大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用、拡散などは固くお断りします。※※

ワーグナー 偉大なる生涯(原題:WAGNER)

【題名】ワーグナー 偉大なる生涯(原題:WAGNER)
【監督】トニー・パーマー
【脚本】チャールズ・ウッド
【出演】第一部
 <ワーグナーリチャード・バートン
      <コジマ>ヴァネッサ・レッドグレーヴ
      <ミンナ>ジェマ・クレイヴン
      <カール・リッター>ガブリエル・バーン
      <マティルデ>マルト・ケラー
      <リスト>エッケハルト・シャル
    第二部
      <ワーグナー>リチャード・バートン
      <コジマ>ヴァネッサ・レッドグレーヴ
      <ミンナ>ジェマ・クレイヴン
      <ブフォルテン>ラルフ・リチャードソン
      <フィスターマイスター>ジョン・ギールグッド
      <ブフォイアー>ローレンス・オリヴィエ
      <フォン・ビューロー>ミゲル・ハンツ=ケストラネク
      <ルードヴィッヒⅡ世>ラズロ・ガルフィ
    第三部
      <ワーグナー>リチャード・バートン
      <コジマ>ヴァネッサ・レッドグレーヴ
      <フォン・ビューロー>ミゲル・ハンツ=ケストラネク
      <ルードヴィッヒⅡ世>ラズロ・ガルフィ
      <リヒター>スティーブン・オリヴァー
      <ニーチェ>ロナルド・ピックアップ
【演奏】<Orc.>ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
    <Cond.>サー・ゲオルグショルティ
【撮影】ヴィットリオ・ストラーロ
【収録】1983年年度作品
【放送】クラシカジャパン
     第一部 8月 4日21:00〜23:40
     第二部 8月11日21:00〜23:55
     第三部 8月18日21:00〜23:45
【感想】
メリークリスマス🎶 どんなクリスマスをお過ごしでしょうか。今日12月25日をイエスの誕生日(降誕日)と勘違いしている人も多いと思いますが、イエスの誕生日は明らかではなく(聖書にも書かれていない)、正しくはイエスの誕生(降誕)を祝う日です。因みに、サンタクロースは聖ニコライが起源とされていますが、その昔、聖ニコライが貧しくて娘を嫁がせることができない家の煙突から金貨を投げ入れて救ったという逸話に由来し、キリストの誕生(降誕)を祝う日にプレゼントを贈る習慣が生まれたと言われています。そのキリストの生誕(降誕)から約1200年後に我等の千葉県鴨川市にある誕生寺日蓮聖人の生家跡)で日蓮宗の開祖である日蓮聖人が生誕(降誕)しています。



上段左から誕生寺の仁王門、祖師堂と見事な枝振りの松、誕生(降誕)した日蓮聖人が産湯を使った誕生水(湧き水)、誕生堂、日蓮聖人御幼像、下段左から寅さんが産湯を使った寅さんの誕生寺こと柴又帝釈天(日蓮宗)の二天門、帝釈堂、鐘と寺紋(映画で使用されているとらやの暖簾の家紋は帝釈天の寺紋と同じ)、柴又に実在するとらや(最初の数回は映画の撮影でも使用、草だんご300円)、とらやの店内にある階段(映画の撮影でも使用、寅さんの部屋へと通じる奥の階段とは別のその隣の部屋へ通じる表の階段)

日蓮聖人は清澄寺へ入山し、鎌倉に建長寺が建立された年と同年(1253年)に旭が森の山頂に立って朝陽を拝みながら「南無妙法蓮華経」と唱えて日蓮宗の立宗宣言をしたと言われています。日蓮聖人は「立正安国論」において「正法を立て国土を安穏ならしめる」と説いて「南無妙法蓮華経」という7文字のお題目を唱えて「平らかなる心」を培うことで国土は安穏になるという趣旨のことを書かれていますが、お題目を声に出して唱えること(唱題行)で自らの心の中にも宿っているはずの「仏の心」を呼び覚ますという教えのようです。お題目を唱える際に木魚、木柾や題目太鼓(団扇太鼓)を打ち鳴らしてリズムを整えることで、自らの呼吸を整え、自らの心を整えて信仰を培うという意味で、唱題にはリズム(ここで言うリズムとは、メトロノームが刻む人工的なリズムというよりは、自然の摂理を支配する秩序(心臓の鼓動のようなものと言い換えることができるかもしれませんが)に共鳴するということではないかと思います。)が大切だと言われています。この点、日本の伝統音楽には西洋音楽のような明確なメロディーやハーモニーはなく主にリズム(上記と同旨の日本的なリズム)や節によって構成されますが、このような「祈り」(唱題や声明など)が「歌舞音曲」へと発展し、やがて歌舞伎の黒御簾音楽・下座音楽(舞台下手の黒塗りの御簾を垂らした黒板塀に囲まれた中で演奏する歌舞伎の演出効果を高めるための音楽で、その楽器の1つが団扇太鼓)へと昇華した文化的背景に思いを馳せると大変に興味深いものがあります。なお、大利根河原の決闘を描いた「座頭市物語」(第一作)の中で飯岡一家が笹川一家へ殴り込みを掛ける場面がありますが、危難を逃れようと題目太鼓(団扇太鼓)を叩く村民の姿が描かれており、読経や写経を行わなくても「南無妙法蓮華経」の7文字のお題目を唱えるだけで救われるという日蓮宗の教えが当時の読み書きのできない村民の間にも広く浸透していたことを窺わせるエピソードとして印象深く思い出されます。また、日蓮宗の布教は“浪の伊八”の数々の作品をはじめとした仏教美術の発展や、日蓮宗の学問所である三大檀林(飯高檀林中村檀林小西檀林)に代表される教育の普及振興にも多大な影響を与えていますので、いつか機会があったら詳しく触れてみたいと思います。因みに、今年の大河ドラマ「八重の桜」では同志社大学が日本で初めて設立されたキリスト教を普及するための大学として採り上げられ注目を集めましたが、仏教を普及させるために日本で最も古く設立された大学の1つである立正大学(その校名は日蓮聖人の「立正安国論」に由来)は三大檀林の1つ飯高檀林を前身としており、「立正の精神」を理念として日本の宗教・思想教育を支え続けて来た功績を忘れることはできません。(この話題を敢えてクリスマスの日に採り上げてみました。)



上段左から日蓮宗開祖の大本山清澄寺(千葉県鴨川市)の仁王門、日蓮聖人が清澄寺に入山した当時からあった樹齢800年以上の千年杉、大堂と観音堂、日蓮聖人が吐かれた血が笹の葉に飛び散って今でも葉に斑点が残る凡血の笹、若き日の日蓮聖人が心身練磨のために修行した練業場、下段左から日蓮宗の三大檀林(学問所)のうち、霊験あらたかな雰囲気が立ち込める飯高檀林(千葉県匝瑳市)の講堂と立正大学発祥の碑、中村檀林(千葉県香取郡多古町)の山門から本堂へと真っ直ぐに伸びる参道とその脇に立つ信仰の道しるべ、小西檀林(千葉県大網白里市)の中門と講堂

極真空手創始者である大山倍達は1948年に清澄山に入山し、約18ケ月間の修行の末に極真空手を生み出しました。大山倍達が山籠もりをした際の体験として「人間にとって最も怖いのは、飢えと孤独だ」と語っていますが、自らを極限の状態に追い込み自らに打ち克つことによって強い精神と肉体を培い、その並々ならぬ闘争心が下山直後に千葉県館山市で47頭の牛と対決し仕留めた逸話となって現れたのだろうと思います。その意味で、それまで主流を占めていた競技としての空手ではなく、あくまでも実戦としての空手を志向し、いわば空手に魂を吹き込んだ真の武道家と言えるかもしれません。その原点が此処にあるのかと思うと身の引き締まる思いがします。


左から清澄寺バス停前にある極真空手発祥の地の碑、大山倍達が飢えと孤独に克って約18ケ月間の修行を全うした極真空手発祥の地、大山倍達の記念碑、大山倍達が幾度も眺めたであろう極真空手発祥の地から臨む鴨川に沈む夕陽

さて、生誕と言えば、今年生誕200年を迎えたワーグナーの偉大なる生涯を描いた伝記映画がクラシカジャパンで放送されたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。この伝記映画はワーグナーの孫ヴォルフガング・ワーグナーの協力を得て制作された約8時間に及ぶ一大叙事詩で、楽劇「ニーベルングの指環」で定評があるショルティー@ロンドンフィルが演奏を担当しています。因みに、先日から、ワーグナー生誕200周年を記念してルートヴィヒⅡ世とワーグナーの関係を描いた映画「ルートヴィヒ」が公開されていますので、こちらもご興味がある方はいかが。


http://wagner-movie.com/

http://www.ludwig-movie.com/

現在、感想を執筆中。続く。

◆おまけ
ワーグナートリスタンとイゾルデ第三幕全曲をショルティー@VPOの演奏でどうぞ。

オペラの終焉

【題名】オペラの終焉
【著者】岡田暁生
【出版】ちくま学芸文庫
【発売】2013年12月10日
【値段】1365円
【感想】
ソフトバンクは今年発売45周年を迎えるスナック菓子「カール」を販売するMeijiとコラボして、ソフトバンクショップで“つなカール”を無料配布しています。“つなカール”とはツナ味のカールのことではなく、ソフトバンクが「つながりやすさNo1」を受賞したことを記念して“つながる”と“カール”を文字って作った商品名(キャッチ)のようで、確かに“カール”のように「サクサク」と音が聞こえてくるくらいソフトバンクはよくつながります。ご案内のとおり“カール”はポップコーンに着想を得て誕生したトウモロコシを原料とするスナック菓子ですが、僕らお父さん世代にとってはカルビーの“かっぱえびせん”と共に「昭和の味」として我々の舌に強烈に刻まれているスナック菓子の金字塔とも言うべき時代の名品です。アニメにしろ、菓子にしろ、平成に入ってから昭和の産物がリメイクされて注目されるようになってきましたが、昭和の時代は我々日本人が世代を超え、時代を超えて受け継がれて行く何か(風俗流行を超越した文化的価値)を造り出すだけの創造力を持ち得ていた時代であったと言えるかもしれません。某指揮者を彷彿とさせる泥棒髭がチャームポイントのカールおじさん(今年で大石内蔵助の享年と同じ年)をはじめとして時代の風雪を耐えて長く愛されるキャラクター(ペコちゃん、キティーちゃん、ケロヨンetc.)も、昭和の時代に多く生まれたように感じます。果たして平成の時代は次世代へ受け継いで行けるような時代を代表する何かを創造し得ているのでしょうか。その意味でも今回のソフトバンクの広告宣伝、販売促進策に見る「遊び心」(創造力の源泉)は大切にしたいと思います。因みに、“つなカール”の配布は在庫がなくなり次第終了になるようなので、未だ“つなカール”を貰っていない方はソフトバンクショップへ急ぎましょう!


左から“つなカール”と“つなカール(正月パッケージ)”、ソフトバンクスマホがサクサクとつなカールのひみつ(表面、裏面)、発売45周年を迎えた本物“カール”、さらにLINEで使える“LINEスタンプ”もLINEアップ!!

左が本物の“カール”、右が“つなカール”(ちびっこカールですが、味は本格的!)



さて、今年は、ヴェルディワーグナー生誕200年記念に加えて、世阿弥生誕650年記念、近松門左衛門生誕300周年という総合舞台芸術にとって大変に貴重な年になりました。そこで、今年一年を締め括る意味で、西洋の総合舞台芸術である“オペラ”について興味深い題名の本が出版されたので、その感想を東洋の総合芸術である“能楽”に絡めながら書いてみたいと思います。



続く。

◆おまけ
R.シュトラウスの歌劇「バラの騎士」第2幕をクライバーの名演で。

ワーグナーの初期の作品である歌劇「妖精」第1幕より。録音状態は悪いですが..。

ヴェルディの歌劇「オテロ」より。プライドの高さゆえに猜疑心に心乱して行く弱い男をドミンゴが見事な演技力と歌唱力で好演。

人形浄瑠璃文楽名演集 通し狂言 仮名手本忠臣蔵

【ご協力のお願い②】
大阪市は芸術団体への補助金交付に関して観客数に応じて交付金額を増減させる市場評価方式を来年度以降も継続する見通しのようです。国立文楽劇場大阪フィルハーモニー交響楽団等が対象のようですが、(無論、限られた財源のなかで、より公平で納得感がある方式で幅広い芸術団体へ補助金を交付する方法作りは非常に困難を伴うものであると承知したうえで)果たして文化芸術の育成振興を市場評価に晒す方式が妥当性を持ち得るのか、文化芸術の発展史(芸術に大衆性は必要かという問題を含む)を紐解くにつけて大いに議論の余地がありそうですが、先ずは御託を並べるよりも(もし劇場やホールへ行ける環境・状況を取り戻せれば)この年末年始は関東から大阪へ遠征しようかとも考えています。皆さんも芸術鑑賞がてら大阪観光へ“ことりっぷ”してみませんか。
http://mainichi.jp/feature/news/20131112ddn002010045000c.html

