大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用、拡散などは固くお断りします。※※

ザルツブルク音楽祭「聴くことの学校」(全3日)

【題名】ザルツブルク音楽祭「聴くことの学校」(全3日)
【講題】現象による響き(1日目)
    指揮とオーケストラ(2日目)
    響きと構造(3日目)
【出演】ダニエル・バレンボイム(全3日)
    ロビン・ティチアーティ(2日目)
    ピエール・ブーレーズ(1日目)
【演奏】ウェスト=イースト・ディヴァン・オーケストラ(全3日)   
【演目】ベートーヴェン レオノーレ序曲第3番 Op.72a(1日目、2日目)
    シェーンベルク 管弦楽のための変奏曲 Op.31(1日目)
    バルトーク 4つの管弦楽曲 Op.12(3日目)
【収録】2007年8月 ザルツブルク大学講堂(全3日)
【感想】
今日8月8日は「ピアノの日」(ピアノの鍵盤数が88鍵なので)だそうです。1700年頃にクリストフォリによってピアノ(当時の名称はクラビチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテで、音の強弱を出すことの出来るチェンバロの意味)が発明されたときの鍵盤数は54鍵しかありませんでしたが、それから約200年を経て88鍵まで増え、それ以来、ピアノの鍵盤数は88鍵で定着しています。これは人間の耳が音程として聴き分けられる音域が約20ヘルツから約4000ヘルツまでなので、これ以上、ピアノの鍵盤数を増やしても人間にはノイズとしてしか聴き取れないことが理由のようです。ピアノという楽器の発展史から、作曲家の表現意欲とピアノという楽器の改良との関係、ピアノという楽器の改良とピアノ曲の表現可能性の拡大、更にそれによる作曲家の作風の変化との関係等を調べてみると、これまで聴き馴れてきたはずのピアノ曲の異なった魅力(とりわけモダンピアノとピリオドピアノ(作曲当時に使用されていた楽器と同じタイプの楽器)で演奏した場合に同じ曲から感じられる魅力や感興の違い、ピアノの発展史の過程でモダンピアノと比べてピリオドピアノが内包していた機能的制約と作曲法や演奏法との関係を踏まえてその曲が本来持っている等身大の魅力を再認識する新鮮な発見と面白味など)を感得し、感動を新たにする契機になるかもしれません。以下に参考図書をご紹介しておきます。なお、浜松市楽器博物館にはピアノをはじめとして色々な年代の楽器が展示されていますので、お子さんがいらっしゃる方は夏休みの自由研究で訪れてみるのも良いかもしれません。色々な年代の楽器の実物(レプリカ)を見ながらそれらの発生史、発展史を紐解いていけるので興味深いです。

カラー図解 ピアノの歴史---作曲家が愛した、当時のピアノで奏でるCD付

カラー図解 ピアノの歴史---作曲家が愛した、当時のピアノで奏でるCD付

ピアノはいつピアノになったか? (阪大リーブル001)【CD付】

ピアノはいつピアノになったか? (阪大リーブル001)【CD付】



上段左から、1枚目:金谷方面から「東京湾観音」(千葉県富津市)の遠景を撮影。東京湾観音は高さ56m(20階建て相当)ですが、「大船観音」(神奈川県大船市)が25m(胸像)で、僕が1m80cm、ガンダムが18m、ウルトラマンが40m、キングコングが45mなので如何に大きいかが分かります。「牛久大仏」(茨城県牛久市)が高さ120m(世界3位)なので、関東の仏像ではこれに次ぐ大きさになります。参考になりませんがご参考まで。2枚目:東京湾観音の中景を撮影。手前の樹木と対比すると、その大きさが分かると思います。3枚目:東京湾観音の蓮台の下にあるミニチュアの東京湾観音です。このミニチュアは僕の身長と同じくらいの大きさなので、如何に東京湾観音が大きいかが分かると思います。4枚目:東京湾観音の近景を撮影。斜陽をバックに撮影しましたが、まるで救世観音の後光(後光とは仏様がその徳の高さから自然と体から放射される光のことを意味しますが、頭の後ろにある後光を「頭光」、身体の後ろにある後光を「身光」と言います。)のようです。5枚目:東京湾観音の内部に安置されているマリア観音。江戸時代の禁教令で弾圧されたキリシタン聖母マリア観音菩薩に仕立て秘かにキリスト教を信仰した名残です。なお、東京湾観音の内部は螺旋階段になっていて頭上まで登れるようになっていますが、下から「天部」(古代インドの神々から生まれた七福神帝釈天、韋駄天、摩利支天など)→「明王」(如来が姿を変えて人々を救う姿)→「菩薩」(お釈迦様が修行中だった頃の姿)→「如来」(お釈迦様が悟りを開いた後の姿)の順番に23体の仏像が安置されていて仏界が表現されています。
下段左から、1枚目:東京湾観音の腕(13階建て相当)から金谷港方面を撮影。「湘南平」(神奈川県平塚市)や「魚見塚展望台」(千葉県鴨川市)では永遠の恋を誓ってカップルの名前を書いた南京錠を鎖に付けると二人の仲は固く結ばれて恋が成就するという伝説がありますが、それらと同様に東京湾観音にもカップルの名前が刻まれた南京錠が❤ 2枚目:東京湾観音の頭上(19階建て相当)の天界から三浦半島方面の地上界を撮影。海風が強いと呼吸が困難になるほどの高所です。3枚目:東京湾観音の耳(17階建て相当)から富津岬方面を撮影。4枚目:大佐和海岸(富津岬近く)に1人佇み、メランコリックに夕陽を撮影。


ブログの枕として仏教について書きます。続く。




上段左から、1枚目:東京湾フェリーの金谷港フェリーターミナルの駐車場に設置されている恋人の聖地「幸せの鐘」です。夕暮れ時にカップルで鐘を鳴らすと永遠の恋が成就するという伝説があります❤ 鐘の下に浮ぶのが東京湾フェリーの船影で、海の彼方に薄っすらと見えるのが三浦半島です。東京湾アクアラインができましたが、ペリーが来航した東京湾浦賀水道)を遊覧する船旅も風情があって良いものです。2枚目:鋸山(千葉県安房郡)の稜線。江戸時代から良質な房州石の産地として知られ、石切り場の跡がノコギリの歯形のように見えることから命名されたそうです。江戸時代の人はどのようにしてあれだけの高地であれだけの巨大な岩肌から石を切り出し下界まで運んだのか、その遺構から石切り職人達の壮絶な生き様が偲ばれます。鋸山の上空に“白夜月”(日没に見える月のこと、日出に見える月は“有明の月”)と成田国際空港へ向う飛行機が見えます。写真をクリックしないと小さくて見え難いかもしれませんが、僕の好きな漢詩山中月」(眞山民)を添えておきます。3枚目:鋸山のロープウェイ乗り場から東京湾浦賀水道)を一望。対岸に見えるのが三浦半島です。4枚目:鋸山の山頂にある石切り場跡、通称「地獄のぞき」。あの先端(親子が写っているところ)まで行って写真を撮ろうとアプローチしてみましたが、あの根元あたり(先端まで下りられず躊躇している3人の姿が写っているあたり)で腰が抜けて断念。お好きな方はどうぞ。
下段左から、1枚目〜4枚目:日本の棚田百選に認定されている「大山千枚田」(千葉県鴨川市)の棚田です。正しく“神のキャンバス”と形容したくなるような心を奪われる美しさです。棚田は“小さなダム”と言われるように保水機能を持っていますが、棚田に水が張られる田植えの時期(ゴールデンウィーク頃と思われます)も美しいので、その時期を狙って再訪してみたいと思っています。女優の井上真央さんが主演され、実話を元に作られた映画「八日目の蝉」で棚田の夜祭りシーン(香川県の中山千枚田)が使われていましたが、大山千枚田の夜祭りは2014年10月17日(金)〜19日(日)に予定されていますので、ライトアップされた棚田の幻想的な夜景をお楽しみあれ。


ブログの枕として米について書きます。続く。


さて、ブログの枕が長くなりましたが、そろそろ本題を書きたいと思います。


概要と感想を書きます。続く。


◆おまけ
「ピアノの日」を記念して、昨年、ヤマハで開催された「むかしむかしの素敵なピアノ 〜19世紀に咲いた華〜』展ピアニストの小倉貴久子さんがクリストフォリの発明したピアノ(クラビチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ)のレプリカを実演された際の模様がYouTubeにアップされていたのでご紹介しておきます。

東京湾観音像に因んで観音経をアップしておきます。今年の正月に日蓮宗大本山清澄寺」(千葉県鴨川市)に御来光を拝みに行った際に日蓮宗の高僧と檀家の皆さんが団扇太鼓を打ち鳴らしながら一斉に題目を唱えられていましたが、澄んだ声で唱和されるお経は信仰心に貫かれた揺るぎない信念のようなものを感じさせる迫力があり(清澄山から臨む峰々に木霊し、宛ら十万浄土に響き渡るような唱題は生で聴くと圧倒されます。是非、ご一聴あれ。)、鳥肌を覚えたことが印象深く思い出されます。以前、野村萬斎さんがMANSAI@解体新書で三番叟について語られた中で「揉之段で肉体を極限の状態まで持って行って体を空洞化させ、鈴之舞で面をかけることで自我を消し去る感覚にな」り、これによって「依代」としての「身体」が出現するという趣旨のことを仰っていましたが、何時間にも亘り隙のないリズムに合わせてお経を唱える唱題行にも全く同じようなことが言えるかもしれません。最近は声明(キリスト教の讃美歌に相当する仏教音楽で、お経をリズム(節)やメロディー(抑揚)に合わせて唱えること)のコンサートも盛んで、クラシック音楽とコラボレーションした演奏会も行われるようになりましたので、信仰・修行としての仏教音楽に加えて芸術としての仏教音楽を見直してみるのも面白いかもしれません。

25年目の弦楽四重奏(原題:A Late Quartet)

【題名】25年目の弦楽四重奏(原題:A Late Quartet)
【監督】ヤーロン・ジルバーマン
【脚本】ヤーロン・ジルバーマン
【撮影】フレデリック・エルムス
【美術】ジョン・キャサーダ
【衣装】ジョセフ・G・オーリシ
【音楽】アンジェロ・バダラメンティ
【出演】<ロバート・ゲルバート>フィリップ・シーモア・ホフマン
    <ピーター・ミッチェル>クリストファー・ウォーケン
    <ジュリエット・ゲルバート>キャサリン・キーナー
    <ダニエル・ラーナー>マーク・イバニール
【制作】2012年
【感想】ネタバレ注意!
今年の「土用の丑の日」は7月29日でしたが、そもそも「土用」とは暦の立春立夏、立秋、立冬の18日前の期間のことを言い、その期間のうち暦の干支が「丑の日」を「土用の丑の日」と言います(2014年は8月7日が立秋なので、その18日前の期間のうち丑の日は7月29日のみとなります。この期間で2回目の丑の日を二の丑と言いますが、今年は二の丑はありません。)。何故、「土用の丑の日」に鰻を食べるようになったのかと言えば、江戸時代の発明家である平賀源内が鰻屋から商売繁盛の秘訣について相談を受けたところ、当時、「丑の日」には「う」のつくものを食べると夏負けしないという言い伝えがあったことから(万葉集三十六歌仙の1人、大伴家持が夏の鰻に託けて皮肉交じりに毒花を咲かせている和歌(ざれ歌)二首が載っていますが、昔から日本人は夏バテ対策に鰻を食していたようです。)、それに肖って「丑の日には鰻を食べよう」という広告を軒先に貼ったところ商売が大繁盛したことに由来しています。僕の自宅近くには印旛沼(千葉県佐倉市印西市成田市)がありますが、テレビ東京の人気番組「出没アド街ック天国」でも紹介されているとおり印旛沼は鰻の名産地としても知られ、印旛沼周辺には鰻屋の名店が軒を並べています。その印旛沼の湖畔には歌舞伎の演目「東山桜荘子(別名、東山殿花王彩幕又は返咲桜草子)」(通称、佐倉義民伝又は佐倉宗吾)でお馴染みで、数多くの浮世絵が作られ、講談や浪花節にも採り上げられる佐倉惣五郎伝説に登場する木内惣五郎(通称、佐倉宗吾)と甚兵衛(任侠の渡し守)の縁の地である甚兵衛公園日本の名松百選)と麻賀多神社(関東一の大杉とそこから歩いて直ぐのところにある宗吾旧宅、そして近隣にある東勝寺の宗吾霊堂)があります。また、近くには、この一帯を領地としていた佐倉藩居城の佐倉城址日本の名城百選)があります。因みに、歌舞伎役者の(故)中村勘三郎さんと演出家の串田和美さんコクーン歌舞伎で「佐倉義民傳」を公演された際に宗吾旧宅や宗吾霊堂を訪れています。
http://www.kabuki-bito.jp/news/2010/05/_photo_75.html



上段左から、1枚目:佐倉惣五郎伝説に出てくる「甚兵衛渡し」の旧跡。佐倉藩領内の名主であった木内惣五郎が打ち続く凶作と重税に苦しむ農民を救うために1652年に上野寛永寺に参拝していた4代将軍徳川家綱に税の減免を直訴し、その願いは聞き届けられたものの当時は直訴は大罪なので処刑されたという実話。その木内惣五郎の江戸出府にあたり任侠の渡し守であった甚兵衛は禁制を破って船を出し惣五郎を送った後に印旛沼に身を投じたという悲話。昔の日本人は“義に生き”“義に死ぬ”実に潔く誇り高い国民性を持った民族だったんですね。2枚目:「甚兵衛渡し」の旧跡は「甚兵衛の森」とも呼ばれて日本の名松百選に数えられ、見事な枝振りの松の大木が生い茂っています。なお、千葉には、名水百選として弘法大師ゆかりの「熊野の清水」もありますのでお立ち寄りあれ。3枚目〜4枚目:推古天皇が西暦608年に創祀した神社で、境内には推古天皇の時代に植樹された関東一の大杉(樹齢約1400年)があり「清澄山の千年杉」(千葉県鴨川市)よりも樹齢は長いと言われています。但し、正確に言えば、関東では「中川の箒杉」(樹齢約2000年/神奈川県足柄上郡)及び「逆杉」(樹齢約1500年/栃木県那須郡)に次ぐ樹齢ではないかと思われます。いずれにしてもこれだけの大杉は滅多に拝めません。因みに、783年に上述の歌人大伴家持が勅使として麻賀多神社へ参拝し鳥居を寄進したそうですが(それ故なのか鳥居には菊の御紋があしらわれています。)、その際に印旛沼の鰻を食されたかもしれません。関東では鰻を背開きにして一旦蒸してから焼くので淡泊で柔らかいのが特徴なのに対し、関西では鰻を腹開きにして蒸さずに焼くのでパリッと香ばしいのが特徴ですが(一説に関東は武士の国なので縁起を担いで切腹をイメージさせない背開きを好んだとか、また一旦蒸すのは鰻の身を大きく見せて見栄を張りたい江戸っ子気質のためとか)、関東風の鰻は大伴家持はんのお口に召したのでしょうか。
下段左から、1枚目:柳家三亀松さんの都々逸に「鉄の鎖で繋いだ舟も、義理じゃ甚兵衛も鉈で切る」という佐倉義民伝からの一節がありますが、宗吾霊廟(東勝寺)のお土産屋さんでこの名台詞が刻まれた「徳利」(とっくり)を買ってきました。佐倉義民伝は木内惣五郎さんの「徳」と甚兵衛さんの「義理」から生まれた物語なので、「徳」と「(義)理」で「徳利(理)」とは洒落ています。宗吾霊廟(東勝寺)を訪れると、村民の身代りになって一命を賭し税の減免を直訴した木内惣五郎さんはこの地域一帯の方々から子々孫々に亘って愛され大切に祀られていることが伺われます。なお、木内惣五郎さんが江戸出府の際に妻子と袂別のための砌り水杯に用いた井戸が残されていますが、その追慕の情も「徳利」に込められているのかもしれません。2枚目:印旛沼湖畔に建つオランダ風車「リーフデ」(千葉県佐倉市)と風にたなびく田園風景(利根川下流の水郷地帯では秋の洪水を避けるために通常の出荷時期より早い9月に出荷される早場米が主流で、もう稲穂が頭を垂れています)。何故、僕が千葉をこよなく愛するのかと言えば、千葉には大地の豊かな恵みと両手を拡げても納まり切らない地を覆うような広い空があるからです。3枚目:陽光に輝く眩いばかりの印旛沼。4枚目:甚兵衛大橋と双子橋の間を流れる印旛排水路にかかる橋脚がない架け橋。高地の架け橋には橋脚がありませんが、これだけ大きなものは首都圏近傍では珍しいのでパシャリ。どうやって鉄骨を渡したのか不思議です。

