
遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ



さて、本題ですが、疫病と能楽の関係について簡単に触れたうえで、僕の先祖が観阿弥・世阿弥と関係がありますので、少々、観世氏の出自と能楽の歴史に触れながら、にっぽん!歴史鑑定「室町殿と観阿弥・世阿弥」(BS-TBS)の番組内容について備忘録を残しておきたいと思います。
①疫病と能舞台
能舞台は、疫病の流行と密接に関係しながら発達しました。例えば、能舞台の鏡板に描かれている松の絵は、春日大社の「影向の松」をモデルとしていますが、昔、疫病が流行したときに、春日大明神が春日大社の「影向の松」を依り代として降臨し疫病を退散させるために翁の姿で万歳楽を舞ったという伝承があり、以後、春日大社を参詣する芸能者は「影向の松」の前で一芸を奉納する風習が生まれます。この風習に倣って能舞台の鏡板に松の絵が描かれていますが、松の絵に向かって能楽を披露すると観客に背を向ける格好になってしまうので、客席に松を拝んで、その松が能舞台の背板に鏡映されているという設えになっており、そこから鏡板と命名されています。能舞台には、能楽が疫病退散を寿ぐ芸能として機能し、発展してきた名残が見てとれます。その実例として、能「皇帝」では、疫病を患う楊貴妃のもとに神霊が現れて病鬼を退治し、御代の長久を言祝ぐという内容になっています。この点、前回の記事で、「人の目には見えない疫病に鬼の姿(邪悪なるもののメタファー)を与えて可視化することで・・(中略)・・いつか神仏のご加護(救い)がもたらされるという共同幻想を抱き易くなり、社会不安を和らげる機能を果たした」と書きましたが、能舞台は現世と異界とを橋掛りで結ぶ仮想空間を設え、そこに目に見えない疫病が鬼に化体した姿を顕在させて、これを鎮め又は退治するための「遊び」の装置として機能し、疫病を荒ぶる神(疫病神)として祀るだけではなく、それを文化芸術(より創造的な精神活動)へ昇華して社会の中に取り込むことで、人々が冷静に疫病や死と向き合う機会を日常的に与え、その「恐れ」(逃げること)を克服して「畏れ」(向き合うこと)に転じることができる心を養うという重要な社会インフラとしての役割も担ってきたのではないかと思います。この点、武士の芸能である能楽だけではなく、庶民の芸能である歌舞伎等でも疫病と向き合う小粋な知恵が息衝いてきました。今年、十三代目市川團十郎が襲名されましたが、代々、市川團十郎は不動明王に扮する「神霊事」を得意芸とし、成田不動尊への敬虔な信仰から市川團十郎には霊力が宿っていると崇められ、「不動の見得」は眼力ひとつで邪気を払い、観客の無病息災が約束されると信じられてきました。このように歌舞伎見物は疫病退散という御利益までついてくる目出度いものであると人気を博し、疫病に対する社会不安を和らげる機能も担ってきたと考えられます。また、1889年に流行したインフルエンザは、歌舞伎の演目「新版歌祭文」に登場する商家の娘・お染が丁稚・久松にすぐ惚れることに準えて、すぐ伝染する「お染風邪」と呼ばれるようになり、家の軒先に「久松留守」と書かれたお札を貼って伝染しないように願を掛けたと言われていますが(この洒落た話は、後世、大工と借金取りに姿を変えて「お染め風邪久松留守」という喜劇作品になっています)、医学が発達していない時代に、このような洒落れた「遊び」で疫病への恐れを克服していたのではないかと思われます。また、歌舞伎見物以外にも庶民の楽しみの1つとして、新コロの影響で今年中止になった墨田川の花火大会は1732年に流行した疫病で亡くなった人々の慰霊と疫病退散を依願する目的で始められたものですが、このような「遊び」が疫病によって人々の心まで蝕まれてしまうことを防ぐ社会のワクチンとして重要な役割を担ってきたのではないかと思われます。
②能楽の歴史(伝統と革新)
1333年(元弘3年)、観阿弥こと服部(三郎)清次は、伊賀国・服部元就と楠木正成の妹・卯木との間に誕生し、その後、山田猿楽・美濃大夫の養子となって猿楽を承継します。因みに、僕の先祖も楠木氏の血を引いていますので、観阿弥・世阿弥とは同じDNAを分けた同根同祖の間柄というのが飲み屋の語り草です。・・・(閑話休題)・・・観阿弥は、当時、乞食の所行と蔑まされていた猿楽の地位を向上することに苦心し、メロディーが中心だった「猿楽」に、拍子の面白さに特徴がある「曲舞」(「今様」から発展した歌謡で、現代のラップ音楽に近い性格のもの)を組み合わせて革新的な改良を加えています。1363年、観阿弥の子・世阿弥が誕生し(鹿島建設元会長・鹿島守之助さんは観阿弥の妻の実家の末裔)、1375年、京都・新熊野神社の観世座興行を見物に来ていた室町幕府3代将軍足利義満が世阿弥を気に入り贔屓にします。この点、足利義満が世阿弥を贔屓にした背景には、公家に対する影響力を行使するために公家文化を凌駕する革新的な猿楽を利用したかった為であるとも言われています。1385年、観阿弥が巡業先の駿河で急死すると(北朝勢力であった今川氏に暗殺されたという説もあり)、当時、22歳の世阿弥が観世大夫の名跡を継ぎます。世阿弥は、小柄で足裁きの良い俊敏な演技を得意とし、足を細かく使って地面を踏み鳴らす鬼の演技を得手としていましたが、世阿弥のライバルである近江の猿楽師・犬王が優美幽玄な舞で足利義満を魅了すると、世阿弥は足利義満の趣味に合うように犬王の芸を積極的に採り入れる柔軟さを示しています。世阿弥は、常に革新的なことに挑戦し続けていましたが、日本最初の演劇論である風姿花伝において、同じ曲や得意な曲ばかりを演じるのではなく、常に新しい曲を作って、その先にある新しい芸を目指すことの重要性を説いています。