【題名】人形浄瑠璃文楽名演集 通し狂言 仮名手本忠臣蔵
【出演】◆大序
     鶴が岡兜改めの段
      竹本相子大夫、竹澤団市 ほか
     恋歌の段
      竹本三輪大夫、竹本南都大夫、鶴澤八介 ほか
      塩谷判官 吉田文雀高師直 吉田作十郎、
      顔世 吉田和生
      若狭助 吉田簑太郎(現、桐竹勘十郎) ほか
    ◆二段目
     桃井館力弥上使の段
      竹本緑大夫、鶴澤清介
     本蔵松切の段
      豊竹小松大夫、野澤勝平(3代 野澤喜左衛門)
      本蔵 桐竹勘十郎(2代)
      戸無瀬 豊松清十郎(4代)
      若狭助 吉田玉松、力弥 桐竹紋寿 ほか
    ◆三段目
     下馬先進物の段 
      竹本三輪大夫、鶴澤清二郎
     腰元おかる文使いの段
      竹本津駒大夫、竹澤団治(現、竹澤宗助)
     殿中刃傷の段 
      豊竹呂大夫、竹澤団七
     裏門の段 
      竹本千歳大夫、鶴澤燕二郎(現、鶴澤燕三)
      おかる 吉田簑助、塩谷判官 吉田文雀
      高師直 吉田作十郎 ほか
    ◆四段目
     花籠の段 
      豊竹呂大夫、鶴澤清介
     塩谷判官切腹の段 
      切 竹本越路大夫、鶴澤清治
     城明渡しの段
      竹本文字栄大夫、鶴澤清二郎
      由良助 吉田玉男、塩谷判官 吉田文雀
      九太夫 吉田作十郎、顔世 吉田文昇 ほか
    ◆五段目
     山崎街道出合の段 
      竹本津国大夫、鶴澤清太郎
     二つ玉の段 
      竹本相生大夫、竹澤団七
      勘平 吉田玉松、与市兵衛 吉田文吾、
      弥五郎 吉田和生、定九郎 吉田玉女 ほか
    ◆六段目
     身売りの段 
      豊竹嶋大夫、野澤錦弥(現、野澤錦糸)
     早野勘平腹切の段
      切 竹本住大夫、鶴澤燕三(5代)
      おかる 吉田簑助、与市兵衛女房 吉田文昇
      勘平 吉田玉松 ほか
    ◆七段目
     祇園一力茶屋の段
      由良助 竹本文字大夫(現、竹本住大夫
      おかる 竹本南部大夫、伴内 豊竹咲大夫
      九太夫 竹本相生大夫
      平右衛門 竹本織大夫(現、竹本綱大夫)
       前 野澤錦糸(4代)
       後 鶴澤燕三(5代)
      由良助 吉田玉男、おかる 吉田簑助
      九太夫 吉田作十郎
      伴内 桐竹紋寿、平右衛門 吉田玉幸 ほか
    ◆八段目
     道行旅路の嫁入 
      竹本津駒大夫、竹本千歳大夫、鶴澤清友
      鶴澤燕二郎(現、鶴澤燕三) ほか
      戸無瀬 吉田文雀、小浪 桐竹紋寿
    ◆九段目
     雪転しの段
      豊竹松香大夫、鶴澤八介
      山科閑居の段
      切 前 竹本住大夫、野澤錦糸
        後 竹本綱大夫、鶴澤清二郎
      由良助 吉田玉男、戸無瀬 吉田文雀
      小浪 桐竹紋寿
      本蔵 吉田玉幸、お石 桐竹一暢 ほか
    ◆十段目
     天河屋の段 
      竹本千歳大夫、野澤錦糸、ツレ 鶴澤清志郎
      由良助 吉田文吾、義平 吉田玉女
      おその 吉田玉英 ほか
      作曲 野澤松之輔
    ◆十一段目
     花水橋引揚の段 
      竹本三輪大夫、竹本文字久大夫、鶴澤浅造 ほか
      由良助 吉田玉男、若狭助 吉田文昇、
      郷右衛門 吉田玉幸、弥五郎 吉田和生 ほか
     光明寺焼香の段
      竹本津国大夫、竹本南司大夫、鶴澤八介 ほか
      由良助 吉田玉男、郷右衛門 吉田玉松
      平右衛門 吉田玉幸、弥五郎 桐竹一暢 ほか
【販売】NHKエンタープライズ
【発売】2010年11月26日
【感想】
今年は近松門左衛門の生誕360周年ということで人形浄瑠璃文楽でも色々な催し物があったようですが、残念ながら、ご案内のとおり諸事情によって観に行くことができませんでした。今日12月14日(但し、新暦では1月30日)は赤穂浪士が吉良邸へ討ち入った日になりますが、久しぶりに人形浄瑠璃文楽の名演を収めたDVD「仮名手本忠臣蔵」を観ることにしましたので、簡単に感想を残しておきたいと思います。

続く。

【1701年3月14日(新暦、同年4月21日)】

風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとかせん(浅野内匠頭辞世の句)


左から歌川国芳仮名手本忠臣蔵 三段目 殿中刃傷の場」。江戸城平川門(不浄門)。浅野内匠頭切腹した陸奥一関藩田村邸跡。浅野内匠頭切腹時の血染めの石と梅。

【1702年12月14日(新暦、翌年1月30日)】

  • 04時00分頃 吉良邸(両国三丁目)へ討入り。
  • 06時00分頃 吉良邸を引揚げ。

<吉良邸〜隅田川沿いを南下〜万年橋・永代橋を渡橋〜播州赤穂藩江戸上屋敷(聖路加看護大学)・築地本願寺前を通過〜国道15号線(当時は海岸線)沿いを南下〜泉岳寺

  • 09時00分頃 泉岳寺(高輪)へ到着。
  • 10時00分頃 浅野内匠頭の墓前で報告。
  • 18時00分頃 泉岳寺を出立。
  • 21時00分頃 大目付仙石伯奢守邸(虎の門二丁目)へ到着
  • 02時00分頃 お預け先の各藩邸(細川、松平、毛利)へ到着



上段左から吉良邸跡(勝海舟の生誕地が直ぐ近く)と吉良上野介の首級を洗った井戸。葛飾北斎画「吉良邸討ち入り」で、葛飾北斎は幕府御用鏡師の中島伊勢の養子(妾の子)であったと言われており、その中島伊勢の住宅が吉良邸の真向いにありました。播州赤穂藩江戸上屋敷跡(聖路加看護大学)。下段左から泉岳寺浅野内匠頭の墓前に供える前に吉良上野介の首級を再び洗った井戸。泉岳寺内の浅野家墓所門(播州赤穂藩江戸上屋敷裏門を移築)。浅野内匠頭の墓。

【1703年2月4日(新暦、同年3月20日)】

あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮き世の月に かかる雲なし(大石内蔵助辞世の句)


左から大石内蔵助ほか16名が切腹した肥後熊本藩江戸下屋敷(高輪一丁目アパート)。三田にあった松平家のこの梅の木の下で大石主税ほか9名が切腹泉岳寺にある浅野内匠頭の墓に寄り添うようにして眠る大石内蔵助赤穂義士の墓々。

http://tabikore.com/album/796

ブログの枕とDVDの感想は後ほど。続く。


http://www.shochiku.co.jp/play/kabukiza/schedule/2013/12/_1_52.php






上段の左から内堀り、大手門(高麗門)、大手門(櫓門)、百人番所と大手町の高層ビル群、下段の左から本丸跡(右手が天守台、左手が松の廊下)、松の廊下跡、松の廊下から大奥&天守台方向(この辺一体が松の廊下)、江戸城内地図。松の廊下で刃傷事件があった1701年(バッハや松尾芭蕉が生きていた時代)から約300年を経過していますが、江戸と東京の街並みのみならず日本人の気質までもが随分と様変わりしています。



上段の左から海ほたるから撮影した東京全景、東京スカイツリー八重洲から新橋方面(画面中央のツィンタワーの向う側に歌舞伎座があります。)、東京タワーとレインボーブリッジ、下段の左から六本木から新宿方面(画面右の一番高いビルが六本木ヒルズ、画面左の飛行機の下にあるビルが東京オペラシティー)、羽田空港(円筒形の建物が管制塔)、川崎駅方面(画面中央よりやや左手の3つ突起がある建物の直ぐ近くがミューザ川崎)、横浜ランドマークタワーと横浜ベイブリッジ。本懐を遂げた赤穂浪士は朝6時に東京スカイツリーの周辺にある吉良邸を出立し、八重洲の向こう側にある江戸城を横目に海岸線沿いを南下して朝9時に東京タワーの先にある泉岳寺へ到着したようです。


江戸の空には飛んでいなかった飛行機の腹

ブログの枕とDVDの感想は後ほど。続く。


浮絵忠臣蔵より四段目判官切腹の場面(歌川国直)

◆おまけ
仮名手本忠臣蔵より四段目判官切腹の段

利休にたずねよ

【題名】利休にたずねよ
【監督】田中光
【原作】山本兼一
【脚本】小松江里子
【音楽】岩代太郎
【出演】<千利休市川海老蔵(第11代)
    <宗恩>中谷美紀
    <織田信長伊勢谷友介
    <豊臣秀吉大森南朋
    <おさん>成海璃子
    <石田三成福士誠治
    <高麗の女>クララ
    <山上宗二>川野直輝
    <細川忠興袴田吉彦
    <細川ガラシャ黒谷友香
    <武野紹鴎>市川團十郎(第12代)
    <北政所檀れい
    <たえ>大谷直子
    <長次郎>柄本明
    <千与兵衛>伊武雅刀
    <古渓宗陳>中村嘉葎雄
【公開】2013年12月7日〜
【場所】成田HUMAXシネマズ
【感想】ネタバレ注意!
昨日から公開されている映画「利休にたずねよ」を観てきました。まるで一服の茶を点てられたときのように心が整えられ、久しぶりに自信を持ってお勧めできる映画に出会えたと思います。千葉県成田市の映画館で映画を鑑賞した後、少し時間があったので、近隣の千葉県香取市善光寺へ歌舞伎役者の(初代)松本幸四郎さん(1674年〜1730年、実事・荒事を得意とし、二代目市川團十郎と人気を分けた名役者)のお墓参りに立ち寄ってみました。東京都文京区の栄松院にも初代の墓碑がありますが、もともと初代は同市小見川町出身で、善光寺の墓碑の方が古いと言われていますので、こちらの方が由緒正しい(?)かもしれません。因みに、境内には恋の願いごとが叶えられると言われている「腹切様の碑」もあり、女性を中心に厚〜い信仰を受けています。なお、話は変わりますが、先日、博多に行った際に“明太フランスパン”で有名な辛子明太子の名店「しまもと」に立ち寄ったところ、当代の松本幸四郎さん、女優の松本紀保さん(長女)と松たか子さん(次女)のサイン色紙を発見しました。当代の舌にも適う辛子明太子のようですな。



上段は千葉県香取市善光寺。役者は死しても“華”がある存在、そんな思いを込めて赤い花を一輪添えました。下段は福岡県博多市の辛子明太子の名店「しまもと」

恋多き人生を腹切様にひとしきりお祈りした後、天気が良かったので、近傍の千葉県銚子市まで足を伸ばして屏風ヶ浦を探検することに。屏風ヶ浦は波の浸食によりできた延々10km(銚子市名洗町〜旭市飯岡刑部岬)にも及ぶ海岸の絶壁です。その雄大なスケールはドーバーの白い壁と双璧して見劣らないことから東洋のドーバーと言われている...と由緒書きにはあります。絶壁の高さは約60mほど(15階建相当)あり、その日の天候や時間帯によって屏風(壁面)は様々に景色を変え、晴天の空気が澄んだ夕焼け時には真紅に染まる神の屏風絵の美しさに息をのみます。もう少しカメラの腕前が上達したら夕焼け時の屏風ヶ浦の表情を撮りきりたいと目論んでいます。その後、お腹が空いてきたので、今が旬の魚“金目鯛”の刺身(東京では金目鯛の刺身を食す機会は少ないと思いますが)を贅沢に使った名物「キンメ丼」を食べるために、芸能人御用達(杉良太郎さん、田中邦衛さん、萬田久子さん、志村けんさん、桂米助さんなど)の店でも有名な銚子の魚料理「常盤」へ向かいました。銚子は金目鯛の宝庫として知られていますが、金目鯛の刺身は透き通るような身で臭みはなく、よく身が締まったぷりぷりとした食感で酢飯との相性が良く食欲のそそられる至福の逸品です。金目鯛が旬の季節(冬)は、特にオススメしておきます。
http://d.hatena.ne.jp/bravi/20130212/p1



上段は屏風ヶ浦。下段は左から2枚が飯岡の大鳥居とその向こう側に見える座頭市の住居跡(現在は海ですが、当時は浜で防波堤の先端辺りにあった出稼ぎ漁師用の小屋)、左から3枚目は飯岡灯台のロマンチックな夕陽..チュッ♥、左から4枚目が魚料理「常盤」の名物「キンメ丼」

さて、この映画は直木賞を受賞した山本兼一さんの小説を実写化したもので、これまでの千利休を題材とした映画とは少し趣きを異にし、伝記的叙事詩というよりは、いくつかのエピソード(フィクションを含む)を交えながら千利休が究めた茶の湯の道とは何なのかということに視線が注がれ、その茶の湯の道こそが千利休の生き方そのものに体現、結実されて行く様が丹念に描かれており、それが上に述べた観後感にも繋がっています。この映画は千利休豊臣秀吉の勘気に触れて切腹する当日の場面から始まり、その約20年前にフラッシュバックして織田信長との出会い、豊臣秀吉との葛藤、妻や師弟との関係など、千利休が本格的に茶道を志すことになる青年期から堺の三茶人と持て囃され、そして天下の茶道と呼ばれるまでに登り詰め、やがて黒樂茶碗に究まる千利休の茶道の極致が千利休切腹(死、即ち、究極の侘び)と共に描かれています。「私が額ずくのは美しいものだけ」という言葉を残して天下人、豊臣秀吉と袂を分かち、自らの美意識に忠実であろうとする千利休の茶人としての生き様の美しさに圧倒されます。(そう言えば、自らの創作意欲に忠実であろうと時の権力、スターリン政権に抗ったショスタコーヴィチの生き様が思い出されますが、思えば千利休ショスタコーヴィチも似たような境遇にあったと言えるかもしれません。)


http://www.rikyu-movie.jp/

この映画では千利休の為人とその茶の湯の精神を知るうえで欠かせないエピソードが幾つか出てきます。先ずは、千利休織田信長と最初に出会う場面。織田信長は堺の商人等から名物の品々を献上されますが、その席で千利休は一興を案じます。1つの漆塗りの箱を楚々と取り出し、その中へ筒に入った水を注ぎます。箱の内側には金箔で鳥と波の意匠が描かれていますが、その一杯に張られた水面に夜空に照る月を映して信長へ献上します(公式ホームページの動画「予告編vol.1」)。織田信長はこの風流な一興に大そう感じ入り、どんな名物の品々よりも価値あるものだと称賛して褒美を与えます。織田信長は既成の価値感に囚われず、物事の本質を見極めそこに独自の価値を見出して時代を切り開いて行った人ですが、千利休の美の本質を看破しその面白さに価値を認めます。その意味で織田信長千利休も自分自身の中に独自の価値基準を持った人であったことを端的に物語る大変に興味深いシーンです。また、千利休は寝室で梅の小枝が描かれた掛け軸に蝋燭の光で野鳥の影絵を映し、その景色の変化を“おもしろい”と楽しむ(遊ぶ)場面がありますが、「目で見る美しさ」ではなく、風情の中に美を探求しようとする「心に映る美しさ」(それを“おもしろい”と表現したのだと思います)を尊重する千利休の美に対する態度を描いた心に残るシーンです。(更に付言すれば、茶の湯の一席にあって、亭主と客がこの梅の小枝の掛け軸にどんな景色を心に描くのか、それが侘びの精神ではないかと個人的には思います。)

茶の湯の大事とは、人の心に叶うこと

千利休は弟子の宗二から茶の湯にとって大切なものは何かと問われ、上記のとおり利休が考える茶の湯の精神を語り諭します。「和敬清寂」と言い換えることができるかもしれませんが、これは利休の茶道でもあり生き方そのもの(信条)とも言えるかもしれません。上杉謙信との戦で柴田勝家の援軍に出向いた秀吉は勝家と対立して勝手に援軍を引き上げてしまったことから信長の換気に触れるという事件(史実)がありましたが、信長から切腹を申し渡されるかもしれないと気を病む秀吉が利休の茶室を訪ねます。千利休から茶懐石として茶粥を振舞われますが、その質素な腕を啜りながら百姓時代を懐古して出世栄達ばかりが人の幸せではないと悟り落涙します。利休は茶掛けにある「閑」の字(書体を含む)に込めた心を解いて、いまのような「静かな心」でいつでも茶室に足を運んで欲しいと心尽くしの一服の茶を点てます。茶を点てるとはどういうことなのか利休の茶の湯の精神の真髄に迫る名場面に感じ入りました。

千利休豊臣秀吉より遣わされた使者から秀吉に詫びなければ切腹は免れないと言い渡されますが、既に覚悟が定まっている千利休は心静かに「私が額ずくのは美しいものだけ」と言い残して末期の茶を点てます。千利休は、茶釜から松風の音(以下の和歌を参照)が響くなか、床の間を背にして静かに切腹し、その白装束の周りを真紅の鮮血が覆って末期の一席(利休が大成し、ここに極った侘び茶の道)に自らの生涯で花を添えます。もし千利休豊臣秀吉に額ずいていればその茶の湯の精神は死んでしまいましたが、千利休は自らが美しいと信じるものだけに額ずくことでその茶の湯の精神は永遠に茶道の中に生き続けることになります。茶の湯の道(美)のみに額ずいて見せた千利休の茶人としての生き様そのものが美しく、茶道に生きる人のみならずこの映画を観る全ての人の心を強く捉える映画だと思います。なお、詳しくは書きませんが、高麗の女性との秘事(フィクション)が描かれていますが、末期の一席を観ながら源氏物語に出てくる以下の和歌を思い出しました。皆さんはこの場面を観てどう感じますか。