▼佐倉義民伝を扱った作品
歌舞伎

文楽

浪花節

ところで、最近、フェイスブックを利用してC.W.ニコルさんと友達になりましたが、彼がフェイスブックを使って面白いメッセ―ジを色々と配信されています。先日は間伐した50年杉(国有林の杉木で、戦後の植林政策で人工的に植えられたものと思われます。)の年輪が徐々に細くなっている原因について、これまで適切な間伐を怠ってきたことにより森が荒れ十分な日光を浴びられずに木の発育が阻害されてきたためだと嘆いておられました。自然に触れて自然を身近に感じながら暮らしていると杉木も人間も同じで、ギスギスとした狭い森(人間社会、都会暮し)の中では真っ直ぐ大きな木(人間性)は育み難いのではないかと実感することが多いです。即ち、人間社会(都会暮し)の中で色々なものを消費し疲弊するばかり(人間が造った人口的な世界は“破壊”と“消費”を基調とするシステム)では小さく歪んだ人間性しか育まれず、自然の中で色々なものを感じ吸収して(神が創った自然の世界は“創造”と“再生”を基調とするシステム)こそ大きな視野で色々なものに真っ直ぐと向き合える人間性が育まれるような気がしてなりません。アスファルトばかりを眺めていても、そこから活き活きと力強く生きるための創造力のようなものはなかなか生まれて来ないような気がします。因みに、ラフマニノフは米国に亡命して何も作曲することができなくなった理由について「もう何年もライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いてない」と語っていますが、ロシアの大自然が彼の創作の源であり生きる原動力であったことが伺われます。なお、C.W.ニコルさんは健康な森を取り戻し守るために「C.W.ニコル・アファンの森財団」を設立し、様々な活動を行っています。彼の許可をとって記事を掲載している訳ではありませんが、一般の方の寄付も受け付けられているので心ある方のご協力をお願い致します。また、パソコンやスマホで音楽コンテンツをダウンロードして購入すると音楽制作者が受け取る印税の一部が寄付されるドネーションミュージックという運動があるらしく、坂本美雨さんの「はじまりはじまり」という曲が寄付されていますのでご紹介しておきます。僕はC.W.ニコルさんの考えや生き方に共感を覚えることが多いですが、未来の子供達のために何を残してあげられるのか、未来に責任を持つ大人の1人として考え、実行したいと常々思っています。
http://www.afan.or.jp/



上段左から、1枚目〜3枚目:地球が丸く見える展望台(千葉県銚子市)から夕陽をバックに屏風ヶ浦を一望(風力発電用の風車が林立しています。)、屏風ヶ浦を背にして犬吠埼の灯台、夕陽に頬を赤く染めて愛を語り合うカップル達❤ 地球が丸く見える展望台は銚子の突端にあり三方を海に囲まれ、まるで引っ繰り返したお皿(地球)のてっぺんに立っているかのように360度見渡す限り丸く見える絶景ビューを楽しめます。4枚目:地球が丸く見える展望台に隣接するカフェ「風のアトリエ」。ガラス張りの店内で屏風ヶ浦方面の絶景(夜景もムード満点)を楽しみながらお食事を楽しめます。地球が丸く見える展望台で愛を語り合った後にお洒落な雰囲気の店内で食事と洒落込めば舌もハートもトロけてしまうこと請け合いです。デートに最適❤
下段左から、1枚目〜4枚目:さくらの山公園(千葉県成田市)から撮影した成田国際空港に着陸するタイ国際航空のジャンボ旅客機の機影。さくらの山公園は成田国際空港のA滑走路(北側の着陸進入路)の手前にあるため、頭上スレスレを航空機が飛来していきます。何機見ても無料なので、懐の寂しいお父さんは家族を連れて海外旅行気分(だけ)を満喫されてみるのも良いかもしれません。直ぐ近くに酒々井プレミアムアウトレットがあるので、お父さんの威厳を示す意味でも僅かばかりの小金を散財してみるのも一興です。

閑話休題印旛沼の周辺を散策した後、少し足を伸ばして成田国際空港と地球が丸く見える展望台に立ち寄ることにしました。この夏、旅行の予定もなく慎ましやかに過ごしたいと考えている懐だけは涼しいお父さん達も、空港に行ってジェットエンジンの音を聞いているだけで旅行気分に浸れます。空港(又はその近隣)で飛行機を観るも良し、ターミナルビルでショッピングや食事に興じるも良し、旅行客から旅行気分を少しだけお裾分けして貰って懐に優しい楽しい休日を満喫するのも悪くありません。この夏、成田国際空港では和楽器や洋楽器の演奏など色々なイベントも行われていますので、それに併せて空港に遊びに行ってみるのも良いかもしれません。因みに、世界の空港の利用者数ランキング(2012年)によれば、羽田空港東京国際空港)の利用者数は世界4位で、成田国際空港の利用者数と合算すると約1億人/年となり世界1位の利用者数になります。この狭い国土を逆手にとって羽田空港東京国際空港)と成田国際空港との間をリニア新線で結んで国際ハブ空港にするという「羽田・成田リニア新線構想」がありますが、(これによる内需浮揚や経済効果を期待する以前の問題として)国家財政が逼迫するなか現実的なプランにはなり難いのかもしれません。なお、世界最高の空港ランキング「世界空港賞2013」には成田国際空港をはじめとして日本の空港が軒並みランクインしていますので、日本の空港は世界の中でも最も利用し易い快適な空港と言えます。


上段左から、1枚目〜3枚目:成田国際空港第2ターミナル4階にあるお土産屋さん「横山」「井和井」「おみやげ京成」「ちばぼうきょう」。流石は日本の玄関口たる成田国際空港のお土産屋さんでして、如何にも外国人が喜びそうな“the 日本情緒”が漂うお土産(雑貨等)が所狭しと並んでいるので目を飽きさせません。日本人の僕が見ても思わずほくそ笑んでしまうような心憎いアイディア商品も多く、寧ろ、日本人が忘れかけていた“Nippon”なるものを想い起こさせられるような発見と驚きに満ちています。夏休みに旅行の予定がない人も成田国際空港でショッピングがてら“Nippon”を感じてみるのも面白いかもしれません。因みに、本日、僕は南部風鈴(南部鉄器を使った風鈴を南部風鈴、ガラスを使った風鈴を江戸風鈴と言いますが、平成の御代になって一般家庭にエアコンが普及し風を音で感じて涼む風流心は廃れてしまいました。線香の香りも然りですが、平成の御代になって失われた音や香りは実に多いような気がします。)、玉簪(花挿し(かざし)が転じて簪(かんざし)になったそうですが、玉簪とは耳かきの付いた櫛に珊瑚や翡翠の玉を差した髪飾りのことです。女性の社会進出と共に髪を結う習慣は廃れて簪を挿している人もいませんが、西洋的な染色やパーマだけでなく日本的な髪飾りが見直されても良いような気がしています。)、甲冑タペストリーを購入しました。4枚目:リサイクルショップで見付けてきた盆栽台(丸窓の障子が開閉するので、朝昼夕で盆栽の色々な景色を楽しめます)に成田国際空港で買ってきた玉簪と甲冑をあしらってみました。玉簪の情緒と甲冑の風格のコントラストが盆栽台に表情を生んでいます。現在は松(稚木)の盆栽を飾っていますが、秋には紅葉の盆栽、冬にはクリスマスツリーと角松、春には梅の盆栽と季節感を小粋に演出できたらと思っています。5枚目:小鼓打ちの名手と評され、歌舞伎(かぶき踊り)を創始した出雲の阿国が小鼓を打つ絵柄のタペストリー(成田国際空港で購入)。
下段左から、1枚目〜4枚目:航空科学博物館の展望室から撮影した成田国際空港A滑走路(南側の離陸滑走路)を離陸するユナイテッド航空のジャンボ機の機影。窓から乗客の顔が見えそうな近接感です。手前にヤマト運輸のカーゴ便が写り込んでいるのが実にお洒落♪ 羽田空港東京国際空港)は埋め立て地なので、このような撮影スポットがありません。

さて、ブログの枕が長くなりましたが、そろそろ本題を書きたいと思います。かなり昔に公開された映画になりますが、いよいよ某BS放送で採り上げられたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。


続く、執筆中。


◆おまけ
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第1番全曲から第2番第2楽章まで。ピアノ協奏曲第1番第2楽章はその風情とよいその色彩とよい実に美しい曲想で、ロシアの美しい大自然の景観を音楽で描写しているかのような恍惚感があります。瞑目して聴いているとラフマニノフの心象風景に浮ぶロシアの大自然が目の前に広がって、頬を伝う風の匂いまでも感じられそうなピアニスティックで素敵な曲ですね♪

おまけのおまけ。最近、中国古琴から紡ぎ出される響きの宇宙に嵌っています。中国古琴は実に雄弁で深淵な響きを持った楽器です。映画「レッドクリフ」や映画「HERO」にも中国古琴の演奏シーンが印象的に使われていますので、心を澄ませて響きの宇宙に身を委ねてみては..♪

おまけのおまけのおまけ。遅ればせながら“きゃりーぱみゅぱみゅ”という天才肌のアーティストに注目しています。彼女のミュージックビデオ(例えば、グロかわなタイトルの“きらきらキラー / Kira Kira Killer”)を見ていると、「音楽」(響き、リズム。これまでのポップスのように音楽が言葉に引き摺られるパターンとは正反対で、寧ろ、音楽が言葉から解き放たれて自由に飛翔している印象です。)、「美術」(CGを含む。よくよく見てみると日本の伝統的な文様をモチーフにしていたり、仏教その他の宗教的な世界観(例えば、蓮の花、陰陽道、十字架、アカシックレコード、輪廻転生など)をポップに表現していたりとクラシックとモダンが面白く融合されています。また、一見関係ない事柄の共通項(例えば、リンゴからウィリアム・テルの弓矢とニュートンが発見した万有引力、アダムとイブに禁断の果実を勧めたヘビを関連付けて表現しているところや、人類誕生から発見・発明の歴史を繰り返して文明社会が誕生する過程を禁断の果実を食した人間を飲み込むヘビ(又は古代インドの世界観の中に出てくる虚空中に浮かぶヘビ)と類人猿に扮したお釈迦様の手で踊る人間が未来の筋斗雲であるジェット・エンジンを搭載したスケートボードに飛び乗るという逆接で繋ぎ合わせて表現しているところなど)を見つけ出してイメージを自由に膨らませているところや、恋というポップなテーマでオブラートに包んでいますがその描き出されている世界は深淵なテーマ性を持っており誰かが放った矢に射抜かれてから(弱肉、ハートを射止められる王女マティルデ)生まれ変わって我々に矢を射る(強食、ハートを射止めるウィリアム・テル)までの輪廻転生や自然の摂理自然法則的に言えば半永久的に続く連鎖、音楽的に言えば循環形式)などの一貫したテーマを混沌とした表現の中に破綻なく整然と描き出しているところなどが個人的には興味深いです。)、「振付」(表現しようとしている世界観をシンボリックに体現し又は奇抜にアクセントするパフォーマンスにも惹き込まれます。)、衣装(衣装の細かい飾付けには独創的な感性が散りばめられていて視覚的に飽きさせません。)、「映像作り」(カット割りのテンポなどが小気味良く、その一方で煩くもなく効果的です。)が有機的に絡み合って作り出す独特の世界観は非常に斬新で独創的であり訴求力があるものであって、一見、荒唐無稽に見える表現も強烈なコンセプトと感性によって破綻なく纏められており完成度の高いものと言えます。このように優れたプロダクトを“サブカル”という先入観で一段低く評価する向きもありますが、僕は既成概念に囚われた詰まらない偏見に組みするものではなく“良いものは良い”としてお勧めしたいです。

伊八、北斎からドビュッシーへ −日仏文化交流の麗しき円環−

【題名】伊八、北斎からドビュッシーへ −日仏文化交流の麗しき円環−
【著者】栗原浩太郎
【出版】創英社/三省堂書店
【発売】2014年2月28日
【値段】1400円
【感想】
去る6月3日は「ムーミンの日」だそうですが、語呂合わせが大好きな日本人ならではの記念日です(正式には著者のトーベ・ヤンソンの誕生日である8月9日だとか。因みに、今年はトーベ・ヤンソンの生誕100周年です。)。何故、僕がハンドルネームをスナフキンとしているのかについては、先日、このブログでも紹介したとおりスナフキンの自分自身に素直であろうとする自由な生き方(ボヘニアニズム)に共感していることに由来しますが、(人生の折返し地点を過ぎて僕にはあとどれくらいの時間が残されているのか分かりませんが)死の床にあって自分の人生がマズマズであったと思えるように自分自身の心を欺くことのない人生の選択(人生の折り合いの付け方)をして行きたいものだという心持ちでいます。天文地理学を用いて日本で初めて精巧な日本地図を完成させた伊能忠敬(千葉県九十九里町出身)は51歳(江戸時代の平均寿命は50歳以下なので当に楽隠居の年齢ですが)から天文学の第一人者である高橋至時に師事し、55歳から15年の歳月を掛けて約4万km(≒地球一周分)を踏破して日本地図を完成するという大業を成し遂げていますが、ここまで大きなロマンや情熱を持ち得るかは別として、伊能忠敬の何歳になっても自分の好奇心に忠実であろうとする自由な生き方にシンパシーを感じますし、僕もそのように自分自身に素直に生きたいものだと常々心掛けています。あらゆる人生の問題に対する答えは自分自身の中にこそあり、人生の困難に直面したときは自分の外(他人を含む)に答えを求めようとするのではなく自分自身と向き合って答えを見い出して行く姿勢が大切で、その意味で芸術は自分自身と向き合い自分自身を写す縁として僕にとって掛け替えのないもの(生涯の宝となるもの)なのです。
http://d.hatena.ne.jp/bravi/20130602/p1


左上から、1枚目〜3枚目:よい季節になってきたので水郷として有名な佐原(千葉県佐原市)で水遊び。川面に写る柳の風情と古式ゆかしい町並みが溶け合って独特の雰囲気を湛える本当に魅力的な町です。4枚目:水郷佐原には伊能忠敬が後年に居を構えた旧宅(修復工事中)があり、その近くに伊能忠敬美術館もありますので、是非、お立ち寄り下さい。
左下から、1枚目〜3枚目:九十九里にある伊能忠敬の生家跡(公園)とそこから程近い九十九里海岸。幼少期の伊能忠敬もよく眺めていたであろう九十九里の海岸線を遥かに仰ぎ見ると、晩年に天文地理学を極めて日本地図の作成に着手した伊能忠敬男のロマンの淵源が偲ばれます。因みに、夜の九十九里海岸は太平洋を包み込むように満天の星空が拡がる大パノラマと“日の出”ならぬ“月の出”(水平線から真っ直ぐに海面を照らし出す青白く淡い月光は実に幻想的でロマンチックなので夜のデートにお勧めです❤ 九十九里海岸は車で海岸線まで入れるところも多いので、静かなピアノ曲をBGMに身も心も月光浴に浸ったり、カメラを片手に季節の星座を眺めながら神話の世界を旅してみるなんてお洒落じゃありませんか♪)を拝むことができます。4枚目:川崎大師・西新井大師と並ぶ関東三大厄除大師の一つに数えられる観福寺(千葉県佐原市)には伊能忠敬の墓碑があります(上野の源空寺にも墓碑があります。)。観福寺の有名な枝垂れ梅も見事です。