◉風姿花伝花と面白きと珍しきと、これ三つは、同じ心なり☞ 花とは、見物が感じる新鮮さのこと。住する所なきを、まづ花と知るべし☞ 常に新しい芸を求め続けるところに花は生まれる。能の本を書くこと、この道の命なり☞ 新しい曲を作ることが何よりも革新を促すものである。
1408年、足利義持が4代将軍に就任すると、予て贔屓にしていた田楽師・増阿弥を重用するようになりますが、世阿弥は増阿弥の淡々としながらも深い味わいを持つ舞が体現する「枯淡の美」に魅了されます。また、世阿弥は、50歳を過ぎてから禅に深く帰依するようになり、禅画や枯山水が体現する「余白の美」に魅了され、それらの精神を能楽に採り入れます。敢えて描かないことで、観る者のインスピレーションが喚起され、そこに無常の美が生まれるのと同様に、体の動きを抑えること(マイナスの美学)で、却って、心情や情趣等が深く伝わる(見物の内側から感興を引き出す)という新しい境地を見出します。そのようななか、世阿弥は、新たな能楽の表現様式として複式夢幻能を考案します。日本の古典文学や昔話等に取材して、そこに登場する人物(亡者)が舞台に登場し、現世での出来事を物語り、その無念を歌い舞う亡者供養の仏教世界、幽玄な舞台を完成させました。
◉花鑑動十分心、動七分身☞ 気が充満していながら、それでいて余計な力みがない姿に見物は興趣を感じる。☞ 「せぬ暇が、面白き」「内心の感、外に匂ひて面白きなり」(花鑑)
1422年、世阿弥は、劇作家としての才能に恵まれていた長男の観世(十郎)元雅を後継者に決めます。しかし、6代将軍・足利義教は、養子の観世(三郎)元重の方を贔屓にしており、1433年、観世(十郎)元雅が巡業先の伊勢で急死すると(観阿弥と同様に暗殺されたという説もあり)、足利義教の支援の下で観世(三郎)元重が観世大夫を襲名します。その直後、1434年、世阿弥は70歳のときに、佐渡へ配流となりますが、その理由として世阿弥の後継者問題に端を発する将軍家との確執が挙げられますが、これは江戸時代になって創作され理由で、近年の研究では、その真の理由は観世(十郎)元雅が南朝勢力と繋がっていたことから、その連帯責任を取らされた可能性が指摘されています。1441年、足利義教は観世(三郎)元重の舞台を見物中に暗殺され、これにより世阿弥の流罪は赦免されますが、その後の世阿弥の消息は分かっていません。なお、観世大夫の家紋は観世水ですが、これは観阿弥の拝領屋敷(現、観世稲荷神社)にあった井戸(観世井)に龍が降り立って生まれた水紋を象ったものと言われており、現在、その近くに本店を構える鶴屋吉信で京銘菓「観世井」として愛されています。因みに、楠木正成は、後醍醐天皇から菊花紋を下賜された際に、このまま家紋として使用するのは恐れ多いとして下半分を水に流して菊水紋にしたという伝承が残されていますが、観世大夫も水紋を用いているのは、もともと水神信仰が盛んであった為ではないかと思われます。
◉花鑑命には終りあり、能には果てあるべからず
「能には果てあるべからず」とは、常に革新を試みていた世阿弥の精髄を感じせる言葉であり、常に革新することを怠けてはならないという戒めの言葉だと思います。稀に、能楽は完成された芸能であるという虚言を耳にしますが、上記の世阿弥の言葉に触れる度に、このような考え方は奢った態度であり、創意工夫の足りない者の自己正当化のための逃げ口上なのだろうと感じます。伝統は「承継」するだけでは足りず「革新」を試みながら命を吹き込んで育むべきものであり、常に現代性を意識した創意工夫が積み重ねられなければ、いつか花は枯れ果ててしまうと思います。「能には果てあるべからず」という言葉の持つ重みがずっしりと感じらえる有意義な番組でした。能楽をはじめとした文化芸術の発展は疫病の流行とも密接に関係していますが、(世界中で亡くなられた方が多く、未だ闘病中の方も少なくないなかで些か不謹慎かもしれませんが)COVID-19の流行が、今後、どのような文化芸術や作品を育むことになるのか秘かに期待を寄せています。
◉世阿弥に因んだ映画紹介鹿島守之助さんが企画・制作した白洲正子さんのムービーエッセイ
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