大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用、拡散などは固くお断りします。※※

観世流能 紅葉狩(もみじがり)−鬼揃−

【題名】観世流能 紅葉狩(もみじがり)−鬼揃−
【演目】能「紅葉狩り」鬼揃(作、観世信光)
【出演】<前シテ(上臈)>観世喜正
    <後シテ(鬼女)>観世喜正
    <ツレ(侍女、鬼女)>遠藤喜久、鈴木啓吾、古川充
    <ツレ(鬼女)>佐久間二郎、小島英明
    <ワキ(平維茂)>福王和幸
    <ワキツレ(家来)>福王知登、山本順三
    <アイ(侍女)>高野和憲、深田博治
    <笛> 松田弘
    <小鼓>幸正昭
    <大鼓>安福光雄
    <太鼓>金春國和
    <地謡観世喜之、中森貫太、中所宜夫、遠藤和久 
    <後見>永島忠侈、奥川恒治、長沼範夫
【会場】札幌テレビ メディアパーク・スピカ
【料金】ビクターエンタテインメント
【感想】
能や歌舞伎の演目に「紅葉狩り」(山野で紅葉を散策すること)というものがありますが、日本で「紅葉狩り」の風習が生まれたのは平安時代の頃になります(「大鏡」に嵐山の紅葉祭りの様子が描かれています)。「紅葉狩り」以外にも紅葉を採り上げている作品は多く、能「龍田」は以下の有名な和歌を題材として秋の神「龍田姫」が登場する紅葉に因んだ作品になっています。

竜田川 もみじ乱れて流るめり 渡らば錦 なかや絶えなむ(古今和歌集

以前にこのブログでも書きましたが、中世の日本は現代の日本に比べて外界(自然界)と内界(人間界)との境界が曖昧(西洋の二元論的な世界観とは異なる一元論的な世界観)で、現代よりも遥かに自然が生活の中に溶け込んでいましたが、そのことは平安時代の衣装の色彩美にも色濃く表れており、後世のような「配合の妙」(人工美)ではなく「配色の妙」(自然美)を貴重として着飾ることが主流だったようです(因みに、西洋料理で使われるソースは旨味を造り出す“配合の妙”ですが、日本料理は素材の旨味を引き出す“配色の妙”であり、その意味で“配色の妙”は日本的な美意識の表れとも言えるかもしれません、閑話休題)。即ち、一枚の衣で言えばその表裏の裂地の「重色」、装束で言えばそれらの衣色の「かさねの色目」(色目の調和や対比)を活かして草花の彩りや木葉の色合いなど表し四季折々の季節感を着飾っていましたし、装束のみならず、懐紙、料紙や几帳等の調度品にもこのような色使いが重用されていました。映画「源氏物語」の感想(record芸術)にも書きましたが、平安時代の瑞々しく繊細な色彩感には目を見張るものがあり、現代と比べて繊細な色調(自然の草花等を模倣した精妙な色合いや色名の豊富さ)や配色に対する鋭敏なセンス(季節を感じさせる彩りや豊かな表情を生み出す多彩なコントラスト)など中世の日本人の感受性の豊かさに嫉妬したい衝動に駆られます。現代の日本は外界(自然界)と内界(人間界)とが完全に分離され、日常の中で自然を感受する機会はめっきりと減り、例えば和歌のように花鳥風月を歌に詠み自然を愛でる風流心(文化風俗)も希薄化してしまいましたので、それだけ現代の日本人は自然を感受する能力が退化してしまった(例えば、昔の日本語には、自然の色彩だけではなく、波や風、雨、雲、光など自然を表現するための実に豊富な語彙に恵まれ、自然の繊細な表情の変化を木目細やかに感じ取り、それらを表現していたことが伺われますが、現代ではそれらの言葉は忘れ去られ、同時に自然に対する鋭敏な感覚も失われてしまった)のではないかと感じます。

▼かさねの色目
http://www.mode-japonesque.com/mj/kasane/itiran/fall/itiran.html
▼record芸術(映像作品の寸評を書き溜めているミニログ)
http://video.akahoshitakuya.com/cmt/1089341

...ということで、今週末は神の色彩美を存分に堪能しようと思い立ち、カメラを片手に自宅近傍にある見頃を迎えた紅葉の名所で「紅葉狩り」と洒落込みました。色褪せないうちに、写真をアップしておきます。

本土寺(千葉県松戸市


神のキャンバスを埋め尽くす精妙なグラデーション...配色の妙

◆小松寺(千葉県南房総市

静寂を満たす神の色彩...

◆四万木不動滝(千葉県安房郡)

美しい紅葉に誘われるように急峻な渓谷を降って行くと、不動尊が宿る霊験あらたかな不動滝へ。「若し是の如きの法を成就せんと欲する者は、山林寂静の処に入り、清浄の地を求め、壇場を建立して、諸の梵行を修し、念誦の法をなさば、即ち本尊を見たて祀り、悉地円満すべし。或は滝なる河水に入つて念誦をなし、若しくは山頂樹下塔廟の処に於て、念誦の法をなさば速に成就を得ん。」(聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経より)

◆鴨川にある夕日の綺麗な隠れスポット(プライベートビーチのようなところで場所はヒミツ)

デートの締め括りに...チュッ♥

さて、2004年8月28日に札幌メディアパーク・スピカで開催された蝋燭能の模様を収めたDVDを拝見しましたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。現在、感想を執筆中。続く。



能楽協会のホームページに年末年始に放送される能楽に関するTV番組が紹介されています。能楽能楽堂に足を運んで生舞台を観なければその魅力は十分に伝わってきませんが、その一方で、能楽堂に足を運びたくても地理的な要因や仕事上の都合などで能楽堂に足を運ぶ機会が殆どない人も多いのではないかと思います。近年は、CS放送の専門チャンネル(歌舞伎チャンネル、京都チャンネルなど)が廃止され、全国ネットでも能楽関係の放送枠が減らされてしまう憂慮すべき状況にありますので、NHKや衛星劇場(CS)へドシドシと能楽に関するTV番組をリクエストし、皆さんの力で能楽に触れる機会を少しでも多くしませう!
http://www.nohgaku.or.jp/

▼おまけ
紅葉に因んだ...と思われる一曲を。楽曲に持つイメージは人それぞれだと思いますが、僕は瞑目しながらラフマニノフのピアノ協奏曲第1番第2楽章(14:50〜21:40)に耳を澄ませていると、広陵たるロシアの大自然と木枯らしに巻かれる金色に染まる落ち葉のイメージが眼前に広がってきます。皆さんはこの楽章を聴いてどんなイメージが広がってきますか。

ロシアの秋をもう1曲。チャイコフスキーの「四季−12の性格的描写」より10月「秋の歌」をどうぞ。

「四季」と言えば、上記で挙げたチャイコフスキーの曲以外にも、ヴィヴァルディ、グラズノフピアソラ、ミヨーなどが同名の曲を書いていますが、もう1人、ハイドンのオラトリオ「四季」より「秋」をどうぞ。



ヴェルディの生涯 全7話

【題名】ヴェルディ―の生涯 全7話
【放送】CLASSICA JYAPAN(CS736)
    平成25年10月6日(土)10時00分〜11時40分
【監督】レナート・カステラーニ
【脚本】ゲネ・ルオット
【音楽】ローマン・フラード
【出演】ジュゼッペ・ヴェルディ役 ロナルド・ピックアップ
    アントニオ・バレッツィ役 ジャン・ピエロ・アルベルティーニ
    カルロ・ヴェルディ役 オメロ・アントヌッティ
    エマヌエーレ・ムツィオ役 エンツォ・セルシコ
    マリア・バレッツィ役 アドリアーナ・インノセンティ
    ルイザ・ウッティーニ役 アグラ・マルシリ
    フィノーラ役 レオポルド・トリエステ
【収録】1982年
【感想】
今日10月10日は“トートー(TOTO)”で「便器の日」ということはご存知の方も多いと思いますが、もう1つ、今年が生誕200年のアニバーサリーであるヴェルディの生誕日でもあります。ということで、現在、クラシカジャパンではヴェルディに関する様々な特番が組まれており、なかでもヴェルディのオペラ全曲放送(TUTTO VERDI)が注目されます(今年、同様に生誕200年を迎えたワーグナーのオペラ全曲放送も期待したいのですが...)。全27曲(何故かヴェルレクも含まれていますが、宗教音楽と言っても多分にオペラチックな作品なので、このような扱いとなることにあまり違和感はありません。)のうち既に21曲が放送され、僕のライブラリーにも追加されています。世評、クラシカジャパンは(アダプター又は衛星アンテナのいずれかを介さなければならないという原因で)画質の粗さに難があると指摘されることが多いですが、僕が利用しているNTTのひかりTVは有線なのにアダプターが不要なので画質の粗さは概ね解消され、その点に不満をお持ちの方には特にお勧めできます(但し、再生装置に制約がありますのでご留意下さい)。


左からヴェルディ自画像(1886年)、パルマ王立劇場、オケピ
https://teatroregioparma.it/
http://www.verdi.or.jp/index.html

なお、以前もこのブログで書きましたが、日本ではAppleとソフトバンクの貢献によって、この数年で音楽や映像の受容形態が様変わりしたと思います。これまでは音楽や映像が流通するメディアとしてはCD及びDVDが主流であったと思いますが、この数年で音楽や映像のコンテンツを自由に持ち運び又はアクセスすることができるデバイス(iPod、iPhone、iPad)とそのデバイスを使って外部からいつでもコンテンツを採り出せるネットワークハードディスク(NAS)が登場すると共に、大容量のコンテンツをストレスなく扱えるモバイルブロードバンド回線(100〜200Mbps)が普及し、加えてハイレゾ音源(192KHz/24bit〜)等に代表される超高品質のコンテンツも流通し出したことで、音楽や映像がデジタルデータとして流通し、受容される時代へと本格的に突入しました(音楽が流通、受容される媒体の変遷:「楽譜」→「レコード」→「CD・DVD」→「デジタルデータ(ネットワーク)」)。これまでの媒体と比べて自由度の高いデジタルデータとして音楽や映像が流通されるようになったことにより、これまで以上のクォリティーを保ちつつ、より柔軟性や多様性のある受容の可能性が広がり一層豊かな芸術ライフが安価かつ容易に実現できる環境が整いました。その意味で、ハイレゾ音源等の高品質のデジタルデータを供給するECサイト(主要なECサイトは以下のURLで紹介)や特定の分野の幅広いデジタルデータを供給する専門番組(クラシカジャパン、衛星劇場、WOWOW、各種のインターネットラジオ)など、音楽や映像をデジタルデータとして供給するコンテンツプロバイダーは、益々、そのプレゼンスを増してくるものと思います。因みに、ソニーからハイレゾ対応ウォークマン等のハイレゾ対応機器が発売されます。

http://d.hatena.ne.jp/bravi/20130302/p1

さて、クラシカジャパンのヴェルディ特番として、イタリア統一運動が活発化した激動の時代に大作曲家でありながら国会議員としても活躍したヴェルディの波乱の人生を描いたTVドラマの傑作「ヴェルディの生涯」(イタリア国営放送が制作した大河ドラマのようなもの)が放送されていますので、便器の日を記念してヨーロッパと日本のトイレ事情の比較文化論的な考察も交えながら少し書きしたためてみようかと思っています。

続く。

◆おまけ
先ず、歌劇王ヴェルディ弦楽四重奏曲ホ短調ロータス・カルテットの演奏でどうぞ。

次に、歌劇王ヴェルディピアノ曲(歌のないロマンツァ)をどうぞ。

最後に、リストがヴェルディの歌劇をピアノ演奏用に編曲した作品のうち、『歌劇「エルナーニ」演奏会用パラフレーズ』と『歌劇「ドン・カルロ」祝典の合唱と葬送行進曲』をどうぞ。リストは同年代の作曲家であるヴェルディワーグナーのオペラを数多くピアノ演奏用に編曲していますが、リストを初めとした当時のピアニストはグランドオペラへの憧れが強く、何とか歌手のようにピアノを歌わせることができないかと歌劇場に通い詰めては気に入ったフレーズをピアノ演奏用に編曲し、サロンで披露することが盛んに行われたと言われています。

NHK教育テレビ「茂山千作さんをしのんで」

【題名】茂山千作さんをしのんで
【放送】NHK教育テレビ
    平成25年6月8日(土)14時00分〜15時59分
【出演】演劇評論家 権藤芳一
    和泉流狂言師 野村萬人間国宝
    女優、落語家 三林京子
    観世流能楽師 片山幽雪(人間国宝
    和泉流狂言師 野村万作人間国宝
    大蔵流狂言師 茂山千作人間国宝
    大蔵流狂言師 茂山千之丞
    大蔵流狂言師 茂山忠三郎
    大蔵流狂言師 茂山千五郎
    大蔵流狂言師 茂山七五三
    司会 古谷敏郎
【曲目】狂言「素袍落」(大蔵流
      <太郎冠者>茂山千作
      <伯父>茂山忠三郎
      <主>茂山千五郎(十三世)
      <後見>茂山千三郎
    狂言「唐相撲」(大蔵流
      <帝王>茂山千作、茂山狂言会の皆さん
    狂言「棒縛」(大蔵流
      <次郎冠者>茂山千作
      <太郎冠者>茂山千之丞
      <後見>茂山千五郎(十三世)
      <後見>茂山七五三(二世)
    狂言「千切木」(大蔵流
      <太郎>茂山千作
      <亭主>茂山忠三郎
      <女房>茂山千之丞
      <太郎冠者>茂山千三郎
      <立衆>茂山千五郎(十三世)、茂山七五三(二世)
          茂山あきら、丸石やすし、松本薫、茂山正邦
    狂言「萩大名」(大蔵流
      <大名>茂山千作
      <太郎冠者>茂山千之丞
      <庭の亭主>茂山忠三郎
      <後見>茂山あきら、茂山良暢
    新作狂言「彦市ばなし」
      <彦市>茂山千之丞
      <殿様>茂山千作
      <後見>山本則俊
    ドラマ「なにわの源蔵事件帳」(第20話)
      <駒千根>三林京子
      <猫田久松>茂山千作
    狂言「千鳥」(大蔵流和泉流)」
      <太郎冠者>野村萬
      <酒屋>茂山千作
      <後見>茂山千三郎、野村扇丞
    スーパー狂言「ムツゴロウ」
      <社長>茂山千作
      <サラリーマン>茂山七五三、茂山狂言会の皆さん
      <笛>藤田六郎兵衛
      <小鼓>古賀裕己
      <大鼓>亀井広忠
      <太鼓>三島元太郎
    狂言「枕物狂(大蔵流)」
      <祖父>茂山千作
      <後見>木村正雄
      <地謡(地頭)>茂山千之丞
      <地謡>茂山七五三
      <地謡>茂山あきら
      <地謡松本薫
      <地謡茂山宗彦
      <地謡>茂山茂
      <小鼓>鵜澤寿
      <大鼓>安福建雄
    狂言「花子(大蔵流)」
      <夫>茂山千作
      <妻>茂山千之丞
      <後見>大藏彌右衛門
      <後見>茂山千五郎(十三世)
【感想】
去る5月23日に人間国宝にして狂言界初の文化勲章受章者である大蔵流狂言師茂山千作さんが他界されてから早くも3ケ月が経ちましたが、思えば、この僅か半年の間に時代を代表する歌舞伎俳優の中村勘三郎さん、市川團十郎さん、そして狂言役者の茂山千作さんと不幸が続き、その意味で今年は大きな時代の転換点、節目にあたる年であるとも言えそうです。今日は久しぶりに千作さんの舞台を観たいと思い立ち、予てから録り溜めていた千作さんの追悼番組を拝見しましたが、千作さんの懐の広い大らかな芸風と笑い声が鮮やかに記憶に蘇り、改めて掛け替えのない役者さんを失ってしまったという寂寥感、喪失感に打ちのめされる思いがします。