<写真の追加 2014/11/30>

蛇足ながら、伊能忠敬が千葉県出身であることに因んで、奈良時代には千葉のことを「上球」と記していたようですが、「球」は「房をなして稔る果実」を意味しています。また、平安時代には麻がよく育つ土地柄からその別名である「総」(ふさ)の名をとって「総の国」とも記していたようで、そこから現代でも使われている「上総」や「房総」の呼称が生まれたようです。さらに、千葉には多くの「茅」(ちがや)が生息していたことから古くは「茅生」(ちぶ)とも呼ばれ、それが「千葉」(ちば)へ転じたとも言われています。このように「千葉」の名前は農産物に恵まれた豊かな大地という土地柄に由来しているようです。因みに、そのような土地柄もあってか、伊能忠敬の生家跡の直ぐ近くには、8代将軍吉宗の御下命を受けた蘭学者青木昆陽が関東地方で初めて甘藷(サツマイモ≒“根”が太くなったもの)と馬鈴薯(ジャガイモ≒“茎”が太くなったもの、ジャガイモは根(栄養分を吸収するところ)ではなく茎(栄養分を蓄えておくところ)なので放っておくと芽が出てきてしまいます)の栽培に成功した「関東地方甘藷栽培発祥の地」(千葉県九十九里町)があります。また、千葉は思想学問(日蓮宗開祖である日蓮聖人や儒学者荻生徂徠などを輩出)や文化芸術(今年刊行200周年を迎えた曲亭馬琴の読本「南総里見八犬伝」を生み、小説「野菊の墓」で有名な伊藤左千夫や日本画家の東山魁夷などを輩出、その他は後述)が非常に栄えた歴史のある土地でもあります。芸術好き・自然好きの僕にとっては京都・滋賀に並ぶ鼻血が止まらない魅力的な場所なのです。


左から、1枚目:千葉に遁世して久しいですが、僕の自宅周辺には見渡す限りの大自然が広がり、早朝、まるで大地が呼吸しているように幻想的な朝霧が立ち込めます。“鞭聲粛々夜河を過る”と詩吟が聞こえて来そうな濃霧に包まれることも珍しくなく、都会では決して感じることができない大自然の息吹を感じます。2枚目:千葉は鋸山などの豊かな採石場があり、江戸時代後期に「鋸山の麓に名工あり、その彫技神妙なり」と称され、厳島神社(千葉県南房総市)にある七福神の石造でも有名な名石工・武田石翁を輩出していますが、現在でも県内には数多くの石材店が軒を連ねています。因みに、鋸山の麓の鋸南町浮世絵の祖、菱川師宣の生誕地でもあるので、後述するとおり葛飾北斎は波の伊八と菱川師宣を生んだ千葉と浅からぬ因縁で結ばれていることになります。そんな土地柄を受けて僕の家の玄関前の石造のお地蔵さんはいつもお世話になっている宅配業者さん&郵便局員さんの交通安全と毎日の無事を祈っています。

さて、本題に移りますが、江戸時代末期の千葉県では“安房の三名工”と称された名彫刻師(1)木造彫刻の武志井八郎信由(俗に“波の伊八”)、(2)木造彫刻の後藤利兵橘義光、(3)石造彫刻の武田石翁を輩出していますが(千葉県は=浮世絵の祖・菱川師宣狩野派の祖・狩野正信なども輩出している文化的に肥沃な土地柄ですが)、とりわけ江戸末期には「関東へ行ったら波を彫るな」とまで言わしめた“波の伊八”が欄間彫刻に数多くの傑作を残し、(下の写真を見てもお分かりのとおり)その代表作の1つである「波と宝珠」(行元寺)に着想を得た葛飾北斎は世界的に有名な浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を創作し(「波と宝珠」は「波」(即ち、運命)に翻弄されて生滅流転する「宝珠」(即ち、人間の魂)を描いていますが、「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は「宝珠」を「富士山」に置き換えてその代りに荒波に翻弄されて押送舟(房総半島から江戸に魚を運ぶ快速舟)に必死にしがみ付くしかない水夫の鬼気迫る姿を描き込むことで同じテーマを扱っていることが伺えます)、さらに、その浮世絵に多大なインスピレーションを受けたドビュッシーは彼の代表作の1つである交響詩「海」を作曲しています(交響詩「海」の初版譜表紙は浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が使用されていることは有名ですが、富士山がカットされてしまっているので、波の“動”又は“無常なもの”に対照して描かれている山の“静”又は“恒久不変なもの”が生む求心力や緊張感(波の勢いを含む)、遠近感などが削がれてしまっているのは残念です。)。また、この作品はピカソ(絵画「ドラマールの肖像」で用いられている視点移動法など)、ゴッホ(絵画「ローヌ川の星月夜」で用いられている点描法、絵画「アルルの跳ね橋」で用いられている覗き画法など)、モネ、セザンヌ(絵画「サント=ビクトリア山」で用いられている動的遠近法など)、クールベ(絵画「波」で用いられている動的遠近法、点描法など)などの西洋絵画に多大な影響を与えています。このように日本文化及び西洋文化に多大な影響を与えている“波の伊八”ですが、何故か(僕の知る限り)日本の教科書で“波の伊八”が採り上げられることはなく、その作品の芸術的な価値(審美眼をお持ちの諸兄であれば、その作品の生命力、芸術的な価値の高さは一目だと思います。)に反比例して極めて不当に冷遇されています。
http://d.hatena.ne.jp/bravi/20130422/p1
http://d.hatena.ne.jp/bravi/20130715/p1


左から、1枚目:武志伊八郎信由(“波の伊八”)の欄間彫刻「波と宝珠」、2枚目:葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」、3枚目:ドビュッシー交響詩「海」の初版譜表紙、4枚目〜5枚目:“波の伊八”が馬に跨って海に入り波をスケッチしたと言われている太東海岸(千葉県夷隅市)の全景とテトラポットに砕ける波の象形。北斎の大胆な構図(デフォルメ)と共にディーテイルに拘った繊細な描写力が作品に活き活きとした生命力、躍動感を与えています。

上述のとおり“波の伊八”の欄間彫刻の傑作「波と宝珠」は運命(波)に翻弄されて生滅流転する人間の魂(宝珠)をテーマとし、それが葛飾北斎の浮世絵の傑作「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」にも受け継がれていると書きましたが(荒波に翻弄されて舟にしがみつく水夫の表情を描かずに没個性化することで人間の魂をシンボリックに表現し、これが絵のテーマに永遠性、普遍性を与えているように感じられます)、「波と宝珠」や「神奈川沖浪裏」は観る者に強烈なインスピレーションを与える作品であり、その痕跡は交響詩「海」の細部にも発見することができます。例えば、第二楽章「波の戯れ」でハープが掻き鳴らす嬰イ音(以下の楽譜の56(198)ページから、ヴィオラ&チェロからヴァイオリンへと受け継がれて表現される荒波の高なり(楽譜下段、五線譜の左欄外に楽器指定のない段、最下段より低い音を奏でる楽器から高い音を奏でる楽器の順番で記譜され、下から一段づつコントラバス、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンがそれぞれの段を演奏)、その頂点に達したところで「神奈川沖浪裏」に描かれている毛巻のような波が次々と泡沫(水滴)になって潮解して行くイマージュをハープ(楽譜中段、五線譜の左欄外にHarpesと楽器指定のある段)が奏で始める部分は「波と宝珠」そして「神奈川沖浪裏」が持つテーマ性や荒波のモチーフから受けたインスピレーションが見事に音楽へと昇華している部分と言えると思います。但し、この曲で表現されている海(又は波)は描写的(物質的、実体的)なものとは異なり、何もないところ(無)から波(有)が生成されそれと同時に波(有)が泡沫となって消滅(無)して行く間断のない変異のイマージュ、無形の海が無数の有形の波を生成しその無数の有形の波が消滅して無形の海に戻る断続的な変異のイマージュなどが素描され、(意識的か又は無意識的かは別としても)“色即是空、空即是色”や“無常観”といった日本文化のエッセンス(仏教思想)と相通じる世界観(観念)が描かれていると言えるとかもしれません。


左から、1枚目:ドビュッシー、右はストラヴィンスキー。後ろの壁には、葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と喜多川歌麿の浮世絵「当時全盛美人揃 玉屋内しづか」が掛けられています。ストラヴィンスキー北斎歌麿の作品に見られる「遠近法や量感の図式的解決が音楽において何か類似したものを発見」させると語っていることからも、両者の作品から多大なインスピレーションを受けていたことが伺われます。2枚目:ドビュッシーが所蔵していた漆箱の蒔絵、南州「金の魚」の図柄は、映像第2集の第3曲「金色の魚」の作曲にインスピレーションを与えたと言われています。

【楽譜】
http://conquest.imslp.info/files/imglnks/usimg/b/b6/IMSLP15420-Debussy_-_La_Mer__orch._score_.pdf

因みに、ドビュッシーガムラン音楽や日本を含む東洋音楽の影響も色濃く受けており(同時代人のプッチーニ日本民謡川上音二郎貞奴の舞台や越後獅子の演奏等に強い影響を受けていたと言われています)、ドビュッシーの作品には当時行き詰まりを見せていた機能和声法からの脱却、全音音階や五音音階の使用、拍節から自由なリズムの採用などの特徴が顕著に現れています。交響詩「海」に見られる日本の音楽の影響については、後掲「伊八、北斎からドビュッシーへ −日仏文化交流の麗しき円環−」(創英社/栗原浩太郎著)の135ページ以下に詳述されていますので、ご興味のある方はお買い求め下さい。なお、NHK(Eテレ)の日曜美術館等で“波の伊八”の特集を放送して貰えないものかと何度かリクエストを出していますが、いつも大変に良質の番組を作られる懐の深いNHKのことですから、いずれ時機を見てリクエストを叶えて戴けるのではないかと期待しております。

[rakuten:hmvjapan:11192815:detail]


欄間彫刻「波と宝珠」(行元寺)の前掲の写真を裏から見たもの。実際には、こちらが表面で前掲の写真が裏面ですが、葛飾北斎が前掲の浮世絵を「神奈川沖浪」と題しているのはこの欄間の裏面を題材としているからとも言われています。実物を目の当たりにするとその圧倒的な存在感、作品の生命力に息を呑みますが、これだけ繊細でダイナミックな“動き”のある彫塑、しかも波しぶきの“音”までもが聞こえてきそうな鬼気迫る(死を予感させる)活き活きとした波を見せられた葛飾北斎の感嘆たるや如何ばかりのものであったか察するに有り余るものがあるように感じられます。その葛飾北斎が見た作品(実物)が目の前にあると思うと、尚更のこと感興極るものがあります。白洲正子さんがご著書の中で仏像は薄暗い厨子に収められているから恭しく有り難いものに観えるけれども、蛍光灯に煌々と照らされたショー・ウィンドーに収められているとどうも有難味が薄れて興醒めするという趣旨のことを語られていたと記憶していますが、欄間彫刻もその作品が本来の魅力を発揮し最も活き活きとした生命力を宿す「空間」があるという意味で同じことが言えるかもしれません。


欄間彫刻「波と宝珠」は行元寺(千葉県いすみ市)の離れにある客間(下図のとおり3部屋に仕切られ、庭から見て1室目と2室目を区切る襖の上に1つ目の欄間(黒線)、2室目と3室目を区切る襖の上にある2つ目の欄間(赤線)が「波と宝珠」)に設えられていますが、庭から差し込んだ採光が1つ目の欄間を透かして2つ目の欄間「波と宝珠」に差し込むように細工されており、朝夕や天候によって差し込む採光の明度とそれが生み出す陰影の濃淡、色調などが変化し、それが「波と宝珠」に様々な表情を生み出すという名工“波の伊八”の絶妙な計算が隠されています。写真撮影が禁止されているため、その変化の様子を写真に収めることは叶いませんが、子々孫々に受け継ぐべき稀代の名作と言えましょう。

【客間】
    □
     
    □
    ↑(採光)
    庭


称念寺(千葉県長生郡)の欄間彫刻「龍三体の図」伊八最晩年の大傑作で、向って右に赤龍、左に白龍を従えて、正面から尾を巻き上げて襲い掛かる青龍(昇り龍)の躍動感ある迫力に息を呑みます。これだけの大傑作にも拘わらず、いつ行っても称念寺は人気がなく、また、本堂は仏事がある時以外は締め切られていますので(一応、ガラス戸になっていますので内部を覗き見ることができるように配慮されていますが、ガラスの乱反射に邪魔されて作品の息吹は全く伝わってきません..。写真集を見る限りでも稀代の名工“波の伊八”が丹精を込め神技を尽した大傑作であることが分かります。)、人類の至宝とも言うべき大傑作が人知れず埋もれてしまっている感を否めず大変に残念でなりません。法的に言えば、この欄間は寺社の所有物であり仏事で檀家が拝む以外は一般に公開しないと言われてしまえば身も蓋もありませんが、その芸術的な価値に着目すれば、人類共有の文化的遺産とも言うべき大傑作であり、檀家のみならず広く一般に公開してこそ作品を活かすことにつながるのではないかと思いますし、また、現代人のみならず子々孫々に受け継がれて行くべきものだと思いますので、その公開の仕方や作品の保存の仕方を含めて一層手厚い公の助成が望まれる、と生意気なことを言いたくなるほど惚れ惚れする作品なのです。


飯綱寺(千葉県いすみ市)の欄間彫刻「天狗と牛若丸」と「波と龍」飯綱寺には源義経伊豆半島から飯綱寺に寄って奥州へ船で逃れたという伝説が残されており、これに主題して「天狗と牛若丸」が彫られたと言われています。本堂の入口には青と赤の天狗の面が掲げられ、本堂内の欄間直上の天井には葛飾北斎の師である堤等淋作の龍の絵が描かれています。また、飯綱寺には嵯峨天皇直筆の般若経や関白近衛信房の和歌(小倉山荘色紙和歌)などが所蔵されている名刹です。なお、飯綱寺の程近くに「いすみ市郷土博物館」があり、波の伊八の欄間彫刻に加えて、千葉県いすみ市狩野派の祖、狩野正信の生誕の地であることから狩野派の作品も数多く展示されていますので、お立ち寄り下さい。

▼鴨川郷土資料館の特別展
真福寺(神奈川県横須賀市)にある波の伊八の欄間彫刻「黄公石と張良」が鴨川郷土資料館に展示されていたときの様子が公開されています。これだけ真近に色々な角度から欄間彫刻を拝見する機会はありませんので、その細部に至るまで波の伊八の神技が冴えわたる傑作を堪能できました。この欄間の裏面には全く異なるモチーフとして激流を縫うように泳ぐ鯉の彫刻が活き活きと彫られていていますが、まるでバッハの「フーガの技法」を彷彿とさせる奇跡的とも言える神技に舌を巻きます。
http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=389

▼波の伊八の作品一覧
http://www.tsuchiura.org/~kokentik/miyadaiku/kanto/ihati.html

▼波の伊八の講談をやられる講談師の神田あおいさんのWebページ
http://kandaaoi.com/

▼波の伊八Tシャツ(特注で“4L”サイズまであるので、男性諸兄にも鯔背に着こなせます。)
http://www.ihachi.com/


左から、1〜2枚目:波の伊八の生誕地&工房跡(千葉県鴨川市)、3枚目:波の伊八の工房跡の直近にある金乗院にある波の伊八の欄間彫刻「酒仙の図」と「向拝の龍」、4枚目:波の伊八の工房近くにある鴨川の海、5枚目:ウフフ❤の結果

チバテレビの「ちば見聞録」で波の伊八を採り上げた番組

◆おまけ
ドビュッシーのベルガマスク組曲より第3番「月の光」。休日の夜、ふらっと九十九里海岸へ一人でドライブ。夜のしじまに包まれ青白く淡い月光に照らされた九十九里の海。浜辺に車を止めて零れ落ちそうな満天の星空を見上げならが静かに打ち寄せる波の音が心地よく響く。カーステレオから流れるドビュッシーの音粒が夜空へと澄み渡って行くようだ。音楽と一体になれる至福のひととき..♪

