千葉県千葉市にある明治天皇御小休所「しらい庵」(下の写真)で美味しい十割そばを食べたので、少しそばについて書きたいと思います。正月のブログ記事で、日本語が持つ音の特徴は自然音と似ており、日本語を母国語とする人は自然音を左脳(言語脳)で認識して何らかの意味を感じるのに対し、西欧の言語が持つ音の特徴は概して自然音とは似ておらず、西欧の言語を母国語とする人は自然音を右脳(音楽脳)で認識して雑音と感じるという趣旨のことを書きましたが、少なからずそのことは食文化にも影響を与えています。日本人はそばを食べるときに「ズルズル」と音をたててすすりますが、これは口の中に空気を含むことでそばの香りが広がるという効果(ワインのテースティングと同じ)に加えて、日本語を母国語とする人はその音に清涼感を感じて食欲をそそられ、また、歯切れの良い音をたててそばをすするのは”粋“と考えられています。これ以外にも漬け物の「コリコリ」という音、野菜の「ザクザク」という音、せんべいの「ボリボリ」という音などは、食材の食感、鮮度や旨味を感じさせる音として、やはり食欲をそそる音と捉えられています。このように日本語を母国語とする人にとって食における音の果たす役割は重要で、食事を味(味覚)、香り(嗅覚)、盛り付け(視覚)で楽しむことに加えて、音(聴覚)で楽しむ点に日本の食文化の特徴があります。その一方、西洋の言語を母国語とする人は食事でたてる音は雑音としか感じられず、西洋の多くの国では食事で音をたてることはテーブルマナーに反すると考えられており、とりわけそばをすする「ズルズル」という音はヌードル・ハラスメント(ヌーハラ)と言われるほど不快感を与えるようです。日本の茶道では「吸い切り」という作法があって、お茶を飲み干す「ズズズ」という音はお茶を点ててくれた亭主への礼儀と考えられており、西洋の国々とは全く逆の考え方が文化として根付いています。



上の写真:明治天皇御小休所「しらい庵」(千葉県千葉市)で千葉県産の国産そば粉100%を使った十割そばを食べてきました。本当に美味しいものは舌ではなく胃袋で感じるものですが、香り高い十割そばとそば湯を足しても風味が損なわれない上質のそばつゆに今日は胃袋が大満足でした。ここは明治15年に明治天皇が軍事演習を視察するために千葉に行幸された際に休息された土地の名主である旧石原家の跡で、長屋門(1枚目)と母屋(2枚目)が当時のまま残されている史跡です。(少し下世話ですが、明治天皇が用を足されたトイレも残されているそうです。)
下の写真:明治天皇御小休所[「しらい庵」の近くにある小谷流の里「ドギーズアイランド」(千葉県八街市)。ここは愛犬と宿泊、食事や遊戯等を楽しめるレジャー施設でレストランにも愛犬の同伴がOKなので、愛犬をペットショップ等に預ける必要がなく愛犬に寂しい思いをさせることはありません。休日になると関東近郊から自慢の愛犬を連れてくる方が多く、愛犬家には人気のスポットになっています。

因みに、明治天皇御小休所「しらい庵」は、実際に明治天皇が立ち寄られた明治時代の古民家をそのまま使用していますが、この古民家の造りを見ていて日本と西洋の建築様式の違いが食文化に与えた影響についても書きたくなったので、少しだけ触れておきたいと思います。ご案内のとおり日本の建築は玄関の土間で履き物を脱いで一段高く設えられた床に上がり家内に入る「高床式建築」ですが、西洋の建築は玄関の土間と床の区別がなく履き物を履いたまま家内に入る「土間式建築」です。この違いは、狩猟民族が多い西洋では何時でも狩りに出られるように家内でも履き物を履いたままの方が都合が良かったのに対し、農耕民族である日本は多雨多湿な気候による洪水や湿気を避けるために地面よりも一段高い場所に食料を保存する必要があり、その床が湿気を持った泥等を吸わないように家内では履き物を脱ぐ方が都合が良かったと考えられています。その結果、西洋では土間と床の区別がないことから、人間がくつろぎ、食事をとる場としての家具(椅子やテーブル、ベットなど)が発達しましたが、日本では土間と区別して床が設えれたので、人間がくつろぎ、食事をとる場として床がそのまま使われるようになりました(時代劇などを見ていると、読み書きをするための書斎机以外にはテーブルや家具などはなく、お茶が床(畳)に直置きされているシーンが多く登場します)。このことは顔に間近い高さのテーブルの上で食事をとる西洋では食器を持ち上げないままで食事をとることが可能でしたが、顔から距離がある床に据え置かれた膳で食事をとる日本では食器を持ち上げて食事をとらなければならなくなったという食文化の違いになって現れています。また、狩猟民族が多い西洋では1つの獲物(動物)を囲んで食事をしたことから皆が同じテーブルを囲んで食事をとるスタイルとなり、その1つの獲物(動物)が盛られた食器を持ち上げて独り占めすることはマナー違反であると考えられるようになりましたが、農耕民族である日本では複数の作物(主に植物)を一人づつ分配して膳で食事をとることから自分に分配された作物(植物)のみが盛られている食器を持ち上げて食事をしてもマナー違反にはならなかったという事情も挙げられると思います。このような食文化の違いを背景として、日本では身分(官職の上下、父と母子、嫡子と庶子など)に応じて膳に盛られる食事の内容に差がつけられるようになり、その後、近代になって日本でもテーブル(皆の食事の内容が見えてしまう“ちゃぶ台”)が使われるようになってからも暫くの間はお父さんや長男はおかずの品数が多いとか、魚や肉などの主菜がひと回り大きいなど「食卓の差別」として膳(食文化)の影響が残ることになったと考えられます。

