大藝海〜藝術を編む〜

言葉を編む「大言海」(大槻文彦)、音楽を編む「大音海」(湯浅学)に肖って藝術を編む「大藝海」と名付けました。伝統に根差しながらも時代を「革新」する新しい芸術作品とこれを創作・実演する無名でも若く有能な芸術家をジャンルレスにキャッチアップしていきます。※※拙サイト及びその記事のリンク、転載、引用、拡散などは固くお断りします。※※

演奏会「西澤健一 協奏曲作品の夕べ」と秋の香<STOP WAR IN UKRAINE>

▼秋の香(ブログの枕の前編)
高松の この峰も狭に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香のよさ」という和歌が万葉集に集録されています。「高松」とは奈良県高円山のことで(「高」は高円山、「松」は松茸の掛詞)、「笠立」は松茸が大きく笠を広げている姿を表現していますが、当時は未だ茸狩りが一般化していなかったので、高円山に盛る松茸の香りが満ちている様子が詠まれています。因みに、松茸の香りのことを「秋香」と言いますが、昔から松茸の香りは秋を象徴する香りと考えられていたようです。神の恵みをもたらす豊饒の秋は自然界に香りが満ち溢れる香り高い季節であり、秋桜、菊、金木犀(三大香木の1つ)など秋に香る花々も愛でられます。なお、「匂い」には、「香り」(快い感情を生む匂い)と「臭い」(不快な感情を生む匂い)がありますが、(誤解されている方も多いですが)物質(分子)に「匂い」がついている訳ではありません。人間は鼻腔の奥にある嗅覚受容体(嗅細胞)で物質(分子)を感覚することで「匂い」を感じますが、その「匂い」は脳が創り出している感覚(知覚)で、それによって感情(過去の記憶から人間の生存可能性を高めるものを快い感情を生む香りとして好み、人間の生存可能性を低めるものを不快な感情を生む臭いとして嫌うことで生存可能性を高める反応)を引き起こす仕組みになっています。そのため「匂い」を嗅ぐと、その「匂い」と結び付く過去の記憶や感情が蘇るプルースト効果が発生することがあります。これは視覚も同様で、人間は眼球の奥にある光受容体(錐体細胞)で光の波長を感覚することで「色」(単色)や「色彩」(配合色)を感じますが、その「色」や「色彩」は脳が作り出している感覚(知覚)で、光や物質に「色」や「色彩」がついている訳ではありません。例えば、リンゴは赤く見えますが、リンゴ(物質)に赤い色がついている訳ではなく、リンゴが反射する光の波長によって人間の目(脳)には赤く映る(リンゴの色素が色を持っているのではなく、その色素がどの波長の光を吸収し、反射するのかによって人間の目(脳)に映る色が定まる)ということになります。人によって嗅覚受容体(嗅細胞)や光受容体(錐体細胞)の遺伝子は少しづつ異なっていますので、(文化的な影響に加えて)それにより「匂い」や「色」「色彩」の感じ方に微妙な差が生まれ、それぞれの嗜好の違いなどになって現れているのではないかと考えられます。なお、嗅覚受容体遺伝子の数は動物によって異なりますが、例えば、犬は肉食であることから獲物の匂い(体臭)を嗅ぎ分ける必要があるために嗅覚受容体遺伝子の数が多く(犬は人間の約2倍)、それぞれの動物にとって意味のある匂いを嗅ぎ分けられるようにチューニングされていると考えられています。この点、人間が外界の情報を得ている知覚の割合は視覚83%、聴覚11%、嗅覚3.5%、触覚1.5%、味覚1%と言われていますが(近くの情報を収集するための嗅覚、触覚、味覚よりも遠くの情報を収集するための視覚や聴覚が発達)、これは人類の進化の歴史が関係していると考えられます。哺乳類の祖先が夜行性であった時代は嗅覚が発達する一方で、暗闇で色や色彩を知覚することが困難であったことから二色型色覚しか持っていなかったと考えられています。(因みに、犬は二色型色覚しか持っておらず、犬にとっては主要な食物ではないリンゴは目立つ赤ではなく目立たないグレーに見えています。そのために犬は優れた嗅覚を使って認知能力を補っています。)しかし、その後、恐竜が絶滅すると哺乳類は昼行性に変化して行動範囲を広げ、そのうちの霊長類は樹の上で暮らすことを選択したことから、緑の森の中で熟して色付いた果実を見つけるのに有利な三色型色覚へ進化し(二色型色覚よりも果物が反射する光の波長を肌理細かく分析できる能力)、あまり嗅覚に頼る必要がなくなったと考えられています。やがて樹の上から降りて二足歩行を開始した人類(ホモサピエンス)の祖先が火を使った料理を発明したことで、食物が柔らかくなり消化・吸収の効率が高まったことから、これまで消化・吸収に費やされていた時間やエネルギーを他の生命活動に振り分けることが可能となり脳の進化をもたらしたと言われています。また、火を使った料理を発明したことで、物質の中に閉じ込められていた匂いが解放され(即ち、物質が熱によって分解、気化されることで、物質の中に含まれている分子が空中に解き放たれ、その分子が聴覚受容体によって感覚されて脳が匂いの知覚を引き起こす)、人類の祖先が豊饒な香りの世界と出会う契機となりました。上記では犬と人間の嗅覚や視覚の違いを採り上げましたが、それぞれの生物(動物のみならず、生物や微生物を含む)が客観的に存在する「環境世界」の中から何を生存可能性を高めるために必要があるものとして選択し、それらを知覚するために適切な能力を進化させて(情報処理能力を効率化・最適化するために不必要な知覚を退化させることを含みます)、それによってそれぞれの生物が知覚している世界を「環世界」と言います。しかし、例えば、新型コロナウィルスは人間が知覚することができない存在であり(現在の生物学ではウィルスは非生物とされていますが、生物の捉え方を抜本的に見直す必要性があるのではないかという問題提起も行われています。)、人間の「環世界」の外に存在するものですが、電子顕微鏡等の発明によってその存在が確認され、人間の「環世界」の外にあって人間を取り巻く「環境世界」に存在するものも人間に様々な影響を与えることが徐々に解明されてきており、人間の認知能力の及ぶ範囲に閉じ籠っていられる時代ではなくなっています。過去のブログ記事でも触れましたが、聖書では生物として動物(拡大解釈しても動植物)しか登場しませんが、その後、顕微鏡等の発明によって微生物等が発見され、それが人間及び人間を取り巻く「環境世界」に対して不可欠な働きを担っていることが徐々に解明されています。このように過去の知性等を前提して認識されてきた人間の「環世界」に基づく価値観、自然観や世界観等を大きく更新せざるを得ない変革の時代に直面しており、そのような時代の大きな流れのなかで、過去のブログ記事で触れたとおり、M.シェファーがサウンドスケープを提唱して、世界を取り巻く「音環境」そのものを研究対象とし、音楽等を捉え直す試みを始めたことは、正しく「環世界」から「環境世界」へと人間の認知能力を広げて行かなければならない時代の要請を鋭敏に捉えた偉大な功績であると思います。
 
①与田浦コスモス園(千葉県香取市津宮
②枯木神社(兵庫県淡路市尾崎220
③香りの碑(伊弉諾神宮)(兵庫県淡路市多賀740
④組香(香雅堂)(東京都港区麻布十番3-3-5
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与田浦コスモス園/秋の花、コスモス(cosmos)は明治時代に輸入された外来種で、花弁が桜に似ていることから「秋桜」(あきざくら)という和名が付けられましたが、山口百恵の流行歌「秋桜」(作詞、作曲:さだまさし)を洋名のコスモスと読ませた影響から、その後、和名も「秋桜」(コスモス)が定着しました。過去のブログ記事で触れたとおり、cosmosは宇宙誕生後の調和された秩序のある状態を意味し、宇宙誕生前の混沌として乱れた状態を意味するchaosの対義語となります。 枯木神社/日本書記には「推古天皇3年(西暦595年)の夏4月、沈水香木が淡路島に漂着した。島民は沈香を知らず、薪と共に竈で焼いたところ、その煙は類い希なる良い薫りを漂わせた。これは不思議だと思い朝廷に献上した。」という記録が残されており、これが日本で最初に香木が伝来した故事と言われており、香木(枯木)を御神体とする枯木神社が祀られています。これを香木と見抜いた聖徳太子は、その香木で観音像を作ったと言われています。現在も淡路島はお香生産量日本一です。 香りの碑(伊弉諾神宮)伊弉諾神宮「古事記」や「日本書紀」の国産み・神産みの神話に登場する日本最古の神社で、伊弉諾尊が最初に産んだ淡路島多賀の地で幽宮(終焉の御住居)があった場所と言われています。なお、その境内には、推古天皇3年(西暦595年)の夏4月に沈水香木が淡路島に漂着してから1400年を記念し、1995年に「香りの碑」が建立されています。なお、「延喜式神名帳」(平安時代)では、伊勢、石上、出雲、鹿島、香取等が神宮とされています。 組香(香雅堂)香雅堂は、18世紀後半(江戸時代寛政時代)から続く京都の香料輸入卸「山田松香木店」から独立し、1983年に麻布十番香道具専門店を開業した老舗です。日本の香道では香りは嗅ぐものでなく聞くものとされ、物語や和歌等の文学の題材と結び付いた香りを聞き分ける組香が発展しますが、ヨーロッパの香水文化では46種類の香料を7オクターブの音階に当て嵌めて音楽と香りの調和を楽しむ香階が発展し、香りを奏でる楽器としてPerfumery Organが開発されています。
 
▼秋の香(ブログの枕の後編)
上述のとおり人類の祖先は約180万年前に火を使った料理を発明したことにより火で食物を焼くと匂いが発生することを発見したと考えられます。やがて人類は約5万年前に認知革命(突然変異)を経て、匂い、味、熱、光、音等を生み出す火に神聖なものを感じ、神への捧げ物として崇めるようになりました。この点、英語で香水を意味する「perfumum」は「煙」(fumum)と「を通じて」(per)というラテン語から生れた言葉ですが、常温では匂いを発しない樹脂等を焚いて加熱すると分子に分解されて匂いを発し、その匂いを発する煙が神と人間とを媒介するものと捉えられました。このような背景のもと、ヘレニズム文明で生れた香りの文化はギリシャ、ローマ、フランスへ受け継がれて化粧としての香水文化、イスラム文明で生まれた香りの文化は宗教や医薬としての薫香文化、黄河文明で生れた香りの文化は宗教や遊戯としての香道文化として華開き、人類は匂いを料理、宗教、医薬、化粧、遊戯、そして現代では香りのブランディングとして利用するようになりました。このように香を焚くことから始まった香りの文化は、やがて香油や精油へ発展します。一般的に、人間が匂いを感じる物質(分子)は水に溶け難く油に溶け易いという性質をもっており、花びらやハーブ等をオリーブ油等に漬け込んで、その物質(分子)が溶け出たオリーブ油等を体に塗ることでその揮発性を利用した香油(フレグランス)が誕生します。過去のブログ記事で触れましたが、プトレマイオス朝(エジプト)の女王・クレオパトラは世界で最初にアイラインやアイシャドウを利用しましたが、当時、ローマ帝国に輸出されていたバラの香料を沁み込ませた絨毯にクレオパトラが包まって「カエサルへの贈り物」として届けさせたという逸話が残されているように、クレオパトラは教養、化粧や香油等でカエサルアントニウス等のローマ帝国の有力者を手玉に取る外交手腕に優れた才女であったと言われています。その後、ローマ帝国の衰退によって新しくエジプトを支配したアラビア人が蒸留技術を発明し(蒸留とは沸点の違いを利用して成分を分離、濃縮する技術のことで、例えば、アルコールの沸点:78.3℃と水の沸点:100℃の違いを利用してワインを蒸留し、アルコール度数の高いブランデーを作るなどが挙げられます。)、花びらやハーブ等を水蒸気で蒸し、その人間が匂いを感じる物質(分子)を含んだ気体を集めて冷却し液体にしたものを精油と言います。なお、蒸留では水のみを使用し油を使用しませんが、一般的に、人間が匂いを感じる物質(分子)は水に溶け難く油に溶け易いという性質をもっていることから精油命名されています。精油はアルコールによく溶ける性質がありますが、12世紀にヨーロッパに精油が伝来すると、様々な精油をアルコールに溶かして好みの比率で混合することで香りをブレンドすることが可能になり、香水文化が華開くことになりました。過去のブログ記事で触れましたが、黒死病(ペスト)の流行によってヨーロッパで入浴の習慣が廃れ、体臭隠しや殺菌代わりとして「隠す」ための香水が爆発的に普及したと言われており、過去のブログ記事で触れたとおり、その後、天然香料を使用した型に嵌った香りだけではなく、人工化合物を利用した合成香料を使用した型に嵌らない複雑で優雅な香りがする香水「Chanel   N°5」が登場し、「彩る」ための香水へ進化していきます。因みに、劇作家・シェイクスピアの娘婿は医師で、女性の臍に霊猫香という香料を塗って女性のヒステリーを治療したという記録が残されていますが、現代ではアロマテラピー(ヨーロッパでは薬用として認められており、芳香療法として注目されています)やお香は、脳波、自律神経やホルモン分泌を整えて心身のリフレッシュ(活性)やリラックス(鎮静)の効果(心理的効果、生理的効果、薬理的効果、科学的効果、環境保全効果等)があることが解明されており、近年では快適な生活空間や自然環境の保全等の観点から香りを研究する「環境香学」や「環境デザイン」という学問分野が注目されています。
 
▼フレグランス(香り製品)の種類
フレグランスの種類は香料の割合や香りの持続力等によって分類されますが、TPOや香りの変化(ノート)を意識した香調(タイプ)の選び方や香りの纏い方にセンスの違いが現れます。最近のストイックな若者は無臭を好み、毎日、消臭スプレーは使用するのにフレグランスを使用しない人の割合が過半数にのぼっており、若者のフレグランス離れが進んでいる実態が指摘されています。近年では、スメルハラスメントが社会問題化しており社交空間で香りを楽しむことは難しくなっているのかもしれませんが、逆に、アロマテラピーやお香を楽しむ若者は増えておりプライベート空間で香りを楽しむ機会は増えていると言えるかもしれません。
種類 賦香率 持続時間 特徴
パルファン 15~30% 5~7時間 俗に「香水」と呼ばれるもの
フォーマルな香り
オードパルファン 8~15% 5時間前後 セミ・フォーマルな香り
オードトワレ 5~8% 3~4時間 カジュアルな香り
オーデコロン 3~5% 1~2時間 ライト・カジュアルな香り
 
上述のとおり推古天皇3年(西暦595年)の夏4月、沈水香木が淡路島(枯木神社)に漂着したという記録(日本書記)が残されており、これが日本で最初に香木が伝来したものと言われています。当時の島民は沈水香木の知識がなく、薪と共に焼いたところ良い香りが漂ってきたことから朝廷に献上したと言われています。その後、飛鳥時代、中国(漢)から薬草(香料)が伝来し、また、奈良時代、鑑真和上が中国(唐)から薬草(香料)を調合する合香術(技術)を持ち帰ったことで、仏前で薬草を薫く(焼香)ようになりました(宗教のための香り文化:供香)。平安時代、貴族は自らの香りを調合し(練香)、自分だけの香りを作って自らの衣服や部屋に薫き染めて香りを纏う薫衣香や空薫と呼ばれるお洒落(化粧のための香り文化:空香)や、貴族が自ら調合した香り(線香)の優劣を競う薫物合や素晴らしい香木のみを使用する名香合と呼ばれる遊びなどが流行します(遊戯のための香り文化:玩香)。その後、鎌倉時代武家政権が誕生すると高価な香料を手間暇かけて調合する貴族趣味よりも、一木の香りの優劣を競う香合が流行し(遊戯のための香り文化)、その後の香道へと発展します。室町時代、香木の香りを聞き分ける闘香が流行しますが(遊戯のための香り文化)、室町幕府第8代将軍足利義政を中心とする東山文化で茶道、華道と並んで香道が大成し、単に匂いを嗅ぐのではなく深淵な香りの世界を探求する聞香や、物語や和歌等の文学の題材と結び付けて香りを聞き分ける組香が誕生し、現在、三条西実隆を開祖とする公家風の優雅を重視する御家流と、志野宗信を開祖とする武家風の格式を重視する志野流の2大流派が存在しています。日本では文学+香り=組香が誕生し、ヨーロッパでは音楽+香り=香階が誕生していますが、上述のプルースト効果に見られるとおり、人間は聴覚と視覚、聴覚や味覚等を結び付けて世界を重層的に知覚し、高度な認知能力を発達させてきました。最近では、その五感をフル活用して様々な芸術作品を重層的に鑑賞する試みが活発になっており、香りのアート展(Smell the Art)などが注目を集めています。なお、日本人にとってお香と言えば、仏事の線香のほかに蚊取り線香が馴染み深いですが、1886年にアメリカから殺虫効果がある除虫菊の種子が持ち込まれ、それを使った渦巻型の蚊取り線香が発明されました(現在は、除虫菊ではなく人工化合物が使用されています)。因みに、金鳥蚊取り線香左巻き、アースの蚊取り線香右巻きという違いがありますが、もともと金鳥蚊取り線香も右巻きで(手巻きで蚊取り線香を成形していた職人は右利きが多かったので自然と蚊取り線香も右巻き)、後発のアースが機械巻きで蚊取り線香を成形する方法で市場参入してきたことを受けて、金鳥は機械巻きで蚊取り線香を成形する方法に変更するタイミングで左巻きに変更したという因縁があるそうなので、文字とおり両社の間には渦が巻いています。
 
 
【演題】西澤健一 協奏曲作品の夕べ
【演目】①西澤健一 ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲(管弦楽版初演)
      <Vn>オレグ・クリサ
    ②西澤健一 オーボエ弦楽合奏のための協奏曲(世界初演
      <Ob>クリストフ・ハルトマン
    ③西澤健一 2つのヴァイオリンのための協奏曲
               (2022年日本ウクライナ芸術協会委嘱)
      <Vn>オレグ・クリサ、澤田智恵
    ④西澤健一 2台ピアノのための協奏曲(世界初演
      <Pf>花房晴美、花房真美
【出演】卍プロジェクト・オーケストラ
      <Con>西澤健一
      <1stVn>藤村政芳、篠原英和、荒井章乃、印田千裕、塗矢真弥、
            梶野絵奈、真野謡子、中村美音
      <2ndVn>小山啓久、佐藤茜、廣島美香、濱田協子、坂東真奈実、
             橋本彩子、石井有子、上田圭
      <Va>長谷川弥生、河野理恵子、三浦克之、高木真悠子、
         柳沢崇史、力久峰子
      <Vc>高橋泉、灘尾彩、テチヤナ・ラブロフ、大塚幸穂、印田陽介
      <Cb>西澤誠治、矢内陽子、吉田水子、照井岳也
      <Fl>薄田真希、葛西賀子
      <Ob>倉田悦子、堀子孝英
      <Cl>木原亜土、粟谷明菜
      <Fg>中田小弥香、柳澤香澄
      <Hr>木原英土、花房可奈、伊勢久視、片岡千恵美
      <Tp>尾崎浩之、牛腸和彦
      <Tim>悪原至、佐藤直斗、蓑輪飛龍
【会場】めぐろパーシモンホール 大ホール
【開演】2022年10月13日(木)19時~
【料金】配信チケット(ストリーミング、アーカイブ)2000円
【感想】
▼西澤健一 協奏曲作品の夕べ(シリーズ「現代を聴く」番外編)
作曲家・西澤健一さんの「西澤健一 協奏曲作品の夕べ」をアーカイブ配信で視聴しましたので、各曲毎に一言づつ簡単に感想を残しておきたいと思います。この演奏会では、ウクライナ(オデ-サ)出身のヴィルトゥオーソ・オイストラフの高弟にして第10回パガニーニ国際コンクールで優勝したウクライナ人ヴァイオリニストのオレグ・クリサさんやベルリンフィルハーモニー管弦楽団オーボエ奏者のクリストフ・ハルトマンさんなど世界的に著名な演奏家を迎えて開催されました。なお、作曲家・西澤健一さんの作品は調性音楽を基調とするものであり、無調音楽は苦手だという奥手な諸兄姉にも聴き易いものになっていると思いますので、この演奏会を聴き逃したという方も機会がありましたらご視聴下さい。
 
①ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲
この曲のテーマは「自然」(山)だそうですが、「ある孤独な若者が薄暗い森を歩き、山を登り、その先で哲人に出会い、静かな満足を得て山を下っていく。そんな情景のようだ。」という評のとおり、孤独な青年のモノローグや心象風景を垣間見ているような儚げな情趣が漂い、人生の登山のようなものを想起させる物語性を感じさせます。ソリストが華々しく登場するプロローグの後、オーケストラが提示した主題はクラリネットに誘われてソリストへと受け継がれ、自然の情景を生き生きと描写するようなピッチカートを挟んで、管楽器へと受け継がれながら音楽を彩ります。その後、パーカッションと鉄琴により静寂な時が刻まれ、やがて弦楽器が主題を再現すると、これに管楽器やソリストが加わって抒情的なクライマックスを築きます。再び、クラリネットに誘われてソリストが主題を奏し儚く消え入るようなエンディングを迎えますが、オレグさんと木原亜土さんの繊細な演奏がこの曲の余韻を深くしていました。
 
オーボエ弦楽合奏のための協奏曲
ハルトマンさんが西澤さんの「オーボエソナタ」(2015年)を演奏する機会があり親交が始まったそうですが、この曲はハルトマンさんのオファーにより作曲されたものだそうです。コロナ禍の影響から初演が見送られていたそうですが、本日は弦楽合奏版で世界初演されました。なお、この曲はオーボエ五重奏のための室内楽版もあるそうなので、素直で聴き易い曲趣と相俟って再演の機会に恵まれるかもしれません。この曲の作曲中に西澤さんのご親族に不幸があったことを全く感じさせない陰のない素朴で抒情的な音楽が展開されますが、上記のエピソードを踏まえて聴くと、第二楽章の清潔感のある甘美な調べは魂の永遠の安息を祈る鎮魂歌のようにも聴こえてきて感慨深いものが感じられます。やはり何といってもハルトマンさんによるオーボエの洗練された優美な音色とその語り口に魅せられる好演が印象的であり、これに柔和にして艶麗な響きで寄り添う弦楽合奏の好サポートにも好感を覚えました。
 
③2つのヴァイオリンのための協奏曲
日本ウクライナ芸術協会から日本とウクライナの国交樹立30周年を記念するドッペルコンチェルトの作曲を委嘱され、今秋、ウクライナで初演する予定がロシアによるウクライナ侵攻によって中止になったそうです。ウクライナ人に対する拷問や殺害の悲報に接し犠牲者を弔いたいという想いで作曲したそうですが、第一楽章では主題を重ねながらウクライナ人の悲劇を哀切に訴え掛けてくるような不協和が印象深く響きました。オレグさんと澤田智恵さんによる訴求力のある演奏も出色。第二楽章は西澤さんが作曲した「ウクライナ民話『空飛ぶ船と愉快な仲間』朗読のための音楽」等からの引用で、刻み音やアルペッジョ等によって霜が降る情景が描写され、やがて到来する冬将軍にウクライナが守られる様子が表現されているようでした。第三楽章はウクライナのポップスとクリミアタタール民族音楽から着想を得て、これに日本の響きを交えて作曲されたエキゾチックな曲で、ウクライナに寄り添う想いが込められています。
 
④2台ピアノのための協奏曲
「2つのヴァイオリンのための協奏曲」はロシアによる侵攻で苦しむ現実のウクライナに寄り添うための作品なのに対し、「2台ピアノのための協奏曲」はロシアによる侵攻がなければどのような祝祭曲を書いたかを想像しながら作曲したものだそうです。第一楽章は(前者の第一楽章をショスタコーヴィチ風と形容するとすれば)チャイコフスキー風とでも形容したくなる輝かしい響きに彩られた眩い音楽です。調性音楽に既聴感を覚えてしまうのは止むを得ません。花房姉妹の光沢感のある粒際立ったタッチによって、この絢爛たる曲趣に華を添える好演だったと思います。第二楽章は西澤さんが作曲した「ウクライナ民話『空飛ぶ船と愉快な仲間』朗読のための音楽」等からの引用で、快活で諧謔的な演奏が祝祭ムードを盛り上げています。第三楽章は一転して抒情的な曲趣ですが、分散和音を散りばめたラフマニノフ風のクライマックスが印象的で、これに続く第四楽章は祝祭曲らしい大団円で締め括られました。
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.8
シリーズ「現代を聴く」では、1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代作曲家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼ダニエル・ウォールの「Melt」(2019年)
フランス人の現代作曲家のダニエル・ウォール(1980年~)は、ポスト・クラシカルと共に注目されているインディー・クラシックの分野で頭角を現している若手の現代作曲家です。インディー・クラシックは、アコースティックな音楽とエレクトロニカ電子音楽)の手法を融合している点ではポスト・クラシカルと共通しますが、ポスト・クラシカルのような感傷的な性格ではなく、ポスト・ミニマルの流れを汲む無機質な性格に特徴があります。
 
シェリル・フランシス・ホードの「夜空の彼方」(2017年)
イギリス人の現代作曲家のシェリル・フランシス・ボード(1980年~)は、ケンブリッジ大学で作曲を学び、これまでに数々の賞や奨学金を授与しているなど注目されている若手の現代作曲家です。この動画は、スティーブン・ホーキング教授が2018年に逝去する前年の75歳の誕生日を祝うためにケンブリッジ大学から委嘱され、アメリカの詩人スティーブ・シュナーの童謡の世界をもとに作曲されたものです。
 
▼梅本佑利の「萌え²少女」(2022年)
日本人の現代作曲家の梅本佑利(2002年~)は、愛知県立芸術大学作曲科の学生ですが、おそらく日本人にしか作曲できないであろう日本のサブカルチャーの世界観を表現する現代音楽で注目されています。この動画は、スピーチ・メロディーの手法を使ってチェロとWAV音源(アイコン化した音素材としてのアニメ声等)から構成されるミニマル・ミュージックで、「萌え記号」に物語を発見するゲーム世代らしいユニークな作品です。

国際平和デーに考えるイカの哲学(平和論)とタコの哲学(音楽論)<STOP WAR IN UKRAINE>

▼国際平和デー(ブログの枕①)
今日、9月21日はロシアがウクライナに侵攻を開始してから初めての「国際平和デー」です。ニューヨークの国連本部の前に「国連平和の鐘」という日本の梵鐘が設置されていますが、国際平和デーには国連の事務総長、幹部、各国代表や著名人などが出席して平和を祈念した鐘撞式が行われ、世界中の停戦と非暴力の日として全ての人々に敵対行為を停止するように働きかけています。前回のブログ記事で触れましたが、日本の梵鐘の音が正しく国際平和を象徴するサウンドロゴになっています。なお、国連平和の鐘は、未だ日本が国連への加盟を認められていなかった1954年に第二次世界大戦でビルマ戦線に従軍した経験から平和運動に身を捧げた日本国連協会評議員・中川千代治が「平和への願いを込めて、世界の人々のコインで平和の鐘を造りたい」と世界に訴え、その訴えに賛同したローマ法王、世界60か国以上の国々や子供達などから寄せられたコインを使って鋳造し、「世界絶対平和萬歳」と鋳込んだ日本の梵鐘を国連本部に寄贈したものです。人類の歴史は戦争の歴史と言い替えることも可能ですが、第二次世界大戦後の人類の最も偉大な発明は「平和」だとも言われています。しかし、現実には、第二次世界大戦後の半世紀の間で150以上もの地域紛争が勃発しており、第三次世界大戦を誘発し兼ねないウクライナ侵攻も深刻化しています。第二次世界大戦後の地域紛争は、多少の時代の先後関係はありますが、大まかなトレンドとして分類すれば、冷戦(1945~1989年)として、①第二次世界大戦の戦争国による資本主義(西側陣営)と社会主義(東側陣営)の対立による代理戦争(朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争等)、ポスト冷戦(1990年~)として、②社会主義(東側陣営)の敗北及び崩壊により生じた内戦による地域紛争(ユーゴスラビア紛争、ソマリア紛争、東ティモール紛争等)、そして、③イスラム原理主義(第三極)のアメリカニズムへの反発による地域紛争等(湾岸戦争、9.11同時多発テロ等)、④共産主義及び権威主義(東側陣営)のアメリカ二ズムへの反発による地域紛争(ウクライナ紛争、台湾問題?)等が勃発していますが、上記③及び④の動きと併せて共産主義及び権威主義(東側陣営)並びにイスラム原理主義(第三極)は多極的な世界秩序(ポスト・アメリカニズム)を掲げているのに対し、アメリカは自由主義及び民主主義(西側陣営)の価値観を守るために西側陣営の結束を呼び掛けています。このような第二次世界大戦後の各地域紛争は、対人地雷や生物化学兵器の使用、ジェノサイド及び民間人への攻撃などの戦争犯罪(国際軍事裁判所憲章第6条で定める侵略戦争、戦争法規違反、非人道的行為など)や大量の難民・避難民の発生等の人道問題を惹起していると共に、グローバリズムを背景として発展途上国の食料不足、エネルギー価格の高騰、サプライチェーンの機能不全、環境破壊等の国際問題も惹起しており、国際秩序(平和)の回復や維持の模索が続けられています。昔、文化人類学者・中沢新一が波多野一郎著「イカの哲学」を題材として平和論を論じた同名の書籍を読んだのを思い出しましたので、その要旨を簡単にご紹介しておきたいと思います。
 
 
▼イカの哲学(平和論)(ブログの枕②)
上述の書籍「イカの哲学」では、人間の生命原理によって戦争が生み出されることが哲学的に考察されています。即ち、その生命原理とは、人間が個体としてのアイデンティティを意識するために周囲の環境から分離した個体であろうとする本能(平常態)が働いている一方で、生殖や狩猟に象徴されるように平常態を離れて周囲の環境と連結し、それを個体に採り込もうとする本能(エロティシズム態)も働いており、それが周囲の環境と結合する目的に応じて宗教、芸術や戦争等を生み出すと共に、戦争の場面では敵の中に自分と同じ人間としての「実在」を発見して平和を回復、維持しようとする一見矛盾した本能も同時に働いていると帰結しています。しかし、近現代の戦争(戦車による機械戦及び核兵器、生物科学兵器、高性能爆撃機、中長距離ミサイルやドローン等の新兵器の開発など)では、敵の中に自分と同じ人間としての「実在」を発見する契機(エロティシズム態)が失われ、大量破壊兵器の使用やジェノサイドなど「戦争」の限界を超えた「超戦争」が行われるようになったという問題意識を示しています。これは海洋を回遊するイカの群れに漁網を投じて一網打尽にする機械化された近代漁法も同様であり、魚を1つの生物の「実存」として捉えるのではなく資本主義経済と結び付いた海洋資源(収穫量)として捉えて乱獲するなど「狩猟」の限界を超えた「超狩猟」が行われるようになった結果、海洋資源枯渇の問題を惹起していると警鐘を鳴らしています。上述のとおり近現代の戦争では敵の中に自分と同じ人間としての「実在」を発見するエロティシズム態によって超戦争を食い止めることを期待するのは難しいので、人間が自らのコミュニティーの利益のみを優先するヒューマニズム(人間中心主義)の視点(ego-self)を超越し、エコロジー(自然尊重主義)の視点(eco-self)から全ての生物を含む自然の「実存」を発見するという自然への共感力を取り戻すことにより現代人のエロティシズム態の感度を上げて「超戦争」を抑止する「超平和」を生み出す取組みが必要ではないかと提唱しています。非常に哲学的な考察ですが、実際にはこれを理解し又は実戦できる賢い人間は少ないと思いますので、人間の本性を踏まえた科学的かつ実践的な平和学の研究が待たれます。
 
▼中沢新一の「イカの哲学」(ヒューマニズムからエコロジーへ)
原理 平常態(連続性) エロティシズム態(非連続性)
近代 平和 平和 戦争
現代 超平和 超戦争
 
現在、戦争やそれ以外の暴力を根絶して長期的な平和を確立するための方法を科学的に研究する平和学という学問分野が注目を集めています。平和学は、冷戦後の1950年代から本格的に研究されるようになり、1968年に開催された第2回国際平和研究学会(1989年にユネスコ国際平和教育賞を受賞)でインド人の平和学者であるスガタ・ダスグプタが「南の世界は戦争がないからと言って決して平和とは言えない。戦争がなくても大量の死者が出ている。」と問題提起すると共に、平和の反対概念は戦争ではなく戦争を含む非平和(ピースレスネス)であると提唱し、戦争以外の原因で死者を出さないようにするための研究も平和学の課題であるとして平和の概念の拡張を試みています。これに影響を受けたノルウェー人の平和学者であるヨハン・ガルトゥングは、論文「暴力、平和、平和研究」(1969年)及び論文「文化的暴力」(1990年)で「2つの平和」とこれらを乱す「3つの暴力」という概念を提唱して、現在の平和学の基礎を築きました。即ち、2つの平和として、直接的暴力がない状態としての「消極的平和」と構造的暴力がない状態としての「積極的平和」を定義し、これらを乱す3つの暴力として、紛争、虐殺、家庭内暴力等の直接的な暴力としての「直接的暴力」、差別、疎外、経済搾取、飢餓、貧困、環境問題等の社会構造に組み込まれている暴力としての「構造的暴力」、他者への不寛容、偏見、憎悪、無関心等により構造的暴力を正当化し、これを助長する暴力としての「文化的暴力」に分類したうえで、2つの平和の実現を阻害する3つの暴力を生み出す要因を科学的に分析し、これらの要因を取り除き又はそれらの要因を生み出さないための平和学の実践が活発になっています。この点、現在、新型コロナウィルス・ワクチンやその治療薬の南北格差が国際問題になっており、WHO及び日本を含む西側諸国がワクチン格差の解消に向けた取組みを行って2022年9月末日までに各発展途上国の全人口の約70%(集団免疫を獲得する目安)までワクチン接種を完了する計画になっていますが、実際にはその半分も進捗していない厳しい状況です。また、先日、発展途上国の一部が新型コロナワクチンの治療薬に関する知的財産の自由な使用を先進国に要望していましたが、大手製薬メーカーを抱えるヨーロッパ諸国の反対で見送られることになり、世界各国の利害や思惑などを背景として3つの暴力を生み出す要因を排除するための現実的な解決策を見い出すことは決して容易ではないことが窺がえます。このような現代的な諸問題に対して現代人の関心を向けるために芸術家に期待されている社会的な役割は大きいと感じますが、そこで求められている芸術的な表現は、例えば、ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調「合唱付き」のようなヒューマニズム(市民社会の理想)を高らかに謳い上げる近代以前(第一次世界大戦まで)の芸術遺産ではなく、現代に生きる芸術家が創作する現代の時代性を表現するための芸術作品であると感じます。上述の書籍「イカの哲学」にも述べられているとおり、超平和の実現はヒューマニズム(人間中心主義)のような脆弱な思想では解決できない難問であり、最新の科学的な知見を踏まえた大きな視点(イカの哲学の視点)で時代を捉え直し、平和学の研究とその成果に基づく重層な国際的取組みが必要ではないかと思います。
 
▼三枝成彰のピアノ協奏曲「イカの哲学」(2008年)
 
▼タコの哲学(音楽論)
①音楽とは?
あまり気乗りしませんが、書籍「演奏家が語る音楽の哲学」を読んでみましたので、ごく簡単に雑感を残しておきたいと思います。なお、この書名にある「音楽」について『筆者は「それが一聴して音楽と認識できないものを音楽とは認めない」という立場である。』と書かれていますが、現在、「音楽」の不変項と呼べるようなものは解明されていませんので、この筆者の認知能力(人間の認知の基本的な仕組みは前回のブログ記事を参照)の範囲で「音楽」と認知できるものを示しているとしか言いようがありません。よって、この書籍が何を対象にして書かれているものなのかこの筆者にしか明確なことは分かりませんが、この書籍の文脈から「推測」できる範囲(即ち、主にクラシック音楽の一部をイメージしていると推測されますのでその仮定)で雑感を残したいと思います。なお、『ノイズミュージックや音響派、偶然性の音楽というジャンルがあることは否定はしない。でも、わざわざ言葉でそう宣言しなければ音楽とは認識されない音響を「音楽」と呼んでよいのかどうか、ははなはだ疑問ではある。「解説や注釈、説明なしにそれが音楽と感じられるもの・・・」それだけを音楽とよびならわしたい、というのが筆者の立場だ。』と書かれていますが、人間は新しい知覚(体験)や新しい記憶(学習)によってしか認知(世界)を広げることはできず、歴史的にも、聴衆が認知能力を向上する過程で徐々に受容されるようになったクラシック音楽は少なくありません。この点、聴衆がこれまでに体験や学習をしたことがない全く新しいものを認知できるようになるためには「解説や注釈、説明」は極めて有効な手段であり、(あくまでも個人の嗜好の問題であるとしても)これに耳を貸すことなく、この著者の認知能力の及ばないものは「音楽」とは認めないという態度は些か狭量であるという印象を否めず、また、音楽教育に携わる方として些か配慮にも欠けるのではないかと残念に感じます。
 
②本質的な問題とは?
先ず、プロローグとして、『近ごろの音楽界に感動が足りないのは、真の芸術たり得る新たな響きが生み出されていないからなのか。そんなことはない。話は逆だ。「それについて知っている」という消費者としての立ち位置が、わたしたち自身の耳を曇らせているからだ。「私は私が欲しているか、自分のことを知っている」という己に対する傲慢が自身の感覚を鈍らせている。つまり自らニーズを生み出すことによって、かえってわたしたちは未知なる世界への扉を閉ざしている、とはいえまいか。』と書かれていますが、クラシック音楽界が抱えている問題の本質はもっと別のところにあるのではないかと思います。改めて詳しくは書きませんが、過去のブログ記事でも触れたとおり、「それについて知っている」か否かという点が問題の本質なのではなく、現代は、クラシック音楽が表現し又はその表現の前提としてきた価値観、自然観及び世界観等に対する各分野からの異議申立が行われ、それらの価値観、自然観及び世界観等に対する修正が求められている時代であり、現代人の知性を前提とすると、クラシック音楽が現代人の教養(学問、知識、経験や芸術受容等を通して養われる心の豊かさ)を育むことは難しくなっているという点にあるのではないかと思います。また、『「知っている」という思い上がりに、芸術が感動の扉を開くことなどあろうはずがない。どうやら不足しているのは、音楽に対してへりくだる柔らかなこころらしい。』と書かれていますが、前回のブログ記事でも触れたとおり、昨年逝去されたサウンドスケープの提唱者・M.シェーファーは歴史上の作曲家の前にひれ伏すような音楽教育では駄目だという考え方をお持ちだったようであり、正しく慧眼だと思います。この変革の時代にあって既成の概念や価値観等を盲目的に受け入れるのではなく既成の概念や価値観等に懐疑的な眼差しを向けて「音楽」とは何なのかを根源的に問い直す「柔らかなこころ」が必要なのではないかと思います。この点、現代の演奏家に最も期待したいことは、未だ評価が定まっていない現代に生きる作曲家が創作した音楽(クラシック音楽の伝統的なアプローチが通用しない新しい音楽を含む)の中から新しい価値を見い出し、その魅力を聴衆に伝えることだと考えています。近年、ヒラリー・ハーンやギンドン・クレーメルなど当代一流の演奏家達は現代に生きる作曲家が創作した音楽の中から新しい価値を見い出した作品を実演又は録音で積極的に採り上げて、その魅力を聴衆に伝えることに成功している点で大きな功績を挙げている偉大な芸術家であると思いますが(新しいものを受容するに足りる教養力を備えた認知能力の高い聴衆が少ないことは自省するとしても、その一方で、これらの実演又は録音に対する聴衆の関心や評判が決して低くないことも事実だと思います。)、現状、このような活動に取り組める真の実力を備えた演奏家の数は非常に少ない印象を否めず(今後もシリーズ「現代を聴く」等で、可能な限り、現代に生きる作曲家と共に、そのような活動を行っている演奏家を紹介して行きたいと考えています。)、そのような実力を備えた演奏家の増加とその活躍に期待したいと思います。タコは海底の岩場等に住拠を定めて身を隠して生活し、イカは住拠を定めずに群れを作って広い海原を回遊しながら生活していますが、狭い「クラシック音楽」という伝統の壺に閉じ籠っているばかりではなく、その伝統の殻を破って(型無しではなく型破り)、未来に開かれた広い世界を回遊しながら「音楽」を捉え直してみることが必要な時代ではないかと感じています。
 
③タコからイカへの解凍?
次に、第3章において、『クラシック音楽において、個性の主張や、己が感情の発露などという低次元の表現は何の意味もなさない。その意味がどのように演奏されたがっているのか、楽譜に記された音符から読み解くことだけが奏者に課された責務である。』と書かれていますが、このような楽譜至上主義がクラシック音楽の限界を画してしまっているように感じます。過去の偉大な作曲家が残した楽譜を神聖視し、作曲家の意図を汲み取ってそれを忠実に再現するという1つの演奏習慣を前提にする考え方だと思いますが、上述のとおりクラシック音楽が表現し又はその表現の前提としてきた価値観、自然観及び世界観等の劣化、乖離、矛盾や破綻が認識される時代になっているなか、音楽や演奏の捉え方が些か狭過ぎる印象を否めません。さながら冷凍食品を巧みに解凍することが演奏家の使命であり、その解凍名人を決めるのがコンクールであると言われてしまっているようで、僅かな解凍の妙味(解釈の違い)を競うことでしか独自性を発揮する余地がない鮮度の低い食品という印象しか受けません。しかし、知る限り、バッハ、モーツァルト、ショパン、パガニーニ、リストなど過去の偉大な芸術家の自筆譜や評伝等を見ると、その演奏又はその時代の演奏習慣は楽譜に雁字搦めに縛られたものではなく、時々の感興に乗じた血の通ったものであったことが窺い知れ、仮に彼らが現代に生きていれば果たして現存する楽譜とおりの演奏を行うのであろうかという疑問も生じてきます。この点、現代作曲家は、近代以降に確立した作曲家と演奏家の分離を前提とした演奏習慣( ≠ 伝統)から音楽を解放して音楽の表現可能性を模索すべく図形楽譜や偶然性の音楽などを考案し、音楽へ瑞々しい生命力を吹き込もうと試みています。過去のブログ記事でも紹介したとおり、書籍「音大崩壊」では若い世代(だけではないと思いますが)のクラシック音楽離れが加速し、ジャズ、ロック、ポップス、ミュージカルやダンスミュージック等へと関心が移り変わっている実態が紹介されていますが、この背景には演奏家が持つ能力や意欲等を顧みることなく冷凍食品の解凍作業へと矮小化してしまった現代のクラシック音楽の在り方にも原因があるのではないかと感じています。後述する副作用の洗礼を受けていない昔の演奏家による演奏は瞑目して聴いていると、その音色や語り口など誰の演奏かはっきりと認識できる個性的な魅力に溢れるものですが、現代の演奏家による多くの演奏は瞑目して聴いていると誰の演奏か分からない没個性的なものが目立つ印象を否めません。この背景には近代合理主義の申し子と言えるシステム化された音楽教育(大学教育の弊害)や毎年同じような審査員が顔を並べてコンクール弾きと揶揄される均質化・標準化された演奏を生み出し易いコンクール(コンクールの弊害)の副作用があるのではないかと感じています。さながらどこの地方都市へ行っても見慣れたフランチャイズ店で埋め尽くされ、そこに些細な違いしか見い出せない地域性が希薄で味気ない街並みを見ているような印象とでも言えましょうか。上記の書籍「音大崩壊」で権威主義的なクラシック信仰が音大崩壊の原因の1つになっている問題について触れられていますが、あたかもクラシック音楽は時代を超越する普遍性を備えた特別な音楽であって、それは現実社会(流行や常識を含む)とは隔絶された絶対的な価値観と呼ぶべきようなものを表現する揺るぎないものであるかのようなセンティメンタリズムに彩られた根拠薄弱な発言を耳にすることがあります。しかし、上述のとおり、ヨーロッパ社会で長らく普遍的な真理(美意識等を含む)として信奉されてきたキリスト教的な価値観やヒューマニズム(人間中心主義)などがその根底から揺らいでいる時代にあって、それらの価値観を表現し又はその表現の前提としてきたクラシック音楽も例外とは言えず、権威主義的なクラシック信仰という伝統の呪縛(上述の演奏習慣を含む)に囚われて音楽又は音大の可能性を過去に封印して劣化させてしまうのは本当に勿体ないことだと感じます。最後に、『鍛錬された技術のうえに成り立つ作品あるいはパフォーマンスと、発想や考え方に重点をおく作品(もしくはパフォーマンス)の差なのだろう。前者が芸術と呼ばれ、後者がアートと称されている。』と書かれていますが、僕の理解では、既成概念に収まるものを「芸術」と言い、既成概念に収まらないものを「アート」と言って区別していると捉える方が適当ではないかと考えており、それが「芸術」に比べて「アート」の方が注目されている所以ではないかと考えます。「芸術」も「アート」も鍛錬された技能は同じように必要(=必要条件)であり、鍛錬された技能だけが求められている訳ではない点( ≠ 十分条件)でも同じだと思いますので、この観点での区別はあまり有効ではないと思います。
 
E.サティーの「スポーツと気晴らし」より第11曲「タコ」(1914年)
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.7
シリーズ「現代を聴く」では、1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代作曲家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼フランシスコ・コルのハープシコード協奏曲(2016年)
スペイン人の現代作曲家のフランシスコ・コル(1985年~)は、トーマス・アデスの一番弟子ですが、国際クラシック音楽賞(ICMA)の作曲賞(2019年)及びオーケストラ賞(2022年)を受賞している期待の俊英です。非常に独創的でありながら構成力のある魅力溢れる曲が多く、現在、ヨーロッパで最も注目されている若手の現代作曲家の1人です。 
 
▼ガブリエラ・スミスの弦楽四重奏曲「キャロット・レボリューション」(2015年)
アメリカ人の現代作曲家のガルリエラ・スミス(1991年~)は、BMI学生作曲家賞(2018年)ASCAPレオ・カプラン賞(2014年)やその他数々の作曲賞を受賞するなど将来を嘱望される若手の現代作曲家です。この弦楽四重奏曲は、芸術の鑑賞等を促進する取組みを行っているバーンズ財団の委嘱によってアイズリ・カルテットのために書かれた曲です。
 
▼桑原ゆうの弦楽四重奏のための「逢魔が時の暗まぎれ」(2014年)
日本人の現代作曲家の桑原ゆう(1984年)は、第31回芥川也寸志サントリー作曲賞(2021年)や数々の国際コンクールでの受賞歴等があり、拙ブログで紹介するまでもなく既に知名度が高く各方面で活躍している現代作曲家です。逢魔が時は夜の帳が下りて魔物と出逢う時刻と言われていましたが、その精神世界をイメージ豊かに表現している面白い作品です。

【追悼講演】サウンドスケープの過去と未来:R.M.シェーファーが残したもの<STOP WAR IN UKRAINE>

▼CMソングの日(ブログの枕)
今日は「CMソングの日」ですが、1951年9月7日に民間ラジオ放送局で日本初のCMソングを使ったラジオCMが放送されました。1951年9月1日に中部日本放送局が日本初の民間ラジオ放送を開始しますが、その放送枠を小西六写真工業株式会社(現、コニカミノルタ株式会社)が買い取って、その番組制作を作詞家・作曲家の三木鶏郎(通称、トリロー)に依頼します。三木鶏郎は、NHKには真似できないものを放送したいと意気込み、小西六写真工業株式会社の商品「さくらフィルム」のCMソング「ボクはアマチュアカメラマン」(企業名や商品名がないイメージソング)を放送し、CMソングという新しいジャンルを誕生させます。三木鶏郎の門下には、作曲家・いずみたく桜井順、作詞家・伊藤アキラ、作家・永六輔野坂昭如五木寛之等の錚々たる著名人が名を連ねますが、その後、三木鶏郎とその門弟達は日本のポップカルチャーを牽引する立役者となり、日本人の頭を支配することになる数々の有名なCMソング等を生み出すことになりました。但し、最近では、インタネットの普及に伴ってマスメディアを使ったCMソング等を使った聴覚に訴えるCMだけではなく、バナー広告など視覚に訴えるCMも台頭しています。
 
▼今でも日本人の頭を支配する有名なCMソング等
ハトヤホテル」(CM:作詞・野坂昭如
明治チョコレート」(CM:作詞・いずみたく
いい湯だな」(歌謡曲:作詞・永六輔
ゲゲゲの鬼太郎」(アニメ:作詞・水木しげる) など
日立の樹」(CM:作曲・小林亜星
かっぱえびせん」(CM:作曲・筒井広志)
青雲のうた」(CM:作曲・森田公一) など
作曲・桜井順
お正月を写そう」(CM:作詞・桜井順
石丸電気」(CM:作詞・桜井順伊藤アキラ
とんでったバナナ」(歌謡曲:作詞・片岡輝) など
 
なお、2021年5月15日、作詞家・伊藤アキラが逝去し、これを追うように2021年5月30日、作曲家・小林亜星も逝去しています。更に、2021年9月25日、作曲家・桜井順が逝去しており、日本のCMソングの一時代を築いた巨匠達が相次いで他界しています。また、後述しますが、CMソングを含む音環境等を研究対象とするサウンドスケープの提唱者でカナダ人作曲家・M.シェーファーも2021年8月14日に逝去していますので、2021年は音楽界にとって時代の転換点とも言える年だったと言えるかもしれません。因みに、1769年、平賀源内が「漱石膏」(歯磨き粉)の宣伝音楽を作詞、作曲したと言われており、日本で最初に本格的に音楽を宣伝に利用した事例と言われていますが(但し、大河ドラマ真田丸」で瓜売りの歌が再現されていましたので、昔から物売りが売り口上に節やリズムを付けて売り歩くという例はあったものと思われます。)、残念ながら、その楽譜等は現存していません。その意味で、日本のCMソングやコピーライター(「本日土用丑の日」というキャッチコピー鰻屋の店頭に張り出すようにアドバイスしたところ大繁盛し、土用の丑の日に鰻を食べる習慣が誕生と言われています。)の元祖は平賀源内と言えます。最近では、CMの訴求効果としてCMソングや信号音、標章音等の重要性が増しており、例えば、医薬品のCMでは「使用上の注意」を表示する際に「ピンポン」という信号音(鐘の音)を併用しているのもその一例です。これは日本OTC医薬品協会等が公表しているOTC医薬品等適正広告ガイドライン(「一般用検査薬広告の自主申し合わせについて」(平成29 年7 月14 日)の第4項の(3)の2)/同書P104)において、広告における「使用上の注意」の表示方法として「視聴者の注意を喚起するような音声等も併用する」と規定し、それを踏まえて「ピンポン」という信号音(鐘の音)が業界標準として利用されています。また、CMソングではありませんが、学校の始業や終業を合図する「キンコンカンコン」というチャイム(ウェストミンスターの鐘の音)なども馴染み深い音ですし、車が道路上を制限速度内で走行すると音楽が鳴るようにすることで安全運転を促すメロディーロード全国地図)も注目されている試みです。最近のCMソングでは、企業イメージや商品イメージと強く結び付いた音楽や標章音等がブランドシンボルとして重視されるようになり、例えば、ファミリーマート松屋任天堂ゲーム(マリオのコイン効果音)など、サウンドロゴとして商標登録される事例も増えています。さらに、太田胃散のCMで病弱であったショパン前奏曲第7番イ長調が使用されるなど、著作権の保護期間が終了しているクラシック音楽がCMやBGM等に利用される例も顕著となっています。CMソング隆盛の背景には、クラシック音楽のように物語性のある音楽からミニマル・ミュージックやポスト・クラシカル等に象徴されるようにイメージや雰囲気を想起させる音楽が好まれる現代の嗜好性(文脈ではなく感覚を伝えるためのミニマル・コミュニケーションとしての打ち言葉なども同様)もあるのではないかと考えられます。その意味では、拙ブログのように句読点を多用し、ダラダラと長い文脈が続く垢抜けない文章は、現代の若者からは到底受け入れ難いものということになるのかもしれません。
 
 
【演題】サウンドスケープの過去と未来:R.M.シェーファーが残したもの
【演目】第1部:<出会い>
    ・イントロダクション:シェーファーのバイオグラフィの基本を紹介
    ・キーノート・ダイアローグ:Hildegard Westerkamp
    ・1970-80年代に果たした役割
                 (WSPの活動を含むSFUの状況等)
      <対談者>今田匡彦(弘前大学教育学部教授(音楽教育学))
           鳥越けい子(青山学院大学総合文化政策学部教授)
    第2部:<インパクト>
    ・シェーファーサウンドスケープ論の導入前後の日本の状況を聞く
      <発言者>岩宮眞一郎(音響学、芸術工学
           小川博司社会学、日常生活と音楽研究会)
           小原良夫(日本BGM協会理事、各種サイン音設計)
           小西潤子(民族音楽学
           曽和治好(ランドスケープ、 造園・景観建築デザイン)
           平松幸三(音響学、衛生工学、土木学会関西支部
           横内陽子(ラジオ、放送メディア)
      <司会者>大門信也(関西大学社会学部准教授)
           髙橋憲人(弘前大学人文社会科学部研究機関研究員)
    第3部:<未来へ>
    ・シェーファーサウンドスケープ論の本質とは何か?を語る
    ・リトルサウンドエデュケーション:
                  子どもたちが創生する未来のオンガク
    ・「世界の調律」に読み取る新たなメッセージ
      <座談会>今田匡彦、鳥越けい子、髙橋憲人、大門信也
【主催】一般社団法人 日本サウンドスケープ協会(理事長:土田義)
【会場】オンライン
【会費】無料
【感想】
▼追悼講演の概要と感想
先日、(社)日本サウンドスケープ協会の主催で、2021年8月14日に逝去したサウンドスケープの提唱者でカナダ人作曲家のM.シェーファーを追悼するために、M.シェファーの功績とサウンドスケープの過去と未来を考える講演会が開催されたので(オンライン視聴)、その概要及び感想を簡単に残しておきたいと思います。冒頭、M.シェファーのBIOが簡単に紹介された後、M.シェファーと親交があったドイツ人作曲家のH.ヴェスターカンプによるM.シェーファーを偲ぶ回想が紹介され、M.シェファーに薫陶を受けた研究者とサウンドスケープに関係する各方面の専門家等によるパネルディスカッションが行われました。当初、M.シェファーは、J・ケージの実験音楽やランド・アート(ミステリーサークルなど自然の素材を活かして砂漠や平原等に作品を造る美術)などの影響から音環境そのものを音楽作品として捉えて研究対象としていましたが、フィールドワークを重ねるうちに、個人や社会によって全く異なる音環境の認知が行われていることに気付き、サウンドスケープは音環境に広がる音そのものを研究対象とする音響学に近い性格のものから、個人や社会が音環境をどのように認知しているのかを研究対象とする音響生態学に近い性格のものへと進化して行きました。M.シェファーは、欧米の音環境が産業革命を契機としてハイファイ(1つ1つの音がクリアに聴き取れる状態)からローファイ(1つ1つの音が他の音によって掻き消されて聴き取れない状態)が支配的となった状況を踏まえて、その音環境の再構成を行うサウンドスケープ・デザイン」(単なる騒音対策ではなくサウンドスケープを人工的に作り出すこと)の必要性を認識するようになりました。なお、パネルディスカッションが行われる予定になっていましたが、短い時間のなかで、各方面の専門家等がそれぞれの立場から一言づつ発言して時間切れとなりましたので、以下では発言者毎にその発言要旨を簡単にご紹介します(発言順/敬称略)。但し、以下では各発言者の発言内容のごく一部の概要しか記載しておらず、また、その発言趣旨を正確に理解できていない可能もありますので、各発言者の真意に沿わない誤解が含まれている可能性があることをご承知置き下さい。各発言者の正確な考え方をお知りになりたい方は、直接、各発言者の著書や講演会等をご参照下さい。
 
小川博司:M.シェーファーの古典的名著「調律の世界」の翻訳を担当した方です。1983年頃はラジカセやウォークマン等が本格的に普及して日常生活に音楽が急速に浸透した時代であり、音楽が何らかのムードを創るものとして持て囃されていましたが、そのような時代背景のなか、上記「調律の世界」は音楽の在り方を考えるうえで非常に重要な視点を与えるものとして注目されたという趣旨の発言がありました。確かにクラヲタの僕は当時のお小遣いだけではコンサート通いができないので必死にラジカセ(FMfanエアチェック)に噛り付いていたことを思い出します。
小原良夫サウンドスケープ・デザインに携わられている方で、最近では、京都駅~関西国際空港駅を結ぶJR東海の列車発車や列車接近のサイン音、大阪花博(国際花と緑の博覧会)の音の演出などを手掛けられています。BGMは、意識しない音、意識されてはいけない音楽として音を風景のように捉えることが必要であり、できるだけ音をビジュアル化するという視点で取り組んでいるという趣旨の発言がありました。最近、ネット社会を背景として「つながらない権利」が注目されていますが、多様化の時代に他人から何かを押し付けられないということが重要になっています。
岩宮真一郎:M.シェーファーは、当時、音響学が見過ごしてきたコンテクスト(音環境と社会や文化等との関係)を重視していた点で先進的な考え方を持ち、音環境をオーケストラに見立て人間はそれぞれの音環境の中で指揮者、演奏者、聴衆の役割を担っているという視点から参加型のサウンドスケープ・デザインを指向していたそうですが、その流れから最近では教育現場等において音に対する意識を育むためのサウンド・エデュケーションという取組が活発になっているという趣旨の発言がありました。パソコンの普及による視覚社会への偏重傾向に対する警鐘とも言えそうです。
曽和治好ランドスケープサウンドスケープの語源)に携わられている方で、当初、ランドスケープは機能面・視覚面を中心に考えられていましたが、サウンドスケープが登場して空間が持つ音環境の重要性が認識されるようになり、その考え方を採り入れて視覚以外の感覚を働かせて感じる自然美を重視するようになったという趣旨の発言が行われました。過去のブログ記事で触れましたが、漫画「ミュジコフィリア」では池泉廻遊式庭園「無鄰菴」が表現する音の世界(コスモロジー)を紹介しています。
平松幸三:音響学に携わられている方で、騒音が聴力や生態等に与える影響について研究されているそうです。サウンドスケープが登場すると、騒音行政の分野で歓迎をもって受け入れられ、騒音対策の延長としてのサウンドスケープに取り組まれてきたという趣旨の発言が行われました。
横内陽子:1990年代にセント・ギガという有料の衛星ラジオにおいて、地球を俯瞰的に眺める視点から「Sound Effect」(特定の音だけを再現する効果音)ではなく「Sound of Earth」(その場で聴こえる全ての音から構成)を放送していたという趣旨の発言が行われました。
小西潤子民族音楽学や生態音楽学に携わられている方で、人間のための音楽から環境(他の生物)のための音楽を研究するEco-musicologyに取り組まれているという趣旨の発言がありました。過去のブログ記事で触れましたが、植物も聴覚等を備え、一定の知性を持っていることが分かっています。
 