ショスタコーヴィチ「24の前奏曲とフーガ」。瞑目しながら音と音の間に拡がる深淵な精神世界に耳を傾けていると、自分と音楽だけの悠久の時間に浸れます。

シューマン「ピアノ四重奏曲」より第三楽章。ロベルトの妻クララへの愛に溢れています。おまけのおまけ。

ドビュッシーピアノ三重奏曲」より第三楽章。おまけのおまけ。

この世の名残 夜も名残 ~杉本博司が挑む「曾根崎心中付り観音廻り」オリジナル

【題名】ETV特集『この世の名残 夜も名残 〜杉本博司が挑む「曾根崎心中付り観音廻り」オリジナル〜』
【出演】
【放送】Eテレ 2011年10月16日(日) 22時〜
【感想】
皆さん、初詣はどちらに参詣されたのでしょうか。僕は日蓮宗大本山清澄寺(千葉県鴨川市)で初日の出を拝み初詣を終えた後、昨年開場した新しい歌舞伎座の正面玄関横にある歌舞伎稲荷神社へ詣でました。興行初日や千穐楽には歌舞伎役者や劇場関係者もお参りされるそうです。昔から「稲荷神社」では雅楽の調べに乗せて古式ゆかしい巫女舞が奉納されますが、歌舞伎は出雲大社の巫女「出雲の阿国」の踊りから「かぶき踊り」に発展して誕生したと言われていますので、歌舞伎座が稲荷神を氏神としているのは必然と言えるかもしれません。因みに、「稲荷」の語源は「稲成り」と言われ、稲荷神の神使である狐(歌舞伎の演目にも多く登場します)が稲を鼠から守ることから五穀豊穣、家内安全や商売繁盛などのご利益があると言われています。また、「稲荷寿司」の語源は狐(稲荷神の神使)が油揚げを好物にしていたことに由来していると言われていますが、甘く煮た油揚げの袋に酢飯を包んでいるのは狐が稲を鼠から守るという「稲荷」の語源を象徴するものかもしれません。なお、歌舞伎座の向いにある銀座白金やの稲荷寿司は大変に美味なので、是非、お近くにお寄りの際にはご賞味あれ。


左から、歌舞伎稲荷神社(彫刻のディーテイルが見事)、どこかで見覚えのあるお父さんのオイナリサンではなく有名な銀座白金やの稲荷寿司、荻生徂徠の旧家跡
http://www.platinumya.jp/index.html

少し話は飛びますが、人形浄瑠璃の傑作「仮名手本忠臣蔵」の題材となった赤穂事件において本懐を遂げた赤穂浪士は両国から隅田川沿いを南下して永代橋を渡橋し(その手前にある万年橋の袂に吉良邸討入りの8年前まで松尾芭蕉が住んでいた深川芭蕉庵があります)、江戸湊沿いをさらに南下して浅野家江戸上屋敷、築地本願寺の前を通り浅野匠頭が眠る泉岳寺へ引き揚げています。その途上、歌舞伎座の前を通過していますが、歌舞伎座のある一帯は幾重にも歴史が交錯している深淵な地層を持った由緒ある土地と言えるかもしれません。奇しくも昨年は新しい歌舞伎座の開場と併せて近松門左衛門の生誕300周年でしたが、人形浄瑠璃の傑作である近松門左衛門の「曽根崎心中」は江戸時代に上演を禁止されて以来昭和30年になって漸く原作の人形浄瑠璃ではなく歌舞伎で復活上演されたことを思うと不思議な縁で結ばれているのではないかと感慨を深くします。江戸時代には上演を禁止されていた「曽根崎心中」ですが、その作品は身分を問わず愛され続け、当時の御用学者だった荻生徂徠はその詞章(以下に道行の詞章を抜粋しますが、)があまりに美しかったので暗誦していたと言われています。なお、荻生徂徠千葉県茂原市で学んだ後に徳川吉宗の御用学者となり、赤穂浪士の処分議論において忠孝に報いる処分(助命)を主張した学者達に対して御政道を説いて法に従った処分(切腹)を主張した学者ですが、これを題材にした落語、講談、浪曲の「徂徠豆腐」も愛され続けていますので、こちらも存分にご賞味あれ。

道行

 此の世の名残 夜も名残 死に行く身を譬ふれば あだしが原の道の霜 一足づゝに消えて行く 夢の夢こそ あはれなれ

 あれ数ふれば暁の 七つの時が六つなりて 残る一つが今生の 鐘の響の聞き納め 寂滅為楽と 響くなり

浄瑠璃を読もう

浄瑠璃を読もう

ところで、この「曾根崎心中」をニューヨークに住む現代美術作家、杉本博司さんが構成、演出、舞台美術、映像を手掛けてリメイクした杉本文楽「曾根崎心中付り観音廻り」が2011年及び2013年にマドリード、ローマ、パリで興業されて連日1000人を超える観客動員を記録して話題になりましたが、いよいよ本年3月に東京と大阪でこの舞台が再演されることになりました。近年、異ジャンルの芸術家が古典作品に現代的な息吹を吹き込んで、これまでとは違った魅力を古典作品に与える(又は惹き出す)と共に、これによって古典作品のオリジナルの魅力も再認識し、もって芸術受容の可能性、楽しみの幅を拡げようとする試みが盛んに行われていますが、(未だこの舞台を観ていませんが)この杉本文楽の試みは幸運な出会いであったと言えるのではないかと思います。

http://sugimoto-bunraku.com

因みに、杉本文楽の成功をウケて、映画監督の三谷幸喜さんが笑いと涙に溢れる人情喜劇として三谷文楽「其礼成心中」を公演し、こちらも話題になったことは記憶に新しいですが、未だご覧になられていない方はDVDがリリースされていますのでどうぞ。

三谷文楽「其礼成心中」[DVD] (PARCO劇場DVD)

三谷文楽「其礼成心中」[DVD] (PARCO劇場DVD)

さて、杉本博司が挑む新しい人形浄瑠璃文楽の制作舞台裏に密着したドキュメンタリー番組があったので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。

感想を執筆中。続く。


◆おまけ
二代目広沢菊春の浪曲「徂徠豆腐」

コルンゴルト 歌劇「死の都」

【題名】コルンゴルト 歌劇「死の都」
【出演】<Sop>アンゲラ・デノケ(マリエッタ/マリーの声)
    <Ten>トルステン・ケルル(パウル
    <Br>ユーリ・バツコフ(フランク/フリッツ)
    <Ms>ビルギッタ・スヴェンデン(ブリギッタ)
    <Sop>バルバラ・バイアー(ユリエッテ)
    <Ms>ユーリア・エスヒ(ルシエンネ)
    <Ten>クリスティアン・バウムゲルテル(ヴィクトリン)
    <Ten>シュテファン・ゲンツ(フリッツ)  
    <Chor.>ライン国立歌劇場合唱団
    <C_Cond.>チン=リェン・ウー合唱指揮
【楽団】<Orch.>ストラスブール・フィルハーモニック管弦楽団
    <Cond.>ジャン・レイサム=ケーニック指揮
【演出】インガー・レヴァント
【収録】2001年、ライン国立歌劇場
【音盤】Naxos/3,298円
【感想】
どのようなお正月をお過ごしでしょうか。お節やお屠蘇、お雑煮にはそろそろ飽きて、甘い物が欲しくなって来た甘党のあなたへ朗報!銀座コージーコーナーでは、“スイーツ初め”と銘打って1月1日から5日までの期間限定でお正月向けのスイーツを販売しています。今年の目玉は「初夢の赤富士ケーキ」でして、初日の出に染まった赤富士をイメージし、な...何と!チョコスポンジとフランボワーズジャムで濃厚チョコムースをサンド❤ 富士山麓産の練乳入りフォンダンクリームをたっぷりとかけて雪化粧した開運ケーキです。一般に初夢の縁起物として“一富士、二鷹、三茄子”と言いますが、お目出度い紅白に彩られた赤富士ケーキを見ていたら、葛飾北斎富嶽三十六景「凱風快晴(がいふうかいせい)」(通称、赤富士)が連想され、ケーキを買った帰りに大胆にも自宅近くで撮影を敢行しました。スマートな北斎の赤富士に対し、ややメタボ気味の赤富士ケーキのシルエットですが、飽食の時代に生きる平成の日本人を風刺するフォルムと言えましょうか。北斎の赤富士は「凱風」(南風)と銘打たれているように遥か上空の風を感じさせる秋の“いわし雲(上層雲)”を描くことで天に届くような富士の高さを強調する効果を生んでいるのに対し、今日は昼間の“おぼろ雲(中層雲)”(おぼろ雲がお月様にかかると“おぼろ月夜”)が僅かに残る穏やかな快晴で(因みに、皆さんは雲の名前を幾つ知っていますか?)、何やら空の違いが時代の勢い(又は江戸と東京の気質)の違いを象徴しているようにも感じられます(とこじつけてみました)。


左から本日撮った平成版富嶽三十六景「まいうー快食」(韻を踏むだけの馬鹿っぽいネーミングに見えますが、一応、飽食の時代を象徴する標題にしてみたつもりです)と富嶽三十六景「凱風快晴(がいふうかいせい)」(通称、赤富士)、昨年末に撮った平成版富嶽三十六景「海ほたる沖超合金巨大ドリル裏」と富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」大浪をドリルに換えて大胆な遠近法を使った構図を真似てみました。江戸から変わらぬ夕焼けと富士、江戸にはなかったランドマークタワー、飛行機、タンカーの影を対比して空間(奥行+高さ)の遠近感に加えて時間(時代)の遠近感も写し込んでみました。これから平成版富嶽三十六景と題して平成になって様変わりした富士山を取り巻く景色の変化と庶民の文化風俗の変化等を撮りきってみたいと思っています。

ところで、銀座コージーコーナーの“スイーツ初め”では正月に因んで新作の和風洋菓子(「鏡餅ケーキ」、「スイーツおせち」etc.)も販売していますが、最近では伝統と創作を巧みに調和した視覚にも味覚にも訴える面白い和洋菓子を頂く機会が多くなってきました。和菓子は茶の湯の歴史と深く関わっていますが、もともと茶の湯の文化は今年没後800年を迎える栄西禅師が鎌倉時代(1191年頃)に大陸から持ち帰って伝えたことが始まりとされ、茶の湯の流行と共に和菓子も発展してきました。そこで、この機会にブログの枕として和菓子と洋菓子について簡単に何か書いてみたいと思います、、、続く。


左から今年の我が家の「鏡餅」(鏡餅ケーキ)と「お節」(スイーツおせち)、ついでに元日に初詣を終えて立ち寄った鴨川の海で初日の出に向って波乗りするサーファー達を撮影

さて、来年、いよいよ新国立劇場コルンゴルトの傑作と名高い歌劇「死の都」が採り上げられることになり話題になっていますが、その予習も兼ねてケーニック指揮の好演を収めた音盤を聴いてみたくなったので、その感想とその他のコルンゴルトの歌劇について簡単に書いてみたいと思います。まだまだメジャーとは言い難いコルンゴルトの歌劇ですが、銀座コージーコーナーのスイーツに劣らない甘美で陶酔感のある音楽を召し上がれ❤

コルンゴルト:歌劇「死の都」 [DVD]

コルンゴルト:歌劇「死の都」 [DVD]

現在、執筆中。続く。

死都ブリュージュ (岩波文庫)

死都ブリュージュ (岩波文庫)

◆おまけ
新国のホームページとYou Tubeに音源がアップされていますのでリンクします。プッチーニやリヒャルトシュトラウスを彷彿とさせる甘美な音楽にお屠蘇気分で酔いしれて下さい。

http://www.nntt.jac.go.jp/opera/dietotestadt/

年頭の挨拶

   謹賀新年

拙ブログをご覧の皆様、新年あけましておめでとうございます。本年も細々と更新を続けて参りますので、旧倍のご愛顧を賜れば幸甚に存じます。皆様にとっても感動の多い年であることを祈念致します。


僕は日蓮宗徒ではありませんが、日蓮宗大本山である清澄寺(千葉県鴨川市)へ初詣に行くことにし、日蓮聖人が立教開宗の第一声をあげた旭が森(日本で一番早く日の出が拝める場所)で初日の出を拝んできました。清澄寺の僧侶と檀家の皆さんが高らかに「南無妙法蓮華経」と題目を唱え出すと、見る見るうちに雲が赤みを帯び、まるで唱題に合わせるように徐々に雲が晴れて行って、やがて慈愛と威厳に満ちた御来光が天を覆い地に燦々と降り注ぐ光景に圧倒されました。こんなに荘厳で心洗われる初日の出を拝むのは初めての体験で、今年最初の感動体験となりました。御来光に染まる旭が森に建つ日蓮聖人像を拝み、清々しい気持ちで新年を迎えることができました。昨年末に清澄寺を訪れた際、その帰り道に僕の車の前をゆっくりと歩いて横切る野生の子鹿(子猪ではなく子鹿だと思います)に遭遇し、日蓮聖人のお導きかと背筋に鳥肌が立ちましたが、清澄山は実に霊験あらたかな聖地です。



酔ひて候...人生に大いに酔うための今年の僕の抱負は、

◆ブログの枕

  • 葛飾北斎富嶽三十六景に着想を得て平成版富嶽三十六景を撮りきること。
  • 星座の写真と神話の世界を紐解きながら星空のロマンを旅すること。
  • 芸術が育まれた土地の歴史を訪ね、時代を旅すること(時の旅人)。

◆ブログの本文

  • Facebookのお友達の演奏会、舞台、展覧会等へ1つでも多く行くこと。
  • クロスカルチャーの視点からジャンルを超えて美の本質に迫ること。
  • とにかく美しいものに数多く触れて心から感動すること。

◆その他

  • 被写体の真実に迫ることを目標にカメラの腕前をあげること。
  • 心を整える時間(座禅、茶道、和歌を詠む)を作ること。
  • 色々なもの(乗馬、バイク、サーフィン)に乗れるようになること。

仕事の抱負を書き出すと悪酔いしてしまいそうなので、この辺で...
                          
                               など


2014年にアニバーサリーを迎えるもの

◆作家

◆画家

◆俳優

◆音楽

◆宗教・思想

                               など

ワーグナー 偉大なる生涯(原題:WAGNER)

【題名】ワーグナー 偉大なる生涯(原題:WAGNER)
【監督】トニー・パーマー
【脚本】チャールズ・ウッド
【出演】第一部
 <ワーグナーリチャード・バートン
      <コジマ>ヴァネッサ・レッドグレーヴ
      <ミンナ>ジェマ・クレイヴン
      <カール・リッター>ガブリエル・バーン
      <マティルデ>マルト・ケラー
      <リスト>エッケハルト・シャル
    第二部
      <ワーグナー>リチャード・バートン
      <コジマ>ヴァネッサ・レッドグレーヴ
      <ミンナ>ジェマ・クレイヴン
      <ブフォルテン>ラルフ・リチャードソン
      <フィスターマイスター>ジョン・ギールグッド
      <ブフォイアー>ローレンス・オリヴィエ
      <フォン・ビューロー>ミゲル・ハンツ=ケストラネク
      <ルードヴィッヒⅡ世>ラズロ・ガルフィ
    第三部
      <ワーグナー>リチャード・バートン
      <コジマ>ヴァネッサ・レッドグレーヴ
      <フォン・ビューロー>ミゲル・ハンツ=ケストラネク
      <ルードヴィッヒⅡ世>ラズロ・ガルフィ
      <リヒター>スティーブン・オリヴァー
      <ニーチェ>ロナルド・ピックアップ
【演奏】<Orc.>ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
    <Cond.>サー・ゲオルグショルティ
【撮影】ヴィットリオ・ストラーロ
【収録】1983年年度作品
【放送】クラシカジャパン
     第一部 8月 4日21:00〜23:40
     第二部 8月11日21:00〜23:55
     第三部 8月18日21:00〜23:45
【感想】
メリークリスマス🎶 どんなクリスマスをお過ごしでしょうか。今日12月25日をイエスの誕生日(降誕日)と勘違いしている人も多いと思いますが、イエスの誕生日は明らかではなく(聖書にも書かれていない)、正しくはイエスの誕生(降誕)を祝う日です。因みに、サンタクロースは聖ニコライが起源とされていますが、その昔、聖ニコライが貧しくて娘を嫁がせることができない家の煙突から金貨を投げ入れて救ったという逸話に由来し、キリストの誕生(降誕)を祝う日にプレゼントを贈る習慣が生まれたと言われています。そのキリストの生誕(降誕)から約1200年後に我等の千葉県鴨川市にある誕生寺日蓮聖人の生家跡)で日蓮宗の開祖である日蓮聖人が生誕(降誕)しています。