左は千作さん、右は弟の千之丞さん。「情の千作、知の千之丞」と言われていたとおり、ユニークな芸風と阿吽の呼吸でお互いを引き立たせて持ちつ持たれつの名コンビ振りが懐かしく偲ばれます。

この番組の中で、和泉流狂言師野村万作さんが千作さんの芸風について「“破格な” “型破りな” “大らかな” “発散する”芸風であり、聴衆の中に入り込んだ芸である」と評されていましたが、その意味では千作さんは肩肘を張らず気取らない誰にでも親しみ易い舞台が魅力であったと思いますし、また、和泉流狂言師野村萬さんは「千作さんは西で演技するときは柔らかく東で演技するときは固くやる」と語られていましたが、顧客の気質を見極めて硬軟の演技を使い分け、どこか気さくで茶目っ気を感じさせる人間味ある芸でいつも舞台を和やかなものにしていたと思います。萬さんは「能は謡、狂言は台詞が命脈だ」と語られていましたが、

http://www.soja.gr.jp/

因みに、僕が千作さんの舞台を最後に拝見したのは2008年3月20日の国立能楽堂に於ける狂言「月見座頭」だったと記憶しています。もう直ぐ仲秋の名月ですが、狂言「月見座頭」は座頭(盲人)が仲秋の名月にお月見をするという洒落た話で、座頭が野辺に出て虫の音に月見の風情を感じていると、そこへ通り掛った男と意気投合して酒宴となります。しかし、この男は座頭に悪戯をしてやろうと思い立ち、酒宴が終わって別れた後に再び座頭のもとへ引き返して別人を装って座頭を突き倒して逃げます。しかし、座頭は、突き倒して逃げた男と酒宴を楽しんだ男とは別人であると思い込み、突き倒して逃げた男は酒宴を楽しんだ男とは違って情けもない奴だと憤慨し、大きなくしゃみをして終曲になるという話です。前半の酒宴の場面は千作さんの大らかな芸が後半の悪戯の場面の千之丞さんの狡猾さを一層と引き立たせており、人間の業(暗黒面)に抗うことができない男の小悪党振りとそれに気付かない座頭の悲哀とがバランスよく絡み合って世の中の不条理と人間の滑稽さが浮き彫りとなって、思わず身につまされて苦笑いしてしまうような味わい深い舞台であったと記憶しています。この日は偶々橋掛り横の席に着座していましたが、千作さんが座頭に扮したまま揚げ幕へ引き上げられるときも非常に荒い息遣いが聞こえてきて、一曲一曲、命を削りながら舞台に立たれている姿を目の当たりにしたようで感服したことを思い出します。この頃になると千作さんの足腰も弱られた様子で、後見の支えがなければ着座した姿勢から立ち上がることが侭ならないようでしたので、生涯を舞台の上で全うされた役者人生だったんだなと感慨深く思い出されます。番組の最後に萬さんが以下の世阿弥の言葉を引用して千作さんを偲んでいらっしゃいましたが、生まれながらにして多くの観客に愛される愛嬌とは、正しく千作さんを一言で評するに相応しい言葉だと思われます。

「数人哀憐の愛嬌を持ちたらん生得は、芸人の冥加なるべし」世阿弥著「習道書」より)


左から月見座頭に因んで魚見塚展望台からの満月の夜のムーンライト、鴨川の夜景、漁師が沖合から来る魚の群れを見張っていたことから魚見塚と呼ばれています、誓いの丘には恋の成就を願って錠前が♥

なお、余談ですが、「座頭」とは、室町時代に形成された琵琶法師の「座」(芸能集団)の中の階級のことで、上から「検校」(けんぎよう),「別当」(べっとう),「勾当」(こうとう),「座頭」という4つの位が設けられていました。その後、江戸時代に入って幕府の障害者保護政策として「座」が利用されるようになり、障害者に対して按摩、鍼灸又は音楽家(琵琶、地歌三味線、箏曲、胡弓の演奏家、作曲家)の職業を排他的かつ独占的に許容しました。「六段の調べ」で有名な近世筝曲の開祖である八橋検校さんはご存知の方も多いと思いますし(京銘菓「八つ橋」は筝を象ったもので、八橋検校さんの名前に由来していることは有名)、俳優の勝新太郎が主演した映画「座頭市物語」の主人公である座頭の市なども有名です。因みに、座頭の市は実在の人物で、講談や浪曲でも有名な「天保水滸伝」にも登場する千葉県旭市飯岡町の侠客、飯岡助五郎(1859年没)の子分だったと言われていますが、学校で教えない歴史が文化、芸術の創作の源になっている好例ですな。(八橋検校座頭市については、改めて詳しく採り上げたいと思っています。)



左上から座頭市の住居跡(現在は水没していますが、150年前は海岸線だった龍王岬のあたりには出稼ぎ漁師が住む納屋が立ち並び、茨城県笠間から流れ着いた座頭市もここに住んでいたようです。「波止に喧嘩に強い盲人がいる」と恐れられていたという伝承が残されています。)、飯岡海岸に立つ天保水滸伝の碑、飯岡助五郎の墓、月岡芳年の浮世絵「飯岡助五郎」、飯岡海岸に立つ力石徹の像(漫画「あしたのジョー」のちばてつやさんは飯岡出身)、左下から飯岡灯台から見た飯岡の海、大利根河原の決闘の案内図、笹川繁蔵や平手造酒等の墓、清水次郎長国定忠治など関八州の大親分が一堂に会して花会を行った料亭「十一屋」
【地図】http://yahoo.jp/EygQF5

◆おまけ
月見座頭がなかったので、千作さんと千之丞さんの共演で素襖落を。

多少の脚色はありますが、史実、大利根河原の決闘を題材に描かれた座頭市物語。座頭の市をはじめとして飯岡助五郎、笹川繁蔵、平手造酒は実在した人物。

盲人を題材にしたオペラが見当たらないので適当に。

永遠に我々の記憶の中に...。衷心よりご冥福をお祈りします。フォーレのレクイエムより。

時の旅人 百史蹟巡礼(其の五) 〜 千葉が育んだ中近世日本文化の源泉を訪ねて 〜

【目次】

  狩野派の祖” 狩野正信(1434年〜1530年)千葉県いすみ市出身
    ◆狩野正信の碑(千葉県いすみ市

  “浮世絵の祖” 菱川師宣(1618年〜1694年)千葉県安房鋸南町出身
    ◆菱川師宣記念館(千葉県安房鋸南町
    
  “浪の伊八” 武志伊八郎信由(1751年〜1824年)千葉県鴨川市出身
    ◆“浪の伊八”の生誕地(千葉県鴨川市
    ◆行元寺旧書院(千葉県いすみ市
    ◆称念寺(千葉県長生郡長南町
    ◆飯綱寺(千葉県いすみ市
    ◆太東崎(千葉県いすみ市
    ◆いすみ市郷土資料館(千葉県いすみ市

【概要】
今日「海の日」は1876年に明治天皇が東北巡幸を終えて横浜港に帰港した7月20日を記念した国民の祝日でしたが、(祝日が宗教とは結び付いていない日本ならではの)ハッピーマンデー制度によって節操なく今年は今日15日が「海の日」となりました。その「海の日」に因んで、西洋文化(音楽や絵画)に多大な影響を与えた日本文化という切り口で、千葉が生んだ天才宮彫師“波の伊八”こと武志伊八郎信由を中心として、同じく千葉が生んだ“浮世絵の祖” 菱川師宣や“狩野派の祖” 狩野正信(京都の人かと思っていましたが、千葉の人だったんですね。)まで時代を遡り、これら千葉ゆかりの芸術家を育んだ土地を訪ね、その作品に触れることで、中近世日本文化萌芽のダイナミズムを感じてみることにしました。そろそろ子供たちは夏休みですが、夏休みの自由研究として“郷土が生んだ芸術家”を採り上げ、その作品に触れてみるのも良いかもしれません。


◆“狩野派の祖” 狩野正信(1434年〜1530年)千葉県いすみ市出身

筆様と模倣について書きます(現在、執筆中。続く。)





【狩野正信の碑(千葉県いすみ市)】
いすみ鉄道上総中川駅の近隣にある狩野正信の生誕地に記念碑が建てられています。なお、今秋、いすみ鉄道を採り上げたNHK−BSドラマ「菜の花ラインに乗りかえて」が放映される予定なので楽しみです。写真は本多忠勝の居城であった大多喜城を背景に小谷松駅から大多喜駅へ向かういすみ鉄道を撮影したものですが、いすみ鉄道の沿線には地方ローカル線の風情を湛えた鉄道マニア垂涎の撮影スポットが多く残されています。

地図:http://yahoo.jp/xx_-vr 


◆“浮世絵の祖” 菱川師宣(1618年〜1694年)千葉県安房鋸南町出身

漢画と土佐派について書きます(現在、執筆中。続く。)



なお、菱川師宣美術館の近くに、千葉にゆかりの日本画家、東山魁夷や酒井亜人を初めとした現代アートの作品を数多く展示している金谷美術館があります。

菱川師宣記念館(千葉県安房鋸南町)】
菱川師宣記念館前には師宣の代表作である浮世絵「見返り美人図」の彫像があります。一見、涼しげに見える「見返り美人図」ですが、こうして立体的にして観ると師宣の大胆なデフォルメに気付きます。師宣が故郷保田の寺社に寄進した梵鐘で、第2次世界大戦の金属回収令により滅失しましたが、それを復元したものです。

地図:http://yahoo.jp/yCeAMm


◆“浪の伊八” 武志伊八郎信由(1751年〜1824年)千葉県鴨川市出身

いくつかの作品解説、葛飾北斎及び西洋文化(音楽、絵画)への影響と模倣について書きます(現在、執筆中。続く。)



葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」


ドビュッシー交響詩「海」初版譜表紙

葛飾北斎に多大なインスピレーションを与えて「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を生み出す切っ掛けになった“波の伊八”の傑作である行元寺旧書院の欄間「波に宝珠」を観たときの興奮が未だに覚めません。フランスに「一枚の絵は百の言葉を語る」という諺がありますが、正しくこの作品の前に立つと、様々なインスピレーションが溢れ出してくるような感覚に襲われます。真の芸術は時間を超越すると言いますが、作品が持つ永遠の生命力、圧倒的な存在感に打ちのめされるような思いです。
 
【“浪の伊八”の生誕地(千葉県鴨川市)】
現在は小学校裏手の墓地になっていますが、丁度、この辺に浪の伊八が生まれ育った生家があり、その後ろの水田のあたりに工房を構えて、小さい作品は工房で、大きな作品は現地に泊まり込みで創作に没頭したと伝えられています。

地図:http://yahoo.jp/rP0NDP

【行元寺旧書院(千葉県いすみ市)】
行元寺旧書院欄間「波と宝珠」は行元寺に隣接する旧書院(客間)にありますが、これは表面で裏から見ると葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を彷彿とさせる図柄になっています。

地図:http://yahoo.jp/Vb8gzy

称念寺(千葉県長生郡長南町)】
称念寺本堂欄間「龍三態」ですが、いつも本堂のガラス戸には鍵が掛けられているのでガラス越しにしか拝見できません。これだけの作品を埋もれさせておくのは口惜しく(仮にこの欄間が個人又は団体の所有物であるとしても、法が体現する価値を超越し、その芸術的な価値は現在及び将来の人類にとっての資産でもあると思います。)、千葉県が助成するなどして一般公開すると共に、作品の痛みが激しいので早急に必要な修復を施すなど適切な作品の保存に努めるべきではないかと痛感します。

地図:http://yahoo.jp/xkK50x

【飯綱寺(千葉県いすみ市)】
飯綱寺本堂欄間「天狗と牛若丸」と「波と飛龍」があります。牛若丸と言えば、源頼朝石橋山の戦いで敗れて真鶴岬【1】から舟で落ち延びてきたのが鋸南町竜島【2】菱川師宣記念館の近く)なので、千葉には頼朝に縁の場所が多いです。因みに、この近くに太東灯台と僕の隠れ家“cafe GAKE”もあります。

地図:http://yahoo.jp/SS9Lbj

太東崎(千葉県いすみ市)】
“浪の伊八”は「波と宝珠」を創作するにあたり馬で太東崎の海に入って浪を模写したと言われています(波が砕ける瞬間をご覧下さい。伊八も北斎も波が砕ける瞬間を粒さに観察したはずです。)。因みに、この近くに飯綱寺と僕の隠れ家“cafe GAKE”もあります。なお、以前、このブログで「くも」や「あめ」などを意味する漢字にも色々な種類があると書きましたが、「なみ」も同様で「波、浪、濤(涛)、瀾」と種類と豊富です。「波」は波全般を指す広い意味を持ち、「浪」は海よりも川の波、「濤(涛)」は大きな波、「瀾」は勢いのよい大きな波、「漣」はさざなみを示すそうなので、その作風からは“瀾の伊八”と呼ぶべきなのかもしれません。現代の日本人はアスファルトに固められた自然とは隔絶された人工の街で生活していますが、昔の日本人にとって自然は生活の一部であり、自然の繊細な表情の違いを敏感に感じ取ることができる豊かな感受性を持っていたのかもしれません。

地図:http://yahoo.jp/oeKcSn

いすみ市郷土資料館(千葉県いすみ市)】
“浪の伊八”を初めとする数々の作品を真近に拝見することができるので(入館無料)、作品の生命力、息吹を身近に感じることができます。欄間「波に鯉」が展示されていますが、鯉なので海ではありませんが、すべり落ちるような川の流れの勢いとその流れが様々に表情を変化させる様子を繊細かつ滑らかな曲線で見事に表現しています。

地図:http://yahoo.jp/mBMg4x 
   
芸術を理解するということはその時代や土地を理解することに他ならず、同じ時代の異なるジャンルの芸術に触れ、その芸術が育まれた「水」に馴染むことが芸術を理解することにつながると思います。今後も芸術家又はその作品にゆかりの土地を訪ねて紹介する「時の旅人」をシリーズとして続けて行きたいと思っています。先ずは、僕が住む千葉県を中心として、徐々に全国(世界)の芸術が育まれた土地の歴史を訪ね、時代を旅していきたいと思っています。

http://tabikore.com/u/862

【番外編】

平成25年10月9日(水)22時〜 BSプレミアム
いすみ鉄道(千葉県いすみ市)を採り上げたNHK−BSドラマ「菜の花ラインに乗りかえて」が放映されます。いすみ鉄道の沿線には地方ローカル線の風情を湛えた鉄道マニア垂涎の撮影スポットも多く残されていますので、ドラマと共に景色もお楽しみあれ。
http://www.nhk.or.jp/chiba/nanohana/index.html