変らじと 契りしことを 頼みにて 松のひびきに 音を添へしかな(源氏物語第十八帖「松風」第二章「明石の物語」第五段より明石の君の返歌)

なお、市川海老蔵さんの洗練された美しい所作や第12代市川團十郎さんの大きな役者と思わせる独特の存在感(風格)なども見処ではないかと思います。

◆おまけ
you tube”に映画「座頭市」(1989年)の映像がアップされていたのでリンクしておきます。時代考証が良く出来ていて、冒頭(03:43〜)に飯岡の大鳥居(上の写真)と漁師小屋が出てきますが、実在の座頭市の住居跡が忠実に再現されているかのようです。

お茶に因んで、映画「利休にたずねよ」に出演している中谷美紀さんが登場する伊藤園お〜いお茶「ぞっこん惚れちゃった篇」”のTVCMで使われているボロディン弦楽四重奏曲第2番第1楽章をボロディン弦楽四重奏団の演奏どうぞ。

お茶に因んで、金城武さんが出演していたジャワ・ティーの宣伝で使用されていたドビュッシー「夢」をチッコリーニの演奏でどうぞ。

観世流能 紅葉狩(もみじがり)−鬼揃−

【題名】観世流能 紅葉狩(もみじがり)−鬼揃−
【演目】能「紅葉狩り」鬼揃(作、観世信光)
【出演】<前シテ(上臈)>観世喜正
    <後シテ(鬼女)>観世喜正
    <ツレ(侍女、鬼女)>遠藤喜久、鈴木啓吾、古川充
    <ツレ(鬼女)>佐久間二郎、小島英明
    <ワキ(平維茂)>福王和幸
    <ワキツレ(家来)>福王知登、山本順三
    <アイ(侍女)>高野和憲、深田博治
    <笛> 松田弘
    <小鼓>幸正昭
    <大鼓>安福光雄
    <太鼓>金春國和
    <地謡観世喜之、中森貫太、中所宜夫、遠藤和久 
    <後見>永島忠侈、奥川恒治、長沼範夫
【会場】札幌テレビ メディアパーク・スピカ
【料金】ビクターエンタテインメント
【感想】
能や歌舞伎の演目に「紅葉狩り」(山野で紅葉を散策すること)というものがありますが、日本で「紅葉狩り」の風習が生まれたのは平安時代の頃になります(「大鏡」に嵐山の紅葉祭りの様子が描かれています)。「紅葉狩り」以外にも紅葉を採り上げている作品は多く、能「龍田」は以下の有名な和歌を題材として秋の神「龍田姫」が登場する紅葉に因んだ作品になっています。

竜田川 もみじ乱れて流るめり 渡らば錦 なかや絶えなむ(古今和歌集

以前にこのブログでも書きましたが、中世の日本は現代の日本に比べて外界(自然界)と内界(人間界)との境界が曖昧(西洋の二元論的な世界観とは異なる一元論的な世界観)で、現代よりも遥かに自然が生活の中に溶け込んでいましたが、そのことは平安時代の衣装の色彩美にも色濃く表れており、後世のような「配合の妙」(人工美)ではなく「配色の妙」(自然美)を貴重として着飾ることが主流だったようです(因みに、西洋料理で使われるソースは旨味を造り出す“配合の妙”ですが、日本料理は素材の旨味を引き出す“配色の妙”であり、その意味で“配色の妙”は日本的な美意識の表れとも言えるかもしれません、閑話休題)。即ち、一枚の衣で言えばその表裏の裂地の「重色」、装束で言えばそれらの衣色の「かさねの色目」(色目の調和や対比)を活かして草花の彩りや木葉の色合いなど表し四季折々の季節感を着飾っていましたし、装束のみならず、懐紙、料紙や几帳等の調度品にもこのような色使いが重用されていました。映画「源氏物語」の感想(record芸術)にも書きましたが、平安時代の瑞々しく繊細な色彩感には目を見張るものがあり、現代と比べて繊細な色調(自然の草花等を模倣した精妙な色合いや色名の豊富さ)や配色に対する鋭敏なセンス(季節を感じさせる彩りや豊かな表情を生み出す多彩なコントラスト)など中世の日本人の感受性の豊かさに嫉妬したい衝動に駆られます。現代の日本は外界(自然界)と内界(人間界)とが完全に分離され、日常の中で自然を感受する機会はめっきりと減り、例えば和歌のように花鳥風月を歌に詠み自然を愛でる風流心(文化風俗)も希薄化してしまいましたので、それだけ現代の日本人は自然を感受する能力が退化してしまった(例えば、昔の日本語には、自然の色彩だけではなく、波や風、雨、雲、光など自然を表現するための実に豊富な語彙に恵まれ、自然の繊細な表情の変化を木目細やかに感じ取り、それらを表現していたことが伺われますが、現代ではそれらの言葉は忘れ去られ、同時に自然に対する鋭敏な感覚も失われてしまった)のではないかと感じます。

▼かさねの色目
http://www.mode-japonesque.com/mj/kasane/itiran/fall/itiran.html
▼record芸術(映像作品の寸評を書き溜めているミニログ)
http://video.akahoshitakuya.com/cmt/1089341

...ということで、今週末は神の色彩美を存分に堪能しようと思い立ち、カメラを片手に自宅近傍にある見頃を迎えた紅葉の名所で「紅葉狩り」と洒落込みました。色褪せないうちに、写真をアップしておきます。

本土寺(千葉県松戸市


神のキャンバスを埋め尽くす精妙なグラデーション...配色の妙

◆小松寺(千葉県南房総市

静寂を満たす神の色彩...

◆四万木不動滝(千葉県安房郡)

美しい紅葉に誘われるように急峻な渓谷を降って行くと、不動尊が宿る霊験あらたかな不動滝へ。「若し是の如きの法を成就せんと欲する者は、山林寂静の処に入り、清浄の地を求め、壇場を建立して、諸の梵行を修し、念誦の法をなさば、即ち本尊を見たて祀り、悉地円満すべし。或は滝なる河水に入つて念誦をなし、若しくは山頂樹下塔廟の処に於て、念誦の法をなさば速に成就を得ん。」(聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経より)

◆鴨川にある夕日の綺麗な隠れスポット(プライベートビーチのようなところで場所はヒミツ)

デートの締め括りに...チュッ♥

さて、2004年8月28日に札幌メディアパーク・スピカで開催された蝋燭能の模様を収めたDVDを拝見しましたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。現在、感想を執筆中。続く。



能楽協会のホームページに年末年始に放送される能楽に関するTV番組が紹介されています。能楽能楽堂に足を運んで生舞台を観なければその魅力は十分に伝わってきませんが、その一方で、能楽堂に足を運びたくても地理的な要因や仕事上の都合などで能楽堂に足を運ぶ機会が殆どない人も多いのではないかと思います。近年は、CS放送の専門チャンネル(歌舞伎チャンネル、京都チャンネルなど)が廃止され、全国ネットでも能楽関係の放送枠が減らされてしまう憂慮すべき状況にありますので、NHKや衛星劇場(CS)へドシドシと能楽に関するTV番組をリクエストし、皆さんの力で能楽に触れる機会を少しでも多くしませう!
http://www.nohgaku.or.jp/

▼おまけ
紅葉に因んだ...と思われる一曲を。楽曲に持つイメージは人それぞれだと思いますが、僕は瞑目しながらラフマニノフのピアノ協奏曲第1番第2楽章(14:50〜21:40)に耳を澄ませていると、広陵たるロシアの大自然と木枯らしに巻かれる金色に染まる落ち葉のイメージが眼前に広がってきます。皆さんはこの楽章を聴いてどんなイメージが広がってきますか。

ロシアの秋をもう1曲。チャイコフスキーの「四季−12の性格的描写」より10月「秋の歌」をどうぞ。

「四季」と言えば、上記で挙げたチャイコフスキーの曲以外にも、ヴィヴァルディ、グラズノフピアソラ、ミヨーなどが同名の曲を書いていますが、もう1人、ハイドンのオラトリオ「四季」より「秋」をどうぞ。



ヴェルディの生涯 全7話

【題名】ヴェルディ―の生涯 全7話
【放送】CLASSICA JYAPAN(CS736)
    平成25年10月6日(土)10時00分〜11時40分
【監督】レナート・カステラーニ
【脚本】ゲネ・ルオット
【音楽】ローマン・フラード
【出演】ジュゼッペ・ヴェルディ役 ロナルド・ピックアップ
    アントニオ・バレッツィ役 ジャン・ピエロ・アルベルティーニ
    カルロ・ヴェルディ役 オメロ・アントヌッティ
    エマヌエーレ・ムツィオ役 エンツォ・セルシコ
    マリア・バレッツィ役 アドリアーナ・インノセンティ
    ルイザ・ウッティーニ役 アグラ・マルシリ
    フィノーラ役 レオポルド・トリエステ
【収録】1982年
【感想】
今日10月10日は“トートー(TOTO)”で「便器の日」ということはご存知の方も多いと思いますが、もう1つ、今年が生誕200年のアニバーサリーであるヴェルディの生誕日でもあります。ということで、現在、クラシカジャパンではヴェルディに関する様々な特番が組まれており、なかでもヴェルディのオペラ全曲放送(TUTTO VERDI)が注目されます(今年、同様に生誕200年を迎えたワーグナーのオペラ全曲放送も期待したいのですが...)。全27曲(何故かヴェルレクも含まれていますが、宗教音楽と言っても多分にオペラチックな作品なので、このような扱いとなることにあまり違和感はありません。)のうち既に21曲が放送され、僕のライブラリーにも追加されています。世評、クラシカジャパンは(アダプター又は衛星アンテナのいずれかを介さなければならないという原因で)画質の粗さに難があると指摘されることが多いですが、僕が利用しているNTTのひかりTVは有線なのにアダプターが不要なので画質の粗さは概ね解消され、その点に不満をお持ちの方には特にお勧めできます(但し、再生装置に制約がありますのでご留意下さい)。


左からヴェルディ自画像(1886年)、パルマ王立劇場、オケピ
https://teatroregioparma.it/
http://www.verdi.or.jp/index.html

なお、以前もこのブログで書きましたが、日本ではAppleとソフトバンクの貢献によって、この数年で音楽や映像の受容形態が様変わりしたと思います。これまでは音楽や映像が流通するメディアとしてはCD及びDVDが主流であったと思いますが、この数年で音楽や映像のコンテンツを自由に持ち運び又はアクセスすることができるデバイス(iPod、iPhone、iPad)とそのデバイスを使って外部からいつでもコンテンツを採り出せるネットワークハードディスク(NAS)が登場すると共に、大容量のコンテンツをストレスなく扱えるモバイルブロードバンド回線(100〜200Mbps)が普及し、加えてハイレゾ音源(192KHz/24bit〜)等に代表される超高品質のコンテンツも流通し出したことで、音楽や映像がデジタルデータとして流通し、受容される時代へと本格的に突入しました(音楽が流通、受容される媒体の変遷:「楽譜」→「レコード」→「CD・DVD」→「デジタルデータ(ネットワーク)」)。これまでの媒体と比べて自由度の高いデジタルデータとして音楽や映像が流通されるようになったことにより、これまで以上のクォリティーを保ちつつ、より柔軟性や多様性のある受容の可能性が広がり一層豊かな芸術ライフが安価かつ容易に実現できる環境が整いました。その意味で、ハイレゾ音源等の高品質のデジタルデータを供給するECサイト(主要なECサイトは以下のURLで紹介)や特定の分野の幅広いデジタルデータを供給する専門番組(クラシカジャパン、衛星劇場、WOWOW、各種のインターネットラジオ)など、音楽や映像をデジタルデータとして供給するコンテンツプロバイダーは、益々、そのプレゼンスを増してくるものと思います。因みに、ソニーからハイレゾ対応ウォークマン等のハイレゾ対応機器が発売されます。

http://d.hatena.ne.jp/bravi/20130302/p1

さて、クラシカジャパンのヴェルディ特番として、イタリア統一運動が活発化した激動の時代に大作曲家でありながら国会議員としても活躍したヴェルディの波乱の人生を描いたTVドラマの傑作「ヴェルディの生涯」(イタリア国営放送が制作した大河ドラマのようなもの)が放送されていますので、便器の日を記念してヨーロッパと日本のトイレ事情の比較文化論的な考察も交えながら少し書きしたためてみようかと思っています。

続く。

◆おまけ
先ず、歌劇王ヴェルディ弦楽四重奏曲ホ短調ロータス・カルテットの演奏でどうぞ。

次に、歌劇王ヴェルディピアノ曲(歌のないロマンツァ)をどうぞ。

最後に、リストがヴェルディの歌劇をピアノ演奏用に編曲した作品のうち、『歌劇「エルナーニ」演奏会用パラフレーズ』と『歌劇「ドン・カルロ」祝典の合唱と葬送行進曲』をどうぞ。リストは同年代の作曲家であるヴェルディワーグナーのオペラを数多くピアノ演奏用に編曲していますが、リストを初めとした当時のピアニストはグランドオペラへの憧れが強く、何とか歌手のようにピアノを歌わせることができないかと歌劇場に通い詰めては気に入ったフレーズをピアノ演奏用に編曲し、サロンで披露することが盛んに行われたと言われています。