上段左から誕生寺の仁王門、祖師堂と見事な枝振りの松、誕生(降誕)した日蓮聖人が産湯を使った誕生水(湧き水)、誕生堂、日蓮聖人御幼像、下段左から寅さんが産湯を使った寅さんの誕生寺こと柴又帝釈天(日蓮宗)の二天門、帝釈堂、鐘と寺紋(映画で使用されているとらやの暖簾の家紋は帝釈天の寺紋と同じ)、柴又に実在するとらや(最初の数回は映画の撮影でも使用、草だんご300円)、とらやの店内にある階段(映画の撮影でも使用、寅さんの部屋へと通じる奥の階段とは別のその隣の部屋へ通じる表の階段)

日蓮聖人は清澄寺へ入山し、鎌倉に建長寺が建立された年と同年(1253年)に旭が森の山頂に立って朝陽を拝みながら「南無妙法蓮華経」と唱えて日蓮宗の立宗宣言をしたと言われています。日蓮聖人は「立正安国論」において「正法を立て国土を安穏ならしめる」と説いて「南無妙法蓮華経」という7文字のお題目を唱えて「平らかなる心」を培うことで国土は安穏になるという趣旨のことを書かれていますが、お題目を声に出して唱えること(唱題行)で自らの心の中にも宿っているはずの「仏の心」を呼び覚ますという教えのようです。お題目を唱える際に木魚、木柾や題目太鼓(団扇太鼓)を打ち鳴らしてリズムを整えることで、自らの呼吸を整え、自らの心を整えて信仰を培うという意味で、唱題にはリズム(ここで言うリズムとは、メトロノームが刻む人工的なリズムというよりは、自然の摂理を支配する秩序(心臓の鼓動のようなものと言い換えることができるかもしれませんが)に共鳴するということではないかと思います。)が大切だと言われています。この点、日本の伝統音楽には西洋音楽のような明確なメロディーやハーモニーはなく主にリズム(上記と同旨の日本的なリズム)や節によって構成されますが、このような「祈り」(唱題や声明など)が「歌舞音曲」へと発展し、やがて歌舞伎の黒御簾音楽・下座音楽(舞台下手の黒塗りの御簾を垂らした黒板塀に囲まれた中で演奏する歌舞伎の演出効果を高めるための音楽で、その楽器の1つが団扇太鼓)へと昇華した文化的背景に思いを馳せると大変に興味深いものがあります。なお、大利根河原の決闘を描いた「座頭市物語」(第一作)の中で飯岡一家が笹川一家へ殴り込みを掛ける場面がありますが、危難を逃れようと題目太鼓(団扇太鼓)を叩く村民の姿が描かれており、読経や写経を行わなくても「南無妙法蓮華経」の7文字のお題目を唱えるだけで救われるという日蓮宗の教えが当時の読み書きのできない村民の間にも広く浸透していたことを窺わせるエピソードとして印象深く思い出されます。また、日蓮宗の布教は“浪の伊八”の数々の作品をはじめとした仏教美術の発展や、日蓮宗の学問所である三大檀林(飯高檀林中村檀林小西檀林)に代表される教育の普及振興にも多大な影響を与えていますので、いつか機会があったら詳しく触れてみたいと思います。因みに、今年の大河ドラマ「八重の桜」では同志社大学が日本で初めて設立されたキリスト教を普及するための大学として採り上げられ注目を集めましたが、仏教を普及させるために日本で最も古く設立された大学の1つである立正大学(その校名は日蓮聖人の「立正安国論」に由来)は三大檀林の1つ飯高檀林を前身としており、「立正の精神」を理念として日本の宗教・思想教育を支え続けて来た功績を忘れることはできません。(この話題を敢えてクリスマスの日に採り上げてみました。)



上段左から日蓮宗開祖の大本山清澄寺(千葉県鴨川市)の仁王門、日蓮聖人が清澄寺に入山した当時からあった樹齢800年以上の千年杉、大堂と観音堂、日蓮聖人が吐かれた血が笹の葉に飛び散って今でも葉に斑点が残る凡血の笹、若き日の日蓮聖人が心身練磨のために修行した練業場、下段左から日蓮宗の三大檀林(学問所)のうち、霊験あらたかな雰囲気が立ち込める飯高檀林(千葉県匝瑳市)の講堂と立正大学発祥の碑、中村檀林(千葉県香取郡多古町)の山門から本堂へと真っ直ぐに伸びる参道とその脇に立つ信仰の道しるべ、小西檀林(千葉県大網白里市)の中門と講堂

極真空手創始者である大山倍達は1948年に清澄山に入山し、約18ケ月間の修行の末に極真空手を生み出しました。大山倍達が山籠もりをした際の体験として「人間にとって最も怖いのは、飢えと孤独だ」と語っていますが、自らを極限の状態に追い込み自らに打ち克つことによって強い精神と肉体を培い、その並々ならぬ闘争心が下山直後に千葉県館山市で47頭の牛と対決し仕留めた逸話となって現れたのだろうと思います。その意味で、それまで主流を占めていた競技としての空手ではなく、あくまでも実戦としての空手を志向し、いわば空手に魂を吹き込んだ真の武道家と言えるかもしれません。その原点が此処にあるのかと思うと身の引き締まる思いがします。


左から清澄寺バス停前にある極真空手発祥の地の碑、大山倍達が飢えと孤独に克って約18ケ月間の修行を全うした極真空手発祥の地、大山倍達の記念碑、大山倍達が幾度も眺めたであろう極真空手発祥の地から臨む鴨川に沈む夕陽

さて、生誕と言えば、今年生誕200年を迎えたワーグナーの偉大なる生涯を描いた伝記映画がクラシカジャパンで放送されたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。この伝記映画はワーグナーの孫ヴォルフガング・ワーグナーの協力を得て制作された約8時間に及ぶ一大叙事詩で、楽劇「ニーベルングの指環」で定評があるショルティー@ロンドンフィルが演奏を担当しています。因みに、先日から、ワーグナー生誕200周年を記念してルートヴィヒⅡ世とワーグナーの関係を描いた映画「ルートヴィヒ」が公開されていますので、こちらもご興味がある方はいかが。


http://wagner-movie.com/

http://www.ludwig-movie.com/

現在、感想を執筆中。続く。

◆おまけ
ワーグナートリスタンとイゾルデ第三幕全曲をショルティー@VPOの演奏でどうぞ。

オペラの終焉

【題名】オペラの終焉
【著者】岡田暁生
【出版】ちくま学芸文庫
【発売】2013年12月10日
【値段】1365円
【感想】
ソフトバンクは今年発売45周年を迎えるスナック菓子「カール」を販売するMeijiとコラボして、ソフトバンクショップで“つなカール”を無料配布しています。“つなカール”とはツナ味のカールのことではなく、ソフトバンクが「つながりやすさNo1」を受賞したことを記念して“つながる”と“カール”を文字って作った商品名(キャッチ)のようで、確かに“カール”のように「サクサク」と音が聞こえてくるくらいソフトバンクはよくつながります。ご案内のとおり“カール”はポップコーンに着想を得て誕生したトウモロコシを原料とするスナック菓子ですが、僕らお父さん世代にとってはカルビーの“かっぱえびせん”と共に「昭和の味」として我々の舌に強烈に刻まれているスナック菓子の金字塔とも言うべき時代の名品です。アニメにしろ、菓子にしろ、平成に入ってから昭和の産物がリメイクされて注目されるようになってきましたが、昭和の時代は我々日本人が世代を超え、時代を超えて受け継がれて行く何か(風俗流行を超越した文化的価値)を造り出すだけの創造力を持ち得ていた時代であったと言えるかもしれません。某指揮者を彷彿とさせる泥棒髭がチャームポイントのカールおじさん(今年で大石内蔵助の享年と同じ年)をはじめとして時代の風雪を耐えて長く愛されるキャラクター(ペコちゃん、キティーちゃん、ケロヨンetc.)も、昭和の時代に多く生まれたように感じます。果たして平成の時代は次世代へ受け継いで行けるような時代を代表する何かを創造し得ているのでしょうか。その意味でも今回のソフトバンクの広告宣伝、販売促進策に見る「遊び心」(創造力の源泉)は大切にしたいと思います。因みに、“つなカール”の配布は在庫がなくなり次第終了になるようなので、未だ“つなカール”を貰っていない方はソフトバンクショップへ急ぎましょう!


左から“つなカール”と“つなカール(正月パッケージ)”、ソフトバンクスマホがサクサクとつなカールのひみつ(表面、裏面)、発売45周年を迎えた本物“カール”、さらにLINEで使える“LINEスタンプ”もLINEアップ!!

左が本物の“カール”、右が“つなカール”(ちびっこカールですが、味は本格的!)



さて、今年は、ヴェルディワーグナー生誕200年記念に加えて、世阿弥生誕650年記念、近松門左衛門生誕300周年という総合舞台芸術にとって大変に貴重な年になりました。そこで、今年一年を締め括る意味で、西洋の総合舞台芸術である“オペラ”について興味深い題名の本が出版されたので、その感想を東洋の総合芸術である“能楽”に絡めながら書いてみたいと思います。



続く。

◆おまけ
R.シュトラウスの歌劇「バラの騎士」第2幕をクライバーの名演で。

ワーグナーの初期の作品である歌劇「妖精」第1幕より。録音状態は悪いですが..。

ヴェルディの歌劇「オテロ」より。プライドの高さゆえに猜疑心に心乱して行く弱い男をドミンゴが見事な演技力と歌唱力で好演。

人形浄瑠璃文楽名演集 通し狂言 仮名手本忠臣蔵

【ご協力のお願い②】
大阪市は芸術団体への補助金交付に関して観客数に応じて交付金額を増減させる市場評価方式を来年度以降も継続する見通しのようです。国立文楽劇場大阪フィルハーモニー交響楽団等が対象のようですが、(無論、限られた財源のなかで、より公平で納得感がある方式で幅広い芸術団体へ補助金を交付する方法作りは非常に困難を伴うものであると承知したうえで)果たして文化芸術の育成振興を市場評価に晒す方式が妥当性を持ち得るのか、文化芸術の発展史(芸術に大衆性は必要かという問題を含む)を紐解くにつけて大いに議論の余地がありそうですが、先ずは御託を並べるよりも(もし劇場やホールへ行ける環境・状況を取り戻せれば)この年末年始は関東から大阪へ遠征しようかとも考えています。皆さんも芸術鑑賞がてら大阪観光へ“ことりっぷ”してみませんか。
http://mainichi.jp/feature/news/20131112ddn002010045000c.html

【題名】人形浄瑠璃文楽名演集 通し狂言 仮名手本忠臣蔵
【出演】◆大序
     鶴が岡兜改めの段
      竹本相子大夫、竹澤団市 ほか
     恋歌の段
      竹本三輪大夫、竹本南都大夫、鶴澤八介 ほか
      塩谷判官 吉田文雀高師直 吉田作十郎、
      顔世 吉田和生
      若狭助 吉田簑太郎(現、桐竹勘十郎) ほか
    ◆二段目
     桃井館力弥上使の段
      竹本緑大夫、鶴澤清介
     本蔵松切の段
      豊竹小松大夫、野澤勝平(3代 野澤喜左衛門)
      本蔵 桐竹勘十郎(2代)
      戸無瀬 豊松清十郎(4代)
      若狭助 吉田玉松、力弥 桐竹紋寿 ほか
    ◆三段目
     下馬先進物の段 
      竹本三輪大夫、鶴澤清二郎
     腰元おかる文使いの段
      竹本津駒大夫、竹澤団治(現、竹澤宗助)
     殿中刃傷の段 
      豊竹呂大夫、竹澤団七
     裏門の段 
      竹本千歳大夫、鶴澤燕二郎(現、鶴澤燕三)
      おかる 吉田簑助、塩谷判官 吉田文雀
      高師直 吉田作十郎 ほか
    ◆四段目
     花籠の段 
      豊竹呂大夫、鶴澤清介
     塩谷判官切腹の段 
      切 竹本越路大夫、鶴澤清治
     城明渡しの段
      竹本文字栄大夫、鶴澤清二郎
      由良助 吉田玉男、塩谷判官 吉田文雀
      九太夫 吉田作十郎、顔世 吉田文昇 ほか
    ◆五段目
     山崎街道出合の段 
      竹本津国大夫、鶴澤清太郎
     二つ玉の段 
      竹本相生大夫、竹澤団七
      勘平 吉田玉松、与市兵衛 吉田文吾、
      弥五郎 吉田和生、定九郎 吉田玉女 ほか
    ◆六段目
     身売りの段 
      豊竹嶋大夫、野澤錦弥(現、野澤錦糸)
     早野勘平腹切の段
      切 竹本住大夫、鶴澤燕三(5代)
      おかる 吉田簑助、与市兵衛女房 吉田文昇
      勘平 吉田玉松 ほか
    ◆七段目
     祇園一力茶屋の段
      由良助 竹本文字大夫(現、竹本住大夫
      おかる 竹本南部大夫、伴内 豊竹咲大夫
      九太夫 竹本相生大夫
      平右衛門 竹本織大夫(現、竹本綱大夫)
       前 野澤錦糸(4代)
       後 鶴澤燕三(5代)
      由良助 吉田玉男、おかる 吉田簑助
      九太夫 吉田作十郎
      伴内 桐竹紋寿、平右衛門 吉田玉幸 ほか
    ◆八段目
     道行旅路の嫁入 
      竹本津駒大夫、竹本千歳大夫、鶴澤清友
      鶴澤燕二郎(現、鶴澤燕三) ほか
      戸無瀬 吉田文雀、小浪 桐竹紋寿
    ◆九段目
     雪転しの段
      豊竹松香大夫、鶴澤八介
      山科閑居の段
      切 前 竹本住大夫、野澤錦糸
        後 竹本綱大夫、鶴澤清二郎
      由良助 吉田玉男、戸無瀬 吉田文雀
      小浪 桐竹紋寿
      本蔵 吉田玉幸、お石 桐竹一暢 ほか
    ◆十段目
     天河屋の段 
      竹本千歳大夫、野澤錦糸、ツレ 鶴澤清志郎
      由良助 吉田文吾、義平 吉田玉女
      おその 吉田玉英 ほか
      作曲 野澤松之輔
    ◆十一段目
     花水橋引揚の段 
      竹本三輪大夫、竹本文字久大夫、鶴澤浅造 ほか
      由良助 吉田玉男、若狭助 吉田文昇、
      郷右衛門 吉田玉幸、弥五郎 吉田和生 ほか
     光明寺焼香の段
      竹本津国大夫、竹本南司大夫、鶴澤八介 ほか
      由良助 吉田玉男、郷右衛門 吉田玉松
      平右衛門 吉田玉幸、弥五郎 桐竹一暢 ほか
【販売】NHKエンタープライズ
【発売】2010年11月26日
【感想】
今年は近松門左衛門の生誕360周年ということで人形浄瑠璃文楽でも色々な催し物があったようですが、残念ながら、ご案内のとおり諸事情によって観に行くことができませんでした。今日12月14日(但し、新暦では1月30日)は赤穂浪士が吉良邸へ討ち入った日になりますが、久しぶりに人形浄瑠璃文楽の名演を収めたDVD「仮名手本忠臣蔵」を観ることにしましたので、簡単に感想を残しておきたいと思います。

続く。

【1701年3月14日(新暦、同年4月21日)】

風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとかせん(浅野内匠頭辞世の句)


左から歌川国芳仮名手本忠臣蔵 三段目 殿中刃傷の場」。江戸城平川門(不浄門)。浅野内匠頭切腹した陸奥一関藩田村邸跡。浅野内匠頭切腹時の血染めの石と梅。

【1702年12月14日(新暦、翌年1月30日)】

  • 04時00分頃 吉良邸(両国三丁目)へ討入り。
  • 06時00分頃 吉良邸を引揚げ。

<吉良邸〜隅田川沿いを南下〜万年橋・永代橋を渡橋〜播州赤穂藩江戸上屋敷(聖路加看護大学)・築地本願寺前を通過〜国道15号線(当時は海岸線)沿いを南下〜泉岳寺

  • 09時00分頃 泉岳寺(高輪)へ到着。
  • 10時00分頃 浅野内匠頭の墓前で報告。
  • 18時00分頃 泉岳寺を出立。
  • 21時00分頃 大目付仙石伯奢守邸(虎の門二丁目)へ到着
  • 02時00分頃 お預け先の各藩邸(細川、松平、毛利)へ到着