この季節は樹木や雑草が鬱蒼と生い茂って風情がありませんが、菜の花が咲く季節は色とりどりの春の花に彩られ(左から1枚目:春先は桜のトンネルから出てくるいすみ鉄道、左から2枚目:春先は菜の花に覆われるいすみ鉄道)、さながらいすみ鉄道が春の香りを運んできてくれているような風情を湛えています。一番右の絵は片岡鶴太郎さんがいすみ鉄道とドラマのイメージを絵にしたものですが、まるでいすみ鉄道が菜の花の香りに包まれているようで、いすみ鉄道や(おそらく)ドラマのイメージを本当によく表現されていると思います。カメラを片手にいすみ鉄道のぶらり旅で春の風情(これからの季節は秋の風情も楽しみ)を堪能されてみてはいかが。

◆おまけ
「海」に纏わる音楽を何曲かご紹介しておきましょう。

ドビュッシー(1862年〜1918年) 交響詩「海」

ラヴェル(1875年〜1937年) 組曲「鏡」より“海原の小舟”

エルガー(1857年〜1934年) 歌曲「海の絵」

レ・ミゼラブル(原題 Les Misérables)

【題名】レ・ミゼラブル(原題 Les Miserables)
【監督】トム・フーパー
【原作】ヴィクトル・ユーゴー
【脚本】クロード=ミシェル・シェーンベルク
    アラン・ブーブリル
    ハーバート・クレッツマー
    ウィリアム・ニコルソン
【音楽】クロード=ミシェル・シェーンベルク
【出演】ジャン・バルジャン ヒュー・ジャックマン
    ジャベール ラッセル・クロウ
    ファンティーヌ アン・ハサウェイ
【収録】2012年(イギリス)
【感想】
昨日7月7日はロマンチックにも織姫星(こと座の1等星ベガ)と夏彦星(わし座の1等星アルタイル)が天の川を挟んで見つめ合う七夕でしたが、今日7月8日は物々しくも160年前(1853年)にペリー率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊が浦賀沖(久里浜)に来航して大砲を挟んで睨み合った日でした。NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公、山本八重さんは1845年生れ、ペリー来航から僅か15年後の1868年(未だ23歳の若さ!)に会津戦争を経て明治維新となりますので、ペリー来航を契機として日本が一気に開国、倒幕へと雪崩込んだ時代の節目にあたる激動期です。因みに、日本初のグランドオペラ山田耕筰が作曲した歌劇「黒船」で、黒船来航と同時代に名声を博していた作曲家にはシューマン、リスト、ワーグナーヴェルディなどがいます。当時、黒船視察に来た吉田松陰佐久間象山などが宿泊した徳田屋跡が残されていますので、当時の日本人が黒船(新しい時代)をどのように見通していたのか思いを馳せてみるも良し、また、久里浜港(神奈川県横須賀市)から金谷港(千葉県富津市)まで東京湾フェリーが就航していますので、黒船(米国)から日本という国がどのように見えていたのか思いを馳せてみるも良し、一年に一度くらい、近代日本の原点に立ち戻り、世界の中の日本という視点で、この国を見つめ直してみるのも良いかもしれません。

Soft BankのiPhone用のアプリ“Star Walk”を使って、星座の地図を紐解きながらギリシャ神話の世界を旅してみてはいかが。


左から当時の久里浜、黒船サスケハナ号、現代の久里浜、黒船が停泊していたあたり

左から東京湾から三浦半島、男の海東京湾、鋸山から三浦半島(小さく見えるのが東京湾フェリー)、金谷港の東京湾フェリー

なお、金谷港を見下ろすように聳え立っているのが鋸山(のこぎりやま)で、房州石と呼ばれる良質の石材が採掘されることから江戸時代から盛んに採石が行われ、現在も石切場跡が残存しています。その露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることから「鋸山」と呼ばれています。とりわけ「地獄のぞき」はその美しい眺望と共に観光名所として知られています。その急峻な断崖絶壁を前にすると思い切りチビリってしまいますが、そんなことはどうでもよくなってしまうくらい本当に恐ろしいところです。実際に行ってみると分かりますが、自然と足が震えてきて、腰が引けるとうか抜けるというか、上半身と下半身が完全に分離されてしまったような無様なことになってしまいます。僕も鉄柵にへばりついているのがやっとでした。お試しあれ。


左から横から見た地獄のぞき、後から見た地獄のぞき、海岸線の眺望、百尺観音

さて、皆さんご案内のとおり諸事情あって、とうとう映画館には観に行けず仕舞いになってしまったミュージカル映画レ・ミゼラブル」ですが(こういう作品こそ音響設備の良い映画館で観たかったのですが…)、早くもDVDがリリースされたのでTUTAYAで借りて観ることにしました。アメリカからやってきたと言えば黒船のほかに忘れてはならないのがミュージカル...どんなに運命に翻弄されながらも人生の素晴らしさを高らかに歌い上げて行く“人生の賛歌”ともいうべきミュージカルは、人生に行き詰ったときや落ち込んだときに観ると生きる勇気のようなものを与えてくれます。

現在、感想を執筆中。

続く。


光と風をかんじて・・・展(ホキ美術館)

【演題】光と風をかんじて・・・展
【展示】五味文彦「蘭」(2011年)
    五味文彦「パンのある静物」(2002年)
    青木敏郎「白デルフトと染付の焼物の静物」(2012年)
    生島浩「SUN SHOWER」(2002年)
    島村信之「藤寝椅子」(2007年)
    島村信之「日差し」(2009年)
    野田弘志「アナスタシア」(2008年)
    森本草介「光りの方へ」(2004年)
    渡抜亮「照らされた影」(2011年)
    石黒賢一郎「VISTA DE NAJERA」(2005年)
    島村信之「響き」(2010年)
    安彦文平「九九鳴き浜の蘇生」(2012年)
    森本草介「横になるポーズ」(1998年)
    森本草介「川辺の風景」(2003年)
    五味文彦「樹影は蒼く匂う」(2011年)
    藤原秀一「待ちぶせ」(2011年)
    野田弘志「『崇高なるもの』OP.2」(2012年)
    安彦文平「九九鳴き浜の蘇生」(2012年)   ほか多数
【会場】ホキ美術館
【料金】1800円
【感想】
今日は暑からず寒からず丁度良い陽気だったので、千葉県いずみ市(九十九里)にある「海と空しか見えない崖の上の小さなcafe“GAKE”」という喫茶店と千葉県千葉市そ(外房線土気駅)の「ホキ美術館」に行ってきました。

cafe“GAKE”は、その店名のとおり外房黒潮ライン(国道128号線)から少し湾岸線へ入った人里離れた崖の上にある喫茶店で、九十九里の海を一望できる眺望が人気のスポットです。湘南の海と違って九十九里の海は夕日を拝むことはできませんが、朝日の眩い陽光とエメラルドグリーンの海は絶景です。今日は生憎の曇天でしたが、天気が良いと写真には映し切れない空と海の美しさに息を呑みます。神奈川県の絶景スポットである湘南平や横須賀中央公園等とは趣を異にして、本当に都会の喧騒とは隔絶された別天地で、大人の隠れ家というに相応しい風情を湛えています。圧倒されるような広大な海と空に覆われ、遥か上空を勇壮に鳶が旋回し、まるで自然が刻む雄大な時の流れの中を漂っているような気分に浸れます。この店手造りの上品な甘さのスウィーツとお茶を頂きながら、大切な人と海を眺めながら落ち着いて語り合うも良し、また、店の前が芝生の庭になっているのでMyチェアと本、お気に入りの音楽を持参して贅沢な休日を過ごしてみるのはいかが。店内には古本、古道具、美術品、骨董品などのアンティークな品々が所狭しと飾られていて雰囲気があります。これらのアンティークは販売もしているようなので、お気に入りの逸品を大切な人にプレゼントしてみても良いかもしれません。
http://locoplace.jp/t000355821/


左から、崖の上へと続く入口の坂道、一軒屋の喫茶店、店正面からの絶景、ビビリながらシャッターを切った崖の下

左から、地球の丸みを帯びた水平線、喫茶店近くの岩場、浜辺で砂遊びをする子供達(カワユイ)、手前はコマ犬のような形の岩


さて、cafe“GAKE”を後にして、そこから車で40分くらいの距離にある閑静な住宅街の中にある日本初の写実主義絵画専門の美術館である「ホキ美術館」へ行くことにしました。先ず、美術館の建築ですが、「1対1で写実絵画と向き合える場所を作り、公開したい」という思いのもとに「自然の一部となれる場所を選び、自然光を展示空間へと導き入れることで森の中を散策しながら絵画を鑑賞しているような状態」を作ることをコンセプトに建設されたそうです。採光や照明が工夫されていてまるで森の中を散策しているときのような柔らかい光に満たされた空間で絵画を鑑賞することができます。建物の内装は1階と地下1階は白、地下2階は黒で統一され、自然の採光と人工の照明を上手く使い分けながら色々な種類又は意味の「光」を感じさせる工夫が施されています。また、建物の外観や内観は人工物の象徴である直線又は直面を排した緩やかな流線形は風や水の流れを想起させ、まるで光や風に満たされた自然の中の一場面を切り出したように写実絵画が展示されているという趣向です。(内観の写真撮影は禁止されていましたので、実際に足を運んで自分の感性で感じとってみて下さい。)
http://www.hoki-museum.jp/


左から、3枚はホキ美術館の外観、最後は隣接する昭和の森公園

現在、感想を執筆中。他人の感想を読むよりも、画集を捲るよりも、実際に足をお運んで絵を前にして色々と感じ採って下さい。

続く。

※これらは写真ではなく絵画です。
 
【島村信之】


「響き」(2010年)


左から「藤寝椅子」(2007年)、「日差し」(2009年)

【生島浩】


左から「SUN SHOWER」(2002年)、「Card Card」(2005年)

森本草介


「光りの方へ」(2004年)

野田弘志

左から「アナスタシア」(2008年)、「『崇高なるもの』OP.2」(2012年)

五味文彦


「樹影は蒼く匂う」(2011年)


「レモンのある静物」(2009年)

【藤原秀一】


左から「石見海岸」(2011年)、「待ちぶせ」(2011年)

【安彦文平】


「九九鳴き浜の蘇生」(2012年)

石黒賢一郎】


SHAFT TOWER(赤平)」(2010年)

現在、感想を執筆中。他人の感想を読むよりも、画集を捲るよりも、実際に足をお運んで絵を前にして色々と感じ採って下さい。

続く。

ティーレマンと語るベートヴェン「運命」

【題名】ティーレマンと語るベートヴェン「運命」
【監督】クリストフ・エンゲル
【出演】クリスティアンティーレマン(指揮者)
    ヨアヒム・カイザー(評論家)
【曲目】ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」
     <Cond.>クリスティアンティーレマン
     <Orch.>ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
【放送】クラシカJAPAN
    平成25年5月18日(土)10時00分〜11時45分
【感想】
このブログの右欄にあるプロフィールの詳細をご覧頂くと分かりますが、僕は昔から「スナフキン」というハンドルネームを愛用しています。ご案内のとおりトーベ・ヤンソンの小説「ムーミン」(主人公のムーミントロールは「カバ」ではなくスウェーデンの「妖精」という設定です)を題材にして日本でも放映されたTVアニメ「楽しいムーミン一家」の中に出てくるキャラクターの1つです。スナフキンというのは英語表記名(スウェーデン語ではスヌス・ムムリク)で、その人生観や世界観によって親友であるムーミントロール等に影響を与えています。スナフキンは自由と孤独を愛する吟遊詩人で、一人旅を好み、ムーミン谷の中ではムーミントロールなどごく一部の人に対してのみ心を許しますが、基本的に人付き合いが煩わしく、それ以外の人に対してはひどく無愛想というキャラクター設定になっています。何故、僕が「スナフキン」というハンドルネームを使っているのかと言えば、僕の為人がスナフキンのキャラクター設定と驚くほど一致しスナフキンの言動に深く共感する(というより僕にとっての必然である)ことが多いことから、自分自身を理解するための便として昔からスナフキンというキャラクターは僕にとって掛け替えのない存在なのです。「ムーミン谷のひみつ」(冨原真弓著/ちくま文庫)という本の中でスナフキンについて興味深い分析が加えられていますので、以下に少しご紹介しておきます。好むと好まざるとに拘わらず、この分析によって浮き彫りにされているスナフキンの特徴は、僕の性格や思想、信条を多かれ少なかれ言い当てるものでもあり、この本を読みながら身につまされる思いがして、何やらこそばゆい感じがします。

ムーミントロールスナフキンに対する友情は片思いに近い。友情にも、恋愛と同じように、片思いはある。当事者のふたりが、きっかり同程度に好意をいただきあうのは、むしろめずらしい。たいていはどちらかが寂しい思いをする。…ムーミントロールは手放しでスナフキンを崇拝し、いつもいっしょにいたいと考えるが、スナフキンはときとして自分だけの世界を友情よりも優先する。

この本では、スナフキンについて「決して徒党を組まず、冬になるとムーミン谷を去って、独り気ままな旅に出る。孤独と静寂を愛し、この2つを守る為には時にハードボイルドになる。親友のムーミントロールに対しても細やかな配慮はするが、常に一定の距離を保ち無暗にベタベタはしない。」と分析を加えています。僕の半生を振り返ると、ここで分析されているムーミントロールスナフキンの関係に類似する状況に思い当たることが多いです。スナフキンは孤独と静寂を愛し、自分の世界を大切にしていきたいと考えていることが伺えますが、(どちらが正しい又は間違っているかという正否の問題ではなく)そのようなスナフキンの生き方にシンパシー(共感というより僕にとっての必然)を感じます。命とは「神から与えられた時間」のことだと言いますが、この分析が示すところを煎じ詰めて考えれば、その神から与えられた時間の使い方をどのように「選択」するのか(自分の人生で何を優先するのか)という問題を示していると思います。とりわけ僕のように人生の折返し地点を過ぎて残された人生の時間に思いを馳せるとき「何をするのか」(夢を拡げて行く)ということよりも「何をしないのか」という「選択」(人生に折り合いを付けて行く)が重要になってきます。死の床に在って(少なからず後悔や心残りはあるとは思いますが)自分の人生はマズマズであったと思えるような「選択」をして行きたいものだと常々心掛けています。

時と所をわきまえぬ押しつけがましい称賛はうっとおしい。のみならず、危険である。称賛する相手に自分を重ねあわせて、エゴを勝手に膨らませ、本来の姿を見失ってしまうこともある。

スナフキンは「だれかをあんまり崇拝しすぎると、ほんとうには自由にはなれないんだよ」と語っていますが、他の誰でもない自分として生きることに満足している独立した人格(「個」として確立している成熟した精神)でなければ本当の自由は得られないという趣旨と理解します。この点、前回、チェリビダッケの言葉を紹介しましたが、芸術を鑑賞するということは作品を写し鏡として作者と対話することによって自分自身を見つめ直すことに他ならず、そこに作品を媒介として自分自身にとっての真実を見い出したときに様々な執着から心が解き放たれ、精神の自由な飛翔が可能になる、それが芸術鑑賞の醍醐味ではないかと思います。現代は商業主義に踊らされた流行・風俗(一過性の社会現象、受動的な消費)のみが氾濫し、時代の風雪に耐え得る真の文化(永続的な創造的営み、能動的な受容)と呼べるようなものが育まれ難くなってしまいましたが、他者に共感を求める生き方よりも、自分自身に素直であろうとするスナフキンの生き方が本当に自由ということであり、また、そのような生き方が世の中に多様性を生み、創造力の源泉となるものではないかと思います。