NHK教育テレビ「茂山千作さんをしのんで」

【題名】茂山千作さんをしのんで
【放送】NHK教育テレビ
    平成25年6月8日(土)14時00分〜15時59分
【出演】演劇評論家 権藤芳一
    和泉流狂言師 野村萬人間国宝
    女優、落語家 三林京子
    観世流能楽師 片山幽雪(人間国宝
    和泉流狂言師 野村万作人間国宝
    大蔵流狂言師 茂山千作人間国宝
    大蔵流狂言師 茂山千之丞
    大蔵流狂言師 茂山忠三郎
    大蔵流狂言師 茂山千五郎
    大蔵流狂言師 茂山七五三
    司会 古谷敏郎
【曲目】狂言「素袍落」(大蔵流
      <太郎冠者>茂山千作
      <伯父>茂山忠三郎
      <主>茂山千五郎(十三世)
      <後見>茂山千三郎
    狂言「唐相撲」(大蔵流
      <帝王>茂山千作、茂山狂言会の皆さん
    狂言「棒縛」(大蔵流
      <次郎冠者>茂山千作
      <太郎冠者>茂山千之丞
      <後見>茂山千五郎(十三世)
      <後見>茂山七五三(二世)
    狂言「千切木」(大蔵流
      <太郎>茂山千作
      <亭主>茂山忠三郎
      <女房>茂山千之丞
      <太郎冠者>茂山千三郎
      <立衆>茂山千五郎(十三世)、茂山七五三(二世)
          茂山あきら、丸石やすし、松本薫、茂山正邦
    狂言「萩大名」(大蔵流
      <大名>茂山千作
      <太郎冠者>茂山千之丞
      <庭の亭主>茂山忠三郎
      <後見>茂山あきら、茂山良暢
    新作狂言「彦市ばなし」
      <彦市>茂山千之丞
      <殿様>茂山千作
      <後見>山本則俊
    ドラマ「なにわの源蔵事件帳」(第20話)
      <駒千根>三林京子
      <猫田久松>茂山千作
    狂言「千鳥」(大蔵流和泉流)」
      <太郎冠者>野村萬
      <酒屋>茂山千作
      <後見>茂山千三郎、野村扇丞
    スーパー狂言「ムツゴロウ」
      <社長>茂山千作
      <サラリーマン>茂山七五三、茂山狂言会の皆さん
      <笛>藤田六郎兵衛
      <小鼓>古賀裕己
      <大鼓>亀井広忠
      <太鼓>三島元太郎
    狂言「枕物狂(大蔵流)」
      <祖父>茂山千作
      <後見>木村正雄
      <地謡(地頭)>茂山千之丞
      <地謡>茂山七五三
      <地謡>茂山あきら
      <地謡松本薫
      <地謡茂山宗彦
      <地謡>茂山茂
      <小鼓>鵜澤寿
      <大鼓>安福建雄
    狂言「花子(大蔵流)」
      <夫>茂山千作
      <妻>茂山千之丞
      <後見>大藏彌右衛門
      <後見>茂山千五郎(十三世)
【感想】
去る5月23日に人間国宝にして狂言界初の文化勲章受章者である大蔵流狂言師茂山千作さんが他界されてから早くも3ケ月が経ちましたが、思えば、この僅か半年の間に時代を代表する歌舞伎俳優の中村勘三郎さん、市川團十郎さん、そして狂言役者の茂山千作さんと不幸が続き、その意味で今年は大きな時代の転換点、節目にあたる年であるとも言えそうです。今日は久しぶりに千作さんの舞台を観たいと思い立ち、予てから録り溜めていた千作さんの追悼番組を拝見しましたが、千作さんの懐の広い大らかな芸風と笑い声が鮮やかに記憶に蘇り、改めて掛け替えのない役者さんを失ってしまったという寂寥感、喪失感に打ちのめされる思いがします。


左は千作さん、右は弟の千之丞さん。「情の千作、知の千之丞」と言われていたとおり、ユニークな芸風と阿吽の呼吸でお互いを引き立たせて持ちつ持たれつの名コンビ振りが懐かしく偲ばれます。

この番組の中で、和泉流狂言師野村万作さんが千作さんの芸風について「“破格な” “型破りな” “大らかな” “発散する”芸風であり、聴衆の中に入り込んだ芸である」と評されていましたが、その意味では千作さんは肩肘を張らず気取らない誰にでも親しみ易い舞台が魅力であったと思いますし、また、和泉流狂言師野村萬さんは「千作さんは西で演技するときは柔らかく東で演技するときは固くやる」と語られていましたが、顧客の気質を見極めて硬軟の演技を使い分け、どこか気さくで茶目っ気を感じさせる人間味ある芸でいつも舞台を和やかなものにしていたと思います。萬さんは「能は謡、狂言は台詞が命脈だ」と語られていましたが、

http://www.soja.gr.jp/

因みに、僕が千作さんの舞台を最後に拝見したのは2008年3月20日の国立能楽堂に於ける狂言「月見座頭」だったと記憶しています。もう直ぐ仲秋の名月ですが、狂言「月見座頭」は座頭(盲人)が仲秋の名月にお月見をするという洒落た話で、座頭が野辺に出て虫の音に月見の風情を感じていると、そこへ通り掛った男と意気投合して酒宴となります。しかし、この男は座頭に悪戯をしてやろうと思い立ち、酒宴が終わって別れた後に再び座頭のもとへ引き返して別人を装って座頭を突き倒して逃げます。しかし、座頭は、突き倒して逃げた男と酒宴を楽しんだ男とは別人であると思い込み、突き倒して逃げた男は酒宴を楽しんだ男とは違って情けもない奴だと憤慨し、大きなくしゃみをして終曲になるという話です。前半の酒宴の場面は千作さんの大らかな芸が後半の悪戯の場面の千之丞さんの狡猾さを一層と引き立たせており、人間の業(暗黒面)に抗うことができない男の小悪党振りとそれに気付かない座頭の悲哀とがバランスよく絡み合って世の中の不条理と人間の滑稽さが浮き彫りとなって、思わず身につまされて苦笑いしてしまうような味わい深い舞台であったと記憶しています。この日は偶々橋掛り横の席に着座していましたが、千作さんが座頭に扮したまま揚げ幕へ引き上げられるときも非常に荒い息遣いが聞こえてきて、一曲一曲、命を削りながら舞台に立たれている姿を目の当たりにしたようで感服したことを思い出します。この頃になると千作さんの足腰も弱られた様子で、後見の支えがなければ着座した姿勢から立ち上がることが侭ならないようでしたので、生涯を舞台の上で全うされた役者人生だったんだなと感慨深く思い出されます。番組の最後に萬さんが以下の世阿弥の言葉を引用して千作さんを偲んでいらっしゃいましたが、生まれながらにして多くの観客に愛される愛嬌とは、正しく千作さんを一言で評するに相応しい言葉だと思われます。

「数人哀憐の愛嬌を持ちたらん生得は、芸人の冥加なるべし」世阿弥著「習道書」より)


左から月見座頭に因んで魚見塚展望台からの満月の夜のムーンライト、鴨川の夜景、漁師が沖合から来る魚の群れを見張っていたことから魚見塚と呼ばれています、誓いの丘には恋の成就を願って錠前が♥

なお、余談ですが、「座頭」とは、室町時代に形成された琵琶法師の「座」(芸能集団)の中の階級のことで、上から「検校」(けんぎよう),「別当」(べっとう),「勾当」(こうとう),「座頭」という4つの位が設けられていました。その後、江戸時代に入って幕府の障害者保護政策として「座」が利用されるようになり、障害者に対して按摩、鍼灸又は音楽家(琵琶、地歌三味線、箏曲、胡弓の演奏家、作曲家)の職業を排他的かつ独占的に許容しました。「六段の調べ」で有名な近世筝曲の開祖である八橋検校さんはご存知の方も多いと思いますし(京銘菓「八つ橋」は筝を象ったもので、八橋検校さんの名前に由来していることは有名)、俳優の勝新太郎が主演した映画「座頭市物語」の主人公である座頭の市なども有名です。因みに、座頭の市は実在の人物で、講談や浪曲でも有名な「天保水滸伝」にも登場する千葉県旭市飯岡町の侠客、飯岡助五郎(1859年没)の子分だったと言われていますが、学校で教えない歴史が文化、芸術の創作の源になっている好例ですな。(八橋検校座頭市については、改めて詳しく採り上げたいと思っています。)



左上から座頭市の住居跡(現在は水没していますが、150年前は海岸線だった龍王岬のあたりには出稼ぎ漁師が住む納屋が立ち並び、茨城県笠間から流れ着いた座頭市もここに住んでいたようです。「波止に喧嘩に強い盲人がいる」と恐れられていたという伝承が残されています。)、飯岡海岸に立つ天保水滸伝の碑、飯岡助五郎の墓、月岡芳年の浮世絵「飯岡助五郎」、飯岡海岸に立つ力石徹の像(漫画「あしたのジョー」のちばてつやさんは飯岡出身)、左下から飯岡灯台から見た飯岡の海、大利根河原の決闘の案内図、笹川繁蔵や平手造酒等の墓、清水次郎長国定忠治など関八州の大親分が一堂に会して花会を行った料亭「十一屋」
【地図】http://yahoo.jp/EygQF5

◆おまけ
月見座頭がなかったので、千作さんと千之丞さんの共演で素襖落を。

多少の脚色はありますが、史実、大利根河原の決闘を題材に描かれた座頭市物語。座頭の市をはじめとして飯岡助五郎、笹川繁蔵、平手造酒は実在した人物。

盲人を題材にしたオペラが見当たらないので適当に。

永遠に我々の記憶の中に...。衷心よりご冥福をお祈りします。フォーレのレクイエムより。

時の旅人 百史蹟巡礼(其の五) 〜 千葉が育んだ中近世日本文化の源泉を訪ねて 〜

【目次】

  狩野派の祖” 狩野正信(1434年〜1530年)千葉県いすみ市出身
    ◆狩野正信の碑(千葉県いすみ市

  “浮世絵の祖” 菱川師宣(1618年〜1694年)千葉県安房鋸南町出身
    ◆菱川師宣記念館(千葉県安房鋸南町
    
  “浪の伊八” 武志伊八郎信由(1751年〜1824年)千葉県鴨川市出身
    ◆“浪の伊八”の生誕地(千葉県鴨川市
    ◆行元寺旧書院(千葉県いすみ市
    ◆称念寺(千葉県長生郡長南町
    ◆飯綱寺(千葉県いすみ市
    ◆太東崎(千葉県いすみ市
    ◆いすみ市郷土資料館(千葉県いすみ市

【概要】
今日「海の日」は1876年に明治天皇が東北巡幸を終えて横浜港に帰港した7月20日を記念した国民の祝日でしたが、(祝日が宗教とは結び付いていない日本ならではの)ハッピーマンデー制度によって節操なく今年は今日15日が「海の日」となりました。その「海の日」に因んで、西洋文化(音楽や絵画)に多大な影響を与えた日本文化という切り口で、千葉が生んだ天才宮彫師“波の伊八”こと武志伊八郎信由を中心として、同じく千葉が生んだ“浮世絵の祖” 菱川師宣や“狩野派の祖” 狩野正信(京都の人かと思っていましたが、千葉の人だったんですね。)まで時代を遡り、これら千葉ゆかりの芸術家を育んだ土地を訪ね、その作品に触れることで、中近世日本文化萌芽のダイナミズムを感じてみることにしました。そろそろ子供たちは夏休みですが、夏休みの自由研究として“郷土が生んだ芸術家”を採り上げ、その作品に触れてみるのも良いかもしれません。


◆“狩野派の祖” 狩野正信(1434年〜1530年)千葉県いすみ市出身

筆様と模倣について書きます(現在、執筆中。続く。)





【狩野正信の碑(千葉県いすみ市)】
いすみ鉄道上総中川駅の近隣にある狩野正信の生誕地に記念碑が建てられています。なお、今秋、いすみ鉄道を採り上げたNHK−BSドラマ「菜の花ラインに乗りかえて」が放映される予定なので楽しみです。写真は本多忠勝の居城であった大多喜城を背景に小谷松駅から大多喜駅へ向かういすみ鉄道を撮影したものですが、いすみ鉄道の沿線には地方ローカル線の風情を湛えた鉄道マニア垂涎の撮影スポットが多く残されています。

地図:http://yahoo.jp/xx_-vr 


◆“浮世絵の祖” 菱川師宣(1618年〜1694年)千葉県安房鋸南町出身

漢画と土佐派について書きます(現在、執筆中。続く。)



なお、菱川師宣美術館の近くに、千葉にゆかりの日本画家、東山魁夷や酒井亜人を初めとした現代アートの作品を数多く展示している金谷美術館があります。

菱川師宣記念館(千葉県安房鋸南町)】
菱川師宣記念館前には師宣の代表作である浮世絵「見返り美人図」の彫像があります。一見、涼しげに見える「見返り美人図」ですが、こうして立体的にして観ると師宣の大胆なデフォルメに気付きます。師宣が故郷保田の寺社に寄進した梵鐘で、第2次世界大戦の金属回収令により滅失しましたが、それを復元したものです。

地図:http://yahoo.jp/yCeAMm


◆“浪の伊八” 武志伊八郎信由(1751年〜1824年)千葉県鴨川市出身

いくつかの作品解説、葛飾北斎及び西洋文化(音楽、絵画)への影響と模倣について書きます(現在、執筆中。続く。)



葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」


ドビュッシー交響詩「海」初版譜表紙

葛飾北斎に多大なインスピレーションを与えて「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を生み出す切っ掛けになった“波の伊八”の傑作である行元寺旧書院の欄間「波に宝珠」を観たときの興奮が未だに覚めません。フランスに「一枚の絵は百の言葉を語る」という諺がありますが、正しくこの作品の前に立つと、様々なインスピレーションが溢れ出してくるような感覚に襲われます。真の芸術は時間を超越すると言いますが、作品が持つ永遠の生命力、圧倒的な存在感に打ちのめされるような思いです。
 
【“浪の伊八”の生誕地(千葉県鴨川市)】
現在は小学校裏手の墓地になっていますが、丁度、この辺に浪の伊八が生まれ育った生家があり、その後ろの水田のあたりに工房を構えて、小さい作品は工房で、大きな作品は現地に泊まり込みで創作に没頭したと伝えられています。

地図:http://yahoo.jp/rP0NDP

【行元寺旧書院(千葉県いすみ市)】
行元寺旧書院欄間「波と宝珠」は行元寺に隣接する旧書院(客間)にありますが、これは表面で裏から見ると葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を彷彿とさせる図柄になっています。

地図:http://yahoo.jp/Vb8gzy

称念寺(千葉県長生郡長南町)】
称念寺本堂欄間「龍三態」ですが、いつも本堂のガラス戸には鍵が掛けられているのでガラス越しにしか拝見できません。これだけの作品を埋もれさせておくのは口惜しく(仮にこの欄間が個人又は団体の所有物であるとしても、法が体現する価値を超越し、その芸術的な価値は現在及び将来の人類にとっての資産でもあると思います。)、千葉県が助成するなどして一般公開すると共に、作品の痛みが激しいので早急に必要な修復を施すなど適切な作品の保存に努めるべきではないかと痛感します。

地図:http://yahoo.jp/xkK50x

【飯綱寺(千葉県いすみ市)】
飯綱寺本堂欄間「天狗と牛若丸」と「波と飛龍」があります。牛若丸と言えば、源頼朝石橋山の戦いで敗れて真鶴岬【1】から舟で落ち延びてきたのが鋸南町竜島【2】菱川師宣記念館の近く)なので、千葉には頼朝に縁の場所が多いです。因みに、この近くに太東灯台と僕の隠れ家“cafe GAKE”もあります。

地図:http://yahoo.jp/SS9Lbj

太東崎(千葉県いすみ市)】
“浪の伊八”は「波と宝珠」を創作するにあたり馬で太東崎の海に入って浪を模写したと言われています(波が砕ける瞬間をご覧下さい。伊八も北斎も波が砕ける瞬間を粒さに観察したはずです。)。因みに、この近くに飯綱寺と僕の隠れ家“cafe GAKE”もあります。なお、以前、このブログで「くも」や「あめ」などを意味する漢字にも色々な種類があると書きましたが、「なみ」も同様で「波、浪、濤(涛)、瀾」と種類と豊富です。「波」は波全般を指す広い意味を持ち、「浪」は海よりも川の波、「濤(涛)」は大きな波、「瀾」は勢いのよい大きな波、「漣」はさざなみを示すそうなので、その作風からは“瀾の伊八”と呼ぶべきなのかもしれません。現代の日本人はアスファルトに固められた自然とは隔絶された人工の街で生活していますが、昔の日本人にとって自然は生活の一部であり、自然の繊細な表情の違いを敏感に感じ取ることができる豊かな感受性を持っていたのかもしれません。

地図:http://yahoo.jp/oeKcSn

いすみ市郷土資料館(千葉県いすみ市)】
“浪の伊八”を初めとする数々の作品を真近に拝見することができるので(入館無料)、作品の生命力、息吹を身近に感じることができます。欄間「波に鯉」が展示されていますが、鯉なので海ではありませんが、すべり落ちるような川の流れの勢いとその流れが様々に表情を変化させる様子を繊細かつ滑らかな曲線で見事に表現しています。