▼人間の知性と音(楽音及び非楽音を含む)を聴くということ
人間は、「知覚」(現在の情報)+「記憶」(過去の情報)=「認知」(未来又は未知の予測)を行い、その認知の結果から「感情」が生まれますが、基本的に、その結果が人間の生存可能性を高める方向であれば喜・楽などのポジティブな感情が生まれ、また、その結果が人間の生存可能性を低める方向であれば怒・哀などのネガティブな感情が生まれて、それらの感情に応じた身体反応を起こすことで環境を変化させて生存可能性を高めていると考えられます。また、人間は、新しい知覚(体験)や新しい記憶(学習)を繰り返すことで新しい認知を得ますが、その知覚と記憶の組合せが平凡(これまでにあったような組合せ:シナプス可塑性が非活発)であれば「想像力」となり、その知覚と記憶の組合せが非凡(これまでにないような組合せ:シナプス可塑性が活発)であれば「創造力」となります。更に、その知覚と記憶の組合せが非凡なもののうち、その組合せに何らかの関係性や法則性等を見い出すことができれば「創造的」となり、その組合せに何らかの関係性や法則性等を見い出すことができなければ「狂気的」となります。この点、従前の知覚や従前の記憶(日常)ばかりを繰り返していると人間は「飽きる」という状態に陥って、新しい認知(非日常)を求めて新しい知覚(体験)や新しい記憶(学習)を模索するようになり、例えば、新しい習い事を始める、新しい音楽を聴く、旅行に出掛けるなどの身体反応を起こすようになります。これが人間の知性を育んでいる基本的な仕組みと考えられます。この点、下図は、サウンドスケープ・デザインに関する書籍「人と空間が生きる音デザイン」(小松正史著)に収録されている概念図ですが、基本的には、上記と同じ趣旨のことが図説されています。
 
鳥越けい子:M.シェーファーの古典的名著「調律の世界」の翻訳を担当された方です。それまで音響学、音響真理学、耳科学、国際的な騒音寄生の実施とその手続き、通信の録音の技術(電気音響学、電子音楽)、聴覚のパターン認識、言語や音楽の構造分析などサウンドスケープに係る学問分野は細分化していましたが、M.シェーファーサウンドスケープを提唱して「ワールド・サウンドスケープ・プロジェクト(WSP)」を創立し、それらの細分化していた学問領域を統合して、その研究領域をテキストとして音楽(図)からコンテクストとしてのサウンドスケープ(地)へと拡大します。1980年に生物学者のE.ストーマーが人類が地球と大気に与えた影響の大きさに着目して提唱し、その後、2000年に大気学者のP.クルッツェンの発案によって世界的に注目されることになった「人新世」の考え方はサウンドスケープにも大きな影響を与えており、サウンドスケープを人類が生き延びるための創造行為として捉え直し、これまでの既成概念を覆して世界をデザインし直す(即ち、文化的制度に由来する境界及び知覚の被膜の存在を認識して、それらを超える及び剥がす)ためのサウンドスケープ・デザインが求められているという趣旨の発言がありました。日本のサウンドスケープの第一人者である方の発言は重く響きますが、前回のブログ記事でも触れたとおり、現代は時代の価値観、自然観や世界観等が大きく更新され、「昨日までの世界」に閉じ籠っていられない不可逆な時代を生きており、過去の人間中心主義の時代の芸術表現では現代人の教養を育むことが難しくなってきていると思いますので、そのことを踏まえて現代の時代性を表現し又はそれを前提とした新しい芸術表現が求められているのではないかと感じます。
武満徹によるM.シェーファー評(1980年)
彼は単なる万能選手ではない。彼の実践が私たちを打つのは、全てのものに向けられているその詩的な眼差しによってである。分離され密閉された分野の狭い通路を、再び「世界」に向けて開こうとする彼の根源的(ラディカル)な意思が私たちを打つのだ。
今田匡彦:M.シェーファーから薫陶を受けた方で、サウンドスケープ・エデュケーションを研究されています。人類が言葉を発明して言葉による意味付けが行われるようになる前から音楽は存在し、その後に言葉を発明して言葉によって理論化したものが現在の「音楽」と言われているものです。現在、音楽の不変項と言えるようなものは見つけられておらず、宇宙にまで広げて音楽を捉えると音楽とは何なのか増々分からなくなります。シャーマニズムでは音を魔術的なものとして捉えていた一方で、西洋の「音楽」ではそれを長さ、高さ、強さなどで分析することによって音楽の近代化が図られましたが、1960年代にM.シェーファーは「音楽」を狭路へ押し込める言葉によるヘゲモニーを打破しなければならないという問題意識を持ち、歴史上の作曲家の前にひれ伏すような音楽教育では駄目だという考え方を持っていたという趣旨の発言が行われました。過去のブログ記事でも縷々触れてきましたが、正しく現代のクラシック音楽界が陥っている袋小路を言い当てた発言ではないかと思われます。喩えれば、現在の「音楽」と言われているものは、スーパーに並べられている食べ易く加工された魚の切り身のことを「魚」と呼んでいるのに等しく、これまで切り捨てられていた部位を見直してきちんと魚を再認識することから始めなければ人類が魚とは何なのかをより良く理解し、言葉のヘゲモニーを打破することは難しいかもしれません。
 
M.シェーファーの古典的名著「世界の調律」では、西洋音楽が音楽を「楽音」の狭路へ押し込み、そこから「非楽音」を排除してきたことに触れている点が非常に興味深いです。過去のブログ記事で触れましたが、20世紀に入ると、音楽を「楽音」の狭路から解放するための様々な試みが行われ、例えば、A.シェーンベルクは、調性の呪縛から音楽を解放するために「十二音技法」を考案し、また、L.ルッソロは、ノイズに美的な価値を見い出して「騒音の音楽」を考案して、音楽に「非楽音」を採り込みます。また、E.サティーは、家具のように日常生活に溶け込んで意識されることがない音楽として「家具の音楽」を発表し、その後のB.イーノの「アンビエント・ミュージック」の先駆となります。さらに、P.シェフェールは、環境音等の「非楽音」をテープに録音して音楽に採り込む「ミュージック・コンクレート」を考案し、また、J.ケージは、沈黙等の「非楽音」を音楽に採り入れると共に、作曲家が緻密に設計するという西洋音楽の伝統から音楽を解放するために「偶然性の音楽」を考案します。やがてコンピューターの発明によって電子音楽が採り入れられるなど、音楽の概念が大きく拡張されて来ました。過去のブログ記事でも触れましたが、このような音楽の概念の拡張は、宗教音楽(宗教の教義を伝えるための音楽)ではなくオペラ(人間の感情を表現するための音楽)が誕生し、人間の感情を豊かに表現するためのドラマティックな表現手法を求めて不協和音の解放(不協和の予備の解放)に踏み出したモンテヴェルディーにまで遡ると言えるかもしれませんが、シェーンベルク(不協和の解決の解放)が登場するまでは西洋音楽の伝統の枠内に留まる試みなので、20世紀以降に本格化する音楽を「楽音」の狭路から解放するための試みは一線を画しているものと思われます。なお、古代には視覚よりも聴覚が重要なものとして位置付けられ、神の言葉、部族の歴史やその他の重要な情報等は口承により伝承されていましたが、日本では、中国から漢字が伝来するまでは口承文化(聴覚文化)を基調とし、神を経典(文字)ではなく音(神の訪れ➟神の音連れ)によって感じるなど、昔から日本人は知覚としての音に留まらず、認知としての音として、その音(非楽音を含む)に何かを聴き取る感性やイマジネーション力が発達しており伝統的にサウンドスケープと親和的な文化を育んできたものと考えられます。この点、過去のブログ記事でも触れましたが、例えば、平安京は四神相応の考え方に基づいて都市設計が行われ(平安京の守護神として、陰陽五行説で幻の獣神とされている玄武、青龍、朱雀、白虎、麒麟平安京の中央と四辺に配置)、そこにサウンドスケープのような概念を採り入れて、平安京の西方に神護寺の平調、北方に醍醐寺の盤渉調、東方に高台寺及び清光寺の上無調並びに知恩院の下無調べ、南方に西本願寺の壱越調甲を配置し、陰陽五行説の思想を体現するように五種類の梵鐘の響きが平安京を包み込むようになっています。このように日本人が伝統的に育んできた(そして日本の義務教育の西洋音楽偏重主義によって損なわれた)音(非楽音を含む)に何かを聴き取る感性やイマジネーション力というものが日本の豊かな文化(例えば、和歌は、目で読むものではなく声に出して詠むものなど)を育んできた伝統に思いを馳せると共に、その豊かな文化を取り戻すために昔の日本人が持っていた音(非楽音を含む)に何かを聴い取る感性やイマジネーション力を育む意味でもサウンドスケープ・エデュケーションの重要性は増しているのではないかと感じられます。最後に、このブログ記事で触れさせて頂いたM.シェーファー伊藤アキラ小林亜星桜井順、後述の森英恵過去のブログ記事で触れさせて頂いた三宅一生、各氏の功績を讃えると共に、そのご冥福を衷心よりお祈りします。
 
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.6
シリーズ「現代を聴く」では、1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代作曲家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
アンドレア・タッローディ「ピアノと弦楽のための空の歌」(2017年)
スウェーデン人の現代作曲家のアンドレア・タッローディ(1981年~)は、2018年に「弦楽四重奏曲」でスウェーデングラミー賞を受賞するなどスウェーデンで最も注目されている俊英です。この動画は、ウクライナ人ピアニストのナタリア・パシチニクの委嘱によって、ウクライナ民謡「青と灰色の翼を持つ鳩」とスウェーデンの民謡「輝く星」をモチーフにして作曲された音楽です。
 
ヨハネス・フィッシャー「カノンとスズメ」(2018年)
ドイツ人の現代作曲家のヨハネス・フィッシャー(1981年~)は、2003年にゲンダ・ギュンター・ビアラス賞(作曲賞)を受賞、2007年に第56回ミュンヘン国際音楽コンクール(打楽器部門)で優勝するなど作曲家だけではなく打楽器奏者としても著名です。この動画は、フィッシャーが2012年に第61回ミュンヘン国際音楽コンクール(弦楽四重奏部門)で優勝したアルミーダ弦楽四重奏団に献呈した音楽です。
 
▼佐原詩音「コナコナ蝶々」(2022年)
日本人の現代作曲家の佐原詩音(1981年~)は、第30回TIAA全日本作曲家コンクールで審査員賞を受賞するなど最も注目されている若手の俊英で、かなり精力的に活動されています。この動画は、コンサートプラン・クセジュで発表された新曲が演奏された模様ですが、佐原さんが自らキュレーターとなって動画の概要欄に作品解説を掲載していますので鑑賞のガイドになると思います。先日、他界された森英恵さんは蝶をモチーフとしたデザインで世界へと羽ばたきましたが、森さんを偲ぶ意味も込めてこの曲をご紹介します。

伝統のアップデート(川柳の日と上田朝子リュート・テオルボレクチャー&コンサート~新しい現代作品の為の)<STOP WAR IN UKRAINE>

▼川柳の日(ブログの枕)
1757年8月25日(新暦9月20日)は、前句付けの点者・柄井川柳が最初の万句合を興行した日であり、その推定地に川柳発祥の地碑が設置されています。「連歌」や「俳諧連歌」は、上の句(五・七・五)のお題に対し(過去のブログ記事で触れましたが、このお題が「宿題」の語源)、参加者が下の句(七・七)を続けて、その優劣を競う集団文藝ですが、これとは逆に、「前句付け」は、下の句(七・七)のお題に対し、参加者が気の利いた上の句(五・七・五)を自由に考えて、その優劣を競う遊戯的な集団文藝です。この上の句の優劣を判定する者を点者と言い、当時、最も人気があった点者が柄井川柳です。後に、前句付けの下の句(前句)から上の句(付句)が独立して鑑賞されるようになり「川柳(古川柳)」が誕生しました。「連歌」や「俳諧連歌」ではお題となる上の句(発句)に季語や切字等を使用しなければならないという約束事がありますが、「前句付け」では下の句(前句)がお題となることから上の句(付句)には季語や切字等を使用しなければならないという約束事はなく、「川柳」はその性格を受け継いで季語や切字等を使用しなければならないという約束事はありません。この点、「連歌」や「俳諧連歌」の上の句(発句)が独立した「俳句」は、表現形式(五・七・五)は「川柳」と同じですが、「川柳」と異なっている点は上の句(発句)の性格を受け継いで季語や切れ字等を使用しなければならないという約束事があることです。日本では、飛鳥時代から奈良時代にかけて遣隋使や遣唐使によって唐歌(漢詩)等が伝来しますが、平安時代になり唐が衰退して遣唐使が廃止されると、日本独自の仮名文字(過去のブログ記事で触れましたが、真名文字:漢字に対し、漢字を崩した仮名文字:片仮名、平仮名)が発明され、その仮名文字を使った「和歌」(五・七・五・七・七)が誕生します。鎌倉時代になると、「和歌」を上の句(五・七・五)と下の句(七・七)に分けて、ある人が詠んだ上の句(五・七・五)に対して、別の人が下の句(七・七)を付け、さらに別の人が上の句(五・七・五)を付けることを繰り返しながら100句になるまで和歌を詠み合せる「連歌」が誕生します。複数人で和歌を詠み合せる連歌のスタイルが誕生したのは、王朝文化から武家文化へ移行するなかで、他家や家臣との結び付きを強めるためのコミュニケーションの方法として和歌(武ではなく文)が政治利用されるようになり、複数人で和歌を詠み合せることで連帯(一味同心)を保とうとしたことがその背景にあるのではないかと思われます。江戸時代になると、庶民の識字率の向上に伴って徐々に庶民が文化の担い手となり、連歌に滑稽な言葉を盛り込んだ「俳諧連歌」(俳諧=こっけい、おかしみ)が流行します。やがて江戸時代中期になると、上述のとおり「俳諧連歌」から「川柳」が誕生しますが、柄井川柳の死後は社会風刺や滑稽味を増した通俗的な題材を詠った「狂句」(五・七・五)や「狂歌」(五・七・五・七・七)へと堕落して行きます。
 
▼江戸の風を感じさせる狂歌を1
わが禁酒 破れ衣と なりにけり 
        さしてもらおう ついでもらいおう」(四方赤良
※「四方赤良」(しものあから)とは、あから顔に因んだ柳号か?
 
1903年、俳句革新運動を推進していた正岡子規(毎月開催される俳諧や俳句の会を「月並みの会」と言いいましたが、正岡子規俳諧の一本調子を「月並」と酷評したのが平凡を意味する月並みの語源)の影響から、江戸時代に低俗野卑な性格を強めて行った「狂句」を改めて「川柳」の復古を唱える川柳革新運動が推進され、阪井久良岐は叙情を詠う詩的な川柳を目指し、また、井上剣花坊は時事やユーモアを詠う古川柳への原点回帰を目指して近代的な川柳が確立します。この運動によって革新された「新川柳」や「新俳句」は大衆定型詩として現代人にも愛され、「サラリーマン川柳」や「お~いお茶新俳句」等として社会的に注目されると共に(現在、アパホテル宿泊券等があたる「アパ川柳2023」を公募中なので貴兄姉の詩心を試してみませんか?)、最近では川柳の形式に乗せて韻を踏む「ラップ川柳」等も登場し、様々に姿を変えながら世代を越えて日本の詩の文化の伝統がアップデートされています。「俳句」は季語を使うことから人間と自然の関係性のなかで風景や事物を詠むものであるのに対し、「川柳」は季語を使わないことから人間と人間の関係性のなかで人間や社会を詠むものであるという基本的な性格の違いがあるのではないかと思います。サラリーマン川柳を読んでいると、世相を映す日頃の憂さを川柳に詠んで晴らし、腹に溜めない日本人の知恵のようなものも感じられます。
 
①誹風柳多留発祥の地碑(東京都台東区上野公園1
②川柳発祥の地碑(東京都台東区蔵前4丁目37−8
③初代柄井川柳墓(龍宝寺)(東京都台東区蔵前4丁目36−7
柄井川柳碑(菊屋橋公園)(東京都台東区元浅草3丁目20
誹風柳多留発祥の地碑/1765年、柄井川柳の選句集「誹風柳多留」が人気を博し、その版元「星運堂」があった場所。婚礼の酒樽を柳樽と言うのは柳の木が柔らかく酒樽の材料に好まれたことが由来で、柳樽を文字り「家内喜多留」(やなぎだる→かないきたる)と語呂を合わせ、「一升(一生)入り」「半升(繁盛)入り」と縁起を担ぎました。ここから「柳多留」(うまいものが詰まっているもの)と文字り「柳に風」を掛けて「排風柳多留」と命名 川柳発祥の地碑/1757年、柄井川柳が最初の万句合を興行した場所の推定跡地で、ここが川柳発祥の地と言われています。この裏手に柄井川柳菩提寺である龍宝寺があります。 初代柄井川柳墓(龍宝寺)/別称、川柳寺。東都浅草絵図を見ると、町の中央に新堀が東西に流れ、その両岸が新堀端と呼ばれていました。東都浅草絵図の中央にある小さい方の龍宝寺が柄井川柳菩提寺で、ここに柄井川柳の墓が安置されています。現在は、龍宝寺の門前は川柳横丁と言われています。 柄井川柳碑(菊屋橋公園)柄井川柳の偉業を顕彰するために、平成元年に菊屋橋公演に柳が植樹され、柳が成長したところで平成4年に柄井川柳碑が建立されたそうです。
 
【演題】現代音楽家のためのリュート/テオルポ奏法ワークショップ第1回
    レクチャー&コンサート
【内容】レクチャー
     ・楽器の歴史
     ・レパートリー
     ・ソロとアンサンブルの奏法
     ・楽譜、記譜法
     ・現代音楽での特殊奏法の可能性
     ・参加者との意見交換
       <講師>リュート奏者 上田朝子
    ミニコンサート
     ・G.G.カプスペルガー:トッカータ アルペッジャータ
     ・B.カスタルディ:我流のアルペッジャータ
     ・R.D.ヴィゼー:プレリュードイ短調
     ・C.モンテヴェルディアリアンナの嘆き(Sax-Teo編曲版)
     ・K.シュトックハウゼンアクエリアス(Sax-Teo編曲版)
       <演奏>サックス(Sax):坂口大介
           テオルボ(Teo):上田朝子
【会場】門天ホール(アーカイブ配信)
【料金】1500円
【感想】
▼レクチャー&コンサート
伝統のアップデートに挑戦しているリュート奏者の第一人者である上田朝子さんの現代作曲家に向けたレクチャー&コンサートが8月23日に開催され、そのアーカイブ配信が開始されましたので、著作権に抵触しないであろうと思われる範囲内で簡単に内容の紹介と感想を書き残しておきたいと思います。今回、上田さんがこの演奏会を企画した趣旨は、テオルボという魅力的な古楽器が存在するのに、現状、テオルボのために書かれた現代音楽(特にソロ曲)が殆どなく、そのためにテオルボ奏者が現代音楽を演奏できるようにならないという負のサイクルから抜け出せず、そこから抜け出すためには演奏者から現代作曲家へアプローチする必要があるのではないかと感じ、テオルボという楽器が持つ表現可能性について現代作曲家と一緒に考える機会を設けて新しい創作の契機にできればという想いが発端だったそうです。そこで、第1回(8月23日)では上田さんから現代作曲家に対するレクチャー&ミニコンサートを実施し、第2回(10月16日)では現代作曲家から公募された作品を上田さんが演奏するコンサート&シンポジウムという2本建てになっている非常にユニークかつ有意義なレクチャー&コンサートです。....というこで、このレクチャー&コンサートは現代作曲家に向けられた内容になっており、僕のような一般聴衆が参加して良いものなのか分かりませんが、クラシック音楽界にとって時代の転換点となり得るような貴重な機会に立ち会って記録を書き残しておくべしと思い立ち、一般聴衆であることを秘してアーカイブ配信に参加させて頂くことにしました。かなり以前から、クラオタの間ではいつまでもクラシック音楽第一次世界大戦前までの音楽)ばかりでは「飽きた」という言葉が聞かれるようになり、社会が大きく革新しているなかでクラシック音楽界だけが「昨日までの世界」ばかりに閉じ籠っている状況を心から残念に感じている人が少なくないように感じていましたので、上田さんのように未来に向けて伝統をアップデートしようと取り組んでいる演奏者の存在(以下のシリーズ「現代を聴く」でも若干の演奏者(団体)を紹介)を知ったことは、一般聴衆にとっても発奮されるものがあり、今後も大きな期待を込めて応援して行きたいと思っています。過去のブログ記事でも触れましたが、iPhoneの意匠やユニクロのデザインに象徴されるように無駄なものを省いたシンプルな美しさが好まれ、ストイック(ミニマル)が持て囃される時代にあって、あまり厚化粧な音楽や演奏は好まれなくなっていると思いますので、新しいジャンルとして古楽器を使用した現代音楽の潜在ニーズは高いのではないかと注目しており、前回のブログ記事でも1曲紹介しましたが、最後に、何曲か古楽器を使用した現代音楽をご紹介してみたいと思います。
 
 
さて、テオルボは、ルネサンス末期に開発されたリュート属の撥弦楽器(日本の琵琶もテオルボと同祖同根のリュート属)で通奏低音楽器及びソロ楽器として使用されていますが、拡張バス弦を持ち(リュートはバス弦がない)、テオルボ調弦(リエントラント調弦)を使用することが特徴で、1面でポリフォニー音楽を演奏できることからピアノが登場するまでは作曲家に重用されていたそうです。テオルボは、日本の伝統邦楽器と同様に様々なことが規格化、標準化されておらず、その大きさ、形状、構造、音色、演奏やその他の特徴等には個体差や個人差があり、そのために現代のテオルボ奏者の間でもテオルボの扱い方等には差異があるそうなので、そこがテオルボを扱う難しさであると共にテオルボの大きな魅力となっています。そう言えば、過去のブログ記事でも触れましたが、現代音楽を扱った漫画「ミュジコフィリア」第1巻の表紙に描かれている楽器は14コース(弦)のリュートであり、何か示唆的なものを感じさせます。リュートという楽器名は、木を意味するアラビア語のアル・ウード(ルウード→リュート)が語源ですが、ペルシャ楽器の表面は動物の皮が使われているのに対し、リュートやテオルボの表面は薄い木板(1.5mm、ヴァイオリンは2.5mm)が使われており、また、ガット弦に加えてコース(弦)の数も多く、さらに、フレッドも動き易いことなどから非常に音程が不安定な楽器で、リュート奏者は人生の1/3を調弦に費やしていると揶揄されるほど頻繁に調弦が必要になるそうです。そのために、リュート奏者が頻繁な調弦によって聴衆を飽きさせない工夫として楽想をつけた調弦が行われるようになり、それがプレリュード(前奏曲)の起源だそうです。なお、慎ましやかで繊細な詩情を讃えたリュートという楽器が、歴史上、どのようなイメージ(メタファー)で捉えられてきたのかをバロック絵画等を使用しながら解説しており非常に興味深かったのですが、今後、テオルドという楽器が持つ表現可能性とそれを踏まえた現代音楽の創作又は受容にあたって、そのイメージ(メタファー)が何らかのインスピレーションを与え得る一方で、何らかのバイアスとしても働き得る点を踏まえて、敢えて、ここでは触れないでおこうと思います。また、テオルドの記譜法や特殊奏法等の解説も行われましたが、テオルド奏者(プロ)は日本全国で10名程度しかいないとのことなので、かなり希少性のあるノウハウやその他の情報等が含まれている可能性がありますので、敢えて、ここでは触れることを控えて、このレクチャー&コンサートに参加していた現代作曲家との意見交換の一部(但し、具体的なアイディアを除く)をご紹介しておきたいと思います。テオルボは音が小さく音域が狭いというビハインドがありますが、テオルボの音をアンプリファイアした場合の効果や影響について議論が行われました。また、バロック音楽の修辞法を離れ、不確定性を採り入れた修辞表現の可能性や修辞表現の記譜法又はその他のアプローチ法等についても議論も行われました。さらに、テオルボを使った微分音の演奏可能性、トレモロその他の特殊奏法の演奏可能性、ギターとテオルボの違いなど、テオルボの演奏技法や楽器特性等に関する広範多岐な議論が展開されました。前回のブログ記事ではAIによるデジタルアートの領域でプチ・シンギュラリティのような状況が生まれていることをご紹介しましたが、テオルボの演奏をAIに学習させて自動作曲させる試みも有効ではないかと思います。最後に、一般聴衆の淡い期待として、「革新とは、単なる方法ではなく、新しい世界観を意味する」(P.ドラッカー)という名言がありますが、最近のブログ記事でも縷々触れてきたとおり、現代は時代の価値観、自然観や世界観等が大きく更新され、「昨日までの世界」に閉じ籠っていられない不可逆な時代を生きていますので、そのことを踏まえて現代の時代性を表現し又はそれを前提とした新しい芸術表現が求められているのではないかと感じます。過去の芸術がそうであったように、どのような世界観を表現するのかという視点が最も重要であり、そのために相応しい表現方法としてどのようなもの(既成楽器の改良や新しい表現手段の開発等を含む)があるのかを模索することが求められているのではないかと思います。その意味で、テオルボという楽器をバロック時代の世界観(古楽としての史的考証を含む)の延長線上で捉えて現代音楽の表現方法だけを採り入れる(皮相上滑り)のではなく、テオルボという楽器を現代の世界観で捉え直し、その新しい世界観を表現するための楽器としての表現可能性が模索され、新しい芸術体験を齎してくれることを期待したいです。
 
古楽器を使用した現代音楽
M.アタックの序曲(H.パーセルの歌劇「ディドとエネアス」)
 ※テオルボ(上田さんが出演)
B.アタヒルの全曲(R.カーベルの歌劇「パストラール」)
 ※テオルボ、ほか多数
 ※コルネット、オルガン
                           ほか多数
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.5
シリーズ「現代を聴く」では、1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代音楽家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介していますが、今回は現代音楽を積極的に演奏、紹介している演奏家(団体)をご紹介します。
 
▼ アンサンブルニュークラシカ
アンサンブルニュークラシカは、現代作曲家、古楽器奏者及び現代楽器奏者から構成され、ルネサンス音楽から現代音楽までの幅広いジャンルの音楽をレパートリーとして音楽表現の可能性を探求している団体です。この動画は東京都がアーティスト支援事業として実施していた「アートにエールを!」の公募作品で、星谷丈生の「Pattern, Frame, Anti-Synchronization」(03:41~12:01)はパターン、フレーム、非同期をテーマにし、古楽器も使用されています。
 
▼ アンサンブル室町
アンサンブル室町は、ヨーロッパの古楽器(上述の上田朝子さんも参加)及び日本の邦楽器による世界初のアンサンブルで、様々な作曲家、ダンサー、舞踊家、俳優、声楽家などとのコラボレーションを通して新しい芸術表現の創造を目指して活動している団体です。この動画は、伝統音楽と現代音楽(委嘱作品・世界初演)で構成された公演の模様を収録したもので、伝統のアップデートを試み、新しい世界観を提示することに成功している興味深い作品だと思います。
 
▼ アンサンブルフリーJAPAN
アンサンブルフリーJAPANは、若手の現代作曲家、若手のプロ奏者や音大生等から構成され、日本の優れた現代音楽を高い演奏技術で世界に発信し、未来に残していくという目的で活動しており、日本現代作曲家ライブラリーに登録されている現代作曲家の作品を積極的に紹介し、現代音楽と聴衆の橋渡しに貢献している団体です。この動画はそのなかの1つで、逢坂裕ピアノ三重奏曲「乙女と一角獣」(委嘱作品/世界初演)(06:10~08:38)です。

書籍「音大崩壊」と両国アートフェスティバル2022<STOP WAR IN UKRAINE>

▼廃れゆくもの(邯鄲の枕)
近所の書店で単行本「音大崩壊~音楽教育を救うたった2つのアプローチ~」(著者:名古屋芸術大学教授・大内孝夫、出版:ヤマハミュージックメディア)を見掛けて購入したので、ブログの枕として、そのドク書感想文を簡単に残しておきたいと思います。この本は、音大の「経営」という視点から書かれたもので、「芸術家を育む場」としての音大という視点は希薄に感じられましたが、第1章に記載されている内容が大変に興味深かったので拙ブログでも採り上げてみることにしました。なお、この本の詳細な内容は書店で購入し又は図書館で借りるなどしてお読み下さい。さて、2021年度から上野学園が学生募集を停止しましたが、この本によれば、コロナ禍の影響ばかりとは言えない音大が抱える深刻な問題が背景にあるようです。文部科学省の調査によれば、音楽関係の学生数は2000年度の約23,000人から2020年度の約16,000人へと減少しており(男子学生は約500人増加、女子学生は約7500人減少)、2020年度の音大の入学者数で見ると、上野学園:約50%、平成音大:約51%、東邦音大:約59%、エリザベート音大:約73%、武蔵野音大:約83%、国立音大:約83%と軒並み定員割れを起こしています。この本によれば、この20年間で女子学生の大学進学率が約32%から約58%に増加している状況を踏まえると、コロナ禍の影響というよりも女子学生の音大離れが加速しており、その結果として音大で定員割れを起こしている実態が浮彫りになっているようです。この背景には、女性の就労環境の改善や職業選択の多様化などの事情があるようですが、早くから20世紀以降に誕生したコンテンポラリー音楽系(ジャズ、ロック、ポップス、ミュージカル、ダンス等)の専攻を設けている音大は学生募集に成功している点を踏まえると、どうやら若い世代が伝統的なクラシック音楽系(クラシック、オペラ、バレエ等)の専攻を選ばなくなってきていることが真因と考えられます。この本では音大の経営危機という視点から問題提起されていますが、個人的にはもう少し事態は深刻ではないかと捉えており、この現象はクラシック音楽業界や伝統芸能の存在意義そのものが揺らいでいることの1つの現れではないかと危惧を覚えています。この本では、一部の音大の内情として「クラシックは素晴らしい、クラシックこそ真の音楽だ、との根拠のないクラシック信仰を持つ音大教職員が多くいることです。そういう勢力が強い音大ほど改革に不熱心で、世の中の変化を感じようとはしません。」という音大の体質が紹介されていますが、(この内容をどこまで額面通りに受け取って良いのか分かりませんが)仮にこのような時代を錯誤した権威主義的な体質が残されているとすれば、そこに大きな問題の根があるように感じられます。過去のブログ記事で何度か触れましたが、ロマン派以前のクラシック音楽が過去の偉大な芸術遺産であるとしても、(単に聴き飽きたということだけに留まらず)現代の知性を前提とする限り、そこで表現されている又はその表現の前提になっている自然観、世界観や価値観の劣化、乖離、矛盾や破綻が明確に認識されるようになり、かつてのように現代人の教養(学問、知識、経験や芸術受容等を通して養われる心の豊かさ)を育むことが難しくなってきている状況が生まれているのではないかと感じています。約10年前に当時の大阪市長であった橋本徹氏が伝統的な芸術文化に対する助成金カットを発表して物議を巻き起こしましたが、その後の約10年間を振り返ってクラシック音楽業界や伝統芸能の分野を(個別的な例外はあるとしても)全体として見れば未だ革新的な取組みが希薄であるという印象を否めず、残念ながら橋本氏による有意義な問題提起が十分に活かされて来なかった実態があるのではないかと感じています。過去のブログ記事でも触れましたが、映画「犬王」では犬王や世阿弥などの生き様を通して「伝統」とは保存すべきもの(現状の維持➟助成金は死に金)ではなく常に革新すべきもの(将来への投資➟助成金は生き金)であることが描かれており、歴史上の数多くの「伝統」がそうであったように、(芸術文化に限らず、あらゆる人間の営みに共通して)自ら革新できなくなった「伝統」は承継する価値を失って廃れゆく運命にあり、それが時代の新陳代謝なのだろうと思います。僕が好きな言葉に「変わらないために、変わり続ける」というものがありますが、これは芸術文化を含むあらゆる人間の営みに通用する道理であり、「変わり続けなければ、いずれ変わり果てる」というのが歴史の真実なのだろうと思います。この本には、音大の「経営」という視点から音大を再生するための諸施策が提案されていますが、もう1つ「芸術家を育む場」としての音大という視点を踏まえれば、「クラシック信仰」という呪縛から音大を解放し、過去の偉大な芸術家がそうであったように、懐古趣味ばかりに閉じ籠るのではなく、現代の時代性を表現し、時代を更新する新しい芸術表現ができる革新的なマインド及びリベラルアーツを含む裾野の広い素養や能力等を備え、聴衆の世界観を広げてくれるような芸術体験を提供できる芸術家を育むことができなければ、どのような施策を講じても、いずれ音大は時代から見捨てられてしまうのではないかと感じています。よって、これからの音大には、末期がん患者へモルヒネを投与するような現状維持のための治療ではなく、必要に応じて病巣を切除し新しく健康的な細胞を育みながら社会復帰を目指すための治療として大胆な改革を期待したいです。なお、ギドン・クレーメルやヒラリー・ハーン等は現代に生きて活躍している現代音楽家の作品を演奏会やレコーディング等で積極的に採り上げ、その魅力を伝えることで現代音楽と聴衆の橋渡しに貢献している偉大な演奏家ですが、今後、このような演奏家が増えてくれることを心から願いたいです。その意味では、過去のブログ記事でも触れましたが、日本音楽コンクールが作曲部門本選会を譜面審査にしたことは失当な判断であり、このコンクールの存在意義そのものも揺らいでいるのだろうと思います。このことは最近の日本音楽コンクールの課題曲を見ても感じられることですが、これからの時代は過去の音楽を巧みに演奏する能力よりも、現代の音楽を豊かに表現できる能力が求められ、評価されることになるのだろうと感じています。
 
 
▼生れいづるもの(現代の時代性を表現する新しい芸術)
いま芸術好きの諸兄姉を唸らせるゲキアツなスポットとなっている門天ホールで、今年も多方面からの注目を集めている両国アートフェスティバルが開催され、(リモートワークのため、都心まで出て行くのは面倒なので)オンラインで視聴することにしました。今回の両国アートフェスティバルでは芸術監督の宮木朝子氏がオンライン視聴による豊かな芸術体験を可能にするためのバーチャル技術の活用等を試みていますが、今後、政府が推進しているデジタル田園都市国家構想が進展するにつれて、アフターコロナ後もオンライン視聴による豊かな芸術体験のニーズは増えてくるものと思われ、今後、門天ホールのような革新的な考え方を持ったホールが先陣を切って、リアルな空間とバーチャルな空間を同時に演出するハイブリッドなホール運営のあり方が活発に模索されて行くことが期待されます。なお、今回は、殆どの演目が初演(初視聴)であり、また、演目数が多く内容も濃いものばかりなので、いくつかの演目をピックアップして一言づつ簡単な演目紹介と感想を残しておきたいと思います。
 
◆第7回両国アートフェスティバル2022~仮想郷土-Echolalia, Topophilia-
 
▼2022年8月10日 18時30分~
【演題】プログラムA:オーディオ・ビジュアル・コンサート「Yadori_avatar」
【演目】⓪Tonality generated by 60(2021公募入選)
      <作曲>Yi SEUNGGYU(イ・スンギュ)
    ①Yadori_Scape_Notation
      -game 映像と楽器奏者のための(2022委嘱)
      <Sax>大石将紀
      <映像>小阪淳
      <作曲 ・ エレクトロニクス>宮木朝子
    ②Hidden Garden
      -VR映像とヴァーチャル・サラウンドver.(2022改訂)
      <映像>馬場ふさこ
      <音楽>宮木朝子
    ③Opera acousma 見ることなしに聴くオペラ III
      - Morphoria(2022委嘱)
      <作曲 ・ エレクトロニクス>宮木朝子
      <installation>千田泰広
    ④Echolalia
      - for solo violin, electronics and video(2018)
      <Vn>林原澄音
      <作曲・エレクトロニクス>宮木朝子
      <映像>小阪淳
      <メタルヴァイオリン制作>ニコラス ・ ハーバート
    ⑤Time Crystals(2021招待作品・改訂)
      <作曲・映像>石井紘美
    ⑥The Unknown Planet(2021招待作品・改訂)
      <作曲・映像>ヴィルフリート ・ イェンチ
【会場】オンライン視聴
【料金】1500円
【感想】※紙片の都合上、任意の4演目のみをピックアップ
⓪Tonality generated by 60
8月10日及び8月12日の2日間の公演の開場時間から開演時間までの間に流されていた「Tonality generated by 60」は電子音楽家のYi SEUNGGYU(イ・スンギュ)による公募入選作品です。曲名からも分かるとおり、バーチャルなMIDIピアノを使ってアルゴリズムによりノートナンバー60(C4)から提示される12の調とそれにより生じる7のモードの重なり合いが織り成すアンビエントサウンド(聴くという行為を強制しない音楽)で、ピアノという楽器の特性を活かした空間的な拡がりとその重層的な響きが作り出す音響空間を楽しむことができます。
 
①Yadori_Scape_Notation
VRのゲームエンジンを使って制作された門天ホールのヴァーチャル空間に抽象的なオブジェが出現する映像が投影され、この映像にインスパイアされたサックス奏者が自由に演奏するフルクサスです(偶然性の音楽、不確定性の音楽、即興演奏、フルクサスの違いは過去のブログ記事を参照)。通常、演奏者は楽譜に記されている音符や記号等から作曲家のイメージを読み取って演奏しますが、これとは逆に、この作品では音符や記号等が記載されていない映像を楽譜として作曲家のイメージのみが伝える(映像楽譜)という、これまでとは異なる楽譜のあり方(コンセプト)が提案されています。映像と音楽により自在に変化するヴァーチャル空間は、視覚、聴覚、体性感覚の不確定な感覚とそれによって生じる倒錯した心理状態を生起し、まるで相対性理論の時空の歪みを体感しているような新しい芸術体験をもたらしてくれます。
 
③Hidden Garden
元々はサラウンド映像及びサラウンド音楽から構成されるイマーシブコンテンツで、2019年2月に国際科学映像祭ショートフィルム部門最優秀賞などを受賞していますが、その作品を今回の公演用にVR映像とバーチャルサラウンドに再構成して上演されました。この作品は万華鏡や曼荼羅をモチーフとしながら(古い記憶)、最新の宇宙科学、生命科学、植物学及び動物学等を踏まえてマクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(自然)が連環する世界を対置させた仮想の庭(新しい知覚)を散策することを通して、新しい世界観や自然観を体感すること(新しい認知)を意識した作品になっていると思われます。
 
⑥Time Crystals
Visual Musicとは映像と音楽の間に主従関係がありませんが、劇伴音楽とは映像が主、音楽が従という主従関係がありますので、この両者は性格が異なります。この作品はVisual Musicに位置付けられ、過去に録音した人の声や過去の作品に使用したサヌカイトの音(ミュージックコンクレート)及び過去の作品に使用した映像(シークエンス)等の過去の記憶の断片(時の結晶)が繰り返し現れ、それらが多層な空間や重層な時間の中で変化して行く様子を描いた作品です。第一次世界大戦までのクラシック音楽は人間の感情(I only try to express the soul and the heart of man. ~F. Chopin)という人間の表層を表現するものに過ぎませんでしたが、最新の脳科学等を踏まえると、この作品は人間の意識(感情を含む)を形成する要素の1つである人間の記憶が様々に蘇り、様々に変容するという人間の深層を表現することで、現代の人間観を前提とする人間存在の本質を問い掛けてくる芸術表現と思われます。
 
▼2022年8月12日 18時30分~
【演題】プログラムB:コンサート「Imaginary Piano-Scape」
【演目】⓪Tonality generated by 60(2021公募入選)
      <作曲> イ・スンギュ
    ①Sinking Whales for piano and live electronics(2022委嘱)
      <ピアノ・エレクトロニクス>顧昊倫
    ②Where is Topophilia(2021公募入選)
      <ピアノ・エレクトロニクス>チェ・ウジョン
    ③ピアノの庭遊び
      -エレクトロニクスとピアノのための(2022委嘱)
      <ピアノ・エレクトロニクス>鈴木悦久
    ④resuscitación(2021公募入選)
      <ピアノ・エレクトロニクス>山口聖斗
    ⑤AI自動作曲との協働あるいは対立による「Passion in Air」(2022委嘱)
    (原曲:J.S.Bach 平均律クラヴィーア曲 第 1 巻 24 番ロ短調よりプレリュードとフーガ)
    (原曲:J.S.Bach ロ短調ミサ曲冒頭)
      <AI>大谷紀子
      <作曲>宮木朝子
      <ピアノ・エレクトロニクス>宮木朝子
      <画像>小阪淳
    ⑥from an ordinary tone(2021公募入選)
      <ピアノ・エレクトロニクス>織田理史
    ⑦反抗(2021公募入選)
      <ピアノ・エレクトロニクス>キム・スア
    ⑧ピアニストと仮想ピアノのためのフードチェイン
      -去りゆく時を重ねて(2021委嘱)
      <ピアノ>小坂紘未
      <エレクトロニクス>水野みか子
    ⑨We Fight(2018招待作品・改訂)
      <作曲・映像>フランソワ・ドナト
【会場】オンライン視聴
【料金】1500円
【感想】※紙片の都合上、任意の3演目のみをピックアップ
①Sinking Whales for piano and live electronics
Sinking Whales(下沈の鯨)とは、太陽が刻む時間感覚が及ばない深海を漂う鯨のイメージですが、そのイメージからインスパイアされた心象風景(想像から生まれるバーチャルな世界)を音楽音響空間として表現することで、音楽音響を時間感覚から解放して「無進行感」という新しい芸術体験を試みる興味深い作品です。人間は約7万年前の認知革命(脳の突然変異)によって想像力を手に入れ、そこから生じる好奇心から大移動を開始しますが、それに伴って得られる豊富な知覚(現在の情報)や記憶(過去の情報)が組み合わされて未来や未知のものを想像するための豊かな想像力が育まれ、やがてそれが創造力へと発展して芸術が誕生します。人間の想像か創造を経て芸術へと至る過程を体感できる面白い作品と思われます。
 
⑤AI自動作曲との協働あるいは対立による「Passion in Air」
AI研究の第一人者・大谷紀子氏の監修で、AI と人間の共同制作による作品が上演されました。バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第24番及びロ短調ミサ曲の一部分をAIに学習させてAIが自動作曲した部分と人間が編曲した部分をマルチチャンネル空間で対峙又は並列させながら、最後にこれらが重なり合って歪な受難曲を奏でるという構成です。この作品は、現代を構成する多相な世界観(AIと人間、神と科学、絶対と相対、具象と抽象など)を体現しており、それらが時に対立し、時に協働しながら1つの音響空間(世界)を形作っていることを感じさせてくれるもので非常に興味深かったです。また、この作品はAIが作画した油絵調及びデッサン調のデジタルアートが出色で、印象派絵画、抽象絵画、キュビスム等の手法を融合したような独特の作風が現代の多相な世界観に対するイメージを広げており、AIとデジタルアートの表現可能性を再認識させられる秀作でした。
 
⑨We Fight
コンピューター音楽の分野で世界をリードしてきたフランス国立視聴覚研究所の音楽研究グループ(GRM)のメンバーとして活躍し、その作品が日本でも度々紹介されているフランソワ・ドナト氏の招待作品ですが、今回、ドナト氏が自らキュレーターとして作品解説を行って頂いたことで、この難解な作品を理解するための大きな示唆を与えられる機会に恵まれました。過去のブログ記事でも触れましたが、この作品は、アメリカニズムに象徴されるネオリベラリズムやグローバリズムとそれを背景として台頭したポスト工業化社会を牽引するデジタル覇者(アメリカはデジタル覇者としての中国の台頭を警戒)により形作られる新しい秩序と、これらに抵抗するポピュリズム(ネオリベラリズムやグローバリズムにより社会から切り捨てられた製造業等に従事する中間層)を対置させて弁証法的に表現したものです。前者の音素材はデジタル符号を分離した複合的な声の合成音、後者の音素材はフランス思想家ジャン・ボードリヤールの著作「なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか」(2007)から借用したテキストの抜粋朗読やネオリベラリズムに抗議するデモの音を使って、それぞれを交替(テーゼ、アンチテーゼ)させながら有機的に結合(ジンテーゼ)する構成を採っており、素材と構成の双方から現代社会の分断や抵抗を表現しています。第一次世界大戦までのクラシック音楽が表現してきたセンティメンタリズムだけでは捉え切れない正しく現代の時代性を表現する現代音楽と言え、現代人の教養を育む非常に聴き応えのある作品です。
 
▼2022年8月19日 18時30分~
【演題】基調講演+シンポジウム
    「リアルとヴァーチャルの往来 - ゲームと芸術表現について」
【演目】①聴覚メディア経験におけるバーチュアルなものとアクチュアルなもの
      <基調講演>福田貴成(聴覚文化論)
    ②デジタルゲームにおける音楽・音響の諸相
      ~新しい聴体験メディアとしてのゲームの可能性」
      <基調講演>山上揚平(音楽学・ゲームオーディオ研究)
    ③“今”に宿るアバター
      ~図形楽譜の拡張としての偶発的仮想造形(2022委嘱)
      <映像>小阪淳(映像)
    ④シンポジウム「リアルとヴァーチャルの往来」
      <パネラー>大谷紀子、福田貴成、山上揚平、宮木朝子、小阪淳
【会場】オンライン視聴
【料金】無料
【感想】※紙片の都合上、後半の2演目のみをピックアップ
当日は、前半でシステム障害によりオンライン配信が中断し、後半を視聴できないというトラブルが発生しましたが、後日、後半を含めてアーカイブ配信されましたので、後半の2演目について簡単に感想を残しておきたいと思います。このトラブルはデジタルツインの脆弱性の問題を考えさせるものであり、その意味では有意義なアクシデントだったと言えるかもしれません。
 
③“今”に宿るアバター
④シンポジウム「リアルとヴァーチャルの往来」
プログラムAの①Yadori_Scape_Notationで使用されている映像(映像楽譜)及びプログラムBの⑤AI自動作曲との協働あるいは対立による「Passion in Air」で使用されている画像等について、それらの製作者である小坂さんが自らキュレーターとなって作品の解説を行われました。先ず、前者で使用されている映像楽譜(バーチャルな三次元楽譜)という新しいメディアは図形楽譜(リアルな二次元楽譜)から着想を得て考案されたそうですが、楽譜の機能を「音を出す命令」を記したものから「音を出す動機」を記したものと捉え直して、音楽の再現性ではなく音楽の即興性を採り入れた映像楽譜によるフルクサスとして作曲(映像制作)したものだそうです。この点、音(聴覚)ではなく映像(視覚)に依拠して作曲(映像制作)を行うという意味で作曲の概念を拡張しながら、映像楽譜を使うことにより近代のクラシック音楽の特徴(限界)であった作曲と演奏を分離した表現行為に対して作曲家と演奏家で作曲を分担するという新しい関係性を構築している面白い作品と思われます。次に、プログラムBの⑤AI自動作曲との協働あるいは対立による「Passion in Air」で制作した画像は「Gans」(画像制作等ができる教師なし学習AI)が制作したデジタルアートだそうですが、現在では、この他にも「Midjourney」(画像例①画像例②画像例③画像例④)、「Dream by Wombo」、「DALL・E2」や「Stable diffusion」等の画像制作等ができるAIが存在し、この数年間で格段の進化を遂げてプチ・シンギュラリティとも言うべき状況が生まれているそうです。小坂さんは、必ずしも創作に「人間性」は必要なくAIの進化に伴って「創造」という特別視されてきた領域は崩壊し(AI革命)、それによって「創造」は「人間にしかできない事」という呪縛から解放されると指摘したうえで、心を持たなくても何らかの条件が揃えば「創発」は生まれると看破されていましたが、正しく慧眼です。過去のブログ記事でも触れましたが、人間は「知覚」(現在の情報)と「記憶」(過去の情報)を照合しながら「認知」(未来や未知の想像)を行う動物で、その「知覚」(現在の情報)と「記憶」(過去の情報)の組合せ(シナプス可塑性)が飛躍的であるほど(但し、そこに何らかの関係性や法則性等を見い出せるのか否かによって天才と狂気が分かれる)、その「認知」は独創的な(又は狂気的な)ものということになります。人間は「知覚」や「記憶」に依拠せずに「認知」することはできず、現代人の知性をもってしても「無」から「有」を創造することはできませんので、人間が「創造」と言っているもの(有形・無形を問わず)は消費、加工や模倣等の領域を出るものではないと思います。AIは人間には真似できない圧倒的な量及び質の「知覚」と「記憶」の組合せを繰り返すこと(ディープラーニング)によって、人知の及ばない独創性を切り開くものとして期待されます。この点、少し前までは中世ヨーロッパのように人間中心主義的な発想から「創造」は人間のみが行い得るものとしてAIをネガティブに捉える非科学的で感傷的な意見を目にすることもありましたが、AIと人間がゼロサムの関係ではなくお互いを補完し合うものとしてポジティブに捉えている小坂さんの考え方に共感を覚えました。過去のブログ記事でも触れましたが、これからの時代に求められている芸術は、神の栄光や人間の心を伝えることに留まらず、現代人の知性等を前提とする多様な世界観を表現するものとして、その意義や性格等は大幅に拡張されていると感じますが、芸術に限らず、ビジネスやその他の分野等でも、過去の常識に囚われて狭い世界ばかりに閉じ籠っていていると、いずれ時代から見捨てられてしまうのだろうと思います。小坂さんは、クリエイターなのでアカデミックな話はできないと謙遜されていましたが、非常に示唆に富む内容の基調講演であり良い刺激を受けました。その後に続いて開催されたシンポジウムでは、宮木さんがプログラムBの⑤AI自動作曲との協働あるいは対立による「Passion in Air」でリアルなピアノという楽器の調律の限界等からリアルなピアノの使用を断念したという裏話が紹介され、非常に興味深かったです。現代の時代性を表現し、時代を更新する新しい芸術表現を行うための楽器としてリアルなピアノという楽器が持つ能力(12平均律や88鍵盤音階等)では自ずと限界がありますが、歴史上、楽器の改良によって音楽表現の可能性を拡げてきたように、リアルなピアノという楽器が持つ能力の限界を前提とした音楽表現で妥協するのではなく、現代の時代性を表現し、時代を更新する新しい芸術表現を行うために相応しい楽器又はその他の手段を開発し、採用する時代になってきていると感じます。
 
Midjourney(AI)が制作した画像例①
https://pbs.twimg.com/media/FZesGboaMAAiu59.jpg
 
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.4
1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代音楽家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼ニコレット・ブジンスカ「Scintillation(閃光)」(2013年)
ポーランド人の現代音楽家のニコレット・ブジンスカ(1989年~)は、第31回ポーランド芸術オリンピック音楽部門の第1位(2007年)、ヒラリー・ハーン・アンコール・コンテストの優秀賞(2012年)を受賞するなど数々の国際コンクールで入賞し、演劇、映画、コンテンポラリーダンスなど幅広い分野で活躍しています。とりわけ、ヒラリー・ハーンから高く評価され、度々、その曲が紹介されています。
 
▼ベンジャミン・アタヒル「ピアノ三重奏曲Asfar」(2016年)
フランス人の現代音楽家のベンジャミン・アタヒル(1989年~)は、フランスで最も権威がある音楽賞「Les Victoires de la Musique Classique」(フランスのグラミー賞)にノミネートされるなど最も注目されている若手の現代音楽家です。最古のフランス語オペラ「パストラール」(1659年、ロベール・カンベール作曲)は台本のみが残され楽譜は失われていますが、アタヒルは古楽器を使用した現代音楽のオペラとして復活上演し注目を集めました。
 
▼芳賀傑「ピアノのためのプレスト」(2013年)
日本人の現代音楽家の芳賀傑(1989年~)は、第6回クー・ド・ヴァン国際交響吹奏楽作曲コンクールの第1位(2018年)、OFSI国際吹奏楽作曲コンクールの第1位(2022年)を受賞するなど数々の国際コンクールで入賞しており、吹奏楽の分野で精力的に活躍しています。なお、この曲は、2013年PTNAピアノコンペティション新曲課題曲賞(特級)を受賞したもので、数少ないピアノ曲になります。

映画「Helene」(邦題:魂のまなざし)<STOP WAR IN UKRAINE>

井上陽水「少年時代」(ブログの枕)
最近、気が滅入るようなニュースが多いなかで、ちびっ子達の夏休みが始まって街中に笑顔や歓声が溢れるようになり、世の中が華やいで見えるようになりました。無垢なちびっ子の姿には万人の心を救う仏が宿っているようです。さて、日本では明治時代まで夏休みという概念は存在せず、1881年(明治14年)に初めて導入されましたが、その理由はよく言わる(江戸時代以前からあった)暑さや農繁期のためではなく、1872年(明治5年)に欧米から近代的な学校制度を採り入れた際に日本へ指導に来た外国人教師から欧米と同様に夏休みを要求されたことが始まりと言われています。この点、欧米で夏休みが導入された経緯は、学年の変わり目である9月に入る前に1年間の学習を終えた節目として休暇を設けたことが始まりと言われていますが(欧米の夏休みは約3ケ月という長期間であるにも拘らず、1年間の学習を終えた節目なので宿題はなく、ちびっ子達はサマーキャンプ等に通って過ごします。)、日本は学年の変わり目である4月に入って直ぐの3ケ月後に夏休みが始まることから、学習が中途半端となり定着しないのではないかという懸念が生まれ、大正時代から「宿題」を出すようになったと言われています。この点、明治時代には、江戸時代の寺子屋で使われていた和紙と筆に代わり石盤石筆が使われていたことから「宿題」を出すことが難しかったようですが、大正時代になるとノートと鉛筆が普及したことから「宿題」を出すようになったと言われています。因みに、「宿題」という言葉は、江戸時代の武士&文人大田南畝過去のブログ記事でも、江戸時代の「壱人両名」という仕組みをご紹介しましたが、この人物も複数の顔(名前)を持ち、勘定所勤務という武士の顔を持つ傍らで、文人としての顔も持ち高い名声を得ていた人物であり、江戸時代のメタバースとも言える様々な分人ネットワークが機能して多層な社会を形成していました。この点、映画「HOKUSAI」でも読本作者・柳亭種彦こと旗本・高屋彦四郎の生き様が描かれており興味深いです。)が手紙の中で「御詩会いかが。宿題御定め候はば・・」(1801年)という和製漢語として使ったものが最初と言われており、詩会の開催にあたって事前に課される「お題」のことを「宿題」と言っていました。過去のブログ記事でも触れましたが、OECD又はEUの加盟国の中で日本のちびっ子達のウェルビーイング指数が下から2番目になった理由は、夏休みが少ないうえに宿題を課されることからサマーキャンプのような学校以外のコミュニティーへ参加する機会(即ち、自己実現を図る機会)が制限されてしまうことが原因の1つであると言えるかもしれません。因みに、日本のちびっ子達が「宿題」を課される原因の1つとなった鉛筆は、1564年にイギリスで黒くなめらかな線が途切れずに描ける黒鉛が発見され、それを木に挟んで使用したことが始まりと言われています。その後、1760年にドイツのカスパー・ファーバーが黒鉛の粉を硫黄で固めて芯を作り、ニギリ易くカジリ易い六角形の鉛筆を発案します(現代鉛筆の父)。その後、1795年にフランスのニコラス・ジャックコンテが硫黄の代わりに粘土を黒鉛に混ぜて、これを焼き固めて強度を持たせる方法を考案しますが、これにより粘土の混合比率を調整することで芯の堅さを変えることが可能になりました。例えば、鉛筆の先端に刻印されている「H」はHARD(堅い)、「B」はBLACK(黒い)を意味し、「H」に付記される数字が高いほど堅い芯で細く薄い線、「B」に付記される数字が高いほど柔らかい芯で太く濃い線という書き味を表しています。僕が子供の頃は「H」の特徴と「B」の特徴をバランスよく調和した「HB」(中庸な芯の堅さ)の鉛筆が圧倒的な支持を得ていましたが、最近では「HB」の鉛筆が占める割合は約50%から約20%へと減る一方、「2B」の鉛筆が占める割合は約20%から約40%へと増加しており、タブレットやパソコン等を使い慣れている現代のちびっ子達の筆圧が低下しているためではないかと言われています。さて、「宿題」の由来はさて置くとして、何故、人間が勉強するのかと言えば、前回のブログ記事でも触れましたが、人間は自らの生存可能性を高めるために「知覚」(現在の情報)と「記憶」(過去の情報)を照合して「認知」(未来の予測)し、行動する能力が発達している生き物ですが、新しい知覚(体験)や新しい記憶(学習)を蓄積することで、より良く未来を予測するための新しい認知を得やすくなり、それによって人類は知恵や創造力を発揮して自らの生存可能性を高めることができると考えられています。そのため、人間の脳は新しい知覚を育む体験、新しい記憶を育む学習、また、それらによって得られる新しい認知(視野の広がり)やそれに伴って発揮される知恵や創造力(ヒラメキ)などに快感を覚えるように作られています。この変革の時代にあって、ちびっ子達が何を体験し、何を学習するのかということは非常に重要な課題であり、ノートや鉛筆だけを使っていた時代とタブレットやパソコンも使うようになった時代とで同じことを体験し、同じことを学習していて良いはずはありません。そこで、このひと夏の貴重な体験や学習につながり得るものとして、最先端テクノロジーを使ったメディア・アート作品を紹介するICC(インターコミュニケーションセンター)や体験型アート・ミュージアムとして話題のteamLab☆ART AQUARUIM等をお勧めしておきます(その一部がオンライン展示されています。)。家でドリルを解いていてもシナプス可塑性が活発化することはあまり期待できませんので、外に出て面白い(シナプス可塑性の活発化が促されている状態)と思える体験や学習を心掛けることをお勧めしたいです。ちびっ子達が勉強をつまらないと感じるのは、基礎学力を養うためであるとしても、その勉強がどのように新しい認知へと結び付き得るのか分からないものが多過ぎるためではないかと思われますが(均質化・形骸化した義務教育の弊害)、大人になるとどのように新しい認知へと結び付き得るのか考えながら学習を広げられるので非常に勉強が楽しく感じるようになります。
 