上段左から吉良邸跡(勝海舟の生誕地が直ぐ近く)と吉良上野介の首級を洗った井戸。葛飾北斎画「吉良邸討ち入り」で、葛飾北斎は幕府御用鏡師の中島伊勢の養子(妾の子)であったと言われており、その中島伊勢の住宅が吉良邸の真向いにありました。播州赤穂藩江戸上屋敷跡(聖路加看護大学)。下段左から泉岳寺浅野内匠頭の墓前に供える前に吉良上野介の首級を再び洗った井戸。泉岳寺内の浅野家墓所門(播州赤穂藩江戸上屋敷裏門を移築)。浅野内匠頭の墓。

【1703年2月4日(新暦、同年3月20日)】

あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮き世の月に かかる雲なし(大石内蔵助辞世の句)


左から大石内蔵助ほか16名が切腹した肥後熊本藩江戸下屋敷(高輪一丁目アパート)。三田にあった松平家のこの梅の木の下で大石主税ほか9名が切腹泉岳寺にある浅野内匠頭の墓に寄り添うようにして眠る大石内蔵助赤穂義士の墓々。

http://tabikore.com/album/796

ブログの枕とDVDの感想は後ほど。続く。


http://www.shochiku.co.jp/play/kabukiza/schedule/2013/12/_1_52.php






上段の左から内堀り、大手門(高麗門)、大手門(櫓門)、百人番所と大手町の高層ビル群、下段の左から本丸跡(右手が天守台、左手が松の廊下)、松の廊下跡、松の廊下から大奥&天守台方向(この辺一体が松の廊下)、江戸城内地図。松の廊下で刃傷事件があった1701年(バッハや松尾芭蕉が生きていた時代)から約300年を経過していますが、江戸と東京の街並みのみならず日本人の気質までもが随分と様変わりしています。



上段の左から海ほたるから撮影した東京全景、東京スカイツリー八重洲から新橋方面(画面中央のツィンタワーの向う側に歌舞伎座があります。)、東京タワーとレインボーブリッジ、下段の左から六本木から新宿方面(画面右の一番高いビルが六本木ヒルズ、画面左の飛行機の下にあるビルが東京オペラシティー)、羽田空港(円筒形の建物が管制塔)、川崎駅方面(画面中央よりやや左手の3つ突起がある建物の直ぐ近くがミューザ川崎)、横浜ランドマークタワーと横浜ベイブリッジ。本懐を遂げた赤穂浪士は朝6時に東京スカイツリーの周辺にある吉良邸を出立し、八重洲の向こう側にある江戸城を横目に海岸線沿いを南下して朝9時に東京タワーの先にある泉岳寺へ到着したようです。


江戸の空には飛んでいなかった飛行機の腹

ブログの枕とDVDの感想は後ほど。続く。


浮絵忠臣蔵より四段目判官切腹の場面(歌川国直)

◆おまけ
仮名手本忠臣蔵より四段目判官切腹の段

利休にたずねよ

【題名】利休にたずねよ
【監督】田中光
【原作】山本兼一
【脚本】小松江里子
【音楽】岩代太郎
【出演】<千利休市川海老蔵(第11代)
    <宗恩>中谷美紀
    <織田信長伊勢谷友介
    <豊臣秀吉大森南朋
    <おさん>成海璃子
    <石田三成福士誠治
    <高麗の女>クララ
    <山上宗二>川野直輝
    <細川忠興袴田吉彦
    <細川ガラシャ黒谷友香
    <武野紹鴎>市川團十郎(第12代)
    <北政所檀れい
    <たえ>大谷直子
    <長次郎>柄本明
    <千与兵衛>伊武雅刀
    <古渓宗陳>中村嘉葎雄
【公開】2013年12月7日〜
【場所】成田HUMAXシネマズ
【感想】ネタバレ注意!
昨日から公開されている映画「利休にたずねよ」を観てきました。まるで一服の茶を点てられたときのように心が整えられ、久しぶりに自信を持ってお勧めできる映画に出会えたと思います。千葉県成田市の映画館で映画を鑑賞した後、少し時間があったので、近隣の千葉県香取市善光寺へ歌舞伎役者の(初代)松本幸四郎さん(1674年〜1730年、実事・荒事を得意とし、二代目市川團十郎と人気を分けた名役者)のお墓参りに立ち寄ってみました。東京都文京区の栄松院にも初代の墓碑がありますが、もともと初代は同市小見川町出身で、善光寺の墓碑の方が古いと言われていますので、こちらの方が由緒正しい(?)かもしれません。因みに、境内には恋の願いごとが叶えられると言われている「腹切様の碑」もあり、女性を中心に厚〜い信仰を受けています。なお、話は変わりますが、先日、博多に行った際に“明太フランスパン”で有名な辛子明太子の名店「しまもと」に立ち寄ったところ、当代の松本幸四郎さん、女優の松本紀保さん(長女)と松たか子さん(次女)のサイン色紙を発見しました。当代の舌にも適う辛子明太子のようですな。



上段は千葉県香取市善光寺。役者は死しても“華”がある存在、そんな思いを込めて赤い花を一輪添えました。下段は福岡県博多市の辛子明太子の名店「しまもと」

恋多き人生を腹切様にひとしきりお祈りした後、天気が良かったので、近傍の千葉県銚子市まで足を伸ばして屏風ヶ浦を探検することに。屏風ヶ浦は波の浸食によりできた延々10km(銚子市名洗町〜旭市飯岡刑部岬)にも及ぶ海岸の絶壁です。その雄大なスケールはドーバーの白い壁と双璧して見劣らないことから東洋のドーバーと言われている...と由緒書きにはあります。絶壁の高さは約60mほど(15階建相当)あり、その日の天候や時間帯によって屏風(壁面)は様々に景色を変え、晴天の空気が澄んだ夕焼け時には真紅に染まる神の屏風絵の美しさに息をのみます。もう少しカメラの腕前が上達したら夕焼け時の屏風ヶ浦の表情を撮りきりたいと目論んでいます。その後、お腹が空いてきたので、今が旬の魚“金目鯛”の刺身(東京では金目鯛の刺身を食す機会は少ないと思いますが)を贅沢に使った名物「キンメ丼」を食べるために、芸能人御用達(杉良太郎さん、田中邦衛さん、萬田久子さん、志村けんさん、桂米助さんなど)の店でも有名な銚子の魚料理「常盤」へ向かいました。銚子は金目鯛の宝庫として知られていますが、金目鯛の刺身は透き通るような身で臭みはなく、よく身が締まったぷりぷりとした食感で酢飯との相性が良く食欲のそそられる至福の逸品です。金目鯛が旬の季節(冬)は、特にオススメしておきます。
http://d.hatena.ne.jp/bravi/20130212/p1



上段は屏風ヶ浦。下段は左から2枚が飯岡の大鳥居とその向こう側に見える座頭市の住居跡(現在は海ですが、当時は浜で防波堤の先端辺りにあった出稼ぎ漁師用の小屋)、左から3枚目は飯岡灯台のロマンチックな夕陽..チュッ♥、左から4枚目が魚料理「常盤」の名物「キンメ丼」

さて、この映画は直木賞を受賞した山本兼一さんの小説を実写化したもので、これまでの千利休を題材とした映画とは少し趣きを異にし、伝記的叙事詩というよりは、いくつかのエピソード(フィクションを含む)を交えながら千利休が究めた茶の湯の道とは何なのかということに視線が注がれ、その茶の湯の道こそが千利休の生き方そのものに体現、結実されて行く様が丹念に描かれており、それが上に述べた観後感にも繋がっています。この映画は千利休豊臣秀吉の勘気に触れて切腹する当日の場面から始まり、その約20年前にフラッシュバックして織田信長との出会い、豊臣秀吉との葛藤、妻や師弟との関係など、千利休が本格的に茶道を志すことになる青年期から堺の三茶人と持て囃され、そして天下の茶道と呼ばれるまでに登り詰め、やがて黒樂茶碗に究まる千利休の茶道の極致が千利休切腹(死、即ち、究極の侘び)と共に描かれています。「私が額ずくのは美しいものだけ」という言葉を残して天下人、豊臣秀吉と袂を分かち、自らの美意識に忠実であろうとする千利休の茶人としての生き様の美しさに圧倒されます。(そう言えば、自らの創作意欲に忠実であろうと時の権力、スターリン政権に抗ったショスタコーヴィチの生き様が思い出されますが、思えば千利休ショスタコーヴィチも似たような境遇にあったと言えるかもしれません。)


http://www.rikyu-movie.jp/

この映画では千利休の為人とその茶の湯の精神を知るうえで欠かせないエピソードが幾つか出てきます。先ずは、千利休織田信長と最初に出会う場面。織田信長は堺の商人等から名物の品々を献上されますが、その席で千利休は一興を案じます。1つの漆塗りの箱を楚々と取り出し、その中へ筒に入った水を注ぎます。箱の内側には金箔で鳥と波の意匠が描かれていますが、その一杯に張られた水面に夜空に照る月を映して信長へ献上します(公式ホームページの動画「予告編vol.1」)。織田信長はこの風流な一興に大そう感じ入り、どんな名物の品々よりも価値あるものだと称賛して褒美を与えます。織田信長は既成の価値感に囚われず、物事の本質を見極めそこに独自の価値を見出して時代を切り開いて行った人ですが、千利休の美の本質を看破しその面白さに価値を認めます。その意味で織田信長千利休も自分自身の中に独自の価値基準を持った人であったことを端的に物語る大変に興味深いシーンです。また、千利休は寝室で梅の小枝が描かれた掛け軸に蝋燭の光で野鳥の影絵を映し、その景色の変化を“おもしろい”と楽しむ(遊ぶ)場面がありますが、「目で見る美しさ」ではなく、風情の中に美を探求しようとする「心に映る美しさ」(それを“おもしろい”と表現したのだと思います)を尊重する千利休の美に対する態度を描いた心に残るシーンです。(更に付言すれば、茶の湯の一席にあって、亭主と客がこの梅の小枝の掛け軸にどんな景色を心に描くのか、それが侘びの精神ではないかと個人的には思います。)

茶の湯の大事とは、人の心に叶うこと

千利休は弟子の宗二から茶の湯にとって大切なものは何かと問われ、上記のとおり利休が考える茶の湯の精神を語り諭します。「和敬清寂」と言い換えることができるかもしれませんが、これは利休の茶道でもあり生き方そのもの(信条)とも言えるかもしれません。上杉謙信との戦で柴田勝家の援軍に出向いた秀吉は勝家と対立して勝手に援軍を引き上げてしまったことから信長の換気に触れるという事件(史実)がありましたが、信長から切腹を申し渡されるかもしれないと気を病む秀吉が利休の茶室を訪ねます。千利休から茶懐石として茶粥を振舞われますが、その質素な腕を啜りながら百姓時代を懐古して出世栄達ばかりが人の幸せではないと悟り落涙します。利休は茶掛けにある「閑」の字(書体を含む)に込めた心を解いて、いまのような「静かな心」でいつでも茶室に足を運んで欲しいと心尽くしの一服の茶を点てます。茶を点てるとはどういうことなのか利休の茶の湯の精神の真髄に迫る名場面に感じ入りました。

千利休豊臣秀吉より遣わされた使者から秀吉に詫びなければ切腹は免れないと言い渡されますが、既に覚悟が定まっている千利休は心静かに「私が額ずくのは美しいものだけ」と言い残して末期の茶を点てます。千利休は、茶釜から松風の音(以下の和歌を参照)が響くなか、床の間を背にして静かに切腹し、その白装束の周りを真紅の鮮血が覆って末期の一席(利休が大成し、ここに極った侘び茶の道)に自らの生涯で花を添えます。もし千利休豊臣秀吉に額ずいていればその茶の湯の精神は死んでしまいましたが、千利休は自らが美しいと信じるものだけに額ずくことでその茶の湯の精神は永遠に茶道の中に生き続けることになります。茶の湯の道(美)のみに額ずいて見せた千利休の茶人としての生き様そのものが美しく、茶道に生きる人のみならずこの映画を観る全ての人の心を強く捉える映画だと思います。なお、詳しくは書きませんが、高麗の女性との秘事(フィクション)が描かれていますが、末期の一席を観ながら源氏物語に出てくる以下の和歌を思い出しました。皆さんはこの場面を観てどう感じますか。

変らじと 契りしことを 頼みにて 松のひびきに 音を添へしかな(源氏物語第十八帖「松風」第二章「明石の物語」第五段より明石の君の返歌)

なお、市川海老蔵さんの洗練された美しい所作や第12代市川團十郎さんの大きな役者と思わせる独特の存在感(風格)なども見処ではないかと思います。

◆おまけ
you tube”に映画「座頭市」(1989年)の映像がアップされていたのでリンクしておきます。時代考証が良く出来ていて、冒頭(03:43〜)に飯岡の大鳥居(上の写真)と漁師小屋が出てきますが、実在の座頭市の住居跡が忠実に再現されているかのようです。

お茶に因んで、映画「利休にたずねよ」に出演している中谷美紀さんが登場する伊藤園お〜いお茶「ぞっこん惚れちゃった篇」”のTVCMで使われているボロディン弦楽四重奏曲第2番第1楽章をボロディン弦楽四重奏団の演奏どうぞ。

お茶に因んで、金城武さんが出演していたジャワ・ティーの宣伝で使用されていたドビュッシー「夢」をチッコリーニの演奏でどうぞ。

観世流能 紅葉狩(もみじがり)−鬼揃−

【題名】観世流能 紅葉狩(もみじがり)−鬼揃−
【演目】能「紅葉狩り」鬼揃(作、観世信光)
【出演】<前シテ(上臈)>観世喜正
    <後シテ(鬼女)>観世喜正
    <ツレ(侍女、鬼女)>遠藤喜久、鈴木啓吾、古川充
    <ツレ(鬼女)>佐久間二郎、小島英明
    <ワキ(平維茂)>福王和幸
    <ワキツレ(家来)>福王知登、山本順三
    <アイ(侍女)>高野和憲、深田博治
    <笛> 松田弘
    <小鼓>幸正昭
    <大鼓>安福光雄
    <太鼓>金春國和
    <地謡観世喜之、中森貫太、中所宜夫、遠藤和久 
    <後見>永島忠侈、奥川恒治、長沼範夫
【会場】札幌テレビ メディアパーク・スピカ
【料金】ビクターエンタテインメント
【感想】
能や歌舞伎の演目に「紅葉狩り」(山野で紅葉を散策すること)というものがありますが、日本で「紅葉狩り」の風習が生まれたのは平安時代の頃になります(「大鏡」に嵐山の紅葉祭りの様子が描かれています)。「紅葉狩り」以外にも紅葉を採り上げている作品は多く、能「龍田」は以下の有名な和歌を題材として秋の神「龍田姫」が登場する紅葉に因んだ作品になっています。

竜田川 もみじ乱れて流るめり 渡らば錦 なかや絶えなむ(古今和歌集

以前にこのブログでも書きましたが、中世の日本は現代の日本に比べて外界(自然界)と内界(人間界)との境界が曖昧(西洋の二元論的な世界観とは異なる一元論的な世界観)で、現代よりも遥かに自然が生活の中に溶け込んでいましたが、そのことは平安時代の衣装の色彩美にも色濃く表れており、後世のような「配合の妙」(人工美)ではなく「配色の妙」(自然美)を貴重として着飾ることが主流だったようです(因みに、西洋料理で使われるソースは旨味を造り出す“配合の妙”ですが、日本料理は素材の旨味を引き出す“配色の妙”であり、その意味で“配色の妙”は日本的な美意識の表れとも言えるかもしれません、閑話休題)。即ち、一枚の衣で言えばその表裏の裂地の「重色」、装束で言えばそれらの衣色の「かさねの色目」(色目の調和や対比)を活かして草花の彩りや木葉の色合いなど表し四季折々の季節感を着飾っていましたし、装束のみならず、懐紙、料紙や几帳等の調度品にもこのような色使いが重用されていました。映画「源氏物語」の感想(record芸術)にも書きましたが、平安時代の瑞々しく繊細な色彩感には目を見張るものがあり、現代と比べて繊細な色調(自然の草花等を模倣した精妙な色合いや色名の豊富さ)や配色に対する鋭敏なセンス(季節を感じさせる彩りや豊かな表情を生み出す多彩なコントラスト)など中世の日本人の感受性の豊かさに嫉妬したい衝動に駆られます。現代の日本は外界(自然界)と内界(人間界)とが完全に分離され、日常の中で自然を感受する機会はめっきりと減り、例えば和歌のように花鳥風月を歌に詠み自然を愛でる風流心(文化風俗)も希薄化してしまいましたので、それだけ現代の日本人は自然を感受する能力が退化してしまった(例えば、昔の日本語には、自然の色彩だけではなく、波や風、雨、雲、光など自然を表現するための実に豊富な語彙に恵まれ、自然の繊細な表情の変化を木目細やかに感じ取り、それらを表現していたことが伺われますが、現代ではそれらの言葉は忘れ去られ、同時に自然に対する鋭敏な感覚も失われてしまった)のではないかと感じます。

▼かさねの色目
http://www.mode-japonesque.com/mj/kasane/itiran/fall/itiran.html
▼record芸術(映像作品の寸評を書き溜めているミニログ)
http://video.akahoshitakuya.com/cmt/1089341

...ということで、今週末は神の色彩美を存分に堪能しようと思い立ち、カメラを片手に自宅近傍にある見頃を迎えた紅葉の名所で「紅葉狩り」と洒落込みました。色褪せないうちに、写真をアップしておきます。

本土寺(千葉県松戸市


神のキャンバスを埋め尽くす精妙なグラデーション...配色の妙

◆小松寺(千葉県南房総市

静寂を満たす神の色彩...