地図:http://yahoo.jp/mBMg4x 
   
芸術を理解するということはその時代や土地を理解することに他ならず、同じ時代の異なるジャンルの芸術に触れ、その芸術が育まれた「水」に馴染むことが芸術を理解することにつながると思います。今後も芸術家又はその作品にゆかりの土地を訪ねて紹介する「時の旅人」をシリーズとして続けて行きたいと思っています。先ずは、僕が住む千葉県を中心として、徐々に全国(世界)の芸術が育まれた土地の歴史を訪ね、時代を旅していきたいと思っています。

http://tabikore.com/u/862

【番外編】

平成25年10月9日(水)22時〜 BSプレミアム
いすみ鉄道(千葉県いすみ市)を採り上げたNHK−BSドラマ「菜の花ラインに乗りかえて」が放映されます。いすみ鉄道の沿線には地方ローカル線の風情を湛えた鉄道マニア垂涎の撮影スポットも多く残されていますので、ドラマと共に景色もお楽しみあれ。
http://www.nhk.or.jp/chiba/nanohana/index.html


この季節は樹木や雑草が鬱蒼と生い茂って風情がありませんが、菜の花が咲く季節は色とりどりの春の花に彩られ(左から1枚目:春先は桜のトンネルから出てくるいすみ鉄道、左から2枚目:春先は菜の花に覆われるいすみ鉄道)、さながらいすみ鉄道が春の香りを運んできてくれているような風情を湛えています。一番右の絵は片岡鶴太郎さんがいすみ鉄道とドラマのイメージを絵にしたものですが、まるでいすみ鉄道が菜の花の香りに包まれているようで、いすみ鉄道や(おそらく)ドラマのイメージを本当によく表現されていると思います。カメラを片手にいすみ鉄道のぶらり旅で春の風情(これからの季節は秋の風情も楽しみ)を堪能されてみてはいかが。

◆おまけ
「海」に纏わる音楽を何曲かご紹介しておきましょう。

ドビュッシー(1862年〜1918年) 交響詩「海」

ラヴェル(1875年〜1937年) 組曲「鏡」より“海原の小舟”

エルガー(1857年〜1934年) 歌曲「海の絵」

レ・ミゼラブル(原題 Les Misérables)

【題名】レ・ミゼラブル(原題 Les Miserables)
【監督】トム・フーパー
【原作】ヴィクトル・ユーゴー
【脚本】クロード=ミシェル・シェーンベルク
    アラン・ブーブリル
    ハーバート・クレッツマー
    ウィリアム・ニコルソン
【音楽】クロード=ミシェル・シェーンベルク
【出演】ジャン・バルジャン ヒュー・ジャックマン
    ジャベール ラッセル・クロウ
    ファンティーヌ アン・ハサウェイ
【収録】2012年(イギリス)
【感想】
昨日7月7日はロマンチックにも織姫星(こと座の1等星ベガ)と夏彦星(わし座の1等星アルタイル)が天の川を挟んで見つめ合う七夕でしたが、今日7月8日は物々しくも160年前(1853年)にペリー率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊が浦賀沖(久里浜)に来航して大砲を挟んで睨み合った日でした。NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公、山本八重さんは1845年生れ、ペリー来航から僅か15年後の1868年(未だ23歳の若さ!)に会津戦争を経て明治維新となりますので、ペリー来航を契機として日本が一気に開国、倒幕へと雪崩込んだ時代の節目にあたる激動期です。因みに、日本初のグランドオペラ山田耕筰が作曲した歌劇「黒船」で、黒船来航と同時代に名声を博していた作曲家にはシューマン、リスト、ワーグナーヴェルディなどがいます。当時、黒船視察に来た吉田松陰佐久間象山などが宿泊した徳田屋跡が残されていますので、当時の日本人が黒船(新しい時代)をどのように見通していたのか思いを馳せてみるも良し、また、久里浜港(神奈川県横須賀市)から金谷港(千葉県富津市)まで東京湾フェリーが就航していますので、黒船(米国)から日本という国がどのように見えていたのか思いを馳せてみるも良し、一年に一度くらい、近代日本の原点に立ち戻り、世界の中の日本という視点で、この国を見つめ直してみるのも良いかもしれません。

Soft BankのiPhone用のアプリ“Star Walk”を使って、星座の地図を紐解きながらギリシャ神話の世界を旅してみてはいかが。


左から当時の久里浜、黒船サスケハナ号、現代の久里浜、黒船が停泊していたあたり

左から東京湾から三浦半島、男の海東京湾、鋸山から三浦半島(小さく見えるのが東京湾フェリー)、金谷港の東京湾フェリー

なお、金谷港を見下ろすように聳え立っているのが鋸山(のこぎりやま)で、房州石と呼ばれる良質の石材が採掘されることから江戸時代から盛んに採石が行われ、現在も石切場跡が残存しています。その露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることから「鋸山」と呼ばれています。とりわけ「地獄のぞき」はその美しい眺望と共に観光名所として知られています。その急峻な断崖絶壁を前にすると思い切りチビリってしまいますが、そんなことはどうでもよくなってしまうくらい本当に恐ろしいところです。実際に行ってみると分かりますが、自然と足が震えてきて、腰が引けるとうか抜けるというか、上半身と下半身が完全に分離されてしまったような無様なことになってしまいます。僕も鉄柵にへばりついているのがやっとでした。お試しあれ。


左から横から見た地獄のぞき、後から見た地獄のぞき、海岸線の眺望、百尺観音

さて、皆さんご案内のとおり諸事情あって、とうとう映画館には観に行けず仕舞いになってしまったミュージカル映画レ・ミゼラブル」ですが(こういう作品こそ音響設備の良い映画館で観たかったのですが…)、早くもDVDがリリースされたのでTUTAYAで借りて観ることにしました。アメリカからやってきたと言えば黒船のほかに忘れてはならないのがミュージカル...どんなに運命に翻弄されながらも人生の素晴らしさを高らかに歌い上げて行く“人生の賛歌”ともいうべきミュージカルは、人生に行き詰ったときや落ち込んだときに観ると生きる勇気のようなものを与えてくれます。

現在、感想を執筆中。

続く。


光と風をかんじて・・・展(ホキ美術館)

【演題】光と風をかんじて・・・展
【展示】五味文彦「蘭」(2011年)
    五味文彦「パンのある静物」(2002年)
    青木敏郎「白デルフトと染付の焼物の静物」(2012年)
    生島浩「SUN SHOWER」(2002年)
    島村信之「藤寝椅子」(2007年)
    島村信之「日差し」(2009年)
    野田弘志「アナスタシア」(2008年)
    森本草介「光りの方へ」(2004年)
    渡抜亮「照らされた影」(2011年)
    石黒賢一郎「VISTA DE NAJERA」(2005年)
    島村信之「響き」(2010年)
    安彦文平「九九鳴き浜の蘇生」(2012年)
    森本草介「横になるポーズ」(1998年)
    森本草介「川辺の風景」(2003年)
    五味文彦「樹影は蒼く匂う」(2011年)
    藤原秀一「待ちぶせ」(2011年)
    野田弘志「『崇高なるもの』OP.2」(2012年)
    安彦文平「九九鳴き浜の蘇生」(2012年)   ほか多数
【会場】ホキ美術館
【料金】1800円
【感想】
今日は暑からず寒からず丁度良い陽気だったので、千葉県いずみ市(九十九里)にある「海と空しか見えない崖の上の小さなcafe“GAKE”」という喫茶店と千葉県千葉市そ(外房線土気駅)の「ホキ美術館」に行ってきました。

cafe“GAKE”は、その店名のとおり外房黒潮ライン(国道128号線)から少し湾岸線へ入った人里離れた崖の上にある喫茶店で、九十九里の海を一望できる眺望が人気のスポットです。湘南の海と違って九十九里の海は夕日を拝むことはできませんが、朝日の眩い陽光とエメラルドグリーンの海は絶景です。今日は生憎の曇天でしたが、天気が良いと写真には映し切れない空と海の美しさに息を呑みます。神奈川県の絶景スポットである湘南平や横須賀中央公園等とは趣を異にして、本当に都会の喧騒とは隔絶された別天地で、大人の隠れ家というに相応しい風情を湛えています。圧倒されるような広大な海と空に覆われ、遥か上空を勇壮に鳶が旋回し、まるで自然が刻む雄大な時の流れの中を漂っているような気分に浸れます。この店手造りの上品な甘さのスウィーツとお茶を頂きながら、大切な人と海を眺めながら落ち着いて語り合うも良し、また、店の前が芝生の庭になっているのでMyチェアと本、お気に入りの音楽を持参して贅沢な休日を過ごしてみるのはいかが。店内には古本、古道具、美術品、骨董品などのアンティークな品々が所狭しと飾られていて雰囲気があります。これらのアンティークは販売もしているようなので、お気に入りの逸品を大切な人にプレゼントしてみても良いかもしれません。
http://locoplace.jp/t000355821/


左から、崖の上へと続く入口の坂道、一軒屋の喫茶店、店正面からの絶景、ビビリながらシャッターを切った崖の下

左から、地球の丸みを帯びた水平線、喫茶店近くの岩場、浜辺で砂遊びをする子供達(カワユイ)、手前はコマ犬のような形の岩


さて、cafe“GAKE”を後にして、そこから車で40分くらいの距離にある閑静な住宅街の中にある日本初の写実主義絵画専門の美術館である「ホキ美術館」へ行くことにしました。先ず、美術館の建築ですが、「1対1で写実絵画と向き合える場所を作り、公開したい」という思いのもとに「自然の一部となれる場所を選び、自然光を展示空間へと導き入れることで森の中を散策しながら絵画を鑑賞しているような状態」を作ることをコンセプトに建設されたそうです。採光や照明が工夫されていてまるで森の中を散策しているときのような柔らかい光に満たされた空間で絵画を鑑賞することができます。建物の内装は1階と地下1階は白、地下2階は黒で統一され、自然の採光と人工の照明を上手く使い分けながら色々な種類又は意味の「光」を感じさせる工夫が施されています。また、建物の外観や内観は人工物の象徴である直線又は直面を排した緩やかな流線形は風や水の流れを想起させ、まるで光や風に満たされた自然の中の一場面を切り出したように写実絵画が展示されているという趣向です。(内観の写真撮影は禁止されていましたので、実際に足を運んで自分の感性で感じとってみて下さい。)
http://www.hoki-museum.jp/


左から、3枚はホキ美術館の外観、最後は隣接する昭和の森公園

現在、感想を執筆中。他人の感想を読むよりも、画集を捲るよりも、実際に足をお運んで絵を前にして色々と感じ採って下さい。

続く。

※これらは写真ではなく絵画です。
 
【島村信之】


「響き」(2010年)


左から「藤寝椅子」(2007年)、「日差し」(2009年)

【生島浩】


左から「SUN SHOWER」(2002年)、「Card Card」(2005年)

森本草介


「光りの方へ」(2004年)

野田弘志

左から「アナスタシア」(2008年)、「『崇高なるもの』OP.2」(2012年)

五味文彦


「樹影は蒼く匂う」(2011年)


「レモンのある静物」(2009年)

【藤原秀一】


左から「石見海岸」(2011年)、「待ちぶせ」(2011年)

【安彦文平】


「九九鳴き浜の蘇生」(2012年)

石黒賢一郎】


SHAFT TOWER(赤平)」(2010年)

現在、感想を執筆中。他人の感想を読むよりも、画集を捲るよりも、実際に足をお運んで絵を前にして色々と感じ採って下さい。

続く。

ティーレマンと語るベートヴェン「運命」

【題名】ティーレマンと語るベートヴェン「運命」
【監督】クリストフ・エンゲル
【出演】クリスティアンティーレマン(指揮者)
    ヨアヒム・カイザー(評論家)
【曲目】ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」
     <Cond.>クリスティアンティーレマン
     <Orch.>ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
【放送】クラシカJAPAN
    平成25年5月18日(土)10時00分〜11時45分
【感想】
このブログの右欄にあるプロフィールの詳細をご覧頂くと分かりますが、僕は昔から「スナフキン」というハンドルネームを愛用しています。ご案内のとおりトーベ・ヤンソンの小説「ムーミン」(主人公のムーミントロールは「カバ」ではなくスウェーデンの「妖精」という設定です)を題材にして日本でも放映されたTVアニメ「楽しいムーミン一家」の中に出てくるキャラクターの1つです。スナフキンというのは英語表記名(スウェーデン語ではスヌス・ムムリク)で、その人生観や世界観によって親友であるムーミントロール等に影響を与えています。スナフキンは自由と孤独を愛する吟遊詩人で、一人旅を好み、ムーミン谷の中ではムーミントロールなどごく一部の人に対してのみ心を許しますが、基本的に人付き合いが煩わしく、それ以外の人に対してはひどく無愛想というキャラクター設定になっています。何故、僕が「スナフキン」というハンドルネームを使っているのかと言えば、僕の為人がスナフキンのキャラクター設定と驚くほど一致しスナフキンの言動に深く共感する(というより僕にとっての必然である)ことが多いことから、自分自身を理解するための便として昔からスナフキンというキャラクターは僕にとって掛け替えのない存在なのです。「ムーミン谷のひみつ」(冨原真弓著/ちくま文庫)という本の中でスナフキンについて興味深い分析が加えられていますので、以下に少しご紹介しておきます。好むと好まざるとに拘わらず、この分析によって浮き彫りにされているスナフキンの特徴は、僕の性格や思想、信条を多かれ少なかれ言い当てるものでもあり、この本を読みながら身につまされる思いがして、何やらこそばゆい感じがします。

ムーミントロールスナフキンに対する友情は片思いに近い。友情にも、恋愛と同じように、片思いはある。当事者のふたりが、きっかり同程度に好意をいただきあうのは、むしろめずらしい。たいていはどちらかが寂しい思いをする。…ムーミントロールは手放しでスナフキンを崇拝し、いつもいっしょにいたいと考えるが、スナフキンはときとして自分だけの世界を友情よりも優先する。

この本では、スナフキンについて「決して徒党を組まず、冬になるとムーミン谷を去って、独り気ままな旅に出る。孤独と静寂を愛し、この2つを守る為には時にハードボイルドになる。親友のムーミントロールに対しても細やかな配慮はするが、常に一定の距離を保ち無暗にベタベタはしない。」と分析を加えています。僕の半生を振り返ると、ここで分析されているムーミントロールスナフキンの関係に類似する状況に思い当たることが多いです。スナフキンは孤独と静寂を愛し、自分の世界を大切にしていきたいと考えていることが伺えますが、(どちらが正しい又は間違っているかという正否の問題ではなく)そのようなスナフキンの生き方にシンパシー(共感というより僕にとっての必然)を感じます。命とは「神から与えられた時間」のことだと言いますが、この分析が示すところを煎じ詰めて考えれば、その神から与えられた時間の使い方をどのように「選択」するのか(自分の人生で何を優先するのか)という問題を示していると思います。とりわけ僕のように人生の折返し地点を過ぎて残された人生の時間に思いを馳せるとき「何をするのか」(夢を拡げて行く)ということよりも「何をしないのか」という「選択」(人生に折り合いを付けて行く)が重要になってきます。死の床に在って(少なからず後悔や心残りはあるとは思いますが)自分の人生はマズマズであったと思えるような「選択」をして行きたいものだと常々心掛けています。