▼世界の社会人の休日(主要地域10ケ国の土日を除く祝祭日数及び有給休暇日数の比較)
下表を見ると、アジアでは祝祭日数が多く有給休暇日数が少ない傾向があるのに対し、ヨーロッパでは有給休暇日数が多く祝祭日数が少ない傾向があることが分かります。アジア人はアニバーサリーとして短期休暇を頻繁に取得する傾向がある(よって、有給休暇の取得率も低い)のに対し、ヨーロッパ人はバケーションとして長期休暇を纏めて取得する傾向がある(よって、有給休暇の取得率は高い)ことから、このような違いになって現れているようです。この背景には、アジア人に多い農耕民族は農作業の合間に頻繁に短い休息を取る行動パターン(少しづつ農作業を進めるので仕事をダラダラと処理し、労働生産性は低い傾向)が文化として根付いているのに対し、ヨーロッパ人に多い狩猟民族は獲物を捕るまで猛烈に動き回りその後は次の狩りまで長い休息を取る行動パターン(一気に獲物を仕留めるので仕事をテキパキと処理し、労働生産性は高い傾向)が文化として根付いていることに由来していると言われています。よって、日本人はリフレッシュ休暇のような長期休暇は持て余してしまうことが多く、アニバーサリー休暇や週休三日制のような短期休暇を頻繁に取得できる制度を好むという調査結果も出ています。
※祝祭日の日数はJETROのWebページ有給休暇日数は各国の労働法制を参照
※有給休暇の取得率はエクスペディアの国際比較調査等を参照
 
▼世界の働き方改革(主要地域の比較)
上述のとおりヨーロッパ人はバケーションとして長期休暇を纏めて取得する傾向があることからワーケーション(Workcation=Work+Vacation:テレワーク等を活用してリゾート地などで余暇を楽しみながら仕事を行うこと)も普及していますが、アジア人はアニバーサリーとして短期休暇を頻繁に取得する傾向があることから、あまりワーケーションは普及していないようです。しかし、上述のとおり新しい知覚(体験)は人間の創造力を発揮し易くする効用があることが指摘されており、今後、日本でもワーケーションが積極的に採り入れられることになるのではないかと考えられています。
 
【題名】映画「Helene」(邦題:魂のまなざし)
【監督】アンティ・J・ヨキネン
【原作】ラーケル・リエフ
【脚本】アンティ・J・ヨキネン、マルコ・レイノ
【撮影】ラウノ・ロンカイネン
【美術】ヤークップ・ルーメ
【衣装】ユージェン・タムベリ
【音楽】キルカ・サイニョ
【出演】<ヘレン・シャルフベック>クラウラ・ビルン
    <エイナル・ロイター>ヨハンネス・ホロパイネン
    <ヘレナ・ヴェスターマルク>クリスタ・コソネン
    <ヨースタ・ステンマン>ヤルコ・ラハティ 等
【感想】ネタバレ注意!
今日は、フィンランドを代表する画家ヘレン・シャルフベックの後半生を描いた伝記映画「Helene」(邦題:魂のまなざし)を観に行くことにしました。この映画は、絵画好きにとっては観応えのある内容で、是非、映画館の大スクリーンでご覧頂ければと思いますので、ネタバレしない範囲で簡単に感想を残しておきたいと思います。ヘレンは、トーマス・エジソンが生まれた15年後の1862年に誕生し、トーマス・エジソンが死んだ15年後の1946年に他界しており、19世紀(近代)から20世紀(現代)への時代の転換期に活躍したモダニズムの画家です。この時代は蓄音機や白熱電球等と共にカメラが発明され(この映画ではヘレンが蓄音機でレコードを聴くシーンや親友エイナルの婚約者の写真を見せられるシーンなどが描かれています。)、これに伴って西洋絵画はその存在意義を問い直されるようになり写実主義(客観的な世界観を描く絵画)から印象派表現主義、抽象主義(主観的な世界観を描く絵画)へと変革して行きます。この映画では、白熱電球が普及する以前に自然光やローソク光に照らされる世界が画家の目にどのように映り、それをどのように捉えていたのかを視覚的に体感できるシーンが随所に散りばめられており、窓から屋内に差し込む青い光、赤い光、明るい光、淡い光、時間と共に移ろう光などが画家の豊かな色彩感覚を育んでいたことがよく分かりますし、チューブ絵具の誕生によって屋内から屋外で絵画を描くようになりどのように印象派絵画が生まれたのか示唆に富むシーンなどもあり、映像による絵画的な表現としても楽しむことができます。フィンランドは14世紀から18世紀までノルウェイに支配され、その後、19世紀からはロシアに支配されましたが、ロシアが日露戦争に敗れて弱体化したことで1918年にロシアからの独立を果たします。このような歴史的な背景から、第二次世界大戦ではソビエトの侵攻を恐れてナチス・ドイツと共同戦線を張り国際的な非難を浴びますが(映画「ウィンター・ウォー/厳寒の攻防」)、今年再び、ロシアの脅威から国土を防衛するためにNATOへ加盟申請しています。この映画では、ヘレンが生きていた時代のフィンランドの社会には根強い男尊女卑の考え方(男性による女性蔑視だけではなく、ヘレンの実母を含む女性による女性蔑視を含む。)が残されていた様子が描かれていますが、それでもフィンランドで女性参政権が認められたのは欧米諸国の中で最も早い1906年で(しかもフィンランドは女性の被選挙権を認めた世界初の国)、これに遅れてイギリス(1918年)、ドイツ(1919年)、アメリカ(1920年)、フランス(1944年)、日本(1946年)等でも認められます(映画「未来を花束にして」)。これはフィンランドが長らく他国の支配を受けてきたことから、参政権の保障がジェンダー・ギャップ(性差別)の問題ではなくエスニシティ(民族差別)の問題として捉えられていた点や1800年中頃からフィンランドで「社会的母性」という考え方(家庭における母の役割の重要性を認識すると共に、その役割を社会的及び国家的な規模で見直す考え方)が広まっていた点などがあると考えられます。このような社会背景もあってか、ヘレンは、生涯で約80点の自画像に加えて、家庭や社会で重要な役割を担う女性を絵画のモチーフとして積極的に描いており、しかも、写実主義のように人間の表面に現れる美しさだけではなく、人間的な強さ、脆さや醜さなど人間の内面に隠されているものを描くようになり、それまでの調和のとれた理想的な美を表現する絵画から、それでは描き切れない被写体の真実に迫るために絵のリズムの乱れや衝動の発露などが感じられる独創的な絵画表現を模索し、新しい時代に相応しい美の再定義を試みています。ところで、今年5月、フィンランドNATOへの加盟申請を正式表明するタイミングでサンナ・マリン首相(就任当時は34歳の若い女性首相の誕生として世界で注目されました)が来日して話題になりましたが、フィンランドでは国会議員のうち、女性が占める割合は約47%、また、40歳以下の若年層が占める割合は約36%にのぼる世界有数の先進国家であり(これに対し、日本では国会議員のうち、女性が占める割合は約9.9%、また、40歳以下の国会議員が占める割合は約12.7%)、このような不遇な歴史を経験してきたことが、却って、女性の社会参画を促進し、新陳代謝が活発な懐の広い社会、国家を育んだと言えるかもしれません。このように女性の社会参画が進んでいるフィンランドでも、上述のとおり1910年代から1960年代までの間は不穏な国際情勢の影響を受けてナショナリズム等が台頭し、専業主婦になる女性が増えるなどフェミニズムの「沈黙期」と言われています。よって、未だこの時代は芸術家として活躍する女性は珍しい存在でしたが、ヘレンは幼少期に事故で左足が不自由になり学校へ通うことができなかったことが契機となって早くから絵画の才能を見い出され、11歳でフィンランド芸術協会の美術学校へ入学し、その後、18歳で政府から奨学金を得てフランスの美術学校へ留学して写実主義の絵画レオン・ボナに師事しています。また、ヘレンは、ヨーロッパ滞在中にマネ、セザンヌ、ホイッスラー等の影響を受けて徐々にその才能を開花させ、1889年、パリ万国博覧会に出品した絵画「快復期」で銅賞を受賞しています。その後、フィンランドに戻ってヘルシンキの美術学校で教鞭を執りましたが、病気療養のために田舎町へ引っ越して実母の面倒を見ながら創作活動に専念するなかで、エル・グレコの絵画ファッションの潮流(この映画ではファッション雑誌を見ながら服を作るシーンとして登場)等の影響を受けながら独自のスタイルを確立して行きます。この映画では、親友エイナルの肖像画船乗り」を描くシーンが印象的に描かれていますが、ヘレンが絵筆をとる親友エイナルと肌を重ねるシーンは、さながら同時代の画家グスタフ・クリムトの「接吻」を彷彿とさせるような官能的・退廃的なムードが漂っており、世紀末思想に彩られた時代の空気を伝えています。ヘレンの晩年の作品は、被写体の細部に拘るのではなく被写体の内面を捉えてそれを僅かな輪郭線で描き出すミニマルな表現が特徴的で、それによって写真や写実主義では表現できない人間存在の本質を浮かび上がらせるような圧倒的な表現力、説得力を生み出しており、視覚的に捉える写実絵画の見事さとは異なる、画家や被写体の心象風景を覗き見ているような抽象絵画の深遠な世界観が魅力です。近年、日本でもヘレンの展覧会が開催されるようになり、非常に注目を集めているなかで映画公開となったことは嬉しい限りです。当世流の陳腐なヒューマンドラマに流されるのではなく、作家や作品と真摯に向き合いながらその魅力を掘り下げてくれるような誠実な映画作りに好感を覚えますし、今後も、このような映画に巡り合えることを心から願っています。
 
安房神社千葉県館山市大神宮589
菱川師宣記念館(千葉県安房郡鋸南町吉浜516
岡倉天心邸(五浦海岸)(茨城県北茨城市大津町727−2
④鹿野山九十九谷(千葉県君津市鹿野山118
安房神社安房神社には天岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を作ったとされる美術の神様櫛明玉命クシアカルタマノミコト)が祀られており、美大の合格祈願やアーティスト、美容関係者等から篤い信仰を受けています。日本には芸能の神様を祀る神社は多いのですが、美術の神様を祀る神社は非常に少なく関東では安房神社(千葉)と比々多神社(神奈川)の2社があるのみです。また、千葉には日本で唯一の料理の神様を祀る高家神社があり、全国から料理関係者が参詣しています。 菱川師宣記念館/近世日本美術に欠くことができない中核を担い、庶民文化として発展した浮世絵の祖・菱川師宣は千葉県の出身で、その生誕地には菱川師宣記念館があります。もう1つ近世日本美術に欠くことができない中核を担い、武家文化として発展した狩野派の祖・狩野正信も千葉県の出身で、その生誕地に狩野正信生誕地碑があります。千葉県は海に囲まれた半島で風光明媚な景色が多いことから数多くの文化人を輩出していますが、現代でも千葉県を創作の拠点とするアーティストが多いことは頷けます。 岡倉天心邸(五浦海岸)フェノロサ狩野芳崖らと共に日本画の復興を目指した岡倉天心は新しい日本画の可能性を模索するために茨城県北茨城市日本芸術院を設立して下山観山、横山大観、菱田春水、木村武山らと共に朦朧体という新しい日本画の技法を生み出し、日本近代美術の父と言われています(過去のブログ記事)。なお、岡倉天心が思索を巡らすために茶室を兼ねて建てた六角堂(観瀾亭)東日本大震災の大津波で消失していますが、復興支援プロジェクトの一貫として再建されています。 鹿野山九十九谷/鹿野山九十九谷は画家・東山魁夷出世作残照」のモチーフとなった場所として知られ、日出又は日没の時間帯にはまるで水墨画のような美しい雲海が見られるスポットとしても人気があります。東山魁夷は、その半生を千葉県市川市で暮らし、その住居跡近くには東山魁夷記念館が建てられています。なお、東山魁夷の代表作「」のモチーフとなった種差海岸(青森県八戸市)も風光明媚なスポットとして知られ、これらの美しい景観が東山ブルーと言われる色彩を生み出しています。
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.3
1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代音楽家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼ ミハル・マレク「Deus caritas est(神は愛なり)」(2017年)
ポーランドで注目されている現代音楽家ミハル・マレク(1995年~)は、ヴィトルト・ルトスワフスキ国際作曲コンクールの第1位(2013年)やムジカ・サクラ・ノヴァ国際作曲コンクールの第1位(2019年)など数々の国際作曲コンクールで優勝又は入賞している若手の俊英です。聖書や文学等に題材を求めた声楽曲等で高い評価を得ており、近年ではポーラインドで最も権威があるフレデリック賞(ポーランドグラミー賞)の現代音楽部門でノミネートされるなど注目を集めています。
 
▼ ニコ・マーリー「Throughline(スルーライン)」(2021年)
世界で活躍している現代音楽家&ピアニストのニコ・マーリー(1981年~)は、映画「太陽の子」サウンドトラックを担当するなど既に日本では著名な現代音楽家です。この曲は、2020年にエサ=ペッカ・サロネン音楽監督に就任したサンフランシスコ交響楽団とニコ・マーリーがオーケストラの新しい方向性を示すデジタルコンサートの一環として作曲及び録音し、ストリーミング配信したものですが、2022年の第64回グラミー賞で最優秀オーケストラパフォーマンス賞にノミネートされています。
 
佐藤賢太郎「前へ(Forward)」(2015年)
日本で活躍している現代音楽家佐藤賢太郎(1981年~)は、アメリカの大学で音楽を専行し、ハリウッドで映画、テレビやゲーム等の音楽を作曲、編曲等を行っていた経験から帰国後はゲームソフト「ファイナルファンタジー零式」のコーラス曲「我ら来たれり」で編曲を担当するなど合唱曲には定評があります。この曲は、東日本大震災等の被災者にエールを送るためにカワイ出版社(全音楽譜出版社)が2011年から実施している「『歌おうNIPPON』プロジェクト」に提供されたものです。

時代をデザインするファッションとその時代を表現する音楽<STOP WAR IN UKRAINE>

▼カオスとコスモスの狭間で生まれる美(ブログの枕前半)
7月を意味する英語「July」(ジュライ)は、古代ローマの英雄的な将軍「ユリウス・カエサル」(英語名:ジュリアス・シーザー)の誕生日が7月であることから「lulius」(ユリウス)に因んで命名されたと言われています。ユリウスは、古代エジプトの女王・クレオパトラの愛人だったと言われていますが、パスカルが著書「パンセ」で「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史も変わっていたであろう」と評するほどの絶世の美女であったというのが定説で、楊貴妃及びヘレネ―(日本では小野小町)と並ぶ世界三大美人に挙げられています。しかし、古代エジプトの建物は日照や砂埃を避けるために窓が小さく造られており屋内は薄暗く顔の造形がはっきり見えなかったと言われていますので、薄暗がりでも目立つ化粧や美声、教養で男性を虜にしていたという説もあります。クレオパトラの化粧法は、マラカイト(孔雀石)ラピスラズリ(青金石)などの宝石を砕いた粉を目の周りに塗布するもので、魔除けや目の感染症の予防の意味もあったそうですが、薄暗がりでも目が大きく見えて自分の美しさを際立たせるものとして世界で最初にアイラインやアイシャドウを利用したのがクレオパトラと言えるかもしれません。その意味では「クレオパトラの化粧がもう少し下手だったら、世界の歴史も変わっていたであろう」というのが実際だったかもしれません。現代でも、歌手や俳優が遠くからでも目、鼻や口など顔の造形がはっきりと見えるように行う舞台化粧は同じような機能を果たしています。しかし、キリスト教が国教化された中世ローマでは、化粧することは「七つの大罪」のうち「傲慢」にあたると考えられ、一時、化粧は行われなくなりました。この点、コロナ禍に伴うマスク着用で日本人の化粧の頻度が40%以上も減少したそうですが、化粧を身嗜みと考える現代的な価値観に照らせば、化粧をしないことは「七つの大罪」のうち「怠惰」にあたると言えるかもしれません。なお、「cosmetic」(コスメティック、省略してコスメ:化粧品)という言葉は、元々は「kosmos」(コスモス:宇宙が生まれた後の調和された秩序ある状態)を語源とし、「chaos」(カオス:宇宙が生まれる前の混沌として乱れた状態)を「kosmos」に戻すものという語感が含まれています。その意味で「to apply cosmetics」(化粧する)という表現は、年齢と共に「chaos」になって行く容姿を化粧を施して何とか「kosmos」に戻そうとする試みをイメージさせるものであり、その化粧のノリに歳月と共に移ろう「chaos」と「kosmos」の鬩ぎ合いの様子が現れる小宇宙と言って良いかもしれません。個人的な理解では、本当の「美しさ」(kosmos)とは、単に容姿に優れ、化粧が巧みであるという表面的な美しさだけを言うのではなく、その人の生き様が仕草、表情や心根等になって現れる美しさ(調和のとれた生き方)のことを言い、ワックスで装った表面の光沢ではなく軽石で磨き上げた内面から滲み出てくる艶のようなもの(老木の花、枯淡の美)ではないかと考えます。故・黒沢明監督の遺稿を元にした映画「雨あがる」(第56回ヴェネチア国際映画祭緑の獅子賞を受賞)に「真実な人々」という台詞が出てきますが、本当に美しい人々を見分けられる心の審美眼のようなものを備えた人間になるべく心掛けていますが、人生は侭なりません。
 
▼ヘンデル作曲のオペラ「ジュリオ・チェーザレ(英語名:ジュリアス・シーザ)」(1724年)
1711年、オペラ「リナルド」で華々しくロンドン・デビューを果たしたヘンデル(英語名:ハンデル)は、ロンドンでオペラ作曲家として活動しますが、1724年にドイツからイギリスへ帰化し、この年にオペラ「ジュリオ・チェーザレ(英語名:ジュリアス・シーザー)」を初演します。2020年4月に新国立劇場で上演される予定であったオペラ「ジュリオ・チェーザレ(英語名:ジュリアス・シーザー)」はコロナ禍の影響で上演延期されていましたが、満を持して2022年10月に上演することが決定されています。
 
▼隠すと彩るの狭間で生まれる美(ブログの枕後半)
日本の化粧は、宗教儀式や戦闘等において顔や身体に施した装飾が起源と言われており、日本最古の物語である竹取物語(五.火鼠の皮衣)に「化粧」(けさう)という言葉が登場することから平安時代には身嗜みとしての化粧も行われていたと考えられます。化粧の「化」(かする)は「イ」(人の形)+「ヒ」(人の形を反転させたもの)から「別のものになる」という語義を持ち、例えば、「花」(草が別のものになる)、「靴」(革が別のものになる)、「訛」(言が別のものになる)等の言葉としても使われています。また、化粧の「粧」(よそおう)は「米」(白粉)+「庄」(神の依代となる柱)から「無垢を装って神を迎え入れる」という語義を持ち、神や敵を誑かすというニュアンスが含まれています。当初、身嗜みとしての化粧は女性のみが行っていましたが、平安時代末期になると虫歯で歯が黒かった後鳥羽上皇に配慮した公家(男性)が女性を真似てお歯黒をつけるようになり、やがて昇殿(上皇や天皇への拝謁)を許される五位以上の官位の者のみがお歯黒をつけることを許され、昇殿を許されない六位以下の官位の者はお歯黒をつけることを許されずに「白歯者」と呼ばれて身分の低い者と見做されるようになりました。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時の三男・北条重時が遺した「北条重時家訓」に化粧(けはふ)という言葉が登場しますが、人前に出るときは化粧をして身嗜みに気を配らなければ人から侮られるという教訓を伝えており、公家(男性)と同様に武家(男性)も化粧する習慣があったことが窺がえます。この点、前回のブログ記事で触れましたが、平安時代から鎌倉時代、室町時代は王朝文化から武家文化へ移行する時代の過渡期にあたりますが、武家も王朝文化を採り入れてお歯黒をつけるようになり、とりわけ戦場に屍を晒すことになっても身分の低い者と侮られたくないという武家の意地から身嗜みに気を配りお歯黒をつけて出陣したと言われています。さらに、映画「関ケ原」でも描かれていますが、武家の子女は敵の首級を洗い、お歯黒をつけて首化粧を施すなど首実検で敵将らしく立派に見えるように整えたと言われており、現代でも「首を洗って待っていろ」と啖呵を切ったり、また、ご遺体に死化粧を施すのは、その名残りと言われています。因みに、過去のブログ記事でも触れましたが、日本のお歯黒と同様に、16~18世紀頃のヨーロッパの王侯貴族や裕福層の間ではペスト菌を媒介するノミやシラミの予防のために短髪にしてカツラをかぶる習慣が生まれ、その後、梅毒に罹患すると発症する円形脱毛症を隠すためにカツラが流行します。また、天然痘の傷跡等を隠すためのツケボクロをつける習慣や白髪隠しのために頭髪やカツラに小麦粉や米粉を混ぜ合わせた白い髪粉を降り掛ける習慣等も流行し、やがてこれらが上流階級であることを示すステータスシンボルと見做されるようになりますが、化粧には「隠す」(自己隠蔽)と「彩る」(自己解放)という一見矛盾する2つの要請を同時に叶える魔力のようなものがあると言えそうです。因みに、ヨーロッパの社交界で女性が着飾るイブニングドレス(バックレスドレス)の背中が大きく開いている理由は、梅毒に罹患すると発症するバラ疹がないことを示すために始まったと言われており、「隠す」(自己隠避)という実用的な機能と共に「彩る」(自己解放)という創造的な機能を持っている化粧やファッションは自己実現を図るための重要な自己表現の1つであると言えます。この点、コスメ業界と並んで、現代を表現し、未来を創造するアパレル業界で活躍するデザイナーには、その思想や生き様等を含めて共感、刺激される人が多く存在していますので、この機会にファッションがどのように時代をデザイン(革新)してきたのか、また、その時代を音楽がどのように表現してきたのかを簡単に触れてみたいと思います。なお、現在も営業を継続している化粧品メーカーのうち、ヨーロッパでは、1221年にサンタ・マリア・ノヴェッラ(伊)、1709年にファリナハウス(独)、1790年にディー・アール・ハリス(英)、1798年にゲラン(仏)が創業し、その後、1910年にシャネル(仏)や1946年にディオール(仏)などが創業していますが、これらの化粧品メーカーが提供する化粧品は非常に長い歴史の中で人々を魅了し続け、人々から愛され続けています。また、日本では、1615年に創業した柳屋本店が最古ですが、その後、1790年に伊勢半、1872年に資生堂が創業しており、ヨーロッパの化粧品メーカーと比べても遜色のない歴史と伝統を誇っています。この点、コロナ禍前までは上述のとおり長い歴史と伝統を誇り品質に優れた日本の化粧品が中国人観光客のお土産として持て囃されていましたが(日本人は月平均5000円前後を化粧品に費やしているそうですが、中国人は美容に関心が高く月平均1万5000円前後を化粧品に費やしていると言われています。)、最近では価格に優れた韓国の化粧品に人気を奪われており、コロナ禍や円安を契機として化粧品だけではなく各分野で日本経済のプレゼンス低下が懸念され始めています。
 
①女化稲荷神社(茨城県龍ケ崎市馴馬町5387
②牛久大仏(茨城県牛久市久野町2083
③蚕影山神社(蠶影神社)(茨城県つくば市神郡1998
④富岡製紙場(群馬県富岡市富岡1-1
⑤化粧坂切通し(神奈川県鎌倉市扇ガ谷4-14-7
女化稲荷神社女化神社には男に助命された狐が美しい女に化けて妻になり3人の子供を設けますが(お稲荷さんの3匹の子狐)、やがて正体を知られて姿を消したという狐の恩返し伝説があり、奥の院は狐が姿を隠した場所と伝わっています。美しい女に化けたという伝承から江戸の芸者衆が参詣し、化粧が上手くなるコスメの神様として女性の信仰を集めています。 牛久大仏/女化稲荷神社の近くには三千世界を見守る牛久大仏(地上高120m)が安置されていますが、銅像としては日本第1位及び世界第4位の大きさを誇っています。昔から人間は大きいもの、強いもの、美しいものへの変身願望がありますが、それが民間伝承、銅像、アニメーション、映画やファッションなどのメディアを使って表現されています。 蚕影山神社(蠶影神社)/牛久大仏の近くにある筑波山の山麓には、養蚕、製糸及び機織技術が日本に伝来した地として筑波国造が創建した蚕影山神社(蠶影神社)があり、全国の蚕影神社の総本社となっています。インドの金色姫が乗る船が常陸国豊浦へ漂着し、これらを伝承したとする伝説が残されており、ファッションの神様として信仰を集めています。 富岡製紙場/19世紀半、ヨーロッパでは養蚕の疫病が蔓延して絹産業が壊滅的な被害を受けますが、その疫病に対する耐性を持ってた日本の蚕と生糸を輸入してヨーロッパの絹産業は復活し、その後のオートクチュール文化が華開きます。この頃、1872年にフランスの技術を導入し、当時世界最大級の規模の器械製糸工場として 富岡製糸場が設立されます。 化粧坂切通し/大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」でも紹介されていた鎌倉七切通しの1つで、平氏の武将に死化粧して首実検した場所であることが名前の由来。後年、鎌倉幕府(執権・北条氏)を滅亡させた新田義貞は化粧坂切通しから鎌倉へ攻め入ろうとしますが失敗し、引潮を利用して稲村ケ崎から迂回して鎌倉へ攻め入ったと言われるほどの要衝です。
 
▼人類の移動が生んだファッションと芸術
昔から「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、この言葉の出典(中国春秋時代の思想書「管子」(牧民)にある「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。」という言葉)を紐解けば、生活の三大要素「衣食住」のうち、「食」が満ちれば礼儀や節度を弁える理性が生まれ、「衣」が満ちれば栄誉(ファッションの「彩る」(自己解放)の機能)や恥辱(ファッションの「隠す」(自己隠蔽)の機能)を感じる感性に目覚めるという趣旨だと解されます。生活の三大要素に「衣」が含まれている理由は、人間の生命維持に最も重要なものが「衣」であると考えられているためです。過去のブログ記事で触れましたが、約5億年前に生細胞が植物と動物に分化する際、植物は移動せずに太陽光を利用して自らエネルギーを作り出すことを選択したのに対し、動物は移動して他の生物を捕食しエネルギーを摂取することを選択します。さらに、動物は、恒温動物と変温動物に分化しますが、恒温動物は他の生物をより多く捕食するために広い範囲を移動する必要から体温が外気温の変化に左右されず活動を継続できる生理機能を持つようになり、また、変温動物は体温が外気温の変化に左右されるために狭い範囲しか移動(例えば、ナマケモノは気温が安定する熱帯地域にしか生息できず、体温調整のために日向と日陰の僅かな範囲を移動)できない代わりに他の生物を僅かな量(例えば、ナマケモノは植物を10g/日)しか摂取しなくても生命維持できる生理機能を持つようになります。この点、人間が世界中の様々な場所で活動できるのは恒温動物であることの恩恵ですが、それに伴う外気温の急激な変化に対しては体温を一定に保つことが難しく生命維持が困難になる可能性があることから、約20万年前頃から防寒対策のための「衣」(人間の体温調整を補うための毛皮や植物など)を着用し始めたと言われています。このことから「食」(他の生物をより多く捕食すること)のための「衣」(広い範囲の移動を可能にするもの)とも言え、人間の生命維持にとって「食」と「衣」は密接不可分な関係にあると考えることができますが、それが戦闘のための防護服や宗教儀式のための化粧(ボディーペイント)の延長としての装飾服として発展します。なお、生活の三大要素の「住」も寒暖や外敵などから人間を守るという重要な役割を担っています。今年は熱中症対策として適度なエアコンの使用が奨励されていますが、エアコン(冷房)は人間の発汗作用(液体の気化により熱を吸収する性質)を応用し、液体から気体に変化し易く熱を効率的に吸収する性質を持つ冷媒ガスを使って部屋の空気から熱を急速に吸収することで冷房しますが、これも「住」が実現した発明と言えます。高齢者が熱中症を発症し易いのは若者と比べて発汗作用が衰えているためですが、その衰えをエアコンが補っており、益々「住」の重要性が増していると言えそうです。
 
▼オネゲル作曲の交響的断章第1番「パシフィック231」(1923年)
鉄道オタクだったオネゲルが蒸気機関車を音楽的に描写したメカニカルな曲です。上述のとおり人間は他の動物を捕食するために広い範囲を移動する必要がありましたが、過去のブログ記事でも触れたとおり、約7万年前の認知革命(脳の突然変異)によって人間は想像力を手に入れ、それに伴う好奇心や気候変動、縄張争い等を契機として大移動を開始します。天気予報と同じですが、人間の脳は生存確率を高めるために「知覚」(現在の情報を収集)+「記憶」(過去の情報を記録)=認知(現在の情報と過去の情報を照合して未来を予測)しますが、移動による新しい知覚学習による新しい記憶が組み合わさると(シナプス可塑性が活発化)、これまでにない認知が生まれ易くなり(俗に世界が広がる)、それが豊かな創造性を育むようになります。人間の脳は生存確率を高める必要性から、新しい知覚や新しい記憶が不足すると「飽きる」という状態の陥り、旅行に出たり、新曲を聴いたり、お稽古事を始めたり、新しい知覚や新しい記憶を求めるようになります。
 
▼ファッションの誕生(ルネサンス
上述のとおり中世のキリスト教社会では神が自らの姿に似せて造ったという人間の身体を化粧やファッションで着飾ること(虚飾)は傲慢の罪にあたると考えられていましたが、十字軍の遠征失敗や宗教改革によってキリスト教権威が失墜してキリスト教的な価値観から解放されると(過去のブログ記事)、人間性を再発見するルネサンスが勃興して、神(キリスト教権威)が支配する時代から人間(絶対王政)が支配する時代へと転換します。これに伴って科学が宗教の足枷から解放されてキリスト教が禁じていた解剖学が盛んになり(過去のブログ記事)、人間の身体が三次元的に把握されるようになると、人間の身体の構造や骨格の動き(人間工学)に配慮した立体的なデザインの服が作られるようになり(1951年、デザイナー・森英恵は米軍関係者の夫人が着用している服から、平面的(二次元的)にデザインされている日本の着物に対し、洋服は立体的(三次元的)にデザインされていることに気付き、その後、国際的に飛躍するキッカケとなります。)、これに伴って人間の身体に合わせて裁縫し服を作るための仕立屋が誕生し(ファッションの誕生)、やがて神ではなく自分を着飾るという感性が目覚めて、ファッションがイタリアからドイツ、イギリス、そしてフランスへと広がり、これに伴って化粧品メーカーも創業します。14~16世紀のルネサンス期は、未だ中世のキリスト教的な価値観が残り理性や協和を重んじるシンメトリーな世界観を維持していましたが、17世紀のバロック期になると時代に変化を求めるようになって感性や不協和を重んじるアシンメトリーな世界観を嗜好するようになり、他人と異なる個性的なファッション(左右が非対称となるデザインや豪華な宝飾品など)が目立つようになります。このような時代を背景として、イタリアで活躍していた作曲家・モンテベルディは、それまで音楽で重視されてきたキリスト教の教義(理性)を明確に伝えることよりも、人間の情感(感性)を豊かに表現することを重視して、当時、社会的に許容されていなかった不協和の使用に踏み切ります。また、複雑なポリフォニー(キリスト教権威が体現していた中世的な世界観である三人称の「I」(私)+「You」(教会)+「He」(神))による均整のとれたルネサンス音楽(教会旋法)から、人間性に富むドラマチックな表現が可能なモノフォニー(ルターの宗教改革を経て改められたバロック的な世界観である二人称の「I」(私)+「He」(神))を採用するバロック音楽(和声法)へと移行する契機となります。
 
▼モンテヴェルディ―作曲の「マドリガーレ集第5巻」(1605年)から第1曲「つれないアマリッリ」
14世紀から16世紀のルネサンス期は未だ中世的なキリスト教的な価値観を残してシンメトリーな美(神が体現する完全な調和)を重んじる時代でしたが、やがて科学革命の影響等から、17世紀のバロック期はアシンメトリーな美(自然が体現する多様な変化)を重んじる時代になり、中世(~13世紀)が神を発見した時代であるとすれば、14世紀~17世紀は人間を発見した時代と言えそうです。このような美のパラダイムシフトが生じる17世紀、モンテべルディはマドリガーレ集第5巻第1曲「つれないアマリッリ」の第13楽章において不協和音程である属七の和音(ドミナント・セブン)を使用し、「不協和音程の予備の法則」を破り、突然、その不協和音程を響かせて人々に動揺を与え、理性を搔き乱すという当時の禁じ手を使用することで、これまでにない情感豊かな表現を可能にしました(過去のブログ記事)。その後、20世紀、シェーンベルクが「不協和音程の解決の法則」を破って調性システムの呪縛から音楽を解放します。後述するとおりファッションの歴史も色々なものから人間を解放して自由にして来た歴史と言えます。
 
▼時代を定義するファッション(市民革命・産業革命
上述のとおりルネサンス(14~17世紀)の勃興によりヨーロッパに啓蒙思想(キリスト教的な世界観に対して科学革命を背景とした合理主義的な世界観を説いてキリスト教会や絶対王政等の伝統的な権威を批判し、人間性を解放するために人間の理性により社会を革新する考え方)が広がって市民革命が勃発し、人間(絶対王政)が支配する時代から法律(プルジョアジー)が支配する時代へと転換します。これに伴って王侯貴族のもとで発展したファッションやその他の文化芸術はブルジョアへ受け継がれて大衆文化として華開くことになります。市民社会では、産業革命を背景として社会階級(ブルジョアジーとプロレタリアート)など色々なものがカテゴライズされるようになりますが、ジェンダーの社会的な役割についても男性は外で働く者として機能性を重視した規格化されたスーツを着用し、女性は家を守る者として装飾性を重視した変化に富む多彩なドレスを着用するという時代感覚が生まれます。丁度、この時代にピンク=女性らしい色というジェンダー意識も定着します(過去のブログ記事)。これまでのキリスト教会や絶対王政が体現する伝統的な価値観は永遠なものであり不変であるという世界観(古典主義)から、やがて市民社会が体現する革新的な価値観は常に移ろいながら変化するという世界観(ロマン主義)へと移行し(18~19世紀)、時代感覚の微妙な変化を捉えて着こなしやセンスの違いにこだわる繊細な美意識に彩られたファッションが流行します。このような時代を背景として、王侯貴族が愛好したオペラ・セリアから市民が親しみ易い喜劇性のあるオペラ・ブッファやオペレッタなどが誕生し(過去のブログ記事)、また、絶対王政の社会秩序が保たれていた時代を反映するように音楽の形式が重んじられ、近親調への転調等を使った明快な和声による調和的な響きを好んだ古典派音楽から、やがて自由主義や個人主義(近代的な世界観である一人称の「I」(私))を尊重する市民社会が形成されて行った時代を反映して人間の感情をより豊かに表現するために音楽の形式に縛られず、巧みな作曲技法による遠隔調への転調等を使った複雑な和声による個性的な響きに彩られたロマン派音楽が好まれるようになります。
 
▼ベートーヴェン作曲の交響曲第3番「英雄」(1804年)から第2楽章
18世紀、ベートーヴェンはフランス革命を主導したナポレオンへのオマージュとして交響曲第3番「ボナパルト」を作曲しナポレオンに献呈する予定でしたが、ナポレオンが皇帝に即位した失意から献呈を取り止めて「エロイカ」と改題したという逸話が残されています。その一方で、ナポレオンは、ナポレオン法典を制定し、法の下の平等(封建制の否定)、所有権の絶対(絶対王政の基盤崩壊)や信仰の自由(宗教権威の基盤崩壊)などを規定し、その後の人の支配から法の支配への流れを作る一方で、この時代を象徴するジェンダーギャップ(男尊女卑)を規定して現代に大きな課題を残しています。これはベートーヴェンの「音楽とは、男の心から炎を打ち出すものでなければならない。そして女の目から涙を引き出すものでなければならない。」という認知バイアスに彩られた言葉にも色濃く影を落としており、現代とは大きく時代感覚が異なっていることを感じさせます。なお、この曲は、当時としては曲の長さ、構成やオーケストレーションなど非常に革新的な曲と言えますが、現代に置き換えて考えると、のだめカンタービレが流行した10年前と比べても時代は大きく変化しており(まだ10年前は伝統や権威に夢を見れた時代でしたが、最近のスタートアップ企業という言葉に象徴されるように時代の価値や興味は伝統や権威を上書きし、新しく時代を塗り替えて行けるものに確実にシフトしてきており)、もはや数百年前に作曲された古典派やロマン派の音楽を有難がって聴く時代感覚にはないという印象を否めません(過去のブログ記事)。この点、年末のイヴェントを含めて、いつまでもベートーヴェン頼みでは辛いものがあります。
 
▼時代を解放するファション(帝国主義・世界大戦
上述のとおり市民革命及び産業革命(18~19世紀)を経て人間(絶対王政)が支配する時代から法律(ブルジョアジー)が支配する時代へと移行しますが、ブルジョアジーとプロレタリアートの社会格差が拡大し、プロレタリアートが過酷な労働条件下で搾取されるという社会の歪みが深刻化するなど自由で平等な市民社会の理想が破綻を来します。これに伴って世紀末思想に基づく退廃的・厭世的なムードが社会に広まり、これまで社会階級(ブルジョアジーとプロレタリアート)や性別(外で働く男性と家を守る女性)などをカテゴライズしてきた時代の価値観が揺らぎ始めます。このような時代を背景として、1858年、チャールズ・フレデリック・ワースは世界で初めて生地の選定からデザイン、仕上げまでをデザイナーが一貫して行うオートクチュール(高級仕立服)の仕組みを考案し、自らがデザインした服に自らのブランドエンブレムを縫い付けることで差別化を図るブランドビジネスを確立すると共に、自らのブランド服をモデルに着せて顧客に披露することを開始します(ファッションモデルの誕生)。これに伴ってデザイナーが上流階級の客の屋敷を訪ねて採寸を行っていたビジネススタイルを改め、上流階級の客にも自らの店舗(メゾン:オートクチュールの店、ブティック:プレタポルテ(高級既製服)及びこれとコーディネートする宝飾品等を販売する店)まで足を運ぶように求めたことにより自らのブランド価値を高めることに成功します(階級を誇示するためのファッションから個性を表現するためのファッションへ。但し、現代でもイギリスは階級意識が根強く残っています。)。また、この時期にはヨーロッパ各国で万国博覧会が開催され、その影響からヨーロッパ各国でジャポニズムが流行していますが、1893年、御木本幸吉が世界で初めて真珠の養殖に成功し、1913年、ヨーロッパやアメリカに事業展開したことにより、これまで上流階級しか身に着けることができなかった真珠(宝飾品)を中流階級も身に着けることができるようになりました(階級を誇示するための宝飾品から個性を表現するための宝飾品へ)。御木本幸吉は、エジソンから「私の研究所で作れなかったものが2つあります。その1つはダイヤモンド、もう1つは真珠です。あなたが生物学で不可能と考えられてきた真珠の養殖を発明したことは世界の脅威です。」という手紙を送られていますが、2012年、「World's Top 100 Most Valuable Luxury Brands」(世界ラグジュアリー協会)に日本から唯一「MIKIMOTO」が選ばれており、ファッション(宝飾品)を通してヨーロッパの社会に多大な影響を与えてきたことが窺えます。さらに、ジャポニズムの流行を受けてコミック・オペラ「ミカド」やオペラ「蝶々夫人」などが上演され、マダム貞奴(川上貞奴)が着ていた着物が異国情緒を湛える魅力的なファッションとして注目されました。ポール・ポワレは、日本の武士の妻が着用していた小袖から、女性はコルセットを使わなくても美しく装うことができることを発見し、1906年、コルセットを使わない部屋着「キモノドレス」、1909年、コルセットを使わない外出着「キモノコート」を発表して、かつてキリスト教が女性の胸の谷間を悪魔の隠れ家と呼び、女性の胸の膨らみをハシタナイと考えていたことにより開発されたコルセットから女性を解放します(過去のブログ記事)。しかし、ポワレは女性の上半身は自由にしましたが、その一方で「ホブルスカート」を考案して女性の下半身を拘束します。その後、各国が大量生産する商品の消費市場とそれを支えるための生産資源を確保するために植民地政策(帝国主義)を拡大したことで各国の利害が衝突して二度の世界大戦が勃発します。この世界大戦によって過去の社会秩序(キリスト教権威や絶対王政等の封建体制や、ブルジョアジーや男尊女卑等の格差社会を含む。)が崩壊すると共に、男性の労働力が不足したことにより女性の社会進出が進みます。1913年、ガブリエル・ココ・シャネルはブティックを開店して、コルセットを使わず、かつ、ホブルスカートのように女性の下半身も拘束しないスカートを販売して女性の上半身だけではなく女性の下半身も解放します。また、1916年、当時はチープな素材と考えられていたジャージーやトリコットの生地をハイファッションに使用して階級を誇示するためのファッションから機能性とファッション性を両立するファッションへ革新し、カジュアル・シックな服装やスポーティーな服装が女性の標準的なファッションとして確立します。さらに、1919年、それまで香水は単一の香料を使った型に嵌った香り(家を守る女性像のメタファー)でしたが、自由な精神を持つ女性の心に訴えかける型に嵌らない複雑で優雅な香りがする革新的な香水「Chanel   N°5」を販売し、女性から圧倒的な支持を受けています。また、1920年、フェイクパール(天然真珠や養殖真珠とは異なり、プラスティックなどを使って作られたイミテーションの真珠)などを使ったコスチュームジュエリー(偽物)とファインジュエリー(本物)を組み合せた新しい宝飾品を販売してフェイクパール・ネックレスが流行し、本物志向の上流階級の価値観(階級を誇示するためのファッション)を時代遅れなものとして葬り去ります。さらに、活動的な女性に相応しいファッションとして両手を自由に使えるようにするために、ショルダーチェーンを付けた女性用のハンドバックを開発するなど女性の身体を解放するためにファッションを通して時代を革新しています。なお、1999年、雑誌「TIME」が公表した「Time100: The Most Important People of the Century」ではファッションデザイナーから唯一シャネルがエントリーされ、シャネルと親交があったストラヴィンスキーやピカソ等の名前も挙げられています。1937年、エリザ・スキャパレリは、香水「ショッキング」でショッキングピンクという新色を使用しますが、それまで女性らしい色(ジェンダーバイアス)として定着していたパステルピンクとは異なり、自己主張の強い華やかなショッキングピンクは女性のイメージを革新するものとして衝撃を与えました。なお、その香水瓶は女優のメイ・ウェストのボディーラインを象ったトルソー型をしていますが、後年、マドンナのコスチューム・デザインを手掛けたジャン=ポール・ゴルチエはスキャパレリへのマージュとしてその香水瓶を使用しています。また、サルバトール・ダリやジャン・コクトー等との協働によりシュールレアリズムや前衛芸術等のアートな要素をファッションに採り込んだ斬新で個性的なデザインの服を発表して話題となります。さらに、当時は工業品と認識されていたファスナーをファッションに採り入れた斬新なアイディアなどで時代の寵児となります。シャネルが女性の身体を解放したのに対し、エリザ・スキャパレリは女性の感性を解放します。1947年、クリスチャン・ディオールは、細く絞ったウェストとゆったりしたフレアスカートを特徴とする8の字型のフェミニンなライン(ニューライン)を発表してエレガントなファッション(女性の身体を解放するために切り捨てられたものを見直す試み)という新しい流行を作り、約半年毎に新しいラインのファッションを発表することでパリのモードサイクルを確立しパリのオートクチュール界の頂点に君臨します。因みに、1959年、美智子上皇后がご成婚時に着用したローブ・デコルテはディオールのデザインです。このような時代を背景として、これまでの主音(ブルジョアジー、男性、宗主国のメタファー)とこれによって規律される属音(プロレタリアート、女性、従属国のメタファー)から構成される調性音楽が行き詰まりを見せるようになり、この行き詰まりを打開するために主音からの解放を目指してリスト、ワーグナーやドビュッシー等が新しい世界観を表現するための新しい音楽を模索するようになります(過去のブログ記事)。やがてアルノルト・シェーンベルクが主音を設けずに1オクターブの中に含まれる12の音を1回づつ均等に使った音列(セリー)を組み合わせて作曲する十二音技法(無調音楽)を発明して調性システム(音楽のコルセット)から音楽を解放します。また、イーゴリ・ストラヴィンスキーは、シャネルと深い関係にあり多大な影響を与えますが(映画「シャネル&ストラヴィンスキー」)、民族音楽の本能的・野性的なリズム(バーバリズム)を作曲に採り入れて、これまで理性を重視して本能的な興奮を惹起するリズムの使用を避けてきたキリスト教的な価値観(音楽のホブルスカート)から音楽を解放します。さらに、ルイージ・ルッソロは、これまで理性によってコントロールできない響き(周期的な振動ではなく非周期的な振動からなる響き)の使用を避けてきたキリスト教的な価値観を見直して、機械文明や戦争等が発するノイズ(音楽のショッキングピンク)を音楽の素材として採り入れて人々の感性を解放します。なお、1950年代になると、ヤニス・クセナキス等は、十二音技法が複雑化して演奏や鑑賞が困難になっている状況を踏まえて、12音の全部が使用されていなくても一度使用した音譜を反復して使用することや音列に調性感を持ち込むことなど十二音技法を緩和して自由に作曲できるポスト・セリエリズム(音楽のエレガンス)への移行を図り、これに伴って無調音楽と調性音楽がボーダレスになり、ゲームソフト、アニメや映画等の商業音楽に幅広く現代音楽が使用されるようになります。
 
▼シェーンベルク作曲のピアノ組曲(1921年)
シェーンベルクは、リスト、ワーグナーやドビュッシー等が新しい世界観を表現するための新しい音楽を模索した流れを汲んで試行錯誤を重ねますが、やがて「相互の関係のみに依存する十二の音による作曲法」として十二音技法を完成します。この十二音技法を使って最初に書かれた曲が「ピアノ組曲」(Op.25)になりますが、この曲はバロック舞曲の形式(方法)を借りながら12音技法を使って作曲することでバロック音楽とは全く異なる20世紀の時代性(世界観)を表現する音楽を作ることに成功しています。この曲は100年前の音楽であり、また、十二音技法は映画音楽、ゲーム音楽やポップス音楽等に採り入れられてきたことなどにより既に現代人の耳には斬新な響きには聞こえなくなっていますが、調性システムから音楽を解放して音楽の可能性を広げた功績は非常に大きいと思われます。20世紀がクラシック音楽不毛の時代と言われる状況になってしまった原因は、新しいものを受容できる教養力に恵まれなかった聴衆の質(僕を含む)と、その聴衆の質を高めて来れなかったクラシック音楽界の保守的な体質にあるのではないかという歴史認識が芽生えつつあります。
 
上述のとおり世界大戦は過去の社会秩序を崩壊し、女性の社会進出の足掛りとなりますが、世界大戦によって世界経済及び世界秩序の中心がイギリス(ヨーロッパ)からアメリカへ移行すると、アメリカのフォードシステムに象徴される大量生産・大量消費型の経済モデルが世界中に広がり、これを支える社会インフラと共にマス・メディアが発達して、1人1人の市民(個性)に着目するのではなく市民を没個性的な大衆(マス)として捉える大衆社会が到来します。とりわけ、アメリカはイギリス(ヨーロッパ)のように王侯貴族が存在せず階級社会ではないことから本格的な大衆社会が発展しますが、(産業革命による労働力不足を解消するためにアフリカ大陸で奴隷売買が行われた歴史的な経緯を経て、奴隷解放運動及び南北戦争等による奴隷解放後も)レイシズムという社会の歪みが生じます。その後、社会経済が高度に構造化すると、都市には無機質に反復する機械音や電子音が溢れ、ルーティンな日常が続いて人々は文脈や背景のない人生を送るようになります。このようななか、1962年、イヴ・サン=ローランは、クリスチャン・ディオールに才能を見出されて頭角を現し、自らのブランドを立ち上げて目新しいデザインを次々と発表したことで「モードの帝王」と呼ばれます。この時代は女性が社交の場でパンツスーツを着るのはタブー視されていましたが、男性が着るタキシードを女性用に仕立てたパンツスーツを発表したことで一気に普及します。イヴは「シャネルは女性に自由を与えたが、僕は女性にパワーを与えた。」と語っていますが、ファッションで女性の社会進出を後押しします。また、イヴは有色人種の美しさを讃えて初めて有色人種のモデルを起用し、男女平等だけではなく多文化主義も後押ししています。イヴの名言の1つに「ファッションは廃れても、スタイルは廃れない。」という言葉がありますが、最先端の流行がモードであり、それが社会に広く受け入れられてファッションとなり、やがてファッションが生き方として定着してスタイルになるということであり、ファッションは単に時代を解放するだけではなく社会を革新して時代を更新する力があることを示した偉大なデザイナーと言えます。1958年、マリー・クヮントは、ストリートファッションからヒントを得てミニスカートを販売して大流行し、また、ウォータープルーフ(涙でも落ちない防水仕様)のマスカラを開発したことで女性の感情を解放します。また、1963年、ヴィダル・サスーンは、ミニスカートとの相性がよくセットが不要なボブカットを開発し、女性が気軽に外泊できるようになったことで女性の性を解放します。これらによって女性の意識や活動は変革され、また、上流階級から発信されるファッションではなくストリートから発信されるファッションという革新的な社会現象を巻き起こします。なお、1967年10月18日、ミニスカートのファッションアイコンとしてモデルのツイッギー・ローソンが来日したことから、以後、日本では10月18日はミニスカートの日とされています。さらに、1975年、ヴィヴィアン・ウェストウッドは、パンク・ロックバンド「セックス・ピストルズ」(自らのブティック店「SEX」の従業員や常連客からなるバンド)をプロデュースし、挑発的・攻撃的なパンクスタイルを流行させて「パンクの女王」と呼ばれるようになります(映画「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」)。1980年代前後からデザイナーは服よりも時代が求める人間像(コンセプト)をデザインする傾向を強めています。1975年、ジョルジオ・アルマーニは、男性用スーツを従来の堅い生地ではなく柔らかい生地で作ってセクシーに見えるように改良することで男性に遊びや艶のある人生(コンセプト)を提案し、また、女性用スーツを従来のワンピーススタイルだけではなく上質な生地で作る高級テイラーメイドスタイルのものを追加することで女性に高い社会的なステースで活躍する人生(コンセプト)を提案します。さらに、1987年、ジル・サンダーは、人生の虚飾を排して本質を浮き彫りにするファッションというコンセプトを掲げ、装飾の少ないシンプルなデザインでありながら素材や裁縫のクオリティと機能性を両立した服を作って「ミニマリストの女王」と呼ばれ、一時期、「UNIQLO」の商品等も手掛けていました。現代のように「夢」を持たなくなった時代に、文脈や背景を持たない人間が人生で大切なものを見極めて「楽しむ」という肩肘張らないライフスタイルを送るうえで求められるファッションと言えるかもしれません。21世紀になると、インターネットやSNSなどのナノメディアが普及し、市民を没個性的な大衆(マス)として捉える大衆社会ではなく、1人1人の市民の個性に着目してその多様性(ダイバシティー)を尊重する市民社会へと成熟して行きます。このような時代の潮流を先取りするかのように、1980年、カルバン・クラインは、ブルックシールズをモデルに起用して宣伝したデザイナーズ・ジーンズが流行して、ユニセックスなファッションを先取りしてジェンダーを解放します。また、ジャン=ポール・ゴルチェは、1980年代にメンズコレクションで「男性にはスカートをはく自由がある」と公言して男性のスカートファッションを提案して、ファッションモデルに老人、肥満、タトゥー、ピアスなど個性的な人間を揃えるなど多様な人間像を先取りしてマイノリティーを解放します(来年、ゴルチェの半生を描いたミュージカル「ファッション・フリーク・ショー」が公演予定)。やがてファッション業界では複数のブランドを束ねるコングロマリットが台頭し、ファストファッションという商品サイクルが短いジャンルが登場します。ファッション業界に限りませんが、世界中の都市はコングロマリットのフランチャイズで埋め尽くされ、その結果、世界中の都市はその特色を失ってどこでも同じように見える都市が出現します。この背景には、情報化社会の進展によって価値観が多様化し、時代を仕掛けるビジネスではなく、時代を捉えるビジネスへと変容してきていることが挙げられるのではないかと思います。ファッションブランド「ZARA」を率いるアマンシオ・オルテガは、カリスマデザイナーを立てずに程よく流行を採り入れた手頃な価格帯の服を店頭に並べて、売れない服は直ぐに店頭から引き揚げるなど客の反応をいち早くフィードバックする「ファストファッション」で世界のファッション市場を席捲していますが、最近は地球環境破壊の温床として槍玉にあげられるなどその勢いに陰りが見え始めています。また、ラグジュアリーブランド「ケリング」を率いるフランソワ=アンリ・ピノーは、ミレニアルズ世代の若い客は伝統や職人技術といった重みよりも感情に訴える創造的な表現を求めていると考えて、仮に一部の顧客を失っても本物の創造性を発揮する「クリエイティブ・リスク」をテイクする戦略に切り替えています。さらに、2015年、ケリングの傘下にあるファッションブランド「GUCCI」を率いるアレッサンドロ・ミケーレは、ファッションは生きづらい世界を少しでも生きやすくするためのアイディアであるとして、ジェンダー・フルイディティ(ジェンダーの流動性)のコンセプトを掲げ、ジェンダーの境界線を感じさせないファッションを発表して注目を集めており、ファッションによってジャンダーを解放しています。なお、日本は1872年に服制改革により洋装が採り入れられ、和装と融合しながら日本独自の服飾文化を形成します。1965年、森英恵モデルの森泉は孫)は、蝶をモチーフにしたエレガントなドレスでニューヨーク・コレクションに参加して「マダム・バタフライ」の異名で話題になり、1977年、パリのオートクチュール組合からアジア人として初めて会員に認められています。また、1973年、三宅一生は、服の原点である一枚の布で身体を包むというコンセプトのもと、西洋や東洋に捕らわれない世界服のデザインでパリ・コレックションに参加し、フランスの芸術文化勲章最高位コマンド―ル等を受賞しています。故スティーブ・ジョブズは、iPhoneの意匠に通じるシンプルなデザインが持つ機能美に魅せられていましたが、三宅一生の黒いセーターを愛して彼のトレードマークとしていたことは有名です。さらに、舘鼻則孝は、花魁が履いていた高下駄に着想を得て踵のないヒールレスシューズを考案し、2010年からレディー・ガガの専属シューメーカーとなりました。このような時代を背景として、1960年代になると大衆社会を反映するように、ヘンリー・カウエルが考案したトーンクラスター(十二音技法のように1つ1つの音の音程関係を重視するのではなく、1つの音塊(サウンド・マス)として捉えて、ある2つの音の間を響きで埋め尽くす密集音群による音楽)やジェルジ・リゲティが考案したミクロポリフォニー(細かく分割された楽器パートが各々異なった動き(分業)を行いながら、それらが1つのまとまった雰囲気(社会、集団)を織り成す音楽)など新しい作曲技法が注目を集めました。また、アメリカでは、歴史的に王侯貴族が存在しなかったこと(大衆文化)や、大航海時代及び植民地政策(帝国主義)によってもたらされた異文化接触の増加とこれを背景とするレイシズムという社会の歪みを生んだこと(黒人文化)などを契機として多様な文化芸術が育まれ、様々なポピュラー音楽(ミュージカル、ジャズ音楽、ロック音楽、ラップ音楽等)が発展します(過去のブログ記事)。さらに、様々なイノベーションを背景として、ミュージックコンクレート(既存の音の発生原因や意味等を省みず物語性や目的性を持たない響きのみを重視し、最初に出てくる既存の音を主題として様々なリズムで展開する音楽)、電子音楽(ロック、ポップス、ゲームや映画等の商業音楽に幅広く採り入れられ、大衆消費社会を背景として騒音問題に配慮して消音機能を備えた電子楽器として一般人にも普及)、スペクトル音楽(レコード芸術が普及したことにより音楽の受容シーンが多様化し、五線譜上の音程で表すことが困難な多様な微分音(半音以下の音)等の周波数を解析して音程に置き換える音楽:ジャン=ポール・ゴルチェの考え方と親和性)、コンセプチャリズム(音楽を社会との関係性の中で捉え直そうという試み)など多様な音楽表現が生まれると共に、サウンドデザイン(騒音対策として日常の音をコーディネートする音楽)、サウンドマップ(バリアフリーとして視覚障害者のための音楽:アレッサンドロ・ミケーレの考え方と親和性)、サウンドスケープ(防犯等を企図して音をアレンジするなどユニバーサルデザインを行う音楽:三宅一生の考え方と親和性)やウェルビーングミュージック(ウェルビーイングにアプローチする音楽:アレッサンドロ・ミケーレの考え方と親和性)など多様な音楽受容も生まれます(過去のブログ記事)。また、社会経済の構造化に伴って日常がルーチン化するようになった1960年代には、ラ・モンテ・ヤングらが最小単位のモチーフ(日常、機械音)を反復するミニマルミュージックを考案して注目を集め、また、社会経済が成熟して誰でも豊かさを享受できるようになった1970年代には、ブライアン・イーノらが日常に音楽が溢れるようになったことを踏まえて「聴く」という行為を強要しないアソビエント(環境音楽)を考案して注目を集めます。2006年、マックス・リヒターは、ポスト・ロック、ミニマル・ミュージックやアソビエントの影響等を受けて、クラシックのアコースティックな音楽とエレクトロニカ(電子音楽)の手法を融合したポスト・クラシカルを考案し、映像との親和性が高いビジュアルな音楽はヒーリング音楽や映画音楽のような聴き易さも手伝って幅広い聴衆から支持されています。このようにポスト・クラシカルは様々なジャンルを採り入れたブリコラージュ的な性格を持つダイバシティな音楽とも言えそうです。このように見てくると、宗教権威に抗ったモンテヴェルディ、絶対王政に抗ったベートーヴェン、中近世的な価値観に抗ったシェーンベルクと、本来、クラシック音楽はファッションと同様に時代に挑戦し、時代を更新してきた革新的な芸術のはずですが(クラシック音楽の前衛性)、第一次世界大戦終結後の1918年から第二次世界大戦終結後の1949年までの間にクラシック音楽の演奏会で採り上げられる存命中の音楽家の曲が占める割合は77%から18%まで激減し、現在では存命中の音楽家の曲が全く採り上げられない演奏会も珍しくなく、数百年前の音楽ばかりが演奏されているという異常な状況に陥っています(クラシック音楽の時代劇化)。また、クラシック音楽の演奏会場に目を向ければ、未だに演奏家は社交界のドレスコードであるフォーマルウェア又はこれに準ずる衣裳を着用している姿が一般的ですが、ビジネス界では世界的にビジネスカジュアルや私服が当たり前になっている時代にあって、果たしてフォーマルウェア又はこれに準じる衣裳を着用しなければ失礼なのか?そのような大袈裟な衣装を着用しなければ受容できない音楽なのか?という違和感を覚えます。既にオペラでは現代的な演出が主流になってきている状況を踏まえると、そろそろ器楽や声楽の舞台もチョンマゲ鬘」のような浮世離れした衣装から解放されても良いのではないかと感じます。今後も「時代劇ばかりのクラシック音楽」というマーケットが成立し得るのか個人的には疑問に思いますが(以下のシリーズ「現代を聴く」を始めた動機)、少なくとも過去に支持されてきた「水戸黄門の印籠」のような定番にカタルシスを感じる時代ではなくなってきているように感じます。なお、残念ながら僕は聴きに行くことができませんが、今年も7月15、16日に「ボンクリ・フェス2022」が開催されますので、是非、お運び下さい。
 