そばもん 1 (ビッグコミックス)

そばもん 1 (ビッグコミックス)

なお、左上の浮世絵は三代目歌川豊国作「鬼あざみ清吉」(歌舞伎「花街模様薊色縫〜十六夜清心〜」落語「鬼あざみ」に登場する江戸後期に実在した大泥棒)で二八そばの屋台が描かれていますが、二八そばの名前の由来は当時のそばの代金が1杯16文(現在価値で約320円)だったので2枚×8文銭=16文からきているという俗説もありますが、二八そば=つなぎ(小麦粉)2割+そば粉8割からきているというのが真説のようです(現代のスーパー等で販売されている乾麺のそばはつなぎ(小麦粉)8割+そば粉2割のソバモドキで逆二八と呼ばれています)。十割そばはつなぎ(小麦粉)を使用せずにそば粉10割でそばを打つのでそば職人の腕前が必要となることから、一般に、十割そばを提供するそば屋は技量が高く味よしの名店であることが多いと言われていますが、二八そばの方がバランスが良く美味しいという人も多いので、どちらが美味しいということは一概に言えず、どちらのそばの特徴が舌に合っているかという好みの問題でしかありません。丁度、新年度前の引越シーズンですが、昔から細く長くお世話になりますという意味を込めて「側(ソバ)に引っ越してきました」と洒落た挨拶代わりに近所にそばを配ったことが引越そばの始まりと言われていますので、小粋に引越そばをすすり心機一転して新生活をスタートするというのも良いかもしれません。

さて、本題ですが、本日は新しいミュージカル映画を観に行きましたので、ごくごく簡単に感想を残しておきたいと思います。

【題名】映画「ラ・ラ・ランド」(原題:La La Land)
【監督】デイミアン・チャゼル
【脚本】デイミアン・チャゼル
【出演】<セバスチャン>ライアン・ゴズリング
    <ミア>エマ・ストーン
    <トレイシー>キャリー・ヘルナンデス
    <アレクシス>ジェシカ・ローゼンバーグ
    <ケイトリン>ソノヤ・ミズノ
    <ローラ>ローズマリー・デウィット
    <ビル>J・K・シモンズ
    <グレッグ>フィン・ウィットロック
    <ジョシュ>ジョシュ・ペンス
    <キース>ジョン・レジェンド ほか
【撮影】リヌス・サンドグレン
【作曲】ジャスティン・ハーウィッツ
【作詞】ベンジ・パセック
    ジャスティン・ポール
【振付】マンディ・ムーア
【美術】デビッド・ワスコ
【衣装】メアリー・ゾフレス
【公開】2017年2月24日
【場所】成田HUMAXシネマズ 1,800円
【感想】ネタバレ注意!
現代に生きる若い男女のごく普通の日常(青春)と半生を描いたものなので、それほどストーリー性は高くなくドラマチックな要素も少ないのですが、学生時代にミュージシャンを目指してドラムを演奏し、映画「セッション」の監督でもあるデイミアン・チャゼルの作品だけあって、何と言っても映画全編に亘って軽快でダンサブルな曲から哀愁漂うバラード調の曲まで魅力的な音楽とダンスがふんだんに散りばめられており音楽好きなら楽しめるミュージカル映画です。思わず終幕後にサントラCDを買い求めてしまいました この曲について「ハーモニーに対する感覚」が足りないという評を見たことがありますが、個人的にはハーモニーの概念を持たない民族音楽も多いなか常に音楽にハーモニー的な要素が必要不可欠又は重要なのだろうかという気もします。あくまでも個人的な好みの問題なのかもしれません。ミュージカルの魅力に溢れるキャッチ―な冒頭が印象的でしたが、誰しも身に覚えがあるラストシーンは、命とは神から与えられた時間であり、人生とは決して巻き戻すことができない時間の流れの中での選択の連続であるということを思い出させてくれます。後悔のない選択をするために、常に自らに由って生きて行く強さと賢さを持ちたいものだと思います。因みに、セブことセバスチャンは、実在のジャズ・ピアニストのホーギー・カーマイケルがモデルで、映画の中で彼が座ったというイスが登場します。歌唱力のある役者なら舞台も観に行ってみたいミュージカルです。ご案内のとおり、アメリカは多民族国家として様々な文化が触発し合いながら独自の文化を育んでいる国ですが、歴史は浅いながらその文化的な懐の広さや多様性がどれだけ新しいものを創り出す息吹(文化的なダイナミズム)を生んでいるのか思い知らされます。

◆おまけ
気に入ったらサウンドトラックを購入しましょう。僕も購入しました。全英アルバム売上チャート1位を獲得したようです。