時と所をわきまえぬ押しつけがましい称賛はうっとおしい。のみならず、危険である。称賛する相手に自分を重ねあわせて、エゴを勝手に膨らませ、本来の姿を見失ってしまうこともある。

スナフキンは「だれかをあんまり崇拝しすぎると、ほんとうには自由にはなれないんだよ」と語っていますが、他の誰でもない自分として生きることに満足している独立した人格(「個」として確立している成熟した精神)でなければ本当の自由は得られないという趣旨と理解します。この点、前回、チェリビダッケの言葉を紹介しましたが、芸術を鑑賞するということは作品を写し鏡として作者と対話することによって自分自身を見つめ直すことに他ならず、そこに作品を媒介として自分自身にとっての真実を見い出したときに様々な執着から心が解き放たれ、精神の自由な飛翔が可能になる、それが芸術鑑賞の醍醐味ではないかと思います。現代は商業主義に踊らされた流行・風俗(一過性の社会現象、受動的な消費)のみが氾濫し、時代の風雪に耐え得る真の文化(永続的な創造的営み、能動的な受容)と呼べるようなものが育まれ難くなってしまいましたが、他者に共感を求める生き方よりも、自分自身に素直であろうとするスナフキンの生き方が本当に自由ということであり、また、そのような生き方が世の中に多様性を生み、創造力の源泉となるものではないかと思います。

かれらが「とてもしあわせな家族」なのは、ひとりひとりの自由が保障されているからだ。孤独でいる自由。思想と表現の自由、プライヴァシーの自由である。互いに干渉せずにいるには、ときとして強い意志の力が必要だ。相手がたいせつな存在であれば、なおさらである。けれどもムーミンたちは、互いの自立がしあわせの基礎だと知っている。..ムーミンたちの価値観や生活様式には、伝統や安定を是とするブルジョワ的なものと、自由や気楽さを重視するボヘミアン的なものが、かなり無頓着に混じりあっている。ブルジョワの戯画というべきフィリフヨンカや一部のヘルムのように、古くさい習慣やモノにむやみに囚われることもないが、ボヘミアンの理想というべきスナフキンやミィほど、みごとにふっきれてもいない。

本来、ボヘミアンとは、定職を持たない芸術家や作家又は世間に背を向けた者など伝統的な暮らしや習慣にこだわらない自由奔放な生活をしている者を指し、良く言えば「簡素な暮らしで、高尚な哲学を生活の主体とし、奔放で不可解」、悪く言えば「貧困な暮らしで、アルコールやドラッグを生活の主体とし、セックスや身だしなみにだらしない」という意味で使われます。プッチーニの歌劇「ボエーム」やミュージカル「ムーラン・ルージュ」もボヘミアンを題材にした舞台ですが、芸術家の根底には多かれ少なかれスナフキンのようなボヘミアニズム(伝統に縛られない斬新さ、自分の表現意欲に素直でいられる自由な心...)があるような気がしています。ショスタコーヴィチは自らの表現意欲に忠実でありたいとスターリン政権との文字通り命懸けの(創作過程における)闘いを繰り広げた話は有名ですが、芸術の源は「自由」にあり、だからそこスナフキンのような生き方に憧憬と共に強い共感(というより僕にとっての必然)を覚えます。

ミュージカル「ムーラン・ルージュ

プッチーニの歌劇「ボエーム」

「雨に濡れたつ おさびし山よ 我に語れ 君の涙の その訳を」(吟遊詩人スナフキン

ムーミン谷のひみつ (ちくま文庫)

ムーミン谷のひみつ (ちくま文庫)

さて、クラシカJAPANで「ティーレマンと語るベートヴェン「運命」」という番組が放送されていたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。音楽評論家のヨハヒム・カイザーがVPOとの間で新しいベートーヴェン交響曲全集を完成させた指揮者のクリスティアンティーレマンベートーヴェン「運命」の性格や特徴、さらには独自解釈を討論するという内容です。フルトヴェングラーカラヤンバーンスタインパーヴォ・ヤルヴィなど、さまざまな指揮者の演奏との比較も出てきて興味深いです。

...続く。現在、執筆中。




ドキュメンタリー「チェリビダッケ/ただ音楽に身をゆだねて」

【題名】ドキュメンタリー「チェリビダッケ/ただ音楽に身をゆだねて」(原題:Celibidache)
【監督】ヤン・シュミット=ガレ
【出演】セルジウ・チェリビダッケ
    ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団&同合唱団
    ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
    シンフォニエッタ・ヴェネタ
    フェニックス四重奏団
    コレギウム・ムジクム・マインツ   他
【曲目】ブルックナー ミサ曲第3番へ短調WAB.28
    ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」WAB.104
    ロカテッリ 合奏協奏曲ヘ短調Op.1-8「クリスマス」
    JSバッハ クリスマス・オラトリオBWV.248
    バルトーク 弦楽のためのディヴェルティメントSz.113
    ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調Op.125「合唱」より第2楽章
    ベートーヴェン 劇音楽『エグモント』Op.84より序曲
    ブラームス 弦楽四重奏曲第2番イ短調Op.51-2
    ヴェルディ 歌劇『運命の力』〜序曲
    モーツァルト ディヴェルティメント第15番変ロ長調K.287(271H)  他
【放送】クラシカJAPAN
    平成25年5月18日(土)10時00分〜11時45分
【感想】
日中は汗ばむ陽気になり早い会社では既にクールヴィズが始まったところもありますが、システム化された社会にあって機能性・効率性が何よりも尊重される時代となり、平成のチョンマゲと言われる「ネクタイ」は徐々に廃れて行く運命にあるのかもしれません。ところで、自宅近隣の水田はGWに田植えを終えましたが、僅かこの2週間で稲はスクスクと成長し、日差しに映えて眩かった水田が今では新緑に覆い尽くされています。千葉での田舎暮しを始めたこの5ケ月はカルチャーショックの連続で、食農分離が進んだ都会暮しが多かった僕の人生で、こんなに「食」と「農」を密接に感じたことはありません。お米と言えば、一年中、スーパーに行けば精米されて袋詰めされたものが山積みにされていて、いつでもお金を出せば「買える」ものだという貧困なイメージしか思っていましたが、こうして日常生活の中で身近に稲作に触れる機会に恵まれると、やはりお米は農家の方々が手塩に掛けて育てた汗と努力の賜物であり、自然の恵みであることを肌感覚で実感できます。昔の日本は「食」と「農」が密接であったと思いますが、現代の日本は飽食の時代を向えて高度にシステム化された社会へと変貌したことにより食農分離が一層と進んで「食」に対する意識が昔とは随分と異なったものになったように感じます。即ち、昔は「食」(消費、命)が「農」(生産、自然の恵み)との連続性の中で捉えられていたと思いますが、社会が高度にシステム化されるに伴って「食」(消費、命)が「農」(生産、自然の恵み)とは断続した人工(加工)のものとして「流通」されるようになった結果、徐々に「食」に対する意識に変化(例えば、一元論的な世界観から二元論的な世界観への変遷など)が生まれてきたのかもしれません。そいった社会背景を受けて最近では再び昔の日本人が持っていた「食」に対する鋭敏な感覚(このような感覚が一元論的な世界観を背景として「自然」に対する畏敬、崇拝や共生観念を生み、ひいては日本の伝統芸能に対する感受性、創造性を育む基になるものだと僕は考えています)を取り戻そうと「食育」ということが見直されるようになっています。僕も千葉の田舎暮しを始めたことを契機として「食」ということの根源的な意味を考え直したいと思い立ち、「ブログの枕」として秋の稲穂の刈入れまで水田の観察日記を続けていきたいと思っています。


近所の水田風景(2013/05/18)千葉は早場米の産地として知られ、9月には新米が店頭に並びます。

今日は以前から録り溜めていたクラシカJAPANで放映されていたドキュメント「チェリビダッケ/ただ音楽に身をゆだねて」を観ることにしました。映像作家ヤン・シュミット=ガレがチェリビダッケに1988年から3年間密着したドキュメンタリー映画です。厳しいリハーサル風景やインタビューなどからレコーディングを拒否し生演奏に拘ったチェリビダッケの音楽観、哲学、音楽の本質へと迫って行くプロセスなどを明らかにして行くという内容で、きちんと咀嚼するのは長い時を要するような含蓄のある金言の宝庫です。今後、音楽について考えるときのヒントになることが詰まっていますので、ご参考までにその一部を以下にご紹介しておきたいと思います。

いつも彼が重視しているのはオーケストラであれ個人であれ単なる音からどうやって音楽を生み出すかということだった。

私は美を求めてはいません。もちろん芸術に美は必要です。でもそれは最終目標ではない。いわば釣り餌のようなものです。美しさがなければ、そこには到達できません。シラーは言っています。『美を超えて初めて真実に気づく』と。真実とは何か、それは理解するものではなく体験するものです。

真実とは何だろうと繰り返し考えました。そして他の知識人と同様に真実を具体的に示そうとしました。真実といえるものを取り出して見せようとしたのです。でもうまくいきませんでした。音楽とは何でしょう。音楽とは定義不可能なので、思考を超えた所にあるものです。思考を通して生み出されながら、思考を超越しています。練習ではすべてを秩序づけ思考しながら構成を試みます。しかし音楽が生まれる時には、すべてを超越しているのです。

チェリビダッケの言葉の本質をどこまで捉えられているのか自信はありませんが、音楽の現象面として表出する「美」やそこに至る「思考」を超越したところに音楽の「真実」があり、それは「理解」ではなく「体験」によって得られるものだという趣旨のことを言っています。即ち、「美」や「思考」は音楽の「真実」に迫る為の手段であり、その目的である音楽の「真実」とは「理解」(外在的な心的作用)によって得られるものではなく「体験」(内在的な心的作用)を通して得られるものなので定義不可能だとも言っています。よく音楽を聴くのは極めて「個人的な体験」であると言われますが、この文脈で捉え直すとなるほど得心できます。

解釈とは何だろうか。作曲家の意図を認識するプロセスにほかならない。作曲家も経験から出発してそれを楽譜に書き留めたのだ。我々は楽譜から出発して作曲家の経験に到達する。作曲家がすべてを楽譜に書き表したとは限らない。

伝統などないことを知るべきだ。伝統は歴史とともに生まれ変わるものだ。古い伝統にしがみつくのは単なる無能でしかない。

自分の耳で聴き、つかみ始めた。知識にとらわれずにね。知識とは過去にとらわれることだ。ところが私が批判すると君達は自発性を失ってしまう。だが真実は自分自身の力でつかまなければならない。真実とは解釈できるものではない認識できない事実もある。

今やっているのは楽譜の陰の真実を見つけることにほかならない。私は「こうしなさい、こうでなければいけない」とは言わない。そうではなくて我々の意思の届かぬ所にあるものを見出すのだ。私が「こうしなさい」と言えば皆は私の真似をするだけだ。だが君達に体験してほしいのは楽譜の裏側にあるものを思考を超越してつかむことだ。

練習は音楽ではない。「〜するな」の連続だ。「速過ぎるな」「大き過ぎるな」「ぶらぶらするな」「だめ、だめ、だめ」いったい何回ノーと言うのだろう。それに対してイエスは1回だけだ。

上記は音楽を聴く立場から語られた言葉ですが、音楽を演奏する立場からも同様に音楽の真実は「思考」の過程(楽譜の解釈)を経て到達する「体験」(作曲家の経験)だと語っています。よく音楽は「どう表現するか」ではなく「何を表現するか」だと言われますが、楽譜から作曲家の何を掴み取って表現するのか、それが(単なる耽美的な演奏とは異なる)内容のある演奏ということだと思います。「こうしなさい」という指導は「どう表現するか」の指導であって、(演奏者の体験によって得られる)音楽の真実に迫るための指導ではありません。従って、音楽の真実に迫るための指導とはそのための阻害要因(音楽と向き合い音楽の真実に迫ることを忘れ、「何を表現するか」ではなく「どう表現するか」に拘泥している演奏者の作為)を排除するための「〜するな」というチェリの指導方針に収斂していくことになるのだと思います。

曲と取り組む時、最初の問題は全体がつかめないことだ。全体のアーティキュレーションはどう区分できるのだろうか。全体はひとつなのではなく幾つかの部分から成っている。造を解き明かさなければ、君たちは音楽を体験することなくスコアの奴隷になるだけだ。

ハイドンでも現代曲でも未知の曲に取り組む方法は同じです。最初からスコアを読み1回、2回、3回と繰り返す。だんだん主題が見分けられ、相互関係がつかめてくる。そして最後と最初の関係が体験できたら、その曲は私のものです。作曲家よりも深く、その作品を知ることになります。実際に作曲家にそう言われたこともあります。ただ私には作曲する才能がない。楽譜から関係を体験するのみです。ダラピッコラの半音階技法が何を意味するのかと質問したら「我々の生きている混沌を表した」という答えでした。でも音楽は「物」を表すのではない。音楽が表すのはその人自身です。そこがすばらしい点なのです。

音楽的フレーズにおいて意味とは何だろう。音の連なりは構造を生み出し、冒頭と終結の間が関係で結ばれることになる。冒頭で約束されたことが終結で具体化されている時が曲が終わるということだ。関係とはある瞬間と次の瞬間を結ぶ関係のことではない。さまざまな瞬間を経て時を超え、冒頭と終結を同時に体験することだ。全体の構造を体験するのに前提となるのは何だろうか、冒頭と終結、そして部分どうしの絶対的な相互関係だ。部分ではなく全体を感じたとき私の中で何が起こったのだろうか、統合です、いつ統合できるかね、部分どうしに相互関係がある時です。

上記は音楽の真実へと迫って行くプロセスについて語られています。これを音楽受容の在り方、観客の態度に焼き直して考えてみるとよく「楽章間は音楽か?」ということが言われますが、チェリが語るように冒頭から終結までを通して聴いて初めて音楽の真実に迫ることができるのだと思いますし、その意味で僕は楽章間も音楽の一部だと思っています。従って、楽章間の拍手には反対ですし、音楽の流れ(文脈)を途切れさせてしまうような観客の無神経な態度には不快感を禁じ得ません。また、演奏者が構えを解くまでは音楽は続いているのであって(休符や無音も音楽の一部)、音が鳴っていないのだから雑音(生理現象として出てしまう咳等はある程度仕方がありませんが)を発しても良いだろうと勘違いしている観客や終演時に未だ演奏家が構えを解いていないのに拍手を始める観客がいますが、果たして、この観客は音楽の真実に迫ることができているのだろうか(そもそも音楽に接する態度ができていないのではないか)と不憫に思えてなりません。なお、古典派の時代には各楽章がバラバラに演奏されたこともありますが、そのような音楽受容の在り方が作曲家の純粋な表現意図に沿うものだったのか又は作品にとって本当に幸福だったのかは甚だ疑問です。

ここには生きた音楽作りしかない。大切なのは今響く音だけだ。音楽は保存できるものではない。だから彼は演奏を録音しない。過去を保存し揃えておこうとは考えないのだ。だがコンサートでは聴衆も創造を直接体験できる。生まれた音は消えてしまうが時間の超越を体験できるのだ。

何かが動き出してもその中にいると気づかない。長すぎるか短すぎると感じる時は、音楽の外に出ている。音楽の中では時間を超えて生きるのだ。音楽は時計で計れるものではない。長いとか短いとかいうのは外側から眺めた場合の言い方だ。ヴェネツィアサン・マルコ大聖堂での演奏では時間など感じていなかった。1年に100回指揮するうち3回もうまくいけばいい方だ。