革新とは、単なる方法ではなく、新しい世界観を意味する」(ピーター・ドラッカー)
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.2
1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代音楽家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼ 林佳瑩「弦楽四重奏曲」(2015年)
林佳瑩(1990年~)は、これまで数々の国際的な作曲賞を受賞しており、この曲でピエロ・ファルッリ国際作曲コンクール(2015年)を優勝しているなど世界的に高い評価を受けている期待の俊英です。2018年にはロイヤル・フィルハーモニック協会から「音楽芸術における最高水準の才能とその卓越性」を認められて作曲大賞を受賞しています。因みに、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」は、1817年にロイヤル・フィルハーモニック協会の委嘱により作曲されています。
 
▼ ミーシャ・ムローヴァ=アバド「CircleSong」(2015年)
ミーシャ・ムローヴァ=アバド(1990年~)は、その名前からも分かるとおり、ヴァイオリニストのヴィクトリア・ムローヴァと指揮者のクラウディオ・アバドの間に生まれ、現代音楽家&ジャズ・ベーシストとしてロンドンを中心に活動するサラブレッドです。この曲はアルバム「New Ansonia」に収録され、クラシック、ジャズやポップスなど幅広いジャンルをフィールドとする豊かな才能を感じさせます。昨年、アルバム「Dream Circle」をリリースするなど精力的に活動しています。
 
▼ テッド・ハーン「Entr’ acte」(2019年)
テッド・ハーン(1982年~)は、2013年にバロック舞曲の形式を借りて斬新なボーカル効果を採り入れたアカペラ作品「8声のためのパルティータ」でピュリッツァー音楽賞を最年少受賞して注目されます。この曲は2020年に第62回グラミ賞(最優秀室内音楽/小編成パフォーマンス部門)を受賞したアルバム「Orange」に収録されていますが、再び、2022年に「Narrow Sea」で第64回グラミー賞(最優秀コンテンポラリー・クラシック・コンポジション部門)を受賞し、現在、最も注目されている現代音楽家です。

映画「犬王」~観阿弥+犬王(道阿弥)=世阿弥が創始した中世のメタバース・ミュージカル「能楽」~<STOP WAR IN UKRAINE>

▼「和える」文化(ブログのまくら)
千葉県の小麦畑(冬小麦)が6月の収穫期を迎えて色付いています。2021年に「食料危機対策グローバルネットワーク」(GNAFC)が公表した「食料危機に関するグローバルレポート」によれば、食料危機を招いている3大原因として①武力紛争、②経済危機(パンデミックの影響を含む)及び③気候変動が挙げられますが、現在、ロシアによるウクライナ侵攻や異常気象(インドの熱波を含む)による食料危機(とりわけ小麦の供給不足)の深刻化が懸念されています。この点、2019年に「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が公表した特別報告書「気候変動と土地」によれば、将来、地球の平均気温が2℃上昇すれば食料生産に重大な影響を及ぼし(例えば、穀倉地帯の砂漠化、永久凍土の融解(海面上昇に加えて、永久凍土に閉じ込められている温室効果ガスや未知のウィルスの放出等)、植物及び微生物の生態系の破壊など)、深刻な食料危機を招く危険性を警告しています。前回のブログ記事でも触れましたが、パンダと同様に牛の胃腸には牛が消化できない植物(食物繊維)を分解して栄養素を作り出す微生物が共生していますが、この微生物の種類によって牛のメタンガス排出量を大幅に抑制することが分かっており、この技術を利用して牛のメタンガス排出量を2030年までに25%削減、2050年までに80%削減する研究が進んでいます。因みに、日本は、世界第1位の農産物の純輸入国(=輸入量―輸出量)ですが、そのうち小麦はアメリカ、カナダ及びオーストラリアから輸入していますので、今回のウクライナ侵攻や異常気象(インドの熱波を含む)の影響は少ないと考えられます。しかし、アメリカの穀物生産量は向こう60年間で80%減少するという試算もあることなどから、現在、日本の食料自給率を2025年までにカロリーベースで39%→45%、生産額ベースで65%→73%に高める取組みが行われています。今回、ウクライナ侵攻に伴うロシアへの経済制裁を契機として脱炭素化に向けた取組みに拍車が掛り、食料需給の安定化に向けた取組みも加速度的に進むことが期待されます。なお、小麦と言えば、パン、麺類(十割蕎麦を除く)、餃子、カレーや菓子類など現代の国民食に欠くことができない食材になっています。小麦は紀元前8千年頃から西アジアで栽培が開始された人類最古の農作物で、日本書記によれば、シルクロードを経由して弥生時代に中国から日本へ伝来しますが、湿気が多い日本では乾燥を好む小麦の栽培に不向きなため、僅かにそうめん(奈良時代遣唐使により大和へ伝来)、うどん(806年に空海により唐から故郷の讃岐へ伝来)、カステラ(1571年頃にポルトガル宣教師によりスペイン・カスティーリャ王国のパンとして長崎へ伝来し、1681年に能楽の翁面を店印とする「松翁軒」によって普及)や二八そば(元禄時代に高級食品であった十割そば=生そば(但し、現代では生そば=添加物不使用  ≠  十割そばと意味が変わっています。)に小麦粉を混ぜて庶民食として普及)等の食材として利用されてきました。その他、餃子及びラーメンは水戸藩に招かれた明の儒学者朱舜水により水戸へ伝来し、徳川光圀が日本人で初めて餃子(1689年)及びラーメン(1697年)を食べたと言われており、徳川光圀が食べたラーメンを再現した「水戸藩ラーメン」が話題になっています。また、カレーライスは1868年にカレーライス発祥地であるイギリスからカレー粉が横浜へ伝来して、1905年に「ハチ食品」が国産初のカレー粉を販売して普及します。さらに、パン(ポルトガル語 「pão」)は、1543年にポルトガル宣教師により鉄砲と共に日本へ伝来しますが(1582年に織田信長が日本人で初めて舞踊付きの西洋音楽を視聴)、江戸幕府鎖国政策でパン作りは禁止され、第二次世界大戦後のアメリ占領政策により学校給食にアメリカの輸入小麦を使ったコッペパンが採用されたことで本格的にパン食が普及します。なお、木村屋空海により唐から伝来した小倉あん東洋文化)とパン(西洋文化)を和えてあんパンを開発し、現在では外国人観光客にも人気になっています。このように、東洋文化西洋文化の特徴や利点を活かして採り入れることで小麦を食材とする食品が日本食に浸透して行きましたが、その結果、小麦の栽培に不向きな風土の日本の食料自給率を下げる原因にもなっています。因みに、ポルトガル宣教師によりパン、カステラ、鉄砲やキリスト教等と共にかるた(ポルトガル語「Ccarta」)が伝来し、やがて百人一首(競技かるた)が誕生します。その後、江戸幕府は、かるたが賭博目的で使用されるようになったことから「かるた賭博禁止令」を発布しますが、一見して賭博目的と分かり難くするために絵柄を変えた花札(賭博かるた)へと変化し、江戸庶民が花札の賭博場に入る合図として「鼻をこする」(鼻=花札)という隠喩表現まで生れました。この点、ゲーム会社の任天堂花札の製造及び販売から始まった会社ですが、任天堂花札の箱に描かれている天狗はこの合図が由来になっています。鎌倉時代藤原定家が1歌人1首を選集した秀歌撰「小倉百人一首」には平安時代醍醐天皇の命により選集された日本最初の勅撰和歌集古今和歌集」から最も多くの和歌が選ばれており、小倉百人一首平安時代の王朝文化の美意識を受け継ぎながら鎌倉時代から室町時代にかけて新しい美意識の武家文化を華開かせるための橋渡し的な役割を担っています。その後、かるたが小倉百人一首と結び付いて歌人の絵姿を描いた絵かるたへ発展したことから、やがて和歌だけではなく歌人も注目されるようになり、歌人が物語の主役(例えば、紫式部古今和歌集に和歌が選ばれている在原行平から源氏物語第十二帖「須磨」を着想など)や能楽の主役(例えば、世阿弥小倉百人一首に和歌が選ばれている在原行平から能「松風」を着想など)として採り上げられるなど、かるた(西洋文化)と小倉百人一首東洋文化)を和えたことが物語や能楽を創作するにあたっての豊かな着想へとつながって行きます。
 
比叡山京都府京都市左京区修学院牛ケ額
日吉大社滋賀県大津市坂本5-1-1
③蝉丸神社(滋賀県大津市大谷町23-11
観世流発祥の碑(奈良県磯城郡川西町結崎1890−2
⑤影向の松(春日大社)(奈良県奈良市登大路町
比叡山比叡山八瀬口方面から京、坂本口方面から近江を一望する要衝に位置していますが、近江猿楽は坂本口方面にある日吉大社を中心に活動しました。近江猿楽を率いる犬王(道阿弥)は室町幕府第3代将軍・足利義満の寵愛が篤く、1408年に北朝後小松天皇金閣寺行幸した際の天覧能をつとめていますが、その死後、近江猿楽は衰退しています。 日吉大社/近江猿楽を率いていた日吉座(比叡座)・犬王(道阿弥)は幽玄の趣がある情緒的で洗練された天女舞を得意とし、大和猿楽を率いる観阿弥及び世阿弥と人気を二分していました。世阿弥は「申楽談義」で犬王(道阿弥)を観阿弥に劣らない名人上手と高く評価しており、その歌舞幽玄な天女舞から学び、自らの芸風にも採り入れたと言われています。 蝉丸神社日吉大社の近くに、琵琶法師・蝉丸が庵を結び小倉百人一首に選ばれた和歌を詠んだ逢坂関がありますが、その場所に平家物語を語る盲僧琵琶の職祖とされる蝉丸を祀った蝉丸神社が建立されています。世阿弥が蝉丸を扱った能「蝉丸」を作っています。史実なのか不明ですが、映画「犬王」では犬王と蝉丸の親交が描かれており、非常に興味深いです。 観世流結城座)発祥の碑/大和四座は、奈良県奈良市(興福寺)金春流(円満井座)発祥の碑奈良県桜井市宝生流(外山座)発祥の碑奈良県生駒(龍田神社)金剛流(板戸座)発祥の碑があります。さらに、京都府京田辺市観世座の碑京都府京田辺市(月読神社)宝生座の碑京都府京田辺市(酬恩庵一休寺)薪能金春の碑があります。 影向の松(春日大社/「影向」とは、神仏が仮の姿をとって現れることを意味していますが、能舞台の鏡板に描かれている松は、春日大社の参道脇に立つ老松で、現在は枯死し、後継樹が植えられています。なお、外国人観光客にも人気の奈良公園の鹿は心得があり、カメラを向けていると勝手にフレームインしてくれますが、餌やりは禁止なので要注意です。
⑥新熊野神社京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42
観阿弥創座の地(三重県名張市上小波田181
観阿弥供養塔(奈良県大和郡山市城内町2−255
⑨観世井(観世稲荷)(京都府京都市上京区観世町135−1
⑩能「楠露」(桜井駅跡)(大阪府三島郡島本町桜井1-3
熊野神社/1374年、新熊野神社観世清次(後の観阿弥)が率いる猿楽結崎座が猿楽の能を奉納しましたが、これを観覧していた室町幕府第3代将軍・足利義光は、当時12歳の藤若丸(後の世阿弥)に魅了されたので同朋衆に加えることにし、阿弥号を与えて観阿弥及び世阿弥を名乗らせます。 観阿弥創座の地観阿弥は、1333年に楠木正成の妹と伊賀国阿蘇田を支配した服部元就の間に生まれ、妻の出身地である伊賀国小波田で創座したと言われています。なお、楠木正成は身体機能に優れた芸能集団(忍者を含む)を抱えて興業という名目で全国各地へ派遣して諜報活動を行わせていました。 観阿弥供養塔大和郡山城内に観阿弥の供養塔、大徳寺真珠庵に観阿弥及び世阿弥の墓(非公開)安置されています。なお、観阿弥の出身地である三重県名張市近畿鉄道名張駅及び名張市役所)には観阿弥像が建立され、また、三重県伊賀市には世阿弥の母像楠木正成の妹)が建立されています。 観世井(観世稲荷社)観阿弥世阿弥室町幕府第三代将軍足利義満から拝領された屋敷跡には井戸(観世井)が残っていますが、この井戸に龍が降りて出来た水の波紋から観世水紋定紋にしたという逸話が残され(実際は楠木氏の菊水紋の替紋か?)、観世水を象った京銘菓「観世井」が有名です。 能「楠露」(桜井駅跡)観阿弥及び世阿弥北朝足利将軍家に配慮して南朝に関する能を一曲も作りませんでしたが、江戸時代になると南朝を扱った太平記物と呼ばれる歌舞伎作品が人気を博します。なお、明治期に作られた楠木正成を扱った能「楠露」は人気が高く上演される機会も多い作品です。
 
【題名】映画「犬王」
【監督】湯浅政明
【原作】古川日出男
【脚本】野木亜紀子
【作画】松本大洋(原案)、伊東伸高(設計)、亀田祥倫、中野悟史、
    山代風我、榎本柊斗、前場健次、松竹徳幸、向田隆、福島敦子
    名倉靖博、針金屋英郎、増田敏彦、伊東伸高(以上、監督)
【撮影】関谷能弘(監督)、廣瀬清志(編集)
【美術】中村豪希(監督)、中村豪希(色彩)
【音響】木村絵理子(監督)、中野勝博(効果)
【音楽】大友良英(作曲)、今泉武(録音)
【監修】佐多芳彦(歴史)、宮本圭造能楽)、
    亀井広忠能楽実演)、後藤幸浩(琵琶)
【制作】サイエンスSARU
【出演】<犬王>アヴちゃん
    <友魚>森山未來
    <足利義満柄本佑
    <犬王の父>津田健次郎
    <友魚の父>松重豊
    <その他>片山九郎右衛門、谷本健吾、坂口貴信、川口晃平、
         石田剛太、中川晴樹、本多力、酒井善史、土佐和成 等
【感想】ネタバレ注意!
▼映画「犬王」の感想と観阿弥・犬王・世阿弥の芸
最近の芸術関係の映画(とりわけ邦画)は、ヒューマンドラマに重きを置いたものが多く、大人の視聴に耐え得る観応えのあるものが少なくなってきている状況は非常に残念ですが(その逆にマンガは骨太のテーマを採り上げるものが増えて歓迎ですが)、久しぶりに観応えのあるテーマを扱った映画「犬王」が封切られたので観に行くことにしました。現代的な感性を持つ若者に「幽玄な舞」と言ってもピンと来ないと思いますが、猿楽の能や平家琵琶の魅力をロック、ヒップホップ、野外フェスやプロジェクションマッピング等の現代的な演出に置き換えて現代人にも直感的に理解できるような斬新な描き方をしているので、現代的な感性を持つ若者にもお勧めできる映画です。以下で簡単に触れますが、世阿弥は時代の感性に敏感で常に流行を採り入れながら工夫を重ねることに熱心でしたが、もし現代に世阿弥が生きていれば、伝統的な精神を守りながらも、これらの要素を巧みに採り入れて能を革新し続けていたに違いありません。いつまでも豆腐は四角いものという固定観念に縛られて伝統を虚しくしてしまうのは詰まりません。この映画では、何故、このような斬新な描き方をしているのか、現代的な感性を持つ若者にも能の魅力が「伝わる」( ≠「伝える」 )ように工夫していると共に、様々な問題提起も含んでいるように感じられます。
 
" "Tradition" is very often an excuse word for people who don't want to change. " --- Red Barber
 
観阿弥、犬王(道阿弥)、世阿弥が生きた時代
先ず、映画「犬王」を観るにあたってその時代背景を簡単にお浚いしておくのが有効です。観阿弥、犬王(道阿弥)、世阿弥が生きた室町時代南北朝の動乱を含む)は日本の変革期にあたります。現在、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されていますが、平安時代までは天皇が土地の支配権(主権)を有していましたが(因みに、人類の戦争は土地の奪い合いの歴史ですが、その後、国際秩序が整備されて土地の奪い合いから金銭の奪い合い(貿易戦争)へと姿を変えます。しかし、これに出遅れたロシアはウクライナ侵攻で土地の奪い合いを再開して時代のリセットを試みようとしています。)、1185年に源頼朝武家)は武力を背景にして後白河法皇から土地の支配権(主権)のうち土地の分配権(政権)を奪い取ります(文治の勅許)。やがて朝廷は鎌倉幕府武家)から土地の分配権(政権)を奪い返そうと企て承久の乱後鳥羽上皇)及び元弘の乱後醍醐天皇)を起し、1333年に後醍醐天皇鎌倉幕府を滅亡させて土地の分配権(政権)を奪い返すことに成功しますが、この年に観阿弥が誕生し、その後(生年不詳)に犬王が誕生します。しかし、1336年に足利尊氏武家)が後醍醐天皇に謀反を起こして光明天皇を擁立し、土地の支配権(主権)を譲位によらず武力によって光明天皇へ移行したうえで、1338年に足利尊氏武家)が土地の分配権(政権)を手中にします(室町幕府の成立)。これにより土地の支配権(主権)を巡って後醍醐天皇(奈良の南朝)と足利尊氏が擁立する光明天皇(京の北朝)に分かれて対立し(一天両帝)、1392年に室町幕府第3代将軍・足利義満の治世に南北朝合一を果たすまで南北朝の動乱が続きますが、この動乱の最中の1363年に世阿弥が誕生します。このように観阿弥、犬王(道阿弥)、世阿弥が生きた時代は、朝廷から武家へ土地の分配権(政権)が移行する時代の過渡期にあたり、平安時代の王朝文化を受け継ぎながら鎌倉時代から室町時代へと武家文化が華開いて行った時代になります。なお、観阿弥(服部三郎清次)は、後醍醐天皇(奈良の南朝)に従った楠木正成の妹と伊賀国阿蘇田の服部元就(同地を支配した伊賀忍者の棟梁・服部半蔵の先祖で、伊賀忍者南北朝の動乱南朝皇統奉公衆「八咫烏」として南朝に従います。)との間に生まれて(「始観世丸三郎、実父伊賀国浅宇田領主上嶋慶信入道景守次男治郎左衞門元成、三男、杉内生、長谷猿樂法師預人、後市太夫家光養子也、法名観阿弥、母河内国玉櫛庄 母 楠入道正遠女」(観世福田系図))、その後、妻の出身地である伊賀小波田で創座しますが(観阿弥こと服部三郎清次の幼名は観世丸ですが、これは長谷寺の観世音菩薩を信仰していたことに由来しています。)、楠木氏は能楽師大道芸人等の芸能集団(忍者を含む身体機能に優れた者等)を抱えて、その芸能集団を興行という名目で全国各地へ派遣して諜報活動を行わせていたと言われています。そのため、観阿弥は父母の家系を足利義満に秘密にしていた(「観阿弥文中甲寅歳京起、父母家筋秘鹿苑殿前能座立也」(観世福田系図))と言われています。因みに、1432年(永享4年)、世阿弥の嫡男・観世(十郎)元雅は巡業先の伊勢国安濃津南朝に従う北畠氏の支配地)で、斯波兵衛三郎(北朝に従う斯波氏)に殺害される事件が発生していますが、これは観世(十郎)元雅が南朝との関係が深かったためではないかと考えられており、世阿弥が晩年に佐渡へ配流された直接の理由は、世阿弥の甥・音阿弥を贔屓にしていた足利義教との不仲ではなく(1441年、足利義教は音阿弥の舞台を観覧中に家臣・赤松満祐に殺害され、これにより室町幕府は弱体化して戦国時代へ移行)、この事件の連帯責任を取らされたためではないかと言われています。
 
 
②王朝文化から武家文化(中世)への移行
古事記によれば、歌舞の始祖神は天岩戸伝説に登場する「天宇受賣命」(アメノウズメノミコト)とされていますが、皇祖神「天照大神」(アマテラスオオミカミ)のために披露した裸踊りが神楽舞の原型と言われ、宮中祭祀で舞を披露する芸能一族「猿女君」(サルメノキミ)の祖神とされています。このように芸能は神を讃えて慰めるために社寺の主催で実施する「神事」(宗教)として発展しますが、平安時代になると芸人は朝廷や社寺から独立して神ではなく見物(客)のために歌舞を披露して見物料を徴収し生計を建てる「興行」(芸能)が盛んになり(宗教と芸能の分離)、大陸文化の影響を受けながら多様化して行きます。日本には6世紀に仏教が伝来する前から怨霊信仰がありましたが(例えば、4世紀に大和朝廷が出雲を滅ぼした後に、出雲大社を創建して出雲の大国主オオクニヌシ)を祭神として祀ることでその怨霊を鎮魂するなど)、やがて朝廷から武家へ政権が移行すると、それまでの朝廷や公家を対象とした旧弊の仏教から武家や庶民を対象とした新興の仏教が起こって社会へ幅広く浸透し、これに伴って怨霊信仰も「鎮魂」(祭神)から「供養」(成仏)へと形を変えて行きます。このような社会状況のなか、源平合戦で滅亡した平氏一門の怨霊を鎮魂、供養するために平家物語が作られますが、王朝文化(朝廷や公家の文化)を背景として源氏物語のような文字を読む物語ではなく、武家文化(武家や庶民の文化)を背景として琵琶法師の語りを聞く物語として社会に幅広く受容されます。これは、当時、口に出す言葉には物事を成就させる霊力が宿っておりそれにより平氏一門の怨霊を鎮魂、供養するという言霊信仰があった点や平仮名が発明されたばかりで未だ庶民の識字率が低かった点などがあったと考えられますが、宗教だけではなく和歌(文学)、平曲(音楽)や能楽(演劇)など芸能(芸術)も怨霊の鎮魂、供養のための社会的な機能を担うようになります。
 
日本は音の文化(表音文字と詩歌、詩劇)
※日本は弥生時代まで無文字文化(口承文化)でしたが、古墳時代に仏教典と共に漢字が伝来します。それまでは文字ではなく音によってコミュニケーションしていた日本人にとって漢字を覚えることは難しかったので、片仮名(例えば、「阿」→「ア」、「伊」→「イ」、「宇」→「ウ」など漢字の片側だけを書くことから片仮名)を発明し、仏教典の漢字を正確に発音するために片仮名と音とを結びつけて漢字の発音(振り仮名、現代の発音記号)を片仮名で仏教典に書き加えるようになります。また、それまで音によってコミュニケーションしていた言葉を文字として表記するために漢字の発音を借用する万葉仮名(当て字)を発明し、その後、漢字を書くのが難しかったので漢字の草書体を崩した平仮名(例えば、「安」→「あ」、「以」→「い」、「宇」→「う」など漢字を平易に書くことから平仮名)を発明したことで文字が浸透し、日本独特の和歌や物語などの文化(目で読むための表意文字の文化ではなく、声(音、言霊、神の音連れ)に出して詠む又は語るための表音文字の文化)が誕生します。当世流のキラキラネーム(意味ではなく音感で命名)は万葉仮名(当て字)にルーツを求めることができますし、ローマ字は片仮名、絵文字は平仮名にルーツを求めることができそうです。
 
③犬王(道阿弥)が世阿弥に与えた影響
鎌倉幕府滅亡の原因の1つは執権・北条高時の田楽狂いにあったと言われていますが、鎌倉時代末期には田楽が猿楽を凌ぐ人気を得ていたと考えられています。この点、世阿弥能楽論「世子六十以降申楽談儀」(次男・観世元能筆談)には「一忠(田楽)・清次<法名観阿>・犬王<法名道阿>・亀阿、これ、当道の先祖といふべし。かの一忠を、観阿は、「わが風体の師なり」と申されけるなり。道阿、また一忠が弟子なり。」と記しており、本座田楽の一忠は大和猿楽の観阿弥や近江猿楽の犬王(道阿弥)等に多大な影響を与えていたことが窺がえます。さらに、世阿弥の能論書「五音」には「白髭の曲舞を、亡父申楽に舞ひ出だしたりしより、当道の音曲ともなれり。(中略)乙鶴、この流を亡父は習道ありしなり。」と記しており、観阿弥は女曲舞師・乙鶴から曲舞を学び、曲舞の拍子の面白さを謡に採り入れて節回し(メロディー)で聞かせる謡から拍子(リズム)に乗せた謡へと独自の改良を加え、猿楽の能を更に人気のある芸能へと発展させています。前掲の申楽談儀には「観阿、今熊野の能の時、申楽といふことをば、将軍家<鹿苑院>、御覧じはじめらるるなり。世子、十二の年なり。」と記しており、1374年に観世清次観阿弥)及び藤若丸(12歳の世阿弥)が大和猿楽結城座を率いて参加した新熊野神社勧進興行を観覧していた室町幕府第3代将軍・足利義満が2人を同朋衆(阿弥号)に加えて庇護し、猿楽の能が田楽の能を上回る人気を得ます。その後、1384年5月4日、観阿弥駿河守護職・今川氏の氏神である静岡浅間神社へ猿楽の能を奉納しますが、同5月19日に52歳の生涯を閉じます。この点、前掲の申楽談儀には「犬王は、毎月十九日、観阿の日、出世の恩なりとて、僧を二人供養じけるなり。」と記しており、また、「道阿の道は、鹿苑院の道義の道を下さる。」(道義は足利義満法名)と記していることなどから、近江猿楽の犬王(道阿弥)は大和猿楽の観阿弥の推薦によって室町幕府第3代将軍・足利義満の庇護を受けるようになり、その出世の機会を与えてくれた観阿弥に感謝していたことが窺がえます。近江猿楽(江州)と大和猿楽(和州)の芸風について、最初の世阿弥能楽論「風姿花伝」第五奥義伝には「およそこの道、和州、江州において風体変はれり。江州には、幽玄の堺をとり立てて、物真似を次にして、かかりを本とす、和州には、まづ物真似をとり立てて、物数を尽くして、しかも幽玄の風体ならんとなり。」と記しており、近江猿楽が物真似の面白さよりも歌舞幽玄の美しさを重視していたのに対し、大和猿楽は歌舞幽玄の美しさよりも物真似の面白さを重視していた点に特徴があると述べています。その後、室町幕府第3代将軍・足利義光は朝廷や公家に武家文化の価値を認めさせるために物真似の面白さを特徴とする大和猿楽の世阿弥よりも朝廷や公家の嗜好にも適った歌舞幽玄の美しさを湛えた近江猿楽の犬王(道阿弥)を重用するようになりますが、晩年の世阿弥能楽論「花鏡」には「幽玄の風体の事。諸道・諸事において、幽玄なるをもて上果とせり。ことさら当芸において、幽玄の風体、第一とせり。」と記しており、さらに、世阿弥の能論書「却来花」(七十以後口伝)には「天女の舞、舞の本曲なるべし。これを当道に移して舞うこと、専らなり。近江の犬王、得手にてありしなり。さるほどに、天女の舞は、近江申楽が本なりと申す輩あり。(略)天女の舞の秘曲を、犬王、分明に相伝したりとは聞こえず。(略)およそ、天女の舞の故実、人形の絵図に顕はしたり。よくよく習見あるべきなり。」と記していることなどから、世阿弥は犬王(道阿弥)の影響を色濃く受けて、歌舞幽玄の美しさを大和猿楽に採り入れて物真似重視の能から歌舞重視の能へと芸風を改めます。この点、犬王(道阿弥)の芸について、前掲の申楽談儀には「犬王は上三花にて、つひに中上にだに落ちず。中・下を知らざりし者なり。音曲は中上ばかりか。」「いづれもきたなき音曲なれども、かかり面白くあれば、道誉も、日本一と褒められしなり。道阿謡とつけしものなり。」と記しており、歌舞幽玄の美しさ(上三花)を追及することに腐心して物真似の面白さなど大衆性(中・下)を顧みい芸風でしたが、犬王(道阿弥)の謡は訛りが多く音曲の祖と言われる新座田楽の亀阿弥のような美しさはありませんでしたが、どことなく情趣があって面白く評判は頗る良かったことが窺がえます。犬王(道阿弥)は、1408年に室町幕府第3代将軍・足利義満後小松天皇を招いて北山邸(金額寺)で開催した天覧能に近江猿楽日吉座の棟梁として出演して華々しい舞台を飾ったものの、犬王(道阿弥)の死後、その芸を承継できる後継者に恵まれずに近江猿楽は衰退しますが、犬王(道阿弥)の歌舞幽玄の美しい芸風は世阿弥へと受け継がれ、世阿弥能楽の芸術性を高めて行くうえで大きな役割を果たしたと考えられます。世阿弥は「伊勢物語」「源氏物語」「平家物語」等の物語に歌舞幽玄の美しい芸に相応しい題材を求め、和歌や古文の修辞を巧みに利用した芸術性の高い歌舞劇として複式夢幻能を大成します。
 
観阿弥、犬王(音阿弥)及び世阿弥の芸
観阿弥は一忠から田楽、乙鶴から曲舞を採り入れ、さらに、世阿弥は犬王(道阿弥)から歌舞幽玄な美しさを採り入れながら、劇的な物語性を追加して複式夢幻能を大成します。
※犬王(道阿弥)は一忠の弟子であったことから田楽の能の影響を受けていると考えられます。
※味噌田楽(豆腐やこんにゃくに味噌を乗せて串刺して焼いた料理)は田楽舞いの高足に似ていることから命名されたと言われています。
 
④映画「犬王」の感想
この映画は、犬王の半生を平家物語の外巻「犬王の巻」として描くという体裁をとり、平氏一門の怨霊によって異形の身体となった能楽師・犬王(道阿弥)と三種の神器天叢雲剣の霊力によって盲目となった琵琶法師・友魚(友有)がコラボレーションして伝統を革新するパフォーマンスで京の民衆を熱狂させるという内容になっていますが、史実に沿った描き方ではなく、上述のとおり現代的に翻案した斬新な描き方をした戯曲です。近江猿楽の犬王(道阿弥)は日吉大社へ参勤していましたが、その近隣に琵琶法師・蝉丸が庵を構えていた逢坂の関(蝉丸神社)があり、そこから琵琶法師・友魚(友有)とのコラボレーションという着想が生まれたのかもしれません。世阿弥が大成した複式夢幻能は能舞台という装置を使って場所を移動せず時空(次元)を超える表現を可能にするものであり、その意味ではメタバース空間をアナログで実現している画期的な舞台とも言えますが、この映画でも現代の京の街と室町時代の京の街をオーバーラップさせており、この映画自体が能舞台の仕掛けを意識した描き方をしています。また、能は1人の役者が歌唱、舞踊及び演劇の全てを担当するミュージカルと言えますが、能は仏教思想(山川草木悉皆成仏)の影響を受けていることから、神や人間を主役とする物語だけではなく自然(植物や動物)を主役とする物語も扱い、前回のブログ記事で触れたとおり現代の知性(科学的な知見)を前提とする自然観、世界観に十分に適う舞台になっているという意味で、古今東西に比類ない舞台芸術と言って差し支えないのではないかと個人的には考えています。この点、人間国宝の故・宝生閑さんが某講演会で能を理解するうえで一番重要なことは能に関する知識ではなく「花鳥風月を愛でる心」であると仰られていたことが大変に感銘深く心に残っています。更に、能は、歴史上の有名人だけではなく市井の無名人も主役として扱い、また、勝者だけではなく敗者も主役になっている点に大きな特徴がありますが、この映画には源平合戦で無念の死を遂げた沢山の平氏一門の怨霊(無名の敗者)が登場し、平氏一門の怨霊によって異形の身体となった犬王(道阿弥)が社会的な差別に屈することなく、そのハンディーをアドヴァンテージに変えて社会的に活躍しながら(能楽師は河原者として社会的な差別を受けていましたが、やがて将軍庇護の芸能集団として社会的な地位を確立して行く過程を、現代的なダイバシティーの問題に置き換えて表現されています。)、その怨霊の無念を晴らして成仏させる度に同形の身体を獲得して行くというストーリー展開になっており、中世の怨霊信仰を前提として、能が平氏一門の怨霊を鎮魂、供養するための社会的な機能を担っていたことがファンタジックに描かれています。能楽師・犬王(道阿弥)と琵琶法師・友魚(友有)は伝統を革新するパフォーマンスを求めて様々な工夫を凝らした斬新な舞台を催しますが、(ネタバレしないように詳しくは書きませんが)上述のとおり猿楽の能や平家琵琶の魅力をロック、ヒップホップ、野外フェスやプロジェクションマッピング等の現代的な演出に置き換えて現代人にも直感的に理解できるような斬新な描き方をしており、1408年に室町幕府第3代将軍・足利義満後小松天皇を招いて北山邸(金額寺)で開催した天覧能の場面で、犬王(道阿弥)が披露する「天女の舞」をバレエ、コンテンポラリーダンスや器械体操等の要素を採り入れた舞として描いています。アニメ映画だけではなく、ミュージカル舞台(実演)を見てみたくなるような面白い演出です。当時、延年の風流という舞台では2階建ての舞台装置や山車のような可動式の舞台装置が使われていたそうなので(後にこれらは歌舞伎の舞台へと採り入れられます。)、この映画で描かれているような大掛りな舞台装置は珍しくなかったものと思われます。また、室町時代に四条河原で行われた田楽興行に大勢の観客が詰め掛けて桟橋が崩れ落ち多数の死傷者が出たという記録が残されていますので、この映画に描かれているように室町時代の庶民はこのような舞台に熱狂していたことが窺がえます。1371年、盲目芸人の組織である当道座の明石覚一検校(足利尊氏の従弟という説もあります。)は琵琶法師が語る平家物語(平曲)の正本をまとめて、その死後に、室町幕府第3代将軍・足利義満へ献上していますが、この正本に従いたくない琵琶法師・友魚(友有)は当道座を追放され、また、犬王(道阿弥)は大和猿楽に従うことを命じられますが(但し、実際には上述のとおり室町幕府第3代将軍・足利義満世阿弥よりも犬王(道阿弥)を重用しています。)、為政者による芸術の政治利用と表現意欲に忠実でありたい芸術家の葛藤という現代にも通じる問題に触れられています。なお、この映画では描かれていませんが、マンガ「昏い月」(天人羽衣)では近江猿楽の犬王(道阿弥)と近江守護職佐々木道誉婆沙羅大名という異名を持っていますが、南北朝時代には社会秩序を否定して派手な振る舞いや粋で華麗な服装を好む「ばさら」(婆娑羅)と呼ばれる美意識が生まれ、これが戦国時代に入って「かぶき」(傾奇、歌舞伎)へと変化します。)の関係が描かれています。世阿弥は、当時最高の文化人であった二条良基から古典や和歌等の英才教育を受けますが、これと同様に犬王も当時一流の文化人であった近江守護職佐々木道誉から英才教育を受けていたという内容になっており非常に興味深いです。これは史実に基づいたものか否かは分かりませんが、近江守護職佐々木道誉は近江猿楽を庇護して犬王を高く評価していたことは事実であり、何らかの影響を受けていたものと思われます。王朝文化から武家文化へと移行する時代の変革期に観阿弥、犬王(道阿弥)及び世阿弥という才能が現れて猿楽、田楽、曲舞、延年、和歌や物語など時代の流行を和えながら様々な工夫や改良を加えて新しい時代の価値感を体現する斬新な舞台芸術を大成しています。5月に開催された2022年ダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)では「History at a Turning Point」がテーマに掲げられ、過去のブログ記事で触れたブロックチェーンNFT(非代替性トークン)の技術を活用することで2028年までに約95兆円の市場規模に成長すると言われているメタバースの健全な発展に向けた環境整備等を行う官民連携の国際的な枠組みを立ち上げたことを発表しました。正しく現代はイノベーションに伴う時代の変革期にあたり、この時代に相応しい芸術表現が求められていますが、能楽に限らず各分野において令和の世阿弥の登場が待ち望まれます。" Without tradition, art is a flock of sheep without a shepherd. Without innovation, it is a corpse. " --- Winston  Churchill
 
 
◆シリーズ「現代を聴く」Vol.1
果たして令和の世阿弥の登場なるか、1980年代以降に生まれたミレニアル世代からZ世代にかけての若手の現代音楽家で、現在、最も注目されている俊英を期待を込めてご紹介します。
 
▼室元拓人「ケベス-火群の環」(2021年)
去る2022年5月29日に発表された武満徹作曲賞第1位を受賞した室元拓人(1997年~)の「ケベス-火群の環」をお聴き下さい。室元拓人は日本の習俗や異形神をテーマに作曲しているそうですが、大分県国東市国見町櫛来の岩倉八幡社(櫛来社)で行われている火祭り「ケベス祭」を題材とした曲ではないかと思われます。地元には火鍛冶の神・宇佐八幡が近くの海岸に現れたという伝承などがあるそうですが、未だケベスの正体は分かっていません。残念ながら、ケベス祭を拝見したことはありませんが、ビジュアルな響きを持つ音楽なので、遥か古代の精神世界に思いを馳せながら聞いてみるのも面白いかもしれません。
 
▼小瀬村晶「vi (almost equal to) ix」(2022年)
作曲家&ピアニストの小瀬村晶(1985年~)が5月27日にリリースした配信EP「Pause (almost equal to) Play」から「vi (almost equal to) ix」をお聴き下さい。小瀬村晶はポストクラシカル、エレクトロニカアンビエントやポップスなど幅広いジャンルをカバーし、著名な映画、ドラマ、ゲーム、CM作品の音楽等を担当している国際的な評価が高い現代音楽家です。無限旋律のように果てしなく続くような文脈のない音楽が特徴的で、心地のよい音場で包み込む主張のない音楽(構造的聴取を求めるのではなく感性的聴取を許容する音楽)は人生に文脈や背景を持たなくなった現代人の嗜好に適うものなのだろうと思います。
 
ステファニー・アン・ボイド「Lilac」(2018)
現在、アメリカで最も注目されている現代作曲家の1人、ステファニー・アン・ボイド(1990年~)がライラックの花を題材にして作曲した前奏曲「Lilac」(from Flower Catalogue)をお聴き下さい。前回のブログ記事西洋音楽キリスト教の影響から植物を題材にした曲が非常に少ないと書きましたが、現代音楽家についてはキリスト教的な世界観に縛られず自然を題材にした作曲活動を行っている方も多くいます。Flower Catalogueは12人の女性ピアニストが選んだ好きな花を題材にして作曲された前奏曲集で、ピアニストのジェニー・リンが選んだライラックの花を題材にして作曲された前奏曲です。

生態学と音楽(植物の音楽✕微生物の音楽✕人間の音楽...)<STOP WAR IN UKRAINE>

▼竹の子と人の子(ブログのまくら)
花の季節に誘われて古今和歌集を詠んでいたら、次の和歌に込められている古人の親心が現代と重なってしみじみと心に響いてきました。
 
今更に なに生ひ出づらん 竹の子の 憂き節繁き 世とは知らずや」(古今和歌集/凡河内躬恒)
 
「憂き節」とは「浮き世」と「竹の節」が掛けられて「憂き目=辛いこと」を意味し、また、「繁き」は「繁茂=ばかり」を意味していることから「今更どうして生まれ出てきたのだろう。未だ節のない筍(子供)が竹(大人)へと成長するにつれて節を重ねて行くように辛いことばかりが続く世の中とは知らずに。」という親心を詠んだ和歌と思われます。そう言えば、先日、ユニセフがOECD又はEUに加盟する国々の子供たちの精神的幸福度、身体的健康及び学力・社会適応能力等に関するコロナ禍前の状態を調査した結果について、Innocenti Report Card16 “Worlds of Influence; Understanding What Shapes Child Well-being in Rich Countries”(イノチェンティ レポートカード16「子どもたちに影響する世界、先進国の子どもの幸福度を形作るものは何か」)を公表しましたが、日本の子供たちは「身体的健康」が38ケ国中1位であるのに対して「精神的幸福度」が38ケ国中37位という極端な結果が示され、日本の子供たちが心の病を抱え易い状態にあることが明らかになっています。このような状況のなか、来年度から「こどもが自立した個人としてひとしく健やかに成長することのできる社会の実現」を目的として「こども家庭庁」が創設されることになりましたが、筍(子供)が竹(大人)へと成長して行く過程で「憂き節」に潰されてしまう社会や家庭等に潜む要因を可能な限り取り除いてスクスクと成長できる環境を整えて行くこと(ウェルビーイング)が社会的課題になっています。ところで、5月の「旬」と言えば、「筍」(炊き込みご飯!)、「アスパラ」(天ぷら!)や「初鰹」(タタキ!)などが挙げられますが、「旬」(さかりもの)は1年で最も美味しく食べられる時期に沢山収穫される値段が安く栄養価の高い食材のことを言い、「旬」の食材を採り合わせた料理のことを「であいもの」(例えば、この時期の旬の食材である筍とわかめで作る若竹煮など)と言って好まれています。さらに、「初物」(はしりもの)は1年の最初に収穫された未だ希少で値段が高い食材のことを言い、昔から大変に縁起の良いものとして好まれていますが、江戸時代には初鰹は下級武士の年収に相当する高値が付けられたそうで嫁を質に入れてでも食べてみたいと言われた幻の高級食材だったようです。因みに、「旬」とは竹が1つの節を作る期間を意味し、「筍」が約10日間毎に1つの節を作って「竹」へと成長して行くことから「旬」の上に「竹」冠を付けたものが「筍」という漢字になったと言われています。この点、暦月は10日間毎に「上旬」「中旬」「下旬」という3つの節目に区切られますが、「筍」は約1ケ月間で3つの節を作りながら全ての皮が剥け落ちて「竹」へと成長します。これと同様に、人間の子供も「幼年」(~幼稚園)、「少年」(小学校~中学校)、「青年」(高校~大学)と人生の3つの節目を経て大人へと成長して行きますが、この季節は我が子の成長を意識する時期とも言えそうです。
 
①郷土料理たけのこ(千葉県夷隅郡大多喜町黒原181-2
②狩野元信生誕地の碑(千葉県いすみ市大野937−1
③サイゼリア発祥の地(千葉県市川市八幡2-6-5
④白みりん発祥の地(千葉県流山市流山1-261
郷土料理たけのこ/千葉県大多喜町は全国有数の筍の名産地ですが、全国でも珍しい筍料理の専門店があり、先日、ダウンタウン「ガキの使いやあらへんで」(2022年4月3日放送)でも採り上げられていました。筍づくしの「たけのこ御膳」が人気メニューです。 狩野元信生誕地の碑/郷土料理たけのこの近隣に狩野派始祖・狩野正信の生誕地があります。日本の植物学は遣唐使によって中国から伝来した本草学に始りますが、江戸時代に入ると本草学が盛んになり、本草学者は狩野派の技法を学んで植物の写生画を描くようになります。 サイゼリア発祥の地/千葉県は農業産出額で全国4位の日本の食糧庫ですが、新鮮な野菜に拘りを持ち、自社の農場まである人気のサイゼリアは1973年に千葉県市川市(JR本八幡駅前)に1号店を出店し(現在は閉店)、その後、全国にチェーン展開されています。 白みりん発祥の地/戦国時代には赤みりん(≒ 赤みその特徴)が誕生し、1814年に千葉県流山市で白みりん(≒ 白みその特徴)が誕生します。千葉県野田市のキッコウマン醤油と共に千葉県流山市万上みりんが庶民に普及し、日本料理に欠かせない調味料になりました。
 
▼七夕の節句と宇宙の音楽
和歌山県のアドベンチャーワールドは中国以外の国では世界最多の17頭のパンダの繁殖に成功していますが、パンダは植物(食物繊維)を消化・吸収することが苦手な動物なので1日に約20kgの「竹」(筍の皮が落ちるもの)や「笹」(筍の皮が落ちずに茎を包むもの)を摂取する必要があると言われており、パンダと同様に植物(食物繊維)を消化・吸収することが苦手な人間も1日に350gの野菜摂取が推奨(厚生労働省告示第四百三十号:国民の健康の増進の総合的な推進を図るための基本的な方針の別表5)されています。この点、昔から「竹」や「笹」は天に向かって真っ直ぐに伸び、また、風になびく独特の葉の音に神の気配を感じることから神が憑依する「依代」と考えられ、正月に歳神様が憑依するための門松には「竹」(三本の竹に松を束ねたもの)が使用されています。また、能舞台では神の依代として舞台正面の鏡板に「影向の松」が描かれ、また、舞台側面の脇鏡板には「若竹」が描かれています。更に、能楽では、神の依代である御幣に代わる小道具として「笹」が使用されることが多く、「竹」や「笹」は伝統的に縁起物として重用されています。このため、毎年7月7日(七夕の節句)には願い事などを書いた短冊を神の依代である「竹」や「笹」に吊るす風習が生まれています。因みに、清少納言は枕草紙で「星は、すばる。彦星。夕づつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。」と書いていますが、七夕の「彦星」(アルタイル)を挙げながら、「織姫星」(ベガ)を挙げていないところに才女・清少納言の知性とユーモアが隠されているように思われます。「すばる」(昴)はプレアデス星団のことでギリシャ神話のプレアデス7人姉妹(プレアデス神話)から命名されていますが、これと同様に日本でも「すばる」(須婆留)は女神(天須婆留女命御魂)と考えらえています。その後に続く「彦星」(牽牛=男)、「夕づつ」(金星=宵の明星)、「よばひ星」(流星=婚ひ、夜這い)は、男が半宵に別の女(織姫星(ベガ)ではなく昴(プレアデス))のもとへ忍んでやってくる様子を連想させるもので、後(尾)を引かない方が良いという意味深長な教訓まで付け加えられており、不倫が文化であった時代に清少納言が宇宙を眺めながら星空に男女の情事を重ね合わせて楽しんでいたことが窺われます。源氏物語が「あはれ」(しみじみ)の文学と言われている一方で、枕草紙は「をかし」(おもしろみ)の文学と言われている由縁です。
 
【宇宙が奏でる「宇宙の音楽」】
前回のブログ記事で「宇宙の音楽」に触れましたが、NASAが惑星や衛星が発する電磁波等を採集し、それを人間の可聴音域に変換した「宇宙の音楽」を公開しています。ホルストの「惑星」は人類が星座に物語を夢見ていた時代のおセンチな音楽ですが、プレアデス7人娘や彦星、織姫が聞いているであろう「宇宙の音楽」や「量子の音楽」は人間が操ることができるシンプルな音楽とは異なる深淵で精妙な響きに彩られており、人知が及ばない世界の存在を教えてくれています。因みに、クセナスキの「プレアデス」(1979年)武満徹の「オリオンとプレアデス」(1984年)など現代音楽家がプレアデス(昴)を題材にした音楽を作曲していますが、NASAが採集した「宇宙の音楽」に近い世界観を表現し得ており、これからの人類に必要とされる音楽なのだろうと感じます。 
 
▼生態系ピラミッド(宗教)と植物の知性(科学)
「竹」が彩る夏の風物詩と言えば、七夕以外にも竹格子を使った朝顔、団扇虫カゴ蕎麦スダレなどが挙げられます。このうち「朝顔」は遣唐使により薬用(朝顔の種に含まれているファルビチンという化学物質には下剤の効能があり、現代でも漢方薬の材料になっています)として中国から日本へ伝来します。この点、植物は、微生物から光合成に必要な窒素の供給を受けるために微生物の栄養素となる植物ホルモンを生成する一方で、病原菌から身を守るための抗菌物質や動物による摂食から身を守るための有毒物質を生成していますが、この植物の有毒物質が薬の開発の出発点となり、人類は薬の成分の90%以上を植物に頼ってきました。過去のブログ記事で触れましたが、芸能は神との交信を試みるシャーマニズムから発展し、「聖」と「俗」の境界を超える社会的な機能を担ってきましたが、「俗」の境界を越えて「聖」へと至るために脳の興奮や幻覚を覚醒する有毒物質を持った植物(ベラドンナ、ベニテングダケ、ペヨーテ・サボテンなど)が利用されていました。因みに、魔女が箒に跨って空を飛んでいる姿は、箒の柄にベラドンナの成分を塗布し、(20世紀に入るまで女性はパンツを着用する習慣がありませんでしたので)それが性器の粘膜から吸収されて脳の興奮や幻覚を覚醒し、浮揚感を覚えたことが始まりと言われています。なお、植物の有毒物質は薬としても活かされるようになって、例えば、「コカ・コーラ」はアメリカの薬剤師が麻酔薬のルーツとなったコカの葉とコーラの実を原料にして疲れをとるための薬として作った飲料水です。現在のコカ・コーラの成分や製法は全く異なりますが、南米では疲労感や空腹感を緩和してダイエット効果を持つコカ茶が愛飲されています(但し、日本ではコカ茶の輸入、所持、使用や販売は規制されていますので要注意)。(閑話休題)やがて「朝顔」は薬用だけではなく観賞用としても人気となり、源氏物語第四十九帖「宿木」の第二章第六段において、薫が朝露が落ちないように手折った朝顔を扇に乗せて中の君へ差し入れ、中の君が朝露が消える前に儚く枯れて行く朝顔の花に無常を感じて「消えぬ間に 枯れぬる花の 儚さに 遅るる露は なほぞ優れる」と和歌を詠んでいますが、平安時代には朝顔が観賞用として愛でられていたことが窺えます。因みに、源氏物語に登場する「夕顔」は夕方から翌朝まで咲くウリ科の花で、ヒルガオ科の花である朝から昼まで咲く朝顔、朝から夕方まで咲く昼顔、夕方から翌朝まで咲く夜顔とは別種になります。この点、人間は、進化の過程で外部環境の変化によらず生体を一定の状態に保つため、25時間の周期でホルモン分泌や睡眠等の生理現象を起こす「体内時計」が備わっていると言われていますが、地球の自転の周期(24時間)との間に1時間の時差があることから、人間は毎日その1時間の遅れを取り戻すために生理活動を活発化し、それが刺激になって脳が発達したと言われています。これに対し、朝顔は24時間の周期の「体内時計」があって夜間の長さに応じて花を咲かせる時間(日没から9~10時間後)を調整していますが(植物には動物とは異なる方法で外部の情報を知覚する感覚がある)、脳や神経を持たない朝顔がどのように時間を計っているのかについては分かっていません。朝顔は昼間に光合成によりエネルギーを作り出し、夜間に花の芽に必要なフロリゲンという化学物質を生成しますが、暑さや乾燥によって花びらから水分を奪われないようにするために開花後約2時間でエチレンという化学物質を発生させて花を萎ませることが分かっています。このエチレンという化学物質は植物が他の組織又は他の植物等に危険を伝えるために発生するもの(植物には動物とは異なる方法でコミュニケーションを取る能力がある)と言われており、例えば、人間が毎日のように稲の苗に触れていると苗から発生するエチレンによって苗の成育が遅れることが分かっていますが、苗は人間に触られることに恐怖を感じると考えられています(植物には人間とは異なる方法で外部の情報から予測し、選択し、学習し、記憶する知性がある)。千葉県は関東一の早場米の産地ですが、5月上旬に田植えが終わってから8月中旬に収穫が始まるまでの間は農家の方が田に入っている姿を滅多に見掛けないのは、そのためなのかもしれません。このように現代では植物が動物と同様に「感覚」や「知性」を備える生物であることが分かっていますが(2008年、スイス連邦政府機関「ヒト以外の種の遺伝子工学に関する連邦倫理委員会」は「植物界における生の尊厳」という報告書を発表し、人類の生存や鑑賞の目的を超えた植物の採取は生命倫理上の問題を生じ得るという見解を示して様々な物議を醸しています。)、20世紀後半になるまで動かない植物は進化の過程を誤った結果として「感覚」や「知性」を備えない動物よりも劣る生物であるという非科学的な先入観(生物学における天動説)が信奉されてきました。この背景には、キリスト教的な自然観(例えば、旧約聖書の創世記第6章の19から21及び創世記第7章の2から3など)が色濃く影を落としていると言われています。即ち、神は、大洪水から生物を保護するために「動物」(「すべての生き物」→「すなわち」→「鳥・・・獣・・・、また地のすべての這うもの」「すべての清い獣」「清くない獣」「空の鳥」)の番いをノアの箱舟に乗せるように命じますが、地球上の生物の80%以上を占める「植物」については何も触れておらず、僅かに動物のための食物としてノアの箱舟に乗せることが許されているに過ぎません。これは旧約聖書が執筆された時代の知識レベルを前提として動く物のみが生物である又は動く生物が優れているという根拠のない単純な発想から生まれた考え方であり、動物、植物及び微生物が相互に必要不可欠な依存関係を築いて調和している生態系について思慮が及ばない貧弱な自然観と言えそうです。この人間中心主義的な考え方を拠り所として非科学的な生態系ピラミッドなるもの(下図参照)が考案され、植物学の研究は大幅に遅れることになりました。現在、人類は地球上の全ての植物種の僅か5~10%しか把握していないと言われており、上述のとおりその僅かな植物種から薬の成分の90%以上が抽出されています。
 
▼ボヴェル「知恵の書」(1509年)から「生態系ピラミッド」
※Est(物):鉱物
※Est+Vivit(生物):植物
※Est+Vivit+Sentit(生物、感覚):動物
※Est+Vivit+Sentit+Inteligit(生物、感覚、知性):人間
▼現代科学を前提とした生態系を支えるプレーヤーたち
※生態系を支えるプレーヤーのうち、地球上の生物の80%以上を占める動かない植物及び人間の体の90%以上を覆う目に見えない微生物・ウィルスは研究の対象とされてきませんでしたが、漸く、これらの研究が進んで色々なことが解明されつつあります(表中の赤字の部分)。
※ウィルスは細胞がなく自己複製できないことから非生物とされていますが、生物の細胞に侵入して自らの遺伝子情報に書き換え、その遺伝子情報を書き換えられた細胞が生物の中で複製されることでウィルスが複製されるという方法で増殖します。その意味で、ウィルスは細菌のように生物の体の中で寄生するというよりも、生物の体を乗っ取るというイメージに近いかもしれません。まるでエイリアン映画のようです。
 