かれらが「とてもしあわせな家族」なのは、ひとりひとりの自由が保障されているからだ。孤独でいる自由。思想と表現の自由、プライヴァシーの自由である。互いに干渉せずにいるには、ときとして強い意志の力が必要だ。相手がたいせつな存在であれば、なおさらである。けれどもムーミンたちは、互いの自立がしあわせの基礎だと知っている。..ムーミンたちの価値観や生活様式には、伝統や安定を是とするブルジョワ的なものと、自由や気楽さを重視するボヘミアン的なものが、かなり無頓着に混じりあっている。ブルジョワの戯画というべきフィリフヨンカや一部のヘルムのように、古くさい習慣やモノにむやみに囚われることもないが、ボヘミアンの理想というべきスナフキンやミィほど、みごとにふっきれてもいない。

本来、ボヘミアンとは、定職を持たない芸術家や作家又は世間に背を向けた者など伝統的な暮らしや習慣にこだわらない自由奔放な生活をしている者を指し、良く言えば「簡素な暮らしで、高尚な哲学を生活の主体とし、奔放で不可解」、悪く言えば「貧困な暮らしで、アルコールやドラッグを生活の主体とし、セックスや身だしなみにだらしない」という意味で使われます。プッチーニの歌劇「ボエーム」やミュージカル「ムーラン・ルージュ」もボヘミアンを題材にした舞台ですが、芸術家の根底には多かれ少なかれスナフキンのようなボヘミアニズム(伝統に縛られない斬新さ、自分の表現意欲に素直でいられる自由な心...)があるような気がしています。ショスタコーヴィチは自らの表現意欲に忠実でありたいとスターリン政権との文字通り命懸けの(創作過程における)闘いを繰り広げた話は有名ですが、芸術の源は「自由」にあり、だからそこスナフキンのような生き方に憧憬と共に強い共感(というより僕にとっての必然)を覚えます。

ミュージカル「ムーラン・ルージュ

プッチーニの歌劇「ボエーム」

「雨に濡れたつ おさびし山よ 我に語れ 君の涙の その訳を」(吟遊詩人スナフキン

ムーミン谷のひみつ (ちくま文庫)

ムーミン谷のひみつ (ちくま文庫)

さて、クラシカJAPANで「ティーレマンと語るベートヴェン「運命」」という番組が放送されていたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。音楽評論家のヨハヒム・カイザーがVPOとの間で新しいベートーヴェン交響曲全集を完成させた指揮者のクリスティアンティーレマンベートーヴェン「運命」の性格や特徴、さらには独自解釈を討論するという内容です。フルトヴェングラーカラヤンバーンスタインパーヴォ・ヤルヴィなど、さまざまな指揮者の演奏との比較も出てきて興味深いです。

...続く。現在、執筆中。




ドキュメンタリー「チェリビダッケ/ただ音楽に身をゆだねて」

【題名】ドキュメンタリー「チェリビダッケ/ただ音楽に身をゆだねて」(原題:Celibidache)
【監督】ヤン・シュミット=ガレ
【出演】セルジウ・チェリビダッケ
    ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団&同合唱団
    ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
    シンフォニエッタ・ヴェネタ
    フェニックス四重奏団
    コレギウム・ムジクム・マインツ   他
【曲目】ブルックナー ミサ曲第3番へ短調WAB.28
    ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」WAB.104
    ロカテッリ 合奏協奏曲ヘ短調Op.1-8「クリスマス」
    JSバッハ クリスマス・オラトリオBWV.248
    バルトーク 弦楽のためのディヴェルティメントSz.113
    ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調Op.125「合唱」より第2楽章
    ベートーヴェン 劇音楽『エグモント』Op.84より序曲
    ブラームス 弦楽四重奏曲第2番イ短調Op.51-2
    ヴェルディ 歌劇『運命の力』〜序曲
    モーツァルト ディヴェルティメント第15番変ロ長調K.287(271H)  他
【放送】クラシカJAPAN
    平成25年5月18日(土)10時00分〜11時45分
【感想】
日中は汗ばむ陽気になり早い会社では既にクールヴィズが始まったところもありますが、システム化された社会にあって機能性・効率性が何よりも尊重される時代となり、平成のチョンマゲと言われる「ネクタイ」は徐々に廃れて行く運命にあるのかもしれません。ところで、自宅近隣の水田はGWに田植えを終えましたが、僅かこの2週間で稲はスクスクと成長し、日差しに映えて眩かった水田が今では新緑に覆い尽くされています。千葉での田舎暮しを始めたこの5ケ月はカルチャーショックの連続で、食農分離が進んだ都会暮しが多かった僕の人生で、こんなに「食」と「農」を密接に感じたことはありません。お米と言えば、一年中、スーパーに行けば精米されて袋詰めされたものが山積みにされていて、いつでもお金を出せば「買える」ものだという貧困なイメージしか思っていましたが、こうして日常生活の中で身近に稲作に触れる機会に恵まれると、やはりお米は農家の方々が手塩に掛けて育てた汗と努力の賜物であり、自然の恵みであることを肌感覚で実感できます。昔の日本は「食」と「農」が密接であったと思いますが、現代の日本は飽食の時代を向えて高度にシステム化された社会へと変貌したことにより食農分離が一層と進んで「食」に対する意識が昔とは随分と異なったものになったように感じます。即ち、昔は「食」(消費、命)が「農」(生産、自然の恵み)との連続性の中で捉えられていたと思いますが、社会が高度にシステム化されるに伴って「食」(消費、命)が「農」(生産、自然の恵み)とは断続した人工(加工)のものとして「流通」されるようになった結果、徐々に「食」に対する意識に変化(例えば、一元論的な世界観から二元論的な世界観への変遷など)が生まれてきたのかもしれません。そいった社会背景を受けて最近では再び昔の日本人が持っていた「食」に対する鋭敏な感覚(このような感覚が一元論的な世界観を背景として「自然」に対する畏敬、崇拝や共生観念を生み、ひいては日本の伝統芸能に対する感受性、創造性を育む基になるものだと僕は考えています)を取り戻そうと「食育」ということが見直されるようになっています。僕も千葉の田舎暮しを始めたことを契機として「食」ということの根源的な意味を考え直したいと思い立ち、「ブログの枕」として秋の稲穂の刈入れまで水田の観察日記を続けていきたいと思っています。


近所の水田風景(2013/05/18)千葉は早場米の産地として知られ、9月には新米が店頭に並びます。

今日は以前から録り溜めていたクラシカJAPANで放映されていたドキュメント「チェリビダッケ/ただ音楽に身をゆだねて」を観ることにしました。映像作家ヤン・シュミット=ガレがチェリビダッケに1988年から3年間密着したドキュメンタリー映画です。厳しいリハーサル風景やインタビューなどからレコーディングを拒否し生演奏に拘ったチェリビダッケの音楽観、哲学、音楽の本質へと迫って行くプロセスなどを明らかにして行くという内容で、きちんと咀嚼するのは長い時を要するような含蓄のある金言の宝庫です。今後、音楽について考えるときのヒントになることが詰まっていますので、ご参考までにその一部を以下にご紹介しておきたいと思います。

いつも彼が重視しているのはオーケストラであれ個人であれ単なる音からどうやって音楽を生み出すかということだった。

私は美を求めてはいません。もちろん芸術に美は必要です。でもそれは最終目標ではない。いわば釣り餌のようなものです。美しさがなければ、そこには到達できません。シラーは言っています。『美を超えて初めて真実に気づく』と。真実とは何か、それは理解するものではなく体験するものです。

真実とは何だろうと繰り返し考えました。そして他の知識人と同様に真実を具体的に示そうとしました。真実といえるものを取り出して見せようとしたのです。でもうまくいきませんでした。音楽とは何でしょう。音楽とは定義不可能なので、思考を超えた所にあるものです。思考を通して生み出されながら、思考を超越しています。練習ではすべてを秩序づけ思考しながら構成を試みます。しかし音楽が生まれる時には、すべてを超越しているのです。

チェリビダッケの言葉の本質をどこまで捉えられているのか自信はありませんが、音楽の現象面として表出する「美」やそこに至る「思考」を超越したところに音楽の「真実」があり、それは「理解」ではなく「体験」によって得られるものだという趣旨のことを言っています。即ち、「美」や「思考」は音楽の「真実」に迫る為の手段であり、その目的である音楽の「真実」とは「理解」(外在的な心的作用)によって得られるものではなく「体験」(内在的な心的作用)を通して得られるものなので定義不可能だとも言っています。よく音楽を聴くのは極めて「個人的な体験」であると言われますが、この文脈で捉え直すとなるほど得心できます。

解釈とは何だろうか。作曲家の意図を認識するプロセスにほかならない。作曲家も経験から出発してそれを楽譜に書き留めたのだ。我々は楽譜から出発して作曲家の経験に到達する。作曲家がすべてを楽譜に書き表したとは限らない。

伝統などないことを知るべきだ。伝統は歴史とともに生まれ変わるものだ。古い伝統にしがみつくのは単なる無能でしかない。

自分の耳で聴き、つかみ始めた。知識にとらわれずにね。知識とは過去にとらわれることだ。ところが私が批判すると君達は自発性を失ってしまう。だが真実は自分自身の力でつかまなければならない。真実とは解釈できるものではない認識できない事実もある。

今やっているのは楽譜の陰の真実を見つけることにほかならない。私は「こうしなさい、こうでなければいけない」とは言わない。そうではなくて我々の意思の届かぬ所にあるものを見出すのだ。私が「こうしなさい」と言えば皆は私の真似をするだけだ。だが君達に体験してほしいのは楽譜の裏側にあるものを思考を超越してつかむことだ。

練習は音楽ではない。「〜するな」の連続だ。「速過ぎるな」「大き過ぎるな」「ぶらぶらするな」「だめ、だめ、だめ」いったい何回ノーと言うのだろう。それに対してイエスは1回だけだ。

上記は音楽を聴く立場から語られた言葉ですが、音楽を演奏する立場からも同様に音楽の真実は「思考」の過程(楽譜の解釈)を経て到達する「体験」(作曲家の経験)だと語っています。よく音楽は「どう表現するか」ではなく「何を表現するか」だと言われますが、楽譜から作曲家の何を掴み取って表現するのか、それが(単なる耽美的な演奏とは異なる)内容のある演奏ということだと思います。「こうしなさい」という指導は「どう表現するか」の指導であって、(演奏者の体験によって得られる)音楽の真実に迫るための指導ではありません。従って、音楽の真実に迫るための指導とはそのための阻害要因(音楽と向き合い音楽の真実に迫ることを忘れ、「何を表現するか」ではなく「どう表現するか」に拘泥している演奏者の作為)を排除するための「〜するな」というチェリの指導方針に収斂していくことになるのだと思います。

曲と取り組む時、最初の問題は全体がつかめないことだ。全体のアーティキュレーションはどう区分できるのだろうか。全体はひとつなのではなく幾つかの部分から成っている。造を解き明かさなければ、君たちは音楽を体験することなくスコアの奴隷になるだけだ。

ハイドンでも現代曲でも未知の曲に取り組む方法は同じです。最初からスコアを読み1回、2回、3回と繰り返す。だんだん主題が見分けられ、相互関係がつかめてくる。そして最後と最初の関係が体験できたら、その曲は私のものです。作曲家よりも深く、その作品を知ることになります。実際に作曲家にそう言われたこともあります。ただ私には作曲する才能がない。楽譜から関係を体験するのみです。ダラピッコラの半音階技法が何を意味するのかと質問したら「我々の生きている混沌を表した」という答えでした。でも音楽は「物」を表すのではない。音楽が表すのはその人自身です。そこがすばらしい点なのです。

音楽的フレーズにおいて意味とは何だろう。音の連なりは構造を生み出し、冒頭と終結の間が関係で結ばれることになる。冒頭で約束されたことが終結で具体化されている時が曲が終わるということだ。関係とはある瞬間と次の瞬間を結ぶ関係のことではない。さまざまな瞬間を経て時を超え、冒頭と終結を同時に体験することだ。全体の構造を体験するのに前提となるのは何だろうか、冒頭と終結、そして部分どうしの絶対的な相互関係だ。部分ではなく全体を感じたとき私の中で何が起こったのだろうか、統合です、いつ統合できるかね、部分どうしに相互関係がある時です。

上記は音楽の真実へと迫って行くプロセスについて語られています。これを音楽受容の在り方、観客の態度に焼き直して考えてみるとよく「楽章間は音楽か?」ということが言われますが、チェリが語るように冒頭から終結までを通して聴いて初めて音楽の真実に迫ることができるのだと思いますし、その意味で僕は楽章間も音楽の一部だと思っています。従って、楽章間の拍手には反対ですし、音楽の流れ(文脈)を途切れさせてしまうような観客の無神経な態度には不快感を禁じ得ません。また、演奏者が構えを解くまでは音楽は続いているのであって(休符や無音も音楽の一部)、音が鳴っていないのだから雑音(生理現象として出てしまう咳等はある程度仕方がありませんが)を発しても良いだろうと勘違いしている観客や終演時に未だ演奏家が構えを解いていないのに拍手を始める観客がいますが、果たして、この観客は音楽の真実に迫ることができているのだろうか(そもそも音楽に接する態度ができていないのではないか)と不憫に思えてなりません。なお、古典派の時代には各楽章がバラバラに演奏されたこともありますが、そのような音楽受容の在り方が作曲家の純粋な表現意図に沿うものだったのか又は作品にとって本当に幸福だったのかは甚だ疑問です。

ここには生きた音楽作りしかない。大切なのは今響く音だけだ。音楽は保存できるものではない。だから彼は演奏を録音しない。過去を保存し揃えておこうとは考えないのだ。だがコンサートでは聴衆も創造を直接体験できる。生まれた音は消えてしまうが時間の超越を体験できるのだ。

何かが動き出してもその中にいると気づかない。長すぎるか短すぎると感じる時は、音楽の外に出ている。音楽の中では時間を超えて生きるのだ。音楽は時計で計れるものではない。長いとか短いとかいうのは外側から眺めた場合の言い方だ。ヴェネツィアサン・マルコ大聖堂での演奏では時間など感じていなかった。1年に100回指揮するうち3回もうまくいけばいい方だ。

定義不可能なことは起こるに任せるしかありません。何もせずに生じさせるのです。ただ音楽の流れを妨げることが起こらないよう見守るのみです。つまり非常に能動的でありながらある部分では受動的です。意志で作り出すのではなく生み出されるのです。

レコーディングを拒否し生演奏に拘ったチェリの音楽観を窺い知ることができる金言です。チェリは日本の禅にも興味を示していたと言いますが、禅の思想を踏まえて解き直すと非常に含蓄があり奥深い言葉に聞こえてきます。音楽とは「個人的な体験」であると言いましたが、音楽は時間軸の中で計れる外在的な響きとして認識(理解)されるべきものではなく、その音を通して作曲家の経験が個人の内面に投影されることで生み出される内在的な共感として認識(体験)されるべきであって、それはライブ演奏だからこそ成就し得るものだということを言いたいのではないかと考えます。だからこそレコーディングは音楽を外在的な響きとして記録することはできても、内在的な共感形成たる「体験」そのものを記録することはできないという点で意義を見出し難かったということなのかもしれません。これは禅定の根本思想(悟りの境地は坐禅している自分がいるという意識すら忘れてしまうほどに坐禅という行為そのものに没頭することにより得られる二元的論理思考を超えた純粋経験)に近い考え方であり、いくら座禅を組んでいる人の映像を見ても実際に座禅を組んでいる人の境地には至れないということと同じことではないかと思います。