◆四万木不動滝(千葉県安房郡)

美しい紅葉に誘われるように急峻な渓谷を降って行くと、不動尊が宿る霊験あらたかな不動滝へ。「若し是の如きの法を成就せんと欲する者は、山林寂静の処に入り、清浄の地を求め、壇場を建立して、諸の梵行を修し、念誦の法をなさば、即ち本尊を見たて祀り、悉地円満すべし。或は滝なる河水に入つて念誦をなし、若しくは山頂樹下塔廟の処に於て、念誦の法をなさば速に成就を得ん。」(聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経より)

◆鴨川にある夕日の綺麗な隠れスポット(プライベートビーチのようなところで場所はヒミツ)

デートの締め括りに...チュッ♥

さて、2004年8月28日に札幌メディアパーク・スピカで開催された蝋燭能の模様を収めたDVDを拝見しましたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。現在、感想を執筆中。続く。



能楽協会のホームページに年末年始に放送される能楽に関するTV番組が紹介されています。能楽能楽堂に足を運んで生舞台を観なければその魅力は十分に伝わってきませんが、その一方で、能楽堂に足を運びたくても地理的な要因や仕事上の都合などで能楽堂に足を運ぶ機会が殆どない人も多いのではないかと思います。近年は、CS放送の専門チャンネル(歌舞伎チャンネル、京都チャンネルなど)が廃止され、全国ネットでも能楽関係の放送枠が減らされてしまう憂慮すべき状況にありますので、NHKや衛星劇場(CS)へドシドシと能楽に関するTV番組をリクエストし、皆さんの力で能楽に触れる機会を少しでも多くしませう!
http://www.nohgaku.or.jp/

▼おまけ
紅葉に因んだ...と思われる一曲を。楽曲に持つイメージは人それぞれだと思いますが、僕は瞑目しながらラフマニノフのピアノ協奏曲第1番第2楽章(14:50〜21:40)に耳を澄ませていると、広陵たるロシアの大自然と木枯らしに巻かれる金色に染まる落ち葉のイメージが眼前に広がってきます。皆さんはこの楽章を聴いてどんなイメージが広がってきますか。

ロシアの秋をもう1曲。チャイコフスキーの「四季−12の性格的描写」より10月「秋の歌」をどうぞ。

「四季」と言えば、上記で挙げたチャイコフスキーの曲以外にも、ヴィヴァルディ、グラズノフピアソラ、ミヨーなどが同名の曲を書いていますが、もう1人、ハイドンのオラトリオ「四季」より「秋」をどうぞ。



ヴェルディの生涯 全7話

【題名】ヴェルディ―の生涯 全7話
【放送】CLASSICA JYAPAN(CS736)
    平成25年10月6日(土)10時00分〜11時40分
【監督】レナート・カステラーニ
【脚本】ゲネ・ルオット
【音楽】ローマン・フラード
【出演】ジュゼッペ・ヴェルディ役 ロナルド・ピックアップ
    アントニオ・バレッツィ役 ジャン・ピエロ・アルベルティーニ
    カルロ・ヴェルディ役 オメロ・アントヌッティ
    エマヌエーレ・ムツィオ役 エンツォ・セルシコ
    マリア・バレッツィ役 アドリアーナ・インノセンティ
    ルイザ・ウッティーニ役 アグラ・マルシリ
    フィノーラ役 レオポルド・トリエステ
【収録】1982年
【感想】
今日10月10日は“トートー(TOTO)”で「便器の日」ということはご存知の方も多いと思いますが、もう1つ、今年が生誕200年のアニバーサリーであるヴェルディの生誕日でもあります。ということで、現在、クラシカジャパンではヴェルディに関する様々な特番が組まれており、なかでもヴェルディのオペラ全曲放送(TUTTO VERDI)が注目されます(今年、同様に生誕200年を迎えたワーグナーのオペラ全曲放送も期待したいのですが...)。全27曲(何故かヴェルレクも含まれていますが、宗教音楽と言っても多分にオペラチックな作品なので、このような扱いとなることにあまり違和感はありません。)のうち既に21曲が放送され、僕のライブラリーにも追加されています。世評、クラシカジャパンは(アダプター又は衛星アンテナのいずれかを介さなければならないという原因で)画質の粗さに難があると指摘されることが多いですが、僕が利用しているNTTのひかりTVは有線なのにアダプターが不要なので画質の粗さは概ね解消され、その点に不満をお持ちの方には特にお勧めできます(但し、再生装置に制約がありますのでご留意下さい)。


左からヴェルディ自画像(1886年)、パルマ王立劇場、オケピ
https://teatroregioparma.it/
http://www.verdi.or.jp/index.html

なお、以前もこのブログで書きましたが、日本ではAppleとソフトバンクの貢献によって、この数年で音楽や映像の受容形態が様変わりしたと思います。これまでは音楽や映像が流通するメディアとしてはCD及びDVDが主流であったと思いますが、この数年で音楽や映像のコンテンツを自由に持ち運び又はアクセスすることができるデバイス(iPod、iPhone、iPad)とそのデバイスを使って外部からいつでもコンテンツを採り出せるネットワークハードディスク(NAS)が登場すると共に、大容量のコンテンツをストレスなく扱えるモバイルブロードバンド回線(100〜200Mbps)が普及し、加えてハイレゾ音源(192KHz/24bit〜)等に代表される超高品質のコンテンツも流通し出したことで、音楽や映像がデジタルデータとして流通し、受容される時代へと本格的に突入しました(音楽が流通、受容される媒体の変遷:「楽譜」→「レコード」→「CD・DVD」→「デジタルデータ(ネットワーク)」)。これまでの媒体と比べて自由度の高いデジタルデータとして音楽や映像が流通されるようになったことにより、これまで以上のクォリティーを保ちつつ、より柔軟性や多様性のある受容の可能性が広がり一層豊かな芸術ライフが安価かつ容易に実現できる環境が整いました。その意味で、ハイレゾ音源等の高品質のデジタルデータを供給するECサイト(主要なECサイトは以下のURLで紹介)や特定の分野の幅広いデジタルデータを供給する専門番組(クラシカジャパン、衛星劇場、WOWOW、各種のインターネットラジオ)など、音楽や映像をデジタルデータとして供給するコンテンツプロバイダーは、益々、そのプレゼンスを増してくるものと思います。因みに、ソニーからハイレゾ対応ウォークマン等のハイレゾ対応機器が発売されます。

http://d.hatena.ne.jp/bravi/20130302/p1

さて、クラシカジャパンのヴェルディ特番として、イタリア統一運動が活発化した激動の時代に大作曲家でありながら国会議員としても活躍したヴェルディの波乱の人生を描いたTVドラマの傑作「ヴェルディの生涯」(イタリア国営放送が制作した大河ドラマのようなもの)が放送されていますので、便器の日を記念してヨーロッパと日本のトイレ事情の比較文化論的な考察も交えながら少し書きしたためてみようかと思っています。

続く。

◆おまけ
先ず、歌劇王ヴェルディ弦楽四重奏曲ホ短調ロータス・カルテットの演奏でどうぞ。

次に、歌劇王ヴェルディピアノ曲(歌のないロマンツァ)をどうぞ。

最後に、リストがヴェルディの歌劇をピアノ演奏用に編曲した作品のうち、『歌劇「エルナーニ」演奏会用パラフレーズ』と『歌劇「ドン・カルロ」祝典の合唱と葬送行進曲』をどうぞ。リストは同年代の作曲家であるヴェルディワーグナーのオペラを数多くピアノ演奏用に編曲していますが、リストを初めとした当時のピアニストはグランドオペラへの憧れが強く、何とか歌手のようにピアノを歌わせることができないかと歌劇場に通い詰めては気に入ったフレーズをピアノ演奏用に編曲し、サロンで披露することが盛んに行われたと言われています。

NHK教育テレビ「茂山千作さんをしのんで」

【題名】茂山千作さんをしのんで
【放送】NHK教育テレビ
    平成25年6月8日(土)14時00分〜15時59分
【出演】演劇評論家 権藤芳一
    和泉流狂言師 野村萬人間国宝
    女優、落語家 三林京子
    観世流能楽師 片山幽雪(人間国宝
    和泉流狂言師 野村万作人間国宝
    大蔵流狂言師 茂山千作人間国宝
    大蔵流狂言師 茂山千之丞
    大蔵流狂言師 茂山忠三郎
    大蔵流狂言師 茂山千五郎
    大蔵流狂言師 茂山七五三
    司会 古谷敏郎
【曲目】狂言「素袍落」(大蔵流
      <太郎冠者>茂山千作
      <伯父>茂山忠三郎
      <主>茂山千五郎(十三世)
      <後見>茂山千三郎
    狂言「唐相撲」(大蔵流
      <帝王>茂山千作、茂山狂言会の皆さん
    狂言「棒縛」(大蔵流
      <次郎冠者>茂山千作
      <太郎冠者>茂山千之丞
      <後見>茂山千五郎(十三世)
      <後見>茂山七五三(二世)
    狂言「千切木」(大蔵流
      <太郎>茂山千作
      <亭主>茂山忠三郎
      <女房>茂山千之丞
      <太郎冠者>茂山千三郎
      <立衆>茂山千五郎(十三世)、茂山七五三(二世)
          茂山あきら、丸石やすし、松本薫、茂山正邦
    狂言「萩大名」(大蔵流
      <大名>茂山千作
      <太郎冠者>茂山千之丞
      <庭の亭主>茂山忠三郎
      <後見>茂山あきら、茂山良暢
    新作狂言「彦市ばなし」
      <彦市>茂山千之丞
      <殿様>茂山千作
      <後見>山本則俊
    ドラマ「なにわの源蔵事件帳」(第20話)
      <駒千根>三林京子
      <猫田久松>茂山千作
    狂言「千鳥」(大蔵流和泉流)」
      <太郎冠者>野村萬
      <酒屋>茂山千作
      <後見>茂山千三郎、野村扇丞
    スーパー狂言「ムツゴロウ」
      <社長>茂山千作
      <サラリーマン>茂山七五三、茂山狂言会の皆さん
      <笛>藤田六郎兵衛
      <小鼓>古賀裕己
      <大鼓>亀井広忠
      <太鼓>三島元太郎
    狂言「枕物狂(大蔵流)」
      <祖父>茂山千作
      <後見>木村正雄
      <地謡(地頭)>茂山千之丞
      <地謡>茂山七五三
      <地謡>茂山あきら
      <地謡松本薫
      <地謡茂山宗彦
      <地謡>茂山茂
      <小鼓>鵜澤寿
      <大鼓>安福建雄
    狂言「花子(大蔵流)」
      <夫>茂山千作
      <妻>茂山千之丞
      <後見>大藏彌右衛門
      <後見>茂山千五郎(十三世)
【感想】
去る5月23日に人間国宝にして狂言界初の文化勲章受章者である大蔵流狂言師茂山千作さんが他界されてから早くも3ケ月が経ちましたが、思えば、この僅か半年の間に時代を代表する歌舞伎俳優の中村勘三郎さん、市川團十郎さん、そして狂言役者の茂山千作さんと不幸が続き、その意味で今年は大きな時代の転換点、節目にあたる年であるとも言えそうです。今日は久しぶりに千作さんの舞台を観たいと思い立ち、予てから録り溜めていた千作さんの追悼番組を拝見しましたが、千作さんの懐の広い大らかな芸風と笑い声が鮮やかに記憶に蘇り、改めて掛け替えのない役者さんを失ってしまったという寂寥感、喪失感に打ちのめされる思いがします。


左は千作さん、右は弟の千之丞さん。「情の千作、知の千之丞」と言われていたとおり、ユニークな芸風と阿吽の呼吸でお互いを引き立たせて持ちつ持たれつの名コンビ振りが懐かしく偲ばれます。

この番組の中で、和泉流狂言師野村万作さんが千作さんの芸風について「“破格な” “型破りな” “大らかな” “発散する”芸風であり、聴衆の中に入り込んだ芸である」と評されていましたが、その意味では千作さんは肩肘を張らず気取らない誰にでも親しみ易い舞台が魅力であったと思いますし、また、和泉流狂言師野村萬さんは「千作さんは西で演技するときは柔らかく東で演技するときは固くやる」と語られていましたが、顧客の気質を見極めて硬軟の演技を使い分け、どこか気さくで茶目っ気を感じさせる人間味ある芸でいつも舞台を和やかなものにしていたと思います。萬さんは「能は謡、狂言は台詞が命脈だ」と語られていましたが、

http://www.soja.gr.jp/

因みに、僕が千作さんの舞台を最後に拝見したのは2008年3月20日の国立能楽堂に於ける狂言「月見座頭」だったと記憶しています。もう直ぐ仲秋の名月ですが、狂言「月見座頭」は座頭(盲人)が仲秋の名月にお月見をするという洒落た話で、座頭が野辺に出て虫の音に月見の風情を感じていると、そこへ通り掛った男と意気投合して酒宴となります。しかし、この男は座頭に悪戯をしてやろうと思い立ち、酒宴が終わって別れた後に再び座頭のもとへ引き返して別人を装って座頭を突き倒して逃げます。しかし、座頭は、突き倒して逃げた男と酒宴を楽しんだ男とは別人であると思い込み、突き倒して逃げた男は酒宴を楽しんだ男とは違って情けもない奴だと憤慨し、大きなくしゃみをして終曲になるという話です。前半の酒宴の場面は千作さんの大らかな芸が後半の悪戯の場面の千之丞さんの狡猾さを一層と引き立たせており、人間の業(暗黒面)に抗うことができない男の小悪党振りとそれに気付かない座頭の悲哀とがバランスよく絡み合って世の中の不条理と人間の滑稽さが浮き彫りとなって、思わず身につまされて苦笑いしてしまうような味わい深い舞台であったと記憶しています。この日は偶々橋掛り横の席に着座していましたが、千作さんが座頭に扮したまま揚げ幕へ引き上げられるときも非常に荒い息遣いが聞こえてきて、一曲一曲、命を削りながら舞台に立たれている姿を目の当たりにしたようで感服したことを思い出します。この頃になると千作さんの足腰も弱られた様子で、後見の支えがなければ着座した姿勢から立ち上がることが侭ならないようでしたので、生涯を舞台の上で全うされた役者人生だったんだなと感慨深く思い出されます。番組の最後に萬さんが以下の世阿弥の言葉を引用して千作さんを偲んでいらっしゃいましたが、生まれながらにして多くの観客に愛される愛嬌とは、正しく千作さんを一言で評するに相応しい言葉だと思われます。

「数人哀憐の愛嬌を持ちたらん生得は、芸人の冥加なるべし」世阿弥著「習道書」より)


左から月見座頭に因んで魚見塚展望台からの満月の夜のムーンライト、鴨川の夜景、漁師が沖合から来る魚の群れを見張っていたことから魚見塚と呼ばれています、誓いの丘には恋の成就を願って錠前が♥