定義不可能なことは起こるに任せるしかありません。何もせずに生じさせるのです。ただ音楽の流れを妨げることが起こらないよう見守るのみです。つまり非常に能動的でありながらある部分では受動的です。意志で作り出すのではなく生み出されるのです。

レコーディングを拒否し生演奏に拘ったチェリの音楽観を窺い知ることができる金言です。チェリは日本の禅にも興味を示していたと言いますが、禅の思想を踏まえて解き直すと非常に含蓄があり奥深い言葉に聞こえてきます。音楽とは「個人的な体験」であると言いましたが、音楽は時間軸の中で計れる外在的な響きとして認識(理解)されるべきものではなく、その音を通して作曲家の経験が個人の内面に投影されることで生み出される内在的な共感として認識(体験)されるべきであって、それはライブ演奏だからこそ成就し得るものだということを言いたいのではないかと考えます。だからこそレコーディングは音楽を外在的な響きとして記録することはできても、内在的な共感形成たる「体験」そのものを記録することはできないという点で意義を見出し難かったということなのかもしれません。これは禅定の根本思想(悟りの境地は坐禅している自分がいるという意識すら忘れてしまうほどに坐禅という行為そのものに没頭することにより得られる二元的論理思考を超えた純粋経験)に近い考え方であり、いくら座禅を組んでいる人の映像を見ても実際に座禅を組んでいる人の境地には至れないということと同じことではないかと思います。

あなたは一種の静寂に気づかれた。でもそれは私が呼び起こした現象ではありません。あなた自信がすべての圧力から自分自身を解放し、音響の中に静寂を聞いたのです。音楽と呼べる「もの」が存在しているのではありません。音の響きはある特定の条件の下に音楽となります。音響のすべてが音楽なのではない。音楽ではない音と音楽になる音があるのです。ただすべてを私に結び付けて考えないように解放を経験したのは私ではなくあなた自身なのです。

生涯で最高の褒め言葉を得たのは指揮を始めて2年目のことです。コンサートの興奮さめやらぬ時、やってきた女性が非常に満足し落ち着いた様子でこう言いました。「まさにこれです!」 この女性はまさに私と同じことを考え経験したのでしょう。「美しかった」「素晴らしかった」と表現はいろいろあるが「まさにこれです!」ほど的を得た表現ありません。この言葉は私が聞いた中で最も美しい言葉です。

純粋な意識は個人に発し、一滴の水のように独立している。だがその本質は大海の水と変わらない。どの水も、どの意識も、万物を包括する意識へと帰ろうとする。

聞こえるものと自分の内的な世界との対応だ。5度音程が新しい視野を広げ、外交的な性質だと感じるならば、それは5度音程と私の内的世界に何らかの対応があったからだ。これが可能なのは音楽が何等かの形式に構成されるからだ。音響と内的生命の対応が人間の音楽を可能にする。

何故、人間は音楽を鑑賞するのかという根源的な問いに対する端的な答えのようなものがこれらの言葉の中に凝縮されているような気がします。チェリビダッケは「音響と内的生命の対応が人間の音楽を可能にする」と語っていますが、音楽を通して作曲家の経験(音響、一滴の水)が自分の内面に投影されることで生み出される共感(内的生命の対応、一滴の水が時代、民族や文化等を超越した大海の水に同化して波紋すること)によって、自分の素直な心に触れ自分の心を解き放つことができる、だからこそ人間に精神的な充足や平穏をもたらす(人間の音楽)ということを言っているのではないかと思います。息の詰まるような組織化された社会の中で自分を押し殺しながら生きている現代人にとって、音楽を鑑賞するということは自分の心と素直に向き合い、自分の心を解き放つ(自由になる)ことができる数少ない機会を与えられることであり、本来的な自分(本性)を取り戻すための精神的な営みに他ならず、それを「内的生命」という言葉で表現しているのかもしれません。この文脈で捉えれば、「音楽の中に静寂を聞いた」という言葉(静寂とは禅語を借りれば「調心」のようなものでしょうか)の深く意味するところも分かるような気がしますし、「まさにこれです」という言葉の持つ内実(重み)も理解できます。現代は「自由」が氾濫している時代ですが、その一方で社会が高度に組織化されて真の意味での「自由」(即ち、ありのままの自分)であり続けることも難しくなっている時代ではないかと思います。それゆえに、自分の心を解き放ち、ありのままの自分を取り戻すための契機としての音楽が持つ現代的な意義は益々大きなものになっているような気がします。これは「自然法爾」(心を解き放ち自由に保つ)という禅や茶道の考え方に似ており、音楽のみならず芸術全般に通じる根源的な考え方ではないかと思います。なお、最後に、チェリビダッケの指導を受けたオケメンのインタビューの一部をご紹介しておきましょう。

チェリビダッケが指揮するとオーケストラはまるで室内楽のようです。弦楽器から管楽器に至るまで一人が演奏しているかのようで主旋律が他の楽器に移っても気づかないほど絶妙のバランスです。

私は指揮者を二種類に分類しています。警察官のようにすべてに目を光らせているタイプ、そして形を生み出す彫刻家タイプ、チェリビダッケはその両方の特徴を備えています。

◆おまけ
チェリビダッケブルックナー「ミサ曲第3番」をお聴き下さい。チェリが紡ぎだす「天上の音楽」をご堪能あれ。

ロカテッリ 合奏協奏曲ヘ短調「クリスマス協奏曲」よりヴィヴァーチェをお聴き下さい。チェリの音源がありませんでしたが、曲の雰囲気をお楽しみ下さい。

いずれ廃れ行くネクタイへのオマージュとして、ヴェルディ 歌劇「運命の力」より序曲をお聴き下さい。チェリの音源の音質が悪かったので、ムーティーの指揮で。

チェリビダッケブルックナー交響曲第7番」より一部抜粋をお聴き下さい。チェリの神々しく雄大な演奏に存分に打ちのめされて下さい。

NHKスペシャル「新生 歌舞伎座 檜(ひのき)舞台にかける男たち」

【題名】NHKスペシャル「新生 歌舞伎座 檜(ひのき)舞台にかける男たち」
【放送】NHK総合テレビ
    平成25年5月5日(日)21時00分〜21時45分
【感想】
皆さんご案内のとおり諸事情により、GW期間中も演奏会や舞台、展覧会などへは足を運べず、千葉の農村へ引っ越してきたことを奇貨として、自宅近傍で名所旧跡など土地の歴史を訪ねたり、季節を運ぶ草花や野鳥を観察したり、神が創り給うた至高の芸術作品である自然の美しい瞬間を写真に切り取ったりと自然散策に興じ、何もせずに「無為に過ごす」という贅沢な時間の使い方をしていました。


左から、�荻生徂徠の旧家跡、�旧家跡近くにある徂徠の母の墓

千葉県茂原市に江戸時代の有名な儒学者である荻生徂徠が青年期に勉学に勤しんだ旧家跡が残されています。徂徠は著書「政談」の中で旧家での生活が彼の人間形成上で重要な意味を持っていたと自ら語っているとおり、徂徠の学者としての礎は茂原で暮らしていた時代に養われたものです。徂徠と言えば、元禄時代に発生した赤穂浪士の吉良邸討入事件において、室鳩巣らの賛美論に対し、「若し私論を以て公論を害せば、此れ以後天下の法は立つべからず」と断じて私情に流されず法に則って切腹を主張したことで有名です。個人的には赤穂国際音楽祭で何度か赤穂へ足を運んでいるので心情的には赤穂浪士贔屓ではありますが、もし赤穂浪士の吉良邸討入事件が許されるとすれば、ヤクザ抗争におけるお礼参りも同様の理屈で許されてしまうことになり、やはり徂徠の論が冷静で成熟した正論であったと思います。なお、古典落語、講談や浪曲に当時の赤穂浪士の処罰議論を題材にした「徂徠豆腐」という演目がありますが、この内容を見てみると江戸の庶民は比較的理性的に受け止められていたことが伺えます。

徂徠は貧しい青年時代に空腹のために豆腐を無銭飲食してしまうが、豆腐屋は「出世払い」ということで許してくれた。その後歳月が流れ、大学者になった徂徠は赤穂浪士の吉良邸討入りの翌日にその豆腐屋が大火で焼け出されたことを知って見舞金を贈る。しかし、豆腐屋は赤穂浪士切腹をさせた徂徠からの施しは受けられないと断る。それに対し、徂徠は「貧しい青年時代に豆腐を無銭飲食した自分を「出世払い」にして許してくれた。法を枉げずに情をかけてくれたから今の自分がある。自分も法を枉げずに赤穂浪士に最大の情をかけた。武士を見事に散らせるのも情のうち。」と法の道理と武士の道徳を説いた。これに納得した豆腐屋は見舞金を受け取る。豆腐屋が赤穂浪士切腹と徂徠からの見舞金をかけて「先生はあっしのために自腹をきって下さった」というオチがつく粋な話。

浪曲「徂徠豆腐」

講談「徂徠豆腐」

さて、昨日、NHK総合テレビで新歌舞伎座の杮葺落公演までのドキュメンタリー番組が放送されていたので、簡単に概要を残しておきたいと思います。なお、私事で恐縮ですが、今秋、僕が勤めている会社が歌舞伎座タワーへ入居する予定になっており、色々な意味で興奮し過ぎて鼻血が止まりませんので、このブログにも鼻血の跡を残しておきたいと思います。歌舞伎タワーは「耐震」「免震」「制震」と高い耐震性能を備えているらしく、大震災が来ても心丈夫です。


(注)あくまでもイメージ図です。似ていますが、実物ではありません。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0505/

◆緞通
新歌舞伎座の大間には皇居やバチカンにも使われている色鮮やかな高級織物「緞通」が敷かれています。この図柄は京都・平等院鳳凰堂中堂母屋の方立に描かれている菱形文様をモチーフにしたもので、そこに描かれている4羽の鳥は「咋鳥(さくちょう)」と呼ばれ、22種類以上の色染めされた羊毛の1本1本を職人が「手刺し」することで組み合わせた絶妙なグラデーションが深い味わいを生んでいます。思わず靴を脱ぎたくなる美しさですが、緞通は踏まれることで深い味わいが増してきますので、職人の至芸に経緯を払いながら丁重に踏み締めて歩きたいものです。

◆三洲瓦
新歌舞伎座の大屋根に職人技で造られた精密で独特な風合いの三洲瓦約10万枚が敷き詰められて圧巻です。日本における瓦の起原は飛鳥寺造営(596年)と言われていますが、1700年頃から良質な三河粘土と船便搬送に恵まれた三洲で瓦産業が発達し、吸水率が低く凍害にも強い三洲瓦は100年以上も持つといわれています。なお、歌舞伎座正面の唐破風屋根の上には歌舞伎座で最大となる重厚な鬼瓦が設置されていますが、この鬼瓦は「経の巻」と呼ばれ、3つの円筒形の装飾がお経の巻物に見立てられたことに由来していています。

◆音響
新歌舞伎座の音響は、サントリーホールミューザ川崎シンフォニーホール大阪新歌舞伎座をはじめ、国内外の数多くのコンサートホール等の音響設計を手がけた株式会社永田音響設計が担当。天井に反響板を設置し、直接音が観客席に到達してから0.05秒で反射音が観客席に到達するように設計されていますので、明瞭で豊かな残響効果が得られます。劇場は木とコンクリートが乾燥し本当に良い音で響くようになるまでに約20年かかると言われていますので、これから新歌舞伎座の音響がどのように熟成されて行くのか楽しみです。

◆檜
新歌舞伎座の檜舞台に使われる檜板は、神奈川県丹沢山中で採取した1200本の「百年檜」(初代歌舞伎座開場の明治22年頃に植えられたもの)が使われています。檜の特質は、耐久性、柔軟性、そして油を多く含むことから滑らかで“さわり”が良く、また、1年3ケ月間は天日、さらに1週間は遠赤外線乾燥機で乾燥するために歪んだ音がせず、歌舞伎の舞台向きと言われています。

◆回り舞台
メリーゴーランド製作会社の三精輸送機株式会社が直径18.18m、深さ約16.5mと国内最大の大きさの「廻り舞台(盆)」を製造しました。松・竹・梅の3種の迫りに加えて、今回は「大迫り」が新設され、より多様でダイナミックな舞台転換が可能になりました。オペラハウスが歌舞伎座の回り舞台を真似て導入した話は有名です。

◆緞帳
日本画家の上村淳之さんが緞帳の原画を作成し、緞帳の向って右から冬、春、夏、秋の季節の移ろいを表現した図柄になっているそうです。その図柄を刺繍で1日で10cmづつ織り込んでいったそうです。実際の舞台でご確認下さい。

◆意匠
新歌舞伎座は株式会社三菱地所設計と隈研吾建築都市設計事務所による共同設計で、新・根津美術館などの設計も携わった隈研吾建築都市設計事務所が意匠・デザインを担当しています。新歌舞伎座では "時間の継承" をテーマとされているとおり、歴代の歌舞伎座の優美な趣を承継しつつ、最新の機能を備えたオフィス棟との今昔の調和が図られています。

中村吉右衛門播磨屋
「鏡台は化粧をしながら徐々に役に成り切って行く役者にとって神聖な場所」と語っていましたが、能役者が鏡の間で能面をつけることで何ものかが自分に憑依(顕在)する感覚になるのと同じく、白粉を塗り顔を作って行く過程は自分の中から自我を締め出して別の人格を創り込んで行くような精神的作用を伴うものなかのかもしれません。

尾上菊五郎音羽屋)
「キメ台詞は自分があんまり気持ちよくなるとダメ」と語っていましたが、これは歌舞伎だけでなくクラシック音楽にも同様のことが言えます。カラヤンは「自分が興奮する指揮は三流、自分が冷静で楽団員が興奮する指揮は二流、自分も楽団員も冷静で観客が興奮する指揮は一流」という言葉を残していますし、世阿弥は「離見の見」という言葉を残していますが、観客を頂く再現芸術においては自分の舞台に溺れないことが殊更に重要なことなのかもしれません。

片岡仁左衛門松嶋屋
「役になり切るのか、役を演じるのか」..自分の演技は役になり切って時に感情を移入するスタイルだと語っていましたが、尾上菊五郎さんの演技に対する考え方が少し異なるのかもしれません。感情を移入せず型を重んじて演技を組み立てる様式主義的な考え方は極端だと思いますが、果たして演技にあたってどこまで感情移入すべきなのかその塩梅は難しいと思います。昔、映画「ドラゴン・キングダム」で功夫の極意として「型を学んで、型を追わず」という言葉が出てきましたが、仁左衛門さんが目指している演技は自らの感情も自在に操って行く変幻自在の境地、役に溺れるのではなく、役を完全に我物にするということなのかもしれません。