あなたは一種の静寂に気づかれた。でもそれは私が呼び起こした現象ではありません。あなた自信がすべての圧力から自分自身を解放し、音響の中に静寂を聞いたのです。音楽と呼べる「もの」が存在しているのではありません。音の響きはある特定の条件の下に音楽となります。音響のすべてが音楽なのではない。音楽ではない音と音楽になる音があるのです。ただすべてを私に結び付けて考えないように解放を経験したのは私ではなくあなた自身なのです。

生涯で最高の褒め言葉を得たのは指揮を始めて2年目のことです。コンサートの興奮さめやらぬ時、やってきた女性が非常に満足し落ち着いた様子でこう言いました。「まさにこれです!」 この女性はまさに私と同じことを考え経験したのでしょう。「美しかった」「素晴らしかった」と表現はいろいろあるが「まさにこれです!」ほど的を得た表現ありません。この言葉は私が聞いた中で最も美しい言葉です。

純粋な意識は個人に発し、一滴の水のように独立している。だがその本質は大海の水と変わらない。どの水も、どの意識も、万物を包括する意識へと帰ろうとする。

聞こえるものと自分の内的な世界との対応だ。5度音程が新しい視野を広げ、外交的な性質だと感じるならば、それは5度音程と私の内的世界に何らかの対応があったからだ。これが可能なのは音楽が何等かの形式に構成されるからだ。音響と内的生命の対応が人間の音楽を可能にする。

何故、人間は音楽を鑑賞するのかという根源的な問いに対する端的な答えのようなものがこれらの言葉の中に凝縮されているような気がします。チェリビダッケは「音響と内的生命の対応が人間の音楽を可能にする」と語っていますが、音楽を通して作曲家の経験(音響、一滴の水)が自分の内面に投影されることで生み出される共感(内的生命の対応、一滴の水が時代、民族や文化等を超越した大海の水に同化して波紋すること)によって、自分の素直な心に触れ自分の心を解き放つことができる、だからこそ人間に精神的な充足や平穏をもたらす(人間の音楽)ということを言っているのではないかと思います。息の詰まるような組織化された社会の中で自分を押し殺しながら生きている現代人にとって、音楽を鑑賞するということは自分の心と素直に向き合い、自分の心を解き放つ(自由になる)ことができる数少ない機会を与えられることであり、本来的な自分(本性)を取り戻すための精神的な営みに他ならず、それを「内的生命」という言葉で表現しているのかもしれません。この文脈で捉えれば、「音楽の中に静寂を聞いた」という言葉(静寂とは禅語を借りれば「調心」のようなものでしょうか)の深く意味するところも分かるような気がしますし、「まさにこれです」という言葉の持つ内実(重み)も理解できます。現代は「自由」が氾濫している時代ですが、その一方で社会が高度に組織化されて真の意味での「自由」(即ち、ありのままの自分)であり続けることも難しくなっている時代ではないかと思います。それゆえに、自分の心を解き放ち、ありのままの自分を取り戻すための契機としての音楽が持つ現代的な意義は益々大きなものになっているような気がします。これは「自然法爾」(心を解き放ち自由に保つ)という禅や茶道の考え方に似ており、音楽のみならず芸術全般に通じる根源的な考え方ではないかと思います。なお、最後に、チェリビダッケの指導を受けたオケメンのインタビューの一部をご紹介しておきましょう。

チェリビダッケが指揮するとオーケストラはまるで室内楽のようです。弦楽器から管楽器に至るまで一人が演奏しているかのようで主旋律が他の楽器に移っても気づかないほど絶妙のバランスです。

私は指揮者を二種類に分類しています。警察官のようにすべてに目を光らせているタイプ、そして形を生み出す彫刻家タイプ、チェリビダッケはその両方の特徴を備えています。

◆おまけ
チェリビダッケブルックナー「ミサ曲第3番」をお聴き下さい。チェリが紡ぎだす「天上の音楽」をご堪能あれ。

ロカテッリ 合奏協奏曲ヘ短調「クリスマス協奏曲」よりヴィヴァーチェをお聴き下さい。チェリの音源がありませんでしたが、曲の雰囲気をお楽しみ下さい。

いずれ廃れ行くネクタイへのオマージュとして、ヴェルディ 歌劇「運命の力」より序曲をお聴き下さい。チェリの音源の音質が悪かったので、ムーティーの指揮で。

チェリビダッケブルックナー交響曲第7番」より一部抜粋をお聴き下さい。チェリの神々しく雄大な演奏に存分に打ちのめされて下さい。

NHKスペシャル「新生 歌舞伎座 檜(ひのき)舞台にかける男たち」

【題名】NHKスペシャル「新生 歌舞伎座 檜(ひのき)舞台にかける男たち」
【放送】NHK総合テレビ
    平成25年5月5日(日)21時00分〜21時45分
【感想】
皆さんご案内のとおり諸事情により、GW期間中も演奏会や舞台、展覧会などへは足を運べず、千葉の農村へ引っ越してきたことを奇貨として、自宅近傍で名所旧跡など土地の歴史を訪ねたり、季節を運ぶ草花や野鳥を観察したり、神が創り給うた至高の芸術作品である自然の美しい瞬間を写真に切り取ったりと自然散策に興じ、何もせずに「無為に過ごす」という贅沢な時間の使い方をしていました。


左から、�荻生徂徠の旧家跡、�旧家跡近くにある徂徠の母の墓

千葉県茂原市に江戸時代の有名な儒学者である荻生徂徠が青年期に勉学に勤しんだ旧家跡が残されています。徂徠は著書「政談」の中で旧家での生活が彼の人間形成上で重要な意味を持っていたと自ら語っているとおり、徂徠の学者としての礎は茂原で暮らしていた時代に養われたものです。徂徠と言えば、元禄時代に発生した赤穂浪士の吉良邸討入事件において、室鳩巣らの賛美論に対し、「若し私論を以て公論を害せば、此れ以後天下の法は立つべからず」と断じて私情に流されず法に則って切腹を主張したことで有名です。個人的には赤穂国際音楽祭で何度か赤穂へ足を運んでいるので心情的には赤穂浪士贔屓ではありますが、もし赤穂浪士の吉良邸討入事件が許されるとすれば、ヤクザ抗争におけるお礼参りも同様の理屈で許されてしまうことになり、やはり徂徠の論が冷静で成熟した正論であったと思います。なお、古典落語、講談や浪曲に当時の赤穂浪士の処罰議論を題材にした「徂徠豆腐」という演目がありますが、この内容を見てみると江戸の庶民は比較的理性的に受け止められていたことが伺えます。

徂徠は貧しい青年時代に空腹のために豆腐を無銭飲食してしまうが、豆腐屋は「出世払い」ということで許してくれた。その後歳月が流れ、大学者になった徂徠は赤穂浪士の吉良邸討入りの翌日にその豆腐屋が大火で焼け出されたことを知って見舞金を贈る。しかし、豆腐屋は赤穂浪士切腹をさせた徂徠からの施しは受けられないと断る。それに対し、徂徠は「貧しい青年時代に豆腐を無銭飲食した自分を「出世払い」にして許してくれた。法を枉げずに情をかけてくれたから今の自分がある。自分も法を枉げずに赤穂浪士に最大の情をかけた。武士を見事に散らせるのも情のうち。」と法の道理と武士の道徳を説いた。これに納得した豆腐屋は見舞金を受け取る。豆腐屋が赤穂浪士切腹と徂徠からの見舞金をかけて「先生はあっしのために自腹をきって下さった」というオチがつく粋な話。

浪曲「徂徠豆腐」

講談「徂徠豆腐」

さて、昨日、NHK総合テレビで新歌舞伎座の杮葺落公演までのドキュメンタリー番組が放送されていたので、簡単に概要を残しておきたいと思います。なお、私事で恐縮ですが、今秋、僕が勤めている会社が歌舞伎座タワーへ入居する予定になっており、色々な意味で興奮し過ぎて鼻血が止まりませんので、このブログにも鼻血の跡を残しておきたいと思います。歌舞伎タワーは「耐震」「免震」「制震」と高い耐震性能を備えているらしく、大震災が来ても心丈夫です。


(注)あくまでもイメージ図です。似ていますが、実物ではありません。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0505/

◆緞通
新歌舞伎座の大間には皇居やバチカンにも使われている色鮮やかな高級織物「緞通」が敷かれています。この図柄は京都・平等院鳳凰堂中堂母屋の方立に描かれている菱形文様をモチーフにしたもので、そこに描かれている4羽の鳥は「咋鳥(さくちょう)」と呼ばれ、22種類以上の色染めされた羊毛の1本1本を職人が「手刺し」することで組み合わせた絶妙なグラデーションが深い味わいを生んでいます。思わず靴を脱ぎたくなる美しさですが、緞通は踏まれることで深い味わいが増してきますので、職人の至芸に経緯を払いながら丁重に踏み締めて歩きたいものです。

◆三洲瓦
新歌舞伎座の大屋根に職人技で造られた精密で独特な風合いの三洲瓦約10万枚が敷き詰められて圧巻です。日本における瓦の起原は飛鳥寺造営(596年)と言われていますが、1700年頃から良質な三河粘土と船便搬送に恵まれた三洲で瓦産業が発達し、吸水率が低く凍害にも強い三洲瓦は100年以上も持つといわれています。なお、歌舞伎座正面の唐破風屋根の上には歌舞伎座で最大となる重厚な鬼瓦が設置されていますが、この鬼瓦は「経の巻」と呼ばれ、3つの円筒形の装飾がお経の巻物に見立てられたことに由来していています。

◆音響
新歌舞伎座の音響は、サントリーホールミューザ川崎シンフォニーホール大阪新歌舞伎座をはじめ、国内外の数多くのコンサートホール等の音響設計を手がけた株式会社永田音響設計が担当。天井に反響板を設置し、直接音が観客席に到達してから0.05秒で反射音が観客席に到達するように設計されていますので、明瞭で豊かな残響効果が得られます。劇場は木とコンクリートが乾燥し本当に良い音で響くようになるまでに約20年かかると言われていますので、これから新歌舞伎座の音響がどのように熟成されて行くのか楽しみです。

◆檜
新歌舞伎座の檜舞台に使われる檜板は、神奈川県丹沢山中で採取した1200本の「百年檜」(初代歌舞伎座開場の明治22年頃に植えられたもの)が使われています。檜の特質は、耐久性、柔軟性、そして油を多く含むことから滑らかで“さわり”が良く、また、1年3ケ月間は天日、さらに1週間は遠赤外線乾燥機で乾燥するために歪んだ音がせず、歌舞伎の舞台向きと言われています。

◆回り舞台
メリーゴーランド製作会社の三精輸送機株式会社が直径18.18m、深さ約16.5mと国内最大の大きさの「廻り舞台(盆)」を製造しました。松・竹・梅の3種の迫りに加えて、今回は「大迫り」が新設され、より多様でダイナミックな舞台転換が可能になりました。オペラハウスが歌舞伎座の回り舞台を真似て導入した話は有名です。

◆緞帳
日本画家の上村淳之さんが緞帳の原画を作成し、緞帳の向って右から冬、春、夏、秋の季節の移ろいを表現した図柄になっているそうです。その図柄を刺繍で1日で10cmづつ織り込んでいったそうです。実際の舞台でご確認下さい。

◆意匠
新歌舞伎座は株式会社三菱地所設計と隈研吾建築都市設計事務所による共同設計で、新・根津美術館などの設計も携わった隈研吾建築都市設計事務所が意匠・デザインを担当しています。新歌舞伎座では "時間の継承" をテーマとされているとおり、歴代の歌舞伎座の優美な趣を承継しつつ、最新の機能を備えたオフィス棟との今昔の調和が図られています。

中村吉右衛門播磨屋
「鏡台は化粧をしながら徐々に役に成り切って行く役者にとって神聖な場所」と語っていましたが、能役者が鏡の間で能面をつけることで何ものかが自分に憑依(顕在)する感覚になるのと同じく、白粉を塗り顔を作って行く過程は自分の中から自我を締め出して別の人格を創り込んで行くような精神的作用を伴うものなかのかもしれません。

尾上菊五郎音羽屋)
「キメ台詞は自分があんまり気持ちよくなるとダメ」と語っていましたが、これは歌舞伎だけでなくクラシック音楽にも同様のことが言えます。カラヤンは「自分が興奮する指揮は三流、自分が冷静で楽団員が興奮する指揮は二流、自分も楽団員も冷静で観客が興奮する指揮は一流」という言葉を残していますし、世阿弥は「離見の見」という言葉を残していますが、観客を頂く再現芸術においては自分の舞台に溺れないことが殊更に重要なことなのかもしれません。

片岡仁左衛門松嶋屋
「役になり切るのか、役を演じるのか」..自分の演技は役になり切って時に感情を移入するスタイルだと語っていましたが、尾上菊五郎さんの演技に対する考え方が少し異なるのかもしれません。感情を移入せず型を重んじて演技を組み立てる様式主義的な考え方は極端だと思いますが、果たして演技にあたってどこまで感情移入すべきなのかその塩梅は難しいと思います。昔、映画「ドラゴン・キングダム」で功夫の極意として「型を学んで、型を追わず」という言葉が出てきましたが、仁左衛門さんが目指している演技は自らの感情も自在に操って行く変幻自在の境地、役に溺れるのではなく、役を完全に我物にするということなのかもしれません。

坂東玉三郎(大和屋)
「昔、歌舞伎は昼間にやっていたので、デザインされた照明ではなく、芝居がしっかり見えることが基本」..その意味で歌舞伎の照明は柔らかさと広がりが重要と語っていましたが、主役にスポットライトを浴びせて主役を大きく見せるという意味で歌舞伎はオペラに近い性格を持った舞台芸術と言えるかもしれません。一方、能は夜の薄明り(昼の薄暗がり)で演じられることが多く、「闇」(闇によって人間の感性が研ぎ澄まされてイマジネーションが膨らむ作用)が生み出す舞台芸術と言えるとかもしれませんが、その意味で、歌舞伎(オペラと同様に主役が観客へアピールして行くプラスの芸術)と能(できずるだけ無駄なものを削ぎ落として観客の内面を引き出して行くマイナスの芸術)は似て非なる性格を持っており、日本の伝統芸能の懐の広さを感じさせます。


http://d.hatena.ne.jp/bravi/20120414/p1

今週のニューズウィーク日本版に歌舞伎の特集記事が掲載されています。新歌舞伎座が落成し、世代交代が進んだ歌舞伎界の現在をレポートする内容で、これから歌舞伎界が向おうとしている方向性を示唆する興味深い記事です。

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2013年 5/14号 [歌舞伎新時代]

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2013年 5/14号 [歌舞伎新時代]