▼プラントバイオロジーと植物の音楽
約30億年前に地球上に誕生した生細胞は約5億年前に植物と動物に分化し、植物は生存に必要な栄養を太陽から摂取することにして自ら移動しないことを選択し、動物は生存に必要な栄養を他の生物から摂取することにして他の生物を見つけるために自ら移動することを選択しますが、ぞれぞれの選択に適した異なる生存戦略を執るようになります。例えば、外敵からの防御方法として、動物は自ら移動して「逃亡」するという方法を執りましたが、植物は自ら移動して逃亡することができないので、外敵に摂取されることを前提として、動物のような効率性を重視した機能集約型の組織構造(即ち、脳、心臓や内臓等の組織の中心となる器官を持ち、いずれかの組織が損傷すれば存続が困難となる代替不可能な構造)ではなく耐久性を重視した機能分散型の組織構造(即ち、それぞれの細胞が生存に必要な機能を分散し、組織の中心となる器官を持たず、いずれかの組織が損傷しても存続が可能となる代替可能な構造)とすることで「再生」するという方法を執りました。インターネットやNFTは、植物のような機能分散型の組織構造からヒントを得てネットワークの信頼性や安定性等を獲得しています。また、種の繁殖方法として、動物は自ら移動して「生殖」するという方法を執りましたが、植物は自ら移動して「生殖」することができないので、自ら発する化学物質等を使って動物を操ることで「交配」するという方法を執りました。このため、植物は、人間のように共通の言語を持つ者同士だけではなく、自ら発する化学物質等を使って動物や微生物ともコミュニケーションをとることができる優れた能力を備えています。さらに、植物には、動物が備えている5種類の感覚(例えば、根の視覚、トマトの嗅覚、ハエトリグサの嗅覚、オジギソウの触覚、ブドウの聴覚など)に加えて、重力、磁場、湿度の計測や化学物質の土壌含有率の分析など様々な環境変数を知覚するための15種類の感覚を備え、また、他の植物が発する化学物質等から外部環境の情報を収集し、それらを記憶して自らの生存に必要な解決策を導き出し、その判断結果を電気信号、水分や化学物質等を使って他の組織に伝達する群知性も備えており、優れた感覚及び知性を備えることで自ら移動できないハンディーを克服し、自らの生存確率を高めていると考えられています。植物の優れた感覚や知性について詳しく触れる紙片はありませんが、地球上の生物の80%が植物で占められていることを考えると、植物が地球上で最も優れた生存戦略を持つ生物と言えるかもしれません。なお、上述のとおりブドウには聴覚がありますが、人間のように空気を伝わる振動を耳で知覚するのではなく、土を伝わる振動を根で知覚することが分かっています。ブドウの樹に音楽を聞かせると味、色やポリフェノールの含有量の優れたブドウが実るという実験結果がありますが、音楽を構成する低周波(100~500へルツ)がブドウの樹の生育に良い影響を与えていること(逆に、高周波はブドウの樹の生育を抑える効果があること)が分かっています(音響農学)。また、植物は微弱な弾性波(生体電位)を発していることが分かっていますが、その弾性波(生体電位)を使って他の植物とコミュニケーションをとっている可能性が指摘されており、この仕組みを利用して人間と植物との間でコミュニケーションをとる技術の開発が注目されています。
 
【植物が奏でる「植物の音楽」】
植物の葉の表面に電極を取り付けて植物の弾性波(生体電位)の波形を読み取り電子音に変換することで、植物が奏でる音楽「PlantWave」を聴く技術が注目されています。上述のとおり植物には「感覚」や「知性」があり、光、風や人間等に反応して弾性波(生体電位)のピッチやリズムが変化することが分かっています。この技術を使えば、まるでペットと触れ合うように植物と触れ合うことも可能となり、音楽は人類だけではなく全ての生物に共通の言語となり得るかもしれません。因みに、過去のブログ記事でも触れましたが、能楽は仏教の影響を受けて植物の精霊を題材した曲目が多くありますが、西洋音楽では上述のとおりキリスト教の影響から植物を題材にした曲は非常に少ない印象を否めません。この点、武満徹の「樹の曲」(1961年)藤枝守の「植物文様」(2008年~)など日本の現代音楽家がボタニカルな音楽を作曲しており、音楽表現の可能性を拡げるものとして注目されます。
 
▼マイクロバイオームと微生物の音楽
17世紀に光学顕微鏡の発明により微生物が発見され、20世紀に電子顕微鏡及びゲノム解析の発明によりナノレベルの微生物及びウィルスの観察が可能になりましたが、動物や植物の表面や内部には大量の微生物が共生し、動物や植物の生存に必要不可欠な働きを担っていることが分かってきています。この点、人体には約37兆個の細胞がありますが、人体の表面や内部にはその10倍近い数の微生物が共生し、また、人間の遺伝子の1/3以上が微生物等から受け継がれたものであることを踏まえると、人体は人間と微生物が共生する自然環境の一部と捉えるのが適当であり、人間中心主義的な自然観や生命観の見直しが迫られています。この点、人間の免疫機能の80%は腸(とりわけ大腸)に関係していると言われていますが、もともと土壌に生息していた微生物が食物と共に腸内へ運ばれたものが腸内微生物の起源と考えられ、腸内微生物は人間が自ら消化・吸収できない栄養素を餌として、その過程で腸内微生物が生成するビタミンやアミノ酸等を人間が吸収するという相互依存関係が成立しています。また、腸内微生物は外部から侵入した悪性微生物を駆除するなど人間が健康を保つうえで非常に重要な役割を担っていることが分かっています。しかし、人間が抗生物質、人工添加物、化学肥料や農薬等を摂取することで病原菌を死滅させるだけに留まらず腸内微生物の生態系も破壊していることが分かっており、それによって人間の免疫機能に狂いが生じ、癌、糖尿病、肥満、うつ病、パーキンソン病等の現代病が増加する一因になっているという研究結果があります。現代の環境問題は、人体の外部の自然環境の破壊のみならず、これと繋がっている人体の内部の自然環境の破壊という深刻な問題も惹起しています。日本人は海産物を多く摂取する食文化であることから多糖類を分解する酵素を生成する海洋性微生物の遺伝子を保有し(この遺伝子を保有している人の割合は日本人が90%以上であるのに対し、欧米人は僅か3%程度)、これによって日本人はBMIを低く抑えて長寿になる傾向があることが分かっており、日本人の新型コロナウィルスの感染者数や死亡者数が欧米人よりも低く抑えられている理由の1つではないかとも考えられています。最近の研究では微生物も知性を持ち、様々な種から構成される多様なコミュニティー(バイオフィルム)を形成して植物と同様に化学物質等を使って同種間だけではなく異種間でも高度なコミュニケーションをとっていることが分かっており、人間と微生物との間のコミュニケーションの可能性が研究されています。このような状況のなか、2015年、世界5大医学雑誌の1つである「ランセット」が最新の科学的な知見を踏まえて「プラネタリー・ヘルス」という考え方(人間の健康を地球全体の健康という文脈から捉え直す取組み)を提唱し、国際会議「ワールド・ヘルス・サミット」でも採り上げられてこの考え方の優位性が確認されると共にその取組みが本格化しており、これまでの人間中心主義的な考え方に対する反省とその大幅な修正が求められています。この点、ショパンが「Bach is an astronomer, discovering the most marvelous stars. Beethoven challenges the universe. I only try to express the soul and the heart of man.」という言葉を残していますが、この言葉を意訳すれば、バッハは神の真理、ベートーベンは人間の理性、ショパンは人間の本能を表現する音楽家という趣旨と解され、それぞれの時代に最も大切と考えられてきた価値観が音楽で表現されてきました。しかし、上述のとおり現代は各分野からそれらの価値観に対する異議申立が行われ、それらの価値観に対する修正が求められている時代と言え、神や人間を表現するだけでは足りない複雑多様な世界になっています。ロマン派以前の音楽が過去の偉大な芸術遺産であるとしても、人類の普遍的な真理や価値を体現しているという感傷的な説明では埋め切れない胡散臭さのようなもの(そこで表現されている又はその表現の前提になっている自然観、世界観や価値観の劣化、乖離、矛盾や破綻など)を露呈しているように感じられ、現代の知性を前提とすると、かつてのように現代人の教養(学問、知識、経験や芸術受容等を通して養われる心の豊かさ)を育むことが難しくなってきているという印象を否めません。ロマン派以前の音楽が作られた時代から時代は大きく更新されており、過去の偉大な芸術遺産がそうであったように、時代の写し鏡である芸術表現も大きく変わることが求められており、そのような新しい芸術表現を受容できる聴衆の教養力も試されているように感じます。
 
【微生物が奏でる「微生物の音楽」】
微生物を培養しているシャーレに電極を取り付けて微生物が発する生体電位を読み取り電子音に変換することで、微生物が奏でる音楽を聴く技術が注目されています。微生物が奏でる音楽は「ノンヒューマン・リズム」と呼ばれる奇妙なさえずりのような音声パターンが特徴的で、様々な刺激を与えると生体電位が変化することから(例えば、光を当てると生体電位が弱まってリズムが遅くなる、熱を加えると生体電位が強まってリズムが早くなるなど)、様々な微生物に様々な刺激を与えた「微生物の音楽」が公開されています。また、日本人で初めてアルス・エレクトロニカ賞グランプリを受賞して話題になったやくしまるえつこの「わたしは人類」(2016年)や現在最も注目されている日本人の現代音楽家・藤倉大の「GloriousClouds」(2017年)など日本の音楽家も微生物を題材にした音楽を作曲しています。
 
▼ウェルビーイングと人間の音楽
上述のとおり抗生物質(微生物が他の微生物の増殖を抑制するために合成している化学物質)の大量投与による微生物の生態系の破壊が現代病の一因になっていると考えられていますが、人体の内部で共生している微生物にとって抗生物質の大量投与は宛ら無差別大量破壊兵器(化学兵器)であり、それが人間の免疫機能を狂わせて健康を害するという皮肉な結果を招いています。この点、「病気を観る西洋医学」(検査に基づいて西洋薬(人工的に化学合成した新薬)や手術等により病巣を局所的に取り除く直接的な治療を特徴として臨床医学に強み)に対して「病人を観る東洋医学」(経験に基づいて漢方薬(自然界の有効成分を配合した生薬)や鍼灸等により身体のバランスを整えて免疫力を高めることによって身体状態を全体的に改善し、病状を緩和する間接的な治療を特徴として予防医学に強み)が見直され、人体の内部で共生する微生物の生態系を破壊しない治療方法として、自然を支配(破壊)する西洋医学的な発想だけではなく、自然と調和(共生)する東洋医学的な発想が積極的に採り入れられるようになっています。このような東洋医学的な発想(ホリスティック)は、最近注目されている音楽療法の世界にも息衝いています。古くから音楽療法は心身の調和が乱れた状態から心身の調和が取れた状態へ戻すために利用されてきており、例えば、18世紀前半にバッハが不眠症に悩むカイザーリンク伯爵の依頼でお抱え音楽家・ゴルトベルクに弾かせるための曲として「ゴルトベルク変奏曲」を作曲した逸話(バッハ小伝)は有名です。また、20世紀前半に医師のイサ・マウド・イルセンは、重い不眠症患者のために『適量のシューベルト「アヴェ・マリア」』を処方した記録が残されており、患者の音楽的嗜好に合わせて民族音楽や器楽曲等も処方していたようです。現在、不眠症は、睡眠薬、環境改善、リラクゼーション及び呼吸法等の治療法がありますが、とりわけ呼吸法は「息を吸う」(緊張)と「息を吐く」(弛緩)によって生理的作用を切り替える働きがあり、覚醒から睡眠へと生理的作用が切り替わるタイミングで呼吸数が減少すると言われていますので、音楽療法により呼吸のリズムを整えることで睡眠を誘う効果があると言われています。また、速いテンポの音楽は交感神経系(昼の神経)を刺激して顆粒球が活発化し、遅いテンポの音楽は副交感神経(夜の神経)を刺激してリンパ球が活発化するなど免疫機能やホルモン分泌にも大きく影響していると言われています。この点、音楽家の脳年齢とそれ以外の人の脳年齢を比べると音楽家の脳年齢が平均して約4歳ほど若いという研究結果がありますが、音楽療法は人間の生理的作用や心理的作用に働き掛けて心身の状態を改善する効果があると考えられています。具体的な病例と科学的に検証された音楽療法の効果について詳しく触れる紙片はありませんが、音楽療法は心身医療、緩和医療、ホルモン正常化、脳神経障害のリハビリ等の幅広い病例に一定の効果があることが分かっており、病気を根治させる医学的な治療とは異なりますが、患者の心身をネガティブな状態からポジティブな状態に改善して医学的な治療を手助けする副次的な効果が期待されています。ところで、プログの冒頭でユニセフが子供たちの幸福度(ウェルビーイング)を調査したところ日本は38ケ国中37位だったことを紹介しましたが、2021年のダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)でシュワブ会長が「人々の幸福を中心とした経済」について講演し、単に持続可能な社会を目指すだけではなく、ウェルビーイングに配慮した社会の再構築の必要性に触れて話題になりました。欧州では「Wellbeing Economy Goverments」のパートナーシップへ参加する国が増えており、ウェルビーイングに対する世界的な関心の高まりの現れと言えます。この点、OECDが定める「より良い生活指数」という指標に基づく調査(2021年)では、日本は総合ランキングで40ケ国中25位のウェルビーイング後進国であるという結果が示されています。これを踏まえて、2021年に日本政府は「成長戦略実行計画」でウェルビーイングを実現できる社会の実現を掲げ、巷では「ウェルビー女子」という造語まで生まれ、先進的な企業では働き方改革と共にウェルビービングへの取組みが強化されています。日本がウェルビーイング後進国とされる理由について様々な分析がありますが、将来に不安を抱えていること(不安遺伝子(SS型)の占める割合が日本人は約68%に対して米国人は約19%、楽観遺伝子(LL型)の占める割合が日本人は約2%に対して米国人は約32%という調査結果があり、もともと日本人は不安症の傾向が強いことが原因の1つ)、ワークライフバランスが十分でないことや職場や学校以外のコミュニティーを持っていないことなどが挙げられています。昔の日本社会は、「」という複数のコミュニティーが存在し、「」という本名以外の名前(別の顔)を持ってハイブリットな分人ネットワーク(壱人両名)を許容する懐の広い柔軟な社会で、厳しい身分制社会に拘らず、現代より自己実現を図る機会に恵まれていたのではないかと思われますが、コロナ禍を契機としてサラリーマンの副業やライフスタイルに合わせた多様な働き方が浸透したことはウェルビーイングに配慮した社会の再構築にあたって有用ではないかと思います。ウェルビーイングは健康、幸福及び福祉から構成され、そのうちどのような状態が幸福であるのかの基準は時代、民族、文化や個人の資質等によっても異なり得るものなので、それを無視して1つの客観的な指標だけで単純に比較することに余り意味はないと思われますが、ウェルビーイングに配慮した社会の再構築を目指すにあたってウェルビーイングを高めるための環境整備に向けた取組みは有効ではないかと思います。最近、その環境整備の一環として、音楽からウェルビーイングにアプローチする「ウェルビーング・ミュージック」というジャンルが注目されていますが、過去のブログ記事でも触れた「ポスト・クラシカル」の潮流とも相通じるものが感じられ、現代の自然観、生命観や価値観等を踏まえて音楽の在り方も大きく変わろうとしているように感じます。
 
【人間の神経細胞が奏でる「人間の音楽」】
シャーレで人間の皮膚細胞を培養して神経細胞(ニューラルネットワーク)へと成長させ、そこに電極を取り付けてニューロンが発する生体電位を記録すると共に、人間が作った音楽を電子信号に変換してニューロンへ刺激を送り、ニューロンが電子楽器を制御して応答する仕組みを利用して即興演奏することが可能になっており、この技術を脳卒中患者の脳神経の回復やパーキンソン病患者の神経変性疾患の治療等へ応用することが期待されています。また、アルヴィン・ルシェ「独創者のための音楽」(1965年)や「HUMAN GENOME MUSIC PROJECT」(2012年~)など脳波やヒトゲノム配列の人間の生体情報を使って音楽を奏でるバイオ・ミュージック(実験音楽)が注目を集めています。
 
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世界平和を心から願って、ウクライナ侵攻の犠牲者への鎮魂歌とウクライナ人への人道支援(命のビザ)のための音楽をアップしておきます。なお、日本国内に在住するアンナ・リトヴィノワさん(東京音大卒)が勇気を出して反戦を訴えるデモを行っています。この運動に共感される方のご支援をお願い致します。
 
アルヴァ・ペルト(1935年~)の宗教合唱曲「主よ、平和を与えたまえ」をお聴き下さい。エストニア人作曲家・ペルトは日本でも人気が高い現代音楽家で2014年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しています。人類が無差別大量破壊兵器(化学兵器や核兵器など)の使用という現実的な脅威に晒されて圧倒的な無力感、絶望感や敗北感の前に神に祈るしか術がない時代に、平和への切実な希求を込めた迫真の音楽が心に響きます。
 
アルフレート・シュニトケ(~1998年)のオラトリオ「長崎」をお聴き下さい。ロシア人作曲家・シュニトケが原爆根絶の願いを込めて作曲した多様式主義の音楽で、1959年にショスタコーヴィチの推薦でロシア初演されています。日本初演は2009年になってからのことで、(自戒の念を込めて)20世紀がクラシック音楽不毛の時代と言われる原因は作品ではなく聴衆の質(新しいものを受容できる教養力)の問題であることを分からせてくれる作品の1つです。
 
アルフレート・シュニトケ(~1998年)の宗教合唱曲「レクイエム」をお聴き下さい。ロシアに対する経済制裁はウクライナ侵攻の資金源を断って平和を早期に実現するためであってロシアを破滅させるためではありません。ロシアのウクライナ侵攻は強く非難するべき絶対に許されない行為ですが、その一方で、ロシア音楽の排除を含めてロシアとのコミュニケーションを閉ざそうとする態度もお互いの憎悪を増すだけで平和の実現を遠ざけてしまう愚かしい行為です。
 
ハーバート・ハウエルズ(~1983年)の宗教合唱曲「レクイエム」をお聴き下さい。イギリス人作曲家・ハウエルズは旋法性の高い作風を得意とし、宗教合唱曲を中心として作品を残しています。イギリスはピューリタン革命により人々を堕落させるという理由で音楽等が制約されていたことからクラシック音楽の作曲家が生まれ難く、クラシック音楽不毛の地と言われてきましたが、近年、その汚名を返上する傑作が数多く生まれています。
 
ハビエル・パニアグア(1946年~)の「Music for Ukraine」をお聴き下さい。メキシコ人作曲家・パニアグアは、作曲家ハビエル・パニアグアは、ウクライナの子供たちを支援するための人道支援としてストリーミング音楽「Music for Ukraine」の使用料を寄付する取組みを行っています。現在、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)等の国際機関でもウクライナへの人道支援(命のビザ)を受け付けています。

相対性理論と無調音楽(宇宙の音楽から量子の音楽まで...)<STOP WAR IN UKRAINE>

▼創造性とイノベーションの世界週間(ブログのまくら)
本日は、レオナルド・ダ・ヴィンチの570回目の誕生日ですが、彼は芸術家(絵画、音楽、演劇、彫刻など)のみならず科学者(解剖学、数学、工学、天文学など)としても偉大な功績を残す「万能の天才」と称され、ヘリコプター自転車の原理を発明するなど芸術と科学の分野を超えた創造性の象徴として毎年4月15日から4月21日までの間は「創造性とイノベーションの世界週間」とされています。イノベーションと言えば、某ファミレスでは、コロナ感染予防対策及び労働力不足解消のために系列店舗に配膳ロボットの導入を進めているそうですが、先日、自宅の近所のファミレスにもネコ型の配膳ロボット「BellaBot」が導入されました。店内で複数台が同時に稼働していますが相互に通信を取り合いながら鉢合わせしないような効率的な動線を考えて移動し、(色々なシチュエーションを試してみましたが)顧客への衝突を回避する安全機能にも問題はなさそうなので子供同伴でも安心です。パンデミックによって第一次世界大戦後から国際社会を牽引してきたアメリカニズムの脆弱性(即ち、①グローバル社会の脆弱性:ジェット機やクルーズ船等による国境を越えた人流増加に伴う感染拡大、②グローバル経済の脆弱性:半導体の供給不足などサプライチェーンの機能不全に伴う経済混乱、③リベラル・デモクラシーの脆弱性:感染抑制を優先する多数者の意志(デモクラシー)が自由行動を優先する少数者の意志(リベラル)を抑圧する社会分断など)が露呈していますが、ポスト・コロナ時代を牽引するネオアメリカニズムの旗手と目されているGAFAが実現するデジタル・トランスフォーメーション(DX)は、これらの脆弱性を克服するためのニューノーマル(人的交流のオンライン化、サプライチェーンの柔軟化、社会選択肢の多様化など)として機能することが期待されており、さらに、これに伴うデジタルツイン(アナログなリアル空間とデジタルなバーチャル空間のパラレルワールド)の誕生は人工知能(AI)や人工生命(AF)を社会へ採り入れるための前提となるものです。この点、産業革命(近代)は人類を重労働から解放しましたが、AI革命(現代)は人類を労働そのものから解放すると期待されており、人類や生命の再定義が必要となるような非常に大きな社会的影響を及ぼすイノベーションと言えます。一昨年、河野大臣(当時)が印鑑廃止を宣言して日本のデジタル・トランスフォーメーション(DX)が始まったことは記憶に新しいですが、コロナ感染対策等を契機として数多くのイノベーションが実用化されており、その意味ではポスト・コロナ時代は時代の分岐点となり得るもので、歴史上、イノベーション(主に科学技術)と共に発展してきた芸術(創造性)にも大きな影響を及ぼす可能性があるのではないかと期待しています。
 
わたしは人類(人類の進歩)
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▼イノベーション(主に科学技術)と舞台芸術(創造性)の関係
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▼ローマ帝国(中世):宗教と科学・芸術の結合
2022年2月20日に北京五輪が閉幕しましたが、その原形であるオリンピアは紀元前800年代に古代ギリシアでオリンポス信仰(オリンポス12神の信仰)のためのスポーツと芸術の祭典として開催されたと言われており、その間は古代ギリシャで勃発していた都市国家間の戦争が中断されたと言われています。その後、392年に古代ギリシャを征服したローマ帝国がキリスト教を国教に定めてオリンポス信仰の祭典であるオリンピアを廃止しますが、1896年にオリンピアの精神を受け継いだオリンピックが再開されました。その憲章には「オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探究するもの」であり「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指す」という理念が謳われていますが、2022年2月24日、ドーピング問題でオリンピックへの出場を停止されていたロシアの大統領プーチンは、再び、この理念を踏み躙るようにポピュリズムの台頭によりアメリカニズムが弱体化している隙をついてウクライナへの侵攻を開始しました。この点、第二次世界大戦中の日本の教訓を踏まえれば、ロシア政府のプロパガンダに加担するロシアのマスコミと共にこれに踊らされる数多くのロシア国民にも大きな問題と責任があることは指摘しておかなければなりません。そこで、イノベーション(主に科学技術)が芸術(創造性)に影響を与えてきた歴史を大まかに俯瞰しながら、その底流にある思想的な背景を紐解いて環境破壊やポピュリズムの台頭など現代の社会問題を生んでいる原因について簡単に触れると共に、現在、どのようなイノベーション(主に科学技術)が芸術(創造性)に影響を与えようとしているのか時代のトレンドを概観したいと思います。さて、紀元前6世紀に古代ギリシャの数学者・ピタゴラスは音階の研究から宇宙の万物は数によって規定されているという考え方を生み出して「三平方の定理」や「ピタゴラス音律」を発見し、また、「天球の音楽」(天動説を前提として、地球を中心に運行している天体は音を発し、それらの音が宇宙全体で調和している)という神秘的な仮説を唱えて、後年、これに着想を得たJ.シュトラウスがワルツ「天体の音楽」を作曲しています。この考え方に影響を受けた古代ギリシャの哲学者・プラトンが音楽は宇宙の調和だけではなく人間の調和も生むという考え方から天文学と共に音楽を重要な学問と位置付けたことにより、後年、音楽がリベラル・アーツの1科に加えられています。なお、リベラル・アーツは古代ギリシャの学問に起源を持ちますが、ローマ帝国がキリスト教を国教に定めると、聖書の読解に必要な学問として「言語」に関連する3科目(文法、修辞学、弁証法)及び宇宙に隠されている神の真理の探究に必要な学問として「数学」に関連する4科目(算術、幾何学、天文学、音楽)の自由7科に整理され、そのうえに哲学及び神学が位置付けられました。その後、ルネサンスの天文学者・ケプラーは惑星運動の三法則(惑星の軌道が真円ではなく、楕円であることなどを発見しています。なお、星々が行きつ戻りつ不思議な動き方をして惑っているように見えることから「惑星」と命名されています。)を発見し、その著書「宇宙の調和」で惑星の動きには音楽的な調和があると主張して惑星の動きを音階にした「惑星の音楽」を創作しています。後年、ヒンデミットは、ケプラーを主人公とする歌劇「世界(宇宙)の調和」を作曲し、その冒頭で「惑星の音楽」から地球の音階を使用していますが、その後、この曲を交響曲「世界(宇宙)の調和」に編曲しています。このように宇宙の万物は数によって規定され、その宇宙を調和させている音楽も数からできていると考えられていたことから、演劇や文学等を扱う「言語」ではなく算術や天文学等を扱う「数学」(但し、未だ自然科学と呼べない自然哲学)の1科と位置付けられました。
 
▼ケプラーが惑星の動きを音階にした「惑星の音楽」
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※左上から順に、土星、木星、火星、地球、金星、水星、月(人間の肉眼で確認できる5つの惑星、地球及び衛星)
 
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▼ルネサンス(近世):宗教と科学・芸術の距離(但し、未だ宗教と未分離)
西洋では、中世の精神革命によって宗教と芸術が結び付いて発展しましたが、十字軍遠征の失敗や宗教革命(聖職者しか理解できないラテン語ではなく民衆が理解できる母国語に翻訳された聖書が民衆に流布される契機となった印刷技術の発明)に伴ってキリスト教会の権威が失墜し、また、十字軍遠征により古代ギリシャからイスラムへ伝わって発展していた自然哲学が西洋に持ち込まれたことで近世のルネサンスが勃興します。ルネサンスでは、「神秘」(神の真理)から「科学」(自然法則の発見)が重視されるようになり、科学と芸術の結び付きが強まりますが、依然として科学的な探究はキリスト教における神の真理を知ることであると考えられており科学的な探究とキリスト教における神の真理との間の整合が求められていたという意味で宗教と科学が未分離の状態にあり、未だ宗教が科学の足枷(例えば、キリスト教の教義では人間が住む地球が宇宙の中心であるという考え方に基づいて天動説(地球中心主義)を採用していましたが、この教義に反して地動説(太陽中心主義)を唱える学者等は異端尋問に掛けられて火刑に処されたなど)になっていました。このような時代の潮流のなかで、ダヴィンチはキリスト教によって禁じられていた解剖学(キリスト教では死者の復活を信じて死体を損傷することを禁じており、そのために火葬ではなく土葬が一般的でした。罪人を火刑に処していたのは死体を損傷して罪人を復活させないためであり、その文脈から罪人の死体に限って解剖も認められていました。キリスト教文化圏でゾンビのような映画の着想が生まれたのも、このような文化的な背景があると思われます。)や光学建築学などを学び、それらの研究成果は西洋絵画の写実性、遠近感や空間表現などに活かされ、その後、カラヴァッジョの光と影を使った明暗法を特徴とする写実主義への流れを作ります。更に、その光の扱いは印象派にも影響を与えています。また、ダヴィンチは機械工学にも精通しており(ヘリコプター印刷機などの原理を発明)、「ヴィオラ・オルガニスタ」(チェンバロのように弦を爪で引っ掻き又はピアノのように弦をハンマーで叩いて音を出すのではなく、オルガンのような動力機構を備えて回転する毛で弦を擦って音を出す楽器)や「機械式自動演奏太鼓」を発明しています。また、ジョルジョ・ヴァザーリ著「芸術家列伝」によれば、ダヴィンチは楽器演奏の名手として即興演奏も行ったそうですが、残念ながら、当時は即興演奏を記譜する習慣がなかったので楽譜は残されていません。上述のとおり、中世には宇宙の調和を生む音楽(教会旋法)と天体を結び付けて捉えており(例えば、ダヴィンチの肖像画「音楽家の肖像」のモデルではないかと言われているルネサンスの音楽家・ガッフーリオの著作「音楽実践」では、ドリア旋法:太陽、ヒポドリア旋法:月、フリギア旋法:火星、ヒポフリギア旋法:水星、リディア旋法:木星、ヒポリディア旋法:金星、ミクソリディア旋法:土星、ヒポミクソリディア旋法:恒星天球(古代ギリシャの仮説の星)と結び付けて解説しているなど)、教会旋法の移旋は天体間の移動を意味しており宇宙の調和に乱すものとして行われてきませんでしたが、ルネサンスの作曲家・ジョスカン・デ・プレは聖歌「深き淵より」(詩篇第130番)でドリア旋法(太陽)からフリギア旋法(火星)への移旋を行って、キリスト教の教義を伝える音楽のための教会旋法(信仰:不動)から人間の情感を表現する音楽のための和声法(情感:流動)へ移行する先鞭となっています。また、過去のブログ記事に書いたとおり、モンテベルディがキリスト教の教義を伝えることよりも人間の情感を表現することを重視してキリスト教会から忌避されていた不協和音の解放に踏み出すなど芸術が宗教の足枷を外す試みが盛んになりました。なお、ルネサンスの哲学者・ベーコンは「知は力なり」という言葉で人間の知性の優位性を説いて近代科学の知識による自然の制御を主張しますが、この背景にはキリスト教的な自然観(例えば、旧約聖書の創世記第1章の26から29及び創世記第9章の1から6など)が色濃く反映されていると言われています。即ち、神は、人間と自然を創造し、人間のみを神の姿に似せたことから、人間のみが神聖性を備え(自然は神聖性を備えていないという意味でアニミズムの否定)、ゆえに人間は自然の一部ではなく自然よりも優位な立場に置かれており、自然を制御(搾取)できるという人間中心主義的な考え方(人間と自然を区分する二元論的な世界観)があり、それが近代科学やアメリカニズムなどにも影響を与えて現代の社会問題を生んでいる遠因になっているのではないかと考えられています。
 
 
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▼科学革命+啓蒙思想(近代):宗教と科学・芸術の分離
上述のような時代の潮流を受けて、キリスト教の教義が宇宙を含む全世界の規範であるという考え方(聖書に記されている神の言葉を真理の根拠とする態度:スコラ哲学)に対し、科学と宗教を分離するべきであるという立場から科学も宗教の足枷を外す試み(自然の観察や実験の結果を真理の根拠とする態度:自然科学)が活発となり、1543年、コペルニクスは著書「天球の回転について」でキリスト教の教義に反する地動説を発表します。その後、ガレリイが望遠鏡を使った天体観測によって地動説の正しさを実証しますが、ガレリイはキリスト教会の異端審問で有罪判決(但し、1983年にローマ教皇庁が無罪判決に変更)を下されて地動説の撤回を宣誓させられたうえ、軟禁生活を強いられました。また、1687年、ニュートンはケプラーが発見した惑星運動の三法則を科学的に説明するために著書「プリンキピア」で運動の三法則や万有引力の法則などニュートン力学(古典物理学)を発表したことなどが契機となって実証主義による近代科学の礎となる第一次科学革命が興り、後年、第二次科学革命と言われる相対性理論や量子力学など現代物理学へと飛躍的に発展します。それまで真理は神に属するもの(聖域)として聖職者のみが独占してきましたが(「神-人間-自然」という神聖な三項関係)、真理は人間に属するものとして誰もが取り扱うことができるもの(「人間-自然」という世俗的な二項関係)へと変化しました。このような科学革命を契機として近代科学及び近代哲学(自然観察から自然の法則性を発見し、その知識を使って自然を支配するという帰納法的な考え方を示したベーコンの経験論や、自然は一定の法則性に従って動いている機械のようなもの(機械論的自然観)であって、人間が制御(搾取)できるという演繹法的な考え方を示したデカルトの合理論)が確立し、宗教権威による封建社会を背景としてキリスト教的な世界観を妄信していた人々に自然科学に基づく真理を教えて知的に解放することで、人間、社会や国家のあり方を根底から問い直すという啓蒙思想が生まれ、市民革命の原動力となりました。やがて啓蒙思想の影響による自然科学の普及に伴って科学と宗教が分離され、科学が宗教の足枷から解放されます。例えば、上述のとおりキリスト教の教義では神は人間のみを神の姿に似せたということになっていますが、ダーウィンは著書「種の起源」で生物は環境に適応して進化する生物であるという学説(進化論)を提唱し、人間と猿が同祖同根であることを解明してキリスト教の教義と真正面から衝突しています。このように、歴史上、何度も繰り返されているイノベーションによるパラダイムシフトによって芸術も大きく変容しています。例えば、精神革命を契機として宗教と芸術が結び付き、ローマ帝国によるキリスト教の国教化に伴って旧約聖書の詩編の朗誦が聖歌へと発展しましたが、西暦6世紀頃にローマ法王グレゴリウス1世がそれらの聖歌をまとめてグレゴリオ聖歌を編纂し、これに基づいて教会旋法が整備されたことによりキリスト教会の権威が強められています。当初、グレゴリオ聖歌は単旋律(モノフォニー)で歌われていましたが(単旋律:神-人間の二項関係を音楽的に反映)、西暦9世紀頃にキリスト教会の残響が音楽に深みや厚みなどを増す効果があることを発見して多旋律(ポリフォニー)で歌われるようになります(多旋律:神-教会-人間の三項関係を音楽的に反映)。その後、過去のブログ記事で書いたとおり、十字軍遠征の失敗や宗教革命によるキリスト教会の権威失墜に伴うルネサンス勃興や科学革命を背景として、キリスト教の教義(来世)を伝えることよりも、人間の情感(現世)を表現することを重視し、より情感豊かな音楽表現を可能とするために多旋律(ポリフォニー)に楽器の和声伴奏を添える通奏低音が発達します(通奏低音:神の外存性、多旋律:人間の他律的な主体性という音楽構造から神-人間の二項関係を音楽的に反映)。更に、啓蒙思想の影響から宗教と芸術が分離されて宗教曲から世俗曲が中心になると、言葉が聞き取り難い多旋律(ポリフォニー)を使わずに劇的な情感表現を可能にするために楽器の和声伴奏を添える単旋律(ホモフォニー)を使うようになり機能和声が発達します(和音伴奏:神の内在性、旋律:人間の自律的な主体性という音楽構造から神は人間意識に内在(調和)しているという近代的自我(個人主義)の確立=宗教的権威の消化を音楽的に反映)。
 
▼イノベーションと音楽様式の変遷イメージ
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▼産業革命+資本主義(近現代):科学・技術と芸術の結合
19世紀、産業革命及びそれを契機とした資本主義経済の発展に伴って、科学(サイエンス:自然現象の原理等を探求して体系化された理論で、数学・物理学・化学・生物学・天文学等から構成)の知見を社会活動(経済・医療・文化・生活等)に実用化するための技術(テクノロジー:科学理論等を実用化するための方法・手段)の発明や開発が活発になり、これによって技術と芸術が結び付いて今日的な発展の礎となります。第一次科学革命では、ニュートン力学(粒子の物理学)及びファラデーの電磁気学(波の物理学)の発見によって古典物理学が完成します。ファラデーが電磁誘導の原理を発見しますが、これは電動機(モーター:電磁力による回転運動)や発電機(ダイナモ:電気エネルギーの生成)だけではなく(現代の火力発電、水力発電、風力発電又は原子力発電は、ファラデーの電磁誘導の原理が応用されています。)、音を電気的に録音及び再生するための技術(音と電気を相互に変換する技術)にも利用され(ミュージック・コンクレートの流れ)、その後、日本のDENONがデジタル録音機を開発します(電子音楽やテクノポップへの流れ)。因みに、エジソンは難聴であったことからピアノの音を聴き取るためにピアノの蓋に触れてみたところピアノの音が振動として伝わってくることを発見し、その振動を地震計のように記録することやそれを音として再生することができるのではないかと着想して音を機械的に録音及び再生するための円筒式蓄音機を発明して、ブラームスが自作自演した「ハンガリー舞曲第1番」のピアノ演奏を録音したものが世界で最初のレコードと言われています。その後、ベルリナーが音を機械的に録音及び再生するための円盤式蓄音機「グラモフォン」を発明して、後のレコ―ドプレーヤーの原型になりますが(ヒップホップ音楽(スクラッチ)の流れ)、それを製造及び販売するために設立された会社から後のRCA、EMI、DG(ドイツ・グラモフォン)のレーベルが誕生します。また、アメリカの音楽賞「グラミー賞」の名前は円盤式蓄音機「グラモフォン」から採られており、その受賞者に手渡されるトロフィーは円盤式蓄音機「グラモフォン」が象られたものです。また、ファラデーは半導体素材(硫化銀)を発見しましたが、ベル研究所はこれを利用してトランジスタ(半導体、LSI)を発明し、その後、ラジオ、テレビやコンピュータなどへ発展します(DTM、スペクトル音楽の流れ)。なお、過去のブログ記事で第一次世界大戦を契機とするイノベーション(社会体制、価値観や科学技術等の変革)によってクラシック音楽が調性システムから解放されて現代音楽へと発展して行く過程を歴史的に俯瞰したので割愛しますが、現代の社会問題を生んでいる原因について簡単に触れると共に、それらの時代状況を踏まえ、現在、どのようなイノベーション(主に科学技術)が芸術(創造性)に影響を与えようとしているのか時代のトレンドを概観してみたいと思います。
 
 
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▼アメリカニズムの弱体化とネオアメリカニズムの再定義
二度の世界大戦を通して世界経済及び世界秩序の中心がイギリスからアメリカへ移行しますが、これに伴ってアメリカはフォードシステムに象徴される大量生産・大量消費を可能にする製造業中心の産業構造の優位性を活かして世界経済を席捲します。このような時代背景から、ヨーロッパの社会は腐敗した一方でアメリカは「公正」(フェアー)な社会を実現したという優越意識が生まれ、「アメリカニズム」(①文明観:二度の世界大戦でヨーロッパ文明は崩壊したことからアメリカが文明の先導者であるという意識、②宗教観:ヨーロッパではキリスト教が堕落したことからアメリカがキリスト教の伝道者であるという意識、③政治理念:イギリスは貴族社会の伝統からイギリス人と植民地人を差別する不完全な自由しか保障していないが、アメリカは貴族がいない大衆社会であり、完全な「自由」(リベラリズム)と「平等」(デモクラシー)を保障しているという意味で自由の体現者であるという意識)が浸透します。しかし、資本主義経済の成熟に伴うポスト工業化社会(製造業から金融業、情報産業へ産業構造の転換)、ネオリベラリズム(市場原理主義の浸透による経済格差)及びグローバリズム(自由貿易の浸透による新興国の優勢)の影響からアメリカの大衆社会における経済格差が拡大し、白人中間層(大衆)が没落して行きます。このような状況のなか、アメリカのネオリベラリズム(新自由主義)はエリートを優遇し、アメリカのデモクラシー(民主主義)はマイノリティーを保護する一方で白人中間層(大衆)は切り捨てられている実態から白人中間層(大衆)の利益保護を訴えるポピュリズムが台頭し、アメリカンファースト(自国第一主義)に象徴される排外主義・保護主義的な傾向を生んで(連帯から分断へ)、イギリスのEU離脱、岸田内閣の経済政策(分厚い中間層の復活)やフランスの大統領選挙など国によって濃淡はありますが、その傾向は世界的な拡がりを見せています。このようにアメリカニズムが弱体化している隙(アメリカを中心とする世界経済及び世界秩序が動揺している状況)をついてロシアによるウクライナ侵攻が行われたことは象徴的な出来事と言えるかもしれません。もう1つの問題として、上述のとおりキリスト教の人間中心主義的な世界観はベーコンの自然支配の考え方やデカルトの機械的自然観の考え方を生みますが、ヨーロッパではそれらの考え方を背景として自然を支配(搾取)するために科学・技術が発達します(科学革命がヨーロッパにしか発生しなかった理由)。やがて科学・技術の発達に支えられて産業革命が興り資本主義経済が発展しますが、アメリカの大量生産・大量消費を可能にする製造業中心の産業構造とその成長・拡大を支えるために大量の資源が必要となり、上述のとおり人間は自然を支配(搾取)できるという考え方を背景として大規模な環境破壊が進みます。アメリカの大量生産・大量消費を可能にする製造業中心の産業構造は資本主義経済の成功モデルとして日本を含む世界中で模倣され、過去のブログ記事で触れたとおり現在は発展途上国の環境破壊が深刻化しています。なお、この問題は1967年にアメリカ人リン・ホワイトが著書「機械と神」で指摘したことで認識されるようになり、その後、2008年にアメリカで「緑の聖書」が出版されて話題となり、現代の社会問題を踏まえて聖書を読み直す試みが活発になっています。1960年代、アメリカは分散型ネットワーク及びパケット通信という特徴を持ったネットワークであるインターネットを開発して情報革命を先導し、GAFA(アメリカの情報産業を代表するoogle、pple、acebook、mazonの4つの名称の頭文字)に象徴される世界の情報プラットフォームを独占したことで、アメリカニズムに代わるネオアメリカニズムの基盤が整えられ、現代の第二次科学革命(情報革命、AI革命、量子革命、バイオ革命、環境革命まど)でも主導的な立場を確立しています。この点、過去のブログ記事でAI革命や情報革命のうちのメタバース、XRなどについては触れましたので、情報革命のうちのNFTや量子革命などのイノベーション(主に科学技術)がどのように芸術(創造性)に影響を与えようとしているのかごく簡単に概観してみたいと思います。
 
▼芸術(創造性)に影響を及ぼす可能性があるイノベーション(科学技術)
 
▼第二次科学革命(現代):科学・技術と芸術の更新
ルネッサンスの発明の1つとして「遠近法」(中心遠近法、線遠近法)がありますが、その代表作としてダヴィンチの壁画「最後の晩餐」が挙げられます。被写体を1つの絶対的な視点から描き、その視点に向かって遠近線を収斂して行くように構成することで遠近感を表現する技法です。この点、ルネサンスは宗教権威が失墜して絶対王政へ移行した時代であり、神や王を中心にする封建社会を前提とした社会秩序で規律されていましたが、そのような世界観を反映するようにニュートン力学絶対的な時空(全世界を規律する唯一無二の神の視点)を前提として物質現象を説明する古典物理学を大成します。また、上述のとおり音楽ではフィナリスを中心として音楽の途中で移旋や転旋を行わない教会旋法(フィナリスは変わることはなく常に音楽の中心にある神のようなもの:宗教権威)から主音を中心として音楽の途中で移調や転調を行う可能性がある調性音楽(主音は変わる可能性はあるが常に音楽の中心にある王のようなもの:絶対王政)へと変遷します。その後、市民革命や第一次世界大戦により絶対王政が崩壊すると、神や王を中心としない市民社会(大衆社会)を前提とした社会秩序で規律されるようになりましたが(第二次世界大戦は中心のない社会へ脱却できない日本(主権者:天皇)、ドイツ、イタリアによって勃発)、そのような世界観を反映するようにアインシュタインは光速の世界(ファラデーの電磁気学)にはニュートン力学のような絶対的な時空(全世界を規律する唯一無二の神の視点)を前提とする考え方では説明がつかない物質現象が存在することを発見し、「光速度不変の原則」を前提として時空が相対的に伸縮する(即ち、光速の世界では、時空を基準にして光速度が変化することはなく、光速度を基準として時空が変化する)という相対性理論(世界と人の関係を相対的に規律している多種多様な人の視点)を大成します。このような社会体制や科学理論の革新は音楽や美術にも影響を与えており、主音を中心として規律される調性音楽ではなく主音を生まないように全ての音を平等に使う十二音技法による無調音楽(主音を前提とするのではなく、セリー(音列)の相対関係で規律されるもの:市民社会)が誕生し、また、被写体を1つの絶対的な視点から描くのではなく、複数の相対的な視点から見たイメージ(空間の相対化)を描くキュビスムが誕生します。この点、これまではマスメディアを前提として皆が同じ映像(単視点)を共有する均一な視聴体験しかできませんでしたが、今年から本格的に実用化されているスポーツやイヴェント等でのマルチビューイング技術によって、ナノメディアを前提として各人が異なる映像(多視点)を選択する多様な視聴体験が可能になっていることも現代の時代性を象徴していると言えます。アインシュタインのもう1つ大きな功績は光電効果に基づいた光量子仮説で、これによってノーベル物理学賞を受賞しています。それまで光は「波動」であると考えられていましたが、アインシュタインは金属に光を当てると電子を放出する光電効果があり(太陽光発電の技術に応用)、その光の強度を強めても電子の放出速度は変わらず、電子の放出数のみが増加することから、光はその強度に比例したエネルギーを持つ「粒子」(量子とは物質の最小単位でナノ=1mの10億分の1の大きさの素粒子)であるという光量子仮説を発見します。この発見が基礎となって量子力学が発展します。量子は、様々な観測実験から波動として空間に広がっていますが、光を当て観測しようとすると波動が収縮して粒子になることから、量子は波動でもあり粒子でもあるという二重性を帯びた物質であると考えられています。更に、量子に光を当て観測する際、波動のどの部分で粒子に収縮するのかは確率的であり予測することはできない(波動が高い部分で粒子が見つかる確率が高い)と考えられています。上述のとおりキリスト教の世界観は、神は全知全能であって全ての自然現象は神の予定調和であるというものであり、この世界観を反映するように古典物理学では物質の運動は物理法則に従って計算できる(=神の予定調和)という理論です。これに対し、量子力学では上述のとおり量子の状態(波動又は粒子)が確率的なので、全ての自然現象は波動又は粒子が重なり合った状態で存在し(多世界)、それを人間が観測すること(≠  神の予定調和)で、その自然現象が収縮して結果が定まる(多世界の中から1つの世界が選択され、その他の世界は実現しない)という理論であり(多世界不確定性原理)、これまで人類が信じてきた常識が全く通用しない世界観です。これに対し、アインシュタインは「神はサイコロを振らない」という言葉で反論を試みていますが、アインシュタインの死後に発見された直筆の手紙にはキリスト教に対する懐疑的な眼差しを持っていた一方で、スピノザの汎神論(神=自然)を受け入れていたようであり、神=自然が確率的にしか存在し得ない曖昧なものであるという帰結に違和感を感じていたことが窺がえます。このような現代物理学の研究成果は芸術にも反映されています。デスクトップ・ミュージック(DTM)はバイナリビット(「0」又は「1」のいずれか1つのデジタル信号の組合せで処理)で稼働していますが、量子コンピュータは量子ビット(「0」及び「1」の同時に2つのデジタル信号から構成され、2つの量子ビットの組合せにより「00」、「01」、「10」及び「11」と4つのデジタル信号を処理できるので高速処理が可能)で稼働しており、これを利用してアルゴリズム作曲やライブコーディング(プログラムをリアルタイムで実行しながら音楽や映像を即興的に生成するパフォーマンス)などでクオンタム・ミュージック(量子音楽)の可能性が模索されています。例えば、2016年、メゾソプラノのジュリエット・ポーチンが量子コンピュータと共演する興味深い演奏会が開催されており、量子の揺らぎが音楽的に表現されています。また、2017年、世界初の量子力学をテーマにした野外音楽フェス「Quantum2017」が開催され、1つの会場で2つの音楽を重ね合わせて流すことにより量子の世界を表現した音楽が披露されています。また、先日、韓国人作曲家Cansol vs.Raimukunが同人音楽レーベルから量子の世界を表現した「量子力学のためのピアノ協奏曲」(2022年)を発表しています。この点、歴史上、芸術が果してきた社会的な役割の1つとして目に見えないものを表現することで精神世界を拡げ、人類に豊かな芸術体験をもたらしてきた点が挙げられ、かつては神や人間の感情などが音楽の題材となってきましたが、最近では量子の世界(絶対的な視点ではなく相対的な視点によって定まるパラレルワールド)が音楽の題材として取り上げられるようになってきています。さらに、音響ナノテクノロジーの分野では、音楽に合わせて量子(ナノスケールの分子)が整列する現象が確認され、音楽と量子の間に物質的な作用があることが解明さています。これにより音楽療法、ナノテクノロジー(例えば、皮膚の表面に張り付けるナノ膜スピーカやコンプティクスによる多感覚体験など)、バイオテクノロジー、食品化学や材料化学など様々な分野への応用が期待されており、人間の心に働き掛ける音楽から人間の体に直接働き掛ける音楽や人間以外の物に聴かせるための音楽などその性格が拡がりを見せています。また、最近、耳に聞こえる音楽だけではなく耳に聞こえない音楽(周波数、波動や量子場)が心身にどのような影響を与えるのかという「量子場音楽」というジャンルも研究されています。このように量子力学は物理学の分野だけではなく、芸術の分野にも革新的な変化をもたらしています。
 
▼古典物理学と現代物理学の世界観
※一般人の常識的な感覚に一番近いのはニュートン力学の世界観であり、一般人の知性で何とか理解できるのは相対性理論の世界観(光速のように速い世界を説明するための理論)までだと思いますが、ミクロな世界を含む全ての世界の諸現象を最も矛盾なく説明できるのは量子力学の世界観(粒子のように小さい世界を説明するための理論)だと言われています。しかし、未だダークエネルギーなど相対性理論や量子力学でも説明できないものも存在しています。後述の映画「ファーザー」が描いている認知症患者が生きるパラレルワールド(現実と認識の間に差が生まれ、それらを区別することができずに混同して現実と認識が交錯する2つの世界で生きている状態)は単世界で生じていることですが、量子力学の多世界(アナログツイン)を映像的に表現しているようで大変に興味深いものがあります。この点、量子力学の多世界は相互に干渉(交錯)しないと考えられていますが、認知症患者が住むパラレルワールドは人間の存在実感を脅かす恐ろしさがあります。なお、量子力学の多世界(アナログツイン)の世界観は、日本人が原作を書いた映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」などでも描かれていますが、我々の頭の中にある世界観も徐々に更新されて行くのかもしれません。
 
上述のような中心のない相対的な世界観は、情報革命(IT革命)でも特徴的に現れています。上述のとおりファラデーが電磁誘導を発見しますが、それを応用してベル(音の大きさを表すデシベルの名前の由来になっている技術者)が有線通信を発明し、テスラ米国の電気自動車会社の社名の由来になっている技術者)が無線通信を発明します。その後、シャノンがバイナリビットによるデジタル信号を発明し、それを前提にデービスがパケット通信を発明したことにより分散型ネットワークのインターネットが誕生し、情報革命(IT革命)が興ります。過去のブログ記事でメタバース、xRやAIなどについては簡単に触れていますので、最近、話題になっているデジタルコンテンツの流通革命とも言うべき「NFT」について簡単に触れてみたいと思います。NFTは、「NFT」(非代替性トークン:デジタル資産の鑑定書+権利書)及び「ブロックチェーン」(分散台帳:ネットワーク全体で取引記録を監視できる仕組み)によって、デジタル資産の改竄、海賊版売買や二重売買などの不適正な取引を防止できるため、管理者(中心となるもの)を置かずに低コストでデジタル資産のネット取引を安全に行うことができる点に特徴があります。2021年3月にデジタルアーティストのピープルがデジタルアート5000枚をコラージュしたNFTアートが約75億円で落札されたことから世界中に知られるようになり、それ以降、世界中の投資家の過熱からNFTバブルと呼ばれる状況が続いていますが、最近ではNFTアートの二次販売(リセール)の価格が暴落するニュースが出ているなどNFTバブルの崩壊も囁かれています。NFTアートの最も大きな特徴は、オープンなコミュニティーとは別に同好の人々が集って密接に交流するコミュニティーが存在し、NFTアートの評価、アーティストとの交流やアーティストへの支援を行うなどサロン文化の復権(近代の貴族や知識人が主体のサロン文化から現代の大衆が主体のサロン文化へ)とも言える状況が見られる点にあります。キュレーターやギャラリストなどの取引仲介者が存在しないことから、取引仲介者がNFTアートの価値付けを行うのではなく、誰でもNFTアートの価値付けに参加できるため、権威ある機関や批評家だけがトップダウン式にNFTアートの価値を発信するのではなく、コミュニティーがボトムアップ式にNFTアートの価値を発信できる点に魅力があると言われています。このため、NFTアートが高額で売れるアーティストはコミュニティーの運営が上手いという共通の傾向があると言われています。これまでの時代は皆が同じものを視聴して同じように感動する大衆(マス)社会でしたが、これからの時代はNFTアートにおけるサロン文化の復権に象徴されるようにコミュニティーが多様化及び細分化されて個々人の相対的な価値基準でNFTアートの価値を評価する小衆(ナノ)社会になってきています。その意味では、例えば、コンクールのような絶対的な価値基準を設けて優劣を判断する近代的な意味での権威付けは、益々、その存在意義を失って行くのだろうと思います。現在、NFTアートは、美術作品が主流ですが、徐々に、それ以外の作品も取引されるようになっています。例えば、バレエヴォーカルユニット「POiNT」はバレエ及びヴォーカルのパフォーマンスを収録したNFTアートを販売していますが、「NFTはバーチャルな人間関係にリアルな実感を与えてくる」という特性があることから、NFTアートの制作へのコミュニティーの意見反映、ライブ配信中にQRコードを表示してNFTアートのプレゼント、NFTゲーム「クリプトスペルズ」で使えるNFTアートの販売など、コミュニティーの運営が非常に上手く参加型の芸術体験を演出している成功事例としても注目しています。さらに、ダラス交響楽団は、コロナ禍で影響を受けているメトロポリタン・オペラ管弦楽団を支援するために特別演奏会の動画やその他の特典映像などを収録したNFTを販売していますが(サブスクが大衆(マス)社会を前提として音楽を所有することなく消費するものという位置付けに対し、NFTは小衆(ナノ)社会を前提として再び音楽を所有するものという位置付け)、NFTはクラウドファンディングのような単発的に支援ではなくコミュニティーを基盤として中長期的な視点で文化芸術やアーティストを育んで行くための継続的な支援が可能であるという意味で(NFTは音楽を所有することに留まらず、その価値を高めて行くこともできるコンピテンシー性の高いもの)、その意義は大きいものと期待しています。この点、先日、ウクライナ政府は、ウクライナ侵攻の真実とウクライナの文化芸術をNFTのブロックチェーンに永久に記録すると共に、ウクライナ侵攻とその後の復興に資するための資金を調達する目的としてNFTメタバースで「MetaHistory NFT Museum」を開始しており、世界中から注目されています。ロシアでは有能なIT技術者や芸術家などの国外脱出が増えているそうですが、未来に開かれたウクライナの生き方と過去に閉ざされたロシアの生き方の対照的な姿が印象深く映ります。現在、NATOは、権威主義の脅威に対する加盟国の防衛の観点から科学技術分野のクロスオーバーとも言えるEDTmerging and isruptive echnologies)の重要性を指摘しています。この点、過去のブログ記事で文化芸術分野のクロスオーバーについて触れましたが、第二次科学革命を背景としてメタバース、xRやAIなどデジタルツインの世界に更新されてようとしているなか、NFTの特性を活かしたデジタルコンヴァージェンスによって、新しい芸術体験を提供してくれるNFTアートが生まれてくることを期待したいです。最後に、光が強ければ影を濃くするのは道理ですが、科学技術が破壊や侵奪のためではなく人類の創造的な営為や持続可能な発展などのために活かされることを願って止みません。この点、アインシュタインの特殊相対性理論は、原子力発電の開発だけではなく原子爆弾の開発にも利用されていますが、晩年、アインシュタインは「I made one great mistake in my life when I signed the letter to President Roosevelt recommending that atom bombs be made.」という後悔の言葉を残しています。現在、ロシアや北朝鮮(中国と併せて、未だ中心のない世界へと脱却できない国々)が核兵器使用の可能性を盾にして国際社会を恫喝していますが、ウクライナ侵攻を含めて核の傘が権威主義による暴力の隠れ蓑として利用されています。アインシュタインは「Science without religion is lame, Religion without science is blind.」 という言葉も残しており、科学信仰の危さを看破していましたが、それを補うものとして人間の情操に働き掛ける芸術の存在意義が益々増していると言えるかもしれません。
 
 
◆おまけ
上記のブログ記事に因んでパラレルワールドを描いた映画で使用されているバロック音楽と、ウクライナとは対照的にソビエト連邦の崩壊に伴ってEU及びNATOに加盟しているバルト三国の現代作曲家の作品をご紹介します。なお、今回のウクライナ侵攻の契機となったマイダン革命で権威主義への抵抗のシンボルになった一台のピアノを巡る物語を扱ったドキュメンタリー映画「PIANO」が公開される予定です。
 
 
パーセルのオペラ「アーサー王、またはイギリスの偉人」(1691年)より第3幕第2場のバスアリア「汝は如何なる力か」(通称コールドソング)をお聴き下さい。この曲は映画「ファーザー」の冒頭でアンソニー・ホプキンスが演じる認知症の老人が聴いている音楽(実際にはラジオから流れている音楽をヘッドフォンで聴いていると倒錯)として使われていますが、認知症患者が迷い込む現実と幻覚が交錯したアナログツイン(アナログなリアル空間とアナログなバーチャル空間のパラレルワールド)の世界を見事に描いています。過去のブログ記事で触れたポスト・クラシカルを代表する1人、ルドヴィコ・エイナウディがこの映画の音楽を担当しています。
 
アルヴォ・ペルトの「マニフィカト」(1989年)をお聴き下さい。ソビエト連邦から独立してEU及びNATOへ加盟しているエストニア出身のペルト(1935~)はミニマリズム楽派に分類されている現代音楽家で、この曲はペルトのティンティナブリ様式の特徴を持った人気曲です。このティンティナブリ様式を逆手にとり初音ミクに歌わせることでエルドリッチな雰囲気を醸し出す興味深い動画もアップされています。
 
ペトリス・ヴァスクスの「沈黙の果実」(2013年)をお聴き下さい。ソビエト連邦から独立してEU及びNATOへ加盟しているラトビア出身のヴァスクス(1946~)は同郷のギンドン・クレーメルに作品を採り上げられて有名になった現代音楽家です。この曲はマザー・テレサの祈りの言葉「沈黙の果実は祈りである、祈りの果実は信仰である、信仰の果実は愛である、愛の果実は奉仕である、奉仕の果実は平和である。」に音楽を付した合唱曲です。
 