坂東玉三郎(大和屋)
「昔、歌舞伎は昼間にやっていたので、デザインされた照明ではなく、芝居がしっかり見えることが基本」..その意味で歌舞伎の照明は柔らかさと広がりが重要と語っていましたが、主役にスポットライトを浴びせて主役を大きく見せるという意味で歌舞伎はオペラに近い性格を持った舞台芸術と言えるかもしれません。一方、能は夜の薄明り(昼の薄暗がり)で演じられることが多く、「闇」(闇によって人間の感性が研ぎ澄まされてイマジネーションが膨らむ作用)が生み出す舞台芸術と言えるとかもしれませんが、その意味で、歌舞伎(オペラと同様に主役が観客へアピールして行くプラスの芸術)と能(できずるだけ無駄なものを削ぎ落として観客の内面を引き出して行くマイナスの芸術)は似て非なる性格を持っており、日本の伝統芸能の懐の広さを感じさせます。


http://d.hatena.ne.jp/bravi/20120414/p1

今週のニューズウィーク日本版に歌舞伎の特集記事が掲載されています。新歌舞伎座が落成し、世代交代が進んだ歌舞伎界の現在をレポートする内容で、これから歌舞伎界が向おうとしている方向性を示唆する興味深い記事です。

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2013年 5/14号 [歌舞伎新時代]

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2013年 5/14号 [歌舞伎新時代]

なお、一部のランチパックマニアの間で待ち望まれていましたが、遂に、あのランチパックに新歌舞伎座の落成を記念した「豆大福風(ホイップクリーム入り)歌舞伎座厨房監修」が登場しました。パン生地の中の赤い豆あんは「隈取り」を、これをサンドする白いホイップクリームは「白粉」をあしらったものではないかと推察しますが、ホイップクリームはあまり主張し過ぎることなく、豆大福の控え目な甘さが口の中に上品に広がるバランスの良いアダルトテイストの癖になる美味しさです。


http://www.yamazakipan.co.jp/lunch-p/shop/index.html
ランチパック・フリークのメッカ「ランチパックSHOP」では珍しいご当地ランチパックもゲットできます。

◆おまけ
まだ観に行っていませんが、近く機会があったら観に行きたいと思っています。

ダンスとのコラボが実にマッチしていて面白いです。様々なクロスカルチャーな試みを見てきましたが、これはハッピーな巡り合わせだと思います。

デザートをどうぞ。

額縁をくぐって物語の中へ「葛飾北斎 “神奈川沖浪裏”」

【題名】額縁をくぐって物語の中へ「葛飾北斎 “神奈川沖浪裏”」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成24年12月2日(木)20時45分〜21時00分
【司会】池田鉄洋
【感想】
田舎暮しに憧れて、最近、神奈川県の都会(住宅街)から千葉県の田舎(農村)へ引っ越しました。駅前にはスーパーや商店街はおろかコンビニすらないような辺鄙な田舎町です。某チェロ奏者が近隣に住んでいますが、田舎暮しを始めてみて、何故、創作活動を行う芸術家が田舎暮しを始めるのか分かるような気がします。アスファルトに覆われた都会暮しは完全に自然から遮断されていましたが、自然との境界が曖昧な田舎暮しでは自然に触れる機会が多く、都会暮しでは全く感じることがなかったインスピレーションに溢れています。遥か地平線まで遮るものがない広い空、多種多様な生き物の鳴き声、雑木林のざわめきや大地を吹き抜ける風の音(平野が広がる田舎では都会とは風の音が違います)、折々の季節感を運ぶ風の匂い、街灯や都会の喧騒に紛れてしまうことのない感性を研ぎ澄ます暗闇と静寂、この数か月の田舎暮らしは小さな発見と感動の連続で、これまで“便利さ”と引き換えに実に多くの大切なものを犠牲にしてきたように感じられ、都会暮しでは希薄であった“生きている実感”のようなものを日々感じることができるようになりました。


左から、�近所の水田を整地するトラクター、�近所の水田に浮かぶ鴨(おいしそう..)、�春日神社に奉納される能「翁」

今週末から近所の水田で田植えが始まりました。これまで田植えは何度も見たことはありますが、都会暮しが長い僕にとって日常風景の1つとして“田植え”を見る経験は初めてのことです。これまでお米と言えば、年中、精米されて袋詰めされたものがスーパーに山積みされているという程度の貧困なイメージしか持っていませんでしたが、雑草の焼却から、土を細かく砕くための田の耕起が始まり、やがて肥しの匂いが鼻に付くようになると直ぐに田に水がはられ、夜ともなると何百匹とも知れぬカエルが一斉に泣くようになります(カエルの鳴き声が作り出す不協和音で夜空一面が覆われるようですが、やはり自然は不協和音で溢れているのですね…)。そして、今週末辺りから苗代から苗を田に植え替える田植えが始まりました。これから農薬の散布と水田の水管理等が行われ、青々としていた水田が金色に染まる9月中旬頃に収穫となるようです。こうして身近にコメ作りを見ていると、本当は、お米はお金では買えない“自然の恵み”であることが改めて実感でき、こういう些細ですが根源的なこと(自然への畏敬や自然の恵みへの感謝)へ立ち返ることができるところに田舎暮しの素晴らしさ、醍醐味があります。一口に稲作と言っても、技術、神事、文化という様々な切り口で語ることができますが、もともと日本の伝統芸能は五穀豊穣を祈る祭事が発端と言われ、能楽、歌舞伎、日本舞踊などの舞は腰を据えて地面を摺るような横への面的な広がりのある動きが中心ですが、これは農耕民族の名残と言われています(田植えの姿勢を思い起こして貰えれば分かると思います)。これに対し、狩猟民族は獲物を追って地を飛び跳ねるような縦への垂直的な広がりのある動きをしますが、これはオペラやバレエのダンスに共通した動きの特徴です。最近では手植えではなく機会植えが一般的ですが、田植えの風景を見ていると、五穀豊穣を記念する能「翁」の舞いがオーバーラップしてきて興味深いです。


左から、�最近では見掛けなくなった近所の「屋根より高い鯉のぼり」、�200匹の鯉のぼりが泳ぐ橘ふれあい公園(千葉県香取市)の鯉祭り、�西日が落ちてきた日曜夕方のひと気のない近所の水田風景。スマホのカメラでは分かりませんが、静かに吹き抜ける春のそよ風に稲と水面が靡き、これに柔らかい斜陽がキラキラと反射して息を飲むような美しい日本の原風景です。秒針が忙しく刻む人工の時間とは異なって、陽光や風の匂いが穏やかに刻んで行く古より悠久と続く自然の時間がここには残されています。「忘らるる 時しなければ 春の田の かへすがへすぞ 人は恋しき」(古今和歌六帖)


左から、�江戸の名所を描いた歌川広重の浮世絵「水道橋駿河台」(江戸名所百景)、�鯉の滝登りを描いた葛飾北斎の浮世絵「鯉」..浮世絵のデフォルメされた大胆な構図は現代にあっても斬新です。

もう一つ都会暮しではトンと見掛なくなった情景に“鯉のぼり”があります。こんなに大きな鯉のぼりを見るのは実に久しぶりのことですが、先々週あたりから5月5日の端午の節句(3月3日は桃の節句、7月7日は七夕の節句、9月9日は菊の節句)に先立って、あちらこちらの農家で大きな鯉のぼりがあげられています。鯉のぼりがあがっている家は男の子のいる家ですが、鯉のぼりをあげる風習は江戸時代から広まり「鯉の滝登り(鯉が竜門の滝を登ると竜となって天をかける=登竜門)」の故事成語にあやかって男の子の健やかな成長と立身出世を祈願してあげられるようになったようです。江戸の狂歌に「江戸っ子は 五月の鯉の吹流し 口は大きし腸(ハラ)はなし」というのがありますが、鯉のぼりは上方ではあまり見られなかった風習だそうなので、五月晴れよろしく何事も腹に溜めないカラッとした気風の良い江戸っ子とは相性が良く好まれたのかもしれません。“吹流し”なんて、粋じゃありませんか。

さて、今日は、神奈川県から千葉県へ引っ越してきたこともあり、神奈川県へのオマージュという意味で、NHK−BS「額縁をくぐって物語の中へ」で上記の鯉の浮世絵でも知られる葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」が採り上げられたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。ご存知のとおり浮世絵「神奈川沖浪裏」はドビュッシー交響詩「海」の初版譜の表紙にも使われ、ドビュッシーをはじめとして多くの芸術家にインスピレーションを与えた傑作です。


葛飾北斎 富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」


ドビュッシー 交響詩「海」の初版譜表紙(1905年)です。富士山と小舟は消され、この版画の魅力であるダイナミックな遠近感が削がれてしまっています。この版画はデフォルメされた大胆な構図の中で手前の「動」と奥の「静」、周囲を覆う荒々しい波と中央に描かれた空間との対比によって見る者の視点が一番奥に描かれた富士山へと収斂していくように描かれていますが、だからこそ、この交響詩の標題性を強調した図案とするために施された措置だったのかもしれません。

最初にヨーロッパに渡った葛飾北斎の版画は「北斎漫画」と言われています。これは日本からフランスへ運ばれる焼き物を梱包するために使われていた紙が北斎漫画だったことによると言われています。この北斎漫画がヨーロッパで広がり、北斎の浮世絵が注目されるようになっていったようです。モネやドガは神奈川沖浪裏の大胆な構図に驚き、大いに影響を受けたと言われていますが、これは北斎が大きな波を描きながら、その一方で絵全体のバランスが崩れないように緻密に計算して構図を組み立てていたことによります。神奈川沖浪裏の絵を対角線で結び、それを半径としてコンパスで円を描くと、丁度、波の先端と富士山の頂上がその円周で交わるように描かれています。また、波が描かれている部分を切り取ってその残りの部分を180度反転させると、丁度、波の描かれている部分とぴったりと一致するような反鏡形の構図になっており、それが画面全体を回転させるような勢いを生んで浪に躍動感を与えています。さらに、大しけの中に人が乗っている舟が描かれていることが絵全体の緊迫感を増しており、それがこの浮世絵の並々ならぬ生命力を生んでいると言えるかもしれません。なお、手前の小さな波の輪郭は富士山(奥に描かれている富士山と比べて実際の富士山の形に近い)が象られており、この浮世絵にアクセント(面白さ)を与えています。


北斎漫画

ゴッホは、弟テオへの手紙の中で神奈川沖浪裏について『君が大波の絵を見て「この浪は鍵爪だ、船がその中に捕まえられた感じだ」と感動の叫び声をあげたのは、北斎が描き出した線とデッサンが素晴らしさからだ』と激賞しており、北斎の並外れた画力と色彩に驚いています。とりわけベルリンで作られた顔料「ベロ藍」が波裏に使っていますが、これはゴッホの絵画「種まく人」にも使われており、神奈川沖浪裏はゴッホへの作風にも影響を与えています。また、北斎は、今にも砕け散る瞬間の迫力のある浪を描くために、何日も馬で海に入り観察したと言われています。なお、この番組では紹介されていませんでしたが、北斎は神奈川沖浪裏を作成するにあたって当時“浪の伊八”として知られていた彫刻家 武志伊八郎信由の彫刻から着想を得たのではないかと言われています。その証拠に“浪の伊八”の作品が行元寺(千葉県いずみ市)の欄間彫刻「波に宝珠」に残されていますが、その裏面の宝珠を富士山に置き換えると神奈川沖浪裏と同じ構図になります。ゴッホがミレーの作品からインスピレーションを受けたのと同様に、北斎も“浪の伊八”からインスピレーションを得て浮世絵の傑作を生みだしたと言えるかもしれません。


左から、�ゴッホ「種まく人」、�行元寺(千葉県いずみ市)の欄間彫刻「波に宝珠」(彫刻家 武志伊八郎信由)
http://www18.ocn.ne.jp/~gyoganji/


北斎はこんな浪を見て着想を膨らませていたのでしょうか。尤も、神奈川沖とは東京湾のことなので、こんなビックウェーブがあったとは思えず、やはり北斎のイメージが作った大波と言えるかもしれません。

◆おまけ
昨日、Yahoo! ニュースにBPOのデジタルコンサートホールの記事が掲載されていたので、無料画像をアップしておきます。BPOのチケットを取るために狂ったように何百回もリダイヤルしなくても、自宅にいながらにして驚くべき廉価でBPOの最新演奏が聴けてしまうハイコストパフォーマンスのWebサービスです。ネットワークオーディオが欠かせません。http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130421-00010000-wired-musi

去る4月15日に永眠された指揮者のサー・コリン・デイヴィスさんへ哀悼の意を込めて、同じニムロットの演奏をアップしておきます。同じ曲でも指揮者によって味付けが異なれば、これだけ違った表情を見せてくれます。これぞ再現芸術の醍醐味です。衷心よりご冥福をお祈り致します。

葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」に着想を得たのではないかと言われているドビュッシー交響詩「海」をお楽しみあれ。波のうねり、海面の煌めき、潮の香りなどをイメージしながら聴いてみて下さい。

ピアノはいつピアノになったか?

【題名】ピアノはいつピアノになったか?
【著者】伊東信宏、松本彰、渡辺裕、渡邊順生、村田千尋、s.ギニャール、岡田暁生小沼純一三輪眞弘
【出版】大阪大学出版
【発売】2007年3月30日
【値段】1700円
【感想】
現在、NHK総合でドラマ10「第二楽章」という連続ドラマの放送が開始されています。プロとして成功を収めた現役の音楽家と、幸せな家庭を築くためにプロの途を断念した元音楽家、2人のアラフォー世代の女性の葛藤を描いたドラマで、おそらく音楽家の方(とりわけ出産・育児を避けて通れない女性)であれば切実な問題ではないかと思います。このドラマの面白いところは40代の女性を主人公に設定しているところで、プロの演奏家であれば有能な若手の台頭によって行き詰まりを見せてくる頃ですし、家庭の主婦であれば子離れして自分の人生を見つめ直す頃ではないかと思います。このドラマのタイトルである「第二楽章」というのも、そういう40代の人間が迎える人生の節目(第二の人生を考え直す時期)という意味が込められているのだと思います。スメタナ弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」という自叙伝的作品を残していますが、第二楽章又は第三楽章に置かれる緩徐楽章のように40代は自分の人生の歩みを緩めて懐かしい青春期に思いを馳せながら再び自分の人生を見つめ直して見る時期なのかもしれません。そんな印象の同曲第三楽章をお聴きあれ。

スメタナ 弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」から第三楽章

なお、このドラマの主題歌のために山下達郎さんが「コンポジション」という曲を書き下ろしていますが、アラフォー世代にとってはセピア色のアルバムを捲るような青春の匂いがする懐かしいサンドに胸が締め付けられるような思いがするのでは..。

http://www.nhk.or.jp/drama10/dainigakushou/

▼番組紹介

なお、丁度、いま藤の花が見頃ですが、近所に咲いている藤の花の写真をアップしておきます。因みに、妙福寺(千葉県銚子市)ではGWに藤まつりが開催され、夜には藤の花がライトアップされて幻想的です。縦横浜10mを超す一番大きな藤棚は樹齢は750年を超し、まるで龍が寝ているかのように根づいていることから「臥龍の藤」と呼ばれている有名な藤棚です。また、あしかがフラワーパークの大藤も大層見事なもので、死ぬまでに一度は見ておきたいもの。GWに予定がない方は、藤の花見はいかが。


左から、�近所の藤の花、�妙福寺の「臥龍の藤」、��あしかがフラワーパークの「大藤」と「むらさき藤」

藤波の 咲く春の野に 延ふ葛の 下よし恋ひば 久しくもあらむ万葉集

かなり昔に購入した本ですが、簡単に感想を残しておきたいと思い再読しました。続く....。毎度、“続く”で申し訳ございませんが、よくよく咀嚼したうえで感想を書くことにしています。以下の書き掛け分も含めて、きちんと読んでいますので少々お待ち下さい。

ピアノはいつピアノになったか? (阪大リーブル001)【CD付】

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