なお、一部のランチパックマニアの間で待ち望まれていましたが、遂に、あのランチパックに新歌舞伎座の落成を記念した「豆大福風(ホイップクリーム入り)歌舞伎座厨房監修」が登場しました。パン生地の中の赤い豆あんは「隈取り」を、これをサンドする白いホイップクリームは「白粉」をあしらったものではないかと推察しますが、ホイップクリームはあまり主張し過ぎることなく、豆大福の控え目な甘さが口の中に上品に広がるバランスの良いアダルトテイストの癖になる美味しさです。


http://www.yamazakipan.co.jp/lunch-p/shop/index.html
ランチパック・フリークのメッカ「ランチパックSHOP」では珍しいご当地ランチパックもゲットできます。

◆おまけ
まだ観に行っていませんが、近く機会があったら観に行きたいと思っています。

ダンスとのコラボが実にマッチしていて面白いです。様々なクロスカルチャーな試みを見てきましたが、これはハッピーな巡り合わせだと思います。

デザートをどうぞ。

額縁をくぐって物語の中へ「葛飾北斎 “神奈川沖浪裏”」

【題名】額縁をくぐって物語の中へ「葛飾北斎 “神奈川沖浪裏”」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成24年12月2日(木)20時45分〜21時00分
【司会】池田鉄洋
【感想】
田舎暮しに憧れて、最近、神奈川県の都会(住宅街)から千葉県の田舎(農村)へ引っ越しました。駅前にはスーパーや商店街はおろかコンビニすらないような辺鄙な田舎町です。某チェロ奏者が近隣に住んでいますが、田舎暮しを始めてみて、何故、創作活動を行う芸術家が田舎暮しを始めるのか分かるような気がします。アスファルトに覆われた都会暮しは完全に自然から遮断されていましたが、自然との境界が曖昧な田舎暮しでは自然に触れる機会が多く、都会暮しでは全く感じることがなかったインスピレーションに溢れています。遥か地平線まで遮るものがない広い空、多種多様な生き物の鳴き声、雑木林のざわめきや大地を吹き抜ける風の音(平野が広がる田舎では都会とは風の音が違います)、折々の季節感を運ぶ風の匂い、街灯や都会の喧騒に紛れてしまうことのない感性を研ぎ澄ます暗闇と静寂、この数か月の田舎暮らしは小さな発見と感動の連続で、これまで“便利さ”と引き換えに実に多くの大切なものを犠牲にしてきたように感じられ、都会暮しでは希薄であった“生きている実感”のようなものを日々感じることができるようになりました。


左から、�近所の水田を整地するトラクター、�近所の水田に浮かぶ鴨(おいしそう..)、�春日神社に奉納される能「翁」

今週末から近所の水田で田植えが始まりました。これまで田植えは何度も見たことはありますが、都会暮しが長い僕にとって日常風景の1つとして“田植え”を見る経験は初めてのことです。これまでお米と言えば、年中、精米されて袋詰めされたものがスーパーに山積みされているという程度の貧困なイメージしか持っていませんでしたが、雑草の焼却から、土を細かく砕くための田の耕起が始まり、やがて肥しの匂いが鼻に付くようになると直ぐに田に水がはられ、夜ともなると何百匹とも知れぬカエルが一斉に泣くようになります(カエルの鳴き声が作り出す不協和音で夜空一面が覆われるようですが、やはり自然は不協和音で溢れているのですね…)。そして、今週末辺りから苗代から苗を田に植え替える田植えが始まりました。これから農薬の散布と水田の水管理等が行われ、青々としていた水田が金色に染まる9月中旬頃に収穫となるようです。こうして身近にコメ作りを見ていると、本当は、お米はお金では買えない“自然の恵み”であることが改めて実感でき、こういう些細ですが根源的なこと(自然への畏敬や自然の恵みへの感謝)へ立ち返ることができるところに田舎暮しの素晴らしさ、醍醐味があります。一口に稲作と言っても、技術、神事、文化という様々な切り口で語ることができますが、もともと日本の伝統芸能は五穀豊穣を祈る祭事が発端と言われ、能楽、歌舞伎、日本舞踊などの舞は腰を据えて地面を摺るような横への面的な広がりのある動きが中心ですが、これは農耕民族の名残と言われています(田植えの姿勢を思い起こして貰えれば分かると思います)。これに対し、狩猟民族は獲物を追って地を飛び跳ねるような縦への垂直的な広がりのある動きをしますが、これはオペラやバレエのダンスに共通した動きの特徴です。最近では手植えではなく機会植えが一般的ですが、田植えの風景を見ていると、五穀豊穣を記念する能「翁」の舞いがオーバーラップしてきて興味深いです。


左から、�最近では見掛けなくなった近所の「屋根より高い鯉のぼり」、�200匹の鯉のぼりが泳ぐ橘ふれあい公園(千葉県香取市)の鯉祭り、�西日が落ちてきた日曜夕方のひと気のない近所の水田風景。スマホのカメラでは分かりませんが、静かに吹き抜ける春のそよ風に稲と水面が靡き、これに柔らかい斜陽がキラキラと反射して息を飲むような美しい日本の原風景です。秒針が忙しく刻む人工の時間とは異なって、陽光や風の匂いが穏やかに刻んで行く古より悠久と続く自然の時間がここには残されています。「忘らるる 時しなければ 春の田の かへすがへすぞ 人は恋しき」(古今和歌六帖)


左から、�江戸の名所を描いた歌川広重の浮世絵「水道橋駿河台」(江戸名所百景)、�鯉の滝登りを描いた葛飾北斎の浮世絵「鯉」..浮世絵のデフォルメされた大胆な構図は現代にあっても斬新です。

もう一つ都会暮しではトンと見掛なくなった情景に“鯉のぼり”があります。こんなに大きな鯉のぼりを見るのは実に久しぶりのことですが、先々週あたりから5月5日の端午の節句(3月3日は桃の節句、7月7日は七夕の節句、9月9日は菊の節句)に先立って、あちらこちらの農家で大きな鯉のぼりがあげられています。鯉のぼりがあがっている家は男の子のいる家ですが、鯉のぼりをあげる風習は江戸時代から広まり「鯉の滝登り(鯉が竜門の滝を登ると竜となって天をかける=登竜門)」の故事成語にあやかって男の子の健やかな成長と立身出世を祈願してあげられるようになったようです。江戸の狂歌に「江戸っ子は 五月の鯉の吹流し 口は大きし腸(ハラ)はなし」というのがありますが、鯉のぼりは上方ではあまり見られなかった風習だそうなので、五月晴れよろしく何事も腹に溜めないカラッとした気風の良い江戸っ子とは相性が良く好まれたのかもしれません。“吹流し”なんて、粋じゃありませんか。

さて、今日は、神奈川県から千葉県へ引っ越してきたこともあり、神奈川県へのオマージュという意味で、NHK−BS「額縁をくぐって物語の中へ」で上記の鯉の浮世絵でも知られる葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」が採り上げられたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。ご存知のとおり浮世絵「神奈川沖浪裏」はドビュッシー交響詩「海」の初版譜の表紙にも使われ、ドビュッシーをはじめとして多くの芸術家にインスピレーションを与えた傑作です。


葛飾北斎 富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」


ドビュッシー 交響詩「海」の初版譜表紙(1905年)です。富士山と小舟は消され、この版画の魅力であるダイナミックな遠近感が削がれてしまっています。この版画はデフォルメされた大胆な構図の中で手前の「動」と奥の「静」、周囲を覆う荒々しい波と中央に描かれた空間との対比によって見る者の視点が一番奥に描かれた富士山へと収斂していくように描かれていますが、だからこそ、この交響詩の標題性を強調した図案とするために施された措置だったのかもしれません。

最初にヨーロッパに渡った葛飾北斎の版画は「北斎漫画」と言われています。これは日本からフランスへ運ばれる焼き物を梱包するために使われていた紙が北斎漫画だったことによると言われています。この北斎漫画がヨーロッパで広がり、北斎の浮世絵が注目されるようになっていったようです。モネやドガは神奈川沖浪裏の大胆な構図に驚き、大いに影響を受けたと言われていますが、これは北斎が大きな波を描きながら、その一方で絵全体のバランスが崩れないように緻密に計算して構図を組み立てていたことによります。神奈川沖浪裏の絵を対角線で結び、それを半径としてコンパスで円を描くと、丁度、波の先端と富士山の頂上がその円周で交わるように描かれています。また、波が描かれている部分を切り取ってその残りの部分を180度反転させると、丁度、波の描かれている部分とぴったりと一致するような反鏡形の構図になっており、それが画面全体を回転させるような勢いを生んで浪に躍動感を与えています。さらに、大しけの中に人が乗っている舟が描かれていることが絵全体の緊迫感を増しており、それがこの浮世絵の並々ならぬ生命力を生んでいると言えるかもしれません。なお、手前の小さな波の輪郭は富士山(奥に描かれている富士山と比べて実際の富士山の形に近い)が象られており、この浮世絵にアクセント(面白さ)を与えています。


北斎漫画

ゴッホは、弟テオへの手紙の中で神奈川沖浪裏について『君が大波の絵を見て「この浪は鍵爪だ、船がその中に捕まえられた感じだ」と感動の叫び声をあげたのは、北斎が描き出した線とデッサンが素晴らしさからだ』と激賞しており、北斎の並外れた画力と色彩に驚いています。とりわけベルリンで作られた顔料「ベロ藍」が波裏に使っていますが、これはゴッホの絵画「種まく人」にも使われており、神奈川沖浪裏はゴッホへの作風にも影響を与えています。また、北斎は、今にも砕け散る瞬間の迫力のある浪を描くために、何日も馬で海に入り観察したと言われています。なお、この番組では紹介されていませんでしたが、北斎は神奈川沖浪裏を作成するにあたって当時“浪の伊八”として知られていた彫刻家 武志伊八郎信由の彫刻から着想を得たのではないかと言われています。その証拠に“浪の伊八”の作品が行元寺(千葉県いずみ市)の欄間彫刻「波に宝珠」に残されていますが、その裏面の宝珠を富士山に置き換えると神奈川沖浪裏と同じ構図になります。ゴッホがミレーの作品からインスピレーションを受けたのと同様に、北斎も“浪の伊八”からインスピレーションを得て浮世絵の傑作を生みだしたと言えるかもしれません。


左から、�ゴッホ「種まく人」、�行元寺(千葉県いずみ市)の欄間彫刻「波に宝珠」(彫刻家 武志伊八郎信由)
http://www18.ocn.ne.jp/~gyoganji/


北斎はこんな浪を見て着想を膨らませていたのでしょうか。尤も、神奈川沖とは東京湾のことなので、こんなビックウェーブがあったとは思えず、やはり北斎のイメージが作った大波と言えるかもしれません。

◆おまけ
昨日、Yahoo! ニュースにBPOのデジタルコンサートホールの記事が掲載されていたので、無料画像をアップしておきます。BPOのチケットを取るために狂ったように何百回もリダイヤルしなくても、自宅にいながらにして驚くべき廉価でBPOの最新演奏が聴けてしまうハイコストパフォーマンスのWebサービスです。ネットワークオーディオが欠かせません。http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130421-00010000-wired-musi

去る4月15日に永眠された指揮者のサー・コリン・デイヴィスさんへ哀悼の意を込めて、同じニムロットの演奏をアップしておきます。同じ曲でも指揮者によって味付けが異なれば、これだけ違った表情を見せてくれます。これぞ再現芸術の醍醐味です。衷心よりご冥福をお祈り致します。

葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」に着想を得たのではないかと言われているドビュッシー交響詩「海」をお楽しみあれ。波のうねり、海面の煌めき、潮の香りなどをイメージしながら聴いてみて下さい。

ピアノはいつピアノになったか?

【題名】ピアノはいつピアノになったか?
【著者】伊東信宏、松本彰、渡辺裕、渡邊順生、村田千尋、s.ギニャール、岡田暁生小沼純一三輪眞弘
【出版】大阪大学出版
【発売】2007年3月30日
【値段】1700円
【感想】
現在、NHK総合でドラマ10「第二楽章」という連続ドラマの放送が開始されています。プロとして成功を収めた現役の音楽家と、幸せな家庭を築くためにプロの途を断念した元音楽家、2人のアラフォー世代の女性の葛藤を描いたドラマで、おそらく音楽家の方(とりわけ出産・育児を避けて通れない女性)であれば切実な問題ではないかと思います。このドラマの面白いところは40代の女性を主人公に設定しているところで、プロの演奏家であれば有能な若手の台頭によって行き詰まりを見せてくる頃ですし、家庭の主婦であれば子離れして自分の人生を見つめ直す頃ではないかと思います。このドラマのタイトルである「第二楽章」というのも、そういう40代の人間が迎える人生の節目(第二の人生を考え直す時期)という意味が込められているのだと思います。スメタナ弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」という自叙伝的作品を残していますが、第二楽章又は第三楽章に置かれる緩徐楽章のように40代は自分の人生の歩みを緩めて懐かしい青春期に思いを馳せながら再び自分の人生を見つめ直して見る時期なのかもしれません。そんな印象の同曲第三楽章をお聴きあれ。

スメタナ 弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」から第三楽章

なお、このドラマの主題歌のために山下達郎さんが「コンポジション」という曲を書き下ろしていますが、アラフォー世代にとってはセピア色のアルバムを捲るような青春の匂いがする懐かしいサンドに胸が締め付けられるような思いがするのでは..。

http://www.nhk.or.jp/drama10/dainigakushou/

▼番組紹介

なお、丁度、いま藤の花が見頃ですが、近所に咲いている藤の花の写真をアップしておきます。因みに、妙福寺(千葉県銚子市)ではGWに藤まつりが開催され、夜には藤の花がライトアップされて幻想的です。縦横浜10mを超す一番大きな藤棚は樹齢は750年を超し、まるで龍が寝ているかのように根づいていることから「臥龍の藤」と呼ばれている有名な藤棚です。また、あしかがフラワーパークの大藤も大層見事なもので、死ぬまでに一度は見ておきたいもの。GWに予定がない方は、藤の花見はいかが。


左から、�近所の藤の花、�妙福寺の「臥龍の藤」、��あしかがフラワーパークの「大藤」と「むらさき藤」

藤波の 咲く春の野に 延ふ葛の 下よし恋ひば 久しくもあらむ万葉集

かなり昔に購入した本ですが、簡単に感想を残しておきたいと思い再読しました。続く....。毎度、“続く”で申し訳ございませんが、よくよく咀嚼したうえで感想を書くことにしています。以下の書き掛け分も含めて、きちんと読んでいますので少々お待ち下さい。

ピアノはいつピアノになったか? (阪大リーブル001)【CD付】

ピアノはいつピアノになったか? (阪大リーブル001)【CD付】

音楽のつつましい願い

【題名】音楽のつつましい願い
【著者】中沢新一山本容子
【出版】筑摩書房
【発売】1998年1月17日
【値段】2200円
【感想】
いよいよ明日4月2日は新しくなった歌舞伎座の杮葺落公演の初日です。1889年11月21日に建設された歌舞伎座は過去に3回ほど建て直されていますが(前回は1951年)、今回が4回目の建直しとなります。歌舞伎座の椅子と言えば、腰掛けるというより肘掛の間に“挟まる”という感覚に近く、しかも満員電車よろしく体を小さく窄めながら隣席の人と体を密着して腰掛けなければならず、クラシック音楽の演奏会よりも長時間に亘る歌舞伎鑑賞ではさながら滝にでも打たれているような“荒行”に耐え忍ばなければなりませんでした。しかし、新しい歌舞伎座では何と!座席の寸法が横幅で約3cm、前後の間隔が約6cmも広くなり、以前と比べるとかなりゆったりと鑑賞できるようになって、遅れて来た中央席の観客のためにゾロゾロと立ち上がる必要もなくなりそうです。僕のように僅かばかりの小遣銭を握り締めて歌舞伎座へ通う庶民は3階の貧民席でしか歌舞伎を鑑賞することは叶いませんが、その3階の最後列からでも花道の七三(すっぽん迫り)部分まで見えるようになり、以前のように何やら花道の辺りから音は聞こえてくるけれども何をやっているのかさっぱり見えない…挙句の果てに1、2階席の客から笑い声が聞こえくると余りの悔しさにうんこでも漏らしてやろうかという気持ちにさえなってくるほど癪に障る思いをすることもなくなります。着物でもお洒落に着こなして、粋に歌舞伎見物なんて大人の道楽はいかが。