ヴィータウタス・バルカウスカスの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ作品12」(1967年)をお聴き下さい。ソビエト連邦から独立してEU及びNATOへ加盟しているリトアニア出身のバルカウスカス(~2020年)はリトアニアを代表する現代作曲家で、この曲は現代のヴァイオリニストにとって重要なレパートリーの1つになっています。リトアニアは映画「杉原千畝 スギハラチウネ」(日本のシンドラー)の舞台となった場所ですが、現在、ウクライナの人々にも「命のビザ」(人道支援)が必要とされています。
 
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イギリス人でパヴァオ弦楽四重奏団のメンバーであるヴァイオリニストのケレンザ・ピーコックの呼び掛けで、ウクライナの音楽家に対する人道支援(募金)を募るために世界中のヴァイオリニストによる弦楽合奏の動画が公開されています。現在、この動画には日本人から相曽賢一朗(ヴァイオリニスト&アメリカ音大で後進指導)、浅見善之(東フィル)、川見優子(マレーシアフィル)が参加しています。

Jazz文楽「涅槃に行った猫」✕人形メディア学とオペラ「ホフマン物語」✕人工生命学とキズナアイ<STOP WAR IN UKRAINE>

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去る3月3日は上巳の節句(俗に桃の節句)でした。日本では、女児の健康な成長と幸福を祈って「立春」(2022年2月4日)から「啓蟄」(2022年3月5日)まで「雛人形」を飾る風習がありますが、日本の人形文化とお釈迦様の命日(3月15日)に因んでJazz、ミュージカル、伝統邦楽及び文楽を融合したJazz文楽「涅槃に行った猫」を鑑賞しましたので、その感想を簡単に残しておきたいと思います。日本の人形文化は歴史が古く、縄文時代から「土偶信仰」(人形の土偶を神の依り代と捉え、地母神として崇める風習)があり、中国から「上巳の節句」(3月上巳の季節の節目に水辺で心身を清める風習)が伝来すると、奈良時代の「身代信仰」(藁や紙で作った人形に災厄を移し、それを川に流して厄払いする風習)へと発展します(祈りのための人形)。その後、平安時代には貴族の子女が紙の人形を飾り遊ぶ「ひいな遊び」が流行し、その様子が「源氏物語」や「枕草子」にも登場しています(遊びのための人形)。
 
源氏物語第十二帖「須磨」/第二段「上巳の祓と嵐」
弥生の朔日に出で来たる巳の日、(中略)陰陽師召して、祓へせさせたまふ。舟にことことしき人形乗せて流す(後略)
 
源氏物語五帖「若紫」/第5段「翌日、迎えの人々と共に帰京」
(前略)、「いざ、たまへよ。をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に」と、心につくべきことをのたまふけはひの、いとなつかしきを、幼き心地にも、いといたう怖ぢず(後略)
 
◆枕草紙第二七段「過ぎにし方恋しきもの」
過ぎにし方恋しきもの。枯れたる葵。雛あそびの調度。(後略)
 
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平安時代(1087年)に大江匡房著「傀儡子記」には、大陸から渡来したジプシーが芸能で生計を営む集団になり、その一部は寺社に抱えられた日本初の職業芸能人になっていた様子が記されています。とりわけ西宮神社に散所民(労務を提供する代わりに年貢が免除された浮浪生活者)として抱えられていた人形遣いのことを「傀儡子」(傀儡とは操り人形のことで、傀儡政権の語源になっています。)と呼び、西宮神社の神事として戎(えびす)舞等を演じていましたが、それが全国に広がり人形芝居として発展します(鑑賞のための人形)。なお、西宮神社には傀儡子の始祖とされる百太夫を祀る百太夫神社があり、2003年から世界無形資産に指定されている人形浄瑠璃文楽)発祥の地と言われています。女性の傀儡子は傀儡女と呼ばれ、歌や売春を生業としていましたが(芸者の祖先)、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場している後白河天皇(法皇)は傀儡子等によって歌われている流行歌(今様)を集めた歌謡集「梁塵秘抄」を編纂しています。その後、盲僧琵琶の影響から琵琶法師が琵琶の伴奏に合わせて平家物語を物語る「平曲」が流行し、平家物語以外にも題材を求めるようになりますが、やがて琵琶法師が琵琶の伴奏によって独特の節回しで語る浄瑠璃姫物語源義経浄瑠璃姫の悲恋物語)が評判となり、その独特の節回しのことを浄瑠璃姫物語に因んで浄瑠璃(節)と呼ぶようになります。なお、浄瑠璃という言葉は、宗長日記連歌師、宗祇の弟子・宗長が1531年に記した日記)において座頭に浄瑠璃を歌わせたという記録が最古のものと言われいます。浄瑠璃という言葉は、宝石サファイアのことをサンスクリット語で「ヴァイドゥーリヤ」と呼ぶことから、その響きを真似て吠瑠璃(べい(←ヴァイ)るり(←ドゥーリヤ))と呼ぶようになって、それが浄瑠璃(じょうるり)に変化して生まれたものと言われています。やがて沢住検校が浄瑠璃を琵琶ではなく三味線の伴奏で語るようになり、浄瑠璃語りのこと「太夫」と呼ぶようになります。なお、「太夫」とは、芸能や儀式を司る中国の官位のことで、点がつく「太夫」は芸名に使い、点がつかない「大夫」は個人名に使うという伝統がありました。その後、1953年に「太夫」という芸名が「大夫」に改められましたが、2016年に「太夫」という芸名を使う伝統が復活しています。江戸時代、西宮神社に抱えられていた傀儡子が人形芝居と浄瑠璃を融合して人形浄瑠璃が確立しますが、1614年に京都御所西宮神社の夷舁き(傀儡子)が「阿弥陀胸切」という人形浄瑠璃を上演したのが最古の記録と言われています。江戸時代になると世は泰平に定まり庶民が遊興を求めるなか人形浄瑠璃が評判となり、数多くの流派(古浄瑠璃)が誕生しましたが、やがて生来の豊かな声質や豪快・明快な語り口の竹本義太夫が現れ、三味線の竹沢権右衛門と組んで人形浄瑠璃の演劇性や娯楽性を増すために抑揚のある情感豊かな節回しや腹の底から搾り出すような唸りなどを特徴とする義太夫節を生み出して人形浄瑠璃を革新し、大阪道頓堀に竹本座を旗揚げすると歌舞伎を凌ぐ人気を博します。1686年、竹本座で近松門左衛門作「出世景淸」を上演すると大盛況を博し、近松門左衛門井原西鶴等の才能豊かな戯作者に恵まれたことや1703年に竹本義太夫の弟子・豊竹若太夫が大坂道頓堀に豊竹座を旗揚げしたことなどにより江戸時代の庶民から圧倒的に支持され、義太夫節浄瑠璃の代名詞になり古浄瑠璃は衰退しました。その後、人形浄瑠璃江戸幕府の倹約政策や度重なる大火等の影響を受けたこと及び才能ある戯作者に恵まれなかったことなどから次第に凋落し、1767年に豊竹座が、1772年に竹本座が相次いで閉座します。この点、世阿弥が「能の本を書く事、この道の命なり」(風姿花伝)と述べていますが、現代のブロードウェイ・ミュージカルを見ても一部の天才的な台本作家による傑作が人気を支えているのが実情であり、どのような芸術表現であっても新しい作品を生み出しながら常に工夫を怠らずに新しい命を吹き込み続けることが肝要なのだろうと思います。そのような状況のなか、淡路島出身の植村文楽軒が大阪道頓堀に浄瑠璃稽古場を開場して人形浄瑠璃の復興に尽くし、1811年に二代目植村文楽軒が難波神社の境内に創座して人形浄瑠璃を復興します。その後、1872年に三代目植村文楽軒が御霊神社の境内に文楽を旗揚げしますが(いつしか人形浄瑠璃のことを文楽と呼ぶようになり、現在では海外でも「BUNRAKU」として親しまれています。)、丁度、2022年は文楽命名150周年にあたることから記念公演等が催されています。現在、浄瑠璃として、豪快な語り口を特徴とする大阪の義太夫節、上品で艶っぽい語り口を特徴とする京都の一中節、豪壮でありながら艶麗な語り口を特徴とする東京の常磐津節、富本節、清元節(以上、豊後三流)、新内節、宮薗節、河東節、荻江節等が伝承されています。
 
人形芝居(平安)+浄瑠璃(鎌倉)=人形浄瑠璃(室町)➟竹本座・豊竹座(義太夫節)(江戸前期)➟文楽座(江戸後期~)
 
①百太夫神社(兵庫県西宮市社家町1
②傀儡師故跡の碑(兵庫県西宮市産所町10
難波神社大阪府大阪市中央区博労町4-1-3
④御霊神社(大阪府大阪市中央区淡路町4-4-3
⑤植村文楽軒の墓(円成院)(大阪府大阪市天王寺区下寺町2-2-30
太夫神社(西宮神社西宮神社の境内にあり、傀儡子の始祖である百太夫を祀る百太夫神社。 傀儡師故跡の碑、百太夫銅像/百太夫神社の旧跡地に傀儡師故跡の碑と百太夫銅像を建立。 稲荷社文楽座跡之碑(難波神社/中興の祖・植村文楽軒が難波神社の境内に創座し人形浄瑠璃を再興。 文楽座之碑(御霊神社)/植村文楽軒が御霊神社の境内に文楽座を旗揚げしてから今年で150年。 初代植村文楽軒の墓(円成院)/初代植村文楽軒(俗名、正井与兵衛)の墓が円城院に安置。
 
 
【題名】涅槃(Ne-han)に行った猫
【演目】Jazz文楽「涅槃に行った猫」
【原作】エリザベス・コーツワース著「The Cat Who Went to Heaven」(1931年ニューベリー文学賞受賞)
【脚本】ナンシー・ハーロウ(ジャズシンガー)
【作詞】ナンシー・ハーロウ(ジャズシンガー)
【作曲】ナンシー・ハーロウ(ジャズシンガー)
【演出】ウィル・ポメランツ
【出演】相模人形芝居 下中座(座長:林美禰子)
    <猫(福)>山木良介、市川博之
    <絵師(竹斎)>岡本恵、平井瑚海、松本日奈子
    <女中(お里)>早野里美、鶴貝壮啓、長嶋緑
    <住職>早野航、金窓裕太朗、高橋克明
    <村人>鈴木このは、松本淑江、斎藤秀子
    <口上>倉橋知温
    <後見>小池洋子、坂井弘美、斎藤秀子、倉橋知温、渡辺千紗
【歌手】<猫(福)>ナンシー・ハーロウ
    <絵師(竹斎)>グラディー・テート
    <女中(お里)>グリル・シャーマン
    <住職>アントン・クルコウスキー
【楽器】<Pf>ケニー・バロン
    <Bs>ジョージ・ムラーツ
    <Dr>デニス・マクレル
    <Tp>クラーク・テリー
    <Tr>ジョン・モスカ
    <Sx>チャールズ・ピロー
    <Sx>フランク・ウェス
    <Sx>チャールズ・ピロー
    <St>マーク・フェルドマン弦楽四重奏団
    <和楽器>ロニー・セルディン、高水睦
    <St>マーク・フェルドマン弦楽四重奏団
【字幕】横山眞理子、加藤美穂
【演目】文楽伽羅先代萩 政岡忠義の段」
【原作】松貫四
【演奏】<太夫>入江敦子
    <三味線>竹本土佐子
【出演】相模人形芝居 下中座(座長:林美禰子)
    <政岡>倉橋知温、坂井弘美、松本日奈子
    <栄御前>早野航、岡本恵、小池洋子
    <八汐>市川博之、山木良介、平井瑚海
    <鶴喜代>鶴貝壮啓
    <千松>高橋克明
    <菓子持ち>長嶋緑
    <口上>三上芳範
    <ツケ>林美禰子
    <後見>岸敏江、早野里美、金窓裕太朗、草柳艶子、鈴木このは、斎藤秀子
【字幕】横山眞理子、加藤美穂
【感想】ネタバレ注意!
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▼第一部:涅槃(Ne-han)に行った猫(英語上演・日本語字幕付き)
原作は、1930年にコーツワースが著した「The Cat Who Went to Heaven」で、  その翌年にアメリカで最も権威がある児童文学賞ニューベリー賞」を受賞しています。この作品は、日本を舞台に涅槃図(入滅されるお釈迦さまの姿を描いた絵画)の作成を依頼された絵師と三毛猫の交流を猫いた物語ですが、コーツワースが京都滞在時に見た京都三大涅槃図の1つである東福寺の大涅槃図(俗に、猫入り涅槃図)に着想を得て創作したものです。通常、涅槃図には猫を描かないのが習わしですが、室町時代に画家・明兆がこの大涅槃図を描いていたところ一匹の猫が運んできた絵具で見事な絵が完成し、そのお礼として猫を描いたといわれており、その希少さから魔除けの猫として縁起が良いものとされています。なお、涅槃図に猫を描かない理由としてお釈迦様の遣いである鼠の天敵であるためであるという説明が一般的ですが、昔のインドには猫が繁殖していなかったことに加えて、日本には中国から仏教が伝来する際に経典を鼠害から守るために猫が船に乗せられてきたことで初めて猫が日本に渡来したと言われており、当時、猫は希少な存在だったので貴族に限り猫の飼育が許され、枕草紙第九段には猫に官位が授与されて女官がつけられていた様子が描かれています。また、過去のブログ記事で触れましたが、源氏物語第35帖「若菜」/第2段「柏木、女三の宮の猫を預る」では猫の鳴き声を「ねう、ねう」と記しており、平安時代の日本人と現代人の日本人では脳が認識する音世界に違いがあることが分かり非常に興味深いです。その後、1602年に徳川家康が鼠害対策として猫の放飼いを奨励したことから徐々に猫が繁殖しますが、それまでは鼠害対策として希少な猫の代わりに猫の絵画が重宝されていたと言われており、涅槃図にも猫を描いて欲しいという注文が増えたというのが実際ではないかと邪推します。なお、今日3月15日(旧暦2月15日)はお釈迦様の命日にあたり、この日に寺社では涅槃会という法要が行われ、寺社が所蔵している涅槃図が公開されます。因みに、マンガ「天才バカボン」バカボンはお釈迦様のことを示す仏教用語「薄伽梵」(サンスクリット語:Bhagavan)が由来になっており、また、「レレレのおじさん」はお釈迦様の弟子・周利槃徳(お釈迦様に言われて毎日掃除に精を出しているうちに「本当に掃き清めるべきなのは自分の心の中の塵なのだ」と悟った弟子で、欧米の学校では子供達が校舎の掃除をしないのに対して日本の学校では子供達が校舎の掃除をする習慣があるのはこの教えに由来しているそうです。)がモデルで、その口癖になっている「タリラ~リララ~ン」はチベットのターラ菩薩の真言だそうです。さらに、バカボンの弟・はじめちゃんは東京大学名誉教授でインド哲学・仏教学者の中村元博士の名前に由来しているそうなので、色々な意味で非常にディープなマンガと言えそうです。(閑話休題)上述のとおり文楽人形浄瑠璃)と言えば、人形芝居と浄瑠璃義太夫節)から構成されていますが、「相模人形芝居」(国指定重要無形民俗文化財)は上方や江戸で流行していた人形浄瑠璃相模国(小田原、足柄、平塚、厚木、座間等)に伝わり民間に広まったもので、浄瑠璃義太夫や三味線)の伝承はなく人形芝居(三人遣い)のみが伝承されているため、文楽興行にあたっては義太夫協会等の協力を仰いでいるそうです。このような相模人形芝居の興行形態から、浄瑠璃に代えてJAZZを採り入れたJAZZ文楽の興行が可能になったものと考えられます。さて、JAZZ文楽「涅槃に行った猫」の感想ですが、ミュージカル公演としての完成度の高さは感じられたものの、(「文楽」と銘打つ限り)文楽公演としては大きな課題感が残るものでした。文楽は、パペット等と比べて一体の人形を3人の人形遣いが操る三人遣いに特徴があり、それによって精妙な人形の仕草が可能となり肌理細やかな心の機微を表現することができる点に大きな魅力がありますが、その反面として、人形遣い(役者の体)、義太夫(役者の声)及び三味線(役者の心)が分業されていることから人形遣い、三味線及び義太夫の息を合せること(三業一体)が求められ、義太夫節は「息で語る」と言われるように義太夫の息と人形遣いの息が合わなければ人形に命が吹き込まれず、また、三味線は「(心)模様を弾く」と言われるように三味線の息と人形遣いの息が合わなければ人形の心が延えません。この公演は、前回のブログ記事で触れたとおりクロスオーバー(ジャンルの越境)という最近の潮流を反映して、(外国の原作を使用するだけではなく)浄瑠璃に代えてJAZZミュージカル(原語上演)を採り入れた人形芝居という野心的な試みですが、単音節の言葉で構成される日本語による「語り」(物語)を主体とした台詞劇に代えて複音節の言葉で構成される英語による「歌」(音楽)を主体とした歌舞劇としたことで、ミュージシャンの息と人形遣いの息を合せることが相当に難しくなってしまっていたように感じられ、また、英語の台詞を日本語に翻訳してディスプレイしている字幕が人形への感情移入を物理的に阻害する要因になっていたことは否めず、人形芝居とJAZZミュージカルを融合するためには音楽語法、人形操法や上演形態など様々な工夫の余地がありそうです。
 
 
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▼第二部:文楽伽羅先代萩 政岡忠義の段」(日本語上演・英語字幕付き)
この演目は、1660年から1671年にかけて仙台藩主・伊達家のお家騒動(伊達騒動)を題材に時代設定を江戸時代から鎌倉時代に置き換えて脚色した歌舞伎「伽羅先代萩」及び歌舞伎「伊達競阿国戯場」を改作し、人形浄瑠璃に仕立てたものです。お家の乗っ取りを企図して幼君・鶴喜代の毒殺を謀る将軍の使者・栄御前(将軍・源頼朝の家臣・梶原景時の妻という設定。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では中村獅童が演じる梶原景時源義経と対立して源頼朝に諫言していますが、既に江戸庶民には源義経に同情する判官贔屓が浸透しており、梶原景時は大悪人という世評が定着していました。)及び奸臣の女中・八汐とその陰謀から幼君を守リ抜く忠臣の乳母・政岡の息詰まる攻防を描いた「竹の間の段」、「御殿の段」及び「政岡忠義の段」が抜粋上演される機会が多い演目です。文楽や歌舞伎では、当時、実際に起こった事件等を題材にして当時の時代性を表現する傑作が数多く生み出されており、「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)という演目名もその題材となっている伊達騒動を意識し、「伽羅」(伽羅は沈香を焚く香木うちでも至宝とされる名木で、幼君・鶴喜代の父のモデル・第4代仙台藩伊達綱宗が伽羅で作った下駄を履いて吉原通いしていたという伝説に由来し、「男伊達」という言葉に端的に現れているとおり江戸庶民にとって「伊達」は男の色香(木)の代名詞でした。)+「先代萩」(萩の枕詞は宮城野=仙台ですが、先代と仙台が掛け言葉になっており先代の花である幼君・鶴喜代が仙台の花である萩に喩えられています。)から命名されています。この公演では「政岡忠義の段」のみが上演されましたが、将軍の使者・栄御前及び奸臣の女中・八汐との攻防のなか気丈に振る舞っていた忠臣の乳母・政岡が人目を忍んで幼君・鶴喜代の身代りとなり死んだ我が子・千松を抱き上げながら、母の顔に戻り、忠義のためとは言え、我が子を死に追い遣ることになった自責の念と自らの目の前で我が子を殺されたやり場のない怒りやこみ上げる悲しみなどが入り乱れる複雑な心情を切々と語るクドキでは、義太夫が声を振り絞るような哀切な語り口で「でかしゃった、でかしゃった、でかしゃった・・・」と政岡が我が子を褒める場面を語り、政岡の身を裂かれるような深い悲しみが情緒纏綿として舞台を覆い涙を誘いました。今日は、コロナ禍でソーシャルディスタンスを確保する必要性から二階席で鑑賞する羽目になり、一応、オペラグラスを持参していきましたが、人形の細かい仕草や表情を見物することが侭ならず非常に勿体ないことをしました。やはり文楽能楽の公演では、オペラや演奏会等とは異なって、人形や能面の表情を窺うために舞台を見上げる1階席(とりわけ文楽では義太夫側の席)での鑑賞が欠かせません。なお、2012年に当時の大阪市長橋本徹が市場原理を導入して文楽協会に対する補助金を削減する方針(即ち、大阪の国立文楽劇場の年間来場者が延べ10万5千人未満になった場合は、約2900万円/年の補助金を不足人数に応じて削減)を公表し、如何にも明治政府の洋化政策やGHQの占領政策の影響を色濃く受けた戦後世代の意見ではありますが「人形劇なのに人形遣いの顔が見えるのは腑に落ちない」「全体として演出やプロデュース不足だ」等の注文を付けて物議を醸したことは記憶に古くありません。この騒動は、文楽協会が補助金の使途を透明化することを条件にして大阪市文楽協会に対する補助金の削減方針を撤回して終息していますが、その後、コロナ禍前の2019年の実績では大阪の国立文楽劇場の年間来場者が延べ10万8千人に対し、大阪市から文楽協会に支給されている補助金は1967万円/年なので、年間来場者数に拘らず、大阪市から文楽協会に対する補助金は大幅に削減されています。この点、東京の国立劇場の年間来場者を加算しても年間来場者は延べ18万4千程度と少なく(天王寺動物園:168万人、東京国立博物館:160万人、江の島水族館:161万人等と比べると桁違い)、橋本徹のやり方は乱暴でしたが、日本の伝統芸能が抱えている問題は数字にも客観的に現れています。現在は社会の変革期(パラダイムシフト)の真只中にあって、その社会に息衝く文化芸術(伝統芸能を含む)も例外なく大きな変化の波に晒されています。歴史を振り返っても文化芸術は常に革新や工夫を続けるなかで新しいものを生み出してきており、文楽も人形芝居と浄瑠璃を融合して生み出され、これに義太夫節などの工夫を加えながら人気を得てきたものです。伝統芸能は完成された表現様式であると言われますが、どんなに完成された表現様式であっても変わらないために変り続ける努力や工夫を怠れば、いつか変り果ててしまいます。その意味で、今回のような相模文楽下中座の意欲的な試みは有意義なものであり、失敗を重ねても変り続ける努力や工夫を怠らない姿勢が重要なのではないかと感じます。この点、歴史上に名を残す偉大な芸術家は、「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」「住する所なきを、まず花と知るべし」(世阿弥)、「完全であること自体が不完全なのだ。」(ホロヴィッツ)、「本流から必ず亜流が出る。しかしその亜流から本流になるものも出る。それが芸術の本質だ。」(立川談志)等と表現こそ違え、皆同じことを言っています。
 
 
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毎年、立春や彼岸になると日本全国で人形供養が行われる風習がありますが、日本の古神道では「万物に神が宿る」という付喪神」信仰があり、日頃から愛用していた道具等にも神が宿っていると考えていたので、その使命を終えた道具等を供養するために埋葬した包丁塚、針塚、文塚や人形塚等が全国各地に存在します。因みに、ゲーム「刀剣乱舞」に登場する刀剣男士は刀剣に宿る「付喪神」が人間の姿に権化したという設定です。なお、キリスト教が布教された後のヨーロッパでは日本の古神道のような万物に神が宿るというアニミズム信仰はなく、また、キリスト教の教義では偶像崇拝が禁じられていましたが、それでも宗教改革前は聖像に霊力が宿ると信じられ、血の涙を流す聖母マリア像を崇敬していましたので、聖像に神性を感じていたことが窺がえます。この点、神道や仏教では人間の本性は肉体、魂、「霊」の三つの部分から成り立っており(三分法)、神とつながる霊性は人間の内側に宿るものという世界観を持っていますが、オーストリアの哲学者・シュタイナーが提唱した霊的宇宙論等によれば、キリスト教では人間の本性は肉体と魂の2つの部分から成っており(ニ分法)、キリスト教の三位一体(父と子と精霊)に象徴されるように、神とつながる霊性は人間の外側にあるものという世界観を持っています。以前のブログ記事でも触れましたが、この背景には、日本は農耕社会(主に神の恵みである作物の収穫を待つ社会)を中心に発展してきたことから肉体を依り代として神霊の憑依を待つ憑依型シャーマニズムが広がり、キリスト教が布教される前のヨーロッパでは狩猟社会(主に神の恵みである獲物を追う社会)を中心に発展してきたことから肉体から魂が離脱して神霊を追う脱魂型シャーマニズムが広がったという歴史的及び文化的な伝統の違いがあるものと思われます。これらのことから、キリスト教が布教された後のヨーロッパでは人形に神が宿る(偶像崇拝)という考え方は好まれず、日本では人形にも神が宿る(偶像崇拝)という考え方が好まれ、それにより人形供養という日本独自の習俗が発展したものと考えられます。このような文化思想的な違いは言葉の面にも表れており、例えば、日本語の「自ら」という言葉には「みずから」(自律、人間)と「おのずから」(他律、自然)という2通りの読み方があります。この点、生老病死に象徴される自然の「おのずから」を起点(自然尊重主義)とすると、これに抗えない人間の「みずから」は自然の「おのずから」の「内」(母性社会:調和の論理)にあるという思想につながります。このことは、日本語の「自分」(みずから)という言葉が「自」(おのずから)+「分」(分けられたもの)から成り立っていることからも伺えます。その一方、人間の「みずから」を起点(人間中心主義)とすると、自然の「おのずから」はあくまでも人間の「みずから」の「外」(父性社会:支配の論理)にあるという思想につながり、これに抗うために科学を発展させてこれをコントロールしようとする発想が生まれます。欧米が新型コロナウィルスのワクチン開発を行えても、日本が新型コロナウィルスのワクチン開発を行えない理由には、日本が基礎技術に弱く革新的な技術開発を不得手としていることに加えて、このような文化思想的な背景(欧米は後者、日本は前者)もあると言えるかもしれません。このことからも、日本では「おのずから」という性格が強い「霊」を内にあるもの(調和)と捉え、西欧では「おのずから」という性格が強い「霊」を外にあるもの(支配)と捉えているのではないかと考えられます。なお、三島由紀夫は「極東の島国である日本にはオリジナルなものは何もない」と看破したうえで、日本には外から採り入れたものを洗練させて新しい価値を加えるメタモーフィズム(変成力)に優れていると語っているとおり(母性社会:調和の論理)、後述のキズナアイを含めて世界から注目されている日本のサブカルチャーも日本のメタモーフィズムから生まれたものと言えます。
 
▼人間の本性と人形の問題との関係性
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月9ドラマ「ミステリと言う勿れ」(フジテレビ系)の主題歌に起用されたKing Gnuの「カメレオン」(MV)ではマリオネット(操り人形)が登場しますが、さながら人形が白いキャンバスであるかのように撲の目に映る君はいつも捉えどころなく色変わりして行くカメレオンのようだという切ない気持ちを歌に込めています。これは人形がそれを見る人間の心理を映し出すメディアとして機能し、その心理と人形の繊細な表情や仕草等が重なることで、あたかも人形に「魂」が宿っているように感じられ、人形が「モノ」(物質、無機、死、俗等)と「魂」(精神、有機、生、聖等)の境界の狭間を揺らぐハイブリットな存在として顕在します。上述の「カメレオン」もアコースティック・サウンドとエレクトリック・サウンドを重ね合わるハイブリットな音楽創りをしており、リアルなアナログ世界とバーチャルなデジタル世界が交錯する現代の時代性を音楽的に表現しているように感じられます。その意味で、人形はそれらの境界の狭間である中間領域(あわい)に属し、人間の精神世界を拡張する機能を担っていると言えそうです。人形の歴史を紐解くと、人形が「遊びのための人形」(例えば、雛遊びという「モノ」と結び付く側面)であると同時に「祈りのための人形」(例えば、女児の健全な育成を祈るための雛人形という「魂」と結び付く側面)である例が多いのは、そのためなのだろうと思われます。この点、人形劇は、人形に「魂」が宿っているように見せるために人間の仕草に似せた精妙な人形操法により人形から「モノ」としての側面を消し去ろうとする試みですが、文楽は人形の三人遣いによる洗練された舞台表現によってこれを高次元で達成しており、後に西洋人形劇の第一人者であるヘンソンが文楽の三人遣いによる精妙な人形操法に感化されて二人以上で人形を操るマペット(マリオネットとパペットを組み合わせた造語)を考案して、これによりセサミストリートディズニー映画「ザ・マペッツ」などが生まれています。先述のオーストリアの哲学者・シュタイナーは、芸術とは感覚で捉えることができる世界における超感覚的世界の表現だと語っていますが、芸術表現等で用いられる人形は、概ね、①誰かの身代りになるもの又は②魂が宿るものに分けられます。前者の例としては先述の源氏物語第十二帖「須磨」/第二段「上巳の祓と嵐」などが挙げられ、後者の例としては映画「ほんとうのピノッキオ」ピノッキオの物語をベースにした映画「A.I.」舞踊「銘作左小刀京人形」などが挙げられます。また、今年、没後200年を迎えた作家・ホフマンの小説「砂男」を原作とするオペラ「ホフマン物語」(第2幕)バレエ「コッペリア」は、主人公が自動人形を人間と思い込んで恋をする話です。オペラ「ホフマン物語」を作曲したオッフェンバックは、この作品について「オペラ・コミック」や「グランドオペラ」など複数の版を残していますが、この作品は主人公の目には「人間のように映る人形」を人間が演じるという点が大きな見所となります。あくまでも「人間のように映る人形」でありながら「魂」は宿っていませんので、人形の「モノ」としての側面を消し去るのではなく、逆に、それをどのように舞台表現に取り込むのかが重要になります。この点、オッフェンバックは、コロラトゥーラ・ソプラノによる超絶技巧を「人間のように映る人形」に歌わせて、その発声のぎこちなさやその人間離れした技巧等により「モノ」としての側面を音楽的に表現することに成功していると思います。
 
 
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2022年2月26日、VTuberの草分け的な存在で日本だけではなく中国、韓国やアメリカなど世界各国に数多くのファンを持つバーチャル・タレント「キズナアイ(Kizuna AI)」がスーパーAIへアップデートするために無期限の活動休止(スリープ)状態に入りました。キズナアイには「中の人」(「魂」とも呼ばれています)と言われる声優・春日望のボイス・データ、モーション・データやその他のパーソナリティ・データ等が組み込まれていますが、人気を博するにつれ、声優・春日望以外の人のデータ等も組み込まれるようになったことで、キズナアイのキャラクターの統一感が保てなくなったことも活動休止の伏線になったのではないかと噂されています。この点、バーチャル・アイドルの元祖であるバーチャル・シンガー「初音ミク」とは、その性格が大きく異なっています。
 
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初音ミクは、リアル空間(三次元)に存在する人間とバーチャル空間(二次元)に電子メディアを媒介して存在するアバターが次元を超えて関係性を構築することを可能とし、人間の精神世界のみならず肉体世界をも拡張する機能を担っている点が革新的であると言えます。ご案内のとおり、初音ミクは、ユーザーが音声合成ソフトを使って歌を作成し、これにキャラクターを付与してユーザーだけの初音ミクを育成するもので、ユーザーは育ての親となり、多種多様な初音ミクがパフォーマンスを披露します。初音ミクは日本で開発されたバーチャル・アイドル(ソフトウェア)ですが、義太夫の語り及び三味線の演奏に合わせて人形遣いが人形を操ることで人形に「魂」が宿る文楽の舞台表現に影響を受けており、文楽よろしく、ユーザー(人形遣い)が自分で作成した歌に合わせて初音ミク(人形)を調教(稽古)し、これを操ることで初音ミク(人形)に「魂」が宿る舞台(バーチャルなコミュニティー)表現と言えます。これに対し、キズナアイには「中の人」のパーソナリティ・データが組み込まれ、そのキャラクターが確立している唯一無二の存在としてのキズナアイが圧倒的な支持を受けており、上述のとおり多種多様なキャラクターのキズナアイの存在(上述のカメレオン)は受容されず、それを見る人間の心理を映し出すメディア(上述の白いキャンバスたる人形)にはなり得ません。この点、人形劇は、上述のとおり人形に「魂」が宿っているように見せるために人間の仕草に似せた精妙な人形操法によって人形から「モノ」としての側面を消し去ろうとする試みですが、もはやキズナアイは「モノ」としての側面を超越した人工生命とも言うべき存在であり、人形よりも人間に近い存在と言えるかもしれません。伝統的な生物学では、①自己複製、②エネルギー代謝及び③細胞構造(外部との境界を画する構造体)を「生命」の3要件として定義しています。上述のとおり人形は上記①及び②の要件を充足していませんが、物質波理論を前提とすると、アバター有機的生命体とは異なる位相における物質的な現象として上記①乃至③の要件を充足する無機的生命体と解することも不可能ではないのではないかと思われます。最近、有機的生命体を構成する細胞やDNA等の物質そのものに囚われることなく、コンピュータ等から無機的生命体を創り出そうとする試みを通して、その背景にある生命の成り立ちや仕組みなど生命現象の普遍的な原理を探求する「人工生命」(Alife)という研究分野が注目を集めています。人工生命は自律的に進化するメタ的な生命体とも言え、その先駆的な存在としてキズナアイを位置付けることが可能かもしれませんが、現在、人工生命を実現するうえでオープンエンドな進化を創り出すことが大きな課題になっています。最近では、ディープラーニングによる効率的な学習を通して自律的に進化する人工知能(AI)と環境変化に適応して自律的だけではなく他律的にも進化する人工生命(AL)の研究成果を補完的に組み合わせる研究等も盛んになっており、その研究成果は、例えば、映画「ロード・オブ・ザ・リング」のオークの襲撃シーン等にも応用され、CGアニメーションに革命的な変化をもたらしています。もし人工生命が実現すれば、初めて人類は人類以外の知的生命体に接することになりますが、これまで人類が憧憬と畏怖を持って空想していた未知の知的生命体は地球外から来訪するものではなく、人類が創造主となって自ら地球上で創造するものということになるかもしれません。これまで人間が想像力を逞しくしていた神秘の世界は、徐々に宗教や芸術の領域から科学の領域へと置き換わろうとしています。
 
 
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ウクライナ人道支援のご案内(~STOP WAR IN UKRAINE~)
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現在、以下の公的機関でウクライナ人道支援を受け付けています。
 
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全ての人々の平和を祈りつつ、ムゾルフスキーのピアノ組曲展覧会の絵」より「キーウの大門」ジョージア(グルジア)人ピアニスト・ブニアティシヴィリの演奏でお聴き下さい。2008年にロシアは新ロシア派を支援する名目でNATO加盟を模索するジョージアグルジア)に侵攻していますが、今回のウクライナ侵攻も同じ構図です。
 
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ロシア人作曲家・リャプノフがウクライナ民謡を主題にしたピアノと管弦楽のための「ウクライナの主題による狂詩曲」日本人ピアニスト・丹千尋による演奏でお聴き下さい。キエフバレエで有名な芸術の都・ウクライナは、プロコフィエフスクリャービンホロビッツリヒテル、ギレリス、オイストラフ、スターン等の巨匠を輩出しています。
 
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ロシア人作曲家・リャプノフと同時代に活躍したウクライナ人作曲家・ルイセンコのピアノのための「ウクライナの主題による組曲(Op.2)をウクライナ人ピアニスト・シェレストの演奏でお聴き下さい。なお、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者ペトレンコ(ロシア人)がロシアによるウクライナ侵攻に抗議することを表明しています。
 
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ソビエト連邦が崩壊した翌年の1992年に、ウクライナを代表する現代音楽家・スコリークが米国で作曲した二連祭壇画のための弦楽四重奏曲をVn:ヴォルコヴァ(ロシア)、Vn:オレクサンドラ(ウクライナ)、Va:エリザヴェータ(ロシア)、Cel:コベキナ(ロシア)の演奏でお聴き下さい。スコークは映画音楽でも数多くの作品を残しています。

映画「ミュジコフィリア」(現代音楽)とMETA歌舞伎

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本日2月10日は「2()10(るー)」にかけて「フルートの日」だそうですが、日本人はフリーダイヤル、車のナンバー、日付や年号などの数字と言葉の「語呂」を合せること(駄洒落)が大好きな民族です。「語呂」の語源は、雅楽で楽曲の調子(「律呂」)が合わないことを「呂律(ろれつ)が回らない」と言ったことから、それに倣って言葉の調子を「語呂」、また、言葉の調子が合わずにはっきりとしないことを「ろれつが回らない」と言うようになったと言われています。調子(音階)は音律(音高)で構成されていますが、世界最古の音律は、紀元前582年頃に古代ギリシャで考案されたピタゴラス音律ではなく、紀元前2697年頃に中国の黄帝が楽人・伶倫に命じて作らせた音律であり(「呂氏春秋」より)、後に、それが日本へと伝来しています。なお、日本には、数字の読み方として、日本古来の倭語(大和言葉)である「ひ、、み、よ、い、な、や、こ、」(訓読み)と中国から伝来した漢語である「いち、に、さん、し(「よん」は訓読み)、ご、ろく、しち(「なな」は訓読み)、はち、きゅう、じゅう」(音読み)の2種類がありますが、最近では前者の数字の読み方は廃れ、僅かに語呂合わせのために使用されています。因みに、数字の「0」(ゼロ、零)という概念は仏教思想の「空」を意味するものとして7世紀にインドで発明されますが、後に、それがヨーロッパへと伝わり、コンピュータで使用されるデジタル信号(「0」「1」)など現代の科学技術の発展にとって「0」は必要不可欠な概念になっています。厳密には同じ「0」でも、「ゼロ」は完全に無いこと、「零(れい)」は極僅かしか無いことを意味しており、必ず、気象予報士は「0%」を「ゼロパーセント」ではなく「れいパーセント」と言うそうです。ところで、語呂合わせは日本だけのお家芸という訳ではなく外国でも使われているものですが、例えば、アメリカのフリーダイヤル番号「1-800-278-478」を覚えるために「1-800-artist」という語呂合わせが考えられます。これはスマホのテンキーに表示されているアルファベットに対応し、このアルファベットのとおりにスマホのテンキーを押すと上記のフリーダイヤルへつながるという仕組みです。また、南北戦争終結した年として1865年を覚えるために「I captured south’s flags.」(南部の旗を奪い取った)という語呂合わせが考えられますが、この文を構成している各単語の文字数(I(1文字) captured(8文字) south’s(6文字) flags(5文字))を並べると1865年になるという仕組みです。アメリカにも日本のような駄洒落はありますが(例えば、「A bicycle can’t stand on its own, because it is too tired(⇔two tyres).」)、英語は日本語のような単音節言語ではなく多音節言語なので、日本語のように音を活かした語呂合わせを作ることは非常に難しく、上記のようなアイディアが生まれたのだろうと思います。
 
 
【監督】谷口正晃
【原作】さそうあきら
【脚本】大野裕之
【撮影】上野彰吾
【美術】金勝浩一
【衣装】宮本茉莉
【録音】小川武
【音楽】池内奏音、植松さやか、大野裕之、古後公隆、小松淳史、橋爪皓佐、長谷川智子、宮ノ原綾音(以上、50音順)、日食なつこ(主題歌の作詞作曲)
【演奏】<Con.>粟辻聡
【出演】<漆原朔>井之脇海(非嫡出子・異母弟)
    <漆原君江>神野三鈴(妾親)
    <貴志野大成>山崎育三郎(嫡出子・異母兄)
    <貴志野龍>石丸幹二(父親)
    <浪花凪>松本穂香(学友)
    <谷崎小夜>川添野愛(学友)
    <青田完一>阿部進之介(学友)
    <椋本美也子>濱田マリ(准教授)
    <その他>辰巳拓郎(教授)、杉本彩(母親)、茂山逸平(学友) 等
【感想】ネタバレ注意!
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先日、架空の国立大学・京都文化芸術大学(これは実在の公立大学京都市立芸術大学がモデル)を舞台に現代音楽の魅力紹介をテーマにした漫画「ミュジコフィリア」を実写化した映画を観てきましたので、その感想を簡単に残したいと思います。なお、現在、京都市立芸術大学では、校舎の老朽化等に伴う大学移転のための寄付金を募っています。「伝統と革新」が息衝く京都にある芸大だけあって、新しいものを生み出すことに熱心な校風の大学なので、芸術の未来に投資してみてはいかがでしょうか。さて、原作は、上述のとおり現代音楽の魅力紹介をテーマにした読み応えのある内容になっていますが、この映画は興行収入を意識して幅広い客層を取り込むことを狙った為なのか、ヒューマンドラマに主眼が置かれ、現代音楽の魅力紹介という意味では若干焦点がぼけてしまっている印象を否めず、原作を読んだ者にとっては些か物足りなさのようなものを感じてしまいます。個人的には、原作のように現代音楽の魅力紹介に主眼を置いた映画作りに徹した方がユニークな映画として話題性を呼んだのではないかと感じています。そうは言っても、この映画では京都市立芸術大学の学生及び卒業生が作曲した現代音楽が使用され(京都文化芸術大学の進級審査会の場面など)、現代音楽の魅力を音として感じることができますので、この映画を観る意義は大きいのではないかと思います。そこで、以下では、映画だけではなく原作も踏まえての感想を残します。原作及び映画は、京都の街の音(日本に独特な音を含む)を音楽で表現したいという想いで貫かれ、音という観点から京都の街の魅力も紹介されています。冒頭の場面では数多くの和歌に詠まれている鴨川(伝統)の上流域を流れる賀茂川賀茂大橋を境にして上流域を賀茂川下流域を鴨川と書きますが、京都市立芸術大学は鴨川河畔へ移転予定です)をショパンの練習曲変イ長調(作品25-1)の副題になっている楽器「エオリアン・ハープ」(自然に吹く風によって音を奏でる楽器)に仕立て賀茂川を渉る風が奏でる音に乗せて、ヴァイオリン、ピアノ、ハーモニック・パイプや民族楽器などが即興演奏する(偶然性の音楽)(革新)という印象的なシーンから始まります。母親がピアニスト、叔父がフルート奏者という音楽一家で育った俳優の井之脇海が演じる漆原朔は、その天賦の才能(共感覚を含む)から京都の街(とりわけ京都の自然)の音を音楽として表現する能力に優れ、京都の池泉廻遊式庭園「無鄰菴」が表現している音の世界(コスモロジー)からインスピレーションを受けてピアノ曲を創作しますが、漆原朔がその曲を演奏しているピアノ(井之脇海の実演)の下から浪花凪が「その場所、知ってるぅ~!」と顔を出す場面で、その非凡な才能が印象的に描かれています。池泉廻遊式庭園「無鄰菴」は、1890年に庭師の七代目小川治兵衛(植治)が作庭した庭園で、琵琶湖疏水を利用して瀬落ちする水音を多彩にデザインし、それまでの「鑑賞する庭園」(静的な芸術体験)から「体感する庭園」(動的な芸術体験)へと庭作りを「革新」します。このような芸術体験の在り方を根本から革新しようとする創作姿勢は、近年の技術革新などを背景として現代の芸術表現の1つの潮流になっているように感じます。原作及び映画では、ジョン・ケージが作曲した「4’33””」が採り上げられていますが、この曲も芸術体験の在り方を根本から革新したものと言えます。ジョン・ケージは、「誠実さをもって何か悲しいものを作曲したにも拘らず、聴衆や批評家がしばしば笑うことに気づいた」という辛い経験を通して「音楽の目的をコミュニケーションだ」とするアカデミックな考え方に疑問を抱くようになり、「音楽の目的とは、分別を持たせ心を落ち着かさえることで、神聖な影響を敏感に受け入れられるようになること」(タブラー奏者のギタ・サラバイ)であって、「芸術家の責任は己の手法でもって自然を模倣すること」(哲学者のアナンダ・クーマラスワミ)であるという考え方に共感し、そこに音楽(作曲)の意義を見い出します(「ジョン・ケージ 作曲家の告白」より)。このような考え方は東洋思想(禅)に影響されたものですが、外から与えられるもの(例えば、神の言葉を通して神と自分とのコミュニケーションにより救いを求めるキリスト教的な考え方など)に依拠するのではなく、内から生じるもの(例えば、自然に身を委ねて自ら悟る禅的な考え方など)に依拠するものであり、静寂に耳を澄まして自らの中に音楽を聴くという意味で(西洋音楽における)芸術体験の在り方を根本から革新する考え方だと思われます。「4’33””」は、「絶対零度(-273.15度)」(物質の熱運動(原子の振動)が完全になくなることはありませんので、上述のとおり「ゼロ」ではなく「零」)を表現しているもの(全てが凍り付いた静寂の世界を黙示するもの)という解説を見かけますが、「科学」(俗)と「宗教」(聖)の境界が曖昧になっている現代の時代性を捉えている曲とも言えそうです。この点、音楽表現において「0」(TACET)の意義を認めないという立場をとれば、「4’33””」は音楽なのかという疑問を惹起し易いと考えられますが、現実世界(現代物理学を含む)と同様に、音楽表現においても「0」(TACET)の意義を認めるという立場をとれば、「4’33””」はTACET(音を出さないこと)という音楽表現を通して聴衆が感じ取る全てものが芸術体験であると捉えることが可能であり、原作及び映画でも同様の考え方に立ってこの曲を採り上げていると思われます。あくまでも、芸術鑑賞は個人的な体験であって「4’33””」を聴いて何を感じるのか否かは人それぞれですが、少なくとも僕はこの曲を聴いてニヤケ笑いしたくなるような感興を生じることはありません。この映画では省略されてしまっていますが、原作では漆原朔が秋吉台現代音楽セミナーに参加する重要な場面があり、ワーグナーのトリスタン和声からシェーンベルクの十二音技法(セリエリズム)へと至る過程で調性の呪縛から音楽が解放され、その後、メシアンブーレーズ、ショトックハウゼンのトータルセリエリズム、リゲティのミクロポリフォニー、ケージの偶然性の音楽、クセナスキの確率音楽、ミュライユのスペクトル音楽など調性システムに依拠しない作曲技法を模索するために生み出された新しいシステムの変遷について概観したうえで、調性システムを使うと「既聴感」のある音楽しか創作できず、如何に「未聴感」のある音楽を創作するのかが現代音楽の課題であることを学びます。この点、過去のブログ記事でも触れているとおり、クラシック音楽(調性音楽)の表現可能性の限界が認識されるなか、第一次世界大戦で中世的な社会体制や価値感などが崩壊し、「昨日までの世界」を表現するためのクラシック音楽(調性音楽)が過去の遺産(伝統)と認識されるようになりますが、リスト、ドビュッシーワーグナーシェーンベルクは音楽表現の可能性を拡げるために調性の呪縛から音楽を解放して、「今日の世界」を表現するための多様な音楽表現が可能となる新しい作曲技法(革新)を模索するようになります。しかし、芸術家に比べてシナプス可塑性の劣る聴衆は新しい音楽表現を理解できず、近代的な商業主義の仕掛けに乗ってクラシック音楽(調性音楽)を演奏する現代の指揮者や演奏者は注目される一方で、現代の作曲家及びその作品は殆ど顧みられないという不幸な状態が続いてきました。過去の偉大な作曲家が残した傑作群が時代の風雪に耐え得る普遍的な価値を有するものであるとしても、いつまでも過去の遺産のみを受容し、新しく生み出される芸術表現を顧みない状態(即ち、過去の遺産だけではシナプス可塑性の活発化が促され難く、脳が十分な報酬を得られない結果として、いずれ脳が過去の遺産に注意を向けなくなる虞がある状態)が続くとすれば、将来に亘ってクラシック音楽界が持続可能なものであり得るのか危惧を覚えます。現在は、映画、TVドラマやゲームなどサブカルチャーの力を借りて聴衆が現代音楽に慣れてきている状況があり、その限りで現代音楽に過剰なアレルギー反応を示す聴衆は少なくなってきているのではないかと思いますので、今こそ、このような不幸な状態を抜け出すための意欲的な取組みに期待したいと思います。なお、現代音楽を採り上げるフェスティバルとして、上述の秋吉台現代音楽セミナーの他にも、ペガサス・コンサート武生国際音楽祭三島現代音楽祭TAma Music and Arts Festival両国アートフェスティバル(両国門天ホール)ミュージック・フロム・ジャパン(於NY)、ボンクリ・フェス等が注目を集めています。また、21世紀音楽の会New Chamber Musicensemble Nostos全音現代音楽シリーズアンサンブル・ノマドアンサンブル・コンテンポラリーα東京シンフォニエッタいずみシンフォニエッタ大阪オーケストラ・ニッポニカ現代奏造Tokyo東京現音計画JFC等の精力的な活動も注目されています。因みに、今月は、2024年の引退を表明し「自分の心が求めるものしか演奏しない」と宣言している指揮者・井上道義クセナキス生誕100年を記念してピアニスト・大井浩明及び東京フィルハーモニー交響楽団との共演によりクセナキス「ピアノ協奏曲第3番(ケクロプス)」(1986)を日本初演しますので、これは聴き逃せません!
 
 
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映画では、山崎育三郎がニヒルに演じる貴志野大成が音大オケを指揮する中で「音楽を汚すな」とオケメンを叱責し、楽譜に忠実な演奏を求める場面が印象的に描かれています。過去のブログ記事でも触れていますが、音楽教育を効率的に行うために楽譜(記譜法)が発明されて後世に音楽を正しく伝えることや第三者が音楽を正しく演奏することが容易になり(作曲家の誕生)、それによって人類は多大な恩恵を享受してきました。この点、古代ギリシャ時代には、未だ楽譜(記譜法)が発明されておらず、音楽は基本的に即興で演奏されていましたが(パロール的文化)、音楽は人間の心を鎮め道徳に働きかける力があると考えられており宗教儀式等でも利用されていたことから神聖視されるようになり、リベラルアーツの自由7科にも挙げられています。その伝統から楽譜が発明されてからは楽譜に記録された音楽が神聖視され(エクリチュール的文化)、やがて楽譜に忠実な演奏のみが真実を語り得るという楽譜至上主義へと先鋭化して行きます。中世には、王侯貴族(上流階級)が社交のためのサロンで音楽をBGM(アソビエント)として利用していましたが、市民革命を経て近代を迎えるとブルジョアジー(市民)が音楽を鑑賞するためのコンサートホールで音楽の聴取に専念するようになり、当時の美学的な潮流等から、娯楽性が高い技巧的で壮麗、華美に彩られたヴィルトゥオーゾ音楽(アドルノの「聴取の類型論」に基づく聴衆7類型のうち、「教養消費者」「情緒的聴取者」「復讐型聴取者」「娯楽型聴取者」が行う「感性的聴取」)ではなく、崇高な理念により構築された偉大な音楽を統一的又は体系的に捉えてその表現意図を解釈する芸術受容の在り方(アドルノの「聴取の類型論」に基づく聴衆7類型のうち、「エキスパート」「良き聴取者」が行う「構造的聴取」)が重視されるようになります。この点、「美学」(英語:Aesthetics)という言葉は「感性」(ギリシャ語:Aisthesis)という言葉を語源としていますが、これは芸術の本質が美(物事の真理を体現する、完全に調和された状態)にあり、その美は感性的に認識されるという考え方が背景にあったと言われています。しかし、西洋では、キリスト教の影響から物事の「本質」(真理、真実)は「知性」(理性)が司る精神的な営みによって捉えられるものであり、それと比べると「感性」(本能)が司る感覚的な営みは劣っているという価値観があり、芸術は美を表現するものであるという近代的な考え方を前提として、その美の本質を理解するためには単に芸術を感覚的に捉える感性だけでは足りず、芸術を統一的又は体系的に捉える知性(精神性)が必要であるという考え方(モダニズム)が生まれます。キリスト教は、二元論的世界観から自然は人間が支配するものであるという人間中心主義的な価値観があり、それを前提として人間が創り出す芸術的な美は自然が創り出す自然的な美よりも優れているという考え方が生まれ(例えば、西洋庭園の幾何学的な人工美など)、美の本質の理解にあたっては感覚的に認識される自然(人間の外界)ではなく、知性的に理解される精神(人間の内面)を重視するようになります。その後、21世紀になると、このような人間中心主義的な芸術観(モダニズム)は限界を迎えて、上述のとおりジョン・ケージが自然尊重主義的な仏教思想に感化されて芸術観を一変したことに象徴されますが、現代のSDGsの取組みのように人間中心主義への反省を背景とした価値観の変化(ポスト・モダニズム)はいち早く芸術表現に表れているのではないかと思います。
 
 
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1980年代頃からポータブル・メディアの登場やインターネットの商用化等を背景として、聴衆が同じ空間で同じ音楽を共有していた音楽受容の在り方が大きく変化します。この点、大量生産という経済モデルが有効に機能していた1980年代頃までは、人々は皆と同じ人生を生きることを余儀なくされる没個性(大衆)的な時代(社会に敷かれたレールを走るエリートと、そこから脱線する不良の2極化を生む規格化された社会)でしたが、社会経済の高度化に伴って人々は皆とは異なる人生を選択できる個性(分衆)的な時代へとシフトします。それまで聴衆はコンサートホール等の非日常的な空間やラジオ等のマスメディアを利用して皆と同じ音楽を聴いてきましたが、カーステレオやウォークマン等のポータブル・メディアの普及によって日常的な空間で皆とは異なる個人の嗜好に合った音楽を聴くようになり(音楽受容のパーソナル化)、大型レコード店等では膨大な商品の中から個人の嗜好に合った商品を選び易くする必要性に迫られてファインダビリティを向上するための音楽ジャンルの細分化が進みます(音楽受容のカタログ化)。さらに、2000年代頃からは、動画配信サービス(YouTubeなど)や音楽配信サービス(iTuneなど)のオンラインサービスの開始及びPCやiPod等のデジタル・メディアの普及によって音楽がインターネットのバーチャル空間を流通するようになりますが(音楽受容のデジタル化)、これにより近代に確立された様々な「境界」が曖昧になって以下に挙げるとおり音楽受容の在り方にも革新的な変化をもたらします。前回のブログ記事で触れたとおり、芸能は神との交信を試みるシャーマニズムから発展し、「聖」(彼岸)と「俗」(此岸)の境界を超えるという神聖な機能を担ってきましたが(例えば、能舞台は彼岸と此岸を越境するための装置として機能するなど)、もともと芸術体験には「境界」を超えるという性質があるのではないかと思われます。
 
①クロスオーバーの潮流(ジャンルの越境)
大型レコード店等のように音楽ジャンルによって売り場が物理的に区分けされるのではなく、動画配信サービス等のように異なるジャンルの音楽に触れ易い環境になるなど音楽受容の在り方が「所有」から「検索」へと変化し、これまで細分化されていた音楽ジャンルの境界(ハイカルチャーサブカルチャーの境界を含む。)を超えてジャンルレスに作品の良し悪しで音楽を受容する傾向が顕著になっています(ジャンルからの解放)。これによりジャンルを越境するクロスオーバーの潮流が生まれ、ジャンルの帰属を判断するための音楽の歴史性や様式性等の要素は重要な意義を失い、音楽受容の多様化を背景として、音楽の目的性や性格性等の要素が重要な意義を持ち始めており、それは現代音楽(現代オペラを含む)を含む全てのジャンルの音楽に当て嵌まることではないかと思います。
 
②クロスオーバーの潮流(メディアの越境)
音楽がデジタル化したことにより、他のメディアとのコラボレーションが容易になったこと及びアナログ・メディア(コンサートホールやラジオ等)の片方向的な音楽受容からデジタル・メディア(インターネット等)の双方向的な音楽受容が可能となったことで、「音楽」(聴取)➟「音楽+映像」(視聴)➟「音楽+映像+ α」(参加)へと音楽受容のスタイルが多様化します(メディアからの解放)。これによりクラシック音楽に象徴されるような「作曲」-「演奏」-「聴取」が完全に分離されている音楽受容のスタイルばかりではなく、聴衆の自己承認要求を満たすような多様な音楽受容のスタイルを許容するミュージキング(例えば、聴衆が音楽を加工すること、聴衆が音楽を演奏すること、聴衆が音楽を演奏する振りをすることや聴衆が音楽付きの動画を制作することなど)等が増加しています。このような潮流は、音楽だけではなく演劇にも見られ、舞台と客席、フィクションとノンフィクション、役者と観客などの境界を曖昧にしたイマーシブシアターという演劇受容のスタイルが注目されており、芸術体験の在り方が根本的に革新されようとしています。
 
③クロスオーバーの潮流(次元の越境)
仮想通貨(電子マネー)やCGを使ったゲーム・映画などが普及するなか、人工知能(AI)、ボーカロイド、Vtuberやメタバース(XR、スマートグラスを含む)などを利用した新しい芸術体験が注目されています(次元の越境)。現実空間と仮想空間を融合することで大掛かりな舞台装置などが不要となるばかりか、現実世界では不可能な舞台表現も可能になるなど新しい芸術体験の可能性を拡げるものと期待されています。なお、先日、史上初となるメタバースを使った歌舞伎公演がオンライン配信されています(後述)。
 
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原作及び映画では、漆原朔が秋吉台現代音楽セミナーに参加して、調性システムを使うと「既聴感」のある音楽(即ち、音の組合せパターン等が限られているので、シナプス可塑性の劣る聴衆にも理解し易いもの)しか創作できず、如何に「未聴感」のある音楽を創作するのかが現代音楽の課題であることを学びますが、現代の作曲家が現代の時代性を表現するための多様な音楽表現が可能となる新しい作曲技法(即ち、音の組合せパターン等が複雑になるので、シナプス可塑性の劣る聴衆には理解し難いもの)を求めるようになった結果、演奏会で採り上げられる曲のうち、存命中の音楽家の曲が占める割合は1918年時点で77%でしたが、1949年時点で18%まで激減し、現在では(クラシック音楽界に限った特徴的な現象として)存命中の音楽家の曲が全く採り上げられない演奏会が珍しくないという異常な状況に陥っています。これまで歴史的な名演、様々な改訂版や秘曲の発掘、ピリオド楽器及び奏法の復活、他のジャンルとのコラボレーションなど聴衆のシナプス可塑性の活発化を促すための様々な工夫が試みられてきましたが、現代の時代性を表現するための新しい芸術表現を次々に生み出すサブカルチャーの台頭に押され、歴史上の偉大な作曲家が残した傑作群のみを対象としている構造的聴取という音楽受容のスタイルだけでは行き詰まりを見せつつあると感じます。この点、上述のとおり音楽受容のスタイルが多様化するのに伴って感性的聴取も見直されるようになり、ジャンルの境界等を越えるクロスオーバーの潮流が本格化するにつれ、2000年代頃からポスト・ロックミニマル・ミュージックやアソビエントの影響等を受けてクラシックのアコースティックな音楽とエレクトロニカ電子音楽)の手法を融合した「ポスト・クラシカル」が誕生し、映像との親和性が高いビジュアルな音楽はヒーリング音楽や映画音楽のような聴き易さもあって、幅広い聴衆から支持されています。このようにポスト・クラシカルは様々なジャンルや潮流を採り入れたブリコラージュ的な性格を持つ音楽であることからクラシック音楽のパンク革命と言われ、注目されています。
 