なお、余談ですが、「座頭」とは、室町時代に形成された琵琶法師の「座」(芸能集団)の中の階級のことで、上から「検校」(けんぎよう),「別当」(べっとう),「勾当」(こうとう),「座頭」という4つの位が設けられていました。その後、江戸時代に入って幕府の障害者保護政策として「座」が利用されるようになり、障害者に対して按摩、鍼灸又は音楽家(琵琶、地歌三味線、箏曲、胡弓の演奏家、作曲家)の職業を排他的かつ独占的に許容しました。「六段の調べ」で有名な近世筝曲の開祖である八橋検校さんはご存知の方も多いと思いますし(京銘菓「八つ橋」は筝を象ったもので、八橋検校さんの名前に由来していることは有名)、俳優の勝新太郎が主演した映画「座頭市物語」の主人公である座頭の市なども有名です。因みに、座頭の市は実在の人物で、講談や浪曲でも有名な「天保水滸伝」にも登場する千葉県旭市飯岡町の侠客、飯岡助五郎(1859年没)の子分だったと言われていますが、学校で教えない歴史が文化、芸術の創作の源になっている好例ですな。(八橋検校座頭市については、改めて詳しく採り上げたいと思っています。)



左上から座頭市の住居跡(現在は水没していますが、150年前は海岸線だった龍王岬のあたりには出稼ぎ漁師が住む納屋が立ち並び、茨城県笠間から流れ着いた座頭市もここに住んでいたようです。「波止に喧嘩に強い盲人がいる」と恐れられていたという伝承が残されています。)、飯岡海岸に立つ天保水滸伝の碑、飯岡助五郎の墓、月岡芳年の浮世絵「飯岡助五郎」、飯岡海岸に立つ力石徹の像(漫画「あしたのジョー」のちばてつやさんは飯岡出身)、左下から飯岡灯台から見た飯岡の海、大利根河原の決闘の案内図、笹川繁蔵や平手造酒等の墓、清水次郎長国定忠治など関八州の大親分が一堂に会して花会を行った料亭「十一屋」
【地図】http://yahoo.jp/EygQF5

◆おまけ
月見座頭がなかったので、千作さんと千之丞さんの共演で素襖落を。

多少の脚色はありますが、史実、大利根河原の決闘を題材に描かれた座頭市物語。座頭の市をはじめとして飯岡助五郎、笹川繁蔵、平手造酒は実在した人物。

盲人を題材にしたオペラが見当たらないので適当に。

永遠に我々の記憶の中に...。衷心よりご冥福をお祈りします。フォーレのレクイエムより。

時の旅人 百史蹟巡礼(其の五) 〜 千葉が育んだ中近世日本文化の源泉を訪ねて 〜

【目次】

  狩野派の祖” 狩野正信(1434年〜1530年)千葉県いすみ市出身
    ◆狩野正信の碑(千葉県いすみ市

  “浮世絵の祖” 菱川師宣(1618年〜1694年)千葉県安房鋸南町出身
    ◆菱川師宣記念館(千葉県安房鋸南町
    
  “浪の伊八” 武志伊八郎信由(1751年〜1824年)千葉県鴨川市出身
    ◆“浪の伊八”の生誕地(千葉県鴨川市
    ◆行元寺旧書院(千葉県いすみ市
    ◆称念寺(千葉県長生郡長南町
    ◆飯綱寺(千葉県いすみ市
    ◆太東崎(千葉県いすみ市
    ◆いすみ市郷土資料館(千葉県いすみ市

【概要】
今日「海の日」は1876年に明治天皇が東北巡幸を終えて横浜港に帰港した7月20日を記念した国民の祝日でしたが、(祝日が宗教とは結び付いていない日本ならではの)ハッピーマンデー制度によって節操なく今年は今日15日が「海の日」となりました。その「海の日」に因んで、西洋文化(音楽や絵画)に多大な影響を与えた日本文化という切り口で、千葉が生んだ天才宮彫師“波の伊八”こと武志伊八郎信由を中心として、同じく千葉が生んだ“浮世絵の祖” 菱川師宣や“狩野派の祖” 狩野正信(京都の人かと思っていましたが、千葉の人だったんですね。)まで時代を遡り、これら千葉ゆかりの芸術家を育んだ土地を訪ね、その作品に触れることで、中近世日本文化萌芽のダイナミズムを感じてみることにしました。そろそろ子供たちは夏休みですが、夏休みの自由研究として“郷土が生んだ芸術家”を採り上げ、その作品に触れてみるのも良いかもしれません。


◆“狩野派の祖” 狩野正信(1434年〜1530年)千葉県いすみ市出身

筆様と模倣について書きます(現在、執筆中。続く。)





【狩野正信の碑(千葉県いすみ市)】
いすみ鉄道上総中川駅の近隣にある狩野正信の生誕地に記念碑が建てられています。なお、今秋、いすみ鉄道を採り上げたNHK−BSドラマ「菜の花ラインに乗りかえて」が放映される予定なので楽しみです。写真は本多忠勝の居城であった大多喜城を背景に小谷松駅から大多喜駅へ向かういすみ鉄道を撮影したものですが、いすみ鉄道の沿線には地方ローカル線の風情を湛えた鉄道マニア垂涎の撮影スポットが多く残されています。

地図:http://yahoo.jp/xx_-vr 


◆“浮世絵の祖” 菱川師宣(1618年〜1694年)千葉県安房鋸南町出身

漢画と土佐派について書きます(現在、執筆中。続く。)



なお、菱川師宣美術館の近くに、千葉にゆかりの日本画家、東山魁夷や酒井亜人を初めとした現代アートの作品を数多く展示している金谷美術館があります。

菱川師宣記念館(千葉県安房鋸南町)】
菱川師宣記念館前には師宣の代表作である浮世絵「見返り美人図」の彫像があります。一見、涼しげに見える「見返り美人図」ですが、こうして立体的にして観ると師宣の大胆なデフォルメに気付きます。師宣が故郷保田の寺社に寄進した梵鐘で、第2次世界大戦の金属回収令により滅失しましたが、それを復元したものです。

地図:http://yahoo.jp/yCeAMm


◆“浪の伊八” 武志伊八郎信由(1751年〜1824年)千葉県鴨川市出身

いくつかの作品解説、葛飾北斎及び西洋文化(音楽、絵画)への影響と模倣について書きます(現在、執筆中。続く。)



葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」


ドビュッシー交響詩「海」初版譜表紙

葛飾北斎に多大なインスピレーションを与えて「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を生み出す切っ掛けになった“波の伊八”の傑作である行元寺旧書院の欄間「波に宝珠」を観たときの興奮が未だに覚めません。フランスに「一枚の絵は百の言葉を語る」という諺がありますが、正しくこの作品の前に立つと、様々なインスピレーションが溢れ出してくるような感覚に襲われます。真の芸術は時間を超越すると言いますが、作品が持つ永遠の生命力、圧倒的な存在感に打ちのめされるような思いです。
 
【“浪の伊八”の生誕地(千葉県鴨川市)】
現在は小学校裏手の墓地になっていますが、丁度、この辺に浪の伊八が生まれ育った生家があり、その後ろの水田のあたりに工房を構えて、小さい作品は工房で、大きな作品は現地に泊まり込みで創作に没頭したと伝えられています。

地図:http://yahoo.jp/rP0NDP

【行元寺旧書院(千葉県いすみ市)】
行元寺旧書院欄間「波と宝珠」は行元寺に隣接する旧書院(客間)にありますが、これは表面で裏から見ると葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を彷彿とさせる図柄になっています。

地図:http://yahoo.jp/Vb8gzy

称念寺(千葉県長生郡長南町)】
称念寺本堂欄間「龍三態」ですが、いつも本堂のガラス戸には鍵が掛けられているのでガラス越しにしか拝見できません。これだけの作品を埋もれさせておくのは口惜しく(仮にこの欄間が個人又は団体の所有物であるとしても、法が体現する価値を超越し、その芸術的な価値は現在及び将来の人類にとっての資産でもあると思います。)、千葉県が助成するなどして一般公開すると共に、作品の痛みが激しいので早急に必要な修復を施すなど適切な作品の保存に努めるべきではないかと痛感します。

地図:http://yahoo.jp/xkK50x

【飯綱寺(千葉県いすみ市)】
飯綱寺本堂欄間「天狗と牛若丸」と「波と飛龍」があります。牛若丸と言えば、源頼朝石橋山の戦いで敗れて真鶴岬【1】から舟で落ち延びてきたのが鋸南町竜島【2】菱川師宣記念館の近く)なので、千葉には頼朝に縁の場所が多いです。因みに、この近くに太東灯台と僕の隠れ家“cafe GAKE”もあります。

地図:http://yahoo.jp/SS9Lbj

太東崎(千葉県いすみ市)】
“浪の伊八”は「波と宝珠」を創作するにあたり馬で太東崎の海に入って浪を模写したと言われています(波が砕ける瞬間をご覧下さい。伊八も北斎も波が砕ける瞬間を粒さに観察したはずです。)。因みに、この近くに飯綱寺と僕の隠れ家“cafe GAKE”もあります。なお、以前、このブログで「くも」や「あめ」などを意味する漢字にも色々な種類があると書きましたが、「なみ」も同様で「波、浪、濤(涛)、瀾」と種類と豊富です。「波」は波全般を指す広い意味を持ち、「浪」は海よりも川の波、「濤(涛)」は大きな波、「瀾」は勢いのよい大きな波、「漣」はさざなみを示すそうなので、その作風からは“瀾の伊八”と呼ぶべきなのかもしれません。現代の日本人はアスファルトに固められた自然とは隔絶された人工の街で生活していますが、昔の日本人にとって自然は生活の一部であり、自然の繊細な表情の違いを敏感に感じ取ることができる豊かな感受性を持っていたのかもしれません。

地図:http://yahoo.jp/oeKcSn

いすみ市郷土資料館(千葉県いすみ市)】
“浪の伊八”を初めとする数々の作品を真近に拝見することができるので(入館無料)、作品の生命力、息吹を身近に感じることができます。欄間「波に鯉」が展示されていますが、鯉なので海ではありませんが、すべり落ちるような川の流れの勢いとその流れが様々に表情を変化させる様子を繊細かつ滑らかな曲線で見事に表現しています。

地図:http://yahoo.jp/mBMg4x 
   
芸術を理解するということはその時代や土地を理解することに他ならず、同じ時代の異なるジャンルの芸術に触れ、その芸術が育まれた「水」に馴染むことが芸術を理解することにつながると思います。今後も芸術家又はその作品にゆかりの土地を訪ねて紹介する「時の旅人」をシリーズとして続けて行きたいと思っています。先ずは、僕が住む千葉県を中心として、徐々に全国(世界)の芸術が育まれた土地の歴史を訪ね、時代を旅していきたいと思っています。

http://tabikore.com/u/862

【番外編】

平成25年10月9日(水)22時〜 BSプレミアム
いすみ鉄道(千葉県いすみ市)を採り上げたNHK−BSドラマ「菜の花ラインに乗りかえて」が放映されます。いすみ鉄道の沿線には地方ローカル線の風情を湛えた鉄道マニア垂涎の撮影スポットも多く残されていますので、ドラマと共に景色もお楽しみあれ。
http://www.nhk.or.jp/chiba/nanohana/index.html


この季節は樹木や雑草が鬱蒼と生い茂って風情がありませんが、菜の花が咲く季節は色とりどりの春の花に彩られ(左から1枚目:春先は桜のトンネルから出てくるいすみ鉄道、左から2枚目:春先は菜の花に覆われるいすみ鉄道)、さながらいすみ鉄道が春の香りを運んできてくれているような風情を湛えています。一番右の絵は片岡鶴太郎さんがいすみ鉄道とドラマのイメージを絵にしたものですが、まるでいすみ鉄道が菜の花の香りに包まれているようで、いすみ鉄道や(おそらく)ドラマのイメージを本当によく表現されていると思います。カメラを片手にいすみ鉄道のぶらり旅で春の風情(これからの季節は秋の風情も楽しみ)を堪能されてみてはいかが。

◆おまけ
「海」に纏わる音楽を何曲かご紹介しておきましょう。

ドビュッシー(1862年〜1918年) 交響詩「海」

ラヴェル(1875年〜1937年) 組曲「鏡」より“海原の小舟”

エルガー(1857年〜1934年) 歌曲「海の絵」

レ・ミゼラブル(原題 Les Misérables)

【題名】レ・ミゼラブル(原題 Les Miserables)
【監督】トム・フーパー
【原作】ヴィクトル・ユーゴー
【脚本】クロード=ミシェル・シェーンベルク
    アラン・ブーブリル
    ハーバート・クレッツマー
    ウィリアム・ニコルソン
【音楽】クロード=ミシェル・シェーンベルク
【出演】ジャン・バルジャン ヒュー・ジャックマン
    ジャベール ラッセル・クロウ
    ファンティーヌ アン・ハサウェイ
【収録】2012年(イギリス)
【感想】
昨日7月7日はロマンチックにも織姫星(こと座の1等星ベガ)と夏彦星(わし座の1等星アルタイル)が天の川を挟んで見つめ合う七夕でしたが、今日7月8日は物々しくも160年前(1853年)にペリー率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊が浦賀沖(久里浜)に来航して大砲を挟んで睨み合った日でした。NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公、山本八重さんは1845年生れ、ペリー来航から僅か15年後の1868年(未だ23歳の若さ!)に会津戦争を経て明治維新となりますので、ペリー来航を契機として日本が一気に開国、倒幕へと雪崩込んだ時代の節目にあたる激動期です。因みに、日本初のグランドオペラ山田耕筰が作曲した歌劇「黒船」で、黒船来航と同時代に名声を博していた作曲家にはシューマン、リスト、ワーグナーヴェルディなどがいます。当時、黒船視察に来た吉田松陰佐久間象山などが宿泊した徳田屋跡が残されていますので、当時の日本人が黒船(新しい時代)をどのように見通していたのか思いを馳せてみるも良し、また、久里浜港(神奈川県横須賀市)から金谷港(千葉県富津市)まで東京湾フェリーが就航していますので、黒船(米国)から日本という国がどのように見えていたのか思いを馳せてみるも良し、一年に一度くらい、近代日本の原点に立ち戻り、世界の中の日本という視点で、この国を見つめ直してみるのも良いかもしれません。

Soft BankのiPhone用のアプリ“Star Walk”を使って、星座の地図を紐解きながらギリシャ神話の世界を旅してみてはいかが。


左から当時の久里浜、黒船サスケハナ号、現代の久里浜、黒船が停泊していたあたり

左から東京湾から三浦半島、男の海東京湾、鋸山から三浦半島(小さく見えるのが東京湾フェリー)、金谷港の東京湾フェリー

なお、金谷港を見下ろすように聳え立っているのが鋸山(のこぎりやま)で、房州石と呼ばれる良質の石材が採掘されることから江戸時代から盛んに採石が行われ、現在も石切場跡が残存しています。その露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることから「鋸山」と呼ばれています。とりわけ「地獄のぞき」はその美しい眺望と共に観光名所として知られています。その急峻な断崖絶壁を前にすると思い切りチビリってしまいますが、そんなことはどうでもよくなってしまうくらい本当に恐ろしいところです。実際に行ってみると分かりますが、自然と足が震えてきて、腰が引けるとうか抜けるというか、上半身と下半身が完全に分離されてしまったような無様なことになってしまいます。僕も鉄柵にへばりついているのがやっとでした。お試しあれ。


左から横から見た地獄のぞき、後から見た地獄のぞき、海岸線の眺望、百尺観音

さて、皆さんご案内のとおり諸事情あって、とうとう映画館には観に行けず仕舞いになってしまったミュージカル映画レ・ミゼラブル」ですが(こういう作品こそ音響設備の良い映画館で観たかったのですが…)、早くもDVDがリリースされたのでTUTAYAで借りて観ることにしました。アメリカからやってきたと言えば黒船のほかに忘れてはならないのがミュージカル...どんなに運命に翻弄されながらも人生の素晴らしさを高らかに歌い上げて行く“人生の賛歌”ともいうべきミュージカルは、人生に行き詰ったときや落ち込んだときに観ると生きる勇気のようなものを与えてくれます。

現在、感想を執筆中。

続く。