4月は卯の花が咲く季節という意味で卯月(うづき)と言いますが、この「う」は「初」や「産」も意味し、1年の循環の最初を示す言わば「旅立ちの月」のことです。4月になると街中には新入社員らしき初々しい姿が目立ちますが、その初々しい姿を見て自分が新入社員だったころの清新な(決意)を思い起こし、自ら気持ちを改める生活(人生)の節目になっています。僕は新居に引っ越し、職場を変え、車も買い替えて生活環境を一新し新たな気持ちでこの4月を迎えています。その記念に僕の書斎の一部を公開してしまいましょう(ウフフ)

感想を執筆中。

音楽のつつましい願い

音楽のつつましい願い

◆おまけ
この本の中に登場する作曲家の代表作をいくつかご紹介しておきます。この本をはじめとした良質なエッセイは(楽典、楽曲解説本や伝記で得られる知識とは比べものにならないくらい)音楽のイメージを広げてくれ、より豊かな鑑賞を手助けしてくれるので、僕はこの種の本が大好きなのです。

ヤナーチェク ピアノ・ソナタ「1905年10月1日の街角で」より第1楽章

フォーレ パヴァーヌ

ボロディン ノクターン

新版オペラと歌舞伎

【題名】新版オペラと歌舞伎
【著者】永竹由幸
【出版】水曜社
【発売】2012年5月31日
【値段】1600円
【感想】
梅に始まり、椿、木蓮…と色付き初め、そろそろ桜も綻び始めてきました。冬場の殺風景だった景色が春の花々の鮮やかな色彩に染め上がり、メジロやウグイスなど春の野鳥の鳴き声が早春の青空に澄み渡って実に清々しく華やいだ雰囲気になります。和歌でも一首詠みたくなるところですが、浅学にして心得がなく花や野鳥と風流、風雅に戯れることもできない無教養が口惜しく感じられます。3月18日から千葉城がある亥鼻公園で桜祭りが行われているので、少し気が早いですが花見と洒落込みました。千葉城は千葉常胤(能「七騎落ち」の題材にもなった石橋山の合戦で敗れた頼朝主従が安房上総に逃れて頼ったのが常胤で、関東で勢力を盛り返した頼朝に鎌倉を本拠とするように勧めたのも常胤と言われています)が居を構えた千葉氏発祥の地で、現在は勇壮な四重の天守が聳え建っていますが、これは小田原城と同様に近年になって建て替えられた近代建築によるもので往時の様子を忠実に再現したものではありません。因みに、僕の会社の近くに「将門の首塚」がありますが、平将門は千葉県佐倉市出身で、千葉氏の祖である平良文は将門の叔父にあたります。

http://tabikore.com/album/791

亥鼻公園には「いのはな亭」という茶屋があり、ここの「いのはな団子」は有名なのでご存知の方も多いと思います。僕は無類の磯辺焼きフリークなので、いのはな亭に行くといのはな団子ではなく磯部焼きを頂戴しています。国立劇場内にある喫茶「濱ゆう」の磯辺焼き(もなかソフトクリームも有名ですが)と共に、ここの磯辺焼きには目がありません。とりわけここの磯辺焼きはレンジではなく本格的な網焼きなので、表面にはこんがりと焦げ目が付きこれが醤油とよく絡み合って香ばしく(健康志向なのか醤油は薄口なので、磯辺焼きが好きな醤油党の皆さんは濃口のmy醤油を持参してもよいかもしれません)、火力が絶妙なのか餅の中はトロけるほど柔らかく、飲み込む力がない老人などは喉に詰まらせて死んでしまうのではないかと思うほどモチモチと弾力性があります。自宅で餅を焼いても、こんな風には焼けません。来週末あたりが見頃ではないかと思いますので、いのはな団子を食べに行くついでに、亥鼻公園の花見に興じつつ千葉氏の歴史に思いを馳せてみてはいかが。


自宅近くの桜です。この桜の「美しさ」は写真よりも絵でないと拾い切れないかもしれません。それくらい色々な感慨を想起させてくれます。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」といいますが、右の写真の桜は趣のある枝振りなだけに少し残念です。

この本の冒頭から「第二次世界大戦は、オペラと歌舞伎を持つ国民国家と持たざる国民国家の戦いであった」とキャッチーなコピーに心を鷲掴みにされてしまいますが、確かに第二次世界大戦はオペラを持たない鬼畜米英と、ワーグナーを奉じるドイツ帝国ヴェルディ―を奉じるイタリア共和国及び東洋のオペラと言われる歌舞伎を奉じる大日本帝国との戦いであったという指摘は興味深いです。さらに、永竹さんはオペラを持たない英米は国民的なエネルギーを植民地の拡大で発散していきましたが、オペラや歌舞伎を持つ日独伊は植民地を領有した歴史が短く国民的なエネルギーをオペラや歌舞伎で発散していたと考えられ、オペラや歌舞伎が植民地に値する文化遺産であったと勇猛果敢に論を展開しています。多少、強引な筆運びながら全く独創的な視点から歴史的な文脈の中でオペラ・歌舞伎を捉え直そうとしており、冒頭から著者の並々ならぬ意気込みと鼻息の荒さが感じられます。

歌舞伎は1596年(慶長元年)頃にブレイクした出雲の阿国(近江近郊の能楽師の娘)のややこ踊りから誕生したと言われています。これに対し、世界最古のオペラは1598年頃にフィレンツェで初演された「ダフネ」と言われていますので、奇しくも歌舞伎とオペラは同じ頃に誕生したことになります。ここで永竹さんは「歌舞伎に対する能・狂言」と「オペラに対するギリシャ悲劇・喜劇」を引き合いに出して、能やギリシャ悲劇は舞台装置がなく抽象的かつ禁欲的に演じられる仮面劇であるという共通点を持ち、人間の性(さが)の本質を見極め、その美しさ、醜さを極限状態で見ることによりカタルシスを得る舞台芸術であるのに対し、歌舞伎やオペラは目や耳に訴える感性の芸術という意味で道楽芸術であると言い放つ大胆さで、独自の視点から快刀乱麻の分析を展開しています。やがてワーグナーヴェルディが現れると道楽芸術であったオペラは人生を考えさせるような深刻な内容を伴うものが増えてくるにつれて徐々に大衆性から乖離するようになり、その代替的な道楽芸術としてオペレッタ、そしてミュージカルが誕生してきたと帰結し、各舞台芸術の本質を適格に捉えながら大掴みで舞台芸術史を俯瞰してしまう辣腕に脱毛するほかありません。

また、竹永さんは、様々な観点から「ギリシャ悲劇・喜劇」と「能・狂言」、「オペラ」と「歌舞伎」を対比し、各々の舞台芸術が極めて近い性格を有するものであることについて(些か強引な筆捌きではないかと思われるところもありますが)説得力のある論を展開しています。例えば、「ギリシャ悲劇・喜劇&能・狂言」と「オペラ&歌舞伎」の“性の倒錯”に関する分析も面白く、「ギリシャ悲劇・喜劇&能・狂言」では男性役者が女性役を演じる際には仮面をつけてうら声を使わずに演じるという共通の特徴を持っており、それは生身の女性のエロティシズムとは異なる形而上的なものであって、究極的には、その演じられる人間が男性であるのか女性であるのかということは問題ではないのに対し、「オペラ&歌舞伎」では男性役者(歌手:カストラート)が女性役をうら声を使って“女性らしさ”を強調して演じるという特徴を持っており、それは現実的なセックスを超越した舞台上の芸の色気まで昇華された表現になっており、その点で前者と後者の“性の倒錯”は全く異なった発現形態をとっているという指摘はご慧眼です。また、何故、「ギリシャ悲劇・喜劇&能・狂言」よりも「オペラ&歌舞伎」の方が統計的に女性客が多いのかという分析は大変に興味深いものがありました。このことは器楽曲の演奏会よりも声楽曲(オペラやバレエも当て嵌まりますが)の演奏会の方が女性客が多いという傾向にも当て嵌まるものだと思います。昔、「話を聞かない男、地図が読めない女」という本がありましたが、(どちらが優れているのかという優劣の問題ではなく)個体差はあるものの男女における傾向的な特性があることは否定できない事実ではないかと思われ、逆に、芸術発生史の観点から、何故、このような表現特性の違いが生まれてきたのかを考えてみるのも面白いかもしれません。学者でもない僕には時間も金もなく侭なりませんが。

仕事が忙しくてまだ読破していませんが、徐々に感想を書き足して行きます。かなりお勧めです。続く。

新版 オペラと歌舞伎 (アルス選書)

新版 オペラと歌舞伎 (アルス選書)

◆おまけ
春の花「椿」にかけて、ヴェルディー 歌劇「椿姫」より第3幕抜粋。因みに、永竹由幸さんは「オペラになった高級娼婦 椿姫とは誰か」(水曜社)という本も執筆されています。勿論、高級娼婦 椿姫とはプリティーウーマンのことではありません。

春の花「梅」にかけて、二代目竹田出雲 歌舞伎「菅原伝授手習鑑」より梅王丸が活躍する門外の場

春の花「木蓮」にかけて、五十嵐はるみ 「木蓮の花」(ジャズアレンジ)

春の花「桜」にかけて、宮城道雄 筝曲「さくら変奏曲」

シューベルトのオペラ

【題名】シューベルトのオペラ オペラ作曲家としての生涯と作品
【著者】井形ちづる
【出版】水曜社
【発売】2004年9月28日
【値段】2700円
【感想】
明日3月17日は彼岸の入り、3月20日は彼岸の中日(春分の日)で昼と夜の長さがほぼ同じになり、これから徐々に陽が長くなっていきます。これからは仕事や学校が終わっても外が明るくなって行くので、ついつい帰りに寄り道をしてハメハズシがしたくなります。そんな華やいだ気分にさせてくれる好きな季節です。

http://d.hatena.ne.jp/bravi/20120922/p1

彼岸と言えば「墓参り」ですが、何故、彼岸に「墓参り」なのかと言えば、仏教では「死者は成仏して極楽浄土に迎えられる」と考えられていますが(そのアンチテーゼとして成仏できない霊を鎮めるという中世の怨霊鎮魂の思想を背景に生まれたのが世阿弥の複式夢幻能)、彼岸の時期は太陽が真西に沈むことから西方浄土阿弥陀如来が人々を迎えいれる西の極楽浄土)への祈りを込めて生まれた日本だけの風習です。

さまざまに 春のなかばぞ あはれなる 西の山の端 かすむ夕日に(夫木和歌抄)

そして彼岸と言えば「ぼたもち(おはぎ)」を欠かせません。本来、「ぼたもち(おはぎ)」はご先祖様へのお供え物ですが、仏教では仏様にとって線香の煙が何よりのご馳走なので、最近では自分へのお供え物として有り難く頂戴しています。「墓参り」を欠かしても、「ぼたもち(おはぎ)」だけは欠かせない甘党なのです..(u_u#) なお、春の彼岸の頃は牡丹の花が咲くから「ぼたもち」と言い、秋の彼岸の頃は萩の花が咲くから「おはぎ」と言うのが正式な言い方です(尤も、関東では「ぼたもち」も「おはぎ」と称して販売している商品も多いですが)。昔は秋に収穫したばかりの柔らかい小豆を使った「おはぎ」はつぶあんにして、春まで保存して硬くなった小豆を使った「ぼたもち」はこしあんにしたと言われ、これが現代でも「おはぎ=つぶあん、ぼたもち=こしあん」として残っているようです。どちらかと言えば、僕はこしあん派なので、春の彼岸も秋の彼岸もぼたもちを頂戴しています。因みに、僕はうどんとそばで言えばうどん派、ロースとヒレで言えばロース派、犬と猫で言えば犬派です。なお、ある統計データによれば、男性は器楽曲(抽象表現)を好む傾向があり、女性は声楽曲(具体表現)を好む傾向があるそうです。あなたはどちら派?

さて、少し昔の本になりますが、井形ちづるさんの「シューベルトのオペラ オペラ作曲家としての生涯と作品」(水曜社)を引っ張り出してきて読んでみることにしました。この著書が発行されてから10年が経過していますが、その後の状況はあまり改善しておらず、依然としてシューベルトのオペラが舞台で採り上げられることはなく、(輸入盤も含めて)殆ど音盤もリリースされていない憂慮すべき状況にあります(音盤がリリースされていても、抜粋版や現在入手が困難なものも多いです。)。僕がどんなにシューベルトのオペラを聴いてみたいと切望しても作品に触れることすら叶わず虚しい日々を費やしています。是非、清新な志に燃える若い音楽家の皆さんがシューベルトのオペラを採り上げてくれることを願ってやみません。お金を掛けた舞台でなくて構わないので、シューベルトの心を音にして欲しいという願いを込めて(井形さんの好著の力を拝借して)ブログの記事を投稿します。

シューベルトのオペラ―オペラ作曲家としての生涯と作品

シューベルトのオペラ―オペラ作曲家としての生涯と作品

シューベルトと言えば「歌曲の王」としての評価が定まっていますが、(現代ではあまり知られていませんが)その生涯を通して19曲の劇作品(以下の一覧表を参照。但し、未完成のものや断片しか残されていないものなどもあります。)を残しており、ジングシュピール(歌芝居)9曲、オペラ6曲、メロドラマ(朗読劇)1曲、劇付随音楽1曲、劇挿入曲1曲、宗教劇1曲に加え、その他に計画中の作品が6曲もあったようです。これだけの劇作品を残しているのはドラマチックなリートを数多く書いているシューベルトであれば当然のような気もしますが、何故か上演の機会には恵まれず、現代では音盤も殆ど存在しないという憂慮すべき現状があります(下表参照)。この本はシューベルトの19曲の劇作品を網羅する楽曲概説になっていますが、一般の観客は楽譜を入手することも困難なので、唯一、この本がシューベルトのオペラの一端に触れることができる大変に貴重な資料であり、この本を読みながらシューベルトのオペラの魅力に触れていると何とか音だけでも聴いてみたいというジレンマに苛まれ、クラヲタにとって底知れぬフラストレーションの基に成り得る毒とも薬とも言えそうな妙薬ならぬ名薬です。以下に代表作のうち1曲の作品解説のサマライズを人参としてぶら下げておきますので、どうにも辛抱ならなくなった方がいらっしゃれば、是非、この本をお買い求め頂き、一緒に「シューベルトのオペラが聴いてみたい!」症候群に苦しみましょう。