ポスト・クラシカルの特徴
①聴きやすさ:日常的な空間で聴くための音楽性
エレクトロニカ:電子音を採り入れて拡がりのある音響性
③クロスオーバー:他のジャンルとの融合による多様性
 
【出演】<光源氏中村隼人
    <葵、六条御息所、夕顔>中村壱太郎
    <黒衣、緑衣>中村蝶一郎、中村光
【演出】春虹(中村壱太郎)、西澤千恵、株式会社HERE
【脚本】横手美智子
【振付】我妻徳陽
【音楽】中井智弥(作曲 二十五絃筝)
    大畑理博(挿入歌「源氏の歌」の歌)
    大迫杏子(テーマ曲「光の花」の作曲)
【衣裳】前神光太
【撮影】諸橋和希、松島翔平、江口佑、三好宏弥、岩田将昌
【音響】藤本和徳
【バーチャルプロダクションスタジオ技術】
    高松倫芳、大木遼太、Konstantin Yanchev、稲田明徳、尾崎大輝
【テクニカルディレクター】土井昌徳
【3D背景制作】Sankaku△
【バーチャルセット開発】BASSDRUM
【BGセットアップ】渡邉渉太郎、長澤知宏、佐藤裕将
【CG・システムエンジニア/オペレーター】原田康(huez)
【BG制作進行】吉田華佳
【制作総指揮】井上貴弘、青木崇行
【制作】ミエクル株式会社、松竹株式会社
【感想】ネタバレ注意!
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昨年10月、Facebookが社名をMeta Platformsに変更すると発表しましたが、今後、メタバース(仮想空間)の構築に社運をかけるという意気込みが伝わってきます。松竹もライブビューイングやイマーシブシアターなど新しい芸術体験を提供する試みに意欲的に取り組んでいますが、史上初のメタバースを使った歌舞伎公演「META歌舞伎 Genji Memories」がオンライン配信されたので、心躍る気持ちで視聴することにしました。歌舞伎俳優の演技(現実空間)とCGを使った舞台措置(仮想空間)をリアルタイムで合成して配信することにより、平安時代にタイムスリップしたような没入感のある舞台を楽しむことができます。この作品では、中村隼人光源氏を、また、中村壱太郎が葵の上、六条御息所、夕顔、藤壺(声のみ)、玉鬘(声のみ)の五役を演じ、四季折々の情景に合わせて男女の「出会い」(春)、「恋」(夏)、「衝突」(秋)、「別れ」(冬)をテーマに書き下ろされた台本を使用して台詞劇と歌舞劇から構成された幻想的な舞台です。本番当日の撮影は代官山メタバーススタジオで行われ、CGを使った映画撮影でもお馴染みのグリーンバックを使用し、歌舞伎俳優はCGを使った舞台装置(仮想空間)をモニターで確認しながらグリーンバックで演技する形で進められました。歌舞伎は、日本画の特徴と同じく、三次元の空間を二次元的に見せる舞台に特徴(独特の美意識)がありますが、メタバースを使った歌舞伎公演では逆に奥行きを有効に使うことにより没入感のある舞台、即ち、舞台と客席を隔てるのではなく、その境界を超えて観客が現場で目撃しているような舞台ならではの臨場感のある演出が行われています。2点ほど気になったのはCGを使った舞台措置(仮想空間)が十分に写実的とは言えなかった点(但し、これは上述のとおり歌舞伎の舞台特徴を意識したものである可能性がありますので失当な感想かもしれません。)及び歌舞伎俳優の演技(現実空間)とCGを使った舞台措置(仮想空間)をリアルタイムで合成していたことからその輪郭処理が甘くなってしまった点は今後の課題ではないかと思います。しかし、六条御息所の女の情念が文字として仮想空間に漂う視覚的な演出はメタバースならではの劇的な効果であり、これまでの観劇にはなかった芸術体験として非常に興味深く、今後のメタバースによる舞台表現の深化に期待したいです。なお、メタバースではなく朗読劇(音声のみ)ですが、「META歌舞伎 Genji Memories」の序章・藤壺の章が公開されています。
 
 
◆おまけ
無調の荒野を彷徨うクラヲタを約束の地へと導く西村朗現代の音楽」(NHK-FM)に肖って、ラジオ、演奏会や雑誌等で採り上げられた20世紀後半から21世紀前半までの現代音楽のうち、現代音楽の入門に適していると思われる聴き易い曲を紹介します。
 
グレツキ交響曲第3番(悲歌のシンフォニー)」(1976年)
ミニマル・ミュージックやトーン・クラスター等の影響を受けながらロマン派的な作風に仕上げられた比較的に聴き易い音楽で、全英ヒットチャートで6位にラインクインした異例の経歴を持つ20世紀を代表する交響曲です。クロスボーダーの潮流を受けて、ペンデレツキ@ポーランド国立放送交響楽団がソプラノ独唱に代えて英ロックバンド「ポーティスヘッド」のヴォーカリスト、ベス・ギボンズソリストに迎え、そのソウルフルな歌唱によって祈りの歌詞に新たな生命を吹き込み新境地を開いた名盤をお聴き下さい。
 
シュニトケ「合奏協奏曲第2番」(1982年)
今年最初の「現代の音楽」の放送で採り上げられていたシュニトケシュニトケショスタコーヴィチを影響を受け、その作品を親友のクレーメルらが積極的に録音したことなどにより日本でも広く認知されています。当初、シュニトケは映画音楽の分野で活躍していましたが、その後、芸術音楽(メインカルチャー)と軽音楽(サブカルチャー)の融合を目指して「多様式主義」を確立します。上述のとおりジャンルが細分化していた時代に、今日的なジャンルレスの潮流を先取りしています。
 
★ベリオ「レンダリング」(1990年)
ベリオの「シュマン」(ケルン西ドイツ放送交響楽団)が2021年度レコードアカデミー賞(現代曲部門)を受賞しましたが、ベリオは既成曲の補筆等にも力を入れます。第29回渡邉曉雄音楽基金音楽賞を受賞した鈴木優人が2020年11月の読響定期でベリオの「レンダリング(修復)」を採り上げて話題になりましたが、シューベルト交響曲第10番ニ長調(D.936a)の断章にシューベルトの音楽(19Cの響き)を補筆するのではなく自らの音楽(20Cの響き)を繋ぎ合わせてコラージュ風に修復(レンダリング)しています。
 
★アデス「イン・セブン・デイズ」(2008年)
ラトル@BPOがアデスの作品を積極的に採り上げて注目されるようになり、2018年にMETライブビューイングでアデス「皆殺しの天使」が上演されたことで一気に知名度がアップします。日本では「現代の音楽」のテーマ曲として知られる曲ですが、第29回渡邉曉雄音楽基金音楽賞を受賞した鈴木優人2021年10月の読響定期日本初演しています。この曲は音楽に加えて映像で聖書の天地創造の物語を描いた作品ですが、上述のとおり21世紀年以降の技術革新で音楽は「聴取」するものから「視聴」するものへと変化してきています。
 
★リヒター「November」(2019年) 
ポスト・クラシカルの第一人者であるマックス・リヒターは、ベリオの弟子でピアノアンサンブル「Piano Circus」のメンバーとしても知られています。ポスト・ロックの影響を受け、クラシックのアコースティックな音楽とエレクトロニカ電子音楽)の手法を融合した「BLUE NOTEBOOK」でポスト・クラシカルという言葉を最初に使用した現代作曲家です。ミニマル・ミュージックやアソビエントの要素等を採り入れ、映像との親和性が高く、心象風景を想起させるようなビジュアルな音楽です。
 
やくしまるえつこわたしは人類」(2016年)
人類滅亡後の音楽をコンセプトとして約30憶年前から正息する微生物「シネココッカス」のDNAの塩基配列を使って音楽を制作し、その音楽情報を遺伝子情報へ変換してこの微生物のDNAに組み込み、史上初、音楽配信、CD及び遺伝子組換え微生物という3つの媒体で発表された楽曲「わたしは人類」をお聴き下さい。この曲は世界で最も権威のある国際科学芸術賞「アルス・エレクトロニカ賞」(科学、芸術及びテクノロジーをクロスオーバーさせた作品に贈られる「STARS PRIZE」)を受賞しています。

新年のご挨拶(その②)

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永寿嘉福。2019年12月8日に中国で新型コロナウィルス感染症患者が公式に確認され、2020年3月11日にWHOがパンデミックを宣言しましたが、現在も尚、世界中で新型コロナウィルスの感染が拡大しており、この危機的な状況は足掛け2年に及んでいます。そこで、2022年の年頭にあたってアマビエの御朱印状で定評がある「正福寺」(茨城県笠間市)と「柏神社」(千葉県柏市)へ新型コロナウィルスの終息を祈願すべく参拝しました。なお、正福寺は、神仏習合の名残りからご本尊の千手観音菩薩(仏様)と共に今年の干支である虎(寅)を神使とする毘沙門天(神様)及び疫病退散の守護神である不動明王(神様)が祭られており、その御利益からイラストレーターの相田ゆうりとのコラボレーションで様々な種類のアマビエ御朱印状が授与されているので話題になっています。因みに、正福寺のある茨城県笠間市は「笠間焼」で有名ですが、茨城芸術の森公園の周辺には沢山の窯元があり、笠間焼の小売店や陶芸教室等で賑わっています。笠間焼は、江戸時代に「信楽焼」の陶工の指導を仰いで笠間で開窯したことで誕生しますが、さらに、笠間焼の陶工が益子で開窯したことで「益子焼」が誕生します。信楽焼と言えばタヌキの置物が有名ですが、昭和26年に昭和天皇信楽行幸された際に日の丸の旗を持ったタヌキの置物を沿道に並ばせて奉迎する光景に感激して「をさなどき あつめしからに なつかしも しがらきやきの たぬきをみれば」という和歌を詠んだことから全国に広まったと言われています。そば屋の軒先に信楽焼のタヌキの置物が置かれていますが、「タヌキ」と「他抜き」をかけて「他店をダシ抜く」という商売繁盛の願いが込められているそうです。また、そのタヌキの置物を連想させる俗曲「たんたんたぬきの歌」アメリカのバプテスト教会ロバート・ローリー牧師が作曲した讃美歌「Shall we gather at the river」(聖歌687番、新聖歌475番)の替え歌ですが、原曲の「shall we gather...」という歌詞から商売繁盛(集客)に縁起がある歌とも言われています。
 
①正福寺(茨城県笠間市笠間1056-1
②大石邸跡(茨城県笠間市笠間995
座頭市の碑(笠間つづじ公演)(茨城県笠間市笠間616-7
茨城県陶芸美術館(茨城県笠間市笠間2345
正福寺/この寺院の歴史は古く651年(白雉2年)の創建となり、坂東三十三ケ所の23番札所の名刹です。 正福寺(アマビエ御朱印/様々な種類のアマビエの御朱印状のほか、恋愛成就に御利益のあるハート型の絵馬💛 大石邸跡/浅野家は笠間藩から赤穂藩へ国替えになっていますが、大石内蔵助の祖父の屋敷跡が残されています。 座頭市の碑/映画「座頭市」の主人公・座頭の市は実在した人物ですが、茨城県笠間市の出身と言われています。 茨城芸術の森公園(登り窯関東ローム層から出土する笠間粘土で作られる笠間焼は栃木の益子焼と共に有名です。
⑤柏神社(千葉県柏市柏3-2-2
三保の松原静岡県静岡市清水区三保4045
柏神社/江戸時代に千葉県柏市周辺で流行した疫病退散、厄除けを祈願するために柏神社が創建されました。 柏神社(アマビエ御朱印/疫病退散を祈願するために創建された由緒からアマビエ御朱印状が授与されています。 三保の松原(表富士)/富士山と共に世界文化遺産に登録され、能「羽衣」の舞台となった三保の松原です。 三保の松原(羽衣の松)/地上に舞い降りた天女が羽衣を懸け忘れたとされる羽衣伝説で有名な羽衣の松です。 三保の松原(エレーヌの碑)/能「羽衣」の舞に魅せられたバレリーナ、エレーヌ・ジュグラリスの碑です。
 
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さて、来月2月4日から北京2022冬季オリンピック競技大会が開催されますが、昨年7月23日から8月8日に開催された東京2020夏季オリンピックパラリンピック競技大会はコロナ禍の影響で全く記憶に残らない精彩を欠く大会となってしまったことは残念です。この大会と併せて文化イヴェントも企画され、日本の美を世界へ発信する「日本博」は規模を縮小して開催されていますが、残念ながら国内外から全く注目されていないのが現状です。また、昨年6月6日にフィンランドの現代作曲家であるカイヤ・サーリアホが能「経正」及び能「羽衣」を題材にして作曲したオペラ「Only the Sound Remains-余韻-」日本初演されましたが、(海外での高い評価に比して)あまり日本国内では脚光を浴びていないことは非常に残念でなりません。既に、このオペラはDVDがリリースされていますが、フィリップ・ジャルスキーのカウンターテノール(彼岸、天上界)とダヴォン・タインズのバリトン(此岸、地上界)とが対置され、電子楽器、西洋楽器の特殊奏法や合唱、そしてピーター・セラーズによる光と闇を巧みに利用した演出等によって神秘的で幽玄な世界を織り成す舞台は出色で、ご興味のある方はお年玉で入手されることをお勧めします。ところで、能「羽衣」は、ユネスコ世界無形文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」に登録されている三保の松原を舞台とする羽衣伝説を題材として創作されていますが、フランス人バレリーナエレーヌ・ジュグラリスは舞踊を研究するなかで能「羽衣」の「天女の舞」と巡り合い、その優雅な舞に惚れ込んで自分流に翻案した作品をフランス各地で公演します。しかし、その3ケ月後に羽衣の衣装をまとったまま舞台で倒れ、35歳の若さで夭折しました。能「羽衣」は羽衣を身にまとった天女が優雅な舞を舞って天上界へと帰って行く話ですが、羽衣の衣装をまとったまま夭折(昇天)したエレーヌ・ジュグラリスはさながら現代の天女と言えるかもしれません。エレーヌ・ジュグラリスの夫は、彼女の遺言により彼女の遺髪を持って三保の松原を訪れ、現在、その遺髪を埋めた場所に「エレーヌの碑」が建立されています。因みに、白バラの新品種「エレーヌ・ジュグラリス」は、まるで天女の羽衣のような優美な花びらを特徴としていることから、エレーヌ・ジュグラリスの名前より命名されたものです。このように能楽は、現代作曲家のカイヤ・サーリアホバレリーナのエレーヌ・ジュグラリスだけではなく、劇作家のポール・クローデル(彫刻家のカミーユ・クローデル実弟で、オネゲル作曲「火刑台上のジャンヌ・ダルク」の台本や戯曲「知恵の司、または饗宴の寓話」(能楽からの翻案)等を執筆)、作曲家のベンジャミン・ブリテン(能「隅田川」を題材にしてオペラ「カーリュー・リバー」を作曲)やジョン・ケージ(美術家のマルセル・デュシャンとの共作による能オペラ「邯鄲」を創作)など、少なからず西洋芸術に影響を与えています。能楽は物語、歌、舞踊から構成される総合舞台芸術ですが、基本的に、オペラは歌と舞踊が分業されているのに対し、ミュージカルは歌と舞踊が兼業であることから、シテが歌と舞踊を兼業する能楽は世界最古のミュージカルという性格を有しています。そのような文化的な素地がある日本では、2019年から松竹ブロードウェイシネマが始まり、また、昨年から今年にかけてコロナ禍の巣籠り需要を背景としてミュージカル映画(各種の動画配信サービスや映画館)の公開が目白押しなどミュージカル・ブームと呼べるような状況が続いています。また、日本では漫画、アニメやゲーム等を題材とする2.5次元ミュージカル(宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」が発祥)という独自のジャンルを確立し(この影響から漫画「ONE PIECE」を題材とする歌舞伎も誕生し)、日本における演劇部門の観客総動員数の約6割がミュージカルと言われるほどの盛況になっています。かつてオペラがその時代の時代性を表現する作品を創作してきたように、現代ではミュージカルが現代の時代性を表現するための舞台芸術を力強く牽引する重要な役割を担っており、その影響を受けて映画やゲーム等を題材とする新作オペラも創作されるようになっています。そこで、2022年の年頭にあたり、自分の頭の中を整理する意味で、主要なミュージカル作品をレビューしながら、ざっくりとミュージカルの歴史についてお浚いしておきたいと思います。
 
 
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シャーマニズムと芸能の誕生
古来、人間は、自然の恩恵や脅威等に超自然的な存在を感じて(その脳科学的なメカニズムについては前回のブログ記事を参照)、そこから自然界の万物には超自然的な存在が宿っているというアニミズム思想が芽生えて、やがて特殊な能力を備えたシャーマン(霊媒師等)を介して超自然的な存在との交信を試みるシャーマニズムが誕生します。この点、狩猟民族は大地を移動して獲物を追う生活を基本としていましたが、その獲物にも超自然的な存在が宿っていると考えていたことから、その超自然的な存在との交信を試みるためにシャーマンの身体から魂が離脱し、神霊界を移動して超自然的な存在を追う脱魂型シャーマニズム(宗教儀礼に発展します。このように超自然的な存在(魂)と身体を分離して超自然的な存在(精神=理性、神様)が身体(肉体=本能、人間)を支配しているという考え方は、やがて一神教的な考え方へと結び付いていきます。これに対して、農耕民族は大地を耕作して収穫を待つ生活を基本としていましたが、その収穫物には超自然的な存在が宿ると考えていたことから、その超自然的な存在との交信を試みるためにシャーマンの身体を依り代として超自然的な存在が憑依するのを待つ憑依型シャーマニズム(宗教儀礼が発展します。このように超自然的な存在(魂)と身体を含む自然界の万物とを分離せず超自然的な存在が身体を含む自然界の万物(依り代)に憑依するという考え方は、やがて多神教的な考え方へと結び付きいていきます。その後、これらの宗教儀礼(特に憑依型シャーマニズム)が芸能へと発展し(例えば、古代ギリシャでは大ディオニソス祭から古代ギリシャ劇へ、また、日本では神事から能楽へと発展している事例など)、これが演劇の起源になったと考えられています。因みに、日本の国技である相撲は、元々は農作物の豊凶を占う農耕儀礼として行われていたものであり(「相撲の誕生」)、その名残りとして前回のブログ記事でも書いたとおり相撲の土俵には五穀豊穣を祈念するための四房が飾られています。
 
▼音楽劇の分類と発展
分類 客層 主題 音楽 歌唱法
舞踊
オペラ 宮廷貴族 神聖
世俗
クラシック ベルカント
ドイツ唱法
分業
オペレッタ ブルジョア 世俗

ミュージカル プロレタリア ポピュラー クルーナー
(マイク)
兼業
※日本の音楽劇は、大きく宮廷の雅楽(神聖)、武士の能楽(神聖・世俗)、大衆の歌舞伎(世俗)に分類
※オペラでは歌手とダンサーが分業及び作曲家と編曲家が兼業なのが特徴であるのに対し、ミュージカルでは歌手とダンサーが兼業及び作曲家と編曲家が分業なのが特徴で、歌手とダンサーが兼業の能楽はミュージカルに近く、歌手とダンサーが分業の歌舞伎はオペラやオペレッタに近い特徴を持っています。
 
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▼十字軍遠征の失敗とオペラの誕生(ヨーロッパ内の異文化交流)
さて、古代ギリシャ演劇には、ギリシャ神話を題材として主人公(神様や英雄)の感情を表現する1~3人の俳優とその劇を進行するコロス(合唱、舞踊)が掛け合う音楽劇であるギリシャ悲劇(≒ 日本の能)と、世俗の出来事を題材として世人の言い分を代弁する俳優とこれを俯瞰するコロス(合唱、舞踊)が掛け合う音楽劇であるギリシャ喜劇(≒ 日本の狂言)等が存在しましたが、古代ギリシャローマ帝国によって征服され、キリスト教が国教化されると、キリスト教と相容れないギリシャ神話を題材とするギリシャ悲劇や娯楽的又は批判的な性格を持つギリシャ喜劇はキリスト教会から弾圧され、キリスト教を布教するためのラテン語の音楽劇のみが催されるようになります。その後、十字軍遠征の失敗(映画「キングダム・オブ・ヘブン」キリスト教会の権威が失墜してキリスト教(会)的な価値観に懐疑的な風潮が生まれ、十字軍遠征により古代ギリシャ文化に触れる機会を持ったイタリア人はキリスト教が布教される以前の時代に存在していたギリシャ神話的な価値観を見直すルネサンス運動が勃興します。このようなパラダイムシフト(ルネサンス運動の勃興)を背景として、キリスト教を布教するためのラテン語の音楽劇はイタリア人に理解し難いものであったことから、貴族を中心として音楽家や詩人等から構成される文人グループ(カメラータ)が結成されて古代ギリシャ演劇のコロス(合唱)を復活させる試みが活発になり、その過程でラテン語の音楽劇ではなくイタリア人が理解し易いイタリア語によるモノディー様式(言葉が聞き取り難いポリフォニーの技法を使わず、楽器による伴奏に合わせて言葉を朗唱的に歌うレチタティーヴォ)の音楽劇が創作されてオペラが誕生します。この点、1597年にギリシャ人作曲家のヤコポ・・ペーリが創作したオペラ「ダフネ」(楽譜紛失)が最古のオペラと言われており、これに続く1600年にメディチ家の娘がフランス国王に嫁ぐお祝いの催しとしてイタリア人作家のリヌッチーニとイタリア人作曲家のペーリ及びカッチーニが創作したオペラ「エウリディーチェ」(楽譜現存)が上演され、その後、オペラは宮廷貴族を中心に発展します。過去のブログ記事で触れたとおり、1607年にイタリア人作曲家のモンテベルディが創作したオペラ「オルフェオ」で、劇を進行する朗誦的なレチタティーヴォと主人公の感情を表現する旋律的なアリアから構成され、器楽合奏による伴奏など劇的な音楽表現を採り入れた本格的なオペラが確立し、やがて神話や英雄等を題材とするオペラ・セリア(悲劇)のジャンルを確立します(その後のヴェリズモ・オペラまでの流れは割愛します)。さらに、オペラはイタリアからヨーロッパ諸国へと広がりますが、イタリア以外のヨーロッパ諸国では自国民が理解し難いイタリア語によるオペラ上演ではなく自国語によるオペラ上演を模索するようになります。しかし、当時、イタリア語以外の言語で歌える歌手が十分に育成されておらず、また、イタリア語以外の言語はイタリア語と音韻特性が異なるためにレチタティーヴォを歌い難いという問題が生じました。そこで、フランスでは、1670年にフランス人作家のモリエールとイタリア人作曲家のリュリが創作したオペラ「町人貴族」等に代表されるように、フランス語では歌い難いレチタティーヴォを歌ではなく台詞に置き換えて、その代りにフランス宮廷で流行していた舞踊(バレエ)映画「王は踊る」)を採り入れて劇的な要素を補うコメディ=バレ(舞踊劇)トラジェディ・リリック(叙情悲劇)が誕生し、後にグランド・オペラへと発展します。また、同様にレチタティーヴォ台詞に置き換えて、流行歌や舞踊等を採り入れた風刺喜劇であるヴォードヴィル(これがイギリスのバラッド・オペラ、ドイツのジングシュピールへと承継)やドラマチックな恋愛物語を題材として音楽伴奏等を採り入れた台詞喜劇であるメロドラマが生まれ、後にミュージカルへと発展します。その一方、ドイツでは、フランス人作曲家のラモーによる和声理論の体系化や楽器の発明・改良等の影響から、旋律を重視するオペラよりも和声を重視する器楽曲の創作が活発になりますが、上述の問題に加えて三十年戦争の荒廃等により暫くオペラは普及しませんでした。やがてモーツァルトのオペラ「魔笛」を経て(モーツアルトの妻・コンスタンツェの従弟にあたる)ウェーバーのオペラ「魔弾の射手」でドイツ語の台本を使用してドイツの伝統や文化等に根差したドイツ・オペラを確立します。その後、ラモーの和声理論を発展させて(和声理論の型破り:型があるから型破り、型がなければただの型なし(故・第18代中村勘三郎))、アリアやレチタティーヴォの区別なく無限旋律(旋律の区切りや和声の終止感がなく無限に続いて行く旋律)やライトモティーフ(示導動機)を使って音楽と劇を統合した楽劇が誕生します。因みに、バイロイト祝祭劇場では、観客が舞台に集中できるように、舞台と客席の間を遮らない目的でオーケストラ・ピットが新設され、上演中は客席の照明を暗くするなど、王侯貴族のための社交場から市民のためのオペラ鑑賞に適した劇場へと生まれ変わるべく様々な工夫が講じられ、今日の上演スタイルが確立します。また、イギリスでは、ピューリタン革命(君主制と結び付いたカトリックに対し、プロテスタントが信仰の自由を勝ち取るために君主制から共和制へ移行することに成功した革命)により、人々を堕落させるという理由で音楽等が制約され、その影響から他のヨーロッパ諸国と比べてオペラや器楽曲が発展しませんでした(イギリスに大作曲家が生まれなかった理由)。その後、ピューリタンによる共和制が行き詰まると再び君主制へ移行し、ヘンデルハノーファー選帝侯の宮廷楽長に就任してイタリア・オペラが上演されるようになります。
 
キリスト教宗派と歴史的な芸術嗜好
カトリックは「感じる宗教」、プロテスタントは「考える宗教」と言われますが(但し、近年ではプロテスタントもゴスペルに象徴されるように「感じる宗教」に様変わりしていますが)、その仮定に立ってヨーロッパ諸国の人口に占めるカトリック信者及びプロテスタント信者の割合(参考値)を見ると、カトリック信者の割合が多い国は歴史的に歌曲(歌劇)や舞踊(舞踊劇)など感情に働き掛ける芸術を好む傾向が見られる一方で、プロテスタント信者の割合が多い国は歴史的に器楽や演劇など思索に働き掛ける芸術を好む傾向が見られます。
宗派 性格
カトリック 権威主義 聖書の読解は難しいので、神と人間の間にキリスト教会が介在し、キリスト教の教義をミサ(神父の説教や音楽劇等)で伝える。
プロテスタント 個人主義 聖書を自分なりに読解し、神と人間の間にキリスト教会を介在させずに自ら直接に向き合うことで、主体的に信仰する。
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歴史的な芸術嗜好 キリスト教宗派
音楽 歌曲(歌劇) カトリック:78%
プロテスタント:1%
舞踊(舞踊劇) カトリック:48%
プロテスタント:3%
器楽曲 カトリック:32%
プロテスタント:39%
文学 演劇 カトリック:14%
プロテスタント:51%
 
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▼市民革命とオペレッタの誕生(君主から市民への主役交代)
イギリスでは、再び君主制カトリックが結び付くことを恐れて名誉革命が勃発し、立憲君主制(議会が君主の暴走を抑える君主制と共和制の折衷的な体制)が樹立します。名誉革命で市民の権利意識が目覚めると、イタリア・オペラの貴族趣味に対する反動等を背景として、ゲイのオペラ「乞食オペラ」(三文オペラ)が流行し、ヴォードヴィル(フランス)の英語翻訳等を題材として流行歌(バラッド)を採り入れた風刺喜劇であるバラッド・オペラや既存オペラのパロディー喜劇であるバーレスクが誕生します。また、オペラ・ブッフォ(イタリア)の影響を受けてイギリスのオペレッタであるコミック・オペラ(サヴォイ・オペラ)やミュージカル・コメディ(ミュージカルの語源)が誕生し、ジャポニズムの影響から日本を題材としたコミック・オペラ「ミカド」やミュージカル・コメディ「ゲイシャ」等が創作されます。さらに、流行歌、舞踊や曲芸を上演するムーラン・ルージュ等のミュージック・ホールが流行し、後にこれらはミュージカルへと発展します。イギリス以外のヨーロッパ諸国でも、イギリスの名誉革命を契機として、世俗を題材とする喜劇としてオペラ・ブッファ(イタリア)、オペラ・コミック(フランス)、バラッド・オペラをドイツ語に翻訳したジングシュピール(ドイツ)等の大衆文化が台頭します。その後、アメリカ独立戦争(イギリスの植民地であったアメリカはイギリスの徴税に反発して独立を宣言し、イギリスとアメリカとの間でアメリカの独立を掛けて戦われた戦争/映画「パトリオット」)を契機としてフランス革命(フランスはイギリスの弱体化を狙ってアメリカの独立を支援しますが、それに伴う財政悪化のために免税特権があったフランスの貴族から徴税しようと試みてクーデターが発生し、これに啓蒙思想の影響を受けていた飢餓と重税に苦しむ市民が参加/映画「マリー・アントワネットに別れをつげて」)が勃発し、絶対王政の崩壊(その後の絶対王政の復活を目論んだウィーン体制の崩壊を含む。)を招きます。因みに、フランスは、その動機は純粋ではありませんでしたが、アメリカの独立を支援し、それによって自らも自由を獲得する結果になったという歴史的な因縁があり、その記念としてアメリカ独立の100周年に自由の女神像アメリカへ寄贈しています。フランス革命を契機として王侯貴族に代わってブルジョアが芸術活動を資金的に支援するようになると、それまで王侯貴族に支持されていた貴族趣味のオペラ・セリア(イタリア)やトラジェディ・リリック(フランス)は廃れ、オッフェンバックオペレッタ「地獄のオルフェウス」が流行するなど、大衆の趣味を反映してオペラ・コミックで使用する音楽をクラシック音楽からポピュラー音楽に置き換えた大衆版のオペラ・コミックとしてオペレッタが確立し、やがてワルツや古典舞曲を中心とした音楽からチャルダーシュやジャズ等の多様な音楽を採り入れて大衆的な性格を強め、後にミュージカルへと発展します。因みに、映画の誕生でオペレッタの人気が低迷し、次にテレビの誕生で映画の人気が低迷し、更にインターネットの誕生でテレビの人気が低迷しますが、最近では、コロナ禍の巣籠り需要を背景としてインターネット動画配信サービス等を媒体としたミュージカル映画がブームになっています(後述)。
 
 
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大航海時代とミュージカルの誕生(ヨーロッパとアフリカの異文化交流)
ヨーロッパ諸国では、冷蔵庫がない時代に肉を保存し又は味付けをするために胡椒等の香辛料が重用されましたが、ヨーロッパ諸国の気候では胡椒等の香辛料の原料となる植物が生育し難いことから、羅針盤の発明や造船技術の進歩等により遠洋航海が可能になると、アジア諸国から胡椒等の香辛料を調達するための大航海時代になります。これによりスペインは大西洋を横断してアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化が始まりますが、やがてイギリスが武力でヨーロッパ諸国の植民地であった北アメリカ大陸の大西洋沿岸地域を奪って占領します。その後、イギリスは産業革命による綿花需要の急増等に伴う労働力不足が深刻になり、遠洋航海の途中にあるアフリカ諸国で黒人奴隷を調達して労働力としてアメリカ大陸へ送ります。その後、過去のブログ記事でも触れたとおり、ヨーロッパ諸国の植民地政策(帝国主義)が本格化すると、先進国(イギリス、フランス、イタリア等)と後進国(ドイツ、オーストリアハンガリーオスマントルコ等)との間で第一次世界大戦が勃発して王侯貴族が築き上げた中世的な社会体制や芸術文化(オペラ、オペレッタクラシック音楽等)が荒廃すると共に、その戦費を賄うためのアメリカからの多額なドル借款を契機として世界経済の中心がアメリカへ移り、それに伴って芸術文化の中心もアメリカへ移ります。この点、アメリカは歴史的に王侯貴族が存在しなかったことから、貴族趣味を反映した中世的な芸術文化ではなく大衆の趣味を反映した近代的な芸術文化(ミュージカル、ジャズ音楽、ロック音楽、ラップ音楽等)が発展します。アメリカの南北戦争後に奴隷解放された黒人によりヨーロッパの讃美歌等とアフリカの民族音楽のリズム等を融合したジャズが誕生しますが、第一次世界大戦アメリカからヨーロッパへ派兵された黒人部隊がジャズを演奏したことなどから第一次世界大戦後にジャズがブームになり、1924年にガーシュインがクラシックとジャズを融合した狂詩曲「ラプソディ・イン・ブルー」を創作します。この曲では、ガーシュインがメロディを作曲し、グローフェがそれに基づくオーケストレーションを行いましたが、(クラシック音楽ではメロディの作曲とそれに基づくオーケストレーションは同一人物が行うのが一般的ですが)ミュージカルではメロディの作曲(ソング・ライター)とそれに基づくオーケストレーション(アレンジャー)を別々の人物が行う作曲スタイルの先駆となり、これによって多様なジャンルの音楽をミュージカルに採り入れることが可能になったばかりか、オーケストレーションが不得手でも優れたメロディを作曲できる才能のある者にミュージカル作曲家としての門戸が開かれることになりました。既にアメリカにはヨーロッパからオペレッタ(上述のコミック・オペラ(サヴォイ・オペラ)を含む。)、ヴォードヴィル(上述のバラッド・オペラを含む。)、メロドラマや各種のショー(上述のミュージック・ホールやバーレスクを含む。)等が伝わっており、レビュー(1年の出来事等を題材として歌や踊りを採り入れて回想する風刺劇)やミンストレル・ショー(白人が顔を黒塗りして黒人の真似をするパロディー劇)等の大衆文化が発展していましたが、これらの影響を受けて、1927年にカーンが物語と歌を融合したミュージカル「ショー・ボート」(ミシシッピー川を回遊する興行船でメロドラマ、ミンストル・ショー、ヴォードヴィル等のショーを披露していた芸人達が登場し、その半生や人種問題等を採り上げた深淵な物語とジャズや黒人霊歌等の要素を採り入れた音楽とが一体になって展開する一貫したストーリー性があるブック・ミュージカル)で、アメリカの身近な話題を題材としてジャズ等のポピュラー音楽や社交ダンス、タップダンス等のモダンダンスを採り入れた英語によるアメリカ版のオペレッタとも言い得るミュージカルが誕生します。ブック・ミュージカルの特徴は、その後の「サウンド・オブ・ミュージック」(1952)、「マイ・フェア・レディ」(1956)、「オペラ座の怪人」(1986)等の作品に受け継がれていきます。1929年の世界大恐慌や映画の誕生等によって浮世離れしたオペレッタは廃れますが、ミュージカルはラジオの誕生によりヒット曲の供給源として注目されるようになります。また、トーキー映画の誕生によってミュージカル映画がブームとなり、ブロードウェイ・ミュージカルの舞台が映画化され、また、ハリウッドの映画俳優がブロードウェイ・ミュージカルの舞台に出演する(マイクの使用によって声楽を本格的に学んでいないハリウッドスターもブロードウェイ・ミュージカルの舞台出演が可能)など交流が盛んになります。第二次世界大戦後、1947年にブロードウェイの知名度アップを目的として優れたミュージカル作品に贈られる「トニー賞ony)」(1944年に創設されたドナルドソン賞を承継したもの)が設けられますが、メディアの発達に伴って報道、文学、作曲を対象にした「ピューリッツア賞(ulitzer)」(1903年)、映画を対象にした「アカデミー賞/オスカー(scar)」(1929年)、テレビ番組を対象にした「エミー賞mmy)」(1949年)、音楽を対象にした「グラミー賞rammy)」(1959年)等が設けられ、現在でもPEGOTと呼ばれる5つの賞は世界の芸術文化の最先端の潮流を占う権威ある賞として、その受賞作品に世界中から注目が集まっています。暫くミュージカルはヒット曲の供給源としてヒット曲だけを狙う傾向を強めていましたが、1943年にロジャースが物語と歌とダンスを融合したミュージカル「オクラホマ!」で、単なるヒットを狙った歌やダンスから登場人物の深層心理を表現するための歌やダンスへとミュージカルを深化します。1960年代にジャズが複雑な和声進行を採り入れるなど前衛的な性格を強めると、大衆の趣味との間に乖離が生じるようになり、新しいポピュラー音楽として和声進行を単純化してリズムを強調したロック音楽が誕生します。1967年にマクダモットが物語ではなく音楽を重視して創作したミュージカル「ヘアー」(ベトナム戦争に反対する反戦メッセージとヒッピー文化を題材とした作品で、一貫したストーリーがないブックレス・ミュージカル)で、初めてロック音楽を採り入れてオフ・ブロードウェイ(500席未満の小劇場で、若く無名な芸術家が将来のオン・ブロードウェイの名作となり得る作品を低予算で実験的又は挑戦的に公演し、その才能を開花させるための場としても機能)で人気を得た後、オン・ブロードウェイ(500席以上の大劇場)へと進出します。ブックレス・ミュージカルの特徴は、その後の「シカゴ」(1975)、「コーラスライン」(1975)等の作品に受け継がれていきます。その後、1971年にウェバーがロック音楽を使用して創作したミュージカル「ジーザス・クライス・スーパースター」で、サングスルー様式(ミュージカルの全編が台詞と歌から構成されるオペレッタのような様式ではなく歌のみから構成されるオペラのような様式)を採り入れると共に、スペクタクルな舞台を展開し、その後の「レ・ミゼラブル」(1980)、「キャッツ」(1981)、「オペラ座の怪人」(1986)、「ミス・サイゴン」(1989)(プッチーニのオペラ「蝶々夫人」が題材)等のメガ・ミュージカル(巨大な舞台装置を使う大掛かりな舞台)の潮流を生みます。やがて1990年代にディズニーがミュージカルへ参入し、「美女と野獣」(1994)、「ライオンキング」(1997)、「アイーダ」(2000)(ヴェルディーのオペラ「アイーダ」が題材)、「アナと雪の女王」(2018)等のヒット作品を生みます。さらに、2015年にミランダがラップ音楽(ヒップホップ音楽)を採り入れたミュージカル「ハミルトン」(2015)で、オペラのイタリア語によるレチタティーヴォをミュージカルの英語によるレチタティーヴォとして蘇らせてミュージカルに新風を吹き込みます。2021年にミュージカル映画ムーランルージュ」を舞台化した「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」が第74回トニー賞を受賞しましたが、リメイク・ミュージカル(有名な映画や物語などを舞台ミュージカル化した「ヘアスプレー」(第57回トニー賞)、「バンズ・ヴィジット」(第72回トニー賞)、「ハデスタウン」(第73回トニー賞)など)、ジュークボックス・ミュージカル(既存のヒット曲をつないでミュージカル化した「マンマ・ミーア!」(ABBA)、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」(クイーン)、「ジャージー・ボーイズ」(フランキー・ヴァリフォー・シーズンズ)、「ムーヴィン・アウト Movin’ out」(ビリー・ジョエル)「Beautiful:The Carole King Musical」(キャロル・キング)、「ロック・オブ・エイジズ」(80年代のロックのヒット曲で構成)など)、ディズニー・ミュージカル(ディズニーの長編アニメをミュージカル映画化した「モアナと伝説の海」や「ミラベルと魔法だらけの家」など、実写とアニメを合成してミュージカル映画化した「メリー・ポピンズ」など)や、ミュージカル・シネマ(過去のミュージカル作品へのオマージュで彩られた「ラ・ラ・ランド」(第84回アカデミー賞)、舞台ミュージカル「ディア・エヴァン・ハンセン」(第71回トニー賞)をミュージカル映画化した「ディア・エヴァン・ハンセン」、舞台ミュージカル「イン・ザ・ハイツ」(第62回トニー賞)をミュージカル映画化した「イン・ザ・ハイツ」など)などが注目されています。なお、1961年にシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」を題材にした舞台ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」をミュージカル映画化した「ウェストサイド・ストーリー」(第34回アカデミー賞)は体育館のダンスシーン等のラテン系ジャズ音楽以外はバーンスタインが作曲及び編曲を行い、ロビンズが物語、音楽及びダンスを融合する演出で話題になった不朽の名作ですが、これをスピルバーグ監督がリメイクしたミュージカル映画ウェストサイド・ストーリー」が2022年2月11日に公開されます。また、ロスタンの戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」を題材にしたミュージカル映画シラノ」が2022年2月25日に公開されるなど、ミュージカル・ブームは衰えを知りません。なお、アメリカから器を借りる形にはなりますが、日本でもミュージカル「阿国」、ミュージカル「李香蘭」やミュージカル「はだしのゲン」等の名作が生み出されており、また、上述のとおり日本独自のジャンルである2.5次元ミュージカルが注目を集め、さらに、メタバースを使ったミュージカルが企画され(歌舞伎界でも1月25日からメタバースを使った「META歌舞伎 Genji Memories」の公演が予定)、観客が自らのアバターでミュージカルに出演することができる参加型・体験型のイベントも企画されています。ミュージカルは、現代の時代性を表現できる数少ない芸術表現の1つとして現代人から圧倒的な支持を得ていますが、過去のブログ記事で記載したとおり、これまで白人が独占してきたブロードウェイ・ミュージカルの歌手や作家に有色人種(黒人やアジア人など)を起用する動きが目立ってきており、十字軍遠征の失敗、市民革命、大航海時代産業革命等が新しい芸術文化を育む契機となったように、最近のSDGsの取組みやコロナ禍の体験、AI革命等がどのような新しい芸術文化を育む契機となるのか、その意味からも今後のブロードウェイ・ミュージカルの動向が非常に注目されます。今年の個人的な抱負としては、現代音楽(現代オペラ、ポスト・クラシカル等を含む)やミュージカルなど現代の時代性を表現し得る現代に生きる芸術家による新しい芸術表現(メタバース、XR等を使った芸術表現等を含む)に注目していきたいと思っています。なお、最後になりましたが、ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」の作詞や幕末日本の黒船来襲を題材として歌舞伎や文楽など日本の伝統芸能のエッセンスを演出に採り入れて話題になったミュージカル「太平洋序曲」の作曲を担当し、演出家・宮本亜門のブロードウェイ進出の切っ掛けを作ったソンドハイムが去る2021年11月26日に逝去されました(享年91歳)。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 
 
◆おまけ
フィンランドの現代作曲家であるカイヤ・サーリアホが能「経正」や能「羽衣」を題材にしてカウンターテナーフィリップ・ジャルスキーのために作曲し、おそらく21世紀を代表するオペラ作品の1つとして名前を連ねることになるであろうオペラ「Only the Sound Remains」をお楽しみ下さい。
 
19世紀のイタリアでは、神話や英雄等を題材とする浮世離れしたロマン主義的なオペラへの反動として声楽の超絶技法を排して演技力や表現力を使って市民の日常生活を写実的に描写する骨太な音楽劇であるヴェリズモ・オペラが誕生しますが、その代表作の1つであるプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」をお楽しみ下さい。
 
プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」を題材にし、ドラッグ、HIV、マイノリティーなど現代的な社会問題を扱って話題になったミュージカル「レント」をお楽しみ下さい。このミュージカルを創作したラーソンは初演前日に急死していますが、現在、自伝的なミュージカル映画tick,tick....BOOM!」が公開されています。

新年のご挨拶(その①)

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敬頌新禧。2022年は皆様にとりまして健やかな年になりますようにお祈り申し上げます。新年の挨拶には少し気が早いですが、2022年も初詣の分散参拝が呼び掛けられていますので、一足早く「幸先拝」(幸先良い新年を祈るために年内に行う初詣)を済ませるために、2022年の干支に肖って虎ノ門にある金刀比羅宮を参拝しました(金運、商売繁盛の御利益があるため、場所柄、近隣のサラリーマンの参拝が後を絶ちません)。豊臣秀吉が天下を統一した1590年に関東へ国替えとなった徳川家康は、平安京の都造りに倣って四神相応の考え方(中国の神話及び陰陽五行説において天の四方を守護する神獣とされている玄武(北方)、朱雀(南方)、青龍(東方)、白虎(西方)に相応しい地形、即ち、北方に丘陵、南方に湖沼、東方に流水、西方に大道を配置する地形が良いとする考え方)を採り入れ、北方を麹町台地、南方を江戸湾、東方を墨田川、西方を東海道に面して江戸城及びその城下街を整備していますが、東海道へと通じる江戸城外堀の西方の門を西方を守護する神獣である白虎に肖って「虎ノ門」と命名しています。因みに、幕末の会津戦争会津藩が洋式兵制で編成した藩兵を年齢に応じて4つの部隊に分け、それぞれの部隊に四神の名前(50歳以上の部隊に玄武隊、36歳以上の部隊に青龍隊、18歳以上の部隊に朱雀隊、17歳以下の部隊に白虎隊)を命名しています。このように四神相応の考え方を採り入れたものは多く、例えば、横浜中華街では、北方に玄武門(門柱色は黒)南方に朱雀門(門柱色は赤)東方に朝陽門(門柱色は青)西方に延平門(門柱色は白)を配置し、また、大相撲の土俵にある四房は四神の色(横浜中華街の門柱と同色)に対応しており五穀豊穰を祈念しています。なお、明治政府は、陰陽五行説において天の中央を守護する霊獣とされている麒麟の像を五街道の起点である日本橋に設置しましたが(映画「麒麟の翼」)、麒麟及び四神を合せて五神と言います。また、東京スカイツリーのライティングのうち、「青」は東方(墨田川)を守護する神獣である青龍を象徴しており「粋」を表現しています。同じく「紫」は北方の神獣である玄武の色「黒」と南方の神獣である朱雀の色「赤」を混ぜた色で太極(帝王=天皇が鎮座する場所)を象徴しており「雅」を表現しています。
 
金刀比羅宮虎ノ門)(東京都港区虎ノ門1-2-7
②虎門跡碑(東京都港区虎ノ門1-1-28
③鬼鎮神社(埼玉県比企郡嵐山町川島1898
金刀比羅宮虎ノ門)/虎ノ門琴平タワーの敷地内にある金刀比羅宮の鳥居には、四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)があしらわれています。 ①白虎(金刀比羅宮)/金刀比羅宮の鳥居にあしらわれている四神のうち、今年の干支でもあり江戸城虎ノ門の名前の由来にもなっている白虎です。 ②虎門跡碑/江戸城虎ノ門肥前国佐賀藩主・鍋島勝茂によって築かれましたが、その跡地には虎門跡碑が建立され、虎の像があしらわれています。 ③鬼鎮神社/関東で唯一、鬼を祀る神社です。鬼門は丑寅の方角(北東)なので、鬼の角は牛(丑)の角、鬼の牙は虎(寅)の牙と言われています。 ③金棒のお守り(鬼鎮神社)/鬼鎮神社の境内には鬼の金棒が祀られています。また、鬼鎮神社には宮熾仁親王の揮毫による扁額が掲出されています。
 
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やがて「陰陽五行説」と「十二支」(地球から肉眼で最も大きく見える太陽系の惑星「木星」が黄道12星座を1年に1つ進み、12年の周期で元の星座に戻るので、その周期に従って12進数で年、月、日、時刻や方位を把握する考え方)が結び付いて、お馴染みの「干支方位神」(下図参照)へと発展します。陰陽五行説では、北東は鬼(邪気)が出入りする不吉な方角とされ、「鬼門」と言われています。鬼門は、十二支の「丑寅」の方位になることから、鬼は「丑(牛)の角」及び「寅(虎)の牙」を持ち、「寅(虎)の皮」のパンツを履いていると言われています。そこで、ゆく年の干支の「丑」とくる年の干支の「寅」に因み、関東で唯一、鬼を祀る鬼鎮神社を参拝しました。鬼鎮神社は武蔵国を本貫地とする畠山氏が鬼門の厄除けとして創建し、金棒を持った鬼の像を奉納したことが始まりとされており、現在でも勝利の神様として鬼を祀り、節分では「福は内、鬼は内、悪魔は外」という独特の掛け声がかけられるそうです。また、陰陽五行説では、鬼門の反対側である南西の方角を「裏鬼門」(人門)と言いますが、この方位に神使である猿(因みに、孫悟空道教の神)の置物等を置くと鬼門の厄除けになるとされています。この点、裏鬼門は、十二支の「羊申」の方位になりますが、陰陽五行説では、羊の方角を守護する朱雀は夏の象徴とされ、夏に収穫される五穀の「」(きび)が体の養生に良いとされています。また、申の方角を守護する白虎は秋の象徴とされ、秋に収穫される五果の「」が体の養生に良いとされています。ここから」太郎が「」団子を携えて鬼退治に行くという昔話を着想し、十二支の「羊」(=)に続く「」(=猿)、「」(=雉)、「」(=犬)を従えて鬼退治を成し遂げるというファンタジー性に優れた干支方位神の物語が完成したようです。昔から鬼は疫病の原因として恐れられていましたが、その辺にいる動物を使って鬼を退治する桃太郎は頼もしい存在として民衆の圧倒的な支持を得ていたのではないかと思います。日本人は鬼を追い払うことに熱心だったようですが、旧暦の大晦日(旧暦の12月は丑、旧暦の1月は寅が割り当てられ、その丑寅の方位が鬼門)に豆(=魔滅)を撒いて鬼を家の外へと追い払い、旧暦の元旦に歳神様を家の内へと迎え入れるための準備を整える儀式が盛んに行われてきました。最近では、鬼(=疫病)を追い払うために裏鬼門にアマビエの置物を置く家もあるそうです。因みに、くる年に生誕100周年を迎える漫画家・水木しげるの代表作であるTVアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」(第5作第26話)(鬼太郎は鬼ではなく一つ目小僧の妖怪)でもアマビエが登場し、砂かけ婆にかけられた呪いを解くために大活躍するという物語が話題になっています。ところで、「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」という格言がありますが、虎皮のパンツを着用している鬼のイメージは戦後に確立され、それがTVアニメ「うる星やつら」ではブラジャーやブーツまで虎柄で統一されるなど鬼のイメージにも各時代の趣味が色濃く反映されています。この点、室町時代以前の日本絵画に描かれている鬼は単色の褌、腰巻、袴を着用していましたが、江戸時代の日本絵画に描かれている鬼から虎皮の褌、腰巻、袴を着用するようになります。江戸時代の日本人はパンツを着用する習慣はなく、基本的に、男性は褌や腰巻、女性はノーパンや腰巻が主流であった世相を反映しています。明治維新後に欧米からパンツが輸入されると、明治4年に岩倉具視の欧米視察に随行した津田梅子が日本人の女性で初めてパンツを着用しますが、その後も日本ではパンツの着用が定着せず、昭和7年に発生した日本橋白木屋百貨店の火災では多くの女性がノーパンであったことから着物の裾が捲れ上がることを恥ずかしがり命綱を手放して転落死する人が続出したと言われています。この火災を契機として、漸く日本でも女性がパンツを着用する習慣が広まります。その一方、男性は、この事件後も褌やノーパンが主流でしたが、戦後に洋装が普及したことでパンツを着用する習慣が定着したと言われており、この頃に鬼も虎皮のパンツを着用する現代のスタイルが定着するようになったと考えられます。因みに、欧米では、早くから男性はパンツを着用していましたが、女性が男性の服装を真似ることは神の摂理に反して悪魔的であるという理由からノーパンだったようです。しかし、フランス革命を契機として、女性がコルセット(キリスト教では、女性の胸の谷間を悪魔の隠れ家と呼び、女性の胸の膨らみはハシタナイとして胸を締めつけるためのコルセットが誕生)に異を唱えると共に、衛生上の問題や乗馬で洋服が捲れ上がってしまう不都合等があったことから、コルセットの着用を止め、パンツを着用する習慣が徐々に生まれ、とりわけポール・ポワレやココ・シャネルが女性の服装からコルセットを取り外したこと(映画「ココ・シャネル」)が契機となって一般に普及したと言われています。前回のブログ記事で2013年までフランスには女性のズボン着用を禁止する条例が存在していたことに触れましたが(最近、日本でも学校制服で女子生徒はスカート、男子生徒はズボンを指定する慣行を見直す動きが進んでいるそうですが)、現代人の目から見ると随分と滑稽なジェンダー・バイアスが存在していたことが分かります(SDGs:GOAL5)。
 
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知識
 
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干支方位神から生まれた桃太郎の鬼退治と江戸の刻
 
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干支方位神を規律する四思想
 
用語 意味
四神 中国の神話で天の四方を守護する伝説の神獣である「玄武」(黒)「青龍」(青)「朱雀」(赤)、「白虎」(白)のこと。なお、中央を守護する伝説の霊獣である「麒麟」(黄)を加えて五神と言います。

※四神と四季を組み合わせて、何もないところから、芽が吹き、実が成り、実が熟れるまでを人生の四季に準えた言葉が生まれます。
方位 四神 四季 人生の四季
玄冬:少年期
青春:青年期
朱夏:壮年期
西 白秋:壮年期
※「青春」という言葉は上記が語源。
北原白秋の「白秋」という雅号は上記が語源。
※幕末の会津戦争藩士の年齢に応じて4つの部隊に編成されますが、それぞれの年齢層に足りないものを補うために上記の人生の四季とは逆順に命名
陰陽道 宇宙の万物の生成は「」と「」の組合せであるという考え方。偶数は割り切れること(=別れる、死)から縁起が悪いので「陰」、奇数は割り切れないこと(=別れない、生)から縁起が良いので「陽」となります。

陰陽道に従って奇数が並ぶ日又は奇数の年齢は縁起の良いとして祝う風習が生まれます。
節目 慶事
五節句 1月7日(人日の節句 無病息災と五穀豊穣を祈る。
3月3日(上巳の節句 女児の健康な成長を祈る。
5月5日(端午の節句 男児の健康な成長を祈る。
7月7日(七夕の節句 星に願い事を祈る。
9月9日(重陽節句 不老長寿を祈る。
七五三 11月15日 子供の長寿と幸福を祈る。
重陽節句は「菊の日」とれていますが、江戸時代は男色文化が盛んであったことから、菊が重なるにかけて「男色の日」ともされています。
五行説 宇宙の万物の変転は「」「」「」「」「」の五要素で行われるという考え方。なお、地球から肉眼で確認できる太陽系の惑星の五星は、この五要素から命名

五行説に従って体を養生するために必要な五要素である五つの穀物と五つの果実。
五行
五穀
五果
※「五穀豊穣」という言葉は上記が語源。
十二支 地球から肉眼で最も大きく見える太陽系の惑星である「木星」(ジュピター=ギリシャ神話の最高神ゼウス)は、黄道12星座を1年に1つずつ進み、12年の周期で元の星座に戻るので、その周期に従って12進数で年、月、日、時刻や方位を把握する考え方。

※12進数で年、時刻や方位を把握するにあたって自然界の輪廻転生を表す言葉である「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」が割り当てられますが(「漢書 律暦志」)、日本ではそれらを分かり易くするために動物の名前に置換。
 