シューベルトが生きていた当時のオーストリア帝国は、フランスのナポレオン軍に敗れてウィーン市民を中心に自由思想が広がっていきましたが、劇場は自由思想家の集会場となり易く、また、オペラ作品を自由思想(革命思想)のプロパガンダに使用される虞があったことから警察当局の警戒が厳しく、そのため劇場も革命的な性格とは無縁のイタオペ(とりわけロッシーニの作品)を多く採り上げるようになり、必然、タイトルからして不穏当なシューベルトの作品の上演は敬遠された時代背景などがありました。

【題名】サマランカの友人たち(D326)
【構成】2幕のジングシュピール
      序曲 :6分(以下のYou Tubeを参照)
      第一幕:32分
      第二幕:37分
【作曲】1815年11月18日〜同年12月31日
【上演】1875年12月19日 ウィーン楽友教会 指揮ヨハン・ハルベルク
【人参】
サラマンカ大学の3人の大学生が奇策を弄し恋を成就させて大団円で終わるという他愛のないストーリーで、演劇的というより音楽的に楽しむべき作品かもしれません。そこで、音楽的な聴き所を中心として、(僕は一度も聴いたことがないので)この本から井形さんの解説を引用しますと「シューベルトの作曲技法の長足に進歩したジングシュピールである。オーケストラの雄弁な描写力、転調によるドラマティックな展開、音画的なモティーフの創造、内面的な感情の描出などなど、18歳の若きシューベルトの力作と言えるだろう」という挑発的な誘惑に、諸兄も鼻の下を伸ばさずにはいられないのではないでしょうか。1927年にベートーヴェンが他界していますが(その一週間前にシューベルトベートーヴェンを見舞ったのが両者の初対面)、その翌年にシューベルトも夭折していますので(死因は腸チフス説、梅毒説、梅毒治療に伴う水銀中毒説など諸説あり)、死後約50年を経て漸く初演されたことになります。日本ではこの本が出版された2004年に東京芸大院生によって漸く本邦初演されたということですから如何に不遇な扱いを受けて来たのかが分かりますし、現代でも多くの秘曲が歴史に埋れてしまっているのかということの証左です。

フォーマルな場としてのオペラ劇場に対し、インフォーマルな場としてのサロンの集いであったシューベルティアーデなどにおいて同時代のオペラ作品が(室内楽作品などにアレンジされて)どのように受容されていたのかについて触れてみようかとも思いましたが、別の機会に譲ることにし、シューベルトへのアイロニーたっぷりのオマージュとして“続く(未完成)”にしておきます。

題名 作曲年 音盤
鏡の騎士 1812
悪魔の悦楽城 1814
4年間の哨兵勤務 1815
フェルナンド 1815
ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ 1815
サラマンカの友人たち 1815
人質 1816
双子の兄弟 1819
アドラスト 1819
ラザロ、または復活の祭典 1820
魔法のたて琴 1820
シャクンタラ 1820
魔法の鈴 1821
マルフォンソとエストレッラ 1822
共謀者たち(家庭戦争) 1823
リューディガー 1823
フィエラブラス 1823
ロザムンデ、キプロスの女王 1823
グラインヒュン伯爵 1827

  ※序曲全集はNAXOSから出ています。

◆おまけ
シューベルトのオペラは(輸入盤を含めて)音盤が殆どリリースされておらず、実演でも全く採り上げられない幻の作品群です。僅かに序曲全集がリリースされていますので、その音源をリンクしておきます。2008年のLFJ「シューベルトとウィーン」でもシューベルトのオペラ(又は序曲やアリアのピース)は1曲も採り上げられませんでした..汗

初期:歌劇「サラマンカの友人たち」より序曲

中期:歌劇「魔法のたて琴」より序曲

後期:歌劇「共謀者たち(家庭争議)」より序曲

◆おまけのおまけ
シューベルトはオペラだけでなく未完成のまま食い散らかされたピースが多く残されていますが、その中には秀作と言えるものも多く演奏可能な程度に補筆されて演奏される機会もあります。その代表格としては交響曲第7(8)番「未完成」の第三楽章が挙げられ、この補筆完成版を聴くとこの交響曲が2楽章で完成されているというおセンチな意見には俄かに首肯し難いものを感じます。

極上美の饗宴 シリーズ琳派・華麗なる革命(2)黒い水流の謎〜尾形光琳「紅白梅図屏風」

【題名】極上美の饗宴 シリーズ琳派・華麗なる革命(2)黒い水流の謎〜尾形光琳紅白梅図屏風
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成24年12月19日(木)21時00分〜21時58分
【出演】日本画家 森山知己
    グラフィックデザイナー 佐藤卓
【感想】
今日は小春日和で厚手の上着を着ていると汗ばむほどですが、千葉県の青葉の森公園にある関東有数の梅園(35品種、1000本)へ花見に行ってきました。早咲きの梅、遅咲きの梅と色々ありますが、今朝の時点では七、八分咲きといったところでしょうか。今週末から来週末にかけて見頃だと思います。来週末のご予定がない方は、お弁当を持って千葉県の青葉の森公園で観梅はいかが。


一番左の写真が僕が一番好きな梅木「緋の袴」
http://www.rurubu.com/season/winter/ume/detail.aspx?SozaiNo=120007


家の近所の夜梅。満開です。

梅の木は3月の花見に加え、6月に熟す果実を干す、煮る、漬けるなどして食用として2度楽しむことができます。今から約500年前、時の天皇が日照り続きによる不作を憂い6月6日に賀茂神社に梅を奉納したところ天恵の雨が降り、その天恵の雨のことを「梅雨」と呼んで感謝し、6月6日を「雨の日」として記念したという言い伝えが残されています。現代では「花」と言えば「桜」のことを想起する方が多いと思いますが、これは鎌倉時代以降になってからのことで、奈良時代以前には「花」と言えば「梅」のことをさしていたようです。「万葉集」(奈良時代)の和歌では花(季語)と言えば「梅」をさすものが多いですが、「古今和歌集」(平安時代)の和歌では花(季語)と言えば梅や桜など季節の花々をさすようになります。同時代に書かれた世阿弥の「二曲三体人形図」では「花」(心より心に伝える花)を説きながら世阿弥の自筆で梅の花の挿絵(ウマヘタというより絵心はなかったようです..笑)が添えられていますが、天女の挿絵のみ桜の花が描かれており、この頃から桜の花に特別な感慨を持つようになって行ったのかもしれません。そして、「新古今和歌集」(鎌倉時代)の和歌になると花(季語)と言えば「桜」をさすという意識が定着していったようです。…とは言え、梅は「春を告げる花」として日本人に愛され続け、家紋にも梅をモチーフとしたデザインが多く、尾形光琳紅白梅図屏風」や能「東北(とうぼく)」「箙(えびら)」などの芸術作品に昇華し鑑賞されています。また、現代では梅の和菓子(青梅吉野梅郷の吉川英字記念館近くにある梅菓子処「紅梅苑」の梅の風味を生かした和菓子が有名。)や梅の組香(「飛梅伝説」として知られている菅原道真の和歌の世界を表現した梅栄堂のお香「飛び梅」が有名。尤も、組香とはあるストーリーを数種類の香りで表現するものなので、飛び梅を組香と言ってしまうのは不正確かもしれませんが。)など梅の香りの楽しみ方も多彩になっています。

◆和歌
春の野に 鳴くやうぐひす なつけむと わが家の園に 梅が花咲く(算師志氏大道/万葉集
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ(菅原道真拾遺和歌集

世阿弥「二曲三体人形図」の挿絵

上段の一番左と下段の一番右の挿絵が天女で桜の花が添えられています。それ以外はすべて梅の花が描かれています。

◆絵画

尾形光琳紅白梅図屏風」(国宝)

さて、梅と言えば、すぐに尾形光琳紅白梅図屏風を思い浮かべる方が多いのではないかと思いますが、昨年、極上美の饗宴で琳派を特集した番組を録り溜めていたので、その概要を簡単に残しておきたいと思います。ご案内のとおり琳派俵屋宗達が興し、宗達尾形光琳が受け継ぎ、光琳酒井抱一が受け継いで、桃山時代から近代まで活躍した流派で、装飾美(金や銀を駆使した華麗な装飾美)、躍動美(絵が連なりリズムに溢れる躍動美)及びデザイン美(自然や生き物の本質を捉えたデザイン美)を特徴としています。紅白梅図屏風尾形光琳の最晩年の作で、自らの画業の集大成として描いた作品です。向って右側に描かれている紅梅は苔むした幹に真っ直ぐに小枝が伸び、まだ早春なのか赤い花がチラホラと咲きだしています。それと対するように向って左側に描かれている白梅はVの字に折れ曲がった枝は川に掛り、可憐な白い花が綻んでいます。そして、この絵(屏風)の中央に大きな川がゆったりと流れていますが、これがこの作品を真に独創的なものにしています。リアルな紅白梅とデザイン化された水流が見事に調和しているデザイン美の最高傑作と言えましょう。大胆に絵の中央を流れる黒々とした水流はデザイン文様に覆われていますが、ロッテのクールミントガムのペンギンのデザインなどで有名なグラフィックデザイナーの佐藤卓さんは「1960年代に流行したサイケ調のグラフィックに近く、ファンキーで躍動的」と評したうえで、太い線、細い線、少し太い線とリズミカルに線が配列され、水流のデザイン(大胆さ)とリアルな白梅(緻密さ)が交わっているところに面白さがあり、大胆さがあるから緻密さが際立ち、緻密さがあるから大胆さが際立つという良い緊張感を生んでいると感想を述べられていました。水流はデザインを作って行く構成力及び白梅を絵画を描く描写力の異なった能力が求められていますが、デザインと絵画という異なるモードを巧みに切り替え、見事に融合しています。光琳の絵をデザインとして見る視点を持つと同じ絵でも違ったものが見えてきます。

ロッテ クールミントガム 9枚×15個

ロッテ クールミントガム 9枚×15個

尾形光琳の大胆なデザイン感覚は生い立ちにあります。元禄時代に皇室や将軍家のお召し物を扱う京都随一の呉服商、雁金屋は当時のファッションの最先端を行く大胆なデザインを採用していましたが、光琳はこの雁金屋に生まれ、光琳の幼少期から使われていた雁金屋衣装図案帳には光琳の絵のモチーフとなったであろう草花の図案、梅の図案、燕子花の図案などが収められており、光琳初期の代表作である燕子花図屏風はこの燕子花の図案が参考にされていることが分かります。この絵には緑一色と群青色の濃淡を付けた花が描かれていますが、僅か2つの絵の具だけで描かれています。良く似た形をしていながら1つ1つ微妙に異なる燕子花がリズムを奏でるように連なり、着物文様を絵画の美に高めた光琳のデザイン感覚の真骨頂と言える構図です。


尾形光琳「燕子花図屏風」(国宝)


自宅の近所の燕子花

雁金屋衣装図案帳には水流の文様も収められており、紅白梅図屏風もこの水流の図案が参考にされていることが分かります。また、「流水図乱箱」には鈍い光を放ちながらたゆたう水の流れが面の広がりとして表現されており、「流水図広蓋」には様々にくねる線を加えて水の流れが表されているおり、長年の試行錯誤の末に紅白杯図の水流の文様が生み出されていった奇跡が伺えます。では、何故、水流は黒く描かれたのか?これには以下のとおり二説が存在していました。

第一説:
黄色い紙の地の上に水流の線の部分を型紙で覆い、炭を塗る。炭が乾いたところで、水流の線の部分の型紙を取ると、水流の線の部分のみが黄色で、それ以外のところは炭で黒くなる。その後、歴史を経て、黄色い水流の線の部分が茶色に劣化して今日のような状態になった。

第二説:
銀箔の上から膠水で水流の線の部分を描き、水流全体に硫黄の粉末を掛ける。膠水で描いた部分(水流の線の部分)以外は銀箔が黒く変色し(硫化銀)、膠水の部分は銀色のまま残る。その後、歴史を経て、銀色が抜け落ちて茶色く変色した。

今回番組で紅白梅図屏風の表面に付着している粒子の成分を検討したところ、どうやら第二説に従って紅日本画家の森山知己さんが紅白梅図屏風を模写し、上記の第二説の方法に、膠水ではなく礬水を使って実験したところ、第二説に従って描かれていたことが判明しました。番組の中で、日本画家の森山知己さんが第二説に従って紅白梅図屏風を模写しましたが、このときは膠水ではなく礬水が使われていました。水流のシャープなエッジを再現するにあたっては、膠水ではなく礬水が適していたようで、実際に光琳も礬水を使用していた可能性が高いとされています。次に、何故、水流を青ではなく黒く描いたのか。これは能の影響が指摘されていたのが興味深かったです。梅を題材した能「東北」では、僧(ワキ)が東北院の軒端の梅を眺めていると、その梅木を手植えした和泉式部の霊が顕在して和歌の徳、仏法の有難さを説いて舞を舞い、色恋に馴染んだ昔を恥じらい消え失せますが、その夜のイメージ(後場にシテ(霊)が登場するのは決まって夜、僧の夢の中)が黒い水流のイメージに繋がっていったのではないかという推論が展開されていました。軒端の梅は早春の梅であり、上述のとおり早春を描いた紅白梅図屏風の季節感と一致しますので、あるいは光琳の脳裏には能「東北」の舞台があったのかもしれません。そう思って改めて紅白梅図屏風を見ていると、色々な物語が見えてくるようですし、デザイン化された黒い水流も唯の川ではなくあの世とこの世を繋ぐ臍の尾(単なる文様ではなく思想のデザインとでも言うべきもの)のようにも見えてきて興味が尽きません。なお、余談ですが、和泉式部日記を読むと床上手だった和泉式部の武勇伝が赤裸々に語られていて面白いです。そのうえ男遊びが原因で二度も離婚されている豪傑でもあります。学校では情操教育によろしくないという理由なのかこういうことは教えてくれませんが、源氏物語に描かれている世界が平安貴族の実像と勘違いしてはいけません。


京都市左京区の東北院にある軒端の梅

尾形光琳琳派創始者である俵屋宗達を敬愛し、その技を身に着けようと俵屋宗達風神雷神図屏風」をはじめとして沢山の作品を模写しました。そして、宗達を乗り越えようとして書いたのが紅白梅図屏風で、紅梅図屏風は風神雷神図屏風の化身と言える作品です。この2つを対比してみると、風神雷神図屏風が「天」(風神と雷神の間に広がるのは天空で、何も描かれず奥へ抜けていく三次元的空間)を描写しているのに対し、紅白梅図屏風は「地」(紅梅と白梅の間に水流を置き、白梅と紅梅を結びつける吸引力のある構成)を描写しています。紅梅と白梅を対置させた紅白梅図屏風の構図は、宗達との格闘のうえに生み出された構図と言えるかもしれません。模倣は創造の母と言いますが、日本文化は先人を模倣することが表現の第一歩であり、それが日本文化の承継システムになってきましたが、明治以後の近代化の流れのなかで他人の真似をすることは良くないことであるという風潮が生まれ、日本文化の想像力の源泉が衰退してきているように思われます(文明は開化し、文化は衰退する)。それに輪を掛けているのが著作権法で、著作権法は創造者の権利を守るという錦の御旗を掲げていますが、その反面、文化に経済原理(的な価値観)を持ち込んで雁字搦めにしてしまっているように思えてなりません。


上から俵屋宗達風神雷神図屏風」(1624年?)、尾形光琳風神雷神図屏風」(1710年)、酒井抱一風神雷神図屏風」(1821年)

◆おまけ
春を寿ぎ...