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陰陽五行説では、「」は「」(邪気、死)が集まったものと考えられていますが、(諸説ありますが)鬼という言葉は物陰に隠れて姿を顕わさない(目には見えないもの)という意味の「隠」(おん)が語源であると言われています(和名類聚抄(巻二))。また、死を象徴する言葉の「陰」(おん)が転訛して鬼になったとも考えられています(日本釈名(巻之中))。人間は、疫病、飢饉や天変地異など人知の及ばない自然の不条理に対し、人を食べる(即ち、人を殺す)異端者としての「鬼」を観念し、それを物語、儀式、芸能、木像や絵馬等に可視化して取り除くこと(例えば、鬼を退治し(桃太郎)、鬼を追い払い(節分)又は鬼を祀る(鬼鎮神社)など)で災難が収まるという共同幻想を抱くことで社会不安を和らげる知恵を働かせてきたと思われます。古来、鬼は、人里近くの山奥や離島等に隠れ棲み、夜になると辻、橋や門など異界との接点と考えられていた場所に現れる(百鬼夜行)と観念されてきましたが、何故、人間は目に見えないもの(隠)を想像し、また、何故、それは暗闇や死期等から生じる不安や恐怖等のマイナスの感情(陰)と結びついていることが多いのか、これまで神秘やロマンの領域として片付けられてきた問題について、脳科学や心理学の分野の研究が進み、徐々に、その原理が解き明かされています。この点、脳科学では、人間が知覚している世界は、外部に存在する客観的な世界(現実)を忠実に反映したものではなく、人間の脳が作り上げた主観的な世界(虚構)であると考えられています。例えば、同じ洋服に光(無色)の当て方を変えて見ると異なった色の洋服として認知されるという実験結果がありますが、洋服の色は変化していませんので、人間の認知(様々な波長の光の合成を知覚して、人間の脳が作り上げた主観的な世界)が変化していることになります。この実験結果によれば、人間の認知能力は非常に精度が低いとも言えそうですが、単に外部に存在する客観的な世界を知覚するだけではなく(自然は人間を騙す)、様々な可能性を模索するために人間の知覚に弾力性を持たせることで生物としての生存可能性を高めているとも言えそうですし、また、人間の多様性や創造性(ひいては進化)を育むうえで非常に重要な機能を担っているとも言えそうです。チューリヒ大学のピーター・ブルッガー博士の研究結果によれば、人間の脳は、その生存本能(即ち、不安や恐怖等のマイナスの感情(陰)に満たされた状態)によって、限られた情報から素早く結論を引き出す必要に迫られ、時に外部に存在しないもの(隠)を認知してしまうこと(シミュラクラ現象があるそうです。例えば、人間の脳は、他人の顔に表れる非友好的な表情を見分ける能力に優れていますが、その能力が過剰に働いて様々なものを人間の顔であると認知してしまうことがあるそうです。また、人間の脳は、他人の行動の背後にある理由を洞察することに優れていますが(芸術鑑賞に欠かせない能力)、その能力が過剰に働いて全く意味のない現象や刺激に意味(気配)を認知してしまうこと(代理検出装置)があるそうで、超常的な体験をしたことがある人(即ち、これらの能力が過剰に働いたと考えられる人)の脳を調査したところ想像力を司る右脳が活発に働く傾向が顕著であることが分かっています。さらに、認知症患者に幻視や幻聴等の症状が出易いことが確認されていますが、その原因として視覚や空間認識等の機能低下で感覚器官を通して収集される外部の情報が圧倒的に不足し、脳が外部に存在するものを認知することが困難になり(これに伴う不安や恐怖等のマイナスの感情(陰)に満たされた状態)、それを補うために脳の予測機能が働いて幻覚や幻聴等(即ち、本来、感覚器官を通して収集されるはずの外部の情報)を作り出してしまうのではないかと考えられています。前者は能力の過剰な稼働、後者は情報の圧倒的な不足という原因で想像力を司る右脳が活発に働いて外部に存在しないもの(隠)を認知したものと考えられます。映画「ワールド・トレード・センター」では、暗闇の中で死の恐怖に晒される消防隊員がイエス・キリストや愛妻の幻覚を見るシーンが登場しますが、これも同様の理由から想像力を司る右脳が活発に働いたものではないかと思われます。さらに、スイス連邦工科大学のオーラフ・ブランク博士及びジュリオ・ログニニ博士の研究結果及び実験結果によれば、人間の脳は、その認知能力を超える異常な状態(例えば、統合失調症により受動的な感覚(例えば、見る、聞くなど)と能動的な感覚(例えば、話す、動くなど)の間にズレが生じるなど)に陥ると、自ら認知可能な状態に戻すための妄想(例えば、自らの動作を第三者(人ならぬ者を含む)の動作であると認知し(幻覚)、又は自らの心の声を第三者(人ならぬ者を含む)の声であると認知する(幻聴)など)を作り出してしまうことがあるそうです。このように脳は不安や恐怖等のマイナスの感情(陰)に満たされた状態で目に見えないもの(隠)を想像し、それを幻覚や幻聴等として知覚する(脳が自分を騙す)ことで不安や恐怖等のマイナスの感情(陰)に満たされた状態を解消しようとする傾向があると考えられ、(個人差はあると思いますが)そのような体験が経験知として社会に集積されて鬼のような共同幻想認知バイアスを含む)を生み出すのではないかと考えられます。
 
 
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このような脳の働きは、目に見えないもの(隠)を創造し、それを誰もが知覚できる形で再現する芸術表現にも類似していると思います。但し、芸術表現は、超常体験のように不安や恐怖等のマイナスの感情(陰)等を契機とするものは少なく創作意欲や表現意欲等のプラスの感情(陽)等を契機として行われるものが多い点や、超常体験のように必ずしも他人に伝わる必要がないものではなく他人に伝わる必要があるものである点で大きな違いがあると思います。この点、PTNA(全日本ピアノ指導者協会)のWEBページで脳の働きと芸術活動の関係に関する面白い記事が掲載されていたので、これに関係する話題に少し触れてみたいと思います。人間の脳による創造的な営為には発散的思考(思考を拡大する能力)と収束的思考(思考を集約する能力)の2種類があり、前者は芸術的な創造性や統合失調的な傾向と関係があり、後者は科学的な創造性や抑うつ的な傾向と関係があると言われており、芸術的な創造性に優れている人は発散的思考が活発で物事を様々な方法で組み合わせることが得意であるという研究結果があります。この点、上述のとおり、人間が知覚している世界は、外部に存在する客観的な世界(現実)を忠実に反映したものではなく、人間の脳が作り上げた主観的な世界(虚構)であると考えられていますが、それは人間の脳が感覚器官を通して収集された情報を基に外部に存在するものを認知する機能と学習や記憶により脳内に蓄積された過去の経験や知識等を基に予測や想像等を行って外部に存在しないものを創造する機能を持っていることが関係していると考えられています。即ち、人間の脳には、これらの機能に基づいて作られた情報(料理に譬えれば、素材)をシナプスの可塑性(=ニューロンの結合を自在に組み替えて脳内の情報ネットワークを構築し直す力)を利用して空間軸(=視覚、聴覚、触覚等の感覚)及び時間軸(=過去の記憶、現在の認知、未来の予測)で自由に組み合わせ(料理に譬えれば、調理)ながら新しいものを創造(表現)する能力が備わっており、そのため動物的な認知機能を上回る知性を有していると考えられています。これらの機能に基づいて作られた情報を空間軸や時間軸で自由に組み合わせて新しいものを創造(表現)する営為が発散的思考であり(リベラルアーツの有用性)、その多様な組合せが得意な人が芸術的な創造性に優れている人だと考えられます。このことは、世阿弥が「花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり」(風姿花伝)と語っている言葉に表れていると思います。この発散的思考による多様な組合せを自発的な要因(創作意欲、表現意欲等)で行っているのが芸術表現であり、環境的な要因(能力の過剰な稼働、情報の圧倒的な不足等)で無意識的に行われているのが超常体験なのだろうと思います。上述のとおり、統合失調症により受動的な感覚と能動的な感覚の間にズレが生じる例のように精神疾患が独創的な組合せを偶然に生み出す可能性もありますが、芸術表現として成立するためには、単に多様な組合せを生み出すだけでは足りず、その多様な組合せに込められた創作意欲や表現意欲等の意図が他人に伝わり得る方法で表現されているものでなければならないと考えられます。このことは、武満徹が「いかに異質のものを共存させるか(中略)ということが芸術というものの意味であると思います。しかもそれが感覚的な手段にたよってのみなされては、また、ならないのです。なぜなら、芸術はまた人間の科学であり、強靭な論理性をもたなければなりません。」(音楽の余白から)という言葉に尽くされていると思います。これらのことを観客の立場から捉え直せば、人間の脳は学習と記憶を通して成長する器官であることを前提として、新しい組合せや巧みな組合せなどに注意を向けて学習及び記憶しようとする行為(シナプスの可塑性が活発に促されている状態)が芸術体験であると考えられ、逆に、古い組合せや拙い組合せなどは学習及び記憶する必要が低いので注意を向けようとせず(シナプスの可塑性があまり促されていない状態)、これが「飽きる」「つまらない」ということなのだろうと思います。また、シナプスの可塑性が活発に働く観客は、新しい組合せや巧みな組合せなど(例えば、音の組合せが予定調和の範囲内に限られる調性音楽)に留まらず、より斬新な組合せや独創的な組合せなど(例えば、より複雑な音の組合せが可能な無調音楽)を学習及び記憶する能力に優れている可能性があり、より複雑になって行く音楽の発展と人間の脳の関係を垣間見ることができるのではないかと思います。過去のブログ記事でも触れましたが、作曲家・中田ヤスタカポリリズムの技法を使ったPerfumeの「ポリリズム」をリリースするにあたり「今の若い世代はどんどん新しいものを取り入れるから、若い子の音を聴いてそれに合わせるのでは遅い。クリエイター側はそれより先のことを考えて作るくらいでないとダメだ。」と反対する関係者を説得したという有名な逸話がありますが、往々にして時代の正解は若い世代の感性の中にあり、(若い世代に比べてシナプスの可塑性が衰えて新しいことを吸収し難くなっている)年配者は若い世代の斬新な試みを邪魔しないというスタンスが肝要であるということなのかもしれません。

 

 
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正月から鬼の話題ばかりで恐縮すが、鬼を扱った芸術作品の代表例を挙げておきます。能「鉄輪」は、ある都の女(宇治の橋姫がモデル)が自分を捨て後妻を娶った元夫に対する嫉妬心に身を焦がし、その元夫へ怨みを晴らそうと貴船神社へ「丑の刻参り」をするうち、その情念()が祟って「」になり元夫と後妻を呪おうとしますが、ついには神力で退治されるという話です。いつまでも執心に囚われていると心に「」れている「」が呼び覚まされて身を亡ぼすという教訓ですが、例えば、「仕事の鬼」という言葉のように過度な執心は身の為にならないという現代にも相通じるものがあるようにも思われます。貴船神社には「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が降臨したという伝承があったことから、丑の刻に貴船神社へ参詣すると願い事が叶うと言われてきましたが、それが呪い事も叶うとして信じられるようになり、鉄輪(ガスコンロにある鍋を置くための脚が付いている金具)に蝋燭を立て頭に被り(鬼の角)、丑の刻に貴船神社を参詣して御神木に釘で藁人形を打ち付けるという呪詛の儀式が行われてきました。なお、「丑三つ時」とは丑の刻を四つに分割した三つ目の時間帯(午前2時00分から午前2時30分)を指し、陰陽五行説では鬼門と同じ北東の方角を意味する丑三つ時に鬼門が開いて死者や魔物が顕在するとされてきました。この点、草木も眠る丑三つ時と言いますが、暗闇や静寂に包まれる丑三つ時は脳が外部に存在するものを認知することが困難となり(これに伴う不安や恐怖等のマイナスの感情()に満たされた状態)、それを補うために脳の予測機能が働いて(即ち、感性が研ぎ澄まされた状態で)目に見えないもの()を幻想させるのかもしれません。現代では、藁人形による呪詛で殺人罪等に問われることはありませんが、脅迫罪に問われた事件はあります。ご参考にして下さい。因みに、江戸時代、参勤交代等で江戸から日没前に次の宿場町東海道では戸塚宿)へ着くために東海道の起点である日本橋を七つ刻(午前4時頃)に出発する必要があったことから、これを「日本橋七つ立ち」と呼んでいました。また、江戸時代、未だ1日2食が当たり前であった時代に八つ刻(15時前後)に間食(軽食)をとる習慣があり(1日3食の習慣は明暦の大火で江戸の街の復旧工事に当たった職人が精力を付けるために1日3食にしたのが始まり)、明治時代になって3時のおやつ(御八つ)という習慣として受け継がれています。
 
 
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鬼鎮神社では、節分に「福は内、鬼は内、悪魔は外」という独特の掛け声がかけられますが、日本の鬼に相当する悪魔が西洋の芸術作品においてどのように表現されているのかも挙げておきたいと思います。神の栄光のための音楽(殆どの自筆譜に「SDG」(Soli Deo Gloriaの略)とサインされていますので、当世流に言えば「SDGs」な音楽)を書いたバッハは、悪魔の修辞にも卓抜したものが感じられます。バッハは、現代に伝わるスタイルの「丑の刻参り」が確立した江戸時代と同時代に活躍した作曲家ですが、日本では陰陽五行説に従って神に対置する存在として鬼が観念されたように、西洋ではキリスト教に従って神に対置する存在として悪魔が観念されました。過去のブログ記事でも触れましたが、中世のキリスト教では、調和のとれた完全な世界を表す協和音は神の世界を体現するものであり、調和のとれない不完全な世界を表す不協和音は悪魔の世界を体現するものであると考えられ、不協和音の中でも最も不快な響きを持つ「三全音」(三つの隣接する全音を跨る音程)は理性を乱す音程として「悪魔の音程」と呼び、教会音楽のメロディーラインへの使用を禁止しましたが、ルネッサンス時代に入るとキリスト教的な価値観である神聖性(理性)からギリシャ神話的な価値観である人間性(本能)への回復が試みられるようになり(パラダイムシフト)、バロック時代には教会音楽のメロディーラインにも三全音が使用されるようになりました。その先鋭的な存在であるバッハは、キリスト教会で演奏されることを前提として作曲した宗教音楽で悪魔、罪や死の修辞として三全音を効果的に使用しています。例えば、バッハ作曲の教会カンタータ第19番(BWV19)の冒頭合唱では、聖ミカエルが率いる天使の群れ(Schar)が大蛇や龍になって天に攻め寄せる悪魔と闘う場面が描かれていますが、第69小節(【譜例1】)では天使の群れを象徴する十六分音符及び悪魔を象徴する三全音が散りばめられ、天使の群れと悪魔が闘う様子が音楽的に活写されています。また、バッハ作曲のヨハネ受難曲(BWV245)の冒頭楽章では、受難の成就によるイエス・キリストの栄光を讃えていますが、第11小節(【譜例2】)から三全音が連続し、ユダの裏切り(ユダの心に潜む悪魔)によって受難(贖罪)が迫っていることを暗示しています。この他にも、バッハは教会カンタータ第4番(BWV4)教会カンタータ第60番(BWV60)マタイ受難曲(244)等の宗教音楽でも三全音を効果的に使用しています。ヨハネ受難曲の冒頭合唱に代表されるようにバッハの音楽は前衛的な響きを持つものも少なくなく、その音の組合せの革新性がバッハの音楽を陳腐化させず、現代人が聴いても新鮮な驚きに満ちていると感じられる音楽であり続けさせているのではないかと思されますが、この独特な感興はバッハの音楽が現代人のシナプスの可塑性を活発に促しているためではないかと考えられます。
 
【譜例1】(バッハ作曲/教会カンタータ第19番(BWV19)/第68小節~)
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【譜例2】(バッハ作曲/ヨハネ受難曲(BWV245)/第9小節~)
 
最後に、2022年で生誕100年を迎える水木しげるの代表作である「ゲゲゲの鬼太郎」(上述のとおり鬼太郎は鬼ではなく一つ目小僧の妖怪)には、鬼(牛鬼さざえ鬼など)や悪魔(ルキフェル(ルシファー)、メフィストメフィストフェレス)など)が登場し、そのテーマ曲には三全音が効果的に使用されています。冒頭の「、ゲ、ゲゲゲのゲー♩」の歌い出しで赤字の音(D)と青字の音(Gシャープ)は三全音の関係になり不気味さを醸し出しています。なお、生誕100年を記念して水木しげるの出身地である島根県松江市ゲゲゲの鬼太郎の発祥地である東京都調布市では様々なイベントが企画されているようなので、「目がない人」には楽しい1年になりそうです。
 
▼2022年がアニバーサリー(節度ある50年刻み)なもの
◆音楽家
シュッツ 没後350年
フランク 生誕200年
ヴォーン=ウィリアムズ 生誕150年
スクリャービン 生誕150年
クセナキス 生誕100年
◆文学家
ホフマン 没後200年
森鴎外 没後100年
川端康成 没後50年
◆絵画家
鏑木清方 没後50年
◆漫画家
水木しげる 生誕100年
文化施設
関蝉丸神社 創建1200年(蝉丸は平安歌人&琵琶奏者)
東京国立博物館 創立150年
◆その他
沖縄本土復帰 50周年
プッチンプリン(グリコ) 発売50年(ギネス記録:累計販売個数)
資生堂 創業150年
モスバーガー 創業50年
 
◆おまけ
モーツアルト作曲/歌劇「魔笛」(K.620)
能「鉄輪」で描かれている女の情念()は、歌劇「魔笛」でもメルヘンチックなタッチで描かれています。歌劇「魔笛」は、夜の世界(悪魔の象徴)の女王が昼の世界の王(神の象徴)との間に生まれた娘(人間の象徴)を昼の世界の王の後継者に奪われたことに対する復讐心に身を焦がし、昼の世界の王の後継者へ怨みを晴らそうと殺害を企てるうち、その情念()が祟って地獄に落ちるという話です。男性社会の能楽界及び男性優位のクラシック音楽界にあって、特に女性の情念は恐ろしいということを印象付けるジェンダー・バイアスが感じられる作品とも言えそうです。
 
リスト作曲/ファウスト交響曲(S.108)
リストは、ベルリオーズからゲーテの戯曲「ファウスト」を紹介されて「ファウスト交響曲」の作曲を着想します。「ファウスト交響曲」には「3人の人物描写による」という副題が付されていますが、その第三楽章は悪魔「メフィストフェレス」を題材とし、第8小節(【譜例3】)から全音が連続し、徐々に、ファウストの心に悪魔「メフィストフェレス」が影を落として行く様子が描かれています。第三楽章では、第一楽章で提示されたファウストの主題が歪に変形して登場しますが、鬼と同様に人間の心にれている悪魔が本性を表すということなのかもしれません。
【譜例3】(リスト作曲/ファウスト交響曲/第8小節~)
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ヘンデル作曲/オラトリオ「エジプトのイスラエル人」(HWV54)
正月から悪魔を題材とした曲ばかりでは魔が差しますので、邪気払いに健康的な神を讃える終曲合唱をアップしておきます。旧約聖書出エジプト記」をテキストにしていますが、グノー作曲の歌劇「ファウスト」の1場面「金の子牛の歌」(異教の神=悪魔)も「出エジプト記」を題材にしています。また、南北戦争奴隷解放運動ではアメリカ南部から脱出する黒人労働者の姿と「出エジプト記」でエジプトから脱出するヘブライ人の姿を重ねて「出エジプト記」の一部を歌う黒人霊歌「Go Down Moses」が作曲され、それがゴスペルクラシック音楽に編曲されています。

「ムーミン」と「ブリテン」と「歌舞伎」と「SDGs」

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少し気は早いですが(コロナが落ち着いているうちに)、来年の干支である「寅」に因んで、寅年生まれの人及び丑年生まれの人の守り本尊である「虚空蔵菩薩」を祭る日高寺(茨城県那珂郡東海村)と、仏教の守護神である「帝釈天」に仕えて北方を守護する「毘沙門天」を祭る善國寺(東京都新宿区神楽坂)及び一乗院(茨城県那珂市)を参拝しました。日高寺の境内には「狛虎」及び「狛牛」が置かれ、また、善國寺及び一乗院の境内には毘沙門天の神使である「狛虎」が置かれています。因みに、善國寺は寅年生まれの徳川家康が開基し、徳川本家及び分家(渋沢栄一が使えた一橋家及び田安家)の祈願所でした。なお、寺院に「仏」ではなく「神」が祭られているのは、「神」は「仏」が民衆を救うために天上界から地上界へ現れた仮のお姿(権現)であって地上界の万物に宿るもの(八百万の神々)という神仏集合の考え方があるためです。この点、徳川家康は、その死後に後水尾天皇から東照大権現という勅諡号を下賜されていますが、天皇の祖先神に対する東国武士の祖先神(権現)として征夷大将軍(=蝦(東国)を伐する将軍)を神格化するためのものです。一般に「神」は地上界にあって生者を守護するもの(神社はお宮参り、七五三、合格祈願、結婚式、初詣など主に生者に関係する場所)、また、「仏」は天上界にあって死者の魂を救済するもの(寺院は葬式、法要、墓参りなど主に死者に関係する場所)と大雑把にイメージできますが、天照大神大日如来という考え方もあり(神道では天照大神を太陽の神として最高位に位置付けていますが、やがて人間の知能が発達して宇宙を観念するようになると、密教大日如来を宇宙の根本と位置付けるようになります。そのため、この考え方では「太陽」<「宇宙」という関係になり整合性がとれません。)、そう単純には割り切れない大人の事情もあります。もう1箇所、来年の干支である「寅」に因んで、「毘沙門天」の親分である「帝釈天」を祭る柴又帝釈天を参拝しました。ご案内のとおり柴又帝釈天は映画「男はつらいよ」の舞台として日本はもとより中国等のアジア諸国でも広く知られています。車寅次郎の名前の由来については諸説ありますが、車寅次郎を演じる渥美清の実家が「東京府東京市下谷区車坂町」(現・東京都台東区上野七丁目)にあったことから「」が名字(=田のを省略したもので、自らが支配する土地の名前を名乗ったことが始まりです。)となり、また、渥美清の実父の名前が「友次郎」(トジロウ)であったことから「ドラ息子」(放蕩息子)にかけて「寅次郎」(トジロウ)が名前になったというのが実際ではないかと思います。因みに、国分寺駅前には「寅”むすこ食堂」(どらむすこ食堂)という店があり、地元民に愛されています。さらに、映画の中で車寅次郎の叔父が営む架空の団子屋「とらや」のモデルになったのは第1作から第4作まで撮影に使用された「とらや」(当時、柴又屋)と思われますが、出演者の着替えやスタッフの休憩等に使われていた「高木屋」や「亀家本舗」など帝釈天参道にある複数の団子屋から着想を得ているというのが実際ではないかと思います。なお、羊羹の老舗「とらや」の屋号は、社史によれば、歴代店主の毘沙門天信仰と関係があるそうなので、来年の干支に肖った縁起物のお菓子(現在、来年の干支に因んで、虎をモチーフにした特製羊羹「千里の風」(赤坂店)羊羹製「幸とら」(東京ミッドタウン店)を販売中)と言えそうです。
 
①日高寺(茨城県那珂群東海村村松8
②一乗院(茨城県那珂市飯田1085
③善國寺(東京都新宿区神楽坂5丁目36
④芸者小道(東京都新宿区神楽坂3丁目10
①日高寺/虚空菩薩は丑年生まれの人及び寅年生まれの人の守り本尊になっていますが、虚空菩薩を祭っている日高寺の境内に「狛牛」(阿形)及び「狛虎」(吽形)の石像が置かれています。 ②一乗院/日本一の毘沙門天(13m)が祭られ、毘沙門天の神使「虎」の石像が置かれています。なお毘沙門天の異名・多聞天に肖り幼名を多聞丸と言った楠木正成の石像も置かれています。 ③善國寺/寅年生まれの徳川家康が開基し、徳川本家及び分家の一部の祈願所になっていました。善國寺(神楽坂)、正傳寺(芝)及び正法寺(浅草)の毘沙門天は江戸三大毘沙門天と言われています。 ③狛虎(善國寺)毘沙門天を祭っている善國寺の境内に毘沙門天の神使「狛虎」(阿形吽形)の石像が置かれています。この石像は善國寺周辺の江戸庶民が奉納したものと言われています。 ④芸者小道/善國寺周辺は花街として栄え、その当時の名残が芸者新道(東京都新宿区神楽坂3丁目2−20)見番横丁(東京都新宿区神楽坂3丁目6-84)等の地名として残されています。
①寅さんとさくら(柴又駅)(東京都葛飾区柴又4丁目8
②とらや(東京都葛飾区柴又7丁目7−5
柴又帝釈天(題経寺)(東京都葛飾区柴又7丁目10-3
①寅さんとさくら(柴又駅/1999年、ファンや地元商店街の募金で柴又駅前広場に寅さんの銅像が建立され、その後、2017年に寅さんを見送るさくら像が建立されています。 ②とらや柴又駅から柴又帝釈天に向かう帝釈天参道の途中に映画の第1作から第4作まで実際に撮影で使用されていた団子屋「とらや」(当時、柴又屋)が営業を続けています。 ②草だんご(とらや)/映画でも度々登場している柴又名物の草団子に添えられた餡子は大人の口に合う上品な甘さです。店内には出演者の色紙や映画ポスター等が掲示されています。 ②車家の階段(とらや)/実際に映画の撮影で使用された階段がそのまま残されています。映画で登場する架空の団子屋「とらや」のセットを彷彿とさせる間取りになっています。 柴又帝釈天柴又帝釈天毘沙門天の親分の帝釈天を祭っており、その子分の毘沙門天の使い走りとして虎(寅)がいるという関係になり、柴又帝釈天を中心に物語が展開します。
 
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ところで、江戸時代、善國寺の周辺は茶屋が軒を連ねる花街として知られ(その後、幕府非公認の私娼屋が並ぶ岡場所としても発展)、最盛期には約700名の芸者(「芸者(芸妓、舞妓)」=芸事のみなので、原則として「遊女(娼妓)」=芸事+色事とは異なりますが、例外的に芸事+色事を嗜む「ころび芸者」も存在していたようです。)が居たと言われています。その名残りから現在でも神楽坂には「芸者小道」「芸者新道」「見番横丁」(見番=芸者の手配や稽古を行う事務所)等の地名が残されており、また、その近傍にある湯島天神及びその周辺には明治時代になるまでホモセクシャルバイセクシャル等(男色を含む)のための男娼がいる「陰間茶屋」等もありましたので、キリスト教的な価値観に影響されている現代の日本人と比べて江戸時代の日本人は多様な性のあり方について寛容な考え方を持っていたと思われます。丁度、ムーミンの原作者でバイセクシャルだったトーベ・ヤンソンの半生を扱った映画「TOVE トーベ」が公開されていたので、その映画の感想と共に「LGBT(QIA)」(LGBT及びその他の多様な性のあり方)について芸術家又は芸術作品との関係でごくごく簡単に触れてみたいと思います(SDGs:ジェンダー平等を実現しよう」(GOAL5))。
 
 
【題名】映画「TOVE トーベ」
【監督】ザイダ・バリルート
【原作】エーバ・プトロ、ヤルノ・エロネン
【脚本】エーバ・プトロ
【撮影】リンダ・バッスベリ
【美術】カタリーナ・ニークビスト・エールンルート
【衣装】ユージェン・タムベリ
【音楽】マッティ・バイ
【出演】<トーベ・ヤンソン>アルマ・ポウスティ
    <ヴィヴィカ・バンドラー>クリスタ・コソネン
    <アトス・ヴィルタネン>シャンティ・ルネイ
    <トゥーリッキ・ピエティラ>ヨアンナ・ハールッティ
    <シグネ・ハンマルステン=ヤンソン>カイサ・エルンスト
    <ヴィクトル・ヤンソンロベルト・エンケ
【感想】
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この映画はフィンランドにおいて7週連続で興行収入1位を記録し、第93回アカデミー賞国際長編映画賞にフィンランド代表作品として出品されるなど、現在も「ムーミン」がフィンランド人からこよなく愛され続けていることが分かります。「ムーミン」は小説(童話)として誕生しますが、その後、演劇、漫画や絵本等に翻案され、やがて日本でTVアニメ化されると、それが世界60ケ国以上の国々で放送されて世界中に「ムーミン」が広まりました。昔から日本人は、フィンランド人に負けず劣らず「ムーミン」を愛し続けており、2019年にムーミンテーマパーク「ムーミンバレーパーク」(埼玉県飯能市)が開業し、また、今週11月6日(土)10:30からNHKEテレでCGアニメ「ムーミン谷のなかまたち」(全13話)の放送が開始されるなど、その人気は衰えを知りません。さて、この映画は、第二次世界大戦中にフィンランドソビエト連邦との間で戦われた継続戦争(映画「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場」で描かれているとおり、フィンランド第二次世界大戦以前からソビエト連邦による侵攻の脅威(冬戦争)に晒され、第二次世界大戦ナチス・ドイツが対ソ開戦を決意すると軍事協定を結んでフィンランド領内にナチス・ドイツ軍を駐留させて共同作戦を展開しています)のなか、トーベ・ヤンソン防空壕の薄暗がりで「ムーミン」を描き続けている姿から始まりますが、これは第二次世界大戦及び継続戦争の終結後に華開くトーベの半生を描くにあたってナチス・ドイツソビエト連邦による「帝国主義の恐怖」(ソビエト帝国と揶揄される連邦の実態を含む)、「廃退芸術の弾圧」(ロシア・アバンギャルドの排除を含む)や「同性愛者の迫害」に対する時代の反動と呼ぶべき社会の潮流がトーベの作品や生き方に影響を与えていることを印象付ける効果を生んでいます。
 
 
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第二次世界大戦及び継続戦争が終結して帝国主義の脅威」等から解放されたフィンランド人は、平和と自由を謳歌すべく連日のようにパーティに明け暮れます。そのような時代の洗礼を受けたトーベは「廃退芸術の弾圧」等から解放されて自由な創作活動や生き方が保障されたものの、自らの心に忠実な作品や生き方を求めて時代の既成価値との間で葛藤を覚えるようになります。著名な彫刻家で父のヴィクトル・ヤンソンは、その保守的な考え方から絵画や彫刻等の芸術作品(メインカルチャー)を創作するようにトーベに干渉しますが、トーベは、伝統的な世界での成功に漠然とした憧れを抱きながらも、古い価値観を押し付けようとする父・ヴィクトルへの反発や伝統的な世界への違和感等から、風刺漫画や絵本等の大衆作品(サブカルチャー)の創作に没頭するようになり、やがてその作品が社会的に認められてアーティストとしてのアイデンティティを確立して行く姿が描かれています。トーベは、権威主義的な父・ヴィクトルに対して「国のために作品は作らない」と自らの信念を貫くシーンがありますが、社会主義リアリズムに抵抗して自らの創作意欲に忠実であろうとしたショスタコーヴィッチ等の生き様を彷彿とさせ、その時代的、社会的又は境遇的な状況等は違っても、常に時代の価値観に挑戦し続ける芸術家の矜持のようなものが感じられます。この映画では「ムーミン」に登場する魅力的なキャラクターを着想し、作画するトーベの姿が随所に描かれていますが、トーベの恋人達がモデルとなっているキャラクターも多く、それらの恋人達と共有した大切な時間を含むトーベの人生そのものが作品に投影されています。例えば、スナフキンは、トーベがパーティーで知り合った恋人で政治家のアトス・ヴィルタネン(この映画では既婚者として描かれていますが、実際は未婚者?)がモデルとされており、実際にアトスはスナフキンのトレードマークである緑色のマウンテンハットを愛用し、トーベが「生きる喜びを体現した哲学者」と表現するようにその生き方(ひいては作品)に大きな影響を与えた人物です。この点、「ムーミン」は人生哲学を示唆する名言の宝庫ですが、映画のキャッチコピーである「大切なのは、自分のしたいことがなにかを、わかってるってことだよ。」というスナフキンの言葉(「ムーミン谷の夏まつり」より。なお、今年4月からHisenseのTVCMのキャッチコピーとしても使われており、現代の時代性を端的に表現する言葉でもあります。)に込められているとおり、自らの心に忠実な作品や生き方を求めて時代の既成価値に挑戦したトーベの人生が作品に投影され、それが現代の我々に深い共感を与えています。なお、現在、ファミリーマートで「ムーミンフェア」が開催されていますので、気が向いたらお立ち寄り下さい。
 
 
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ムーミン」に登場するキャラクターのビフランは、トーベの恋人であったヘルシンキ市長の夫人で舞台演出家のヴィヴィカ・バンドラーがモデルとされており、2人だけに通じる秘密の言葉で話すキャラクターのトフスランとビフスランの名前にはトーベとヴィヴィカの名前が隠されていると言われています。トーベは、市議会議員であったヴィヴィカの父から依頼されてヘルシンキ市庁舎の食堂に「都会のパーティー」と題するフレスコ壁画(ヘルシンキ市立美術館所蔵)を残していますが、手前のテーブルに座る女性はトーベ、その後ろで男性と踊る女性はヴィヴィカを描いたものと言われており、未だ同性愛が社会的に認められていなかった時代に大胆にも2人の禁断の愛を市庁舎の壁に表現しています。しかし、トーベは、自分以外の女性とも奔放に関係を結ぶヴィヴィカに激しく嫉妬するようになり、やがて心の自由を取り戻して作品の創作に専念するためにヴィヴィカと別れる決断をします。トーベは、アトス(男性)及びヴィヴィカ(女性)と交際するバイセクシャルでしたが、自ら「私は自分が完全にレズビアンだとは思わないの。ヴィヴィカ以外の女性は考えられないってはっきりわかるもの。」(1946年付、エヴァ・コニコフへの手紙)と語っているとおり、デミセクシャル(下表注記を参照)の傾向があったのではないかと考えられます。このようにトーベは時代の既成価値であるジェンダー・ロール(男らしさや女らしさに象徴される、性別によって期待される社会的役割)に抗いながら自分の心に忠実な生き方を模索しますが、この問題は「ムーミン」の中でも描かれています。例えば、「ムーミン」に登場するメイドのミーサが飼っている気弱な子犬のインク(めそめそ)は猫が大好きで猫と友達になりたいと思っていますが、その気持ちを察したムーミンママは自分の心に忠実な生き方をすることは大切なことであるとしてインクに猫のメイクをしてあげたところ猫の友達が出来たというエピソード(「ムーミン・コミックス第12巻「ふしぎなごっこ遊び」より)として登場します。この点、ジェンダー・ロールの問題は多様な性のあり方が存在している事実(その歴史を含む)を踏まえて考える必要があり、そのためには「LGBT(QIA)」(LGBT及びその他の多様な性のあり方)の概念を整理及び理解する必要があると思いますので、以下では、(トーベやムーミン以外の)芸術家及び芸術作品との関係でごく簡単に触れてみたいと思います。なお、ジェンダーレスとジェンダーフリーの概念を混同している議論を見掛けることがありますが、ジェンダーレスは「性別による区分」を無くす考え方なので、例えば、女性のみが取得できる生理休暇制度は「性別による区別」を前提するもので不適当であるという帰結になりますが、ジェンダーフリーは「性別による区分」を無くすのではなく「性別による差別」を無くす考え方なので、例えば、女性のみが取得できる生理休暇制度は「性別による合理的な区別」なので適当であるという帰結になり得る一方で、女性のみが取得できる育児休暇制度は「性別による不合理な差別」なので不適当であり男性も取得できる制度に改善する必要があるという帰結になり得るという違いがあり、(ジェンダーフリーを手っ取り早く実現するための手段としてジェンダーレスを主張する乱暴な議論を見掛けることがありますが、無用な議論の錯綜を避ける意味で)両者の概念を明確に分けて考える必要があるのではないかと思います。
 
ジェンダーレス :性別による区別を無くす考え方
ジェンダーフリー性別による差別を無くす考え方
 
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「LGBT」という言葉は、2006年にカナダで採択された性的マイノリティの人権保障を求めるための「モントリオール宣言」で初めて使用されました。その後、世界中で性のあり方に関する調査が進むなかで、これまで明らかになっていなかった多様な性のあり方が認識されるようになり、「LGBT(QIA)」(LGBT及びその他の多様な性のあり方)へ概念が拡張及び整理されてきましたが、その多様な性のあり方を正確に認識及び理解するためには「LGBT(QIA)」の概念を構成している個々の要素である「SOGI(ESC)」まで把握する必要があるという考え方が生まれました。この点、多様な性のあり方については、未だ、その概念が流動的な状況にあり正確に整理及び理解することは困難ですが、「LGBT(QIA)」の概念が「SOGI(ESC)」との関係で何に着目して分類されているのかを一覧表で整理するところから始めなければ、いま何が議論されているのかを認識することすら侭ならず、さらに、「LGBT(QIA)」のそれぞれの概念の異同を明瞭にすることで、これらの概念を一律一様に捉えることが適当でないこともはっきりと分かってくるのではないかと思いますので(日本語の「理解」という言葉は「理(筋道を立て)」+「解(バラバラにする)」という意味があり、また、英語の「understand」という言葉も「under(間に)」+「stand(立つ)」という意味がありますが、各々の概念の異同を見極めて「分ける」ことができる状態を「分かる」と言います。)、敢えて間違いを犯すことは覚悟したうえで下表のとおり整理してみました。よって、下表には重大な誤謬が含まれ又は重大な誤解を与える不適切な部分等がある可能性もありますが、そのような趣旨で作成したものなのでノークレームでお願いします。
 
▼LGBT(QIA)とSOGI(ESC)の関係
ジェンダー」とは身体的性と性自認・性表現の関係「セクシャル」とは身体的性と性的指向の関係を意味します。なお、「セクシャル」を性自認性的指向の関係として整理する考え方もありますが、人間は観念的な存在ではなく生物的な存在であり、身体的性を無視して性のあり方を考えることは乱暴なので、下表では前者を前提として整理しています。(下表にある主な用語の概念定義はこちらへ。)
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(注1)Xジェンダー、ノンバイナリー及び第三の性の性自認について
上表で「全性」と表記している性自認とは、ジェンダーバイナリー(男性又は女性で性別を区分する考え方)を前提とするシスジェンダー(身体的性と性自認が一致している状態)及びトランスジェンダー(身体的性と性自認が正反対で不一致である状態)に対し、ジェンダーレス(男性又は女性で性別を区分しない考え方)を前提として身体的性と性自認が不一致である以下の4パターンを意味しています。
・両性:男性及び女性の双方に属すると自認
・無性:男性及び女性の双方に属さないと自認
・中性:男性及び女性の中間に属すると自認
不定性(ジェンダーフルイド):自らの性自認が流動的な状態
(注2)上表以外の性的指向について
これまで性のあり方に関する調査で明らかになった分類のうち、上表には含まれていないものの一部を参考までに挙げておきます。
①自らの性自認とは関係なく特定の対象に係る性的指向を持つ性のあり方
・スコリオセクシャル:シスジェンダー以外の者への偏性愛
・デミセクシャル:強い絆で結ばれている者への偏性愛
②特定の対象又は性質に係る恋愛指向(≠性的指向)を持つ性のあり方
・デミロマンティック:強い絆で結ばれている者への偏恋愛
ノンセクシャル:性的感情は抱かず、恋愛感情のみを抱く
・リスロマンティック:恋愛感情を抱くが、相手からの恋愛感情を望まない
(注3)ホモセクシャル性自認性的指向の関係について
「セクシャル」を性自認性的指向の関係として整理する考え方によれば、例えば、生物学的には男性で自らの性別を女性と認識している人(身体的性=男性、性自認=女性)が性的欲求の対象として女性を選択している場合には、その性的指向レズビアン(同性愛)として整理されることになります。しかし、この場合、身体的性が男性及び女性の組合せとなるので子作りも可能であり、多様な性のあり方を考えるにあたって身体的性が女性及び女性の組合せとなるケースと一緒くたに概念整理してしまうことが果して適当なのか慎重な議論が必要であり、別の概念として整理するのが適当ではないかと思われます。
 
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ところで、各種の調査によれば、現在、日本人の11人に1人は「LGBTQ」のいずれかに該当すると言われていますが、これは人間のみに特異な現象ではなく自然界でも広く見られ、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類及び昆虫など約1500種類の動物で同性愛的な行動が観察されています。現在でも「自然に反する」という情緒的な理由(センチメンタリズム)や宗教教義上の理由(例えば、新約聖書パウロ書簡からコリント人への第一の手紙第6章に「不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、謗る者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはない」と記されているなど)から同性愛に不寛容な態度を示す人もいますが、寧ろ、動物の同性愛は自然界に広く見られる自然的な行為であり、(宗教的な信条はともかくとして)科学的又は合理的な根拠に基づく考え方ではありません。この点、日本では、平安時代から寺院や宮廷における同性愛(主には男色)に関する記録(天台宗の僧・源信著「往生要集」や藤原頼長の日記等。大河ドラマ平清盛」第14話では藤原頼長平家盛を誘惑する同性愛の場面が登場しています。)が見られるようになり、その後、鎌倉時代になると武士が寺院や宮廷に倣って同性愛を嗜むようになります。これは仏教伝来以前から日本で信仰されてきた神道が性に対して寛容であったことを背景として、僧侶が女人禁制の寺院内で美少年に女装させて性的欲求の対象とするようになったことが始まりと言われており、やがて男性社会(ホモソーシャル)に生きる貴族や武士に広まったと考えられています。このように元々はヘテロセクシャル異性愛)な傾向を持つ人が異性を性的欲求の対象とすることが難い環境に置かれた場合に、その代りとして同性を性的欲求の対象とすることを「機会性同性愛」と言います。とりわけ長期間に亘って遠国へ出陣する機会が多かった戦国武将(例えば、武田信玄織田信長徳川家康伊達政宗等)の男色は有名で、大河ドラマ「おんな城主 直虎」第42話では少年期の井伊直政(万千代)が徳川家康の色小姓となる場面が登場しています。なお、武士同士の男色を「衆道」と言って元服後の成人男性(念者)と元服前の少年(若衆)が同性愛のカップルになることが基本的なパターンでしたが、戦国時代に来日したイタリア人宣教師・ヴァリニャーノは日本の男色文化にカルチャーショックを受けて「色欲のなかで最も堕落したものであって、これを口にするには堪えない」と露骨な嫌悪感を示し、「若衆達も、関係のある相手もこれを誇りとし、公然と口にし、隠蔽しようとはしない」と呆れ果てています。江戸時代になって合戦がなくなっても男色が廃れることはなく、男色及び女色を嗜むバイセクシャル井原西鶴好色五人女」より)や男色のみを嗜むホモセクシャル井原西鶴「男色大鏡」より)が江戸の街に溢れ、やがて町人文化が発展すると町人の間にも男色文化が広がり男娼が登場するなど、日本では古代ギリシャにも匹敵する世界でも屈指の男色文化が発展します。なお、江戸時代の男娼は、女装した男性及び男装した女性による歌舞が評判となった阿国歌舞伎がルーツであると言われていますが、興行を成功させるために、美少年や美少女の役者が好色客と枕を共にしていたと言われています。やがて、阿国歌舞伎は遊女歌舞伎(女性)や若衆歌舞伎(少年)に発展しますが、江戸幕府は売春が目に余る遊女歌舞伎及び若衆歌舞伎を風紀紊乱を乱すという理由で禁止し、成人男性のみで構成される野郎歌舞伎の公演のみを許可します。しかし、舞台で顔を売った歌舞伎役者が男娼となって好色客と枕を共にするようになり、後年、江戸城大奥御年寄の江島(金持ちの中年女性)が歌舞伎役者の生島新五郎(イケメンのホスト)と茶屋(ラブホテル)で密会していたことが発覚した江島生島事件(映画「大奥」)へと発展します。因みに、生島新五郎の弟子・生島半六は、初代・市川団十郎を刺殺する事件を犯していますので、非常にお騒がせな師弟です。なお、上述のとおり男娼がいる茶屋のことを「陰間茶屋」と言いますが、これは舞台に立てない未熟な歌舞伎役者のことを「影舞」(かげま)と呼んだことが語源になっており、また、現代のゲイ用語で性交渉をリードする側を「タチ」と言いますが、これは歌舞伎で男役の役者のことを「立役」(たちやく)と呼んだことが語源になっており、歌舞伎と江戸時代の男色文化には深い結び付きがあります。このため、当初、陰間茶屋は歌舞伎役者がいる芝居町及びその周辺(現在の人形町や銀座等)に多くありましたが、その後、幕府による取締りが強まると徳川将軍家菩提寺である寛永寺に参詣する奥女中やその僧侶がご贔屓にしていた湯島天神及びその周辺にある陰間茶屋のみに減っていきます。その後、明治政府は、西洋諸国から文明国として認められるため、男娼や姦通を禁じる西洋諸国に倣って日本でも男娼や盆踊り(乱交パーティー)等を規制し、日本の男色文化は廃れることになります。なお、江戸時代に男色文化が発展した背景には、当時、封建社会で好きな異性と自由に恋愛結婚できる環境にはなく、また、好きな異性と自由に恋愛したくても婚外子が原因で家督争いに発展する虞があったことなどから、性に寛容であった神道の影響を受け、また、男色に救いを求める僧侶(仏教)の存在を模範として、気兼ねなく付き合える男色家や男娼が持て囃されたという社会事情があったのではないかと考えられます。因みに、日本は男性社会であったことから、男性に関する歴史的な記録は数多く残されている一方で、女性に関する歴史的な記録は非常に乏しく、その結果として女性の同性愛に関する記録も殆ど残されていません。しかし、鎌倉時代に書かれた擬古物語我身にたどる姫君」第6巻には女性の同性愛に関する記述が見られ、また、江戸時代には女性の同性愛のための性具が存在していたことから、少なくとも、女性の同性愛が存在していたことは確認でき、おそらく平安時代の宮廷、江戸城の大奥や吉原等の遊郭など男子禁制の女性社会(ホモソーシャル)では女性の同性愛が存在していたのではないかと考えられます。また、陰間茶屋には男性客だけではなく女性客も訪れていたそうなので、女性客の中には男娼との間で女性の同性愛の疑似体験を求める者もいたのではないかと考えられます。
 
 
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上述のとおり歌舞伎界はその歴史的な経緯から完全な男性社会(ホモソーシャル)になりましたが、過去のブログ記事でも触れたとおり、クラシック音楽界はキリスト教音楽として発展してきた歴史的な経緯(即ち、キリスト教では、アダム(男性)よりもイブ(女性)の方が罪深いと考えられてきましたので、キリスト教音楽を含むキリスト教会の活動から女性を排除してきた歴史的な経緯)から伝統的に男性優位の男性社会(ホモソーシャルが続いてきました(映画「カストラート」)。このことは以下の芸術家の言葉に端的に表れており、ゲイの道は芸に通じると揶揄されるクラシック音楽界がつい最近まで男性優位の男性社会(ホモソーシャル)であったことを物語っています。この点、メトロポリタン歌劇場の元音楽監督だったアメリカ人指揮者のジェイムズ・レバインが少年に対するセクハラ疑惑(小児同性愛)で解任され、その後、新しく音楽監督に就任したカナダ人指揮者のヤニック・ネゼセガンがホモセクシャル(同性愛者)であることをカミングアウトしたことは象徴的な出来事と言えるかもしれません。なお、男性の同性愛者と異性愛者の脳を比べてみると、男性の同性愛者の前交連(右脳と左脳をつなぐ脳梁という部位の一部分)の断面積が男性の異性愛者のそれと比較すると大きい傾向があるという研究結果が公表されています。この点、女性は、右脳と左脳の機能が男性ほど分化しておらず(女性は右脳と左脳を同時に使って処理)、女性の前交連は男性のそれと比べて発達していますので、男性の同性愛者の前交連は女性のそれと似たような働き方をしているのではないかと考えられています。クラシック音楽界で活躍する人に男性の同性愛者が多いとすれば、セクシャルマジョリティである男性の異性愛者とは異なる脳の構造的な特徴があり、独創的な発想をしているためではないかと考えられます。その意味で、この研究結果は女性やその他の多様な性を生きる人がクラシック音楽界で活躍できる可能性が大きいことを示唆するものでもあり、非常に興味深いものと言えます。因みに、アインシュタイン博士は同性愛者ではありませんでしたが、その死後解剖でアインシュタイン博士の脳の前交連の断面積が男性の異性愛者のそれと比較して相当に大きかったことが明らかにされています。クラシック音楽界では、1900年代の後半になって漸くオーケストラの演奏者として女性が採用されるようになり(ザビーネ・マイヤー事件)、また、指導的な役割を担う指揮者や作曲家への女性の進出も徐々に目立つようになってきていますので(映画「レディ・マエストロ」)、とりわけ多様で独創的な才能が求められる芸術の分野で女性やその他の多様な性を生きる人の活躍が期待されます。
 
「この世には3種類のピアニストがいる。ユダヤゲイと下手くそ。」
ゲイの数が一番多いのは音楽関係だよね。二番目が美術家でしょ。」
武満徹
アメリカのクラシックはゲイがつくった。」(バーンスタイン
「いい男は、皆、ゲイね。」
 
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クラシック音楽界で活躍する人に男性の同性愛者が多いためなのか、同性愛を扱ったクラシック音楽作品も存在し、その代表的なものをご紹介しておきます。20世紀最高のオペラ作曲家で親日家としても知られる作曲家・ブリテンは、テノール歌手のピーター・ピアーズを生涯のパートナーとする同性愛者であったことは広く知られており、同性愛を扱ったオペラ「ヴェニスに死す」(同じ題材を扱った映画「ヴェニスに死す」も有名)やオペラ「ピーター・グライムズ等の作品を残しています。また、ブリテンは、来日時に観劇した能楽隅田川」に感動し、これを翻案してオペラ「カリュー・リヴァー」を作曲していますが、能楽の表現様式に倣って、狂女(=梅若丸の母)役をテノール歌手のピアーズが担当しています。ブリテンは、時代の既成価値である異性愛を前提とする模範的な「男性」を演じるように求める世間(イギリスで同性愛が合法化されたのは1967年)との葛藤に苦しめらますが、男性の能楽師が異性装で能面を被り、自らの身体(身体的性等の境界)を越えて、その精神世界の本質へと迫ろうとする能楽の美意識やその芸術性の高さにシンパシーを感じていたのかもしれません。なお、ピアーズは、オペラ「ヴェニスに死す」で美少年に心奪われる老小説家やオペラ「ピーター・グライムズ」で社会に溶け込めない漁師グライムズなど多くのブリテンのオペラ作品で個性的な役柄を初演して成功していますが、時代の既成価値とのギャップに苦しみながら自らの心に忠実な生き方しかできない人間の内面に対するブリテンの温かい眼差しと、そのことに深く共感しているピアーズでなければ表現を尽くすことができない舞台と言えるかもしれません。因みに、撲が知る限り、同性愛を扱ったクラシック音楽作品は残していないと思いますが、チャイコフスキー(ラルフ・プレガー監督の映画「チャイコフスキー・ファイル~ある作曲家の告白」)、ラヴェル(イヴリー・ベンジャミン著作「モーリス・ラヴェル-ある生涯」)やプーランク村上春樹著作「東京奇譚集」)等も同性愛者であった可能性が指摘されており、そのことが彼らの作品にどのような影響を与えた可能性があるのかなどについて研究が待たれます。なお、PLAYBILL(ブロードウェイのニュースサイト)は、プッチーニ作曲のオペラ「ラ・ボエーム」を現代に置き換えた「レント」や映画にもなった「コーラスライン」などLGBT(QIA)を扱った38のミュージカル作品を紹介しており、現代を表現するミュージカル作品がSDGsの取組みにあたって人々の意識を変えるために果し得る役割の大きさを感じさせます。
 
 
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ジェンダー・フリーの問題は、「性別(多様な性のあり方を含む)による不合理な差別」が意識的に行われるものばかりではなく無意識的に行われるものも多いということを念頭に置いて考える必要があると思います。最近、「ブルー=男性らしい色、ピンク=女性らしい色」というジェンダー・バイアスに対し、ジェンダーニュートラルな色のベビー用品やおもちゃなどが増えてきているそうです。そもそも、ピンクが女性らしい色と認識されるようになった経緯は、18世紀にベルサイユ宮殿で始まったピンクブームにまで遡るそうですが、ルイ15世の寵愛を受けていたポンパドール夫人がピンク色のドレスを好み、これに倣ってベルサイユ宮殿に暮らす王室女性達がルイ15世の気を引くためにピンク色のドレスを着用し始め、それがヨーロッパ全域に広がったことが端緒と言われています。その後、1950年代にアイゼンハワー大統領の妻・マミーがベルサイユ宮殿の王室女性達のファッションに憧れてピンク色の洋服を好んで着用するようになり、それに目を付けた企業やメディアが「ピンク=女性らしい色」というイメージで商戦を仕掛けたことがアメリカのピンクブームの契機になったようです。第二次世界大戦後、アメリカのピンクブームが日本にも伝播し、商業ベースに乗って戦隊物の元祖・秘密戦隊ゴレンジャー歌舞伎「白波五人男」がモデル)のモモレンジャーやアイドルユニット・ピンクレディー(ブロードウェイミュージカル「ピンク・レディー」に因んで作られた同名のカクテルから命名)等に代表されるポップカルチャーや広告の影響から「ピンク=女性らしい色」というジェンダー・バイアスが広まりました。このように人工的に作り出された「らしさ」(偏見)は社会の至る所で様々な態様で存在し、個人の趣味・趣向を超えて、その自然的ではない「らしさ」(偏見)に従うことを期待するという形で、それを好まない人達に対する「性別による不合理な差別」が無意識的に行われている状況があるのではないかと思います。もう1つ、人工的に作り出された「らしさ」(偏見)から「性別による不合理な差別」が意識的に行われていた事例として、フランスでは2013年1月31日に廃止されるまで女性のズボン着用を禁止する条例(違反者には罰金)が存在していました。この条例は、1800年に女性は男性をサポートしながら女性らしい生活を送るべきだという男性優位の考え方から女性のスカート着用を推奨する目的で制定され(衣服によるジェンダー・バイアス)、フランス以外の欧米諸国でも性別によるドレスコードが設けられるようになりましたが、事実上、これによって女性は特定の職業や活動に従事することが妨げられてきました。これに対し、女性解放を求めてズボンを着用する女性達が現れ、1960年代にイヴ・サン=ローランが女性用のタキシードやパンツスーツを発表したこと(映画「イヴ・サンローラン」)を契機として、一気に女性のズボン着用が広まりました。因みに、この頃、フランスでは女性が自分の名前で銀行口座を開くことが可能になりました。その後、ユニセックスな服装としてジーンズが普及したことによって、徐々に女性のズボン着用に対する偏見がなくなり、女性の就業や活動の幅が広がることになりました。この点、どのようなことが「性別による不合理な差別」に該当するのかについては具体的に洗い出して行く必要がありますが、取り敢えず、これまでのセクハラ等に加えて以下のようなSOGI(ソジ)ハラを理由とする労災申請や訴訟が急増している現状を踏まえて2021年4月に改正労働施策総合推進法が施行され、以下のようなSOGI(ソジ)ハラ対策を講じる義務が追加されて企業に課されており、今後、具体的な事例等に従ってその内容が拡充、整備されて行くと思われます。
 
【SOGI(ソジ)ハラ】
①LGBT(QIA)に対する差別的な言動や嘲笑、差別的な呼称
②LGBT(QIA)に対するいじめ・無視・暴力
③LGBT(QIA)に対する望まない性別での生活強要
④LGBT(QIA)に対する不当な異動・解雇
⑤LGBT(QIA)のSOGIを許可なく公表(アウティング)

  ☟ 当面、企業に対して課せられている対策義務

【不作為義務】
◆相手の性的指向性自認に関する侮辱的な言動を行うこと。
◆労働者の性的指向性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報について、当該労働者の了解を得ずに他の労働者に暴露すること。

【作為義務】
◇労働者の了解を得て、当該労働者の性的指向性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報について、必要な範囲で人事労務部門の担当者に伝達し、配慮を促すこと
◇相談者・行為者等のプライバシー(性的指向性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報も含む)を保護するために必要な措置を講ずるとともに、その旨を労働者に対して周知すること。
 
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同性愛の差別撤廃を題材とした映画「MINK」プッチーニ作曲のオペラ「トスカ」の音楽が使われています。)や女性の参政権を題材とした映画「未来を花束にして」などジェンダー・フリーを実現するために戦った人々の実話を題材とした映画は数多く存在します。日本でも同性婚や夫婦選択的別姓の導入を求める声は多く、今回の選挙でも争点の1つとなったホット・イシューです。この点、同性婚や夫婦選択的別姓の導入に反対する人々の主張は、日本の伝統的な国家観や家族観と相容れないことを論拠とするものが主流ではないかと思われます。即ち、祖先から子孫へと血を受け継ぐ縦の系統を基本とし、それにより忠孝を重んじる価値観が醸成され、それが様々な社会関係にも適用されてきた歴史的な伝統を守ろうとする立場から、子供を作れない同性婚や縦の系統から逸脱する夫婦別姓を制度的に保障することは、その歴史的な伝統を壊してしまう虞があるというのが大まかな論旨ではないかと理解します。この点、近世から近代になって国家の富の分配の方法が(家父長思想に従って嫡男による)「土地(家督)の単独相続」から(平等思想に従って家族全員による)「金銭の分割相続」へと変遷したこと(その経緯は大河ドラマ「晴天を衝く」で描かれています。)、封建制の崩壊によって「身分の保障」(社会的地位(家督)の世襲)から「機会の保障」(自由競争に基づく実力主義)へと変遷したことや現代的な要因から核家族化が進展したことなどによって、実態上、家父長思想に基づく家制度はその実質を失っており、その限りで伝統的な家族観は崩壊しているように感じられます。自然界(人間以外の多種多様な動物)にもホモセクシャルが確認されるという事実は、必ずしも「生殖」(=子供を作ること)ばかりが種の保存や自然との調和にとって有益であるとは限らないという可能性を示しているものであり、その意味で「生殖」=「生産性」という短絡的な認識から安易な結論に至っている主張に合理性を見い出すことは難しく、もう少し慎重な議論が求められる問題ではないかと思います。人類が次世代のためにSDGsで宣言している「誰一人取り残さない(No one will be left behind)」世界という高い志を実現するために、もう少し知恵を尽くす必要があるのではないかと思います。この点、日本が困難を避けて、伝統を守るために、社会を発展させるために、誰かを取り残さなければならない未熟な世界に留まるという不名誉な決断をするのであれば、「国際社会において、名誉ある地位」を占めることは難しく、誰かを取り残さなければ守れない懐の狭い伝統、誰かを取り残さなければ発展させられない脆弱な社会ということになってしまいそうです。俄かに結論を得ることが難しい問題ばかりですが、今後、更に個別の問題について国民的な議論を重ねる必要があると思います。
 
系統 結縁 規律 備考
伝統的
家族観
縦の関係 家父長思想
(忠孝)
万世一系
天皇
同性愛
家族観
横の関係 平等思想
(契約)
 
◆おまけ
オペラ「ベニスに死す」(ブリテン作曲)は、小説家トーマス・マンがベニス旅行中に出会った美少年に夢中になった体験を基に執筆した小説「ベニスに死す」を台本にしていますが、ブリテンはこの小説を基に映像化された映画「ベニスに死す」(ヴィスコンティ監督)に感銘を受けて作曲を決意しています。 
 
映画「ベニスに死す」(ヴィスコンティ監督)は、マーラー作曲の交響曲第5番第4楽章「アダージョ」をテーマ曲にしていますが、小説「ベニスに死す」の主人公の名前に「グスタフ」がつくのはトーマス・マンと生前に親交があり、この小説を執筆する直前に死亡したマーラーへのオマージュです。
 
オペラ「ピーター・グライムズ」(ブリデン作曲)は、テノール歌手・ピアーズが感銘を受けたイギリス人の詩人であるジョージ・クラブの詩「町」の一節である「ピーター・グライムズ」を台本にしています。オペラの間奏曲が組曲「4つの海の間奏曲」「パッサカリア」へ編曲されています。
 
King Gnuの「The Hole」(作詞作曲:常田大希)のMPVに登場する主人公は「光」という中性的な名前で、愛情と暴力、異性愛と同性愛の狭間を揺れ動く現代のユニセックスな若者像と言えます。なお、常田は「社会と結びついた音楽をしたい」という理由で東京藝大を中退しています。